言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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11月21日の出来事・・・1986年11月21日、伊豆大島三原山大噴火、全島民1万人島外脱出へ

今日は、2013年(平成25年)11月21日 木曜日 

今から27年前の今日の
1986年(昭和61年)11月21日(金曜日)
伊豆大島の三原山が大噴火を起こした。

伊豆大島の三原山は
島の中央にあるが、
その三原山(標高758m)は山頂は
カルデラ内の内輪山と呼ばれる中央火口丘にある。

この中央火口丘は、
江戸時代の安永の大噴火(1777年)に形作られた。

その内輪山と外輪山の間にカルデラが広がっている。

その三原山の山頂の噴火口から
1986年(昭和61年)11月16日17時25分に
35年ぶりの噴火が始まった。

噴火が山頂がある内輪山だけであれば、溶岩流が流れ出しても
外輪山がブロックとなって、大島の人口密集地の元町は安全地帯である。

噴火は続き、
その風景を見に、全国から観光客が殺到した。
観光業が主要産業である伊豆大島では、
これは商売繁盛のチャンスと
大島町の役場では、噴火発生から5日後の
11月21日の午後に、
観光客を噴火口の側に近づけるためどうするかについて
警察と会議が行われていた。

その日、午後、三原山の内輪山の北側にあるカルデラで
頻発に地震が発生するようになった。

これが、次の急展開の事態の予兆ということは
専門家のほとんどが気づかずにいた。

そして、
1986年(昭和61年)11月16日16時15分過ぎ
三原山山頂の北側にあるカルデラ床で
北西-南東方向に突如、地面を切り裂くが如く、
割れ目が発生して、大量のマグマを吹きあがり、
もくもくと噴煙が高く上がり始めた。

ちょうど、役場でのその会議が終わったころであった。

三原山大噴火 噴火直後 
三原山山頂の北側にあるカルデラ床の
割れ目から噴き上がるマグマ

三原山大噴火 爆発の始り
噴煙がもくもくと上がっていく

三原山大噴火 爆発直後レポート
外輪山から、突如の大噴火の始まりをレポートする
報道記者。

三原山大噴火 爆発直後噴煙
さらに噴煙は高く上がり、
大島の中心市街地からもくっきり見え

この伊豆大島三原山大噴火の時、
当時、私は中学1年生であった。

その日は、クラブ活動が休みで、
夕方の4時30分過ぎには
和歌山県御坊市の自宅にいて、テレビを見ていた。

その時、「OH!たけし」という
ビートたけしとたけし軍団の番組の再放送を見ていて、
伊豆大島の三原山の異常を告げる
ニュース速報のテロップが出た。

ただ、私はそのテロップだけでは
実際、三原山がどうなっているかわからず
それまでの危険性のない噴火の報道からの
イメージから外れることはできていなかった。

そして、テレビのチャンネルを変えて
「夕やけニャンニャン」を見始めた。

おにゃん子クラブという今のAKBの
原型となるアイドルが出ていた番組で、

番組のオープニングで、その日の司会の
ちびっこギャングが出てきて、

三原山噴火でつぶれた夕ニャン OP

番組の冒頭、彼らは
「それどころじゃなくて、こんな顔で出てきて
失敗したかな。
三原山が別のところから噴火を始めた」

その後、報道センターと
ヘリコプターから中継で
大噴火が始まっていることがわかった。

その時、報道センターで伝えていた
アナウンサーは

三原山噴火でつぶれた夕ニャン 逸見アナと幸田シャーミン
在りし日の逸見政孝アナと
幸田シャーミンアナである。

この時、逸見アナは、突然の事態に
私服のままで報道センターに入り
その後の18時の定時のニュースになっても
着替える暇がないほど、大噴火報道に
対応して、私服のまま、報道していた。

さて、三原山の大噴火はさらに拡大して、
その日の17時46分、
ついに、外輪山の外側でも噴火が始まったのである。

このころには、16日から噴火していた山頂の火口も含め
山すそに10以上の噴火口ができて、マグマを高く
噴き上げていた。

そして、外輪山の外側の噴火により、大島の中心市街地の
元町地区に向かって、溶岩流が流れ始めた。

三原山大噴火  外輪山の外から
暗闇を空を照らす噴火群

右が、山頂の噴火 真ん中が、カルデラの割れ目火口の噴火
左が、外輪山外側の噴火で、元町に向かって溶岩が流れ出す。

三原山のこれだけの規模の大噴火は
三原山の山頂を形作った
江戸時代の安永の大噴火以来約200年ぶりで
さらに、外輪山の外側の噴火は565年ぶりという
異常事態となり、元町のある伊豆大島の北部の住民は
自衛隊の艦船や民間の東海汽船の客船、
海上保安庁の船、近くの島の漁船などを使って、
大噴火の轟音が響くなか
次々と島外への脱出に動き始めた。

三原山大噴火 役場前からの噴火中継
大噴火の火柱は、中心街の元町からもくっきり見え

三原山大噴火 噴火からの避難
山の火柱を背に、噴火の轟音が響くなか避難


三原山大噴火 地図 溶岩流

元町の港で、避難するため多くの住民が待つ中、
溶岩がだんだん元町に近づきつつあった。

私は、夜7時30分ごろに
通常番組をしていた
フジテレビ系列の関西テレビを見ていると、
ニュース速報で、元町まで溶岩が2kmに近づくと
事態が切迫している状況が伝えられていた。

その後、フジテレビは報道特別番組に変わった。

大噴火の伊豆大島にいた噴火予知連の会長の
「三原山は極めて危険な状態になっている」という
コメントが伝えられる。

そして、大島の到るところで噴火が始まるかもわからない状況に、
大島町合同対策本部
ついに、全島民1万人の島外避難命令を出した。

三原山大噴火 全島避難

さて、元町の港で、脱出のための船を待っていた島民に対して、
迫ってくる溶岩流が来るまで、船に全員乗せることは無理と
大島の南部の波浮港(はぶ)に
バスを使って、1200名が向かい始めた。

ところが、かつて、マグマ水蒸気爆発を起こした場所でもある
波浮港で、突然、海面が変色を始めたという情報が入る。

元町の港は溶岩接近の危機が迫り
波浮港に水蒸気爆発の危機が迫り、万策尽きたかと思われた時、
元町に向かっていた溶岩の流れが弱まり、
波浮港に着いた島民達を再び、元町に戻し、
翌朝までに、誰の命を失うことなく、全島民1万人の島外脱出を
無事終えた。
三原山の噴火は落ち着き、1ヶ月後に島民は島に戻った。

その三原山の大噴火から約27年後の
伊豆大島の元町地区は
2013年(平成25年)10月16日
台風26号にともなう猛烈な豪雨により
土石流が発生し、約40名が死亡・不明の災害が
発生した。
この土石流は、度重なる噴火によりできあがった
地層が影響していたとされている。

「全島1万人 史上最大の脱出作戦」~三原山噴火・13時間のドラマ


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