言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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たった10分前に消費期限時間切れでも買えなかった海老の巻き寿司・・・・コンビニの杓子定規のコンピューター管理がもたらすもったいない

今日は、2016年(平成28年)3月 27日 日曜日

今月のある金曜日の20時過ぎのことだった。
近所のコンビニで晩御飯でも買おうかと、
商品棚を見ていたら、海老の巻き寿司があった。

これ食べようと思って、
レジに持っていき
店員さんがそれをレジに通したところ
品質保証の消費期限時間切れで、売ることができないと
言われた。

なんとその期限切れの時間が、その日の20時であった。
その期限切れから10分も経っていない。

私は
「ええ、たった10分も経ってないのに
(品質の劣化)とか関係ないでしょう。売れないの」

と店員さんに言うと、

「そうですが、機械が通さないのです」

と言うので、仕方ないかとあきらめた。

期限から10分しか経っていないもの食べても
健康に影響があるような劣化があるとは思えず、
本来なら、私の口に入って胃袋を満たすことが
できたものが、廃棄処分されるのは
いかにもったいないことかと感じた。

そこで、ふと思ったのが、
それが、大手チェーンのコンビにではない
昔ながらの商店街にあるような個人経営の商店だったら
融通を利かせて売っていてくれていたかもしれない。

全国津々浦々
大手チェーンのコンビニが広がり
個人経営の店が駆逐されていき、
その大手コンビニの画一化された基準で
客に対する商売がなされている現代社会において、
そのような杓子定規のコンピューター管理が
もたらすもったいないを思わざる得ない
できごとであった。


「もったいない」の語源
ノーベル級の言葉~世界に広がる和製漢語「勿体無い(もったいない)」

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テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


「曲芸と野球」(小川洋子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・曲芸師の女性と野球少年という異色の組み合わせの男女の淡くも末永い絆

今日は、2016年(平成28年)3月 20日 日曜日

昨日の午前8時05分からNHKラジオの
耳で聞く短編小説ラジオ文芸館を聞いた。

昨日は、芥川賞作家の小川洋子氏の作品「曲芸と野球」であった。
その簡単なあらすじがラジオ文芸館のHPにあるので、
引用すると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「曲芸と野球」 2016年3月19日
作:小川 洋子

2015年1月17日放送のアンコール。

小学生の「僕」の打撃が独自の進化を遂げたのは、曲芸師の影響だ。
どんな球もレフト方向に引っ張らず、ライト方向に流し打ちする。
三塁の脇で椅子を積み上げ、その上で毎日逆立ちの練習をする曲芸師。
彼女に打球をぶつけたくなかったのだ。  
周りの人はみな曲芸師に無関心だったが、ある日僕は言葉を交わす。
次の日、生涯初のヒットをライトに打つと、
逆立ちのまま手を振り、彼女だけが祝福してくれた。  
別れは突然だった。ある日、僕が空振りして尻もちをついた拍子に椅子が崩れ、
曲芸師は転落して大けが。その日が彼女に会った最後だった。・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とある。私もこれを聴くのは2回目である。
内容の記憶があやふやだったこともあり、
もう一度聴こうと思った。
さて物語りは以下の通りである。
きちんと覚え切れていないので、
詳細は不正確なところがある。

****************************


僕がライト方向の流し打ちができるように
なったのは曲芸師のおかげである。

主人公の小学生の僕は、少年野球をしていた。
その野球をする場は、河川敷の広場で、
そこは石がごろごろして、草の生えたようなところで
きちんと整備されているわけではなかったが、そこでの
野球を楽しんでいた。

主人公の僕が打席に立つと、
3塁・レフト方向のファウルグランドの
水門の調整室のところで、4脚の椅子を4段乗せて、
その最上段で逆立ちをしている曲芸師の女性の姿が
目に入る。
その女性に打球を当てたら、曲芸師が落下してケガを
してしまう。そんな心配をして、
一度も3塁・レフト方向に打ち返したこともないのに。
それで、変なフォームで打つようになり、
コーチからそれを変えるように指導されたりしたが、
3塁方向にいる曲芸師に打球を当てないようにと
独特な打撃フォームが形成されていった。

