言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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かつての同級生の訃報(享年43歳)を知り・・・ほぼ思い出すこともなくなってしまった方々と時間を共有できたことに謝意を抱く

今日は、2017年(平成29年) 5月24日 水曜日

昨日、故郷の実家の母から
LINEで、私のかつての同級生が
享年43歳で他界した知らせが届いた。
それを知り、故郷の友人にLINEから
他界した彼は食道癌で亡くなったようである。

また、もうながらく、
その彼のことを思い出すことはなかったが、
いざ、訃報を知ると、

その彼とは小学生の時に、
同じ地域だったということもあり、
地域の子ども会の行事で一緒にいたり、
また、1回、彼の家に遊びに行ったこともあったりと
彼とともに過ごした脳内に保存されていた
記憶が次々と蘇ってきた。

それは、今から約30年から35年前くらいの時である。
そのときは、私ももちろん本人も
43歳で人生が終える運命だったとは
全く想像さえできなかっただろう。

彼の訃報を知り、
ほぼ思い出すことがなくなっていた人たちとの
交わり、時間を共有できてきたことのありがたみを
思うのである。

そのように、私が小さきころに
時間をともにしていただいた享年43歳で他界した
彼に謝意の気持ちを抱く。


このブログ内の関連記事

以下のリンク記事は、直接、亡くなった彼とは関係ないですが、
その記事中の

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時7歳の小学生1年生の私はこの時の午後3時前か4時前かのニュースを
仙台から遠く離れた和歌山県御坊市で、
友人宅で見ていた記憶がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

の「友人宅」とは、43歳で亡くなった彼の自宅のことです。

大嵐のホワイトクリスマス・・・・1980年(昭和55年)12月24日 仙台

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テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


人生の因果の不思議さ・・・日常の何気ない出来事のそもそものきっかけは10年以上前の大きな出来事であったり、自分以外の誰かが存在していることに由来したりする

今日は、2017年(平成29年) 5月22日 月曜日

一昨日、午前中
約2ヶ月に1回行く散髪のため
西宮市の自宅から大阪市東淀川区上新庄に
行った。

散髪に行くまでに、
上新庄駅前のミスタードーナッツで、
土曜日の朝に8時05分から
NHKラジオ第一で放送される
耳で聴く短編小説ラジオ文芸館を
聴くのが慣わしとなっている。

一昨日は帚木 蓬生(ははきぎ・ほうせい)作の
「かがやく」であった。
これは、2015年9月5日放送のアンコール放送であった。
私もこれを聴くのは2回目であったが、
前回放送されたその日は、一昨日と同じく、
散髪前に
上新庄駅前のミスタードーナッツで
過ごしていて、「かがやく」を聴いていたのだ。

2回とも同じ場所でそれを聴くことになったのだ。

ふと、そのような何気ない約2年またぎの出来事が
私の日常のひとコマに生じたのかと振り返ると、

そのきっかけは、22年前の
平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災により
西宮市の下宿屋が居住不能となり、
また、西宮市内は大地震でライフラインが機能停止して、
どこかに引越しを余儀なくされたことにある。

さて、どうして大阪市の上新庄にしたのか。
それは、私の兄が大学生の時に、
上新庄に下宿していていて、その時は、
兄は既に卒業していて、上新庄にいなかったが、
ふと大阪で引越し先として思い浮かぶのは
かつて兄が過ごしていた上新庄であったのだ。

また、その時、親しくしていただいた男性が
上新庄に居住していて、引越し先探しと
保証金の立替えをしてもらったりした。

そこで、上新庄の住むこととなり、
そこで通い始めた美容室にて、
平成8年10月に上新庄を離れて、
西宮に戻っても22年、
その上新庄の美容室に散髪のため
通っている。

2ヶ月に1度行く、
上新庄のミスタードーナッツにて、
ラジオ文芸館の同じ短編小説を
平成27年5月20日に聴くという
何気ない光景は、
阪神淡路大震災という22年前の出来事と
私の兄がたまたまかつて上新庄に下宿
していたことに由来している。
何気ない日常の光景が、
10年以上前の何かの大きな出来事や
自分の以外の誰かが存在していることが
もともとのきっかけになっているという
因果の不思議さを感じるのである。


ちなみに一昨日聴いた「かがやく」について、前回聴いた時にブログで紹介しています。
「かがやく」(帚木蓬生 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・人間は自分が得意として輝いている時のことに関心を持ってもらえることに喜びを感じるのだ

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私が上新庄で通う美容室は、ある有名お笑い芸人がかつてアルバイトをしていた店です。
大阪市上新庄の美容室にて、「オカムラ君、店にこの前来たよ」という店主の発言を耳にして・・・えっ、あの有名人が?

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


ポピー(ヒゲナシ)の花言葉と別名に、東西の古(いにしえ)の物語がつきまとう・・・花言葉は「癒し・なぐさめ」、別名は「虞美人草」

今日は、2017年(平成29年) 5月21日 日曜日

5月に街中の民家の道沿いの花壇に、
ポピーの花が咲いている光景が見られる。

虞美人草  ポピー 20170516_110811

ポピーの和名には、
「雛芥子(ヒゲナシ)」、または「虞美人草(グビジンソウ)」
という名がある。

ポピーは欧州原産のキンポウゲ目ケシ科ケシ属の一年草で、
日本には江戸時代に渡来した。

ポピーの学名は、
Papaver rhoeas(ペパベール) である。

Papaverとは、
ラテン語の「papa(粥)」が語源である。
ケシ属の乳汁に催眠作用があり、
その乳汁をお粥(おかゆ)に混ぜ、
子供を寝かしたに由来して、
その学名が付けられた。

さて、このポピーの花には、
東西の古(いにしえ)の物語がつきまとう。

まず、西洋の古代ギリシア神話と
ポピーにまつわる物語である。

ギリシア神話に、豊穣の女神デメテルがいる。

デメテルは全知全能の神であるゼウスの姉であるが、
ゼウスが無理やりデメテルに迫って、彼との間に
娘のペルセポネーを授かることとなった。

ある日、豊穣の女神デメテルはとても心を痛めていた。
それは、愛娘のペルセポネーが行方不明になったからだ。

デメテルは事情通の
月の女神アルテミスの従姉妹である
ヘカテーにペルセポネーの行方について尋ねてみた。

すると、ヘカテーは
死後の世界の冥府の神であるハデスが
ペルセポネーを連れ去ったと豊穣の女神デメテルに
告げる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、恋愛と金星の女神であるアフロディーテ(=ローマ神話のヴィーナスに相当)
の謀略だとされている。アフロディーテら恋愛神を疎んだペルセポネーに対する報復として、
ハデスがペルセポネーに恋に落ちるようにアフロディーテの息子であるエロースから
目の前に映る女性に恋をしてしまう矢を射られしまい、その時、目に映ったのが
ペルセポネーであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ただ、豊穣の女神デメテルは同じゼウス兄弟であるハデスは
荒々しい他の兄弟達と違って、優しいので、そのようなことを
することに疑問を抱いた。

