言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
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7時30分開店のコンビニに一番乗りで入店・・・なんばパークスタワーにて・・・大都会においては、空間を限定しないと眠らない街から隔離されないのだなあ

今日は、2015年(平成27年)3月31日 火曜日

ここ10日ほど、なんばパークスタワーに
通っている。
昨日、なんばパークスタワーには午前7時30分よりも
前に到着した。

なんばパークスタワーが開くのは午前7時30分で、
その時刻になると、2階にある入口が開く、
すると2階にあるファミマも時同じくして開店する。

午前7時30分になり、2階の入り口が開き、
開店したばかりのファミマに一番乗りで入り、
その日の一番初めに会計を済ました客になった。

ファミマ なんばパークス 150330_0732~001

大都市のコンビニは
だいたい24時間営業が通常なので、
コンビニでその日の開店一番乗りになるということは
めったに経験できないことだなあと思った。

大都会は24時間眠らぬ街になっていて、
コンビニも24時間営業は当たり前になっているが、
そうではなく、その日に開店時刻と閉店時刻がある
ということが珍しいことになっているがゆえか
ある種の趣というかしみじみとしたものを思う。

まあ、ここはオフィスビルなので、
オフィスの業務の時間と連動して、
コンビニが開店したり閉店したりしている。

大都会の中のオフィスビルという限定された
空間であるがゆえに
24時間営業ではないコンビニが営業され、
開店時刻と閉店時刻があるのだが、
大都会において空間的に出入りが限定されない
不特定の方々が行きかう街中では、
24時間営業が当たり前になっている。

大都会においては、空間を限定しないと
眠らない街から隔離されないのだなあとふと思うのであった。


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テーマ:日記 - ジャンル:学問・文化・芸術


自宅近くの川で部分遺体が発見され、連日警察が捜索をしている・・・・亡くなった方はどのような最期だったのだろうか。

今日は、2015年(平成27年)3月30日 月曜日

私の西宮市の自宅からゆっくり歩いて、
10分のほどの
津門(つと)川流域で、ここ数日、警察関係者が捜索をしていた。

それは

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
川に人の腕:左右1本ずつの2本 死体遺棄で捜査 西宮
毎日新聞 2015年3月24日23時01分 


 24日午後3時10分ごろ、兵庫県西宮市津門住江町の津門川で、
人の腕のようなものが沈んでいるのを付近を散歩中の20代の女性が見つけ、
県警西宮署に通報した。同署は死体遺棄事件の可能性もあるとみて捜査している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このできごとの捜索を続けて、
連日、遺体の他の部分を探しているのだろう。

津門川現場 150326_1554~001

その捜索の様子を取材しているマスコミ関係者の
テレビカメラを持っている人を見かけた。

津門川現場 150327_1117~002

ある局だろうか、
タクシーを2台貸切で、現場近くで止めたままに
していた。


発見された両腕について様々調べた結果、
この遺体の方の身長は140センチメートルぐらいで、
血液型がB型の女性ということがわかっている。
そして、この遺体は、死後、切断されたものと
わかっている。死後1ヶ月以内だとみられている。

ということであるが、
この亡くなった女性は、どのような人生をあゆみ
どのような最期だったのだろうとふと思う。

他殺されたのか?
それとも、病死したが、葬式も出せず、遺体女性の関係者が、
遺体の扱いに困って、切断して遺棄してしまったのか?

それにしても、現場近くの橋をよく通るので、
その橋の近くで、遺体が遺棄され、
約1ヶ月誰にも気づかれず、川の水のなかに
あったのかと。


テーマ:気になったニュース - ジャンル:ニュース


「言葉と文字が織り成す意味の世界」を冒険していきたい・・・・マッサン最終回「人生は冒険旅行」を見て

今日は、2015年(平成27年)3月29日 日曜日

昨日、NHKの朝の連続テレビ小説の「マッサン」が
第150回目の最終回だった。

その中で、エリーが

「Life is Adventure」
(人生は冒険旅行)

と言っていた。

日本で初めてウィスキーを作る男とともに
その男に夢見たエリーの冒険旅行の人生でした。

それを見て、私の人生は、そんな強い信念を持って
冒険旅行をしているわけでない。
具体的な行動をもって何かにチャレンジしているわけでもない。

ただ、もうこのように毎日9年以上、いろいろ調べて
ブログを書いて、楽習(がくしゅう)社という架空の企業を
語って、
知識や情報などのミーム(文化遺伝子)をささやかながら
伝えられることができればいいと思っている。

そのために、これからも
「言葉と文字が織り成す意味の世界」を冒険していきたいと
思っている。

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


ドイツ格安航空機墜落、副操縦士が故意に墜落か・・・・昭和57年の羽田沖墜落事故を思い出す・・・テロ対策のシステムが逆に故意の墜落を助けてしまった

今日は、2015年(平成27年)3月28日 土曜日

ドイツの格安航空機が、
フランスのアルプスに墜落した事故で、
フランスの検察当局が、副操縦士が故意に墜落させた
という見解を発表した。

私がそれで思い出したのは
昭和57年(1982年)2月9日に、
24名が亡くなった羽田空港沖での日航機墜落事故である。

この事故では、精神疾患を患っていた
機長の異常な操縦により墜落したことが原因であった。

この機長は、事故を起こす6年前から幻覚を見るようになり
初期の精神分裂病とうつ症状診断され、治療を受けたが改善せず、
やがては
「ソビエトが日本を分裂させようとして、血なまぐさい戦闘をさせている」
という妄想を抱くようになり、
そして、事故のときの便を操縦中に
「敵に捕まって残忍な方法で殺されるよりも、自分から先に死んだほうがマシだ」
と妄想を抱き、羽田空港への着陸態勢に入った時に
「死ね、死ね、」と命令されているうような妄想を抱き、
エンジンを逆噴射させ、羽田空港沖に墜落させた。

結局、この機長は心身喪失状態で不起訴となった。

この時、日航の機長への健康管理のありかたが問われた。

さて、今回のドイツ航空機の事故が
フランスの検察発表通りの副操縦士による故意の墜落なら、
航空会社は、この副操縦士の精神状況を把握することは困難だったのか?
それとも、テロ組織とつながりがあり、墜落をさせたのか?

まだまだわからないことがある。

今回のできごとは、911のアメリカ同時多発テロを受け、
コックピットへの操縦士以外の進入を阻止するシステムが
逆機能してしまい、副操縦士による故意の墜落ということに
なった可能性が出てきた。
もし、コックピットで操縦する者が
人生に希望を失い、そこにテロ組織がつけこみ
911のようなテロを起こそうとした場合、
そのシステムがテロを促進させる機能を有してしまい、
最後は、撃墜しか防ぎようがない状況になってしまうことを
思わせるのである。


テーマ:気になったニュース - ジャンル:ニュース


3月27日のできごと・・・明治45年(1912年)3月27日、東京市から送られた桜がポトマック川河畔に植樹される。荒川(東京)・伊丹市(兵庫)とワシントンの桜の交流

今日は、2015年(平成27年)3月27日 金曜日

3月27日の過去のできごとで、
今から102年前の今日の明治45年(1912年)3月27日(水曜日)
当時、東京市から市長の尾崎行雄より
アメリカに贈呈したサクラの苗木が
ワシントンDCのポトマック川河畔に植樹された。

そもそも、
日本の桜をワシントンに持ち込むことを考えたのは
ナショナル・ジオグラフィックス協会の
女性理事で紀行作家のエリザ・シドモアである。

彼女が1885年(明治17年)に、日本に旅行したとき
日本の桜に魅せられ、ワシントンDCのポトマック川河畔に
日本の桜を植樹することをそこを管理していた米陸軍に
24年間提案し続けたが、なかなか受け入れられなかった。

