言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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6月26日の出来事・・・1968年(昭和43年)6月26日、小笠原諸島がアメリカから日本に返還される・・・小笠原村は日本で最も若々しい自治体である

今日は、2014年(平成26年)6月26日 木曜日

6月26日の出来事で、日本に領土が戻った年があった。
1968年(昭和43年)6月26日(水曜日)、
第2次世界大戦での敗戦で、アメリカ軍施政下にあった
東京都の小笠原諸島が日本に復帰した。

そもそも小笠原諸島は、16世紀の終わりに近い頃
信州深志(松本)の城主であった小笠原長時のひ孫である
小笠原貞頼が開発して、今の地名になっているようである。

この小笠原諸島に住み始めたのは、日本人ではなく、
19世紀のころに、欧米の捕鯨船に巻きや水などの物資を
提供する場所として、小笠原が補給地になり、
その補給の仕事にたずさわる欧米人が住みだしたのである。

やがて、明治になって小笠原は日本領と国際的に認められ、
多くの日本人が住み定住するようになった。

しかし、第2次世界大戦で、アメリカとの戦局が厳しくなってきた
1944年(昭和19年)、小笠原諸島に住む
6886名が、日本本土に強制移住させられた。

硫黄島の戦いなど、アメリカ軍は小笠原諸島を占領し、
終戦後、アメリカ軍の統治が始まり、
1946年(昭和21年)まず、欧米系の島民129名が
小笠原諸島に帰島した。

そして、1952年(昭和27年)に発効した
サンフランシスコ講和条約により、小笠原村の役場が廃止になった。

アメリカ軍の施政下の小笠原諸島は、アメリカ軍基地が設けられ、
帰島した欧米系の島民は軍の基地で働いた。
また、この小笠原の父島には核兵器の貯蔵施設も作られていた。

やがて、小笠原諸島を日本に戻す動きが強まり、
1967年(昭和42年)11月に、
佐藤首相とアメリカのジョンソン大統領との会談で、
小笠原返還について合意された。

そして、1968年(昭和43年)4月5日に、
南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定が
締結され、同年6月26日に、小笠原諸島が日本に返還されることが決まり、
5月22日に国会で承認され、
6月26日に、小笠原諸島の硫黄島で返還式典が行われた。

1944年に日米両軍の死闘が繰り広げられ、アメリカの支配下になった
硫黄島が、日本の領土として戻ったのであった。
アメリカの星条旗から、日本の日の丸に国旗が変えられた。
ただ、その返還式典に参加したのは
自衛隊、アメリカ軍と報道陣と少なかったようだ。

ついに、小笠原が返還さらたことで、
1944年に強制移住させられた日本人も
小笠原に戻ってくることができた。

現在、小笠原村の人口は約2800人、
今の日本では、離島などは少子高齢化が進んでいるところが多いが、
ところがどっこい、小笠原村は
2010年(平成22年)の国勢調査で、
65歳以上の老齢人口割合は、9.2%で
全国の市町村で最も低く、
一方で、15歳から64歳までの生産年齢人口割合は
75.7%と、全国の市町村で最も高い。

日本本土に復帰して以降、徐々に人口を増やしてきた
小笠原村は、若々しい村になっているのである。

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