そこで、豊穣の女神デメテルは、
地上の事は何でも知っていると言われた
太陽神ヘーリオスに聴いてみた。

すると、ペルセポネーを惚れてしまったハデスが
ペルセポネーの父であるゼウスに彼女への求婚の承諾を依頼して、
母親であるデメテルに相談することなく認めてしまったというのだ。

太陽神ヘーリオスからその経緯を聴いた
豊穣の女神デメテルにゼウスに猛抗議をするが、
「冥界の王であるハーデースならば夫として不釣合いではないだろう」
とゼウスは悪びれもせず言い訳した。
それにデメテルは激怒する。
そのような愛娘ペルセポネーの失踪事件に、
夫のゼウスも関わっていたことを知った
豊穣の女神デメテルは深く傷心した。

その傷心を抱いたままデメテルは食事もとらず一睡もせず
ペルセポネーを探し回る。
彼女は娘のペルセポネーを探すため
地上の世界に降りた。
その間、豊穣の女神デメテルが天上界に
いなくなったため地上は大飢饉がもたらされた。

ペルセポネーを失い悲しみにくれながら愛娘を
探し続け、一睡もできないいる
豊穣の女神デメテルを癒そうと眠りの神ヒュプノスは
睡眠効果のあるポピーの実をデメテルい与えた。
それを口にしたデメテルは眠りに就くことができた。

その神話に由来して、ポピーの花言葉に「癒し・なぐさめ」という
花言葉が付けられたという。

ちなみに、豊穣の女神デメテルはペルセポネーを取り戻すことができて、
地上の大飢饉もなくなり、地は再び豊穣と実りを取り戻したという。

さて、ポピーのにまつわる東洋の古(いにしえ)の物語は
古代中国の紀元前202年に天下をかけた英雄の最終決戦である
垓下の戦い(がいかのたたかい)である。

古代中国の天下統一を初めて成した秦帝国が滅亡した後、
次の天下の覇者を目指して、
楚軍を率いる項羽と漢軍を率いる劉邦(のちの漢帝国初代皇帝)との間で
楚漢戦争(項羽と劉邦の戦い)繰り広げられたが、
いよいよ最終決着を迎える時が来た。

そして、垓下(がいか)にて、
項羽の楚軍は四方を劉邦の漢軍に包囲された。

項羽は四面四方を包囲する漢軍から夜中、楚歌の大合唱が
聞こえ、項羽は最期を悟る。(これが「四面楚歌」の由来)

それを悟った項羽は最後の宴を行う。
その時、項羽とともにしていた愛人の虞美人と
彼の騅(すい)という愛馬との別れを告げる詩をうたう。

力拔山兮氣蓋世 (力は山を抜き、気は世を蓋う)
時不利兮騅不逝 (時利あらずして騅逝かず)
騅不逝兮可奈何 (騅逝かざるを如何せん)
虞兮虞兮奈若何 (虞や虞や若を如何せん)


意味

私の力は山をも抜き去り、私の気迫は天下を覆うほどだった
しかし時は不利になり、愛馬の騅(すい)も進もうとしない
騅が進もうとしないのはどうしたことか
虞よ、虞美人よお前をどうすればよいのか いやどうしようもない 


と、項羽は愛してきた女である虞美人に最後の思いを
辞世の詩で伝える。

それに対して、虞美人は項羽に次の詩を返す。

漢兵已略地,四方楚歌聲。 (漢兵、已に地を略し 四方は楚歌の聲)
大王意氣盡,賤妾何聊生。 (大王、意気尽きたれば 賎妾何ぞ生を聊んぜん)


意味

漢兵はすでに楚の地を占領して、四方周りは漢軍に囲まれ故郷の楚歌が聞こえてきます
大王様(項羽)の意気が尽き果てたのなら この賤しい私はなんで生きていけましょう


と、虞美人も最期を覚悟し、項羽から渡された剣を使って、
剣舞を舞い終えるとそれの剣で自らの首を付き、
自害したという伝説がある。

そして、虞美人の流した血のあとに翌年美しいヒゲナシ(ポピー)花が咲いた。
または、虞美人の墓に美しく咲いたヒゲナシ(ポピー)があり、それに
ちなみ、ヒゲナシ(ポピー)のことを
虞美人草(グビジンソウ)と呼ぶようにもなった。

ちなみに夏目漱石の
職業作家として執筆した第1作である
小説「虞美人草」というタイトルは
彼がタイトル名がないまま新聞連載のための
小説を構想している時、
近所の神社の祭礼の帰りに植木屋である花を見かけ、
植木屋にその花の名前をたずねると

「虞美人草でさあ」

と返ってきた。それに閃きを感じた
夏目漱石は、その小説のタイトルを
「虞美人草」にしたのであった。


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ポピーの仲間のお花です。
長実雛芥子(ながみひげなし)・・・日本各地の路傍で花咲く理由は・・タイヤとコンクリート、この花の日本での繁栄は現代の交通文明がもたらした

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「乾坤一擲」「賽は投げられた」 ~ 歴史を作った英雄の運命を賭けた決断

テーマ:花ことば  - ジャンル:学問・文化・芸術


休暇日に、カフェグライナーズにて、お茶をしながらディラック方程式を学んでみる・・・数学的知識が乏しい私にとってはほとんどチンプンカンプン、理解に時間がかかりそうでスクールの語源が「暇な時間」を痛感する

今日は、2017年(平成29年) 5月17日 水曜日

昨日の私の44回目の誕生日の日は、
有給休暇の権利を行使して、お仕事はお休み。

15時半過ぎに、
西宮北口のACTA東館2階にある
カフェグライナーズへ行った。

平成18年7月中旬まで、
西宮北口から徒歩10分のところに
住んでいた時は、
仕事から帰宅時にほぼ毎日のように
カフェグライナーズで夕食として
ロコモコを食べ、ミルクティーを飲むのが
習慣だったが、西宮市の別の場所に引っ越してからは
年に1度か2度通うぐらいになり、
昨日、今年初めて、カフェグライナーズへ行ったのである。

そこでホットケーキセットを注文した。

グライナーズ ホットケーキ 20170516_160234

出てきたホットケーキをぱくぱくとすぐに
胃袋にしまいこんだ。

いつもカフェで読書をするが
昨日は理系関係の資料とにらめっこだった。

50歳までの目標として、
もともと文系の私が、素粒子物理学への数学的理解を
深めることを掲げたが、
ここ何年、数学的に理解しようとして
何度も挫折しているのが、
量子力学と特殊相対性理論を統合した
ディラック方程式である。
次の画像の下の式がそれである。

グライナーズ ディラック方程式 A 20170516_161125

虚数がある1階編微分方程式である。
ここまではある程度私は理解できている。
難しくなってくるのは次からである。

係数のα(アルファ)とβ(ベータ)は、
物理学的な条件を満たして、この方程式を成り立たせるためには
なんと行列である必要があるのだ。

私が数学で行列を習う高校2年生の時、
大学受験の進路を私立文系の国語、英語、日本史の3教科に
絞ったこともあり、それほど数学に力を入れなかった。
。まあ、志望校の中に一般入試の2次試験で評定平均が4以上が
必須(東京の三田にある大学、ここは落ちた)のところがあったため
定期テストでそこそこの点を取れる
ようにはしていたが、テストが終わるとすぐ忘れるという感じであった。
線形代数の参考書を見て基本的なところを思い出したりも
するのだが、
このディラック方程式の係数のαとβは次の
4つの4行4列の行列になるのである。