そのように打席に立つ時に、
3塁方向の曲芸師を心配する僕であったが、
他のチームメイトは、曲芸師をまったく気にせず
3塁方向に打ったり、中には、その曲芸師を狙って
打っているんじゃないかと思える打球を飛ばす者もいた。

そう、その曲芸師を気に留めているのは、
僕だけに思えた。

そのように、もしかしたら打球があたるかもしれないと
僕が心配するような場所で、曲芸師の彼女が
その水門の直方体の形をした調整室の
建物を使って練習するには合理的な
理由があった。
それは、ちょうど椅子を3段積み上げた後、
最後の4段目の椅子を乗せるには、
その調整室の屋上の高さが好都合だったからである。

4段の椅子を乗せ、
真っ黒なタイツを身に包んだ
曲芸師の彼女は、逆立ちをして、曲芸の練習をする。
その4段の椅子と逆立ちをする彼女が一体化して
いるようにも思えた。

僕は彼女とは会話をしたことはなかったが、
声を聞いたことがある。
その僕の父が営む整形外科医院の
ある意味、常連の患者であるからだ。
それも

父は、その地域で、親切な医師として
評判があり、患者さんには同情心を示して
接しているのであるが、
その曲芸師の彼女には、
いつも診療時間を終えた頃に来院する
彼女であっても親切に接するが、
「まだ、肋骨にひびがはいってますね。」
と淡々した口調で、たびたび、ケガをしてくる
ケガをするようなことを止めない彼女には
同情心を示すようなことはなかった。

その父の診察に、「はい」「はい」と
応える曲芸師の彼女の声を僕は聞いていた。

彼女は曲芸のキャリアの中で、度重なるケガで
ある意味、傷だらけの身体になっているのだ。

しばらくして、ある日のこと。
その日も、いつもの河川敷で野球の練習をしていた僕。
チームメートがレフト方向後方の茂みに打ち飛ばし転がした
ボールを練習後に僕は捜していた。
そのうちになんと、他のチームメートは帰ってしまっていた。

その時、水門の調整室でいつものように練習していた
曲芸師の彼女と言葉を交わすこととなった。

毎日練習している理由は、血の流れが逆になってしまう
からだという。そう、曲芸師の彼女は、逆立ちをする。
逆立ちに適応した身体を維持するために毎日、曲芸の
練習をするのだという。
曲芸を披露する時、助手とサルとクジャクと一緒に
芸を行い、
彼女は、4段に積んだ椅子の上で逆立ちをしながら
股の間にフライパンを乗せて、クジャクの卵焼きを作ったり
するという。

それ以来、河川敷で野球の練習をする時、
3塁方向の水門の調整室で、曲芸の練習をする彼女と
手を振ったりしてコミュニケーションを交わすようになる。

ある時に、僕が、ライト方向に流し打ちをして、
ヒットを決めた時、
曲芸で4段の椅子の上で逆立ちしていた彼女は
褒め称えるほうに僕に手を振ってくれた。
その時、彼女は片手で逆立ちをしていて
それを見て、落ちないか心配しながらも
僕は片手を突き上げて、彼女に応じた。

そんなある日、前日の雨でぬかるみが残る
打席にたった僕は、転んで三振をしたと同時に
嫌な音が響いた!!
曲芸の椅子が崩れ、曲芸師の彼女が落下して
横たわっていた。ただ、意識ははっきりしていた。

野球のコーチが彼女を背負い、
僕の家でもある父の整形外科に連れて行った。

僕は彼女の練習道具の椅子を病院まで持っていった。
その椅子は、崩れた影響で破損したりしていたが、
彼女と一心同体の椅子をそのまま置いてきてはいけないと
思ったからだ。

彼女は万一、頭に異常があってはいけないと
横たわっていた。
診察の結果、手首が骨折、鎖骨も異常があり、
精密検査のため大学病院に紹介状を書く父が言う。

その後、僕は、曲芸師の彼女を彼女の自宅まで
一緒に歩いて送ることとなった。

彼女は片手は三角巾で曲げた上体で歩き、
僕は、4つの椅子を持って歩いた。

僕は、彼女の大ケガのことを心配したが、
彼女は、曲芸にはケガはつき物であり、
それは、野球でデッドボールでけがをするのと同じだと。
「デットボールのけがを怖がって、打席に立てないなんて
ないでしょ」という趣旨のことを言う。

