9月25日のできごと・・・昭和11年(1936年)9月25日、日本プロ野球初のノーヒット・ノーラン達成・・戦争に運命を翻弄された日本プロ野球初のノーヒット・ノーラン投手
今日は、2014年(平成26年)9月25日 木曜日
9月25日は、プロ野球のノーヒット・ノーランに ゆかりのある日である。
昭和11年(1936年)9月25日(金曜日) 甲子園球場で行われたプロ野球の 東京巨人軍(現 読売ジャイアンツ)対 大阪タイガース(現 阪神タイガース)の試合で、 巨人軍の投手として登板した沢村栄治選手が 日本のプロ野球史上初のノーヒット・ノーランの 試合で勝利投手になった。
その後、沢村栄治選手は 昭和12年(1937年)5月1日と 昭和15年(1940年)7月6日にも ノーヒット・ノーランを達成し、 日本のプロ野球で3度のノーヒット・ノーランを達成したのは あとには、広島の外木場義郎選手だけである。
3度目のノーヒット・ノーランは 1度目の徴兵後であった。 沢村栄治選手は、昭和13年から昭和15年の途中まで 徴兵され、徴兵中に手榴弾を投げなせられたことにより 投手としての生命線である右肩を痛めた。 それにより、徴兵後にプロ野球選手に復帰した時には、 投球法を変えざる得なかったが、それでも 3度目のノーヒット・ノーランを達成した。
しかしまた、沢村栄治選手は昭和16年終盤には 2度目の徴兵をされ、その後昭和18年に プロ野球に復帰したが、徴兵により身体が プロ野球の投手としては機能しなくなり、 昭和19年に巨人軍から解雇され、現役引退となった。
そして、昭和19年10月に 沢村栄治氏は、3度目の徴兵をされることとなり、 フィリピンに向かう輸送船に乗船中の 同年12月2日、鹿児島県の屋久島沖西方沖で 米軍の潜水艦の攻撃により戦死することになった。 享年27歳。
日本プロ野球の初のノーヒット・ノーランを達成した 投手は、戦争により運命を翻弄されることになった。
その後、沢村栄治選手の功績を称え、 彼の背番号14が日本プロ野球史上初の永久欠番となり、 プロ野球のその年度の最優秀投手に贈られる沢村賞が 作られることとなった。
さて、日本のプロ野球選手の ノーヒット・ノーランの記録は 平成26年(2014年)9月25日0時現在、 78名が達成し、そのうち9名が複数回達成、 また、その78名のうち15名が完全試合を達成している。
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