グライナーズ ディラック方程式 B 行列 20170516_161334

中には、「i」というマイナス1の平方根である虚数があったりする。
なぜ、この4行4列の行列が

ディラック方程式の係数のαとβになるかは少しはなんとなく
わかったつもりであるが、
ここから解に至るプロセスが、
一部以外はほとんどわからんチンプンカンプン状態。

解は次のようになる。

グライナーズ ディラック方程式 C 解 20170516_161409

この画像にある解の下の方に

負のエネルギーを表す(反粒子)とあるが、
これが、ディラック方程式を解くことで導き
出されたそれまで人類が知らなかった自然の理(ことわり)を
が明らかになったのだ。
この方程式の解より、
それまで、電子は電気的に「マイナス(-)」のみと思われていたのだが、
実は、電気的に「プラス(+)」の電子の陽電子があるのではないかと
予言された。そして、その後、実際に宇宙線の中に陽電子があることが
確認され、この方程式を考案した
ディラックは1933年に31歳の若さで
ノーベル賞を受賞した。

この陽電子の発見はその後の素粒子物理学の発展と
そして、宇宙の始まりや物質の誕生を考察するうえで
欠かせない自然界の根源的な原理を秘めた方程式である。


ディラック方程式により発見が誘われた陽電子は
ガン検診の機器のPETで活用されている。

まあ、それにしても、
ディラックがこの方程式の原型を考え付いたプロセスと
係数に行列を用いたりと同業のノーベル賞受賞者達から
アクロバティックとその創造性が高く評価された。

まあ、それをあまり数学的知識が乏しい私が
何とか理解したいと思っているが、
相当時間をかけないと難しいなあと思う。
まさ、スクールの語源が古代ギリシア語の「暇な時間」で
あるのを痛感する。

ふと、グライナーズのアンティーク壁時計を見ると

グライナーズ アンティーク壁時計 20170516_171056

17時を回っていた。
その後、店を出て、西宮ガーデンズで、
物理学の内容も書かれている線形代数の入門書を
買った。この1年、この本のマスターを目指そう。


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ガン検診と量子力学・・・量子力学で見出されたプラスの電子がガン検診に活用されている

school(スクール)の語源は・・・ゆとりの時間があればじっくり考えて議論もできるなあ、日本の学力向上はschoolの語源にヒントあり!

テーマ:日記 - ジャンル:学問・文化・芸術


今日で44歳になるが、生活の糧のための仕事をしつつ、楽習社の業務として、50歳までは「日本語をはじめとする言語について」と「素粒子物理学」の理解を深める人生を送りたいと思う

今日は、2017年(平成29年)5月16日 火曜日

今日で、私は満44歳になる。
このごろは私が生まれた日に実家の両親に
私を生み育てていただいた謝意の手紙を送っている。

まあ、よう44歳まで生きてこれたなあと
ふと思う。

そのような感覚は5年前に14年勤務していた
小さなシンクタンクを福島原発事故の影響で
失業してから、職を転々とする年月を送るようになり
よりそう思うようになったが、
かといって、自分の人生を悲観も楽観もしていない。

このブログの
「言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~」
を平成17年(2005年)11月2日から10年間毎日アップしつづけ、
その後は週1回+αのペースでアップを続けてきて、自分が赴くまま
知りたいと思い調べたことや思うことを書き続けているという
楽しみがあるから、職業的に不安定人生だが、
自分の人生を悲観も楽観もしていなのだろうと思う。

このブログのタイトルの下に

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも
書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。
現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、
古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、
架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、私がこのブログを続ける思いをつづっている。
今は、生活のために派遣社員として、また飲食店でバイトしつつ、
自分がやりたいと思う仕事ではない業務に従事をしながら
仕事以外の時間でできるときには様々な本を読み、
それなどから知ったことからブログを書いたりする人生を
送っているが、そのうえで参考になるような人生を過ごしている方の
事例を2つ取り上げる。

1つ目は、仕事をしながらアメリカの名門大学である
コロンビア大学の学位を12年かけて取得した52歳の男性である。
この方は内戦がひどくなった旧ユーゴスラビアから逃げるようにして
アメリカに移住、コロンビア大学の用務員として職を得た。
はじめは英語さえも話せなかったが、
コロンビア大学では職員に対して無料の講座を開いているのを活用して、
まずは英語の講座を受け、2001年から一般教養課程に入学し、
古典文学を学び始めた。午前中に大学の講義を受講して、
午後から用務員として清掃の仕事などをこなし、
23時に仕事が終わった後、自宅で自習をしてきた。
それを12年続け、すべての単位を取得して、学位を得て
卒業できたのだ。

もう2つ目は、11年食堂勤務の傍ら小説を書き続けて、
松本清張賞を受賞した小説家の山口恵以子さんである。

彼女は、漫画家を目指して、高校生の時に賞に応募したが
絵が下手と指摘され断念した。その後早稲田大学を卒業後、
宝飾の会社に正社員として就職するがその会社が3年で倒産。
派遣社員として働き、その後、脚本家を目指して、
松竹シナリオ研究所でドラマの脚本の基になるプロットばかりで
生活は安定しなかった。

生活の安定のため求人広告で見つけた食堂の正社員の仕事に就く。
そのころ彼女の年齢は40代となり、
テレビ局のプロデューサーは自分と同世代で、
「脚本家の芽はない」と年齢と関係がない作家の転向。

食堂で責任のある立場になり、その分、生活に安定し、
余裕が出ると、仕事以外の時間は作家活動に没頭、
毎日午前3時半に起床。仕事後に2~3時間、週2日の休日に8時間、
ケータイ小説などを書き、そして、55歳の時に
松本清張賞を受賞して、作家として芽が出たのだ。

そのように2人の事例から
生活のために仕事をしながら、自分が学びたいこと
書きたいことを書き続けるというのが
私の状況と重なる。

今日で44歳になった私であるが、
50歳まで、「日本語をはじめとする言語について」と
「素粒子物理学」を中心に知見を深める人生を過ごしたいなと思う。

「日本語をはじめとする言語について」は、
自分は日々、日本語という言語を使い、考えたり、話したり、
書いたりしているが、自分がどのような立場であれ、
日本語という言語は必要不可欠な道具である。
その日本語のいろいろな語源や成り立ちや歴史、特徴などを
知って生きたいなと思っている。

