言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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太平洋戦争戦争の勝敗の背景、「防御軽視」の日本軍と防御重視の米軍・・・・日本人が開発したアンテナ技術を日本軍が活用するよりもはるかに先にアメリカ軍とイギリス軍が活用して、防御力を高めていた

今日は、2015年(平成27年)7月14日 火曜日

一昨日の午後、用事が終わって自宅に戻り、
テレビをつけると、
NHKアーカイブス 戦後70年 なぜ日本は総力戦に敗れたか
検証シリーズで
NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争
弟3回「エレクトロンニクスが戦を制す」
その番組タイトルを画面の右側の枠でテロップ表示され、
さらにその枠の下に1993というテロップが表示されていた。

そう、その番組は平成5年(1993年)2月7日に放送されたもので、
それを当時19歳で大学1回生でった私は下宿屋で見ていたのを覚えている。

この番組では、日米の兵器の技術開発の思想の違いが克明に描かれていた。

単純に言えば、日本は攻撃重視、防御軽視で、人命軽視であった。
一方、アメリカは攻撃だけではなく防御も重視して、そのために
レーダーによる防御開発に力を入れていた。

第2次世界大戦になれば、戦艦から航空戦闘に主力が移り、
海軍としてはいかに敵国の戦闘機から戦艦を守るかが重要になった。

それをまさしく証明したのは、
日本が太平洋戦争開戦時での日本軍による真珠湾攻撃であった。

それなのに、日本では航空戦力は海軍に付随するもので、
日本の海軍では、艦隊同士決戦で戦争を勝利することを主眼としていた。
それは、19世紀末から20世紀初頭の
日清・日露の両戦争で日本が勝利した時の成功体験に
囚われていたのであった。

アメリカ海軍は敵国の航空戦力から防御するために
レーダーの開発に力を入れた。
一方、日本はあまりレーダーを重視せず、
使い物にならない役立たずとも思う傾向があった。

その日米の差が出たのが、
昭和19年(1944年)6月のサイパン島をめぐる
マリアナ沖海戦である。

その海戦で、日本軍は、当時の戦闘機の航続距離では
日本軍の方がアメリカ軍機よりも長かったので、
アウトレンジ戦法という敵機が日本の艦隊に攻撃する前に
先にアメリカの艦隊を攻撃する作戦を実行した。

当時の日本の海軍の隊長はその作戦で勝てると考えていた。
しかし、レーダーで360度の遠方での敵機接近発見をできる能力を
高めていたアメリカの艦隊は、日本軍のゼロ戦戦闘機の集団の接近をすぐに
レーダーで察知して、日本軍の戦闘機が到達するよりも先に
アメリカの戦闘機を空母から出撃させて、空の上で待ち伏せして
攻撃をしかけた。その空中戦で日本の戦闘機の多くが撃墜された。
その空中戦をしのいで、なんとかアメリカの艦隊に近づいた
日本の戦闘機はアメリカの戦艦からの対空砲火にずたずたにされたのである。

アメリカの戦艦もレーダーを活用した対空砲火の防御兵器を開発していた。
それは、VT信管(近接信管)というレーダーを活用して、
砲弾が目標物に命中しなくとも、一定の近傍範囲内に達すれば
起爆させられる砲弾である。
日本の戦闘機からすれば、的からの砲弾に命中していないのに、
爆発してしまう砲弾にとまどい、アメリカの艦隊を攻撃できなかった。

そのVT信管の砲撃の攻撃を受けた多くの日本の戦闘機は、
火を噴いてマリアナの太平洋に沈んでいった。

そして、日本の戦闘機のゼロ戦は、攻撃力を高めるため
軽量化した結果、鉄板が薄くなり、一度、攻撃を受けると
簡単に火を噴いて破壊される構造であった。

それに対して、アメリカはゼロ戦を研究して、
ゼロ戦を上回る攻撃力を持つヘルキャット戦闘機を開発。
また、それはパイロットの命を守るために
操縦席後部の鉄板を厚く頑丈にする構造であった。
アメリカ軍は、パイロットを養成するのに2年かかり、
また、そのコストは現在の価格(1993年当時)で2億円要する
ことからパイロットを失うことのダメージ回避を重視していたのだ。

それに対して、日本は人命軽視の方向になり、
戦争の終末期には、神風特攻隊というパイロットによる
自爆攻撃で多くの若者が命を失っていった。


アメリカは終戦後、日本の科学技術に関する分析を行い、
次のように分析を報告している。
日本には優秀な技術者がいるのに、それを軍部の独善と過信により
活用していなかった。

レーダーの活用が日米戦争での戦力差のひとつとなったが、
レーダーの活用にあたり、アメリカやイギリスは
ある日本人技術者が開発したものを活用していた。
それは、大正14年(1925年)八木秀次が宇田新太郎とともに
開発した八木アンテナである。
(八木アンテナは21世紀の現在でもテレビ受信用アンテナの世界標準である)

アメリカやイギリスは、日本がアメリカとの戦争を始めるよりも前に
八木アンテナの技術を活用してレーダー開発にとりかかっていたが、
日本軍がそれに力を入れだしたのはアメリカとの開戦のあとだった。

それに関して、こんなエピソードがある。
昭和17年(1942年)に日本軍がイギリスの植民地のシンガポールを
占領した時、イギリス軍の対空射撃レーダーの書類を押収して分析すると
「YAGI」という文字があり、それを分析した日本軍の人物は意味もわからず、
その発音が「ヤギ」なのか「ヤジ」なのかもわからずイギリス軍の捕虜に
質問すると
彼に「あなたは、本当にその言葉を知らないのか。
YAGIとは、このアンテナを発明した日本人の名前だ」
とつっこまれたという。

そんなギャグにもなるような実話があるほどに
日本軍は自国民が開発した優れた技術を知らず、
敵国に先に活用されてしまうという状態で、
アメリカと戦争をしていたのである。


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