黄金の日曜日(1962年10月28日) ~ 13DAYS・キューバ危機が回避された日

2006-10-28 06:29
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今から(2006年10月28日)
44年前の1962年の10月28日、

当時、世界を二分して勢力を争っていた
米ソ冷戦下の世界において、
アメリカとソ連との間で、
あわや核戦争・第3次世界大戦
に突入しかねないキューバ危機が終結し
悪夢の13日間が終わった日である。

今日、日本では北朝鮮の核実験によって
ある種の核による危機が生じているのだが、
世界規模の全面核戦争の瀬戸際の危機になった
キューバ危機を振り返ってみる。



このキューバ危機が発生する3年前の
1959年1月
キューバでカストロ氏が
バチスタ軍事独裁政権を倒し政変が発生した。
当初カストロ政権は反米や社会主義革命を
打ち出してはおらず、政変後
カストロ氏は
自国の農業改革のための支援を得たいと
考え、アメリカを訪問したが、
当時のアイゼンハワー大統領は
カストロ氏との会見を拒否した。
そのためカストロ氏は反米感情を抱いたという。

その2ヵ月後、カストロ政権はキューバのアメリカ資産を凍結した。
アメリカとの関係は悪化を始める。
そして、その年の9月
キューバの基幹産業である砂糖を大量にソ連に売却し、
ソ連と通商協定を締結し、ソ連陣営に近づいていった。
アメリカは1960年10月キューバへの食料以外の
輸出禁止処置を取った。
1960年12月、キューバはソ連の共産主義陣営であることを宣言。
1961年1月、アイゼンハワー大統領の最後の時、
アメリカはキューバとの国交断絶を宣言。

1961年1月、ケネディ大統領が就任。

1961年4月にアメリカは亡命キューバ人による
キューバ侵攻によりカストロ政権転覆を図るが失敗。

このようにアメリカとキューバの関係が悪化し、キューバは
ソ連陣営に組み込まれていった。



そして、1962年10月16日
キューバ危機の13DAYSが始まる。

10月16日午前8時45分
マックジョージ・バンディ大統領特別補佐官が
深刻な顔をしながら
ケネディ大統領の寝室に入り、

「大統領、ロシアがキューバに攻撃兵器を持ち込んだと言う、確固たる証拠が出ました。」

ケネディ大統領は
国家安全保障会議の緊急執行委員会「EXCOM」を召集
ロバート・マクナマラ国防長官、
大統領の弟のロバート・ケネディ司法長官
ディーン・ラスク国務長官
マックスウエル・テイラー統合参謀本部議長、
マックジョージ・バンディ大統領特別補佐官
ケネス・オドンネル大統領特別補佐官

など関係閣僚が集合した。

ケネディ大統領はひそかに会議の録音テープのスイッチを
押した。

CIA分析
「中距離ミサイル発射場と野営地が見えます。キューバ西部です。
布に覆われたミサイルが14基見えます。長さは22メートルです。」

ケネディ大統領
「なぜ ミサイルだとわかる」

CIA分析官
「長さです。これはモスクワで行進している写真です。おそらくこんな感じでしょう。」


もし、キューバに配備されたミサイルに核弾頭がついていれば、
ミサイル発射から数分でワシントン・ニューヨークは
核攻撃を受ける。
まるで喉元にナイフを突きつけられたような状態であった。
アメリカとしては、何としてでも
キューバからミサイルを除去しなければならなかった。

どのようにすべきかケネディ大統領は閣僚に対策案の
意見を求めた。

ラスク国務長官
「2つの道が考えられます、1つは速やかにキューバを攻撃する事です。もう1つは、フルシチョフ(ソ連首相)に対し警告を与える事です。ソビエトは戦争の危険を犯していると伝えるのです。カストロに直接メッセージを送る事も考えられます。ソビエトはキューバを利用しているだけだ、キューバは裏切られるかもしれないと、揺さぶりをかけるのです。」

マクナマラ国防長官
「ミサイル基地を攻撃するのであれば、そのスケジュールは、敵のミサイルが使用可能になる前でなければなりません。なぜなら、ミサイルが使用出来るようになった後では、それを取り除くのは、まず不可能だからです。ミサイルが発射されれば、キューバから半径2000キロの東海岸は、大混乱に陥るでしょう。空爆が必要であれば、数日、いや、数時間のうちに可能です。」

