言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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シェワルナゼ氏死去・・・冷戦終結の大功労者の死を知り、国際政治のダイナミズムを感じた私の青春時代を思い出す

今日は、2014年(平成26年)7月10日 木曜日

ある海外の政治家の死去のニュースがあった。
その名はエドアルド・シェワルナゼ氏、享年86歳であった。

1985年、彼が57歳の時、ソ連共産党のトップに立った
ゴルバチョフ書記長のもと外務大臣に就任した。

その後、シェワルナゼ氏は、ゴルバチョフ書記長の
右腕として、冷戦終結の大きな立役者になっていった。

1980年代前半、
1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻を受け、
米ソの対立は厳しさが戻り、核戦争の脅威を欧州の
方々は感じていた。
(ちなみに、そのアフガン侵攻でモスクワオリンピックを
 アメリカなど資本主義陣営の国々は日本も含めボイコットした)

そのようななかの1985年、
米ソの緊張緩和を思考するゴルバチョフ氏がソ連共産党のトップになり、
その外務大臣として、シェワルナゼ氏は、
アメリカとの協調、核軍縮、アフガニスタンからの撤退など
国際協調路線の外交に励む。
そのソ連の米ソ協調に進む外交は新思考外交と呼ばれた。
その新思考外交はやがて、1989年、一気に世界史的大変動を
もたらした。
1989年、ソ連の影響下にあった東欧諸国が
国民の民主化を求める運動の高まりをもたらし、
共産党一党独裁を放棄して、民主化の革命をもたらした。
そして、東西冷戦の象徴であったベルリンの壁の崩壊をもたらし、
その翌年の東西ドイツ統一につながった。

ソ連の外務大臣であったシェワルナゼ氏は、
当時の西ドイツのゲンシャー外相と信頼関係を深め、
ドイツ統一の国際的な環境を整えた。
それで、ドイツでは、シェワルナゼ氏のことを
「ドイツ統一の恩人」と称賛されている。

そのシェワルナゼ氏は1990年、ゴルバチョフ氏の
新思考外交に反発する保守派が強くなるにつて、
「独裁が近づいている」と議場で演説して、
外務大臣を電撃辞任した。

しかし、その翌年の1991年に、
ソ連の大統領になったゴルバチョフ氏を軟禁した
保守派のクーデターが発生すると、
シェワルナゼ氏は、ソ連の最大の構成国であった
ロシア共和国の最高会議ビル(ホワイトハウス)に、
駆け込み、クーデターに抵抗して立てこもっていた
ロシア共和国大統領であったエリツィン氏の支持を
表明し、クリミア半島の別荘に軟禁されていた
ゴルバチョフ氏の救出に奔走した。

クーデターが失敗し、その後、
シェワルナゼ氏が再び、ソ連の外務大臣になるが、
1991年12月のソ連崩壊とともに外相を辞任。

その後、シェワルナゼ氏は、ソ連から独立した
母国のグルジア共和国の大統領になったりした。

このように米ソ冷戦終結という世界史的大変動の
大功労者であったシェワルナゼ氏の死去の報を知り、
いろいろ思ったりする。

米ソ冷戦は、世界的な全面核戦争による人類社会への
大きな脅威を世界の人々に抱かせていたが、
冷戦終結によって、その脅威が取り除かれたのであった。
そう言う意味で、シェワルナゼ氏は
世界平和に大きく貢献したのであった。

米ソの冷戦終結に向かう
1980年代後半は、私は、中学生から高校生のころであった。

1980年代前半の小学生のころ、米ソの緊張の高まりで
いつ核戦争が起こるかもしれないというそのような前提で
映画が作られたりと核戦争への恐怖感が国際社会にあったという
ことを記憶に残している。
それが、1985年に、ゴルバチョフ氏がソ連のトップになり、
その右腕として、シェワルナゼ氏が外務大臣として米ソ協調路線を
歩むことにより、1989年、ベルリンの壁が崩壊して、
一気に米ソ冷戦が終結した。誰もが、20世紀中に
米ソ冷戦が終結するなんて多くの人が想像していなかったのだが、
あれよあれよと世界は劇的に動いていった。

その世界史的大事件を日々、ニュースで見ていた。
当時の私が、徐々に国際政治の強く関心を抱くようになり、
その後、大学進学時に政治学科を志望する大きな要因となった。

シェワルナゼ氏死去の報を知り、
世界史的な国際政治のダイナミズムを
感じた私の青春時代をふと思い出すのであった。


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