「素粒子物理学」は、それにより、
大宇宙の始まりを推察できて、我々人類を成り立たせる
自然の永遠普遍の根本原理のようなものを垣間見ることが
できることに、知れば知るほど、興味が深くなる。
もともと文系の私は数学はあまり強くないが、
それを数学的にきちんと理解できるようになりたいなと
思っている。
これまで、その素粒子物理学において、
量子力学と特殊相対性理論を統合した
ディラック方程式を理解を深めようとしてきたが、
係数に行列があったりして、何度か挑戦しては、
途中で未理解のまま終わってしまうことを繰り返しているが、
何度もしていくうちに徐々に少しずつ理解が深まっている。
ディラック方程式により陽電子という反物質の存在が予言され
発見され、宇宙創成のビックバン理論につながるものである。
50歳までに、それを含めた物理数学を理解を深めたいと
思っている。

生活の糧のための仕事をしながら、楽習社の作業として、
50歳までに
日本語をはじめとする言語について」と
「素粒子物理学」の理解を深める人生を送りたいと
思っている。





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紫露草(ムラサキツユクサ)の花言葉の「尊敬しているが恋愛ではない」の由来は・・・西宮の自宅近所にて、輝く雫が映える細長い葉の中に咲く青紫の花が見えて

今日は、2017年(平成29年) 5月15日 月曜日

一昨日と昨日、
西宮市の自宅近くにある大阪ガス今津事務所前の
ツツジのある植え込みに、
ひとつだけ、輝く雫が映える細長い葉の中に
青紫の花を咲かす植物が見えた。

ムラサキツユクサ 20170514_074959

ムラサキツユクサ 20170513_162536

ムラサキツユクサ 20170514_074947



それは「紫露草(ムラサキツユクサ)」という花である。
原産地は北アメリカで、17世紀に園芸品種として
欧州に伝わり、日本には明治時代に渡来したようである。


紫露草の学名は「Tradescantia reflexa」で、
「Tradescantia(トラデスカンティア)」は、
英国の植物学者でありまた国王のチャールズ1世の庭師を
務めたJohn Tradescant(ジョン・トラデスカント。1577~1638。)に
由来している。

そして、「reflexa」は強く反り曲がるという意味がある。

「紫露草(ムラサキツユクサ)」は、
同じツユクサ科のツユクサと同じく、
1日花であり、紫色がかって咲いたりするので
「紫露草」という和名がついた。

1日花ということだが、
大阪ガス今津事務所前に
一昨日の土曜日に咲いていた花は翌朝の日曜日には
には萎んでいいたが、同じ茎から花が咲いていた。
ただ、その日の夕刻ごろには既に萎んでしまっていた。

ムラサキツユクサの雄しべに生えている紫色の毛が、
細胞内小器官に様々な生体分子を細胞内で輸送するための
細胞運動である原形質流動の観察に使われる。

さて、この紫露草の花言葉は
「尊敬しているが恋愛ではない」で花言葉としては
長い花言葉である。
それを英語で表記すると
「esteem not love」で、その由来は
ムラサキツユクサの青い花色が聖母マリアの衣服と同じ色で、
聖母には恋心抱いて慕うというよりは敬意を抱くという意味だろう。







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孤独のランナー(Running On Empty)という1977年のジャクソン・ブラウンの名曲と尾崎豊・・・「孤独のランナー」を聴いたデビュー前の尾崎豊は衝撃を受け、デビューアルバムの曲を作曲する

今日は、2017年(平成29年) 5月14日 日曜日

今回、取り上げたい名曲は、
1977年に発売されたジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)の
Running On Empty(邦題:孤独のランナー)である。

初めて知ったという方は、先に以下リンクのページでその曲を
お聴きなさった後でもお読み下さい。(歌詞付です)

Jackson Browne - Running on Empty w/ lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=Vq25ZJwZJzU


1973年生まれの私が初めて
この曲を聴いたのは、今から7年~10年くらい前だろうか
当時の勤務先でいつもFM802を流していて、
この曲が聞えてきて、

初めの歌詞の部分の

♪~Looking out at the road rushing under my wheels~♪

から、軽快なメロディーに乗る「Looking out at~」から
聞き入ってしまった。

発売されてから約30年後に、私は初めて
この名曲を知ったのだった。

この「Running On Empty」は1977年に発売された
ジャクソンブラウン5枚目のアルバム「Running On Empty」に
1番目の曲として収録され、アルバムは全米で約700万枚を
売上げるの大ヒットとなった。

このアルバムは、
ジャクソン・ブラウンの1977年のライブツアーで、
ステージでの演奏をもちろんのこと
楽屋などで収録された曲を収録して、これまで
未発売の曲を収録しているのである。

その1番目の曲として、
ジャクソンブラウンが作詞・作曲した「Running On Empty」が
収録されたのである。

歌詞内容は、当時29歳の
ジャクソン・ブラウン本人がシンガーソングライターとしての
人生を試行錯誤しながら、先行き方向が揺らぎながらも
がむしゃらに走ってきたことの心情を伺える歌詞で、
「空虚な心のまま走り続け」という意味の
Running On Emptyという曲名の邦題に
「孤独のランナー」という訳を考えた方も素晴らしいセンスが
あるなあと思った。

さて、1980年代前半の日本にて、
ある少年がレコード店にて、この「孤独のランナー」のジャケットを見て
気に入って買った。その少年とはシンガーソングライターを目指していた
尾崎豊である。

そして、「Running On Empty(孤独のランナー)」を、
歌詞を見ながら聴いた尾崎豊はとてもこの曲に衝撃を受けたのだ。
それについて、次のようのコメントしているようである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな歌があるのかと、すごいショックだった。
いつも自分は変わり者だ、はぐれものだという意識があったけど、
その歌を聴くことで、自分が救われる気がした。
人生に対して、こんなふうにストレートに歌うことも出来るんだ


Welcome to Seraph Entertainment 尾崎が好きだった曲 より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この曲を聴いて強く影響を受けた尾崎豊はのちに
昭和58年(1983年)に発売される
彼のファーストアルバム「十七歳の地図」に収録される
「街の風景」を作詞作曲したのであった。

さて、尾崎豊の「卒業」という曲の歌詞に

♪~大切なのは何 愛することと生きるためにすることの区別迷った~♪

とあるが、ジャクソンブラウンの「Running On Empty(孤独のランナー)」の

♪~Gotta do what you can just to keep your love alive
  Trying not to confuse it with what you do to survive~♪

(愛を生かし続けるためにやれることはやらないといけない
 ただ、それは、生き抜くためにやることと混同しないようにしないといけない)

という歌詞と似ているなあと思った。
これについては特に情報はありませんが、尾崎豊が衝撃を受けた
「Running On Empty(孤独のランナー)」から感じ取って作詞していても
不思議ではないなあと思う。


Running On Empty(孤独のランナー)

作詞:作曲 Jackson Browne

Looking out at the road rushing under my wheels
Looking back at the years gone by like so many summer fields
In sixty-five I was seventeen and running up one-on-one
I don't know where I'm running now, I'm just running on

タイヤの下を過ぎ行く道をみながら
幾数多の夏の草原のように過ぎ去った年月を振り返り
1965年、俺は17歳で、1対1で向き合って走っていた。
今は何処を走っているかわからないけど、ただ走り続けている

Running on-running on empty
Running on-running blind
Running on-running into the sun
But I'm running behind