動き出したのは、日露戦争後である。

明治42年(1909年)当時、
ニューヨーク総領事をしていた水野幸吉が
シドモアがワシントンへの桜植樹構想を抱いている
ことを知った。

水野幸吉は、日露戦争のポーツマス条約締結にむけて
アメリカが協力してくれたことに恩義を感じていた。
水野幸吉がワシントンに出かけた時、
そのころワシントンにいた
アドレナリンの発見者である高峰譲吉博士とシドモアとの
話し合った。

その時、水野はシドモアから
当時のアメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフトの婦人である
ヘレン・ヘロン・タフトが
ワシントンのポトマック河畔への桜植樹に強い関心を示したことを聞いた。

その時、水野と同じく
日露戦争講和条約のアメリカの協力への謝礼を考えていた
当時、衆議院議員でかつ東京市長であった尾崎行雄が
水野幸吉からトマック河畔への桜植樹構想の話を耳にした。

そして、明治43年(1910年)に
東京市から桜の木を2000本をアメリカに送った。

しかし、それに害虫が寄生していたため、
アメリカ政府は焼却処分にした。

そのことに関係者は落胆したが、
それでも、尾崎行雄は高峰譲吉博士の支援を受け
再び、アメリカに桜を送ることを目指した。

害虫に強い桜を確保するため
苗の台木の産地として選ばれたのが
兵庫県川辺郡東野村(現・伊丹市)の桜の苗木であった。
それに当時の東京の荒川の荒川堤にあった桜を接木して、
明治45年(1912年)2月、横浜港からアメリカに送られた。

そして、明治45年(1912年)3月27日
ワシントンDCのポトマック川河畔にて、
東京市から送られた桜の植樹の記念式典が行われ、
ウィリアム大統領夫人のヘレン・ヘロン・タフトと
日本大使珍田捨巳子爵の妻・珍田いが桜の植樹を行った。

その後、毎年、ポトマック川河畔にて桜の開花時期に
全米桜祭りが開催されるようになっている。

ポトマック川に送られた桜の木のもとになった
荒川堤の桜の木々は、第2次世界大戦で、
燃料として切り倒され、廃れてしまった。

そして、その荒川堤の桜を復活させるため、
昭和27年(1952年)と昭和56年(1981年)に
ポトマック川からの桜が送られ、
荒川堤の桜並木復活への取り組みが続けられている。
このような歴史もあり、ポトマック川と東京の荒川が
姉妹河川になっている。

そして、平成15年(2003年)に
日本から桜がワシントンに贈られてから
90周年を超えたことを記念して、
「里帰り桜」の木として、
ポトマック川への桜の苗木の台木の産地となった
伊丹市にワシントンから桜が贈られた。

ポトマック川に東京市から桜が植樹されてから
100年となった
2012年3月27日、植樹100周年の記念式典が
ポトマック川河畔で行われ、
オバマ大統領夫人のミシェル夫人は
「長年、桜の木々は米日の素晴らしい友情の象徴だった」と語り、
また、それに参加した
尾崎行雄氏の孫である原不二子さんは
「100年たっても100本の木が残っているのは、大事にしてくれたということ。
国が戦争をしても、市民と市民のつながりは大事にしていかないといけない」と
語った。
現在、ポトマック川河畔一帯にには、
1912年に植樹された約100本を含む3770本の桜の木が今もある。


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3月26日のできごと・・・大正14年(1925年)3月26日、普通選挙法が帝国議会で成立

今日は、2015年(平成27年)3月26日 木曜日

今から90年前の今日の大正14年(1925年)3月26日(木曜日)
この日、日本の帝国議会で普通選挙法が成立した。

日本では、明治23年(1890年)に
衆議院の第1回総選挙が実施されたが、
この時の選挙権対象者は直接国税15円以上納める25歳以上の男子で、
当時の価値では15円はかなりの高額で、
有権者数は45万人で有権者が全人口に占める割合は1.1%に
過ぎなかった。
つまり、納税額によって選挙権があるという制限選挙であった。

その後、納税額の基準が

明治35年(1902年)に、直接国税10円以上納める25歳以上の男子、
大正 9年(1920年)に、直接国税 3円以上納める25歳以上の男子、

と下げられたが、大正9年の変更でも
有権者数が307万人で有権者が全人口に占める割合は5.5%に
過ぎなかった。

大正時代、
原敬内閣、高橋是清内閣など政党内閣による政党政治が行われ、
大正デモクラシーや中産階級の増大になどにより、
国民の国政参加への意識が高まり、
納税額に関係なく成人男子に選挙権が行使できる普通選挙への
国民からの要望が高まっていた。


その後、
枢密院議長の清浦奎吾の内閣が誕生するが、
反政党政治の超然内閣の振る舞いをしたため各層から反発を受け、
憲政会の加藤高明と革新倶楽部の犬養毅、
そして、立憲政友会総裁の高橋是清が
清浦奎吾内閣打倒を目指し、護憲三派を形成、
第二次護憲運動が始まった。
そして、総選挙で普通選挙の公約を掲げて
議会の多数派を獲得した。
そして、
憲政会総裁の加藤高明の内閣が誕生し、
衆議院議員選挙法改正法律案(普通選挙法)を第50回帝国議会に提出、
大正14年(1925年)3月2日に、それが衆議院で可決、
そして、同年3月26日に貴族院を可決し、
満25歳以上の男子全員に選挙権を持つことができるようになった。

普通選挙法成立後の初の総選挙は昭和3年(1928年)に実施され、
有権者数が1241万人で有権者が全人口に占める割合は20.0%になった。

一方で、普通選挙法成立にあわせて、
天皇主権の体制や社会主義者取締りを目的とした治安維持法が制定され、
これが昭和初期から15年戦争に進む中で、
軍国主義が広まった時に、国民を弾圧する機能を有した。

女性への普通選挙への成立は第2次世界大戦で日本が敗戦して、
占領下の日本でGHQ指導のもと
昭和20年(1945年)に成立し、
昭和21年(1946年)に20歳以上の男女に選挙権を有するようになり、
有権者数が3688万人で有権者が全人口に占める割合は48.7%になった。

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3月25日は電気記念日・・・明治11年(1878年)3月25日、日本初公式に電灯が点灯される

今日は、2015年(平成27年)3月25日 水曜日

3月25日は「電気記念日」である。
明治11年(1878年)3月25日に、
日本で初めて公式に電灯が点灯されたことに由来している。

明治11年3月25日の夕刻に
東京虎ノ門の工部大学校(現東京大学工学部)のホールにおいて、
工部省電信局・東京電信中央局の開業祝賀会が開催された。

会場ホールには大臣や各国行使など約150名の方々が
参加し、盛大に祝賀会が開催された。

この時、会場に電気灯を使用するよう
工部卿の伊藤博文が英国人エアトン教授に依頼した。

エアトン教授の指導のもと電信科学生藤岡市助らが
グローブ電池50個を用いて、
講堂の天井に設置されたアーク灯を点灯させようとして、
エアトン教授も自ら難しい調整にあたった。

そして、明治11年3月25日18時、
エアトン教授の合図とともに会場ホールの天井の
アーク灯が点灯され、講堂をくまなく照らして、
来賓客は目もくらむような青白い光に驚嘆の声があがり、
万雷の拍手が鳴り響いたという。

ただ、当時は電灯の調整が難しく、すぐに電灯は消えてしまったという。

それでも、この時が、日本で初めて公式に電灯が点灯された時であり、
その先人達の功績を記念して、
昭和2年(1927年)9月に、
日本電気協会が3月25日を「電気記念日」に制定した。

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伝統陶芸の色鍋島の第十四代今泉今右衛門さんは、武蔵野美術大学学生時代の現代アートの感覚と雪の夜に感動した経験をもとに伝統に新しさがもたらされ活性化させている

