言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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あるトルコ人元パイロットの死去・・・1985年、イランにて、撃墜の危機が迫る中、日本人のために航空便を操縦したトルコ人機長

今日は、2013年(平成25年) 3月 3日 日曜日 

昨日、
あるトルコ人元パイロットの死去が報道されていた。
その方の名は、オルハン・スヨルジュさん(享年87歳)。

オルハン・スヨルジュさんは
トルコ航空の元機長で
1985年、イラン・イラク戦争の最中
撃墜の危機が迫る中、イランの首都テヘランに
取り残された日本人を救出するためのフライトを
行ってくれた方である。

1980年に始まったイラン・イラク戦争が
終わらない中、
1985年には首都テヘランにも
イラク空軍による空襲が行われるようになってきた。

当時テヘランには450名の日本人がいたが、
テヘランの日本大使館は
日本人に「イランを出国するように」という
緊急勧告を出したが、日本本国からの
飛行機が飛んで来ないのであった。
当時、日本とイランの間に航空便がなく、
外国の航空便に頼らずえなかったが、
例えば、ドイツ航空に頼むと
「ドイツ人優先」ということで断られた。

そのようなの3月17日
イラクのサダムフセイン大統領が

「イラン領空を飛ぶ民間機を撃墜する」と宣言。
その期限は3月19日の夜8時30分であった。

日本人たちは陸路での脱出を検討したが、
隣国までは約800km、20時間はかかり、
山賊に襲われる日本人がいたこともあり
治安が悪いということで陸路の脱出は断念。

そこで、テヘランの日本大使館は
日本本国に、救援用の特別便を派遣を要請したが、
日本航空は、
イラン・イラク両国から安全保証を取り付けなければ、
飛ばせないという返事であった。
そのようなことをサダムフセイン大統領が
受け入れることは考えられなかった。

そこで、他国の航空便の空席に日本人を
少しずつなんとか割り振ってもらったが、
あと、215人が残された。

そこで、テヘランの日本大使館の野村大使は
友人のテヘランのトルコ大使館のビルセル大使に
相談した。
友人の野村大使の苦悩を見たビルセル大使は
トルコ本国に
「日本人のためにトルコ航空の特別便を飛ばせないか」
と要請した。
その要請に、当時のトルコの首相のオザル氏は
日本人のためにトルコ人の生命を危機に晒すことは
難しいと考えたが、
その時、ある1本の電話が入る。
その電話の主は、
伊藤忠商事のトルコ駐在員の森永氏。

森永氏は、その10年前に
トルコ経済が破たんした中、
なかなか工業輸出品がなく困っていた時、
まだ首相になる前の経済官僚出身のオザル氏に会い
トラクターの生産を提案。
日本の農業機械メーカーから技術協力を取り、
メイドイントルコのトラクターの輸出にも成功した。

その森永氏からオザル首相に対して
「飛行機を出してください」と懇願した。

タイムリミットが25時間半と迫る中、
オザル首相は、日本人救出のための特別便として
トルコ航空機を2機をテヘランに派遣することを決断した。

その特別便のうちの1機の機長が
オルハン・スヨルジュさんであった。
オルハン・スヨルジュ機長は
最新の情報を入れながら、どのルートを飛ぶべきか、
安全面を考慮しながら
危険なイラクを避け、北に大きく迂回し、カスピ海を南下し、
テヘラン空港、
3月19日の午後3時ごろに到着し、日本人を乗せた。
そして、タイムリミットまで3時間30分と迫るなか
2時間後の午後5時10分にテヘラン空港を離陸。

そして、タイムリミットまで2時間を切った頃
オルハン・スヨルジュ機長は機内アナンスで

 Welcome to Turkey.

(ようこそ、トルコへ)


と、伝えると、機内は、拍手歓声に包まれた。

そのようにして、日本人達は
戦争による生命の危機から逃れることができた。

そのオルハン・スヨルジュさんの貢献に対して、
2006年、日本政府は旭日小綬章を授与している。

そのように身の危険を呈して
行動してくれたオルハン・スヨルジュさんが
先月24日にお亡くなりになった。

このことは多くの日本人に知っておいて
欲しいと思う。

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