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猛火に包まれた東京〜東京大空襲

1945年3月10日
この日、東京の下町はアメリカ軍による大空襲を受け
凄惨な地獄絵の如くの状況になった。


1945年3月9日22時30分
東京上空に米軍機2機が飛来し、警戒態勢をとるが
その2機は爆撃も何もせず、。警戒態勢は解く。
しかし、これは陽動作戦だった。
327機のB−29の大編隊が
レーダーに捕捉されない低空を飛んで、
東京に向けて接近していたのであった。


そして
疎開先から小学校の卒業式のために
東京に戻っていた児童も含め、多くの人々が
寝静まった
1945年3月10日0時7分
米軍のB−29の大編隊東京の下町に
高度2000mの低空で侵入し
「夜間低高度無差別爆撃」を開始。

米軍は、M69という焼夷弾の大量投下を始める。
これは、日本の木造家屋を想定した作られたものであった。

Mー69は、筒の内部にグリセリンなどを
ガソリンと混合してゼリー状にした油脂が詰められていて
着弾すると火の塊が飛び散るようにして、家屋を燃えやすくした。

B−29は各機24発のMー69を搭載
そして、1発のMー69には38発の子爆弾が内蔵されていた。
つまり1機あたり924発の子爆弾があった。

最初に目標地域の周囲を取り囲むように焼夷弾を投下し、
逃げ道をふさいだ。そして、2時間半にわたる空襲で
合計では約30万発、1700トンの焼夷弾が投下された。

東京の下町は火の海になり、昼間のような明るさになり
遠くは神奈川県から真っ赤な空が見えたという。

火の海となった東京下町は凄惨な地獄絵図と化した。
火炎は風に煽られて燃え広がった。また火災によって
ますます風は強く吹き荒れた。風速40m/秒にも
なったという。

激しく吹き荒れる猛火の中、人々は逃げ惑った。
多くの人は、防空壕に避難した。
各家屋や道路や公園にある防空壕に避難する多くの方が
いたが、その入り口を畳や戸板で塞いだだけのものに過ぎず
猛火は、容赦なく中に避難した人々ごと防空壕を焼き尽くしていった。

また、鉄筋コンクリートの小学校などに避難する方々もいたが
風速40m/秒の猛火が、窓を突き破り、
建物の内側に避難した方々を焼き尽くした。
また、その時、あまりの猛火でプールに飛び込む人が多かったが
先に飛び込んだ人の上にさらに人が乗り、圧死や溺死する人もいた。
プールの中に飛び込むが、火が来るため、プールの水の中に
頭を沈めては、息をするため、頭を出すということをする人もいた。

そして、川や運河、橋に逃げた人々がいたが、
猛火が橋上を走り、橋の上で焼け死ぬ人、
川に飛び込むが、あまりに人が上から飛び込んでくるため
圧死や溺死する人、まだ、水が冷たいため、凍死する人もいた。

東京の3分の1に相当する約40Km2が焼き尽くされ
約10万人が死亡(警視庁調査では死者83793人)した。

この東京大空襲を指揮したのは、カーチス・ルメイ米司令官である。
彼は、欧州戦線での空襲を指揮していた。
それまでは、アメリカは絨毯爆撃ではなく、今でいう
ピンポイント爆撃にって、民間施設への爆撃をしないという
ある軍人の考えによって、ピンポイント爆撃の実験をしていたが
それができなかったため、絨毯無差別爆撃に変更し、
カーチス・ルメイが日本への絨毯爆撃をすることとなった。
民間施設への無差別爆撃は国際法違反だが、

ルメイ司令官は、

「私は日本の民間人を殺したのではなく軍需工場を破壊した。日本の都市の民家は全て軍需工場で、ある家ではボルト、隣の家ではナット、向かいの家ではワッシャーを作っていた。全ての民家が我々を攻撃する為の武器生産工場になっていた。それを破壊して何が悪い。」

と言ったという、しかしその一方で後年、彼は、
「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸いにも私は勝者の方に属していた。」
と述べている。
また、カーチス・ルメイ司令官の下で
焼夷弾爆撃作戦計画立案に当たった
ロバート・マクナマラも同様のことを述べている。


このカーチス・ルメイとロバート・マクナマラは
1962年10月、アメリカのホワイトハウスで
ケネディ大統領とともに世界の命運を左右する会議をしていた。
それは、キューバ危機の時である。
この時、ロバート・マクナマラは国防長官である。
ルメイは、キューバへの空爆強行を主張していた。
もし、ルメイの主張通り、キューバ空爆が強行されたら
世界は全面核戦争になっていたかもしれない。

ちなみに、東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイに対して
1964年日本政府は、航空自衛隊の育成に貢献”として勲一等旭日大綬章を贈呈している。


東京大空襲は、広島・長崎の原爆投下と同じくらいの悲劇だったと
思うが、それを知る若い世代が少ないと思う。

東京大空襲で犠牲になった親子の写真がある

この親子はどんな思いを抱きながら、
最後を遂げたのだろうか?

テーマ:今日は何の日!? - ジャンル:ニュース


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