彼女の自宅の庭には、他に多くの使い古した椅子がいくつもあり、
その多くの椅子のところに持ってきた椅子を置いた。

その日以来、曲芸師の彼女をみかけることはなくなった。

その語、うわさで、その曲芸師の女性は亡くなった。
そして、さらに、彼女は実家に戻ったのちに
肝臓の病気で亡くなったという追加情報が耳に入ったりした。

僕は、あの時、自分が変な三振をしたことがきっかけで
彼女が転落事故を起こしてしまい、もう二度と曲芸ができなく
なったのか、または、亡くなってしまったのかもと思ったりして
自責の念を抱いた。

そんな僕は時が流れ、高校生になり、高校生でも野球部に入部して、
県の予選大会に出場した。
そして、その時、9回裏にランナーがいる状況で
打順が回り、見事なライト方向の流し打ち、
あの曲芸師のおかげで身についた打法で、サヨナラヒットを
生涯一度だけのサヨナラヒットを決めたのだ。
その時だった。3塁の観客スタンドが視野に入った時、
あ!!とする光景が目に飛び込んできた。

それは、4段の椅子を積んで、その最上段で逆立ちをする
あの曲芸師の彼女の姿だった!!!
そして、助手の方もサルもクジャクも一緒にいて
そして、そこで逆立ちをしながら彼女は
サヨナラヒットを打ち放った僕を褒め称え祝福するかのように
芸をしていた。
彼女は亡くなってなんていなかった。
あの時の大ケガを克服して、曲芸師として復活していたのだ。

その後、僕は成人して、社会人になって、
野球は草野球チームでするぐらいになったが、
そのような試合でも、僕の目には
3塁・レフト側で、曲芸をする彼女の姿が映っていた。


****************************

という感じの物語ですが、
曲芸師の彼女と野球少年というあまり見られない組み合わせの
男女の縁の深さというか淡くも末永い絆を感じる物語でした。

実は、この当ブログの「ラジオ文芸間シリーズ」で
小川洋子氏の作品を取り上げるのは2回目で
1回目は、「イービーのかなわぬ望み」である。

その「イービーのかなわぬ望み」も
アンコール放送の回で取り上げた。

そして、今回の「曲芸と野球」も
「イービーのかなわぬ望み」も
平成19年(2007年)9月に発売された
「夜明けの縁をさ迷う人々」の
9つの短編小説に掲載されている。





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テーマ:読書メモ - ジャンル:学問・文化・芸術


3月中旬、西宮から雪が積もった六甲山を見て一句

今日は、2016年(平成28年)3月 16日 水曜日

昨日の朝、西宮市の朝凪町付近を歩いて
出勤していた時、西向きに歩いていると
六甲山の山頂付近に雪が積もっているのが見えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
春の六甲山、積雪20センチ 数年ぶり、今季最多
(東京新聞 2016年3月14日17時36分)


神戸市の六甲山で14日に雪が降り、標高855メートルに
あるスキー場「六甲山スノーパーク」では新雪が約20センチ積もった。
3月中旬の積雪量としては数年ぶりの記録で、
暖冬だった今季では最も多かったという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、20センチ以上は積もったということだった。

西宮から眺めると、
標高800メートル付近あたりだろうか、
雪が積もっているところとそうでないところの
境界があり、
そこが、雪と雨の境界線だったのだろう。

標高931mの六甲山頂付近に雪が積もった日の
神戸の気温の幅は5.9℃~8.8℃であったが、
100m高くなるたびに気温が0.65℃下がるというので、
標高800メートル以上で、
その日は単純計算で、0.7℃~3.6℃の気温ということになる。
さらに冷たい空気があれば、それよりも気温が
低かったかもしれない。

