言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。.当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

プロフィール

くわどん

Author:くわどん
世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
また、過去の各記事にアクセスしやすく
するため当ブログの目次専用ブログを随時更新中です。
目次専用トップページ http://blogs.yahoo.co.jp/
kuwadong/64865881.html 



最近の記事

2015年11月2日まで、10年間毎日更新してきましたが、その後は、週1回プラスアルファのペースで更新していきます。



カテゴリー



語源由来辞典からの引用

当ブログにおいて、語源のコメントを する時は、語源由来辞典から引用しています。

語源由来辞典へはここをクリック!!



リンク

このブログをリンクに追加する



フリーエリア



お買い物しませんか?



最近のトラックバック



最近のコメント



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



広告ですたい!



フリーエリア



10月12日のできごと・・・・明治14年(1881年)10月12日、国会開設の詔が明治天皇から出される、明治十四年の政変のなかで

今日は、2015年(平成27年)10月12日 月曜日


10月12日の過去の出来事で、
明治14年(1881年)10月12日(水曜日)
時の明治政府が9年後の国会を開設する旨の
国会開設の詔(こっかいかいせつのみことのり、国会開設の勅諭)が
明治天皇から出された。

明治になっていこう、薩長土肥の雄藩を中心とする藩閥政治に
対抗するかたちで、国会開設をもとめる自由民権運動が活発に
動いていた。

その運動の強さに対して、政府の参議の山縣有朋が
明治12年(1879年)に国会開設の必要性の建議を
提出していた。

日本にどのような立憲体制のもとで国会を設置するか
明治政府内で意見が分かれていた。


プロイセン型の君主大権を残した憲法を制定すべきだとする
漸進的な変化を主張する伊藤博文・井上馨(長州閥)と
イギリス流議院内閣制にもとづく憲法を制定すべきだとする
急進的に変化させようとする大隈重信(参議・大蔵卿・肥前藩出身)らの
勢力に別れ始めていた。

そのような最中の
薩摩出身の開拓使長官・黒田清隆が同郷の五代友厚に
北海道の開発経営のための行政機関であった開拓使に属する
官船、ビール・砂糖工場、農園、倉庫、炭鉱など非常な格安の金額で
払い下げようとしたことが明治14年7月下旬に、
当時の新聞社のスクープにされたことにより
「国会開設運動」に拍車をかけた。


世論の強い非難が巻き起こり、自由民権
派の政府批判が、いっそう激しくなった。
その動きに応じるかのように
大隈重信を支持する大蔵省内の急進派からは
黒田清隆の払い下げ内容が不当に廉価であるとして中止を公然と
主張した。

それまで、伊藤博文は大隈の政府からの追放に慎重であったが、
大隈派のそのような「利敵行為」に激怒して、
大隈重信の追放に同意した。

ただ、大隈を追放しただけでは、自由民権派の反発に火に油を
注ぐだけとなり、大隈の追放と同時に、
開拓使の払い下げの中止とともに同年10月12日に
9年後の明治23年に国会開設をするという詔が発表された。

この一連の大隈派追放の事件を明治十四年の政変と呼ぶ。

国会開設の詔を受け自由民権派の板垣退助は
同月下旬に日本で初めての政党である「自由党」を結成した。

そして、明治十四年の政変で政府を追放された
大隈重信は翌年に「立憲改進党」を組織した。
スポンサーサイト

テーマ:今日は何の日? - ジャンル:ニュース


この記事に対するコメント


この記事に対するコメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://kuwadong.blog34.fc2.com/tb.php/3657-629e57a2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)