言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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私が住む兵庫県の初代知事は当時26歳の若き青年で、やがて、その人物は日本初の内閣総理大臣に出世した

今日は、2015年(平成27年)5月26日 火曜日

NHKの大河ドラマの「花燃ゆ」で、
伊藤利助(のちの伊藤博文)が登場しているが、
この伊藤博文は私が現在住んでいる兵庫県にゆかりがある
人物である。

伊藤博文こそ兵庫県の初代知事に就任した人物である。
江戸幕府が倒れ、その後の新政権の政策により
慶応4年5月23日(西暦1868年7月12日)
兵庫県が設置される。その兵庫県設置とともに
その兵庫県の行政の最高責任者として
初代兵庫県知事に就任したのが、
当時26歳の伊藤博文であった。

伊藤博文が初代兵庫県知事に就任する4ヶ月前に
神戸が香港のような植民地化されかねない
神戸事件という外交危機が発生した時、
その解決を主導したのが伊藤博文であった。

神戸事件は
三宮神社前において備前藩兵が隊列を横切った
フランス人水兵ら2人を負傷させた事件である。
それに対して、神戸港沖に停泊していた
アメリカ海兵隊、イギリスの警備隊、フランスの水兵が
居留地を占領したのであった。
それに対して、新政府になったばかりの新政権の中で、
イギリス公使とつながりのある伊藤博文などが事件の処理に
あたり、万国公法(国際法)に従い、
備前藩関係者を切腹(死刑)にし、それに外国公使を
立ち合わせ、その処理により外国軍部隊の神戸占領は解除
された。

その後、イギリス留学経験があり英語が堪能で
神戸港開港の事務を取り仕切ってきたことが評価されて
初代兵庫県知事に任命されたのであった。

若き伊藤博文が初代兵庫県知事に就任して、
馬にまたがつてあちらこちら駆け巡り「坊主奉行」と
呼ばれ、若僧に何ができるかと庶民達に見られたという。

しかし、伊藤博文は神戸の発展のため次々と行政手腕を発揮する。
貿易による新国家隆盛を重視し、
外国人が住む神戸の居留地開発の再開に取り組む。
伊藤博文のもと
お雇い外国人・イギリス人技師J.W.ハートが居留地設計にあたった。
また、神戸に第2に運上所(税関)を作り、その事務にあたり
外国語堪能な人材育成のため洋学傳習所(英学校)を開設。

そして、現在の神戸市中央区山手町の場所に、
貧院という、現在で言うところの老人ホームと幼稚園と
障害者支援センターをかね合わせた施設を設置する。

そして、伊藤博文がイギリス人の知人から
「日本の敵は梅毒だよ」と言われ、病院建設の重要性を認識し、
神戸病院(現在の神戸大学付属病院)を設立。
この病院では日本人だけでなく外国人を対象にした医療提供した。

伊藤博文は兵庫県知事在籍中に

『国是綱目』いわゆる「兵庫論」を捧呈し、
① 君主政体
② 兵馬の大権を朝廷に返上
③ 世界万国との通交
④ 国民に上下の別をなくし「自在自由の権」を付与
⑤「世界万国の学術」の普及
⑥  国際協調・攘夷の戒め

を主張した。

伊藤博文が兵庫県知事に従事していたのは1年ほどであったが、
これだけの功績を当時26歳から27歳の青年であった若き政治家が
残しているのである。

やがて、その伊藤博文は明治政府の中心的存在となり
明治18年(1885年)に初代内閣総理大臣となり、
また、大日本帝国憲法の起草・制定に中心的役割を果たした。

兵庫県の幕開けの時に、神戸の近代化の設計を担った
若き伊藤博文はやがて、近代日本の設計を担う人物になったいった。

現在、神戸市中央区の居留地に「伊藤町」という地名があるが、
それは、初代兵庫県知事の伊藤博文にちなむ地名である。

ちなみに外国人慰安所として福原の遊郭設置に伊藤博文が関わったとも
言われている。
また、兵庫県知事時代に神戸の花隈に伊藤博文は居住していたが
花隈近辺では伊藤博文の豪遊ぶりが有名だったという。
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術


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