その標高の高い六甲山頂付近が雪が積もっている光景を見て
浮かんだ一句。

 春先や
  雪をかぶりし
     六甲山

テーマ:日記 - ジャンル:学問・文化・芸術


「はるか」(北村薫 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・天真爛漫の無邪気な女子高生の明るさが潤いと彩りのある 豊かな日常にもたらす

今日は、2016年(平成28年)3月 13日 日曜日

昨日、自宅外で、ポッケットラジオで
耳で聴く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いた。

そのあらすじは番組のHPに次のように紹介されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「はるか」2016年3月12日
作:北村 薫

町の本屋の三代目、英造は、駅前の一等地のパン屋兼スーパーが店じまいするので
後を探しているという商工会の話を聞き、思い切って、中西屋の店を出すことにした。  
学生時代の友達が開店祝いに贈ってくれた現代版画を飾った明るい店は、
地の利もあって駅の乗降客が毎日何人か寄っていく。
新しく雇ったパートの奥さんや短大生などの中でひときわ元気なのが、
高校生の柳田はるかさん。
変わらない毎日に何かしらエピソードを巻き起こすのだった…



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということだが、この「はるか」ちゃんの
無邪気な天真爛漫の明るさをベースにしたストーリーに
何か引き込まれるものがあった。
さて、物語については、駅前に移転した書店の中西屋の
開店準備作業のときに、女子高生のはるかが登場するところか
紹介していく。細かい部分など記憶が曖昧な部分があるので、
不正確な部分がある。


:::::::::::::::::::::::::::::

中西屋は駅前の1階と2階が階段でつながった空き店舗のうち
とりあえず1階部分だけを書店として開店しようとしていた。
中西屋の英造が駅前の本屋の開店にあたり、アルバイトを10名ほど
募集して、6名ほど埋まった。そののようなころ、
開店準備中の店を覗くセーラー服の女の子がいた。

その女の子は英造に話しかけ、
「ここ本屋なんですか。駅前で絶対いいですね」

「ぜった~い!!」とそして、
「アルバイト、いりませんか?」とはるかは英造に言った。

そんなこんなで、はるかは駅前に開店した中西屋で月曜日と水曜日の
夜に学校が終わった後に、短大生の女性と一緒に勤務することとなった。

レジの最後の清算は英造がすることになっていて、
アルバイトの女性達はその操作方法については、
最低限のこと以外教えていなかった。

ある日、用事で店から出て離れていた英造が店に戻ろうとしていたとき、
店から出て駅前で
いつもは明るいはるかが落ち込んだように、書店のエプロンを身にまとった
まま立っていた。

英造がはるかに声をかけると、
はるかは

「店長。とんでもないことをしてしまった」

と言い出した。はるかが、一緒にバイトをしていた短大生と冗談をいいながら
手を動かしていると、何かの拍子でレジの今まで触ったことがない
ボタンを押してしまったようで、今までみたことがない画面になって、
元に戻そうとして、操作方法がわからないまま、何かのボタンをおしたら
またわからに画面になって、元に戻せなくなってしまったのだ。

まあ、その後の売り上げは、本が売れるたびに紙に書いて記録に
とっていた。

英造ははるかと一緒に店に戻って、レジを見てみると、
消えてはいけないデータは消えていなかったようだったが、
はるかがわらないままにいじくってしまったことで、
元に戻すには一旦電源を再起動する必要となった。

英造は「これは罰金だな」とはるかに言うと、

はるかは「えええ」とびっくりすると、

英造は「冗談。まあ、レジの使い方もっと皆さんに教えるよ」

と言った。

そんなことがあって、しばらくたった
はるかがバイトをしているある日、
何か、ヤクザ風の装いの男が若い手下のものを一人連れて
店に訪れた。

するとそのヤクザ風の男は階段から空いている2階のフロアを
眺めていた。
それを見た英造は、
「空いている2階を事務所として使いたがっているのだろうか。
歓迎したくない方々だ」と思った。

すると、そのヤクザ風の男はレジにいたはるかに話しかける。

その男が「2階空いているのか」と言うと、
はるかは
 「いいえ。2階は、店長(営造)が婚約者の方と住むことに
なってるのです。えええと、婚約者の方は、(千葉の)館山が実家で、
ニューカレドニアに新婚旅行に行くんです」