軍のトップ、テイラー統合参謀本部議長は奇襲攻撃を唱える。
「実際には、ミサイルがいつ発射可能になるかを知るのは難しく、確実なタイミングは測り兼ねます。ですから、更に偵察写真を撮って、攻撃目標を性格に把握し、一切の警告無しに奇襲に出るべきです。」


ただ、キューバ空爆をすれば、キューバに配備された
ミサイルがアメリカ本土に発射され、もし、それに
核弾頭が装備されていれば、核攻撃を受けるリスクがあった。

この会議でロバートケネディ司法長官は兄の大統領に
対して、そっとあるメモを渡したという。
そのメモには

私は、真珠湾奇襲を決断した時の、東条首相の気持ちがよく分かる。

と書いてあったという。それほど、ケネディ政権この事態に
強く動揺していたのであった。


1962年10月18日(危機3日目)

なんとこの時、ソ連のグロムイコ外相が
アメリカを訪問しケネディ大統領と会談したのであった。
それは既に予定に組まれていた日程であった。

ケネディ大統領は、ソ連がキューバにミサイルを持ち込んだ
ことに気付いて、キューバ空爆も検討していることさえも
微塵も表すこともなく、ただキューバをめぐる意見対立を
表明するだけだった。

この日のEXCOM会議では
キューバ空爆後の同盟国に対するソ連の対応が議論となった
特にベルリン問題が議論された。
当時、ベルリンは東西に分かれ、西ベルリンだけが
アメリカ陣営として、ソ連陣営の東ドイツに囲まれる形に
なっており、ベルリンの壁で閉ざされた空間になっていた。
そのベルリンの防衛をどうするか議論されたのであった。

マクナマラ国防長官

「フルシチョフと事前に話し合う事無くキューバを空爆したら、ソビエト人が何人死ぬだろうか、大規模空爆の場合、我々はナパーム弾を使う事になる。少なくとも数百人のソビエト人が死ぬかもしれない、我々の空爆で、ソビエト人に多数の犠牲者が出た場合、フルシチョフはどう出るだろう、相当強く出るに違いない、空爆の代償は高くつくだろう。
少なくともフルシチョフは、トルコやイタリアに配備した我々のミサイルの撤去を求めてくるに違いない。」

財務長官
「ベルリンがやられるのではないか」

ケネディ大統領
「そうだ、フルシチョフは何としてもベルリンを取るつもりなのだ。
アメリカが空爆をするなら、ソビエトはベルリンを取る。フルシチョフはそう言うだろう。」

マクナマラ国防長官
「ソビエト軍がベルリンに進行するというのですか」

ケネディ大統領
「そのとおり」

マクナマラ国防長官
 「ベルリンの米軍はやられますよ」

テイラー統合参謀本部議長
 「全面戦争になる」

ケネディ大統領
 「核戦争になるということか」

このケネディ大統領の問いかけに
閣僚達は言葉を発することもできず、
誰ともつかぬ苦悩の呻き声が出た。

同盟国西ドイツの西ベルリンを守るため
アメリカの通常戦力ではソ連軍に対応できず
核兵器による反撃を想定していた。

また、東アジアにおいても、
ソ連陣営の北朝鮮が韓国を攻め込んだ場合
核兵器による反撃を想定していた。


1962年10月20日(危機5日目)

軍部は空爆強硬を主張していた。
しかし、ケネディ達は空爆強硬をした場合
全面核戦争になるリスクを懸念していた。
それゆえにいきなり奇襲空爆することは避けようとしていた。
ただ、キューバからミサイルを除去しなければならない。

その策として考え出されたのが
マクマナラが提案したキューバへの海上封鎖であった。

ただ、この時点で、キューバをめぐって深刻な危機が生じていることは
国民には知らされていなかった。具体的な対応策が決まっていない
段階で公表することはただ混乱を招くばかりであったからだ。

ただ、ホワイトハウスの慌しい動きに
記者達は異変を感じ始めた。

そこで、バンディ大統領特別補佐官は
メジャーなマスコミの記者を集め、
キューバをめぐる危機と大統領の決定を説明した上で
大統領が国民に声明を出す予定の10月22日まで
公表しないように求めた。
記者達も政府の協力要請に応じた。


1962年10月22日(危機7日目)