今日は、2015年(平成27年)3月24日 火曜日

先日(2015年3月21日)に放送された
NHKの「インタビュー ここから」で、
佐賀県の陶器である鍋島焼の色鍋島を受け継ぐ
陶芸家の第十四代今泉今右衛門さん(1962年生まれ)が
出演していた。

第十四代今泉今右衛門さんは
昨年、陶芸の分野では最年少の51歳で
人間国宝に認定された。

今泉今右衛門さんは、江戸時代から鍋島焼に用いられている
「墨はじき」という技法をそれまでの伝統とは
異なった趣で発展させ、
「色絵薄墨墨はじき雪文鉢」という色鍋島の作品を作った。

色絵薄墨墨はじき時計草文鉢 14-16 (1)

これについて、今泉今右衛門さんのホームページには

「時計草のリズミカルな花と雪の結晶の静謐な世界を融合させながら、
薄墨の濃淡により外に広がっていく雰囲気を表現しました。」

という説明がなされている。
 画像も今泉今右衛門さんのホームページより

この作品を考え出すまでの人生過程を
先日のNHKのインタビューで語られていた。

今泉今右衛門さんは大学は
武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科に入学し、
そこで現代芸術に関心を持ち、金工などに取り組んだ。

作品を作る時、
湧き出る思いを表現するということを考えていたが、
その湧き出る思いがなかなか出てこず、
成績も下の方だったという。

大学3年生の冬の雪がよく降っていた夜、
大学近くの玉川上水沿いを歩いていた。
すると雪降る夜を照らす外灯を目にすると、
その明るい部分を中心にして、
雪に自分が吸い込まれるような光景に感動したという。

そこから感動する心さえあればと思ったという。
自分がものづくりができるかできないか不安を感じていたので、
感動できる自分に安心し、その後の
感動する思いをものにたくすようになった。

武蔵野美術大学卒業後、インテリア会社に就職し、
その後、京都で窯を営む方の弟子になり、
そして、27歳の時に実家に戻り、
色鍋島の陶芸に打ち込む始める。

今泉今右衛門さんが注目したのは、
「墨はじき」という技法である。
それは、素焼きした器に黒い墨で線を描き、
そして、絵の具を塗り、もう一度素焼きすると、
墨がはじかれ線が出るので、色塗りされた部分が表に出る。

言い換えると、墨はじきで出される線は
主文様の背景として使われていたのだが、
今泉今右衛門さんそれを主文様にしようと考えたである。
それについて、現代アートをしていたこともあり、
正論ではないものに惹かれたと語っていた。

39歳で父の第十三代目が亡くなったので、
第十四代今泉今右衛門となり、
その過程で、墨はじきを主文様にすることに
取り組んだが、何かパッとしたものができず、
作り上げてもぐちゃぐちゃな感じで、
陶芸の評論家から酷評され、作り直すことになった。

その時、武蔵野美術大学の学生時代に見た
降りゆく雪の中心に自分が吸い込まれていくような
ことに感動したことを思い出し、
また、墨はじきで梅の花の芯を描くと、
焼き上がりが雪の結晶に見えた。

それで、雪の結晶研究の専門家の
中谷宇吉郎博士の書籍で様々な雪の結晶を見て、
曲線の結晶 リズム感のある結晶などを感じ取り、
それを模様に取り入れ、
墨はじきの技法を駆使して、墨はじきで
描かれた線を主文様にする
「色絵薄墨墨はじき雪文鉢」を作り上げたという。

伝統陶芸の色鍋島に新たな息吹を吹き込んだ
第十四代今泉今右衛門さんは、
武蔵野美術大学で現代アートの感性・感覚を育み、
大学時代に見た冬の夜の雪に自分が吸い込まれる感覚に
感動したこと、
そのようなことが合わさって、
それまで、脇役のような存在であった
墨はじきの技法を主人公にする発想で
伝統に新しさをもたらし、伝統技法を活性化させて
いるのだなと思った。

このブログ内の関連記事

NHKの「インタビュー ここから」を見たことで書いた記事

若き女性作家の想像力の再活性化プロセス・・・芥川賞作家の綿矢りささんが、スランプの時にアパレルのアルバイトをしていた


テーマ:発想法・編集法 - ジャンル:学問・文化・芸術


近畿地方、今年(平成27年)も春一番吹かず・・・この5年のうち4回、春一番吹かず

今日は、2015年(平成27年)3月23日 月曜日

私が住む近畿地方では
今年、春一番が吹かなかった。

春一番が近畿地方で観測されなかったのは2年連続である。

春一番は南から暖かな強い風が10分平均で8m毎秒吹き、
気温が上がることと定義されているが、
それには期間があって、
立春から春分までの間にそれが観測されないと
春一番とならない。

つまり、今年はその間に
近畿地方で、
南から暖かな強い風が10分平均で8m毎秒吹き、
気温が上がる状態に一度もならなかったのだ。

春一番が近畿地方で観測されたのは
一昨年の平成25年(2013年)3月18日である。

平成になって春一番が近畿地方で吹かなかった年は

平成 4年(1992年)
平成 6年(1994年)
平成11年(1999年)
平成12年(2000年)
平成14年(2002年)
平成15年(2003年)
平成18年(2006年)
平成20年(2008年)
平成23年(2011年)
平成24年(2012年)
平成26年(2014年)
平成27年(2015年)

と12回ある。特にこの5年のうち4回は吹かず、
春一番が観測される年が少なくなっている。

ただ、私は平成24年3月30日に、
非公式の幻の春一番が吹いたと思っている。
その日、春一番の気象条件がそろったのであったが、
春分の日の後だったので、春一番とならなかったのである。

このブログ内の関連記事

春一番のリンク

春一番の語源と名曲「春一番」について
春一番~雪が解けて川になって流れて行きます

2014年3月23日の記事
今年(2014年)、近畿地方では、春一番が吹かなかった・・・平成になって春一番が近畿で吹かなかったのは何回あるでしょう

2013年3月19日の記事
春一番が吹いた雨の日の月曜日に、カーペンターズのあの曲を耳にして

2012年3月31日の記事
昨日、近畿地方で、春分の日から10日遅れて、非公式の春一番が吹いた

2012年3月21日の記事
近畿地方、2012年の春、2年連続で春一番吹かず(平成になって3回目の2年連続なし)・・・ちなみに近畿地方の春一番が最も早い日と遅い日は・・・

2010年3月16日の記事
一昨日(3月15日)、近畿でやっと春一番が吹いた。過去10年では最も遅く・・・・ちなみに神戸の一昨日の最大瞬間風速の最高値は南風ではなかった。

2009年2月15日の記事(春一番が吹いた時の記事)
春一番が吹く日が早い年は気象災害に要注意!・・・・・ちなみに2月15日は「春一番名付けの日」

2007年2月15日(2007年の春一番が吹いた時について)
2月15日は「春一番名付けの日」だって ~春一番が早い年は大きな災害が発生するかもと「みなみ」さんが言ってました

テーマ:気象 - ジャンル:学問・文化・芸術


子供は楽しんだり喜んだりすることの天才だなあ・・・ある春うららかな日の午後の電車内にて

今日は、2015年(平成27年)3月22日 日曜日

ある春うららかな日の午後、
阪急今津線の今津駅から西宮北口駅に向かう
車中にて、幼い姉妹が、
先頭車両の運転席の近くの窓に立ち、
そこから前の景色を覗き込み、
姉が妹に「見えてるね」と元気よく嬉しそうに
言っていた。