明るくと言うと、そのやくざ風の男はあきらめたかのように
手下のものを連れて、店を出て行った。

はるかの言うことに、英造は驚く、英造は全く誰とも
婚約なんかしていなくて、なんでそんな話になったのか。

どうやら、はるかたち、アルバイト達の間では、
店長が婚約していて、結婚して2階に住むという
話が広まっていたようだ。

それにしても、どうして、はるかの口から
その店長の婚約者の実家が館山で
新婚旅行がニューカレドニアになったのか。

それは単純。はるかが何とか、その男との会話をつなげようとして
はるかの祖母が館山に住んでいること、
そして、はるかがニューカレドニアに興味があったこと、
そんなことで、思いつくままに口からでまかせの
架空の物語をやくざ風の男に語ったのだ。

それを聞いたヤクザ風の男はそれに真実味を感じたのか
その2階をあきらめてそそくさと去っていったのであった。

やがて月日が過ぎ、12月になった。
その日、バイトに入っていたはるかから英造に

「クリスマスの飾りをしないのですか」

と言ってきた。英造はそのような趣味はなく、
考えてもいなかったので、

「しないよ」

と言った。はるかは「そうですか」とその時は
それで終わった。

ただ、12月下旬に差し掛かったとき、
再びはるかが英造に

「ほんとにクリスマス飾らないんですか?」

と懇願されるように言ってきて、
英造は、まあ、そこまで言うなら「いいよ」と言うと、

すると、はるかはレジのカウンターの下から
何かを入れている袋を取り出した。

それは、クリスマス用の飾りに使うものであった。

実は、1回目に英造に提案した時には既にそれを用意していて、
自分でスーパーで買っていたものであった。

その中からはるかはモールやスプレーを取り出し、
白いサンタがそりを引いている型を取り出し、窓につけて
白いスプレーを吹いた。

すると、それを知った他のバイトの女性達も
自宅から飾りに使うものをいろいろもってきて、
飾り付けができあがり、あるバイトのおばさんが
持ってきた「星にねがいを」のオルゴールが
レジで客が清算する間になっている。

はるかがきっかけとなって、女性のバイトの皆を
巻き込んで、駅前の本屋は彩りのあるクリスマスと
なった。

クリスマスイブの日、英造の本屋では
はるかと50代ぐらいのおばさんがバイトで入っていた。

おばさんがはるかに
「今日は、早く帰らなくて良いの。若い人はクリスマスイブで
いろいろあると思うけど」

と言うと、はるかは

「家に帰っても、勉強しろと言われるぐらいだし」

とはるかはバイトを続ける。

その日の夜、
それなりにクリスマスの装いがなされ
「星にねがいを」のオルゴールが聞こえる駅前の本屋に
ポツ、ポツとお客さんがきて、

クリスマスにちなんだ本を買っていく。
ある客は、これを袋に入れて、リボンを付けてほしいという。
クリスマスプレゼントに使うつもりなのだろう。

そのクリスマスイブの日の営業が終わり、閉店した後、
コーヒーを入れて、
おばさんが持ってきたクリスマスケーキにローソクを立て、
火をともす。
すると、おばさんが「きよしこのよる」を歌いませんか?

と言い出し、英造は「まいったな」と思いつつ、拒否する理由もないので、
英造とはるかとそのおばさんが3人で、「きよしこのよる」を
歌い始める。

はるかの歌声が透き通った声で、閉店後の店内に響きわたる。

すると、「きよしこのよる」を歌っていたはるかは突然
途中で歌うのを止めて、こう言い出した。

「私がこの歌を歌っていいのでしょうか。
大晦日から年明けの2日まで、神社で巫女のアルバイトを
するのですが・・・・」


:::::::::::::::::::::::::::::

と、そこで、この物語は終わる。

別に何気もない日常、、
天真爛漫の無邪気な明るさを持った女性がいるだけで、
その何気もない日常の日々に、潤いと彩をもたらし、
豊かにしていくのだなあと
感じた。

作者の北村薫氏は、早稲田大学を卒業後、
高校の国語教師をしながら
創元推理文庫の「日本探偵小説全集」を編集、
その後、平成元年に覆面作家としてデビューしたりしていた。