アメリカ東部時間19時
ケネディ大統領は国民に向かってテレビ演説を始める。

Good evening my fellow citizens

と国民に語り始め、

キューバにソ連がミサイルを配備したこと。
キューバに向けて輸送途上にあった攻撃的軍事装備の船舶に対し引き返すことを求め、臨検を行うこと。
キューバから西半球のいずれかの国に対して核ミサイルが発射された場合はいかなるものであれ、アメリカに対するソビエトによる攻撃と見なし、ソビエトに対する全面的報復措置を取ること。

大統領は17分の演説で以上のことを国民に伝えた。
(ケネディ大統領演説全文「英語」)

             20061028030423.jpg

           ケネディ大統領のテレビ演説


このケネディ大統領の演説を受けて、世界は一気に緊迫に包まれた。
アメリカ国民は核戦争に備え、
スーパーマーケットには食料や衣料品を求める人が殺到、
防空壕を掘ったり、核シェルターの建設が相次いだ。

そして、アメリカ軍は
ソ連との全面戦争に備え、
デフコン2「Defense Condition2」(準戦時体制)を発令
核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置いた。
ソ連もソ連国内やキューバのミサイルの発射準備を整えた。

ただ、ケネディの演説を聴いたソ連のフルシチョフは
海上封鎖を意味する「blockade」ではなく
臨検を意味する「quarantine」という表現を使っている
ことに注目した。
アメリカは開戦には慎重になっているとフルシチョフは
悟った。


1962年10月24日(危機9日目)

海上封鎖が開始された。
ただ、ケネディ大統領は、
ホワイトハウスから封鎖ラインにいる
艦船を、無線で次々に呼び出し、
許可無く武力を使ってはならないと
厳命していた。

ケネディ大統領は
キューバ沖合に封鎖ラインを設定することで
この危機がベルリンに飛び火することなく
キューバ周辺のカリブ海に限定させようとしていた。
また、アメリカはソ連へのミサイル撤去の交渉を開始する。


1962年10月25日(危機10日目)

国連安全保障理事会で
アメリカのスチーブンソン国連大使と
ソ連のゾーリン国連大使は
国連史に残すような攻防を演じた。

スチーブンソン国連大使が
証拠となるキューバに敷設した
ソ連のミサイルの写真を
ソ連のゾーリン国連大使に見せ、
「核ミサイルの存在を認めるのかどうか、イエスかノーかで答えて頂きたい。通訳は必要ない。イエスかノーか!」
と迫った。
するとゾーリン国連大使は
「極めて短い質問であるが、答えるのには相当時間がかかる。」
と逃げようとしたが、
スチーブンソン国連大使は
「地獄が凍りつくまで、貴方の答えをお待ちする。」と
強く迫り、ソ連の不当さを印象た。


ただ、その日、ついに海上封鎖海域で
アメリカの艦船とソ連の輸送船が遭遇する緊張の場面が
生じた。
ソ連の輸送船は封鎖ラインを超えた。
艦船からケネディ大統領に臨検許可の要請が出た。
ケネディ大統領は緊張し悩む。
「ここで不測の事態が発生すれば、最悪の結末になる」
ただ、ケネディ大統領は臨検許可の出した。


1962年10月26日(危機11日目)

午前7時
アメリカの艦船がソ連の輸送船に停戦命令を出した。
輸送船は止まった。
この臨検の様子は、
ラジオを通じて実況中継され、全米だけでなく、
全世界がその経過に注目した。結局、禁止対象物は見つからず
安堵感に包まれた。

この艦隊の司令官に激励の手紙が届けられ
このような手紙があったという。
「今、貴方は歴史を作っている。あなたの行動がアメリカと世界の運命を決める。そして、今の貴方の行動は、今後数世代にわたり、歴史の研究の対象となるであろう。ただし、我々に続く世代が存在すればの話であるが・・・・・・・・・」

ただ、EXCOMで、軍部の攻撃強硬派の意見が強まり、
空爆開始を迫ってきた。


また、キューバの
カストロは核ミサイルの発射許可をフルシチョフに求めた。
しかし、拒否された。
フルシチョフは「アメリカの挑発に乗るな」と説得したが、
アメリカの偵察飛行に苛立ちを強めるカストロは
27日以降キューバ上空に侵入するアメリカ偵察機の撃墜を許可した。