大人からにすれば、普通当たり前に見ている光景は
幼い子供達にとっては
楽しいものに感じるようである。

その思うと、
子供は楽しんだり喜んだりすることの
豊かな才能を持っていると思う。

その後、その姉妹は西宮北口駅でどこかに
行ったが、
私はその後、梅田行きの電車に乗り、
武庫川鉄橋にさしかかった時、
車窓から10kmぐら先にある山並みに立つ
宝塚のすみれが丘団地の高層マンションと
その上に広がる春うららかな午後の
青空の光景がとても心地よく感じ、
嬉しく思えた。

その前に、楽しむことと喜ぶことに長けた
幼い姉妹を見たから、さらにそのように思えたのかも
しれない。

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届け先の分からない手紙を受け付ける「漂流郵便局」を作った現代美術家の発想プロセス・・・まず、岸辺の漂流物を見て、次に郵便局を見て

今日は、2015年(平成27年)3月21日 土曜日

昨日、テレ朝のモーニングバードの「週刊人物大辞典」
久保田沙耶さん(27歳)という現代美術家が紹介されていた。

彼女は香川県三豊市詫間町沖の粟島に
「漂流郵便局」というをアート作品を制作している。

どんなアート作品かと言うと、
「漂流郵便局」は届け先の分からない手紙を
受け付ける郵便局である。

漂流郵便局では、亡くなった方や会えなくなった方、
自分の愛着物など宛てた全国からの郵便物が届けられ、
局内にある漂流私書箱という
ピアノ線につるされた回転式の
マグネットを仕込んだブリキ製の私書箱で、
フワフワと揺れながら自立する構造になっている。

漂流郵便局の建物は
平成3年(1991年)に廃局された
旧粟島郵便局であり、
そして、現在、漂流郵便局の局員には
久保田沙耶さんともうひとり
その旧粟島郵便局の局長を45年務め、
その建物の所有主の中田勝久さんがいる。

漂流郵便局は
現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭2013」の
久保田沙耶さんの作品のひとつとして制作され、
芸術祭期間中の1ヶ月間だけの予定であったが、
反響が大きく、芸術祭終了後も毎月約200通ほど
郵便が届けられる状況から久保田沙耶さんは
継続していることにした。

漂流郵便局の漂流私書箱に預けられている
はがきなど郵便物の宛先には、
亡くなったお母さん、逃げたペット、ボイジャー1号、
抜けていく自分の歯、ドライヤーを発明した人、
昭和20年夏の終り 予讃線で乗り合わせた軍服姿のおにいさんなどがあり、
様々な宛先の郵便物が漂流郵便局の漂流私書箱に預けられ、
平成27年2月ごろの時点で3800通、届けられている。
久保田さんは、いろんな手紙が届くことで郵便局が変化していくことに
感動するという。

漂流郵便局は現在、毎月第2と第4土曜日の13時から16時まで開局している。

この漂流郵便局を発想したきっかけは
久保田沙耶さんが瀬戸内国際芸術祭2013の
構想のヒントを探るため粟島にきた時であった。

粟島の海の岸辺を見ると、
いろいろな漂流物が届いているのが見えた。

そして、島内を歩くと、廃止された郵便局が見え、
その旧郵便局の窓ガラスに映った自分の姿を見て、
「自分はここに漂流してきた」と思ったという。

それでアート作品としての漂流郵便局を思いつき、
この建物の所有主の中田勝久さんに交渉して
漂流郵便局ができたという。

久保田沙耶さんは
まず、岸辺の漂流物を見て、
まず「漂流」という概念を想起した。

その次に、廃止された郵便局の建物を見て、
何か感じるものがあり、そこの窓ガラスに映った
自分を見て「ここに漂流してきた」と思ったということであるが、

岸辺の漂流物を見たこと、
そして、何か潜在的に自分の中に
「自分自身が漂流している」という感覚があったのかもしれない。

その時に窓に映った自分を見て、
「岸辺の漂流物」「自分自身が漂流している」「郵便局」

というキーワードが連結編集されて、
「漂流郵便局」が思いついたのかもしれない。

その思いついた着想を形あるもの、仕組みとして
作り上げることはすごいなあと思う。

また、それが多くの人々の思いを言葉として
届ける場として機能し続けていることに素敵だなと思う。

この漂流郵便局に届けられたはがきなどを収録した著書
「漂流郵便局 届け先のわからない手紙、預かります」が
発売されている。

漂流郵便局のページ
http://missing-post-office.com/





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花燃ゆ展を梅田阪急百貨店でやっていると吊り広告で知って行ってみた・・・・奇跡の私塾「松下村塾」の人間模様をNHKは「幕末の学園ドラマ」とPRしているようで

今日は、2015年(平成27年)3月20日 金曜日

一昨日の夕刻、大阪地下鉄御堂筋線に乗り、
車内の吊り広告に目をやると、
梅田の阪急百貨店で、
3月18日からNHK大河ドラマの花燃ゆ展を
しているという広告で、
ちょうど梅田で用事があり、
20時までしているというので、
梅田駅で下車して、用事先を回ってから、
阪急百貨店に向かった。

梅田阪急百貨店の9階で花燃ゆ展がなされている
というので、ちょうど9階まで昇るエレベーターが
閉まろうとしていたので、あわてて入ると、
女性ばかり10人ほどいて、男は私だけ、

そのようなシチュエーションに
ふと思い出したのが、小学生のころに時々耳にした

「♪ おんなのなかにぃ~、おとこ~がひとり~ ♪」

というからかいの歌である。

さて、そんなこと思っているうちに
祝祭広場のある9階に到着して、
「花燃ゆ展」が開催されているギャラリーに入った。

花燃ゆ展 150318_1921~001

ギャラリーに入るとその時、20名近くの人が
いて、いろいろ展示物を見ていた。

ドラマに出演している方に興味があったのか、
それとも歴女なのかわからないが、若い女性の方、
また、母親と一緒に来ていると思われる女子高生の方がいた。

NHKのドラマで使用されたセットなどが
展示されていて、撮影が許可されているものも
あったので、

ドラマで使用された擬石や
花燃ゆ展 150318_1841~001

吉田松陰が入っていた野山獄のセットの一部、
そのセットの前に松蔭役の伊勢谷友介さんの
等身大の写真があったり、
花燃ゆ展 150318_1846~002

松下村塾のセットの一部もあった。
花燃ゆ展 150318_1846~001

松下村塾と言えば、師の吉田松陰のもとに
高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎など
幕末から明治維新の変革期に活躍したり、
また明治政府の要職に就任する人物を排出した私塾である。

花燃ゆの主人公は吉田松陰の妹の杉文を軸に、
やがて彼女は久坂玄瑞と結婚するが、
その久坂玄瑞が通っていた松下村塾の塾生たちの動きが
最近の花燃ゆの中心になっているが、
NHKの「花燃ゆ」ではこれを「幕末学園ドラマ」とPRしている。

それにしても、松下村塾から輩出された人物が
のちの日本を動かし、そして、その日本を近現代世界の
主要プレイヤーにしていくことに貢献したのを見ると
本当にすごい塾で、こんな塾はもう出てこないだろうなあと
思える歴史上稀に見る奇跡の私塾だと思う。

その塾生で松下村塾四天王のひとりであった高杉晋作が
長州藩が幕府恭順派の保守派に牛耳られたことに対して、
功山寺で挙兵してクーデターを起こして、
一気に長州藩を倒幕派の改革派にひっくり返して、
それにより結果的に、
薩長同盟締結そして、倒幕と明治維新につながり、
その明治後の日本が日露戦争に勝利し、
世界の主要大国の一国に台頭して、やがてアメリカと戦争を
起こすような存在につながったことを思うと
高杉晋作の功山寺で挙兵は世界史的な事件だと思うし、
そのような高杉晋作の思想に影響を与え、
また、明治維新を支えた総理大臣になった
伊藤博文や山県有朋にも影響を与えた
吉田松陰が師となって教えた松下村塾の
あたためてすごいなと思うし、
もし、この私塾がなければ日本と世界は
また違った日本と世界になっていたかもしれないなあと思う。