この「はるか」は、文藝春秋のオール讀物の1993年1月号に掲載され、
その後、平成6年(1994年)に発売された短編小説集の「水に眠る」に
収録されている。

ちなみに、北村薫氏は平成21年(2009年)に直木賞を受賞している。



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東日本大震災から5年、5年前の今日と同じく「金曜日」であった・・・・もうひとつの平成の大震災の阪神大震災の5年後を思いつつ

今日は、2016年(平成28年)3月 11日 金曜日

今日で、東日本大震災と福島原発事故をもたらした
東北地方太平洋沖地震が発生してから5年になる。
5年前の今日は、本日と同じ金曜日であった。

今から5年前の今日、
私は当時勤務していた小さな会社の
京都市内のオフィスでひとりで勤務していた。
そのころは、いつも、オフィス内のラジオで
FM802を聞きながら作業をしていたが、
ちょうど、14時49分ごろだっただろか、
FM802の「ただいま地震が発生しています」と言っていて、
すると、京都市内の職場でも揺れを感じて、
すると、船酔いするかのような気持ち悪い揺れの長さに
「これは、日本のどこかで大地震が発生した」と感じて、
2ちゃんねるの速報ヘッドラインを見ると

緊急地震速報を告げるスレがあり、
見ると、宮城・岩手・福島・秋田・山形とあり
東北かと思うと
すかさず大津波警報で、それも6mという大津波を示す
書き込みがあり、これはすごい大地震が東北三陸沖で
発生したんだなと思った。そして震度7の速報があり
これはすごいことになりそうだと
最新情報を随時追っていた。

その後、夕刻、兵庫県西宮市の自宅に帰宅している
途中の阪急京都線の十三駅に到着する前の17時20分過ぎ、
NHKテレビの音声放送のみを
ウォークマンのFMラジオ機能で耳にしていた時、
驚く速報が耳に入った。


「東京電力福島第一原子力発電所の原子炉が
安定的に冷却できなくなり、原子力緊急事態宣言が出された」

というニュースであった。
私はこの時、

「ああ、やられてしまったたんだ。大変なことになる」

と思った。その後、まさに3つの原子炉がメルトダウンして、
最悪、首相官邸で、首都圏3000万人避難のシナリオが想定されるという
原発の大事故となった。

そして、私にとっては、会社の主要顧客企業が電力関係であったことで、
原発事故の影響で受注がなくなり、その翌年の8月に失業することとなった。

あの地震から5年、失業後、6つの職場を転々として、
現在に至っていて、西宮市内の職場で勤務している。

平成になって、2つの大震災が発生していて、
東日本大震災と阪神淡路大震災である。

阪神淡路大震災の時、大学生で西宮市で下宿屋に
いた時、震度6以上の激しい揺れで下宿屋が居住不能となり
引越しをせざるえなくなり、震災の混乱の中、
その後の進路も不安定で大学を卒業しても2年ほどは就職せず、
平成10年になってやっと京都の小さな会社に就職して、
阪神大震災から5年後の平成12年もその企業にいて、
西宮と京都を毎日通勤している日々を過ごしていた。

その企業をもうひとつの平成の大震災となる
東日本大震災での原発事故で退職をせざるえなくなる運命とは
思ってもいなかった。

さて、そのような平成の2つの大震災の5年後ということを
私個人の体験でつづったが、
社会的に大きく見て、
この平成の2つの大震災の5年後の違いについての
キーワードとしては、

人口減少時代、大都市と過疎地

とある。

東日本大震災の被災地の方が、
阪神大震災から20年以上経った
神戸を見て、
「このように復興したのを見て」
ということを語ってたのをテレビの報道で見かけたとき、
阪神大震災と東日本大震災の違いを感じる。

