言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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もし、昭和20年8月15日に終戦しなかったら、あなた方(日本人)の両親や祖父・祖母が亡くなり、あなたが存在していなかったかもしれません

今日は、2016年(平成28年)8月 15日 月曜日

8月15日は、第2次世界大戦終戦の日であり、
日本にとって、敗戦の日である。

昨日、テレビで、昭和20年8月15日までの
当時の鈴木貫太郎内閣内での
日本の終戦処理をめぐる内容を描いた
映画「日本のいちばん長い日」を放送していた。

鈴木貫太郎は戦争を終わらせることを考えていたが、
陸軍内部の徹底抗戦で本土決戦を主張するグループとの
暗闘が描かれていたが、
同年の8月8日になって、
ソ連が日ソ中立条約を破棄して、対日参戦をしてきても
陸軍内部で、男子15歳から60歳、
女子17歳から40歳まで根こそぎ徴兵した
国民2600万人を動員して、本土決戦を
しようと考えていて、まあ、その大局観のないことに
あきれるしかなかった。

鈴木貫太郎は、ソ連が対日参戦した以上、
ドイツのように米ソに分断占領されるリスクをおそれ、
一刻も早く、日本に無条件降伏を求める
ポツダム宣言を受け入れなければならないと考えた。

陸軍の意向などから、なかなかポツダム宣言受託が
難しい中、鈴木貫太郎は立憲君主制の慣例を破って、
昭和天皇にポツダム宣言受託の御聖断を仰ぐ方法をとった。
陸軍大臣の阿南惟幾は、昭和天皇の意向に従い、
徹底抗戦を主張する陸軍内部の倒閣運動やクーデター計画を
すすめる強硬派の暴発を抑えるべく動く様子が
映画では描かれていた。

終戦の方向に動き、8月14日の夜に昭和天皇が
ポツダム宣言受託の玉音放送の録音をしたが、
8月14日の深夜から翌朝の早朝にかけて、
戦争継続を主張する陸軍強硬派の一部が反乱を起こし、
昭和天皇の声明を録音した
玉音放送のレコードを奪い取ろうとしたが失敗に終わる。

そして、8月15日の朝に、
陸軍大臣の阿南惟幾は割腹自殺を図るが、
映画で、阿南惟幾を演じる役所広司が
刀で腹を切り、そして、意識が朦朧とするなか
首の頚動脈を切ろうとしているシーンには
見入ってしまった。

それにしても、8月15日に終戦しなくて、
それ以降に遅れてしまったら、北海道がソ連に
占領されて、北海道が現在もロシア統治下に
なっていたかもしれない。

もし、陸軍強硬派がクーデターに成功して、
戦争を継続していたら、
昭和20年11月には、アメリカ軍は
南九州を占領するオリンピック作戦を実行して、
その翌年の3月には、関東平野を占領する
コロネット作戦を実行しようとしていた。

沖縄県民の4人のうち1人が
亡くなった沖縄戦のような凄惨な地上戦の激闘が日本本土でなされていたら、
より多くの戦死者が発生して、
現在の我々日本人の両親や祖父・祖母がその時に亡くなって
いた可能性があり、そうなると今の自分がいなかったかもしれない。


そう思うと、昭和20年8月15日に日本が戦争を終えた
ということが、よりわがことのように思えるものであり、
日本人にとって、重大な歴史的な事実として
認識しておいたほうがいいと思える。

ちなみに、私の母方の祖母は鹿児島県大隅半島最南端の集落に
住まいしていた。オリンピック作戦の巻き添えになって
いたかもしれなず、私はこの世に存在していなかったかもしれない。
実際、昭和20年8月15日に終戦したため
オリンピック作戦は実施されず、祖母は戦禍を逃れ、
私の母は昭和22年2月20日に生まれている。

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