言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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高浜原発の再稼動判決から思うこと・・・・自動車と原発、誰かが犠牲になることを前提に社会の便益増大が図られる社会

今日は、2015年(平成27年)12月 26日 土曜日


先日、福井地裁で、関西電力高浜原発の再稼動停止の仮処分に
関して、

「新しい規制基準は最新の科学的・技術的な知見を踏まえた評価を求めるなど、
内容は合理的で、この基準に適合するとした原子力規制委員会の
審査の判断に不合理な点はない」

ということで、その仮処分を取り消し、再稼動容認の判決を出したが、
その一方で判決で、

「万が一の事故に備え、避難計画を含めた重層的な対策を
講じておくことが極めて重要」


と言及していた。

まあ、司法の場で、福島事故のような過酷事故は
そうめったに起こらないものだけど、もしかしたら
事故があるかもしれんので、その時は、
原発周辺の地域の方々が被害を被ってもやむを得ない
ということを容認しているようにも思える。

日本の原発は人口が少ない過疎に建設されているが、
その背景には、もし、原発で大事故が発生して放射能汚染が
広がった場合の被害が大都市より過疎地域のほうが、
人的社会的被害が小さく抑えられるということがあると
言われる。

そのことに非倫理性を感じて原発の反対の考えに転向したのが
原発の研究をしながら反原発の立場になった
科学者の元京大原子炉研究所助教であった小出裕章氏であった。


まあ、めったに福島事故クラスの大事故なんて起こらないから
大都市に電力を供給する原発を動かす方がいいんだよということを
今回の判決は容認したともとれる。

リスクと便益の例えで、自動車のことがあげられる。
日本国内で、毎年、交通事故で数千人単位の死者が発生しているが、
だからと言って、自動車をなくせという声は聞こえない。

毎年、数千人事故による死者を出しても、自動車があるようが
社会全体の便益が上回るという理由だろう。

社会全体の便益のため毎年数千人の死者が出てもやむを得ないと
社会が容認していることとなっている。

原発もこのまま再稼動が続き、福島事故以前の原発稼動状態に
なっていくとなると、
大事故なんてそうめったにないし、もし、おきても、
原発周辺の人口が少ない地域が犠牲になってもやむを得ないと
そのように今回の判決は容認したとも思える。

自動車にしても原発にしても、誰かが犠牲になることを前提に
社会全体の便益を図るという社会に我々がいると思える。

ただ、自動車と原発の違いは、リスク発生時の
社会へのダメージの大きさが桁違いであることだ。

福島原発事故で、いまもなお、福島第一原発周辺には
人々が住めない状況になってしまっている。

そして、あの福島事故は、もっと被害が大きくなるリスクを
抱えていた。
事故直後のがあった平成23年3月中旬に
東京にも放射能汚染物質が飛散したが、
もし、その時、雨や雪が降っていたら、東京も
福島市と同程度の汚染となり、オリンピックの誘致はなかった
かもしれなかった。
また、福島原発に保管している大量の使用済み
核燃料もメルトダウンする恐れが発生して、
当時の首相官邸では、首都圏3000万人避難が想定されはじめ、
事故現場で陣頭指揮を取っていた吉田所長は、
「最悪、東日本に人が住めなくなる」と考えるほど、
まさに、日本の戦後最大の危機であった。


いまもなお、日本各地の原発には大量の使用済み核燃料が
保管されている。

まあ、私の個人の感覚的のものだが、
日本という社会は、また、いずれ原発の大事故を
起こすこともありえるなあと思ったりしている。

今回の福島原発事故の背景と第2次世界大戦で
負けるとわかりながらアメリカとの大戦争を決断した日本の
共通性を指摘する意見もあり、その体質が残存されたままの
日本という国において、また、原発の大事故を
やってしまうのではと懸念を抱くのである。

最後に、福島事故で、未成年の甲状腺がんの発生率が
相対的に高くなっている分析する学者さんがいて、
その反論として、全数調査したことによる
スクリーニング効果で高くなっただけという意見もあるが、
その学者さんは、スクリーニング効果だけでは
説明できないほどの発生率の高さになっていると再反論している。

そのような議論を耳にして、
誰かが犠牲になることを前提にして社会の便益が図られる
社会に我々が身をおいているのだなあと改めて思うのである。

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