 
空虚なまま、走り続け、
あてもないまま、走り続け、
太陽に向って走り続けている。
ただ、誰かの後を走っているんだ。


Gotta do what you can just to keep your love alive
Trying not to confuse it with what you do to survive
In sixty-nine I was twenty-one and I called the road my own
I don't know when that road turned into the road I'm on

愛を生かし続けるためにやれることはやらないといけない
ただ、それは、生き抜くためにやることと混同しないようにしないといけない
1969年、俺が21歳で、己の進むべき道と言えるものがあった。
その道が今の自分が立っている道にいつ変わってしまったのかわからない。

Running on-running on empty
Running on-running blind
Running on-running into the sun
But I'm running behind

 
空虚なまま、走り続け、
あてもないまま、走り続け、
太陽に向って走り続けている。
ただ、誰かの後を走っているんだ。


Everyone I know, everywhere I go
People need some reason to believe
I don't know about anyone but me
If it takes all night, that'll be all right
If I can get you to smile before I leave

俺が知るあらゆる人も、あらゆる場所も
信じる何かの理由が人には必要なんだ
俺以外のことはわからないけど
一晩中かかったって、かまわない
俺が立ち去る前に君に微笑をもたらすことができたならね


Looking out at the road rushing under my wheels
I don't know how to tell you all just how crazy this life feels
I look around for the friends that I used to turn to to pull me through
Looking into their eyes I see them running too

タイヤの下を過ぎ行く道をみながら
この人生がどれほど狂ったものかに思えるか君にどう説明すればいいかわからない。
かつて俺の背中を押してくれた友を探し回ってる。
友たちの目をみると、彼らも走り回っているのがわかる。

Running on-running on empty
Running on-running blind
Running on-running into the sun
But I'm running behind

 
空虚なまま、走り続け、
あてもないまま、走り続け、
太陽に向って走り続けている。
ただ、誰かの後を走っているんだ。

Honey you really tempt me
You know the way you look so kind
I'd love to stick around but I'm running behind
You know I don't even know what I'm hoping to find
Running into the sun but I'm running behind

ハニー、本当に君は俺を魅了するね
君は自分を優しい人と思わせる術をわかっている
君から離れたくないけど、俺は誰かの後を走っているまま
俺さえ何を見つけたいかわかってないのはわかっているだろ。
太陽に向って走り続けている。
ただ、誰かの後を走っているんだ。


最後に、「Running on Empty」のライブバージョンの動画です
Jackson Browne 1977 Running on Empty
https://www.youtube.com/watch?v=ub0OC1fsl1s


このブログ内の関連記事

2007年4月25日の記事
尾崎豊が亡くなってから15年 ~ 現代社会の仕組まれた自由に人々は気づいているのだろうか?



テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


「蒼い岸辺にて」(朱川湊人(しゅかわ・みなと) 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・自殺を図った主人公が三途の川で見た自分の未来とは・・・死で逃げるのではなく、生きて逃げてひきこる、生き続ければ、小さな楽しみや喜びを見出せるから

今日は、2017年(平成29年) 5月 7日 日曜日

昨日の朝の午前8時05分からNHKラジオで、
「耳で聞く短編小説ラジオ文芸館」を聴いた。

昨日の小説は、朱川湊人氏の「蒼い岸辺にて」であった。

その簡単なあらすじをNHKのラジオ文芸館のページから引用すると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「蒼い岸辺にて」


二十歳の早織(サオリ)は、息苦しさから解放され気がつくと、蒼い世界に倒れていた。
そこには大きな河があり、古いボートと渡し守の男がいた。男から「自殺した」ことを
指摘された早織は、二十年間の無駄だったとしかいえないような人生を振り返る。
 三途の川を渡る際、渡し守は、「未来ゴミ」と呼ぶ“これから掴むはずだった未来”
を一つ一つ捨てていく。そこには早織が想像もしていなかった出会いや憧れの職業、
夫や子どもが次々とあらわれる。早織はそれらを目の当たりにし、渡し守と会話することで、
「あの世」から「この世」に戻りたいと訴えるが・・・。
 新年度が始まり1ヶ月。「五月病」とも言われる憂鬱な気分に
なりがちなこの時期に、心に元気をくれる作品。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということだが、この物語の詳細を以下に書いていく。
少々記憶が曖昧な部分があり、間違っている部分があるかも
しれません。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

二十歳の早織が何か気づくとみぞおちに何か重たいものが乗せられている
かのような感覚があり息苦しく、何かの拍子にそれが落ちたのか
息苦しさから開放されると、蒼い世界で倒れていた。
起き上がり、裸足で歩くと、目の前に大きな海があった。
すると、その岸辺に海に浮かぶボートに白髪で背も鼻も高い男が
「ここは海じゃねえよ」と荒っぽく早織に言ってきた。

そこは海でなく死後の世界にあるとされる三途の川であった。
早織は、どうして自分がここにいるのかすぐにはわからなかったが、
船に乗るその口の悪い男に、自分が自殺をしてそこにいることを知らされた。

そう、早織はつらい人生をはかなんで致死量ピッタリの質量で
薬物による自殺を図ったのだ。

その口の悪い男は、三途の川で、この世からあの世への舟渡しをする
渡し守の役目の負っている。
すると、その男は
「うわ、寿命前に死んでやがる。めんどくせえ~」とはき捨てるように言う。

早織はその失礼な物言いに腹が立ったが、
男曰く、川を渡る前に、体から完全に魂が離れる
「魂離れ(たまばなれ)」が必要なのだが、
寿命前に死んだものはその「魂離れ」に時間がかかって、
いつも幾人も渡しの役目をしている男にとっては、
それが、時間の無駄に思えるのだ。

そして、寿命を残して死んだもの未来ゴミを処分するのも
その渡し守の男の役目であっ。た

そうしないと、早織が亡くなったことで、
将来、早織と出会ってしまう者たちが早織と出会うことで
得られる機会を失わせてしまうからだ。その者が
早織以外の者からそれを得れるようにするために
行う作業が「未来ゴミ処分」である。

未来ゴミ処分は川を渡ってからするのだが、
かなり寿命前に亡くなってしまったので
魂離れまで時間がまだまだかかるので、
早織を船に乗せて渡す前に未来ゴミ処分をすることにした。

早織は
縦60cm横40cmの麻袋に両手をつっこまされた。
麻袋から早織は卵のようなものを掴んだ。

それを男が取ると、
「×山○子を知ってるか?」と男は早織に言う。
すぐには思い出せなかったが、同じ高校に通っていた
成績優秀の女性で、有名大学に進学したことを思い出した。
ただ、早織は彼女とあまり接点がなかった。

すると、渡し守の男は
近いうちにふと彼女と出会って、アニメが共通の趣味で
意気投合して、親友になる未来だという。

その彼女と親友になる未来の出来事の卵を
渡し守の男は、川に投げ入れた。
そうしないと、×山○子に親友が早織以外の
誰かとできる機会を奪ってしまうからだ。

次に取り出した卵は早織が就職先で出会った
男と交際する未来のできごとだった。

早織はブスでデブだから、今まで
男から求愛されたこともなく、振られ続けた
自分が男と付き合う未来があるとは思えなかった。
渡し守の男は
「ブスやデブでも好む男はいるんだよ」

