言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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10月11日のできごと・・・1972年10月11日、ホンダが米国マスキー法(厳しい排ガス規制)を世界で初めてクリアするCVCCエンジンの完成を発表・・・名創業者と若手技術者の対立と克服の物語

今日は、2012年(平成24年)10月11日 木曜日

今から40年前の今日の1972年(昭和47年)10月11日
世界一厳しい排気ガス規制で、
それに合格することは、
どのメーカーも不可能と言われた
米国のマスキー法を初めてクリアする
自動車のエンジンを本田技研工業が発表した。

そのエンジンは
CVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)と呼ばれる
ものである。

1970年、アメリカ議会で
アメリカの民主党のマスキー上院議員が提案した排気ガス規制である
通称「マスキー法」が成立した。

マスキー法は1975年からガソリン自動車が排出する
一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物を当時の排出量の
10分の1までに削減することという
当時の自動車メーカーにとっては不可能とも思われる厳しい内容で、
日米のスポーツカーメーカーが姿を消した程であった。

それに挑戦したのは、四輪自動車メーカーとしては
後発であった本田技研工業であった。

本田技研工業はF1レース参戦の経験で得た技術を駆使し、
マスキー法をクリアする低公害エンジンの開発にとりかかる。

このマスキー法をクリアする低公害エンジンの開発にあたり、
本田技研工業の創設者であり、当時社長でもあった
本田宗一郎と若手技術開発者たちの間で開発方針をめぐって
対立が起きる。

本田宗一郎は空冷方式(空気でエンジンを冷やす方式)を
若手技術開発者は水冷(水でエンジンを冷やす方式)を主張。
時間との競争で一刻も早く決める必要があり、
水冷ならできると若手技術開発者たちは考えていた。

その間を調整したのは副社長の藤沢武夫であった。
本田技研工業は創業まもないころから
技術開発は本田宗一郎、経営マネジメント全般は藤沢武夫が
役割分担して、お互いの役割の分野は干渉しないという
ことであったが、藤沢武夫は、本田宗一郎に水冷を主張する
若手技術開発者に伝えた。

この時の様子を、藤沢武夫の著書「経営におわりはない」で
次のように書いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京に戻ると、私は本田にこの技術者たちの意見を伝えました。

「いや、空冷でも同じことだ。できないことはないよ。
あんたに説明してもわからんだろうけど」

本田宗一郎は信念の人であり、それが技術にかけてなおさらですから、
その考えを変えさせるのは並大抵ではできないと思った私は、

「あなたは本田技研の社長としての道をとるのか、
それとも技術者として本田技研にいるべきだと考えるのか、
どちらかを選ぶべきではないでしょうか」

といった。

彼はしばらく黙っていましたが、
「はやり、おれは社長としているべきだろうね」
と答えました。

「水冷でやらせるんですね?」

「そうしようそれが良い」

結局、心から賛成してくれました。次の日、本田は研究所の幹部を
集めて、みなの希望をたしかめたうえで、水冷で研究するように
指示したのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

副社長である藤沢武夫の問いかけにより
本田宗一郎は若手技術者たちの意向をくみ取り
水冷エンジンによる
マスキー法をクリアする低公害エンジンの開発に力を注ぐ。

また、本田宗一郎と若手技術者たちの間で
この開発にかける思いの違いが出てくる。

本田宗一郎は
マスキー法をクリアする低公害エンジンの開発で
自動車としては後発メーカーのホンダが
アメリカの大手自動車メーカーの
ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)に
並ぶ千載一遇のチャンスだと現場にはっぱをかけつづけた。

一方、若手技術者たちは
当時、深刻な公害問題が発生していた日本で
排ガスなどの大気汚染による光化学スモッグが子供たちを襲い
「どうすれば有害な排気ガスを少なくできるのか。」との思いを
抱いていた。そのように思いを抱いていた若手技術者は
本田宗一郎の
「アメリカの大手自動車メーカーのビッグ3に並ぶチャンス」
という発言に、
「社長はいつもは、社会のためにやれ」とか言っているのに何か違う
と違和感や疑問を感じていた。

その後、専務の河島がエレベータで本田宗一郎と乗り合わせた時
若手技術者たちのその気持ちを率直に伝えた。宗一郎は一瞬驚いた。
そして、その日を境にして、本田宗一郎は
開発プロジェクトから自ら足を遠ざけていった。

そして、若手技術者が中心となって、開発を進め、
1972年(昭和47年)10月11日、
赤坂プリンスホテルで、
米国のマスキー法をクリアするエンジンである
CVCCエンジンの完成を発表。
すぐに大きな反響を呼び、
また、本田宗一郎は公害対策技術は公開するという方針を厳命し、
その年の12月にはトヨタへの技術供与の調印され、
その後、フォード、クライスラー、いすゞへの技術供与されることになる。

CVCCエンジンの開発を発表の翌年の
1973年(昭和48年)、
CVCCエンジン開発方針で
対立した本田宗一郎と若手技術者の間と調整し、
ホンダを本田宗一郎とともに二人三脚で
世界のホンダに育ててきた
藤沢武夫が副社長辞任の意を漏らすと、
本田宗一郎は
「二人いっしょだよ、おれもだよ」
と社長退任を決める。

そして、本田宗一郎が社長退任のあいさつで
CVCCエンジンの開発でのことについて語り

「CVCC開発に際して、私は、ビッグ3と並ぶ絶好の
チャンスだと言った。その時、若い人たちから自分達は、
会社のためではなく、社会のためにやっているのだと
反発された。
いつの間にか私の発想は、企業本位に立ったものになってしまっていた。
若いということは、何と素晴らしいことか。皆がどんどん育ってきている。」

という言葉を残した。

CVCCの開発リーダーであった久米是志は
1983年(昭和58年)に本田技研工業の3代目社長に就任し、
1990年(平成2年)まで社長を務めた。

2003年3月、米国の自動車技術者協会は
20世紀に開発された全世界の自動車の中から、
11台の「20世紀の優秀技術車」を発表したが、
日本メーカーからの車種からただひとつ
CVCCエンジンを搭載したホンダシビックが
選ばれている。


CVCC開発を特集した
NHK「プロジェクトX」第5回目放送分
(2000年4月25日放送)


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