言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。.当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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加速度を増す商品経済化とグローバル経済化と表音文字であるカタカナの外来語の氾濫で言葉が軽く扱われやすくなる・・・明治の知識人は外来語を表意文字の漢字に翻訳して言葉の本質を理解しようとしてきた・・日本語の「てにをは」を鋳型にした日本語の「詞-辞」構造ゆえに

今日は、2017年(平成29年)11月 18日 土曜日

当ブログの記事
日本語は「てにをは」を鋳型にして、外来語をどんどん吸収してきた・・・日本語の「詞-辞」構造で、

概念本体や行為などを示す
部分を「自立語」は「詞」とされ、
いわゆる「てにをは」の部分を「付属語」は「辞」とも呼ばれ、
それゆえ、日本語は「詞-辞」構造になっているとされる。

さて、この日本語を「詞-辞」構造は
外来語の浸透に威力を発揮する。

と書いた。

助詞の「てにをは」を鋳型にして、
「自立語」は「詞」の部分にして、
「スマホ」などの外来語を
表音文字であるカタカナを活用して、
はめ込んで日本語文を構成して、
日本人に外来語の存在を意識づける
機能をはたしている。

それゆえに外来語の明確な定義がわからなくても
なんとなくわかったつもりで多くの日本人が使い出して、
あっという間に日本語圏に外来語が普及するのである。

外来語を「てにをは」を鋳型にして
はめ込むにあたり、幕末から明治のころは
「デモクラシー」などをカタカナの表音文字のままでなく
「民主主義」という漢字の表意文字に翻訳してきた。

漢字の表意文字に翻訳することで、
「民が主役」である「国民主権」ということを
日本人がより外来語を理解を深めることを
促進できたが、
20世紀後半以降は、
外来語をカタカナの表音文字のままにして
漢字の表意文字に翻訳することをしなくなってきた。
そのことによって、明確な定義があやふなや
外来語をなんとなくわかったつもりのまま
しようしてしまう程度がより高まってしまっているのでは
ないかと感じている。

外来語を翻訳せずにそのままのカタカナの表音表記のまま
使用していることについて、当ブログ記事において
以下の3つの記事で具体例をあげてきた。

原子力発電所の安全性を高めるためのコンピューター解析による耐性評価テスト
である「ストレステスト」という表記について

「ストレステスト」と「耐性試験」・・・表音文字のカタカナ表記と表意文字の漢字表記・・・外来語を表意文字の漢字表記に和訳すれば、さらに理解度は高まり、世界に発信できる言葉の力を得るのでは

例えば「耐性試験」と翻訳しないことについて、

次に

「竜巻」と「ダウンバースト」・・・「竜巻」という上昇気流の方は漢字という表意文字で、「ダウンバースト」という下降気流の方はカタカナという表音文字が使用されることについて

という気象現象について、上昇気流の激しい暴風現象である「竜巻」という
漢字の表意文字が使われているが、一方、下降気流の暴風現象を
「ダウンバースト」というカタカナの表記のまま使用され続けていて、
「downburst」は、強い爆発的な下向きの風という意味なので
例えば「下降暴風」という翻訳を考えないのかとか

水害での「バックウォーター現象」という外来語を翻訳もせず伝えることへの違和感・・・明治の日本人なら日本語に翻訳しようとしていただろう

では、

大雨で増水した支流の水が本流に流れ込もうとしても
支流よりも水量が多い本流の増水した流れにほって
支流の川の水が本流に合流できず流れ込めず、
本流に合流する付近の支流の流れが滞り、
水位が上がり氾濫したり堤防が決壊したりする
「バックウォーター現象」については、
支流の流れが本流の流れによって止められるということで、
「流止現象」とか、
本流の流れが支流の流れを栓のように止めてしまうということで
「流栓現象」とか、流れが滞るということで
「流滞現象」とか考えられそうと提案したりもしたが、

明治の知識人なら何らかの翻訳を考えていただろうと
思うが、現在の日本においては、
外来語をカタカナの表記のまま使用され続けている。

それは
欧米由来の言葉の音声がカタカナ表記のまま大量に
使用されるのは、世界の新しい動きが欧米発が多く、
日本初が少ない現状を表していると思う。

さらに、外来語がカタカナ表記のまま大量に
使用されることについて、

書家・書道史家の石川九楊(いしかわ きゅうよう)氏は
著書「日本語を問い直す」で論を展開しているので、
それを引用していく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

外来語を日本語として表記するのに最適な文字として片仮名が選ばれたのです。
その理由は、片仮名が不完全な文字、すなわち、半分は文字でありながら、
半分は発音記号であるという特徴をもっている文字(片方の「片」仮名です)
だからです。(p118)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、カタカナが有する不完全文字としてのありかたと
その発音記号性ゆえに外来語を日本語として伝える文字として
幕末から明治維新以降に活用することが高まった。