しかし、渡し守の男は続けて、
「ああ、この男とは別れるわ。その男は二股かけているわ」
と言うと、早織はどうせブスでデブな私はそうなってしまうのよと
言ったが、すると、渡し守の男は
「おまえは、その振られたことでダイエットに目覚めて、痩せて
スタイルが良くなってな。二股で一度は振った男が
お前に再び交際することを申し込むが、お前が今度は
その男を振るのだよ」
早織は今まで男に振られ続けてきた自分が男を振るなんて、
信じられなかった。
その未来卵も渡し守の男は川に投げ入れた。

そして、未来の夫との出会いの卵も投げ入れた。
すると、渡し守の男は
「12個の卵があるなあ。」と言う。
早織はさすがに12人も子どもは作れないと思った。
渡し守の男は「絵本だ」という。

そう、早織は絵本作家になりたいと思うことがあったが、
なれないと思ってそのなるための努力も準備もしてこなかったが、
結婚、出産をして、絵本作家となって、絵本を数多く出版して、
また、賞を受賞するほど絵本作家として成功する未来であった。
その卵も川に投げ入れられた。

未来ゴミを川に投げて、船に乗るまでの間、

渡し守の男は早織に

「人間の悩みは運動会の障害物競走でのハシゴくぐりで、ちょっと肩が引っかかって
アタフタしているようなもの。抜けてしまえば何であんなにアタフタしていたのか自分で
もおかしくなるくらい。きっとお前も早まらなかったら、いつかそう思ったはずだ。
生きるも自由、死ぬも自由。だったら今度は生きる自由を選んだら絶対に面白い」

と言った。

そうしているうちに、早織の頭に浮かぶ早織の身体と魂を結ぶ
紐が徐々に薄れてきて、魂離れの準備が整ったと判断した
渡し守の男が「船に乗ってわたろうか、船に乗っている途中で
魂離れは終わるだろう」と早織は渡し守に誘われ船に乗り、
渡し守は船を岸辺から離し、少し船を進ませると

早織は「この世に戻りたい!」と言い出した。

渡し守も男「一度、船を出したら戻せないのが決まりなんだ」

早織は「川に飛び込んで泳いで岸へ行く」

渡し守の男「川は底なしだ。その川の水に触れたらおまえは石になってしまう」

早織はそれでもこの世に戻りたいと言う。
渡し守の男は、「めんどうくせえなあ」と言いながら、
早織の気持ちに根負けして、ボートから身を乗り出し、
手に持っていたボートのオールを伸ばして、
自分の身体とそのオールでボートと岸をつないで
橋のようにして、早織に
「俺の背中と頭と腕に乗って、岸へ走れ」と言う。

早織は、渡し守の背中と頭に足をおいて駆けていった。
ただ、オールのところで太り気味の早織はよろけてしまい
足が水面につかる。ただ、なんとか岸に着地ができた。

足を見たが、どうやら水面の上を歩いたようで、
足は石になっていなかった。
ただ、それまで裸足だった足は靴を履いた状態に
なっていた。

渡し守の男が
「それは、お前がいる病室で待っている父さん、母さん、姉妹
友達らが送ったものだ。お前が帰って来るのを待ってるぞ!」

そして、最後に彼はこの世に帰ろうとする早織に

「でも忘れちゃなんねぇのは、勝手にうまい話が、向こうから転がりこんで来て
くれるわけじゃねぇってことだ…どれもこれも、しょせんは卵に過ぎねぇんだからな。
育てないと孵らねぇんだよ。」

と言い放った。それを聴いた早織はこの世の世界に戻るため
駆けていった。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

という感じのお話でしたが、生きていて、とても死にたくなるような
つらいことがあっても、命を絶つのではなく、生きてどこかに逃げること。

それは今と違う場所であってもいいかもしれないし、引きこもるのも
いいかもしれない。

いずれ先の将来、
渡し守が言うように

「人間の悩みは運動会の障害物競走でのハシゴくぐりで、ちょっと肩が引っかかって
アタフタしているようなもの。」と思える時がくるかもしれない。

例えば、学校や職場でいびられいじめられて、また、過労などで
自ら命を絶つような衝動に駆られないように、
逃げて、引きこもったりするのも、自分の命をつなぐための
戦略的撤退と思えばいいのかもしれない。

また、進学の受験や就職に失敗して自殺する若者もいるが、
それが失敗して、得られないものがあっても、生きていれば、
大なり小なり得られるものがある。

私は、大学在籍中まではうまく行っていたほうだった。
現役で当時世ゼミの偏差値65ぐらいの大学にできて、
大学卒業時、学科内の卒業生のうち上から5番目の成績だった
ようだったで、そのためか、4回生の時、
事実上の授業料免除の給付奨学金を学校からもらったり
してたが、卒業後の進路で悩みながら中途半端な
取り組みで、他の大学の大学院進学に失敗を3年続けて、
最終的に、大学を卒業してから2年後に小さな零細企業の
シンクタンクに友人の縁故のお陰で就職できた。
仕事内容は私のやりたい内容だったが、給与は低く
一人暮らしが精一杯であった。転職もうまく行かず
そこで14年勤務して、ある方向性に向って準備しつつ
その会社で働き続けようと思っていると、
平成24年に、
前の年の福島原発事故の影響で、その会社で勤務を
退職せざる得なくなり、失業して、なかなか就職活動も
うまく行かず、非正規社員で自分がしたいとは思わない
仕事内容でも生活のため働き、職場を転々としている状況だ。
また、大学在籍中は、どこかの企業に就職して
所帯を持てるほどの給料いただいて、30歳までには
結婚しているかなと思ったりしていたが、
薄給人生のためとても結婚などはできない状態の
人生であるが、そのような
自分のことを不幸とは一度も思ったことはないし、
こんなはずの人生じゃなかったと思ったことは
一度もない。

私は歴史が好きで第2次世界大戦のこといろいろ
知ったりして、そのときの日本の多くの人が感じていた
日々爆弾の雨が降ってきて焼き殺される恐怖を
今は味わうわけでもなく、そんなことに比べると
私の今の現状はたいしたことでもないと思ったりする。

今の仕事は本来したいと思う内容ではないが、
職場の皆さんはとても良くて、職場のみなさんとの
会話が楽しかったりする。

仕事以外の時間は、いきつけのカフェで自分の好きな読書をしたり、
このようにブログを書いたり、ネットで好きな音楽を聴いたり、
小さな楽しみや喜びがいっぱいある。
それに感謝して、日々の日常の中に埋もれていることに
楽しみと喜びを見出して過ごして生きたいと思っている。

私は、今回の小説の主人公の早織のように自殺をしたいと
思うようなつらい体験はないが、
もし、そのように感じている人がいるとすれば、
つらい状況から生きて逃げてひきこもるのもいいと思う。
その環境で少しでも楽しめるもの喜べるものがあれば
それを大切にして欲しいと思う。
生きていれば、大なり小なり楽しめたり喜べるものが
あると思うから。


