言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

プロフィール

くわどん

Author:くわどん
世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
また、過去の各記事にアクセスしやすく
するため当ブログの目次専用ブログを随時更新中です。
目次専用トップページ http://blogs.yahoo.co.jp/
kuwadong/64865881.html 



最近の記事

2015年11月2日まで、10年間毎日更新してきましたが、その後は、週1回プラスアルファのペースで更新していきます。



カテゴリー



語源由来辞典からの引用

当ブログにおいて、語源のコメントを する時は、語源由来辞典から引用しています。

語源由来辞典へはここをクリック!!



リンク

このブログをリンクに追加する



フリーエリア



お買い物しませんか?



最近のトラックバック



最近のコメント



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



広告ですたい!



フリーエリア



和歌山県日の岬沖にて、昭和32年の冬、日本人救助のため荒海に飛び込み殉職したデンマーク人の名前を現代の日本人の多くは知らないだろう

今日は、2017年(平成29年) 4月 2日 日曜日

先週、NHKで、おはようにっぽんを見ていたら、
わが故郷の和歌山県御坊市の隣町の美浜町の日の岬で、
今年の2月10日に行われた
あるデンマーク人への慰霊式での献花の会の様子の小さな特集を
放送していた。

そのデンマーク人とは、
ヨハネス・クヌッセンという人物である。

彼はやがて日本政府から勲章を贈られることなった。
ただ、それは彼がもう生存していないときだった。
亡くなったから勲章を贈られたという
表現が適切かもしれない。

クヌッセンが勲章を贈られることになったできごとが
発生したのは、昭和32年(1957年)2月10日の夜であった。

その日、名古屋港から神戸港に向って、
デンマークの海運会社マースク社所属の
貨物船エレン・マースク号が
和歌山県の日の岬沖の紀伊水道を航行していた。
その日は波風が強い日であった。

そのエレン・マースク号に2週間前に
機関長に就任したばかりの
ヨハネス・クヌッセンが乗船していた。

日の岬沖を航行中、エレン・マークス号の乗員達は
近くで炎上している船を発見した。

エレン・マークス号は直ちに救助に向かい
炎上している船に近づいた。
炎上していたのは徳島県にある機帆船・高砂丸であった。

炎上している船上で逃げ惑う船員らの姿が見えた。
エレン・マークス号から
高波が荒れ狂う海上にて、
救命艇が降ろしたり、
様々な方法で、生存が確認できていた
日本人乗組員1名を助けようと試みた。

その日本人乗組員は何とか、
エレン・マークス号から降ろされた縄梯子に
つかまり、上がっていったが、
力尽きて、縄梯子から荒れ狂う海に落下してしまった。

その時だった、

おれが助けに行く!!

荒れ狂う海に落下した日本人を助けようと
機関長の
ヨハネス・クヌッセンが海に飛び込んだ。

クヌッセンは海上で一度は日本人をぐっと抱えて
助けたが、その瞬間荒れ狂う大波に2人とものまれて、
消えてしまった。

翌朝、日の岬の近くの日高町田杭の海岸で
クヌッセンは遺体で発見され、
また、その近くで、
胴体部分に大きな裂け目ができた
エレン・マークス号の救命艇が発見された。

そのことで、
田杭の住民達は大騒ぎとなり、
現場に駆けつけた御坊警察署長から
クヌッセンが荒海の中、助けるため海に飛び込んだ
ことを聞き、
「そんなことは人間のできることではない。」と驚いたという。

日本人よりも体格の大きいクヌッセンの遺体が入る棺桶が
無かったため、特別に彼のための棺桶が作られた。
享年39歳である。

彼の勇敢有る行為に、遺体発見から2日後には、
美浜、日高両町や関係機関で
クヌッセンのための遺徳顕彰会が発足した。

クヌッセンの命がけの行動に
当時の日本で大きな話題となり、
日本政府は勲五等双光旭日章を贈った。

クヌッセンを称えるため
事故現場近くの日の岬パーク内に
昭和32年6月に顕彰碑が設置され、
昭和37年にはデンマーク人の彫刻家によって作られた
クヌッセンの胸像が設置された。

また、彼の遺体が発見された
日高町田杭地区では、
彼の供養塔があり、その清掃管理を地域住民が
当番制で現在も行い続けている。

平成29年(2017年)は、
ヨハネス・クヌッセン機関長の
生誕100年、没後60年、
また日本と機関長の母国・デンマーク王国の
外交関係樹立150周年にあたることから、
今年の2月10日の
日の岬パーク
ヨハネス・クヌッセンの慰霊式には、
デンマークのメテ・ボク文化大臣が参列した。

また、ボク文化大臣は
クヌッセンの供養等を守り続けている
日高町田杭地区に感謝状を贈呈した。

その後、ボク文化大臣は
御坊市にあるわが母校
日高高校を訪問した。

日高高校は、ヨハネス・クヌッセンの故郷にある
デンマークのフレデリクスハウン高校と
姉妹校関係である。

ボク文化大臣は、
日高高校で、合唱部が歌う
ヨハネス・クヌッセンを称える曲を聴き、
講演を行った。


私は、大学進学を契機に
故郷を御坊市を離れ25年
になるが、
御坊市の隣町の美浜町の西端にある
日の岬には、幾度か行ったが、
その時、クヌッセン胸像や顕彰碑を
見て、クヌッセンの勇敢な行動を思い返した。

クヌッセン c

画像は
大阪ガスすずらん会 銅像特集 
ヨハネス・クヌッセン 中田安造さん 
より

日の岬パークにあるクヌッセン顕彰碑には

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

同じく海に生きるものを救おうとして殉職した
国境を越えた同氏(クヌッセン)の国際愛は
日本とデンマーク両国だけでなく世界各民族の
親愛と平和の推進に光明をかかげたものである。
永く其の遺徳を称へ、其の冥福と航海の守護を
祈願する為、紀州灘を一望に望む 
この地に、碑を建てて、其の功を顕彰する。

昭和三十二年七月一日 
ヨハネス・クヌッセン機関長遺徳顕彰会

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全く面識のない日本人のために殉職した
デンマーク人のヨハネス・クヌッセンの遺徳を
知っている日本人は少ないだろう。

わが故郷に縁のある
ヨハネス・クヌッセンの遺徳を
より多くの日本人に知ってもらえたらと
切に願うのである。


スポンサーサイト

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


この記事に対するコメント


この記事に対するコメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://kuwadong.blog34.fc2.com/tb.php/3793-011bca7a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)