そんなこともあり、今回の「花燃ゆ」は見ている。
「花燃ゆ展」は梅田の阪急百貨店9階で、
3月30日まで開催中。
最終日のみ終了時刻が18時で、
入場無料である。

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動けば雷電の如く、男一匹高杉晋作が挙兵した日~「おもしろきことのなき世におもしろく」 功山時挙兵は世界史的大事件だ

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コスト削減での投票所統廃合で、過疎地の高齢者が投票を棄権・・・・郵送投票とか考える必要があるなあ

今日は、2015年(平成27年)3月19日 木曜日

先日、NHKで4月に統一地方選挙が実施されるにあたり
過疎地の投票で現在進行している問題を取り上げていた。

それは、投票所の統廃合の問題である。

投票所開設にあたり、地方財政が厳しい中、
住民の少ない集落の投票所を廃止して、
別のところに統廃合してコスト削減しているという。

それにより、それまで徒歩で投票していたが、
車を使えない高齢者の有権者が
投票に行きづらくなり投票を棄権するケースが
出てきている。

ある投票行動の調査で
自宅から投票所まで所要時間が多くなるほど、
投票率が下がるという調査が出ている。

選挙権というのは憲法で保障された
重大な国民の権利であり、
民主主義の根本を成すものである。

コスト削減のためにその国民の重要な権利が
できなくなるというのはいかがなものかと思う。

それが地方自治体が財政で困難ならば
政府が補助金出すべきではないかと思う。

また、一方で、郵送での投票を識者が提案していたが、
実際に、海外から投票する場合は、
郵送での投票が実施されているので、
郵送投票可能ならそうすればいいと思う。



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北陸新幹線開業で思うこと・・・大阪と新潟と仙台を結ぶ新幹線作って、食堂車復活を

今日は、2015年(平成27年)3月18日 水曜日

先日、北陸新幹線が金沢駅まで開業した。
8年後には、福井県敦賀市まで延伸される予定である。

さて、その北陸新幹線はいずれ大阪まで延伸する
構想がある。

私は大阪までつなげるならば、
北陸新幹線の上越妙高駅から北東に延伸させて、
新潟駅までつなぎ、その新潟駅からさらに東に伸ばして
福島駅で東北新幹線と連動させて仙台までいけるように
すればどうだろう。
そうすれば、大阪と仙台が新幹線で行くことができる。
4~5時間以内で大阪と仙台の行き来が可能になるのではないか。

また、いずれ北海道新幹線が札幌まで延伸されれば、
大阪~仙台~札幌を新幹線で結ぶことができる。
先日、大阪と札幌を結ぶトワイライトエクスプレスが
廃止されたが、新幹線版のそのようなものが
1日1往復ぐらいあればいいかもしれない。

また、大阪から仙台まで結べば運行時間が4時間に
なると、かつて東海道新幹線であった
食堂車を設けるも良いのではと思う。

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鳩山由紀夫元首相のクリミア訪問はそんなに非難されることなのか?・・・・アメリカケツ舐め外交ばかりではなく、日本国における外交の多様性・多元性のネットワークを構築しておくことは意義あると思うが

今日は、2015年(平成27年)3月17日 火曜日

鳩山由紀夫元首相が、昨年、ロシアが強引に編入した
クリミア半島を訪問したことについて
非難轟々になっているが、
そんなに激しく非難されなければならない
ふるまいなのだろうかと思う。

それは、政府だけでなく
日本国における外交の多様性・多元性のネットワークを
構築しておいた方が有益になってくることも
あるからだ。
日本全体がアメリカ追従になる必要はないし、
もしそうなってしまえば、日本外交の脆さになってくるだろう。

まあ、昨年からのウクライナの危機の原因は
ロシアだけでなく、ウクライナの内政にちょっかいを
出し続けてきたアメリカにも原因があると
私は思えるので、一方的にロシアだけを批判するのは
どうかと思っているし、そう思うので、
鳩山由紀夫元首相のクリミア半島訪問を声高に
して批判する気にもなれない。

いざ、紛争を交渉で解決しようと思えば、
当事国とのパイプを太くすることが必要であるが、
ウクライナ内戦で、ロシアと対峙している
欧米諸国がロシアとのパイプを細めているなかで、
日本政府がアメリカケツ舐め外交をしている状況で、
ロシアとのパイプを保とうとしていることは
良いのではないかと思う。

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3月16日は国立公園指定記念日・・・・日本の総面積のうち約5%が国立公園である

今日は、2015年(平成27年)3月16日 月曜日

3月16日は国立公園指定記念日である。
その由来は、昭和9年(1934年)3月16日(金曜日)に
当時の内務省が
瀬戸内海・雲仙(現在の雲仙天草)・霧島(現在の霧島錦江湾)の3か所を国立公園に指定し、
日本初の国立公園が誕生したことに由来する。

現在は国立公園は環境省が管理している。

国立公園とは自然公園法に基づき、
日本を代表する優れたた自然の風景地を保護するために
開発等の人為を制限し、
風景の観賞などの自然と親しむ利用がしやすいように、
必要な情報の提供や利用施設を整備しているところである。

国立公園の指定用件として、
日本国内の同じようなタイプの風景の中で、
日本の景観を代表すると共に、
世界的にも誇りうる傑出した自然の風景であることと
なっている。

現在、日本の国立公園は
現在31ヶ所指定されていている。
ちなみの昭和20年にそれまで国立公園に指定されていた
3ヶ所が日本の国立公園としては消滅した。

その理由で「日本の」という表記に意味がある。
昭和20年の敗戦まで、台湾を日本が統治していたが、
その台湾に3ヶ所、日本が指定した国立公園があったのだ。
それらの地域は1980年代までに
台湾の国家公園(日本の国立公園に相当)に指定されている。

さて、日本の国立公園に話は戻り、
日本の国立公園の総面積は約210万haで、
日本の総面積の約5.6%に相当する。
その中で面積が最大の国立公園は
瀬戸内海国立公園の6万6934haである。

瀬戸内海国立公園は日本初の指定国立公園のうちのひとつで
当初の指定地域は
東から小豆島の寒霞渓、香川県の屋島、岡山県の鷲羽山、
広島県の鞆の浦・沼隈町周辺の備讃瀬戸であったが
その後、何度が区域が拡張され、
現在は、西は北九州市や大分県から
東は和歌山市にまで及ぶ広大な公園となっている。

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学校教師による生徒への体罰による暴行と一般企業の上司による部下へのの体罰による暴行で警察の対応が違うのはなぜだろう

今日は、2015年(平成27年)3月15日 日曜日

学校の教師をめぐる体罰をめぐる事件で
こんなニュースがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「殴られても構いません」野球部員に書かせ体罰 和歌山
(朝日新聞 2015年3月12日19時37分)


 上富田町立上富田中学校(同町岩田、小森弘二校長)で、
野球部顧問の男性教諭(35)が昨年8月から今年2月ごろにかけて、
2年生の複数の部員に体罰をしていたことが12日、
同校などへの取材でわかった。町教委によると、
「『野球部のルールが守れなければ殴られても構いません』と
いう文書を書かされた」と話す部員が複数いたという。
県教委は男性教諭の処分を検討している。

 同校や町教委によると、男性教諭は3年生部員が引退した昨年8月ごろから、
バックネット裏や部室などに個別に部員を呼び出し、頭をたたいたり、
太ももを蹴ったりするなどの体罰をしたという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、教諭が部員がやるべきことをしてなかったから
叩いたり蹴ったりという暴行をしたということであるが、
そのようなことで思い出したのが、