アメリカ陣営のNATO軍機の核搭載を受けて、
ソ連陣営のワルシャワ条約軍も戦闘準備態勢に入り、
ソ連が保有する核ミサイル全ての発射態勢が整った。
全面核戦争・第3次世界大戦の危機がヒシヒシと高まっていた。

その日の夜、フルシチョフは書簡をケネディに送った。
「親愛なる大統領閣下
貴方が、本当に平和と貴国の人々の福利に関心がおありなら、私は、同様にソ連邦首相として我が国の人々の福利に関心が有ります。さらに、普遍的な平和の維持は両国の共通の関心事であるはずです。もし、戦争が現代の状況下で勃発したら、それは、単に両国間の戦争ではなく、悲惨で破壊的な世界規模の戦争となるからです。もし、アメリカがキューバに侵攻しないと約束すれば、ソビエトの軍事専門家がキューバにいる必要も無くなります。」

フルシチョフがキューバからのミサイル撤去の条件を出してきたのだ。
事態は好転の兆しを見せた。


1962年10月27日(危機12日目)~暗黒の土曜日

前夜に事態は好転するかと思えば、一転暗転する事態となった。
モスクワの放送局は突然ケネディー宛に送った書簡を公開した。
「アメリカがキューバのミサイルの撤去を望むなら我々はトルコのミサイルの撤去を要求する。また、撤去が行われた際は、国連の管理化で査察を行う。」
その内容は、前日とは全く違うもので
EXCOM会議は騒然となった。

ケネディ大統領
「フルシチョフの新しい提案の内容は、間違い無いのだな、トルコ政府とどう話せば良いのだ、」

ニッツェ国防次官
「トルコ政府は、ミサイルの撤去を、断固拒否するでしょう。現政権の威信を傷つけ、政局にも影響を与えるからです。」

マクナマラ国防長官
「こちらが回答する前に、提案を変えてくる相手と、交渉などできるわけがない、」

トンプソン前駐ソ大使
「昨夜の長い手紙は、フルシチョフが1人で書き、党のチェックを受けていなかったのではないでしょうか、」

26日の1回目のメッセージはフルシチョフが1人で
書いたものであり、27日の2回目のメッセージは
ソ連政府の複数の人間によって作られたものだと
EXCOMは判断した。

ケネディはトルコのミサイルは時代遅れの古いタイプなので
トルコからのミサイル撤去の取引に応じて良い、
一方で、トルコ沖に
核弾頭ミサイル搭載可能な潜水艦を配備すれば良いと判断した。

そして、
ケネディ大統領
「ソビエトとの取引を拒んで、キューバへの空爆を実施すべきだろうか、今、目先のトルコのミサイルを守って将来、愚か者とそしられるのは止めようではないか、」

それに対して軍部は空爆強硬を主張するが、
ケネディは弟のロバートに向かって大声で叫び、
「ロバート、国連大使にフルシチョフ宛ての手紙の内容を伝えてくれ、
我々の次の問題は、トルコとNATO同盟国だ。」

話題を再びフルシチョフの手紙の方に引き戻した。

ケネディ兄弟が、なんとか軍部の強硬論を制し、
外交による解決を目指していた矢先、
キューバを偵察していた米軍のU2型偵察機撃墜の知らせが
届く。
電話を受けたケネディは、
受話器を下ろす事を忘れるほどの衝撃を受けた。