阪神大震災後の日本は
まだまだ人口が微増ながらも増えていて、
また、神戸は人口150万人の大都市で、
復興にしやすかった面があったのかもしれない。

一方、東日本大震災後の日本は
人口減少社会に突入し、
東日本大震災の被災地は、過疎の地区も多くあり、
阪神大震災の場合よりも
復興に困難さを伴うように思え、
人口減少を前提とした復興にならざるを得ない。

そして、阪神大震災と東日本大震災の決定的な違いは
原発事故という放射能汚染で、福島県では
未だに帰還できない地域があり、
帰還が再開された地域でもあまり人が帰ってこず
一度、町や村が失われたところを
ゼロから作り直すことの困難性を思わされる。


そのようなことを東日本大震災5年を
阪神大震災の5年の時と比べながら思うのであった。


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東日本大震災から5年、命がけで住民の避難誘導をして避難民の命を救った殉職警官を思い出す

今日は、2016年(平成28年)3月 9日 水曜日

東日本大震災から5年経つが、
あの日、あの時、仙台市若林区荒浜で、
巨大津波が迫る中、命がけで
避難誘導をして殉職した警官がいた。

その警官の名は、
仙台南署荒井交番の渡辺武彦巡査部長(享年58)である。

渡辺巡査部長は、超巨大地震の発生後、仙台市若林区荒浜で、
同僚3人と交通整理や避難誘導にあたっていた。

その時、ある26歳の女性が仙台市宮城野区の勤務先から、
子供を預けている保育園の宮城県の岩沼市に向かって、
南下して走行していた。

若林区荒浜の交差点にさしかかった時、避難誘導にあたっていた
年配の警官をみかける。その警官が渡辺巡査部長である。

その女性が、渡辺巡査長が警棒を振り回しながら
真剣な表情で、

内陸に行け!!!

声を張り上げられて、南下していた方向を変えて、
西の方の内陸に向かった。

やがて、内陸に向かうその女性の車に
津波が押し寄せてくるのが見え、
車を乗り捨て、盛り土で高くなっている
仙台東部道路に避難して、津波に呑まれることなく
助かった。

その女性を含め多くの方を避難誘導していた渡辺巡査部長がいた
交差点の現場では、同僚の警官の方々のうちひとりが、
轟音とともに水しぶきをあげ巨大津波が迫っているのに気づき、
他の同僚らとともに住民をパトカーに乗せて、逃げたが、
渡辺巡査部長の姿はなく、
6日後の朝、現場から100mほど離れたところの
民家の玄関先で箪笥の下敷きになって亡くなっている姿が発見
された。

翌月、渡辺巡査部長を殉職したことを知った
その26歳の女性は、
「警察官の誘導がなかったら死んでいた。渡辺さんがいなかったらだめだった」と
夫と長男とともに渡辺巡査部長が勤務していた荒井交番に感謝の花を届け、
管轄の警察署を通じて、その花を渡辺巡査部長の妹さんが受け取った。
その妹さんは、
「最後まで警察官の職責を果たし、1人でも多くの命を救おうとした兄を
誇りに思います」と語ったという。

命をかけて、住民の避難誘導にあたり、少しでも市民・住民の命を
守ろうとして殉職した警察官がいたことを東日本大震災5年にあたり、
ふと思い出すのであった。

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双子の幼児をベビーカーの乗せて押している若きお母さんを見てすごいなあと感じつつ、ふと、世の中をことで思ったこと

今日は、2016年(平成28年)3月 6日 日曜日

一昨日の黄昏時を過ぎたころ、
西宮市の阪急今津線で今津駅から西宮北口駅に向かう
車両の中で、二人乗りのベビーカーに
2人の幼児を乗せて、押している若いお母さんが
乗ってきて、そのお母さんが「ふう」という感じで
ひといきしていた。その2人の幼児は3歳ぐらいで
双子にも思えた。

その2人の子供がけんかしそうになったら
いろいろあやしたり話しかけたりしていた。

その光景を見て、
「世のお母さんはすごいなあ」と
42歳の独身男の私は思うのであった。

それにしても、このようなお母さん達の
子育て環境はどうなっているんのだろうかと
ふと思う。

最近、保育所の入園選考で落選して
子供を保育園に預けることができなかった
女性が

「保育園落ちた日本死ね!」 

というタイトルで、

「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。

「子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからって
言ってて子供産むやつなんかいねーよ」


というネット上に投稿したことが国会でも取り上げられる状況であるが、
その保育園不足のひとつの背景に保育士不足があり、
その原因として、保育士の給与待遇が低いことがある。

