言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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石焼きいもを久々に食べ、焼きいもの歴史をみてみる・・・石焼いも屋は戦後に登場、元祖はラーメン屋からの転業だったそうだ

今日は、2015年(平成27年)2月26日 木曜日

先日の当ブログの記事
自宅近所でコロッケ売っているところに初めて気がついた・・・・プータロー生活になって、近所の発見があるなあで、

近所のコインラインドリー近くにある介護タクシー屋で、
コロッケを売っていることについて書いたが、
昨日、そこを通りかかると、石焼いもを売っていたので、
買って、自宅で食べた。

焼いも 150225_1608~001

もう、焼いもなんて食べるのは何年ぶりだろうか、
前に食べたのをいつかを忘れるくらいの久々の焼いもである。

さて、ところで、石焼きいもなるものが
出現したのは第2次世界大戦後だとされる。

さて、焼いもそのものは、江戸時代からあった。
サツマイモが江戸時代に日本に伝わり、
飢饉対策として広がっていくが、
焼いもで売られるようになった。
当時は、土で作った釜戸の底に
その底に重い木を蓋にして蒸し焼きで、
丸焼きにして売っていた。

明治時代になって、東京では
米の価格がたびたび高騰することがある
一方で、芋の価格は変動が小さかったため
庶民は焼きいもでおなかを満たしていて、
焼きいも屋は繁盛した。

しかし、大正12年(1923年)の
関東大震災で、下町に多くあった焼いも屋は
焼失した。
また、その時の震災復興の流れで、
古いものよりも新しいものが好まれ、
古いもの扱いされた焼いもは売れなくなった。

しかし、焼いも業を続けたいと思った方々は
つぼ焼きという形で焼きいもを売り続けた。

つぼ焼きは中国から伝わり、
昭和初期には関西から全国に広がっていった。
そのつぼ焼きスタイルの焼きいもが新しいものとして
消費者に受け入れていった。

また、売り手にとっても、
釜焼きであれば釜の場所を取ってしまうが、
つぼ焼きであれば釜よりも壷は場所を取らないので
都合が良かった。
また、焼いも専業の店でなくても
駄菓子屋や雑貨屋がちょっとした商売として
場所を取らないつぼ焼きの焼きいもを売っていた。

しかし、第2次世界大戦で、日米開戦に突入した後、
さつまいもは政府の統制商品となり、
自由に売買できなくなり、焼きいも業ができなくなった。
そして、戦災で、かまど焼きとつぼ焼きの焼きいも屋は
廃れていった。
戦争が終わってもすぐには統制が解除されず、
サツマイモが統制解除されたのは昭和25年(1950年)であった。

そのような中、登場したのが石焼いもである。

石焼いもを始めたのは、もともとラーメン屋をしていた
東京都墨田区にいた三野輪万蔵さんだという。

三野輪万蔵さんが50代ぐらいのころに石焼きいもを
はじめた。
釜に熱した石を入れて、それで均等にサツマイモを
蒸し焼きにする方法である。
そして、それをリヤカーで移動式で販売するという
従来の焼きも屋とは違う販売方法であった。

ただ、釜や多くの石などで重いので、
普通のリヤカーでは耐久性がないので、鉄工所に
特注して石焼いも販売用のリヤカーを作ってもらった。

リヤカーで移動販売する石焼もは瞬く間に
東京に広まった。

石焼いもの販売方法で、親方が販売道具一式を用意して、
売り子に販売させていた。
特に、特に石焼いもの発案者の三野輪万蔵さんは別格だったようで、
昭和40年代前半の最盛期には、40~50人の売り子がいたという。

リヤカーの移動方式の石やきいも屋が少なくなったが、
現代では、スーパーの軒先で販売されたり、
また、家庭用石焼きいも器が売り出されている。
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テーマ:雑学・情報 - ジャンル:学問・文化・芸術


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