              20061028041121.jpg

      苦悩の表情を浮かべ、偵察機撃墜の報告を受ける
              ケネディ大統領


マクナマラ国防長官
「決断を急がなければなりません。キューバの上空でU2型機が撃墜されました。ミサイル基地を偵察中に撃たれたのです。」

ケネディ大統領
「向こうのエスカレーションか?」

マクナマラ国防長官
「そうです、これはタイミングの問題です、これからは我々も空爆を考えなければなりません。」

ケネディ大統領
「昨夜のフルシチョフの手紙をどう説明する、向こうは態度を変えて、攻撃に踏み切ったのか?」

マクナマラ国防長官
「わかりません」

テイラー統合参謀本部議長
「向こうは、今、攻撃すべきだと考えたのです、問題は、こちらがいつ報復すべきかです。」

EXCOMは、大統領に対して、
翌朝の28日早朝を期して、
キューバミサイル基地に対する報復攻撃を実施する事を勧告した。
それに対して、ケネディは

「ただちに報復攻撃を行う事は承認できない。しかし、明日も我が国の無防備の偵察機がキューバ側の攻撃を受けるようであれば、その時は直ちに、爆撃を開始しよう。」

アメリカ軍は戦闘準備態勢を整えた。
命令が発せられた場合、瞬時に攻撃できる状態にした。

あるB52戦略爆撃機の副機長は次のように回想している。

空中待機していた自分の機はソ連に向かった、命令があってから15分以内にソ連の基地を叩ける位置にまで進出したのである。その移動の途中、夜間大西洋上で、雲海を抜けると同時に、空が突然明るく輝きました。それは、月の光が海面に反射して空全体が輝いたように見えただけなのですが、皆一斉に「神様!とうとう始まっちまった・・・と叫びました。思わず隣の同僚と手を握り合っていました。

実はこの時、フルシチョフも現場の暴走に慌てた。
フルシチョフは激怒しキューバのソ連軍司令部に対して「2度とアメリカ偵察機に手を出すな」と命令した。

ケネディ兄弟は閣議室を抜け出した後、
別室に姿を消した。
カストロは暴発し始め、
フルシチョフにもこの流れは止めらないだろう
ホワイトハウスでも
統合参謀本部議長は、空爆の最終的な承認を求めてきている。
もはや一刻の猶予も許されない、
ケネディは最後の賭けに出た。
ケネディは弟のロバートに、極秘交渉の相手である、
ソビエトのドブルイニン大使と接触を始めるよう命じた。

19時27分、司法省にドブルイニン大使が表れた。
ロバート・ケネディ司法長官は顔面を蒼白させながら
ドブルイニン大使を迎えた。

ロバートはドブルイニンに次のように語ったとされる。

「会議の結論は報復攻撃開始でほぼ一致している。大統領が空爆強硬派を抑えられるのも時間の問題だ。このままではもはや戦争は避けられないだろう。大統領に対する圧力はこれまでにない物で、彼がこの圧力にいつまで抗しきれるかわからない、もはや一刻の猶予もならない。我々のキューバへの攻撃は、貴国にとっても苦痛を伴う物であり、貴国は必ずやヨーロッパのどこかで我々に反撃に出るであろう、そうすれば、1000万いやそれ以上の人間の命がなくなるであろう。我々もこの様な事態をのぞんではいない。大統領は、26日付けのフルシチョフ書簡が解決の適切な基盤となりうると考える。」

ドブルイニン
「トルコはどうなる」

ロバート
「もしも、その問題が、解決を阻む唯一のものであるのならば、大統領はこの問題が、克服できないような難しい問題とは考えていない。しかしこの事は絶対に極秘事項である、ワシントンでもこの事を知っているのは私たち兄弟と、多くても3人しかいない。残念ながら、時間がない、その為貴官に、国家最高機密のひとつである大統領直通電話番号をお教えしよう。」


ドブルイニンはソ連本国に電報を送るのだが、
それは手作業で暗号化する必要があった。それに時間がかなり
かかるのだ。モスクワに届くには8時間から10時間かかるのであった。その時間が問題であった。


1962年10月28日(危機13日目)~黄金の日曜日


ワシントン時間10月28日午前2時、
ドブルイニンからの暗号化された電文はメッセンジャーに手渡されたが、フルシチョフの手元に届くのは早くても、
ワシントン時間28日10時である。これでは遅すぎる。
そのような心配をしていた。


フルシチョフは自分の別荘に側近等を緊急招集し、
情勢分析と今後の対応について話し合いを始めた。

すると、電話が鳴った。
受話器を受け取ったイワノフ将軍が
フルシチョフらを驚愕させる情報をもたらした。

ケネディが
モスクワ時間28日午後5時(ワシントン時間28日午前9時)に、
緊急テレビ演説を行うと言う。そして、その放送前に
ケネディが教会に行くという。
アメリカの大統領は開戦前に教会に行く、
そのようにソ連首脳部は認識していた。

フルシチョフはケネディが戦争を決断したと考えた。
このままでは開戦となる、メッセージを伝えるにも
普通の外交ルートでは間に合わない、
そこで、モスクワ放送で英語でフルシチョフのメッセージを
伝えることにした。
ケネディが開戦演説をするとされる
モスクワ時間28日午後5時(ワシントン時間28日午前9時)
モスクワ放送から英語でフルシチョフのメッセージが伝えられた。
フルシチョフは、ホワイトハウスが聴いてくれることに懸けた。