遅刻を理由に従業員をスタンガンで暴行した上司が
傷害と逮捕監禁容疑で警視庁に逮捕された事件である。

この教師はスタンガンを使っていないが、
やっていることはその逮捕された上司と同じようなことである。

いつも思うが教師の生徒への体罰での暴行は
刑法上での違法行為でもあり、
どうして、生徒に体罰の名で暴行をした教師が
警察に身柄拘束されることはなく、
そうでない一般人が同様なことをした場合は
身柄拘束されてしまうのかという
差別めいたものを感じてしまうのである。

私は、証拠隠滅と逃亡の恐れがなければ
警察が被疑者をむやみやたらと拘束すべきではないと思うが、
学校の教師が生徒に体罰で暴行した場合は警察は身柄拘束せず、
そうではない一般人が部下などにルール違反で暴行の体罰をしたら
身柄拘束するというその扱いの差別はなんなんだろかと
思ったりする。


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2014年(平成26年)7月9日の記事
学校は治外法権ではない・・・・ふつう、町中で、誰かが階段から突き落とされる現場見たら110番通報するよなあ

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まち中で見かけた一句、初めに季語があり俳句かと思ったら、オチに笑ってしまった川柳だった

今日は、2015年(平成27年)3月14日 土曜日

昨日、自宅近くの阪神電鉄今津駅改札口を出たところにある
美容院の前を歩くと、
その看板に書かれていたメッセージというか一句に目がひかれ

川柳俳句 150313_1220~001c

春待ちで
 気持ち高ぶり
   かぜをひく

最後の「かぜをひく」というオチに
おいおい!かぜひいたんかい!

と思わず笑ってしまい、突っ込みたくなった。

はじめに「春」という季語があったので
俳句かなと思ったら、
春を待っていて
気持ちが高ぶったのか、

そして、どうなったの?

と思って最後の「かぜをひく」で

何で、春を待って気持ちを高ぶらせたら
かぜひくねん!

と、最後のオチにこれは川柳だと思い、
まあ、見たら切れ字がない。

一瞬俳句かなと思わせて、
最後のオチで滑稽さを感じさせる川柳に
駅にて笑わせてもらったわ

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10月7日は、「川柳の発祥の日」・・・江戸時代中期に生まれてた川柳は今も多くの日本人に親しまれ

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同じ読書という行為を2時間後、10km以上離れた別の場所でして・・・西宮今津から大阪西梅田の桜橋へ

今日は、2015年(平成27年)3月13日 金曜日

昨日の朝、6時15分過ぎから
このごろの日課にしている朝歩きを40分ほど
した。

その後、家に戻って、洗濯したい衣服を袋に
まとめて、家の近くのコインランドリーで
洗濯と乾燥をした。
その合間、コインランドリーにある椅子に座りながら
小倉百人一首の本を読んでいた。

そのころの途中の時刻が8時ごろであった。
乾燥も終わって、コインランドリーから自宅に戻ったのが
8時30分過ぎ、その後、大阪梅田に用事があるので、
8時50分に、西宮市阪急今津駅近くの自宅を出た。

梅田に付き、その後、西梅田方面の桜橋に行った。
用事まで1時間ほど、時間があったので、
桜橋にあるスターバックスでお茶をしつつ読書を
して過ごす。
すると店内で放送されている音楽で
ヴィヴァルディ作曲の四季から春が流れてきた。

そのころの時刻が10時ころであった。
そのふっくらした椅子に座りながらお茶を読書を
堪能しながらヴィヴァルディの名曲を耳にして
ふと思ったのが、

よう考えたら2時間前は西宮の自宅近くの
コインランドリーで百人一首の本を読みながら
過ごしてたのだなあと思った。

西宮今津から西梅田の桜橋まで
直線距離で12~3kmぐらいだろうか。

2時間の間で、
同じ読書という行為でありながら、
10km以上離れた違う場所で
していることが何か不思議に思えた。
まあ、電車というものを使えば、別に物理的に
そうすることは可能であり、
それが可能なので、そのようなことができているのであるが、
2時間前に自宅近くのコインランドリーで過ごしている時に、
その2時間後には、直線距離で10km以上離れた場所で、
スタバでお茶しながら読書をしているという光景を
あまり想像もしていなかったので、
2時間と10kmということを思いながら、
不思議さというか面白さを感じた。



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メジロ・・・・沖縄のメジロと北海道のメジロに、産卵で違いがあるという

今日は、2015年(平成27年)3月12日 木曜日

昨日の朝、西宮市今津の自宅周辺を歩いていて、
名神高速の高架沿いの道を歩いていると
木にメジロがとどまったかと思うと
鳴きながらすぐに飛び立っていた。

メジロはスズメ目メジロ科メジロ属の鳥で、
体長は12cmほどで、スズメよりも小さく
日本の野鳥では最も小さい部類に入る鳥である。
特徴は目の周りに白い輪で羽毛が生えていることである。
メジロは常緑広葉樹林を好み、
食性は雑食であるが、椿などの花の蜜を好む。

メジロ 150214mejiro1-360x240

画像は
「庭の野鳥/昆虫」2015年2月14日 より

メジロはもともとはアジアの熱帯地域で出現してきた鳥だと
考えられていて、
フィリピン、ベトナム、タイなどの東南アジア、
日本、中国、台湾、朝鮮半島などの東アジアに生息していて、
日本では全国の平地から山地の林に生息して、
街中でも見かけることができる鳥である。
ただ、日本では北と南では繁殖の時期や産卵卵の個数に
違いがあり、
大阪市立大学大学院理学研究科の堀江明香さんの調査によると
沖縄県大東島では2~3月が繁殖期で、
繁殖回数が最大で4回で、平均一腹産卵個数が2.7個であるが、
北海道札幌では4月を過ぎないと繁殖をせず
繁殖回数が最大で2回で、平均一腹産卵個数が4.5個と
北に行くほど、繁殖回数が少なくなるが産卵個数が多くなる傾向の
ようである。

メジロは、鳥獣保護法により、現在では飼育目的で捕獲することは
禁止されている。

メジロの鳴き声
https://www.youtube.com/watch?v=YSYeHT6vOgw


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赤翡翠(アカショウビン)・・・・夏に、南蛮からやってくる火の鳥は梅雨時に雨乞いをする

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東日本大震災から4年、なかなか表に出てこない被災若年女性達の窮状を伝えた特集を見て

今日は、2015年(平成27年)3月11日 水曜日

今日で東日本大震災が発生してから
まる4年になる。

東日本大震災4周年での報道の特集で印象に残っていたのが
先日8日の日曜日のNHKの朝のニュースで

「被災女性の声なき声を聞く」

という特集である。
それは、震災で被災した10代~20代の女性たちが
本当は震災で苦境に立たされているのに、
苦しくても我慢して、
それを表立って助けを求めることもなく、孤立して
窮状にあえいでいるという。

被災した10代~20代の女性にヒアリングをしたのは
10代~20代の生きづらさを抱える女の子を支援する
NPO法人BONDである。

NPO法人BONDのスタッフは街中にいる若い女性に
話しかけて、少しずつ関係性を深めて、彼女達の
心の奥底に抱えていた思いを引き出していく。

そうでもないと、
ただ「震災で困ったことはありますか?」と質問しても
本当は抱えている困難な事情があっても
「特にないです」と言われるだけで、
本当の現状が浮き彫りになってこない。

