言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

プロフィール

くわどん

Author:くわどん
世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
また、過去の各記事にアクセスしやすく
するため当ブログの目次専用ブログを随時更新中です。
目次専用トップページ http://blogs.yahoo.co.jp/
kuwadong/64865881.html 



最近の記事

2015年11月2日まで、10年間毎日更新してきましたが、その後は、週1回プラスアルファのペースで更新していきます。



カテゴリー



語源由来辞典からの引用

当ブログにおいて、語源のコメントを する時は、語源由来辞典から引用しています。

語源由来辞典へはここをクリック!!



リンク

このブログをリンクに追加する



フリーエリア



お買い物しませんか?



最近のトラックバック



最近のコメント



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



広告ですたい!



フリーエリア



声優の永井一郎さん(サザエさんの波平役であった)は、もともと俳優志望であったが、俳優になれず、当時マイナーな職であった声優をすることとなり、それがライフワークとなった

今日は、2015年(平成27年)4月20日 月曜日

先週の土曜日の早朝に
NHKで放送されていた
「あの人に会いたい」という故人の方の
NHKにある映像アーカイブスから放送する
10分間の番組で、
平成26年に亡くなった
声優でサザエさんの波平役の声をされていた
永井一郎さんの特集が放送されていた。

永井一郎さん大阪府池田市の出身で、
その後、京都大学文学部に入学した。

当時の京大文学部でフランス文学を研究されいてた
桑原武夫教授の授業で、
教授があたかも大学の授業以外で学べることがあるよ
ということを訴えかけるようなコメントでいろいろ思い、
大学で演劇に取り組んだ。

大学卒業後、上京して
新劇の劇団を受けるも全て落ちた。
その後、広告代理店の電通に通勤しながら
俳優の養成所に通う。

そのようなおり、声優の仕事をすることになった。

映像での俳優の業務が主流で、
声優の仕事は低い扱いがされていたが、
昭和30年代、アメリカから輸入された番組の
声の吹き替えの仕事があり、
永井一郎さんは声優の仕事に取り組んだ。

「ローハイド」(Rawhide)というアメリカの西部劇のドラマで
脇役の老カウボーイのウィッシュボン役をすることとなり、
それが声優業を専業とする契機となった。

やがて、テレビでアニメが放送されるようになり
声優の仕事が増えていった。

そして、昭和44年(1969年)に放送が始まった
サザエさんの磯野波平の声の役を昨年に
亡くなる直前まで務めた。

他に、「うる星やつら」、「YAWARA!」、「風の谷のナウシカ」などでも
声優を務めた。

永井一郎さんは脇役の声を務めることがほとんどであったが
存在感のある脇役の声であった。
そして、永井さんの特徴は
声を変えずにキャラクターを変える演技力だとされる。

永井一郎さんは次のように語っている

「人間をつくることがおもしろい。
アニメだって、声の世界だって、
顔出しの世界だって、舞台の世界だって、
みんな同じ」

声優という仕事を通じて、
様々な性格の人間をつくってきたということだろう。

今は華やかに見えるようになってきた
声優という職業だが、
昭和63年の雑誌に「磯野波平ただいま年収164万円」と
アニメ声優の出演料の低さを訴え、
やがてアニメがビデオ・DVD化された際に
音声制作会社に声の使用料の支払いを求める訴訟を
他の著名な声優とともに声優360人を代表して提訴して、
平成16年に勝訴して、声優の地位向上に貢献してきた。

永井一郎さんは亡くなる直前まで、
サザエさんの磯野波平の声の役を務め
最期まで日本の声優の第一人者として走ってきた。

その永井さんはもともと俳優志望であったが
俳優としては挫折したようなのに見えたが、
当時、マイナー扱いだった声優の仕事をふとしたきっかけで
するようになり、結果的に、日本の声優業のパイオニアの
ひとりとして、人生を終えるときまで、それを続けることになった。

自分が活躍していく領域というものは
何がきっかけで作られていくかよくわからず、
偶然、たまたま、その仕事をしてしまったことで、
それが自身の長年のライフワークになってしまうことがある。

そのようなことを思った
「あの人に会いたい」の永井一郎さんの特集であった。


このブログ内の関連記事

2014年2月10日の記事
サザエさん、磯野波平役としての最後の永井一郎さんの声を耳にして・・・最後の台詞は何だったでしょう
スポンサーサイト

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


この記事に対するコメント


この記事に対するコメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://kuwadong.blog34.fc2.com/tb.php/3482-8a436d65
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)