言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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昭和20年3月10日に東京で発生した大虐殺・・・真夜中なのに東京下町上空が夕焼けのような明るい空になっていたという

今日は、2015年(平成27年)3月10日 火曜日

今から70年前の今日の
昭和20年(1945年)3月10日(土曜日)未明
東京の下町で凄惨な大虐殺が発生した。

それは、アメリカ軍による東京大空襲で
10万人が死亡したとされている。

昭和20年3月10日に日付が変わったころの
午前0時7分、
当時の東京都深川区(現在の江東区)への
アメリカ軍のB29による爆撃が始まった。
そこから主に隅田川から荒川を挟む下町地域への
無差別大量爆撃が下町の人々を襲った。

アメリカは東京の過去の大火災を
江戸時代から関東大震災まで研究していて、
木造家屋が集中する下町を集中的に狙いを定めた。
まさに、東京大空襲で焼失した地域は
関東大震災と焼失した地域と重なっている。

アメリカ軍がこの日を東京への大規模空襲の日に選んだのは
気象予報で、風が強いと予測したからだ。

つまり東京の下町への爆撃による延焼効果を高めることを
狙ったからである。

真夜中に、
焼夷弾などの爆弾の雨が振る中、多くの人々は逃げ惑った。
火の手から逃れるため、
人々は鉄筋コンクリートの建物や
隅田川にかかる橋の上に逃げたりした。

しかし、
アメリカ軍の約300機の爆撃機から
落とされた大量の爆弾により発生した大火により
火災旋風という炎の竜巻が至るところで発生し、
それが人々が避難していた鉄筋コンクリートの建物や
隅田川の橋上を容赦なく襲い掛かり、
炎に巻かれて多くの人が焼死した。

その様子の画像で見て印象に残ったのが、
乳母車に覆いかぶさりながら黒焦げになった遺体である。
おそらく、子供を守ろうとしながら絶命していったのだろう。

そして、そのような炎や灼熱から逃れるために
多くの人々が隅田川の中に入っていった。
ただ、その日は西高東低の冬型の気圧配置の寒い時で、
地上の灼熱とは反対に水の中は冷たかった。
そう、熱からの死から逃れたが凍死で亡くなってしまった方々も
多くいた。
夜が明けて、川にはおびただしい数の死体が浮いていた。

川の中に入った人々の中で、生死を分けた親子がいた。
生き残ったのは母親で亡くなったのは子供であった。

母親は子供の赤ちゃんを背負ったまま、
猛火から逃れるため川の水の中に上半身まで浸かった。
母親は背負っていた赤ちゃんの体温によって
自分の体温は保てたが、
背中を冷たい川の水に晒された赤ちゃんは
凍死してしまった。

私は、数年前に、
東京大空襲の時、10歳だったあるご老人の方からから話を聞いたことがある。
その方は、当日、東京にはいなかったが
埼玉の浦和にいたという。

浦和からその時の東京方面を見ていて、
真夜中なのに東京下町が
大火によって夕焼けのような空になっていたのが見えたという。
今でも夕焼けを見ると東京大空襲のことを思い出すとおっしゃっていた。


東京大空襲で人々がどのように亡くなったか、
それは、ネットの検索で
「東京大空襲」で画像を検索すれば目にすることはできる。

当時警視庁のカメラマンだった石川光陽氏が
東京大空襲の惨劇の様子を撮影して記録に残していた。
終戦後、アメリカ軍が進駐してきて、
GHQにそれを没収されるのを防ぐため、
自宅の庭に穴を掘りフイルムを隠し、
後世に当日の惨劇がどのようなものだったかを
伝わっているのである。

さて、このような無差別大虐殺の東京大空襲を指揮した
カーチス・ルメイ少将は戦後、日本各地への無差別空襲について
「全ての日本国民は航空機や兵器の製造に携わっている」と正当化している。
一方で、彼は「もし、我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていた」
とも語っている。

まあ、日本政府が勝機の見込みがなく、
日米開戦前の模擬内閣の総力戦研究所の結論が
「日米開戦日本必敗」という報告が出されていたのに、
アメリカとの戦争に踏み切り、
昭和19年にはサイパンなど南方の日本の信託統治領が
アメリカに占領され敗戦濃厚になってきたのに、
降伏の決断ができなかったことも
この惨劇につながっていったとも言える。

国と国との戦争が国家総力戦となった場合、
東京大空襲のような事態が発生するリスクがあるということである。

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