若い女性で
震災で一家離散状態になりつつ、
友達の家を転々としつつ日払いの仕事で
暮らしている女性がいた。

被災地では復興需要で土建業の求人が
増えているが、
その職業は男性がことが多く担うので
女性向けとも言えない。

復興需要が若い女性の雇用の受け皿に
なりぬくい側面がある。

さて、その特集で他の若い女性で、
岩手県大船渡市から出てきて美容師専門学校に通う女性がいた。

その女性の実家は大津波で父親が経営する釣具店とも流され、
釣具店をその後再開させるが、売り上げが激減して、
父は建設業の仕事もかけもち日々の暮らしをしていた。

そのようなこともあり、その女性は
自費で学費と生活費をまかないながら専門学校に通っていた。

彼女らは
自分の周りで家族を津波で失った友人などがいたりして、
「自分は家も家族も残っているから、まだまし」と
自身の苦境をなかなか語りだせずにいて、
そのようなこともあり、
このような10代~20代の被災女性達が
「声なき声」となってしまい社会に埋没してしまい、
忘れられた世代となってしまっている。

そのように被災した若年世代が忘れれた世代となって
しまうということで思い出したのが、
社会保障再分配が年齢別に見ると
高齢層に偏っていて、若年層へのそれが
相対的小さくなっているということである。

その背景として、若年層の投票率が中高年齢層よりも低く、
政治が若年層の意見よりも中高年に意見を重視してしまう。

そのような日本の年齢別投票行動の差も
被災した若年女性を声なき声にしてしまっているのかも
しれないと思った。

ただ、若年層の投票行動が高まったからと言って、
このようななかなか自分達の苦境を表立って
言い出せない彼女らの声が反映されにくいかもしれない。

そこで、このような方々に思いを寄せ、
サポートする組織があり、その活動を報じた今回の
NHKの特集は良かったと思った。

TOHOKU GIRLS VOICES reportcover

画像は被災若年女性へのインタビュー
TOHOKU GIRLS VOICES から
オックスファム・ジャパンのページより

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東日本大震災 リンク


2011年3月12日の記事
東日本の日本海溝沿いの巨大地震と長野・新潟と秋田沖の地震・・・東北地方太平洋沖地震が日本海側の北米プレートとユーラシアプレートの境界沿い地震を誘発させているのか?

2012年3月9日
1年前の3月9日、三陸沖でM7.3の地震あり、まさか、それは実は前震だったとは・・・・

2012年3月11日
東日本大震災1周年の日に、あの日の18時過ぎの原発情報の報道記事を見る・・・人類史上初の原発大事故震災から見える日本のマスコミの構造的問題

2013年3月11日
東日本大震災から2年・・・復興を妨げる杓子定規、まだまだ明らかにならない原発事故の真相、新たな地震予想、まだまだ危機は去っていない

2014年3月10日
想定にとらわれて命を失い、想定にとらわれず命を守った・・・東日本大震災から3年、大川小学校の非劇と釜石の奇跡をふりかえる

2014年3月11日
首都圏3000万人避難を想定していた・・・東日本大震災での原発事故はまさに戦後日本の最大の危機であった

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昭和20年3月10日に東京で発生した大虐殺・・・真夜中なのに東京下町上空が夕焼けのような明るい空になっていたという

今日は、2015年(平成27年)3月10日 火曜日

今から70年前の今日の
昭和20年(1945年)3月10日(土曜日)未明
東京の下町で凄惨な大虐殺が発生した。

それは、アメリカ軍による東京大空襲で
10万人が死亡したとされている。

昭和20年3月10日に日付が変わったころの
午前0時7分、
当時の東京都深川区(現在の江東区)への
アメリカ軍のB29による爆撃が始まった。
そこから主に隅田川から荒川を挟む下町地域への
無差別大量爆撃が下町の人々を襲った。

アメリカは東京の過去の大火災を
江戸時代から関東大震災まで研究していて、
木造家屋が集中する下町を集中的に狙いを定めた。
まさに、東京大空襲で焼失した地域は
関東大震災と焼失した地域と重なっている。

アメリカ軍がこの日を東京への大規模空襲の日に選んだのは
気象予報で、風が強いと予測したからだ。

つまり東京の下町への爆撃による延焼効果を高めることを
狙ったからである。

真夜中に、
焼夷弾などの爆弾の雨が振る中、多くの人々は逃げ惑った。
火の手から逃れるため、
人々は鉄筋コンクリートの建物や
隅田川にかかる橋の上に逃げたりした。

しかし、
アメリカ軍の約300機の爆撃機から
落とされた大量の爆弾により発生した大火により
火災旋風という炎の竜巻が至るところで発生し、
それが人々が避難していた鉄筋コンクリートの建物や
隅田川の橋上を容赦なく襲い掛かり、
炎に巻かれて多くの人が焼死した。

その様子の画像で見て印象に残ったのが、
乳母車に覆いかぶさりながら黒焦げになった遺体である。
おそらく、子供を守ろうとしながら絶命していったのだろう。

そして、そのような炎や灼熱から逃れるために
多くの人々が隅田川の中に入っていった。
ただ、その日は西高東低の冬型の気圧配置の寒い時で、
地上の灼熱とは反対に水の中は冷たかった。
そう、熱からの死から逃れたが凍死で亡くなってしまった方々も
多くいた。
夜が明けて、川にはおびただしい数の死体が浮いていた。

川の中に入った人々の中で、生死を分けた親子がいた。
生き残ったのは母親で亡くなったのは子供であった。

母親は子供の赤ちゃんを背負ったまま、
猛火から逃れるため川の水の中に上半身まで浸かった。
母親は背負っていた赤ちゃんの体温によって
自分の体温は保てたが、
背中を冷たい川の水に晒された赤ちゃんは
凍死してしまった。

私は、数年前に、
東京大空襲の時、10歳だったあるご老人の方からから話を聞いたことがある。
その方は、当日、東京にはいなかったが
埼玉の浦和にいたという。

浦和からその時の東京方面を見ていて、
真夜中なのに東京下町が
大火によって夕焼けのような空になっていたのが見えたという。
今でも夕焼けを見ると東京大空襲のことを思い出すとおっしゃっていた。


東京大空襲で人々がどのように亡くなったか、
それは、ネットの検索で
「東京大空襲」で画像を検索すれば目にすることはできる。

当時警視庁のカメラマンだった石川光陽氏が
東京大空襲の惨劇の様子を撮影して記録に残していた。
終戦後、アメリカ軍が進駐してきて、
GHQにそれを没収されるのを防ぐため、
自宅の庭に穴を掘りフイルムを隠し、
後世に当日の惨劇がどのようなものだったかを
伝わっているのである。

さて、このような無差別大虐殺の東京大空襲を指揮した
カーチス・ルメイ少将は戦後、日本各地への無差別空襲について
「全ての日本国民は航空機や兵器の製造に携わっている」と正当化している。
一方で、彼は「もし、我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていた」
とも語っている。

まあ、日本政府が勝機の見込みがなく、
日米開戦前の模擬内閣の総力戦研究所の結論が
「日米開戦日本必敗」という報告が出されていたのに、
アメリカとの戦争に踏み切り、
昭和19年にはサイパンなど南方の日本の信託統治領が
アメリカに占領され敗戦濃厚になってきたのに、
降伏の決断ができなかったことも
この惨劇につながっていったとも言える。

国と国との戦争が国家総力戦となった場合、
東京大空襲のような事態が発生するリスクがあるということである。


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何のために生きているのか?「感謝するために生きている」・・・ある企業経営者のインタビュー記事を読み思ったこと

今日は、2015年(平成27年)3月 9日 月曜日

関西地方で住んでいる方で、
電車内で大学のスポーツ系サークルの学生さん達が
使っているバッグで
「JIB」ブランドのバックを見かけることは
ないだろうか。

JIB バッグ

画像はJIBのサイトより

それを制作している株式会社ジブは西宮市に本社が
あるがその会社の社長の杉原寛信さんへの
インタビューが数年前の西宮流というサイトに掲載
されていた内容で印象に残ったのが

