言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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重い究極の選択・・・横浜・踏切で救助死事故から、もし助けられた人が自殺志願者だったらというコメントから、ある政治学での究極の選択が迫られるエピソードを思い出した

今日は、2013年(平成25年)10月 6日 日曜日 

先日、横浜で、踏切で倒れた老人を助けようとして亡くなった女性の
ニュースがあったが、
もし、これが事実だったら、せつないなあと思うし、
なかなかマスコミでは言いにくいコメントを見つけた。
ただ、投げかけるテーマは、政治思想的、社会思想的に
いろいろ意味あるテーマになるかもしれない。

大石英司の代替空港というメルマガのバックナンバーページに
そのことについて、次のようにコメントしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 たぶん自殺志願者なんだろうけれど、今の日本社会の縮図ですね。年寄りを無
為に生かすために現役世代が犠牲になる。
 やりきれないのは、もし自殺志願者だったら、彼にとって、最悪の結果でしょ
う。死にたかったのに、死ねない所か、わざわざ自分を助けに来た人間が身代わ
りに死んでしまうなんて。
 JRにしても、こういう人からお金を取れるとは思えないし、見舞金は出さな
きゃならないし。
 ドライバーにせよ、歩行者にせよ、踏切に差し掛かる時、この人は助ける、こ
の人は助けない、という自分の中の線引きを確認しつつ踏切を渡らなきゃならな
いかも知れない。

http://melma.com/backnumber_173916_5903966/より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これを見て、
私が、大学生の時の西洋政治思想のゼミに入った。
その時のゼミ案内に載っていたエピソードを思いだした。

Episode

ある飛行機に100人乗っていたが、何かのトラブルで燃料が漏れ出した。
緊急着陸できる空港もまだ遠い。
パワーが落ちてきたため飛行機を軽くする必要にせまられた。
人間以外の不必要な荷物はすべて飛行機から落とした。
しかし、それでも飛行機は重く、100人のうち10人は、
飛んでいる飛行機から落ちてもらわないといけないとなった。
その10人をどのようにして選ぶか?

というエピソードである。(フィクションですよ)

おそらく、このエピソードは、政治による価値判断、資源配分の決定などを
考えさせるものだったと想像するが、
究極の状況に追い込まれたらどうするかといことである。

ふと、思い出したのは、
1977年(昭和52年)
ダッカ日航機ハイジャック事件である。

日航機が日本赤軍によりハイジャックされ、
バングラデシュのダッカに着陸した。
日本赤軍の要求は、日本で服役および拘留中の
日本赤軍のメンバーの釈放と身代金を要求、
要求が実現されなければ、人質の殺害、
特にアメリカ人人質を先に殺害すると通告。

これは、犯人の要求を呑まなければ
人質が殺害される。
ただ、要求を受け入れると、日本はテロに屈する国だとして
再び、日本関係を標的にしたテロが誘発されるという事態になった。

この事件の3年前の1974年、日本赤軍が
オランダのハーグで、
フランス大使館占拠事件で、
フランス政府にフランスで拘留中の日本赤軍のメンバーの
解放を要求して、その要求を行け入れさせる事件があった。

これぞ、政治で求められる厳しい決断の場面である。
新たなテロの誘発を防ぐために、人質を犠牲にするか、
人質の犠牲を防ぐために、新たなテロの誘発のリスクを覚悟して
犯人の要求を受け入れるか。

ダッカ空港のハイジャックの解決策として、
海外で、実行犯を制圧することが難しかった
日本政府として、、
当時の福田赳夫内閣総理大臣は
「一人の生命は地球より重い」と語り、
日本赤軍の要求を受け入れ、超法規的処置で
服役および拘留中の日本赤軍のメンバーを釈放した。

この時、国際社会から、日本はテロに屈したとか
日本はテレビだけでなくテロも輸出するのかと批判を浴びた。

ダッカ事件から、19年後の
1996年12月、ペルーの首都リマで
日本大使公邸占拠事件が発生する。
ネストル・セルパをリーダーとする
トゥパク・アマル革命運動のメンバーが
日本大使公邸を占拠。
その時、天皇誕生日を祝うパーティが開催されていて
約600名が人質になった。

セルパは、
逮捕、拘留されているトゥパク・アマル革命運動のメンバーの釈放を
当時のペルーのフジモリ政権に要求した。

一説には、ネストル・セルパはダッカ事件での
日本政府の対応を知っており、日本が関係する
ところで、人質を大量にとれば、要求が実現するかもしれない
と考えたとも言われている。

多くの人質は解放されたが、
最終的には、
ペルー政府要人や軍人、日本大使館員や日本企業のペルー駐在員ら
約70名が人質として残された。

日本政府の当時の
橋本龍太郎内閣総理大臣は
人命最優先に考え
ペルー政府に、武力行使を避け、平和的解決を要望した。
最終的には、フジモリ大統領はタイミングを見計らって
武力行使を決断した。
日本人人質は全員救出されたが、
ペルー人の人質1名が亡くなった。

この時は、犯人グループが1カ所に集中していた
という強行突入の絶妙なタイミングがあったこともあり
少ない犠牲でほぼ成功したが、条件が悪ければ
多くの人命が失われた可能性もあった。

政治が何かを決定する時、
このような厳しくて難しい決定を迫られることがある。

そんなことを
横浜での、40代の女性が自らの命を顧みず
電車が迫る踏切で、横になっていた老人を助けた
事を受けての大石英司氏のコメントを見て
ふと思い出した。


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2007年4月23日の記事
4月23日 ペルー日本大使公邸強行突入 ~ 銃弾に砕かれた少年少女の夢・命を救った誉め言葉


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