言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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6月23日は沖縄慰霊の日・・・日米両軍で住民を巻き込んだ熾烈かつ凄惨な激闘の沖縄戦の組織的戦闘終結の日

今日は、2015年(平成27年)6月23日 火曜日

6月23日は、沖縄慰霊の日である。
第2次世界大戦で、日米両軍で沖縄県住民を巻き込んだ
熾烈かつ凄惨な激闘であった沖縄戦において、
昭和20年(1945年)6月23日(土曜日)、
沖縄における日本軍による組織的戦闘が終わったことに由来して、
琉球政府及び沖縄県が定めた記念日である。

第2次世界大戦における太平洋戦争において、
日本軍はアメリカ軍の圧倒的な物量に押され、
昭和20年(1945年)には、
日本の敗戦は必至の状況になっていたが、
それでも日本軍は抵抗を続けていた。
そして日本軍は、本土防衛の最後の拠点を沖縄として、
第32軍を創設し、沖縄の首里に司令部が設置された。


そのような最中、アメリカ軍は
日本本土への攻撃の拠点のひとつを沖縄と定め、
アイスバーグ作戦(Operation Iceberg)という作戦名で沖縄攻略のため
兵員約18万3000人、補給部隊を含めると、約54万8000人
艦船1400~1500隻という大兵力を投入して、
昭和20年3月26日、沖縄本島の西方沖にある
慶良間諸島への上陸、そして、
同年4月1日に沖縄本島中西部への上陸作戦を開始。
ここから約2ヶ月半以上に及ぶ熾烈かつ凄惨な激闘となった
沖縄戦が始まった。

50万人を超えるアメリカの大兵力に対して、
日本軍の兵力は9万6400人、そして、
戦場動員された13歳から70歳代の地元住民
を含めても約11~12万人の兵力で
血みどろの激しい抵抗をアメリカ軍に行った。

当時の日本政府の方針として、
沖縄での戦闘を
本土決戦を1日でも遅らせるための「本土防衛のための捨て石」作戦
と位置づけ、
「玉砕精神」で戦争指導と作戦遂行をし、この方針を軍のみならず
一般住民にまで貫徹。このことがさらに住民を巻き込む凄惨な
結果をもたらすひとつの要因となった。

アメリカとの圧倒的な兵力の差があり
日本の兵力不足は明らかな状況で、
女性や子どもまでも戦場に動員され、
軍民一体となってアメリカ軍に抵抗していく
持久戦に持ち込もうとした。

一方、短期決戦を考えていたアメリカ軍は
住民犠牲をなるべく避けて、保護を考えていたが、
日本軍のゲリラ戦の激しい抵抗に手を焼き、
無差別に攻撃していき、住民を巻き添えにしていいった。

アメリカ軍は地形が変わるほどの砲弾の雨を降らせ、
軍人と住民が混在して避難している洞窟を
火炎放射器で焼き尽くし、住民も亡くなって行った。

また、洞窟に避難していた住民達には
敵に捕まって捕虜になることは恥だという考え方が
広まっていたこともあり、手榴弾などで
集団自決で亡くなったりもした。

同年5月下旬には、首里にあった第32軍の司令部が
陥落したが、第32軍の牛島満軍司令官は
アメリカ軍を沖縄に足止めする期間を少しでも長く
するためと、
沖縄本島の首里より南の地域に撤退することを決定する。

アメリカ軍はもう日本軍の抵抗もそれほどではないだろうと
考えたりもしたが、それでも日本軍の抵抗は強く
アメリカ軍のバックナー軍司令官が日本軍の砲弾で戦死
現在でも
アメリカ軍史上において最高位の階級で戦死した
唯一の事例となっている。

そのようなことがあっても日本軍の劣勢は変わらず、
日本軍では、
飢餓や病気で1日に約4000人亡くなる日もあった。

また、避難してきた住民が沖縄本島の南端の地域に
集中しつつ、そこが最後の戦闘地域となり、
それによりさらに住民の犠牲者が増えていった。

そして、昭和20年(1945年)6月23日
第32軍の牛島満軍司令官と長勇参謀長が自決し、
軍としての組織的戦闘が終焉した。
(その後残った日本兵が散発的にアメリカ軍と戦闘したりして
 降伏調印したのは同年の9月7日であった)

この沖縄戦の戦死者は

日本 18万8136人
    そのうち沖縄県出身者 12万2228人
               (一般人94000人 軍人・軍属 28228人)

アメリカ 1万2520人

(データは 昭和51年(1976年)沖縄県援護課発表による)

これを見ても、一般住民の戦死者が軍人よりも3倍以上あり、
第2次世界大戦における最激戦地のひとつとなった沖縄戦が
いかに住民を巻き込んだ激しい地上戦であったことがうかがえる。

終戦後の昭和36年(1961年)にアメリカ統治下の
沖縄において琉球政府が
沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終焉した6月23日を慰霊の日として
公休日とした。
昭和47年(1972年)5月15日に沖縄が日本に復帰した後、
法的な祝日の根拠を失ったが、
平成3年(1991年)に沖縄県の条例により沖縄県では
6月23日の慰霊の日が休日となっている。

この沖縄戦の結果、アメリカに占領された沖縄が
日本に復帰するまで、27年の歳月を要し、
現在でも米軍基地問題が尾をひくこととなっている。

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