言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

プロフィール

くわどん

Author:くわどん
世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
また、過去の各記事にアクセスしやすく
するため当ブログの目次専用ブログを随時更新中です。
目次専用トップページ http://blogs.yahoo.co.jp/
kuwadong/64865881.html 



最近の記事

2015年11月2日まで、10年間毎日更新してきましたが、その後は、週1回プラスアルファのペースで更新していきます。



カテゴリー



語源由来辞典からの引用

当ブログにおいて、語源のコメントを する時は、語源由来辞典から引用しています。

語源由来辞典へはここをクリック!!



リンク

このブログをリンクに追加する



フリーエリア



お買い物しませんか?



最近のトラックバック



最近のコメント



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



広告ですたい!



フリーエリア



紀元前31年9月2日 ~アントニウス・クレオパトラ連合とオクタウィアヌスがアクティウムで海戦を交えた日

今日は2007年9月2日


今からおよそ2000年以上前の
紀元前31年9月2日

イオニア海のアクティウム沖で、
オクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)が率いる
ローマ軍とアントニウス・クレオパトラ連合軍の
間で海戦が行われ、ローマ軍が勝利し、
アントニウス・クレオパトラ連合軍が敗北した日である。
この海戦は「アクティウムの海戦」と呼ばれ、
ローマ世界の支配をめぐる、オクタウィアヌスと
アントニウスとの最終決着戦となった。


紀元前44年3月15日
権力を握っていたカエサルが
ブルートゥス、カッシウスらに暗殺された。

紀元前43年10月
カエサルが後継者に指名していた
オクタウィアヌスと執政官のアントニウスとレピドゥスによる
第二回三頭政治が成立。


オクタウィアヌスとアントニウスは
カエサルを暗殺した
ブルートゥス、カッシウスらをギリシアのピリッピの戦いで
破った。

その戦後処理において、
アントニウスはエジプトに赴き、
カエサルの愛人であった
エジプト・プトレマイオス朝の
女王クレオパトラ7世と出会い、親密な関係を
築いていく。


紀元前37年
オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスの間で
三頭政治の5年間延長が決定し、
アントニウスはオクタウィアヌスに120の軍船を、
オクタウィアヌスはアントニウスに20000人の軍団兵を
相互に送る事を約束した。

カエサルと第一回三頭政治を担った
グナエウス・ポンペイウスの次男
セクストゥス・ポンペイウスが率いる
ポンペイウス派がオクタウィアヌスと対立したため、
オクタウィアヌスはセクストゥス・ポンペイウスとの
戦争を決意、アントニウスに援軍を要請した。

アントニウスは
政敵のオクタウィアヌスの援軍に応じた。
その理由は、カエサルが成し得なかった
パルティア遠征成就のため
オクタウィアヌスに貸しを作ろうとしたからとされる。


オクタウィアヌスの軍は
紀元前36年9月
セクストゥス・ポンペイウスをナウロクス沖の海戦で
破り、
オクタウィアヌスの軍とレピドゥスの軍は
シチリア島に上陸。

レピドゥスはオクタウィアヌスを一掃しシチリア島を独占
しようとしたが、レピドゥスの部下がオクタウィアヌスに
寝返ったことをきっかけに
レピドゥスは失脚。

その結果、
オクタウィアヌスとアントニウスが
ローマ領を東西に二分して、統治する状態になった。



やがて、アントニウスはパルティア遠征に出陣するが、
オクタウィアヌスからの援軍が約束の20000兵の
10%の2000兵のみで、
遠征は失敗する。
遠征に失敗し、エジプトに戻った司令官という
マイナスイメージでアントニウスが見られ、
アントニウスの権威は失墜していく。


アントニウスは
自分の軍隊の再建のため
クレオパトラの財力の支援を受けることを考えた。
そして、アントニウスは
妻のオクタウィア(オクタウィアヌスの姉)と
一方的に離婚し、クレオパトラと結婚する。


そのアントニウスの行動を
オクタウィアヌスがアントニウス弾劾の口実に
使い始め、アントニウスを非難する演説を行う。

しかし、アントニウスは
オクタウィアヌスやローマ人を激怒させる行動を取る。

紀元前34年にアントニウス配下のローマ軍が
アルメニアを占拠した時、
アントニウスとクレオパトラとの実子
アレクサンデル・ヘリオスを王に擁立。

それにローマ人は激怒し
オクタウィアヌスはアントニウスを悪人として
ローマ人の意識に植えつけように扇動し、
アントニウスは孤立化していく。


紀元前33年1月1日
執政官に就任したオクタウィアヌスは元老院に
アントニウスとクレオパトラへの宣戦布告への決議案を提出。

オクタウィアヌスが奪い取った
アントニウスの遺書が公開され、
それには
ローマ征服領の領主はアントニウスの子が引き継ぐこと
アントニウスの墓をエジプトのアレクサンドリアに造営すること
その墓にクレオパトラとともに葬られること
などが書かれていた。

それに対して、元老院もアントニウスを見限り、
紀元前32年後半、
アントニウスとクレオパトラへの宣戦布告を行う。


そして、
両軍は
海と陸で戦いに踏み切り、
アンブラキア湾対岸の大規模な陸上戦を交えたりしていた。
戦いはオクタウィアヌス軍の優勢で、
アドリア海の制海権を確立、さらに
クレオパトラの補給線を寸断した。

アントニウス軍は追い詰められつつあった。

アントニウス配下の将軍達は
有利な陸上戦を主張したが、
クレオパトラが海戦を主張したため、
アントニウスはクレオパトラの主張を受け入れ、
大規模な海戦を選んだ。


そして、
紀元前31年9月2日
イオニア海のアクティウム沖(現在のギリシア)で
投射機を搭載したアントニウス軍の
220隻の重装備船と
オクタウィアヌス軍の260隻の軽装備船が対峙した。

軽装のオクタウィアヌス軍が機動力で優位を誇った。
それに驚いたクレオパトラが、60隻のエジプト艦隊を
撤退させ、アントニウス軍もそれに追随
アントニウス軍の艦船の大方は破壊され、
エジプトに逃走した
アントニウスとクレオパトラは自殺。

この結果、
オクタウィアヌスが共和政ローマ全領土の支配権を確立。

そして、
紀元前27年1月16日
元老院はオクタウィアヌスに
アウグストゥス(尊厳者)の称号を奉じ、
国の全権を掌握するよう懇請、
オクタウィアヌスは
幾度か辞退した上で承諾。
この結果、共和政ローマは終焉し、
帝政ローマが始まる。

オクタウィアヌスはアウグストゥスと呼ばれ、
帝政ローマ初代皇帝となる。



このブログでの関連リンク


葉月の8月~ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスのおかげで、夏休みが1日増えた!!


カエサル関係

7月~日本で文を綴る月は、西洋では英雄の月である

「乾坤一擲」「賽は投げられた」 ~ 歴史を作った英雄の運命を賭けた決断

賽は投げられた!~川を越えて、ライバルに向かう






スポンサーサイト

テーマ:今日は何の日? - ジャンル:ニュース


この記事に対するコメント


この記事に対するコメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://kuwadong.blog34.fc2.com/tb.php/673-d3c62492
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カエサル

カエサルカエサル(Caesar)は、古代ローマのパトリキ系の氏族であるユリウス氏族に属する家族名(コグノーメン)。後にローマ帝国君主の称号(君主号)ともなった。この家族名のみをもって、カエサル家に属した共和政ローマ|共和政末期に活躍した独裁官、ガイウス・ユリ あすかの記録【2008/01/05 12:18】