言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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福島原発事故前、津波リスクを懸念した部下の意見に圧力をかけ聞き入れず・・・あの原発事故と敗れるとわかりながら日米開戦に踏み切った状況と重なるなあ

今日は、2015年(平成27年)1月6日 火曜日

この年末年始に、
福島原発事故の背景要因に関わる見過ごせない
ニュースがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福島第1.3号機 津波懸念の職員に圧力か
(河北新聞 2014年12月31日)


<旧保安院プルサーマルに配慮?>
 東京電力福島第1原発3号機で2010年9月に始まったプルトニウム・
ウラン混合酸化物(MOX)燃料利用の「プルサーマル」に絡み、
敷地への大津波襲来を懸念する旧経済産業省原子力安全・保安院の職員に、
上司が圧力めいた発言をしていたことが30日までに、政府が公開した
第1原発事故調査・検証委員会の聴取結果書(調書)で分かった。

<上司「余計なことは言うな」「関わるとクビに」>
 この職員は東日本大震災震災当時、保安院の耐震安全審査室長をしていた
男性。現在は原子力規制庁で原発の新規制基準適合性審査で地震・津波分野を
担当している。
 調書によると、男性は08年ごろから、宮城県などを襲った貞観津波(869年)
クラスの大津波が福島第1原発敷地に襲来する可能性を認識。
「ちゃんと議論しないとまずい」と考えていたという。
 3号機でのプルサーマルをめぐっては、計画した東京電力に対し
福島県が耐震安全性確認などの条件を出していたが、保安院は詳細な
地震動評価や津波評価を見送り、施設の安全性のみを審議する方針とした。
 このため男性が10年7月ごろ、原子力安全委員会に貞観津波の知見を
議論してもらうよう上司に具申すると、複数の上司から「その件は安全委と
手を握っているから余計なことは言うな」「あまり関わるとクビになる」
などと言われたという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、これを読むとあの大事故は起こるべくして
起こったなと思わしてしまう。

実は、私は10年近く、仕事で
原発やその他のプラント工場関係の
ヒューマンエラーの調査に携わったことがあるが、
リスクを感じてそれを善意を持って申した部下に対して、
それを上司が圧力をかけて押さえ込むようなことは
安全文化を構築するうええ、最もやってはいけないことである。

圧力をかけた方は、
それまででは想定外の巨大津波のリスクを考慮することで、
余計にコストがかかったり、対策で時間が取られ、
プルサーマル計画が停滞したりすることを嫌がったのだろう。
まあ、計画が走り出したのだから、それをじゃまするなと・・・・
それがもたらしたひとつの結末があの大事故である。

このような状況は、
今から70年以上前の日米開戦に至る過程と重なるようにも
感じる。
日米開戦直前の昭和16年の夏に
日本中のエリートが集められて設立された総力戦研究所において
模擬内閣が作られ、日米戦争を緻密にシミュレーションした結果
その結論は

日米開戦日本必敗

であった。実際に本当の近衛内閣に報告されていたのにも
かかわらず、その年の12月8日、日米開戦にふみきった。
「日米開戦日本必敗」という結論が出されているのに、
アメリカとの開戦を止められなかったのだ。

実際の戦争はそのシミュレーションに近い結果になり、
都市部は地方都市までも空襲で焼かれ、300万人近い日本国民が
亡くなり、亡国の危機をむかえたのだ。

本来は、傾聴すべき意見なのに
日米開戦に向けての計画が走り出したので、
それをじゃまするような意見は省みられなかったのだろう。

いったん、走り始めると、その危険性を的確に指摘する
意見は無視されたり、圧力をかけられたりして取り上げられず、
結果的にカタストロフィーをむかえてしまう。

その日米開戦に至る過程と4年前の福島原発事故に
至る過程が重なってしまうのである。

福島原発事故は、まさに戦後日本の最大の危機であった。
なぜそうであったのかについて、当ブログの
2014年3月11日の記事

首都圏3000万人避難を想定していた・・・東日本大震災での原発事故はまさに戦後日本の最大の危機であったで、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

特に、福島第一原子力発電所の原子炉建屋の中で
最も多い1535本(460トン)を保管する
4号機の使用済み核燃料プールは沸騰を始めて
空焚き寸前になった。

それらの使用済み核燃料が溶融すればさらなる
大量の放射能漏れが発生し、
首相官邸では、最悪のシナリオとして、
首都圏3000万人の避難を想定していたのだ。

あの時、菅首相が、「このままでは東日本がダメになる」
と発言していた背景にそのような危機を想定せざるえない
状況になっていたからであった。

そのような最悪のシナリオが発生した場合の
首相談話の原稿が用意されていたという。

そして、事故現場で対策の陣頭指揮をとっていた
当時の福島第一原発の吉田所長は
無事な北海道と西日本、
アウトの東日本に日本が3分割されるかもしれない
という危機感を抱いて、事故の対応にあたっていたという。

結果的には、空焚き寸前になった4号機の
使用済み核燃料プールは
4号機内で発生した水素爆発の衝撃でその横の
別なプールの水が偶然、核燃料プールに流れ込み危機を免れた。

ただ、もし、その偶然による危機回避がなければ
首都圏3000万人避難という事態を招いていたかもしれないのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本当に首都圏3000万人の避難という事態にまで
なっていたら、まさに、日米開戦で敗戦し亡国の危機をむかえたような
感じの事態になっていたかもしれない。

いろいろなリスクが指摘されていたのに、
そのリスクの指摘に真摯に向き合わず、
一度走り始めたらとめられなくなり、最後には
大きな社会的危機をもたらしてしまう。

4年前の福島原発事故は日米開戦に至る過程と
重なり、ある意味、日本の病理のようにも感じた。

私は、そう感じることもあり、
あの事故で、「日本は原発を持ってはいけない国である」と
強く思い至ったのであった。


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