言葉は感情の成果物 ~ 繰り返される移ろいと揺らぎの時の流れのなかで、視座を得る
直観的なものは、言葉で言い表すことはできないことは多い。
「言葉にできないということは、そのことをわかっていないからだ」 という人もいる。 わたしも、言葉にできないものがあるので、 わかっていないことが多いということになるでしょう。
そんな時は、 無理して、理屈で答えなくてもいいと思うが、 書くこと、つまり、言葉としてあらわすことで、 わからないことがわかったりする、あいまいなことがはっきりしてくることがある。 言葉は感情の成果物だ。
珍しいものをもらってとても嬉しいという気持ちを 何とか表わそうとして 「有ることが難しい」から「有難し」「ありがとう」という 言葉が生まれたのだろうと思う。
そのようになかなか言葉に表現できにくい気持ちや あいまいなものをを何かの言葉にすることで、 ある程度定義付けることで軸足が定まる。 しかし、ぎちぎちにしすぎると苦しいし、発展はない。 「有ることが難しい」という語源に由来するように 「ありがとう」は珍しいことや 予想外の賜りものをいただいた時に 出てきやすいが、 いつもの当たり前のことにも「ありがとう」という 言うように定義を変えることで、 新しい視点や発展が生まれてくるかもしれない。
あいまいさ、ゆるやかさが揺らぎを引き起こし、 流動的に成り、新しいものが生まれる。 しかし、流動的過ぎるのも不安定なので、 言葉にできない感情・状況を定義づけ、 軸足を定める必要もある。 ただ、それが固定化しすぎて矛盾が大きくなると 再定義が必要な状況になってくる。 例えば、「構造改革」という言葉があるが、 どれほどこの言葉の意味を理解しているのだろうか? この言葉の定義を吟味することで、 事態を正確に把握できたり、 もしかしたら、その言葉のレトリックによって、 誤った現状認識をもたらしていると 気づくことがあるかもしれない。
世が移ろい、揺らぎ、流動的になると 新たな言葉が生まれ、 その言葉で視座の軸足が定まるが、 その言葉による現状認識の矛盾を 感じられると、新たな揺らぎが引き起こされ、 その時に感じた気持ち、 視点に基づいた言葉が生み出される。 長い歴史の間、その繰り返しだったのだろう。
そのためには「言葉」を司る力、言葉を生み出す力が必要なのだ。
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