言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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福島原発の吉田元所長の病死のニュースを聞いて・・・所長就任前のある思い込みと事故後の命がけの陣頭指揮

今日は、2013年(平成25年) 7月 10日 水曜日 

東京電力福島第一原子力発電所の事故当時の所長であった
吉田昌郎さんが、昨日、食道がんで永眠した。

吉田元所長は、2011年3月11日の
巨大地震と巨大津波で、原子炉が次々とメルトダウンする中
死ぬことを覚悟して、事故対応に当たった。

その吉田元所長、命がけで事故拡大を防ごうとした
ことの背景のひとつに所長になる前の
役職に就いていた時の、ある判断があったのだろうか?

吉田元所長が、所長になる前の役職の時、
社内で福島原発の津波想定よりもより高い津波が来襲する
おそれがあるという研究結果が出た時、
吉田元所長らは、「そんなことありえるのだろか」と
思ったようで、念のため、外部の識者に聞いてみようとした
という情報を目にした記憶がある。
その後、外部の識者に聞いたかどうかわからないが、
結果的に、その研究結果が活かされることなく
あの巨大津波によって、全交流電源喪失となり
メルトダウンを招くこととなった。
ただ、津波がなくても、あの地震の揺れだけでも
冷却機能を喪失する事態になっていたかもしれない。

2011年3月11日の巨大地震と巨大津波で
冷却機能を喪失して、次々とメルトダウンの危機が
迫る中、吉田元所長は、命をかけて事故拡大阻止に
奮闘した。

事故対応で、いろいろドラマがあった。
当時の菅首相が、専門家の意見を誤解してしまって、
原子炉への海水注入を中断するようにと指示が出て、
それを東電本社が、そうするように吉田所長に指示が
出た時、普通では考えられないような指示に吉田所長は
海水を投入しないと冷却できずにいっそう危険になると
考えた。
東電本社とのテレビ中継で、吉田所長の指示が映る状態に
なっている中、
吉田所長が、耳元で部下に
海水注入を停止する指示を出す振りをふるが、そのまま海水注入を
継ぐけるように指示を出した。

冷却機能が喪失して、奮闘しても事故の拡大は進み
1号機のメルトダウンと建屋の水素爆発
3号機のメルトダウンと建屋の水素爆発(小規模の核爆発説がある)
そして、2011年3月15日の夜、
シミレーション結果で、2号機の格納容器が爆発すると、
放射能が一気に現場に致死量を超えるように吹き出てくる
危険性が出てきた。

その時、吉田所長は死を覚悟したとも言われる。
その2号機の危機が迫る中、
部下達に次のように語った

「皆さん今までいろいろありがとう。努力したけど状況はあまり良くない。
皆さんがここから出ることは止めません」

このままでは、部下達は死んでしまうと思って、そのような
言葉を発したのだろう。部下達が出て行っても
自分は残って、現場で死ぬつもりでいたように思える。

2号機は、16日の朝に、格納容器の下部の圧力抑制室で
何らかの破損が発生したと思われ、そこから大量の放射性物質が
出てしまい、福島県浜通り地域で今も居住不能の地域を
作ってしまった。

ただ、あの時、もし、現場に人が残らず、全員退避していたら、
さらに使用済み核燃料プールの水が空になってしまって、
さらに大量の放射性物質がばらまかれることになり、
当時の菅首相が「東日本がダメになる」と言ったような事態に
なっていた恐れがあった。
吉田元所長は、現場で奮闘しなければ、
史上最悪の原子力事故であったチェルノブイリ事故の10倍
の規模になっていただろうと語ったようだ。
もしそうなっていれば、本当に、東日本の多くの地域で
人が住めなくなり、東京も危うくなっていたかもしれない。

そう言う意味では、
まさに、原発事故を招いた東日本大震災は
戦後日本の最大の危機であった。

ただ、
吉田元所長が、もし、所長になる前の
津波リスクの研究を思いこみなく受け入れて
対策を取っていたら、東日本喪失リスクを招くような
そして、自らの生命の危機を招くような
原発事故はなかったかもしれない。

一方で、実際、地震と津波で冷却機能が喪失して
次々と原子炉がメルトダウンして、さらに
使用済み核燃料プールからの更なる大量の放射性物質の
放出の危機が迫る中、
命をかけて、吉田所長は陣頭指揮を取った。
現場で吉田所長の指示を受けて動いた方々は
福島県の地元出身の方々で、
吉田所長だからついていけたという要素もあったようだ。
実際、危機が発生した中、
吉田元所長が現場に残って陣頭指揮をとり、
東日本喪失の危機を命をかけて防いだことは
歴史に残ることだと思う。


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テーマ:原発事故 - ジャンル:ニュース


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