言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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赤いスイートピー~♪心に春が来た日は 赤いスイートピー~♪・・・この名曲を作曲した呉田軽穂(クレタ・カルホ)は、どうしてその名義で作曲したのか

今日は、2017年(平成29年) 4月16日 日曜日

今回取り上げるのは、
松田聖子の名曲「赤いスイートピー」である。
この曲は、昭和62年(1987年)1月21日に
発売され、約50万枚の売上げを記録した。

まず、「赤いスイートピー」を作詞したのは
元「はっぴいえんど」の松本隆である。

日本にニューミュージックという
ジャンルを切り開いたはっぴいえんどを
昭和47年(1972年)に解散後も
作詞活動に精力的に行い、歌謡曲の分野に進出。
昭和50年(1975年)に発売された
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」の作詞を行い、
この曲に大ヒットで、彼の作詞家の地位が確立した。

松田聖子は
昭和55年(1980年)にデビューし、
2枚目のシングルの青い珊瑚礁で大きく名を
広げることとなる。

昭和56年(1981年)の春、
松本隆は、CBSソニーの若松宗雄ディレクターから
松田聖子の曲の作詞の依頼を受けた。
彼は、それまで消耗品扱いされるアイドル歌謡曲を
長年歌い継がれるスタンダードナンバーにしたいと
思っていた。
松本隆は歌謡曲専門の作曲家ではない作曲者を
求めていた。

松田聖子6枚目のシングル「白いパラソル」で
松本隆は作詞を行う。
その時、作曲はチューリップのボーカルの
財津和夫であった。

また、彼女の7枚目のシングルの「風立ちぬ」を作詞、
作曲は、はっぴいえんどのメンバーだった大瀧詠一であった。

ちなみに、昭和56年には、松本隆が作詞した
ルビーの指輪がこの年の日本レコード大賞を受賞している。

さて、松田聖子の8枚目のシングル作成にあたり、
松本隆はある女性シンガーソングライターに

「ライバルに曲を書かない? 女性ファンが欲しいんだよ」

と言って、作曲を依頼する。

その女性は、はっぴいえんどと同じく
ニューミュージックというジャンルを切り開いた人物である。

その女性シンガーソングライターは、自分と違うジャンルであった
ことなどから松本隆の依頼を断り続けていたが、
彼女は歌謡曲とは一線を置きたいという思いもあり
呉田軽穂(クレタ・カルホ)というペンネームで作曲することで、
最終的に応じた。

その女性シンガーソングライターとは
ユーミンこと松任谷由実である。

呉田軽穂というペンネームは、
映画女優グレタ・ガルボ(1905年~1990年)をもじり、
「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」を逆にしてみたりして
考えたようだ。
(おそらく、垂れるを逆にすると「るれた」と「くれた」に近い)

さて、ユーミンは松本隆が作詞した歌詞に曲を作ったが、
にちに、ユーミンが

「提供した曲をダメ出しされたのは後にも先にも
その時だけなのですごく驚いた」

という出来事があった。

サビの

♪~赤いスイートピー~♪

の部分は

初めは、音程が下がる曲であったが、
プロデューサーから

「春をイメージした曲なので、
音程を上げて、春らしくして欲しい」

とやり直しを求められた。
ユーミンはその熱意に折れて、リクエスト通りに
作曲し直した。

そのことについてユーミンは

「今になって考えると春の歌だし、あれで良かったんだと思います。
そして、相手が誰であろうと妥協せずに向かい合うスタッフがいたからこそ、
彼女(松田聖子)は短期間であれだけの存在になれたのでしょう」

とコメントしている。

さて、作詞をした松本隆は

ユーミンが作曲した「赤いスイートピー」について、
次のようにコメントしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぼくの詩につりあう音楽性の高さを維持できる人は何人もいない。
作曲家としてのユーミンは細野晴臣、筒美京平と並ぶ僕のベストスリー。
細野さんや京平­さんには頭で曲を作るところがあって、時には転調が
強引すぎると感じる時もあるけど、ユーミンはごく自然に転調するから、
僕が『ここで話­を展開させたい』と思っているところに、凄くいいコード
(和音)が入ってくる。

たとえば「赤いスイートピー」の

”あなたって、手も握らない” と

”I WILL FOLLOW YOU” の間。

ここがとてもいい感じでつながっているからこそ
『手を握りたいけど、握れない』という躊躇とか、
ものすごくたくさんんのことが一行で言える。
作詞家は一行で百行くらいの内容を、しかも平易に言いたい。
だから、それなりの曲がどうしても必要になる

文藝春秋 2011年3月特別号
『時代を創った女1』 松任谷由実~ユーミンと自立する女性の世紀~
 柳澤 健(ノンフィクション・ライター)より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

赤いスイートピーの大ヒットの結果、
それまでぶりっ子キャラで女性から嫌われていたが
松本隆の目論見通り、女性フアンの拡大に成功した。

赤いスイートピーの大ヒット後も
ユーミンは呉田軽穂の名義で
松田聖子に「渚のバルコニー」「Rock'n Rouge」
などの楽曲を提供して、ヒット曲が続いた。
呉田軽穂の名義の作曲の曲を歌い続けた松田聖子は
1980年代を代表する
一大スーパーアイドルとなったのである。

赤いスイートピーは、
その後、様々なシンガーにカバーされたりして、
(パティ・オースティン(Patti Austin)というアメリカの大物歌手もカバー)
発売から35年以上経っても歌い聴き告がれており、
アイドル歌謡曲を
長年歌い継がれるスタンダードナンバーにしたいとう
作詞の松本隆の思いが実現している。


赤いスイートピー
作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂 
編曲:松任谷正隆(ユーミンの旦那さん)

春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ
煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから

何故 知りあった日から半年過ぎても
あなたって手も握らない

I will follow you あなたについてゆきたい
I will follow you ちょぴり気が弱いけど
素敵な人だから

心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー


四月の雨に降られて駅のベンチで二人
他に人影もなくて不意に気まずくなる

何故 あなたが時計をチラッと見るたび
泣きそうな気分になるの?

I will follow you 翼の生えたブーツで
I will follow you あなたと同じ青春
走ってゆきたいの

線路の脇のつぼみは 赤いスイートピー

好きよ 今日まで 逢った誰より
I will follow you あなたの生き方が好き
このまま帰れない 帰れない

心に春が来た日は 赤いスイートピー


松田聖子 赤いスイートピー
https://www.youtube.com/watch?v=ssdkxsJm2AA


Patti Austin / RED SWEET PEA (赤いスイートピー)
https://www.youtube.com/watch?v=fni9hqoeiBM

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テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


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