言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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天津飯の発祥説に、東京説と大阪説がある・・・和製中華料理天津飯は中国に逆輸入されている・・シーフード天津飯という英語と漢字の混成された料理名が日本で発案されるおもしろさ

今日は、2015年(平成27年)7月10日 金曜日

一昨日の昼食で、職場から5分ほど歩いたところにある
中華料理屋で、
シーフード天津飯を食べた。

天津飯 150708_1214~001

えびとあさりといかが適量に含まれた
天津飯で、価格は580円であった。

さて、そもそも「天津飯」という名の
中華料理は本場の中国では存在しなかった名前の
料理で、日本で命名された和製中華料理である。

天津飯の起源の説として、
大阪説と東京説があるが、
ともに発祥時期は第2次世界大戦が終戦して、
まもないころである。

さて、その2つの説を説明する前に、
天津飯に起源と関係する料理は
中華なので、中華料理の本場の中国にある。

それは、「かに玉」である。中国では「芙蓉蟹」と
呼ばれるものである。

日本では、大正時代の料理雑誌にて、
中華料理として、「芙蓉蟹」が紹介され、
そのレシピまで掲載されていたようである。

昭和初期のころの雑誌を調べて見た人によると、
その戦前の「芙蓉蟹」の特徴として、
現在の天津飯と違って、あんかけがなかったという。


そして、第2次世界大戦が終わって間もないころ、
東京駅八重洲口に出展した来々軒にて、
客から何か早く食べるものを作ってと言われて、
その時、メニューにはない特別なものとして、
芙蓉蟹(かに玉)を丼飯に乗せて、それに
醤油から作ったあんかけをかけた料理を作り
それを「天津丼」と呼んだ。
当時、中国の天津から中国に出兵していた
復員兵を乗せる船が出ていることが知られていたので
当時の東京人にとても受けたという。

それが1つ目の東京説。
もう一つ目の大阪説は、大阪城近くの馬場町で開業していた
中華料理屋の大正軒である。
その店の近くでは陸軍の大阪八連隊があったところである。
さて、第2次世界大戦が終わって間もないころの
日本は食糧不足に喘いでいたのであったが、
大正軒の山東省出身の亭主が、
食料不足で売り物がなく、そこで思いついたのが、
天津の食習慣である皿盛りの飯におかずを乗せた
「蓋飯」である。
天津で多く取れたワタリガニを使って
かに玉を作り、それをご飯の上に乗せ、
さらにとろ~りとしたあんかけを乗せた
「芙蓉蟹蓋飯」を作ったが、かにが高価で採算が合わず、
大阪の土佐堀川河口で取れたえびを使って、
それを「天津飯」という名称で出した。


そのように東京説と大阪説の2つがある。
ただ、2つの説においてもなぜ「天津」という地名が
つけられたかについては謎があるという。

ここから、
東京大学文学部の中国人留学生の殷晴さんの小論文
「天津飯」の由来

を参照して説明していくと、

かに玉である芙蓉蟹の発音の
「フーヨーハイ」は広東語であり、天津の発音ではない。

また、「蓋飯」は天津地方独自のものでもなく、
中国各地で見られるものである。

そうすると、なぜ天津飯という命名になっていったのか?

東京説と大阪説の2つの説とも共通するのは、
発祥時期が第2次世界大戦が終わったばかりころである。

終戦後、中国からの居留民や復員兵達が
天津の塘沽港から多数、日本に戻ってきた。

その天津に滞在していたことのある人物が
コックとなって、天津飯なる料理を発案したか
それとも、客として、たまたま
かに玉を丼に乗せて、それにあんかけをかけた料理を
食べた時に、天津滞在中の思い出して、
それを「天津飯」と言い出した。

そのように殷晴さんは推測している。

殷晴さんの論文の最後に以下の主旨のことが書かれている。

天津飯という名の料理はもともと中国にはなかったが、
現在の中国には存在している。
現在の天津に、日本人客に出す中華料理のメニューとして、
「天津飯」を出すホテルがあるという。
また、中国版のクックパッドである「下厨房」にも、
「天津飯」のレシピが掲載されている。

つまり、日本で発祥した「天津飯」が中国に逆輸入され、
名高い中華料理に変容しつつあるというのだ。

そのようなことを殷晴さんの論文で書かれていたのを読み、
ふと思いつくのが、
幕末から明治の日本において、西洋語由来の様々な概念を
漢字を用いた翻訳した言葉が、その後、中国にもたらされたことである。

さて、一昨日食べた天津飯の名前は
「シーフード天津飯」である。
「SEA FOOD」という海の食べ物を意味する英語と
中国由来の漢字が混成された料理名が日本において、
発案されたことのおもしろさを思う。
それを見ると、日本は世界各国から取り入れたものやことを
日本で編集して、新たなものを生み出してきた歴史をおもいつく。
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