ケネディ大統領閣下
貴殿が示したバランス感覚と、世界平和維持の為にあなたが持つ責任を理解している事に、私は満足と感謝の意を表したい。貴殿が攻撃的だと主張する武器は本当に恐ろしい武器であり、この事実に関してあなたとアメリカ国民とが懸念を持っている事を私は十分に承知をしている。あなたがたもわれわれも、共にそれがどんな武器なのかを理解している。
平和を脅かす戦いをできる限り迅速に無くす為、平和を望む人々に確信を与える為、またソ連国民と同様に平和を望んでいると確信するアメリカ国民を安心させる為、ソ連政府はキューバにおける武器基地建設工事の中止命令を出した。さらに、貴殿が攻撃的だと考える武器を撤去しソ連に持ち帰るようにとも命令した。

危機は去った。


それを聴いたホワイトハウスの高官達は
安堵の気持ちに包まれた。

この時の模様を
キューバ危機のホワイトハウス内を再現した映画「13DAYS」
で、描いている。
大統領補佐官のケネス・オドネルが、
いつものように家族と朝食の食卓を囲みながら
朝日を見つめ、涙を流していた。


バンディ大統領特別補佐官は
眠っている
ケネディ大統領を叩き起こし、危機が回避されたことを
伝えると、大統領は喜んだ。

実は、この日、ケネディはテレビ演説もすることもなかったが、
22日の大統領による海上封鎖宣言の再放送の予定があったという。
また、この日は日曜日であったが
日曜日の朝に大統領が教会に行く事は日常の習慣だった。

どうしてか、これがソ連首脳にケネディが開戦を決意して
演説を行うと誤って伝わったようだ。


このキューバ危機はマクロで見れば、
カリブ海の局地的バランスにおいても
戦略的バランスにおいても、アメリカは優越していたので、
ソ連は後退し、ミサイル撤去に応じざるえなかった。
開戦となれば、アメリカは核攻撃を受けるが、
全体の戦力から見れば、ソ連が敗北し、アメリカが勝利する
と見られていた。
これをふまえて、ソ連の撤退をもたらした
マクマナラの柔軟対応戦略は成功したと
国際政治学者であった故高坂正堯氏は見ている。

ただ、展開次第によっては
人類の存亡にかかわる全面核戦争・第3次世界大戦が
開戦された可能性もあり、危険な状態であった
ことには変わりないだろう。


 しかし、少ない情報のなか、誤解をせず適切な決定を即座に下すことの難しさ・危うさを感じた。このとき誤解による決断は命取りになる。
 アメリカ合衆国大統領ケネディとソビエト連邦最高指導者・首相フルシチョフは、心の底では全面核戦争の回避を願いつつ、国内の強硬派を納得させるための米ソ間で取引をどのようにするか、お互いに腹の底を探りながらの駆け引きが面白い。かつ、危険な駆け引きだった。

 このキューバ危機のあと、偶発的な核戦争を防止するため
米ソ首脳間にホットラインが設けられた。
また、米ソ両国が戦争をすれば共倒れになる核兵器を大量に持つ
ことによって戦争を抑止する「核抑止政策」いわゆる「恐怖の均衡」によって、米ソ間に平和を保とうとした。
 ただ、米ソが深刻な対立をすることを望まず、関係の安定を
望んでいた。その象徴として、キューバ危機の翌年に
部分的核実験禁止条約を締結した。それは米ソの和解のシンボルとして
重要だった。
 しかし、その後、アメリカ合衆国大統領ケネディはダラスで凶弾に倒れ、ソビエト連邦最高指導者・首相フルシチョフはキューバ危機が一つの伏線となり、失脚する。


キューバ危機を題材にした映画「13DAYS」のエンディングで、ケネディの実際の声が、出てきた。それは、危機から約1年後の演説内容である。それでこのメールは終わりにしたい。


「今すぐお互いの相異から起こる問題を解決することは出来ないかもしれない。しかし、お互いの相異を認め合えるような世界を作る意志を持つことは出来るはずだ。なぜなら、我々は皆この小さな星に住み、我々は皆同じ空気を吸い、我が子の行く末に幸多からんことを願い、そして皆同様に死に行くものなのだから。」

         ― アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディ―

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考情報
キューバ危機

NHKスペシャル 録音されていたキューバ危機


              


              


              

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