「蒼い岸辺にて」 収録

このブログ内の関連記事

○ラジオ文芸館に関すること

原田マハ 作の「無用の人」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で私の人生と重ね合わせながら聴いて・・・無用の人扱いされた他界した父が娘に贈った最後の誕生日プレゼントとは

ロバのサイン会・・・消費され消え行くものに過ぎないものが育む絆・・・耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いて・・・

「トオリヌケ キンシ」(加納朋子 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・何気ない日常のふるまいが誰かを大きく助けていることがあれば嬉しいですね



「水曜日の南階段はきれい」(朝井リョウ 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・英語が得意な高校3年生の女生徒が毎週水曜日に学校の南階段を掃除するその理由は・・・英語が得意な女子高生に特訓を受けるミュージシャン志望の男子受験生の物語


「沖縄戦下の幼女 みえちゃんからの伝言」(比嘉淳子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・夫婦不和で育つ子供の心にできた哀しみの魂の大穴は、戦争で怯えて亡くなった子供の哀しみと変わらない・・・己ばかりを優先せず、まわりと調和することの大切さ


「あなたに会いたい」(浅田次郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・出世のために若かりし時に捨てた恋人の幻影か・・カーナビからの「あなたに会いたい」の声で誘われた場所は・・・

「サヤンテラス」(乙川優三郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・私の愛するテラスでの亡き夫の声は幽霊か面影か

「仮面パパ」(森浩美 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・偽りの「育メンパパ」に仕組まれたワナは


「車窓家族」(高田郁 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・車窓から見える老夫婦の何気ないほっこりした日常が見知らぬ人どうしの言葉を交わすきっかけをつくり


「曲芸と野球」(小川洋子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・曲芸師の女性と野球少年という異色の組み合わせの男女の淡くも末永い絆


「はるか」(北村薫 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・天真爛漫の無邪気な女子高生の明るさが潤いと彩りのある豊かな日常にもたらす


「本番、スタート」(ドリアン助川 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・日の目を見ず、下っ端であろうが、その人の人生の主人公はその人本人なのである


「かがやく」(帚木蓬生 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・人間は自分が得意として輝いている時のことに関心を持ってもらえることに喜びを感じるのだ


「超たぬき理論」(東野圭吾 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・えっ!UFOの正体はたぬきが化けた文福茶釜だってえええ??・・・こじつけと思い込みの想像力・・ちなみに、宇宙人って誰のこと


「イービーのかなわぬ望み」を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・垂直移動のエレベーターで生きてきたイービーの結末から「空間」についてちょっと思う



耳で聞く短編小説ラジオ文芸館 鈴木光司 作「大山」・・・バブルに翻弄された元夫からの復縁の申し出の旅路にて、元妻からの粋な計らいとは

人生という名の自転車は、自力で漕ぎ続けるのだ・・・「耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館」で「自転車を漕ぐとき」、41歳無職の男の物語を同じく41歳で再び無職に戻る私が聴いて


2か月に1度行く、上新庄のミスタードーナッツで、ラジオ文芸館のアンコール放送「尾瀬に死す」を耳にして、前回も同じ場所でそれを聴いていたので、デジャブさを感じた

透明人間とはそういうことだったのか!・・・耳で聞く短編小説ラジオ文芸館、島田雅彦の作「透明人間の夢」を聞いて、ホームレス寸前の彷徨う若い男女の恋の結末は!

人生、思わぬ偶然のできごとでどう変わるかわからない・・・角田光代の「誕生日休暇」を耳で聞く短編小説「ラジオ文芸館」で耳にして


テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


もし私が公立高校の校長なら、服装・頭髪・化粧は一切自由ににて、生徒や親御さんに対してメイクアップやファッション講習を行い ファッションセンスの良い学校を目指す・・・こどもの日に「子どもの権利条約」の表現の自由から思ったこと

今日は、2017年(平成29年) 5月 5日 金曜日

で、本日はわが国日本では「こどもの日」という祝日であり、
その「こどもの日」にちなみ、
1989年で国連で採択され、日本政府が平成6年(1994年)に
批准発効したした「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」に
関係することを書きたいと思う。

そのまえに、
韓国のインターナショナルスクールに通っている日韓ハーフの16歳(記述当時)
の方のブログ記事を引用する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブログYUE짱's journey
海外の学校と日本の学校の比較〜校則編〜
2016年10月10日(月)


日本の高校に1年弱通い、インターに転校した私にとって学校で一番に差を感じたのは、
校則であった。日本の高校では、数多くの校則に縛られ、スカートは膝頭にかかるくらい、
頭髪、化粧、ピアスの注意など様々なことがあった。私の周りではどのようにすれば
先生に見つからないかを試行錯誤する生徒がたくさんいた。私はレベルの低い
先生相手に試行錯誤するのも無駄だと思っていたので、学校でのおしゃれは全く
をもってしなかった。
しかし、今こうしてインターナショナルスクールに通いながら疑問に思うことが沢山ある。


『なぜ髪を染めてはいけないのか?』これは生徒の誰もが思うのではないだろうか。
先生たちの模範解答はこうだ、『学校のイメージが悪くなる』そして、
世間でも『チャラい』というイメージがつきがちだと思う。

しかし、髪を染めることの何が学校のイメージを悪くするのか?
何をチャラく思わせるのか。

(中略)

私が通うインターでは20か国以上の国から生徒が集まっている。
もちろんその生徒らの髪色は全く違う。そして私の学校では染髪というものが許されている。
と言うより、許可をしない理由がないのだ。
個人個人のパーソナリティの主張はもちろん内面でもあるが外見からの方がより主張ができる。
その人にしかないセンスやindividuality などは尊重するべきではないのだろうか?
そしてこれらはもちろん外見からも内面からも大いに見ることができる。

日本の学校の髪を染めてはいけないという校則は、日本の中では通用するかもしれないが、
世界を見たときに、それは小さな社会でしかないことを日本人はわかっているのだろうか??
それこそ、グローバル化や国際社会と言われいる中、このような状況は適切なものなのだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現在、16~7歳と思われる女性の意見だが、
とても素晴らしく強く共感するものである。
彼女のコメントに、


個人個人のパーソナリティの主張はもちろん内面でもあるが外見からの方がより主張ができる。
その人にしかないセンスやindividuality などは尊重するべきではないのだろうか?

