言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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オバマ大統領が広島で演説しても、核兵器は無くならないだろう・・・MAD(狂った)平和の中で、核兵器あれども使用せずが続けられるか

今日は、2016年(平成28年)5月29日 日曜日

一昨日、オバマアメリカ合衆国大統領が、
アメリカの現職大統領が、原子爆弾が投下された
広島市を訪問して、演説を行った。

私はその17分の演説をバスや徒歩で移動中に
ポケットラジオで聴いていた。

まあ、文明や科学など普遍性をもった内容に
しているなあと感じた。
核廃絶にむけたことを語っていたが、
私が思うに、
核廃絶は、人類が滅亡するまでないじゃないかと
もしかしたら、核戦争で人類衰退していたりして
と思ったりする。

まず、核大国は核抑止理論に基づき、
そう簡単には核兵器は手放さないだろう。

核抑止理論で、
相互確証破壊(MAD=Mutual Assured Destruction)
という考え方がある。

どちらかの対立国が核兵器の先制攻撃使用しても、
先に核兵器を国にたいして、報復の核攻撃で破壊できる
だけの核兵器を保有することで、
互いに核兵器の報復攻撃で破壊できる状態で
共倒れになることを避けようとして、
核戦争を抑止する考え方である。

それは、恐怖の均衡で平和を保つということであるが、
相互確証破壊の英語の頭文字をとって
MAD=狂った考え方とも揶揄されたりする。

米ソ冷戦が終わった現在も
米ロの核大国の間では、核抑止理論に基づいて
核戦力のバランスを保とうとしている。

クリミア危機で、ロシアがクリミアを電撃併合したとき、
プーチン大統領が「核戦力を臨戦態勢に置く用意があった」と
発言して、核の力を背景にアメリカの圧力を跳ね返そうという
意図が感じらられた。そう思うと、核大国が
核兵器をそう簡単には手放さないだろうと想像する。

もし、仮に、核大国が核兵器を廃棄したとしても、
一度、核兵器の作り方を知った人類が、
力の優位を保とうとして、核兵器を再び製造しようと
するだろうと思う。


そう思うと、人類が滅びない限り、核兵器が
無くならないだろうと思ったりする。

広島と長崎に原子爆弾が投下されて以来、
1962年のキューバ危機で核戦争の危機があったりもしたが、
71年近く、世界で核兵器は使用されていない。

いざ、核兵器を用いた戦争が勃発すればどうなるか
ヒロシマとナガサキの惨劇の教訓が
核大国の政治指導者に理解されていたことがあったかもしれない。


核兵器はなくならない。
ただ、いざ、使用すればどのような惨劇がもたらされるか
ヒロシマとナガサキの歴史が共有されることで、
核兵器使用を思いとどめ、核兵器を保有すれども使用せずの
状況が続けられるかどうかだろう。


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テーマ:軍事・安全保障・国防・戦争 - ジャンル:政治・経済


「車窓家族」(高田郁 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・車窓から見える老夫婦の何気ないほっこりした日常が見知らぬ人どうしの言葉を交わすきっかけをつくり

今日は、2016年(平成28年)5月22日 日曜日

昨日の午前8時05分からNHKラジオの
耳で聞く短編小説ラジオ文芸館を聞いた。

昨日は、高田郁(カオル)氏の作品「車窓家族」であった。
今回はアンコール放送であり、
前回は2014年(平成24年)6月7日放送であった。
私自身もこの作品を聴くのは2回目で、
その簡単なあらすじがラジオ文芸館のHPにあるので、
引用すると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「車窓家族」2016年5月21日
作:高田 郁(カオル)

2014年6月7日放送のアンコール。
大阪と神戸を結ぶ私鉄電車は、さまざまな乗客を運ぶ。彼らが気にしているのが、
線路沿いの古アパートに住む老夫婦の存在だ。
火灯し頃になると、その部屋からは夫婦の倹しい暮らしぶりが浮かび上がって見えた。
ある日、信号待ちで停車した電車の乗客たちは、
老夫婦の一室に灯りがついていないことに気づく。
心配の言葉を交わす乗客たちが、動かない電車のなかから見たものは…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とある。前回聴いたがぼんやりと内容を覚えている感じで、
結末はどうだったのかの記憶が定かではなく、
もう一度聴こうと思った。
さて物語りは以下の通りである。
きちんと覚え切れていないので、
詳細は不正確なところがある。