つまり、国や行政などからの保育士への予算が少ないのだ。

私は思うに、この20年以上、
実際は財政危機ではないのに、財政危機を煽って
社会保障や公共事業などの予算をケチってきたことがある
のではと思ったりする。

本当に財政危機なら、金利は大幅に高騰して、
物価は大幅に上昇しているはずだが、
この20年、金利は下がる一方で、国債でマイナス金利と
なっている。
金利が低いということは、政府はもっと借金してくださいという
マーケットからのメッセージとも受け取れる。

そして、工業設備の推定実稼動率が70%台半ばという
生産力過剰状態に日本においては、物価が大きく上がる状況でなく、
お札をどんどん刷って、バラマキをしてもインフレの心配はない。

借金がいやなら、政府の借金とならない政府紙幣の発行をすればいい。

そんなことをして、保育士の給料アップをはじめ
様々な社会保障へのバラマキをすればいいと思うのだが。

そんなことを、
ふと、電車内で双子の幼児をベビーカーに乗せて
一生懸命に子育てをしている若きお母さんの姿を見て
思うのであった。

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西宮にて、弥生初日に舞う雪を見ながら、地球の悠久の行き先を思う・・・弥生3月の冬と春の空気のせめぎあいは何年後まで続くのだろう

今日は、2016年(平成28年)3月 2日 水曜日

昨日の弥生の初日の朝、
西宮浜の職場の窓から外を眺めると
雪が舞っていた。

3月は気象学的には春にとなるが、
真冬の寒気が日本列島に南下して、
冬型の気圧配置が強まり、西宮でも雪が
舞ったのである。

西高東低の冬型の気圧配置は
東の低気圧が発達すればするほど
強い季節風が吹き、寒さが増すが、
今回も北海道で低気圧が発達して
強い冬型の気圧配置になった。

今回の
温帯低気圧が発達は
強い冬の名残の寒波と
春を誘う暖かい空気が入り混じり、
その気温差が大きいことから生じた。

温帯低気圧のエネルギーは、
大気の密度が高い(重たい空気)寒気と
大気の密度が低い(軽い空気)暖気の落差によって生じる
重力による位置エネルギーである。

その落差が大きいほど、
重たい空気である寒気が下降していく時の
位置エネルギーが運動エネルギーに変化するエネルギーが
大きくなり、温帯低気圧は発達する。

この弥生初日に、
西宮に雪を舞わせた強い冬型の気圧配置をもたらした
低気圧の発達は、
まさに、冬の名残の寒気と春の誘いの暖気の
季節の境目のせめぎあいがもたらしたものとも言える。

弥生3月に、このような
冬の空気と春の空気のせめぎあいはこれまでも
繰り返されてきて、また、これからもくりかえされて
いくだろうと思う。

少なくとも私が存命の間はそうは続いていくだろう。

しかし、そのようあことは、私が亡くなった後、
どのくらいいつまで続いていくのだろうか?
数十年後、数百年後、数千年後、数万年後、
まで続いていくのだろうか?

ただ、1億年後はそうはなっていないだろうと
おそらく地殻の移動で、地球上の地形はかなり
変わっているかもしれない。

西宮市の緯度と経度は
北緯34度42分、経度は東経135度15分ぐらいで
あるが、1億年後は、その緯度と経度に
現在の西宮市があるとは思えないし、
日本列島はまったく違う形になっているかもしれないし、
まったく違う気候になっていそうである。

ちなみに1億年後に人類なるものが存在しているか
どうかわからないが。

まあ、10億年後には、太陽が膨張を始めると言われているから
そうなれば地球上の水は干上がって、気候も全く変わったものとなり、
生命そのものが絶滅しているかもしれないけど。

そのような悠久の地球の時の行き先を
弥生初日の雪が舞う西宮市で思うのであった。

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