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言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。.当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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阪神淡路大震災から25年・・・当時大学3回生の私は下宿屋で被災した。住処を選ぶことは生死を分けることにもなるのだ

今日は、令和2年(2020年)1月17日  金曜日


今日で、平成7年(1995年)に発生した
阪神淡路大震災から25年になる。

25年で改めて思うことは
2年前のこの日のブログ記事

2018年1月17日の記事
人生とはいつも死と隣りあわせで、現在、元気で生きていることが奇跡かもしれない・・・・阪神淡路大震災で被災して23年で思うこと

と内容が重なる部分はあるが、

当時、関西学院大学法学部政治学科の3回生であった私は
西宮市上ヶ原二番町の下宿屋に住んでいた。

上ヶ原番町一番町にある関西学院大学の上ヶ原キャンパスから
すぐ近くで、法学部があるA号館やB号館には徒歩5分ほどの
ところに下宿屋があった。

あの地震で
下宿屋の傾きは5度から10度の間ぐらいで
あったが居住危険と判断され全壊認定された。

被災後の後片付けに実家から手伝いに
きてくれた父が、
傾いた下宿屋の崩れた外壁の中に見えた
筋交いを見ていた。
すると、材木屋で働いていた父が

「この筋交いが無ければ完全につぶれていたかもな」

とつぶやいた。

全壊扱いだが、ただ少々傾いただけで大破することがなく
生命に危険が及ぶことはなかったのだ。


一方、関西学院大学の上ヶ原キャンパスから
徒歩で約15分前後、自転車で約5分ぐらいの距離にあり
上ヶ原四番町や上ヶ原五番町にて、
1階が押しつぶされて大破した下宿屋に居住していた
関西学院大学の学生の数名が亡くなっていた。


ふと、今になって思ったのが、
私が関西学院大学に合格した半月後の
平成4年(1992年)2月下旬にて、
下宿屋選びが人生の分かれ目になていたのだなと思った。

私は、和歌山県御坊市に住む高校生であったので、
上ヶ原近辺のことはあまりわからず、
大学のキャンパスから離れたところまで
歩いて下宿屋を探す気にもならず、
法学部が主に利用するA号館やB号館から
徒歩5分ぐらいのところにあった、
ちょっど出窓があって、四畳半一間の部屋でも
少し広くなるかな思って、
上ヶ原二番町の下宿屋を選んだのだ。

その土地の地質や下宿の構造などが影響して
震度7に近い震度6の激しい揺れにも耐え
倒壊することもなく、私は無傷で済んだ。

あまり土地勘がなく、いろいろキャンパスから離れてまで
歩いて探すのは面倒だから、近くの下宿屋に決めた
そのずぼらさと楽して探したいという気持ちが
結果的に、生命の危機に遭遇することを回避したのであった。

もし、下宿探しの時期が遅れていたら、
大学のキャンパスの近くの下宿屋は満室になってしまい
キャンパスからやや離れた下宿屋を選び
そこで、人生を終えていたのかもしれない。


住処を選ぶということは
生死の境目を選ぶことにもなるのだと

当ブログの
阪神淡路大震災リンクを載せますが、特に「2010年1月17日の記事」は
あの日、私が被災地の真っただ中にいた時の様子を


2010年1月17日の記事
阪神淡路大震災から15年・・・・被災地の真っただ中にいた私の地震直後の経過と私が見れなかった発生直後の地震報道の経過を振り返る

にて、詳しく書いています。


関西学院大学生が亡くなった被災下宿について

神戸大学ニュースネット 特集 震災から2年 被災下宿は今…【関西学院】


に、詳しく記載されています。



このブログ内の関連記事


阪神淡路大震災リンク

2006年1月17日の記事  「風化」の語源と「震災」の風化懸念
あれから11年、「風化」が懸念されている

2007年1月17日の記事
地震直後に風呂に水を貯めた人がいた ~阪神・淡路大震災から12年

2008年1月17日の記事
震災時のコミュニケーションの確保 ~ 阪神・淡路大震災から13年 震災時の「赤い伝言カード」

2009年1月17日の記事
大地震による地滑り災害の脅威 ~ 阪神淡路大震災から14年、西宮市仁川の地滑り災害が埋もれた記憶にならないように

2010年1月17日の記事
阪神淡路大震災から15年・・・・被災地の真っただ中にいた私の地震直後の経過と私が見れなかった発生直後の地震報道の経過を振り返る

2012年1月17日の記事
阪神淡路大震災から17年・・・2つの7連覇チームと平成の2つの大震災・・伊勢湾台風から17年後を比べつつ

2013年1月17日の記事
阪神大震災で、実は津波が発生していた!・・・大阪湾断層帯大地震で神戸に5分以内に4mを超す大津波が来襲!!

2014年1月17日の記事
阪神淡路大震災から19年、被災地だった西宮はあの大災害の面影は今はなく・・・・前回の東京五輪は終戦から19年後だったなあ

2015年1月17日の記事
阪神淡路大震災20周年・・・20年で様変わりし、震災の面影なき西宮北口を見ると、東日本大震災での震災遺構保存は記憶の伝承のために必要だと思う


2018年1月17日の記事
人生とはいつも死と隣りあわせで、現在、元気で生きていることが奇跡かもしれない・・・・阪神淡路大震災で被災して23年で思うこと



2014年2月13日の記事
私の人生と平成の2つの大震災・・・2月13日は、その2つの大震災の中間日

1月17日のもうひとつの大きな出来事
2011年1月17日の記事
砂漠の嵐作戦が始まったのは、今から20年前の今日の1991年1月17日・・・湾岸戦争開戦

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