****************************


大阪と神戸を結ぶ私鉄電車(阪急か阪神か、阪急ぽく思えるが)で、
いつも信号待ちで停車するところがある。

その電車の車両に乗っていた
30代OLの「まりえ」は、その日はあるアクシデントで憂鬱な
思いでいた。
電車が信号待ちで停車して、ふと、車窓から見える
2階建て「文化住宅」の真ん中の部屋に
外から丸見えの状態で、ある老夫婦が過ごしている光景が目に入った。
何か夕食でも作って食べようとしていて、どうやらカレーのようであった。
仲むつまじく楽しそうに食事をとっている老夫婦の光景を見て、
憂鬱な気持ちもなくなっていた。

そして、まりえが乗っていた電車の次の電車に乗っていた
「ゆういち」は会社に不満を持っていて、前任者の尻拭いばかり
させられ、「こんな会社辞めてやる」と怒りがこみあがっていて、
また、関東育ちのゆういちにとって、関西のボケやツッコミ、
話の最後にオチがあるような会話を求められる空気に全くなじめず
それに対しても不満を高めるようになっていた。

そのような不満を抱いていたゆういちだが、電車が信号待ちで
停車して、車窓から見える「文化住宅」の老夫婦の光景が目に入る。
何か、編み物をしているようで、よく見ると、靴下を縫っていた。

それを見てゆういちは、彼の母のことを思い出した。
母は40歳を過ぎて、ゆういちを生み、他の同級生の母よりも
年齢が高いことを嫌がり、彼がやっていた少年野球の
応援に母が来ることを禁じていた。その母は、野球で
擦り切れて穴が開く。母は新しい靴下を買わずに、
その穴を裁縫で補修していたのだ。
そのことを靴下の編み物をしている老夫婦の光景をみた
ゆういちは思い出し、気持ちが和らいだ。

その電車からさらにいくつか後の電車に乗っていた
「みつこ」は、60歳を過ぎていたが定年後も公証役場で働いている。
そのみつこが乗っている電車が信号待ちで停車した。

すると、車窓から見える「文化住宅」の老夫婦の光景が目に入る。
夫の方が妻から肩もみをしてもらって気持ちよさそうに恍惚の表情を
浮かべていた。
それを見て、みつこは、あの人が生きていたらあのくらいの年齢になって
あのようになっているのかなと思った。
20年ほど前、みつこの夫は40代で心筋梗塞で急逝し、当時高校生だった
子供たちを支える大黒柱にみつこはならなけならなくなった。
そのようなことをふりかえりつつ
もし、夫が生きていたらと思いつつ、その老夫婦の光景を自分たち夫婦の
姿に重ね合わせていた。

季節が過ぎ、クリスマスが近づいたころ、
信号待ちで停車した電車の車両にあるチャラチャラした感じの
若者が乗っていた。その若者は「しょうた」という。
そのしょうたが乗っていた車両では、
サラリーマンが多く乗って加齢臭が漂っているような状況で、
かつ、自分の隣に、50を過ぎたおっさんで、ふとって
頭の後頭部が寂しく肌が露出していて、難しそうな専門書を閉じて
立っている姿を見て、蔑むように哀れむように
「このおっさん、何かたのしゅう(楽しくて)生きてんだろう。
明日は、クリスマスイブというのに、そんな楽しみもないだなあ」
と思いつつ、自分が明日、彼女と楽しいときを過ごせることを想像していた。

ふと、そんなことを思っている「しょうた」は車窓から見える
「文化住宅」の老夫婦の光景が目に入る。
その老夫婦はおでんのようなおいしそうなものを食べていて、
それに興味をもってじ~と見ていた。

さて、その「しょうた」に内心蔑まれいた50歳を過ぎた
「こういち」は、隣に立っていた
チャラチャラして髪を染め、ピアスをし、ドクロのベルトをした
若者(しょうた)を見て、
「私が最も嫌うタイプの男だ」と軽蔑しつつも、ず~と
車窓から見える老夫婦を見つめているその若者(しょうた)を見て、
「あんがい、良いやつかもしれんな」とも思ったりした。

そのお互いに軽蔑しつつも、このふたりは、
老夫婦が、おいしそうにおでんらしきものを見て
互いにギュルリ・グーとお腹を鳴らしてしまうのであった。

さて、年が明けて、大寒も過ぎ、少し寒さが緩みだしたころ
みつこはいつも通り帰宅で電車に乗っていて、信号待ちの
ところで電車が止まっていたが、トラブルで長い間
そこで停車したままで、他の乗客から苛立ちの気分が漂っていた。

