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言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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ルールを守ることに合理性を見出せるのか? ~ 高校未履修問題について

今朝、通勤途中のバスで
前の席に座っていたロングヘアの女子高生が髪を束ねて
ゴムで括っていた。
別の席を見れば、同じ制服の女子高生は既に後ろ髪を
括っていた。

あっ、校則でロングヘアは括るようにという決まりが
あるのだなと思った。

しかし、そのロングヘアは括るという規則に
どのような合理的理由があるのだろかと疑問に
感じる。
その規則に人が合理的理由を感じないと
その規則を守ろうという動機づけは下がり
規則は形骸化するだろう。

昨今、高校が大学受験科目を優先するため
学習指導要領を守らず、世界史などの必須が未履修
という状態が発生した。

とにかく、大学に進学さえすれば
その後は大卒者として就職できて、
あわよくば有名企業への就職の道が開けると
まあ、学習指導要領をきちんと守る合理的理由を
見出せなくなったのだろう。

そう、大学を卒業して、
普通に就職して、普通に生活をしていくのなら
学習指導要領に定められた科目をすべて知る必要性は
感じないだろうし、役に立たないものもあると思うだろう。
それゆえに、学習指導要領をきちんと守る合理的理由を
見出せなくなるという事態が発生することは
考えられる。

ただ、そうなると日本人全体の知的水準が下がる
という懸念は感じる。
最近、私が知っている5歳年下の女性がいる。
彼女は私立高校を経て、関東の私大に行き、
そして、関西にあるトップクラスの国立大学の
大学院を卒業しているが、
なんと、微分・積分を高校で学んでいないというだ!!
高校2年で既に私立文系コースにして、
国語・英語・日本史に絞りこんだという。

こうなれば、トップクラスの国立大学の大学院とか
の知的水準が下がれば、日本全体の知的水準が
下がり、国際的な競争に勝っていけなくなるかも
しれないと懸念を感じる。

また、何も学問的素養は大学だけでなく、
大学を卒業した親が子供に伝えることもできるのだが、
親の知的水準が低い場合と高い場合では
子供に教えることのできる知識量は減る。
そうなれば、日本人全体の知的水準の裾野は狭くなって
しまう。
例えば、有能さという基準でサッカーを見たとき。
日本とブラジルでは違う。それはサッカー人口の
裾野の広さが影響しているのではないかと
思う。ブラジルはサッカー人口の裾野が広いがゆえに
より多くの有能なサッカー選手が輩出されるように
も思える。

そうであるとすれば、
日本その社会全体の知的水準の裾野が小さく狭くなれば、
有能な人間が輩出される数が減っていくのではないか
そのような懸念を感じる。

そのようなことからも
日本全体の知的水準が下がり、
国際的な競争に勝っていけなくなるかもしれない
そうなると、日本は海外に売れる商品は作れなくなり
海外からモノを買えなくなっていくかもしれない。

そのようなことからも
学習指導要領をきちんと守る合理性を
感じさせることができるかもしれない。


このブログの冒頭で女子高生の
ロングヘアを括るという校則の件を取り上げたが、
それに
関しては、その規則に合理性を感じないなあ。

ただ、そのルールに何を合理的に感じて、
また、それがどうして合理的でないかと
論じるにあたっては
知的な能力が求められる。

ルールを決めるという意味において
社会はどのような手続きでルールを作ったか、
校則でも日米では違っているだろう。
そのことについて知るには
その国の歴史的背景を知らないといけない。

また、
特に公権力がルールを作る場合
国民の権利を侵害しないようにしないといけない。
それは人権の観念であるが、
その人権の観念について知るには
近代市民革命以降の世界史を知っていくことは
欠かせないだろう。

そういう意味では、
学習指導要領をきちんと守らず
受験だけの科目しか勉強しないのは問題である。

一方で、学習指導要領そのものや
何を習うべき水準の知識にするか
それも論じるべきだろう。

例えば、世界史、日本史、地理をひとつの科目にして
絶対に抑えるべき最低の知識だけにする。
特に近代史になれば、
世界史と日本史は融合してくる
1942年に日本が当時オランダ領のインドネシアに
進駐する。インドネシアには石油があったからだ。
そのことだけでも
世界史と日本史と地理が融合してくることが
わかってくる。

そのようなことからも
世界史、日本史、地理をひとつの科目にして
学習指導要領を変えることもあっても
良いのではと思う。

それは何の役に立つかとなれば
将来就職して、インドネシアに赴任することがあれば
そのことを知っていることと知っていないのとでは
違ってくるだろう。
現地に赴任した日本人がインドネシア進駐の歴史を
知らなければ、その国の社会的立場のある人間からは
驚かれるだろう。

そのようにして
学習指導要領を守ることの合理性を感じさせる
取り組みを政府がしていかないといけない。

そう思うと、
今回の未履修問題は
学習指導要領と大学受験の矛盾を放置してきた
政府にも責任はあるとも思う。


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