とあるが、服装はある種の自己表現である。

子どもの権利条約第13条に

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、
手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、
国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、
受け及び伝える自由を含む。

2 1の権利の行使については、一定の制限を課することができる。
ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、
次の目的のために必要とされるものに限る。

(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まあ、子どもの権利条約対象年齢の18歳未満の少年にも、成人と同様に。
他者の権利を侵害しない限り、社会の円滑な運営に障害にならない限り
表現の自由はあるよという事である。

日本の公立学校に生徒個人の自由を奪う
無意味、かつ、非合理な校則今もはびこる状況は
日本国政府が批准した子どもの権利条約第13条の
基本精神とは程遠い状況である。

また、子どもの権利条約第28条には、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

締約国は、学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に
従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とあるが、男子は耳に髪がかかってはいけないというあほな校則があったり、
スカートは膝上何センチ以内というまあどうでもいい規則があったり、
とても 児童の人間の尊厳に適合する方法というこの条約の主旨に沿わないのが
日本の公立学校の現状である。また、その背景に文部科学省がこの条約の主旨に
反して、校則を適用外と解釈していることがある。

まあ、服装や制服の細かな規則はいざ社会人になったら、きちんと
服装や身なりを企業に受け入れられ就職できるようにするためと
いった理由があったりするが、
私個人の経験から、20年近く幾つかの企業の職場で勤務しているが、
そのうち18年くらいは服装自由の職場である。
また、他にクリエータ系の企業に就職したり、家業の小さな店を
引き継いだりするところでは正装がなかったりする。
特に公立学校では、多様な背景や多様な職業や職場選択をする
生徒が集まるのだから、一律の価値にもとづく校則は適さないと
思う。

なぜその規則があるのか「ルールはルールだ」と言って、
納得できる根拠を説明を教師ができなければ、先に
引用した16歳の少女のブログに

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はレベルの低い
先生相手に試行錯誤するのも無駄だと思っていたので、
学校でのおしゃれは全く
をもってしなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と書かれていたように軽蔑されるのだ。
軽蔑する尊敬できない人物から指導を受けても
説得力を感じなくて、効果がないだろう。

ふと、もし、私が公立高校学校の校長だったら、
子どもの権利条約や日本国憲法の基本的人権の尊重に則り、
制服なし、服装自由、髪の毛の色も自由、お化粧も自由と
するだろう。

髪の毛を染めることを禁止、また、お化粧の禁止の
理由として、その本人の皮膚を傷めるからという理由があるが、
それは禁止の理由にならないと私は思う。

その生徒をことを思うなら、
髪の毛を染めたり、お化粧をしたりして、皮膚のトラブルを
どう予防するのか、その方法を教えてあげるのが
本当の指導教育ではないかと思う。
よく事細かな無意味とも思える校則を正当化する理由に、
大人になって社会人になるために必要と言う意見があるが、
特に女性は、大人になって社会人になったら服装やお化粧は
必須になってくるので、学校で教えるのが適切ではないかと
思う。

また。専門のアドバイザーを学校に招いて、
「お化粧するならナチュラルメイクでクレンジングや
洗顔等のスキンケアもしっかりした方がいい」とお化粧をする
生徒に教えてあげる機会を設ける。

また、そのお化粧やファッションの専門のアドバイザーを招くときに、
保護者の方も来てもらって、その親御さん本人のリクエストに
応じたアドバイスもしてもらうということがあっていいだろう。
まあ、親御さんへもメークアップ講習をしたりするのだ。

また、所得格差に応じて、低価格の服装でおしゃれに見える
着こなし方をアドバイスしてもらったりして、
年に1度の学校祭にはファッションショーを開催したりして、
あの公立学校を卒業したら、ファッションセンスに磨きがかかる
というブランド力のある学校を目指したいなあとふと思った。

私はそのような立場ではないので、実行できず、しようともしないが、
そのような発想が思い浮かぶのは、自由があるからだ。
自由を抑圧するような無意味な校則のある学校ではできないだろう。
自由や個性を尊重し、よりよい社会になっていくように
誘うのが本来の学校のあり方ではないかと
子どもの日に子どもの権利条約の基本思想から
自由な発想を働かせ思いついたことを書きました。


このブログ内の関連記事

公立高校の頭髪校則で「地毛証明書」を提出させる行為は法の下の平等を定めた日本国憲法第14条違反である・・・憲法記念日にクソクラエなくだらない校則について思う

テーマ:発想法・編集法 - ジャンル:学問・文化・芸術


公立高校の頭髪校則で「地毛証明書」を提出させる行為は法の下の平等を定めた日本国憲法第14条違反である・・・憲法記念日にクソクラエなくだらない校則について思う

今日は、2017年(平成29年) 5月 3日 水曜日

日本国憲法が施行されて本日で70周年。
そのような日を前に憲法の条文から考えたい
ニュースがあった。

それは、いわゆる「地毛証明書」のニュースである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「地毛証明書」、都立高の6割で 幼児期の写真を要求も
(朝日新聞 2017年4月30日 21時39分)


東京の都立高校の約6割が、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、
生まれつきの髪かを見分けるため、一部の生徒から入学時に「地毛証明書」を
提出させていることがわかった。勘違いによる指導を防ぐ狙いがあるが、
裏付けのために幼児期の写真を出させる例もあり、専門家から疑問視する声もある。

地毛証明書「生徒の外見で評判が…」 都立は私立を意識

(中略)

背景には、生徒とのトラブルを防ぐほか、私立高との競争が激しく、
生活指導をきちんとしていることを保護者や生徒にアピールするねらいもある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということだが、
このニュースを目にしたとき、

未だにこんなくだらないことしてんのか!
大学を出て、教師になった人間が、
きちんと脳みそつっかって考えてんのか!
このボケカスが!と
脊髄反射的に暴言が出てしまったが、
ふと、このニュースで、
法の下の平等を定めた
日本国憲法第14条1項の条文である。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

とあるが、特に「人種」という表現である。
「人種」によって差別してはならないというのは、
「黒人」「白人」など
生まれ持った先天性的なもによって差別しては
ならないと考えられる。
同じ日本民族であっても生まれもった体質や髪質で
公的機関が差別することはあってはならないと
類推して解釈できる。

事例で取り上げたニュースは、
頭髪の染色・パーマ禁止という
合理性の乏しい、くそくらえなルールによって、
生まれもって天然パーマや黒色以外の髪色をしている
個人やその家族に対して、
地毛証明書という、生まれもって黒色髪や天然パーマではない
人物が負わない義務や負担を課すという不平等極まりない
日本国憲法第14条1項の憲法違反行為を
この都立高校の教員達は行っていると私は思う。

日本国憲法第99条に

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

という条文があり、都立公立高校の教員は公務員であるが、
「地毛証明書」の提出という日本国憲法第14条違反行為をしていて、
遵守義務を果たしていない。

よく校則は生徒にルールを守ることを身に付けさすためと言うが、
憲法は最高法規であり、公立学校の校則よりもはるかに上位のルールであるが、
その教員達が最高法規を違反している振る舞いをしているとは
校則によって生徒にルールを守ることを身につけさすと言っても
全く説得力を感じられなくなる。

それにしてもこんな地毛証明書を提出させるという
愚かな振る舞いをする背景に

私立高との競争が激しく、
生活指導をきちんとしていることを保護者や生徒にアピールする

という何とも浅ましい表面的な理由で、
そもそも頭髪の染色・パーマ禁止というほとんど合理性を
感じられないルールを思考停止状態で、
惰性で残し続けている公立学校を見ると、
生徒に合理的に思考するトレーニングはできているのかと
生徒の思考力向上という観点から見ても不安を抱くわ。
まあ、そんな下らん校則を放置して、
地毛証明書というより愚劣なことを課す学校のもとで
柔軟かつ合理的に思考できる賢い生徒が育てられないのではないかと
思うのだ。

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