ふと、みつこはいつもは車窓から見える老夫婦の部屋から明かりが
ここ2日間見えなくなっていることが気になった。

60代で公証役場で働く
みつこは、ふと、そのことを口にすると、
隣に立っていた女性も呼応するかのように心配していることを
口にする。その女性は30代OLの「まりえ」であった。

すると、それに呼応した男が2人いた
関東育ちの若い会社員の「ゆういち」と50代の「こういち」である。

すると、「あんたらも気にしてたのか」と
椅子に礼儀知らずの若者の如く、足を広げて座っていた若者が言い放った。
その若者は「しょうた」である。

みつこは、その老夫婦はなにか病気になったのではとふと心配になったが、
2日前までは電気がいつも通りついていたので、そうでないかもという
思いを抱くが、その思いも全く気づかず、しょうたは

「年寄りは急に病気になったりするからなあ」と

軽く言うと、他の4人はしょうたに冷たい視線を送る。

すると、老夫婦の部屋から明かりが戻った。

すると何か脚立に立っている作業員がいて、
それは電気の修理屋のようであった。

そう、この2日間、電灯が故障して、灯らなかったのだ。

再び、いつも通りの老夫婦の姿をみてほっと5人は安心した。
そのとき、しょうたは「ばんざーい」と言い放った。

その5人は
再び動き出した電車が停車した駅でそれぞれ降りていき、
各々の進む方向に行くが、
50代のこういちは、「しょうた」が髪の毛を黒くしているのを見て、
どうして、髪の毛を黒くしたのかをきくと、

しょうたは「美大の受験をするが、面接で髪の毛染めていたら
まずいでしょ」と言うと、こういちは
「がんばれよ」と声をかけた。


****************************


こんな感じの物語でしたが、
老夫婦の
何気ない日常の光景が人の心を和ませ、
そこから全く面識のない人どうしが、ふと
気持ちがつながり言葉を交わす時と場を生み出したことに
素敵なものを感じました。

この作品は、平成25年(2013年)に発売された
短編小説集の「ふるさと銀河線 軌道春秋」に収録されている。

ちなみに、私は全く知らないが、
作者の時代小説シリーズの「みをつくし料理帖」の作者で、
これはテレビドラマ化され女優の北川景子さんが主演されたという。





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もし、中性子がなければ、人類は存在できなかった・・・目に見えない原子核の物理的条件から見る人類の存在条件

今日は、2016年(平成28年)5月16日 月曜日

ヒトの体は様々な種類の原子から成り立っている。
水素、炭素、酸素、窒素、硫黄、
鉄、ナトリウム、カリウムなど
様々な種類の原子が人体の各部分を作り出している。

さて、その原子は、主に、中性子と陽子と電子で
成り立っているが。
陽子は、電気的にプラスの性質をもち、
電子はそのマイナスの性質をもつ。
そして、中性子は電気的にはプラスでもマイナスでもなく
中性である。
その中性子と陽子は原子の中心部の原子核を
構成している。

さて、この中性子なるものが存在していなければ、
人類は存在していなかったという。

それはどういうことか。
そのためのキーワードとして、
「電磁力」と「強い力」が関わってくる。

電磁力というのは、
プラス電気とマイナスの電気という異なる種類の
電気を引き寄せ、
プラスの電気とプラスの電気という同じ種類の
電気を引き離す性質を持つものである。

さて、原子核には陽子があるが、
原子番号1番の水素は陽子がひとつだけであるが、
原子番号が2番目以降のヘリウム以降の
原子核には、陽子が2個以上と複数個存在している。
ちなみに原子番号6番の炭素には陽子が6個、
その8番目の酸素には陽子が8個ある。
(原子番号=陽子の数)

さて、電磁力はプラスの電気をもつ陽子同士では
引き離す作用が働き反発して、原子核に陽子が
複数個留まれないようにも思えるが、
その電磁力を上回る強い力の作用で
陽子同士を引き離さず留める力が働いている。
そうそれが、「強い力」である。

この「強い力」は陽子と電気的に中性の中性子の
間でも作用していて、原子核中心部に
複数個の中性子や陽子が存在していることが
可能になっている。


ただ、この強い力の作用範囲はとても小さく、
原子核の範囲の間くらいで、
(電磁力のそれはは無限大の距離)
そして、いくら強い力が電磁力よりも強いといえども
2つの陽子を陽子だけで、電磁力による引き離す
力を上回ることができないのである。

その2つの陽子を強い力で引きどめることを可能に
する存在が中性子である。
陽子の間に中性子が存在することで、
電磁力による引き離す力を上回って、
強い力の作用で、中性子と2つ以上の陽子を引き離さず
原子核内に留めることができているのである。