カタカナ外来語は、漢字という表音文字での翻訳語ができるまでの
とりあえずの仮の表記の役割を果たしていたのだが、
そのとりあえずのカタカナ外来語は翻訳されず
そのまま恒久的に日本語に定着してしまう傾向が
強まったのは、高度経済成長を終えた1970年代以降だと
石川氏は主張する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

七〇年代半ば以降、世界と日本はおそるべき商品経済・市場経済の段階に入りますが、
それを象徴するのが片仮名によって表記された商品です。
つまり、商品経済が、われわれの実体の経済や生活の速度よりも速く駆巡るために、
時間をかけて漢語に翻訳して、日本語のなかに受けとめることができないため、
とりあえずの片仮名語が氾濫することになりました。
片仮名という文字の、いわば国境を問わず(何語にも対応する)、出自を問わず
(どんな対象にも対応する)、歴史と文化を問わない(どんなに珍奇なものにも
対応する)という特徴は、現代の商品にとっては恰好のものでした。
そして片仮名が日本の現代商品経済を必要以上に加速した一面さえあります。
片仮名は商品市場の象徴的表記となり、そればかりか、いったんは
「電子計算機」や「電気掃除機」という名で受け止めた商品を
「コンピューター」や「クリーナー」へ改名するという芸当まで見せて、
現代商品の大洪水をもたらしました。(p120~p121)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

市場経済の加速度が増し、それにともない
商品のライフサイクルも加速度を増して、短くなったりするが、
その商品や製品が外来語を表音文字のカタカナ語のまま
漢字に翻訳されることとなく、加速度的に増えていくこととなった。
市場経済・商品経済の加速度性が増したこと、
そして、さらに、加速度性が増す
資本移動のグローバル化が、
表音文字のカタカナ語のまま外来語が増加することを
促進させたと想像できる。

さて、不完全で不十分な言葉であるカタカナの外来語が
広まりつづけることによって生じる懸念する傾向として
石川氏は次のように主張する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

片仮名は不完全で不十分な言葉です。片仮名を使うと、言葉が、
原語から日本語へ翻訳され受け止められる過程の中間段階にとどまります。
そのため、まだ日本語に翻訳されきらず、語の本質は隠蔽されます。
したがって、言葉が「軽く」それに従って商品も「軽く」
動き回るのです。
そのいい例が、「リストラ」や「バブル」といった時代語です。

(中略)

重い歴史的意味を担う「首切り」や「馘首(かくしゅ)」という言葉を
軽々しく口にすることはできません。しかし、「リストラ」というと、
「首切り」という重い言葉の本質は隠蔽され、中途半端になり、軽くなり、
だれもが平気で口にできるのです。

(中略)

「バブル」と言うと、「泡沫」という本質が隠蔽されて軽くなり、
八〇年代の時代状況を表す代名詞程度で使われるのです。
この片仮名語の氾濫は、本来、本当の思い(本質)を伝えるために
生まれた言葉(文字)が、本質を不問にしたまま使われるという、
憂慮すべき事態の進展を告げています。また、自己運動しはじめた
市場経済の「時代」の速度に、人間と実社会の側が追いつけなく
なったことを意味していると思われます。

p121~p122

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり、外来語がとりあえずの表音文字のカタカナ表記の
ままにされ、表意文字の漢字へ翻訳されないことで
語の本質は隠蔽が隠蔽され、その言葉が、
カタカナ表記の外来語で表現される商品も「軽く」
扱われる。そんな商品はあっと言う間に消耗品化
されてしまいやすくなりそうである。

この記事の冒頭で、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

表音文字であるカタカナを活用して、
はめ込んで日本語文を構成して、
日本人に外来語の存在を意識づける
機能をはたしている。

それゆえに外来語の明確な定義がわからなくても
なんとなくわかったつもりで多くの日本人が使い出して、
あっという間に日本語圏に外来語が普及するのである。

外来語をカタカナの表音文字のままにして
漢字の表意文字に翻訳することをしなくなってきた。
そのことによって、明確な定義があやふなや
外来語をなんとなくわかったつもりのまま
しようしてしまう程度がより高まってしまっている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と書いたが、「てにをは」を鋳型にして、外来語をどんどん吸収してきた
日本語の「詞-辞」構造ゆえに外来語を取り入れやすくするが、
それをカタカナの表音文字のまま放置していくことで、
その言葉が理解されずに軽く扱われしまう。
それが加速度性が増す商品経済化とグローバル経済化が促進して
しまっている。
それを防ぐにも、明治のころの知識人がしてきたように
可能な限り、表意文字の漢字への翻訳をしていくことを
して欲しいものだと思う。

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