言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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9月13日の出来事・・・1912年9月13日、乃木希典大将、明治天皇大喪の日に、殉死・・・夏目漱石の「こころ」の先生は、明治の精神に殉死する

今日は、2013年(平成25年) 9月13日 金曜日 

今から101年前の今日の1912年(大正元年)9月13日(金曜日)
明治天皇の大喪の日、その夜
日露戦争などで名を馳せた乃木希典大将が殉死した。

乃木希典は日露戦争の活躍で、英雄として祭り上げられ
また、日露戦争の旅順陥落で敗北したロシア軍の
ステッセリ将軍との会見で、
敗れた彼の名誉を重んじる態度を取ったことから
世界的から称賛を得ていた。

その乃木希典は、明治天皇の葬儀である大喪の日の
夜に妻の静子とともに自刃した。

乃木大将の遺書のなかで、
1877年(明治10年)の西南戦争で、
明治天皇から拝領した軍旗を敵に取られて負け戦をしてしまい、
以来三十五年の間、
そのことを申し訳なく思い
いつか死のうと思い続けてきた
という主旨のことを書いていた。

実際、その負け戦の後、乃木大将は自殺を図ろうとして、
止められたりしている。

そして、日露戦争の後、
乃木大将は明治天皇の御前にて
自国の兵の多くの命を失わせてしまったことに
責任を感じて、割腹して自ら命を断つことを
申し出るが、
明治天皇は、乃木希典大将に
今は死ぬ時ではない
もし、死ぬのであれば、自分が死んだ後にせよ
と述べたとされる。

そして、明治天皇の大喪が行われた日の夜に
乃木希典大将は、自宅において、
明治天皇の御真影の下に正座して、
日本刀で、まず十文字に割腹して、
そして、妻の静子が自害する様子を見届け、
その後、剣先を前頸部に当てて、気道、食道を
突き刺し、絶命していった。

乃木希典大将は

うつし世を神さりましし大君のみあとしたひて我はゆくなり

辞世の歌を残している。


その乃木大将の死は、明治という時代に殉じたと
理解され、
それは、小説家夏目漱石に影響を及ぼし、
そして、夏目漱石は「こころ」を執筆した。

「こころ」の中で、乃木希典大将が西南戦争での
失態から死ぬことを35年も考え続けてきたことについて
「こころ」の主人公が慕っている先生が

西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。
乃木さんはこの三十五年間死のう死のうと思って、
死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、
生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、
何方が苦しいだろうと考えました。


と、その心境を語る。

「こころ」の先生は、
青年期のころ、友人Kが恋心を抱く女性を
Kが恋心を抱いているのを打ち明けられながら、
自分もその女性を欲して、結婚してしまう。
その後、Kが自殺してしまう。
Kの遺書にはそのことはふれられていなかったが、
そのことを罪悪感を抱きながら生き続けてきた
先生は、遺書の中に、明治天皇の死を受けて、

夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に
始まって天皇に終わったような気がしました。最も強く命じの影響を
受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという
感じが烈しく私の胸を撃ちました。私はあからさまに妻にそう云いました。
妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然渡しに、
では殉死でもしたらよかろうとからかいました


と思ったことを書きつづった。

明治になって、西洋からの個人主義が日本に流れ込んできて、
明治が終わり、時代は大正となり、より
個人主義が重んじられ、それを重んじる立場からすれば、
先生が、Kが恋心を抱いていた女性を結婚することは別に
非難されたりするようなことでもない
ただ、「明治の精神」(封建道徳)に照らし合わせば、
先生はその行為はやはり許されざることで、罪悪感を抱きつづけてきた。

そして、明治天皇崩御とともに、自分は時代遅れだと感じ、
そして、明治天皇の大喪の日に、乃木大将が殉じたことを知り、
主人公にあてた遺書の中で、

私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き遺して行ったものを読みました。
西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、
つい今日まで生きてきたという意味の句を見た時、
私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて
来た年月を勘定してみました。
西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離が
あります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうを思って、
死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人にとって、
生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、
どっちが苦しいだろうと考えました


そして、先生は、
乃木大将が明治天皇に殉死したことに触発され、
明治の精神に殉死し、明治の精神が持つゆえに
罪悪感に苦しんだ人生に幕を終えた。

そのように「こころ」を理解されるむきもある。

私は、高校時代に教科書に載っていた「こころ」は
読書感想文の主題に科されたりしたが、
その時は、「こころ」のことはよく理解できなかったが、
乃木希典大将が明治に殉死した101年前の9月13日を
2013年9月13に、101年前と同じ9月13日の金曜日に
乃木希典と、「こころ」の先生が重んじた明治の精神に
いろいろをものを思うのであった。


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この記事に対するコメント

久保剛史です。
わかりやすいですね!
また見に来ます。
【2013/09/13 12:15】 URL | 久保剛史 #a8ztEA4s[ 編集]

このコメントは管理者の承認待ちです
【2013/09/14 10:38】 | #[ 編集]


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