言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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いろは歌 ・・・日本語版アルファベッドの「いろは歌」に込められた無常観・・・いろは歌は無常観という日本文化の文化遺伝子(ミーム)でもある

今日は、2016年(平成28年)9月 9日 金曜日

いろは歌
というものがある。
私個人的な体験において、「いろは歌」で思いつくのは
小学生のころ遊びでやっていた「たんてい」(ケイドロ)である。

逃げる方の盗人(ぬすっと)組と追いかける方の探偵(たんてい)組を
わける方法として、

 いろはにほへとちりぬ→「盗人」
 
 るをわかよた→「探偵」

というようにいろは歌が使われた。

さて、この「いろは歌」であるが、
全四十七文字を手で書く日本語の文字を覚えるために
全く同じ音の語を使わず作られた手習い歌(てならいうた)であり、
ある意味、日本語版アルファベットとも言える。

「いろは歌」の掲載が確認できる最古の文献は、
1079年(承暦3年)に成立したとされる
「金光明最勝王経音義(こんこうみょう さいしょうおうきょうおんぎ)」
という仏教の経典の漢字の意味や発音の解説書である。
つまり、平安時代中期ごろまでには、「いろは歌」は
できあがっていたということである。

いろは歌全部は次のようになっている。


色は匂へど 散りぬるを

我が世 誰そ常ならむ

有為の奥山 今日越へて

浅き夢見し 酔ひもせず



基本的には、一部を除いて、
七、五、七、五…と続くリズムの今様形式で
詠まれている。

さて、この「いろは歌」を現代語訳は
おおまかに次のような意味となる。

色は匂へど 散りぬるを
 花は香りよく咲き誇っていてもやがては散ってしまう

我が世 誰そ常ならむ
 我々がいるこの世で、誰が永久に変わらぬままで生きれるものがいようか
 いや、誰もそうではない(誰もがやがて散ってしまう花のようなもの)

有為の奥山 今日越へて
 この無常の有為転変の険しい山を、今日、乗り越えた。

 →「有為」とは、因縁によって起こる現象。生滅する現象世界の一切の事物を意味する。
  世の中、人生の出来事、何かのきっかけがあっていろんな事が起きるが、
  その出来事に人生が翻弄され、まるで険しい奥山に登り続けるような日々の
  一日一日を生きることを困難な険しい奥山を乗り越えることにたとえている。

浅き夢見し 酔ひもせず
 (そのように悟りを得れば)もはや儚い夢を見ることも、快楽に酔うこともなく
  安らかな境地にある。

という意味になる。

花が散るように、この世の中、人生、人の存在は無常であり、
その無常に悩まされ煩悩を超え、その執着を断ち切ることで、
儚い夢ももたず安らかな境地になれるのだ。

という感じだろうか。

さて、この「いろは歌」の四句について
12世紀の僧侶で新義真言宗の祖である覚鑁(かくばん)は、
「密厳諸秘釈」(みつごんしょひしゃく)の中で注釈して、
無常偈(むじょうげ)として知られる「涅槃経」の偈
「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」と解釈した。
(この無常偈は釈迦が亡くなる時に仏教の守護神である帝釈天が詠んだとされる)

諸行無常  (しょぎょうむじょう)
是生滅法  (ぜしょうめっぽう)
生滅已滅  (しょうめつめつい)
寂滅為楽  (じゃくめついらく)

とあるが、おおまかな意味は次のように解釈できる。

なにかの因縁によって生じる森羅万象のできごとは常に生滅変化して無常である。
このように生滅変化して無常であることが真理の法則であり、それに執着する故に苦になる。
生滅変化する無常への執着を断ち切り(滅し已(おわ)れば)、
煩悩が無くなり、心安らかに悟り(寂滅)、安楽(為楽)の境地に達する。

ということだが、これをもとのいろは歌の四句と並べると

諸行無常 ・・「色は匂へど 散りぬるを」

是生滅法 ・・「我が世誰ぞ 常ならむ」

生滅滅已 ・・「有為の奥山 今日越えて」
 
寂滅為楽 ・・「浅き夢見じ 酔ひもせず」

となる。

まあ、それにしても、私が小学生の時に
けいどろ遊びで使っていた「いろは歌」に
こんなに奥深い意味があったとはとしみじみ思う。

また、四十七の仮名文字を1回しか使えないという
かなり厳しい制限の中で、このように奥深い無常観や世界観・人生観を
織り込んだ歌を今様形式で作り上げた当時の平安人の才能に感銘を覚える。

また、この日本語版アルファベットとも言うべき手習い歌としての「いろは歌」が
約千年使われてきたことが
移ろいゆくものにこそ美を感じる日本人の無常観という文化遺伝子(ミーム)が
受け継がれていくことに寄与しているかもしれないなあとふと感じた。
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