もし、中性子がなければ、
原子番号2のヘリウム以降の原子は存在できないのだ。

ヘリウムは水素同士の原子核融合で生まれる。
そして、陽子が2つあるヘリウム同士の核融合で炭素が生まれる。
そして、それらの原子の核融合で次々と別の種類の原子が生まれる。

そう、ヘリウムがなければ、人体を作っている
炭素やたんぱく質に不可欠な窒素、遺伝子を構成するリン、
血液に含まれる鉄などは存在しない。

そのヘリウムも、中性子が存在することで、
2つの陽子が原子核として、留まることができている。

原子核に存在する中性子がなければ
われわれ人類は存在できていなかったのである。

ちなみに、中性子と陽子を結合させる
力がもし、現状よりも約10%でも弱かったら、
中性子と陽子を結びつくことはできず、
また、それが、現状よりも0.5%
強すぎたり、弱過ぎたりすると、
3つのヘリウム原子による核融合によって
炭素原子が生まれることがなかという。

目に見えない原子核の世界の物理的条件によって
人類が存在できているのである。

もうひとつちなみに
中性子と陽子の間の力を運ぶ
中間子の存在を予言して、それが証明されて、
日本人初のノーベル賞を受賞したのが
湯川秀樹である。


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スズメ(雀)、その語源・・・・スズメの鳴き声は昔は、「シウシウ」「スス」と発音されていた

街中で、すずめがポンポンポンポンッと
軽快に飛び跳ねながら歩いたりする光景を
よく見かける。

さて、その「スズメ(雀)」の語源は
諸説あるが、
そのうちのひとつにその鳴き声に由来する説がある。

すずめの鳴き声の表現として、
現在では、「チュン、チュン」とか「チュ」と発音することが
多いが、
平安時代から室町時代にかけて、
その鳴き声は「シウシウ」と発音されていた。

つまり、現在の「チュ」と発音する「タ行」ではなく
かつては、「サ行」の発音であった。

さらには、古代には、すずめの鳴き声は
「須須(スス)」と「サ行」の発音で
表記されていたとも言われている。

その「スス」の第二音節が濁音化して、
「スズ」になった。

そして、カモメやツバメのように
群れをなすことを意味する「メ」が接尾について
「スズメ」になったとも考えられている。

さて、スズメの漢字表記は「雀」であるが、
それは、尾が短い鳥を意味する「隹」と
小さいを意味する「少」が合わさった文字であり、
尾の短い小さい鳥ということで、スズメは「雀」と
漢字表記されている。

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長実雛芥子(ながみひげなし)・・・日本各地の路傍で花咲く理由は・・タイヤとコンクリート、この花の日本での繁栄は現代の交通文明がもたらした

今日は、2016年(平成28年)5月 4日 水曜日

通勤途上
西宮市内の東浜町付近を歩いていると、
歩道のアスファルトの隙間から
橙色の花を咲かせる植物があった。
こんなほんの隙間に生きる場所を見つけている
この花の力強さを感じたのである。

ながみひげなし 160427_0658~001



この花は、長実雛芥子(ながみひげなし)という名の
花である。ひげなしと同じ、ケシ科の植物である。
名前の由来は、実が2cmと細長くなる
ひげなしのような花ということで、長実雛芥子という
名になったらしい。


この花はもともと、日本になかった
外来種で、地中海から欧州中部が原産であるが、
なんらかの理由で日本にもたらされ、
昭和36年(1961年)に東京都世田谷区で
日本での生息が確認されて以来、
平成19年(2007年)には、
青森県、沖縄県を除く日本全国で繁殖が
確認されている。

この長実雛芥子は、繁殖力が旺盛である。
ひとつの実に1600粒の種子が詰まっていて、
ひとつの長実雛芥子の固体から15万粒という
大量の種子が放たれる。

さて、その大量の種子が放たれる長実雛芥子を
日本全国に拡散させたものは、車のタイヤではないか
と考えられている。

長実雛芥子の種子の表面はくぼみがあり、
でこぼこしていて、それにより車のタイヤと
くっつきやすくなる。

また、梅雨時に種子ができるので、
道路でできた種子が雨で濡れたタイヤに
くっついて、拡散され、全国各地の道沿いで
咲く光景が日本各地で見られるようになったのでは
ないかと推察されている。

また、長実雛芥子はアルカリ性の土壌を好むが、
コンクリートにあるる水酸化カルシウムにより
アルカリ化した路傍や植え込みなどに
繁殖していると思われる。

日本における長実雛芥子の繁栄は、
現代の交通文明がもたらしたともいえよう。





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