「人生の最終目標は感謝すること」というサブタイトルであった。

そのインタビューを受けられた時の杉原さんの年齢は58歳であったが、
杉原さんはそのインタビューで次のようにコメントしていた。

・伝えたいことがあるから仕事をする。伝えるためにお金が必要だから必要な分だけ稼ぐ。
・仕事は夢中で楽しめるもの。
・「頑張る」「一生懸命」「努力する」という言葉は嫌いで、「夢中(=Crazy)」という言葉が好きだ。
・会社という意味の英語「Company」には「仲間」という意味があり、したいことをする人が集まってできた会社であり、

みんなを楽しませること、そこから作業が生まれる。

など語っていた。

その杉原さんが、そのインタビューを受けた時の数年前に生存率15%の大病を患った時、
今まで経験してきた山のようにたくさんの楽しい出来事が頭を駆け巡り、その時
「俺の最終目標は達成できるなと思った。即死じゃないから、自分と関わった人にありがとうを言いたい」

という内容のインタビューであったが、
すごい人だなあと思った。

実際、仕事でそこまで楽しめて夢中になっている人は少ないかもしれなし、
自分の好きなことを収入の糧にできている人が少なく、
仕事を楽しめていない人がいるかもしれない。
また、日々の暮らしに追われて楽しめる気分になれない人も多いかもしれない。

それでも日々、少しでも10分でも自分の時間を持てることがあれば、
その時に夢中になって続けられることを見つけたり、
また、いろいろ思うようにならず、
つらいと思うことがあれども、
日々の些細なことで楽しめること喜べることに気づく感性を養っていけば

「人生の最終目標は感謝すること」

感謝するために生きてきたと思えるのではないかなと思った。

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耳で聞く短編小説ラジオ文芸館 鈴木光司 作「大山」・・・バブルに翻弄された元夫からの復縁の申し出の旅路にて、元妻からの粋な計らいとは

今日は、2015年(平成27年)3月 8日 日曜日

毎週土曜日の午前8時05分から聴いている
「耳で聞く短編小説ラジオ文芸館」の昨日の朗読された
小説は

鈴木光司氏の「大山(だいせん)」であった。

大山は、中国地方最高峰の鳥取県にある山のことである。

ラジオ文芸館のページのあらすじ紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
染谷清志は、別れた妻と娘に会うため、九州に向かう。
選んだのは、20年前と同じ山陰本線。
その車中で、20年前の2人の女性との出会いを思い出す。
1人は、染谷の将来を予言するような言葉を残した女性。
もう1人は、後に結婚することになる妻との出会いだった。
バブルの後、すべてを失ってしまった染谷は人生を振り返る。
別れた妻と娘とは、どんな再会が用意されているのだろうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということであるが、
バブル経済とその崩壊で、人生の浮き沈みを被った
主人公の染谷清志が、九州にいる別れた妻と会う為に、
京都から山陰本線を使って、旅をするところから始まる。
別れた妻に、山陰本線を使って行くことを電話で伝えた。

車両に乗った清志は、20年前のことを思い出す。
20年前、東京の大学の哲学部美学科に在籍していた染谷清志は
京都で神社仏閣などを観察した後、
山陰本線経由で九州に旅行をしようとした。

途中、鳥取県の大山の近くを通る。
大山について何かで描写を見聞きしていたが、
すでに夜になって大山は車窓からは見えず、
いろいろ大山の山の形を想像していた。
大山の近くにある米子駅で停車した時、
そこから乗車した50歳前後の女性が
対面式の2人×2の4人がけの席に座っていた
染谷清志の向かいの席に座った。

その女性は薄化粧で外見は人生にやつれているように見えた。
その女性が座ると、染谷清志に話しかけてきて、
女性は饒舌にいろいろ話し出し、はじめは高校の歴史の教師をしていたが、
大都市に出て飲食店を始めた。その店に教え子達が来てくれて、
商売は回っていたが、事情があって、その店を売ることになった。
いい値で売ることができたという。
その後は、各地に点在する教え子など知人のところに居候をして
各地を転々としているというのだ。
泊めてくれる知人が「もっと長く居て」と言われるという。

ただ、それを聞いた染谷清志は、彼女が
不幸な状況をあたかも幸せに見せようとして言っているようにも
思えて、自分は将来この女性のようになりたくないと思った。

彼女は清志に
「あなたも私と同じ年になったらわかるわよ」と言った。

その女性は山口県の長門駅で下車した。
その後、北九州の小倉駅に到着し、
すると、さわやかさなきれいな少女が車内の通路を
席を探して歩いている姿を清志は目にすると
内心で「自分の席のところに座って」とつぶやくと
なんとその少女は「ここに座っていいですか」と
清志は大歓迎の気持ちで「いいですよ」と言い、
長門駅まで乗っていた女性と正反対の容貌に
こころときめかせ、清志から積極的にその女性に
話しかけた。
これが、清志の妻となっていた「まなみ」との
初めての出逢いの時であった。


まなみは長崎に住む高校3年生の女子高生で
大学を2つ合格したが、
地元の国立の長崎大学に行くか、東京の私大に行くか迷っていて、
彼女は東京の私大に行く方向に気持ちが傾いていたが、
家族が国立の地元の大学の方が良いと言われて、
ケンカになったりするという。

まなみが小倉駅から乗車した理由は、
長崎県で朝鮮半島沖にある対馬に住む祖母のところから
戻っていたためであった。
その時、小倉から対馬への連絡船があった。

まなみは対馬の祖母とは気が合い、祖母に大学の選択について
進学は自分で決めなさいと言ってもらったという。

清志は自分が東京の大学に通っていることを告げ、
東京の私大に入ることをまなみに進める。
もし、東京の私大に来ることになればということで、
清志はまなみにちゃっかり自分の連絡先を伝えた。

まなみが東京の私大に入学して1ヶ月ほどして、
まなみは清志に電話をする。

そして、清志とまなみの交際が始まり、
東京で初デートした時、池にあるボートに乗り、
彼がボートを漕ぎながらまなみに
得意の芸術論や人生論を熱く語り、

人間の知的発達の歴史において、人間が個として
いかに表現を高めていき、美しいものをいかに美しく表現するか

そのようなことを清志はまなみに語っていた。

やがて、清志は大学卒業後、出版社に就職。美術全集の編集などに携わる。
また、まなみも大学卒業後は金融業に就職する。

清志とまなみの交際は順調に進み
清志が26歳、まなみが23歳の時に結婚し、
ひとりの女児を授かる。

清志は出版社で移動となり、編集から営業に変わった。
これが清志の人生の転機になった。

営業先の美術商が投資をしていて、彼に誘われ、彼の画廊に転職。
そのころバブル景気が膨らみ始めた時で、
美術品も投資対象として売買され、清志は独立してギャラリーを立ち上げ、
投資商品として絵画が売れまくり、
清志はあれよあれよとカネが貯まり、結婚当初は新木場の小さなアパートに
住まいしていたが、やがて、都内港区の高級マンションに住み
また、ヨットを買って、そのヨットのクルーズにお客を招いて、
豪勢な暮らしになっていた。

ただ、そのような清志の仕事ぶりに妻のまなみは不満を抱いていた。
まなみは清志の仕事ぶりが地に足がついていないように思えたのだ。

ある時、まなみは清志に
自分達が初デートした時の清志がボートを漕ぎながら
清志が語っていたことを思い出すように語りだした。

清志が、人間の個が全体状況に囚われず、いかに知的に発達すること
いかに人間の「個」がいかに大切であるか
そのように語っていた時の清志に純粋さを感じたとまなみは語る。

そのように語るまなみの言葉に清志はグサッと刺さるものを感じる。

自分自身の今の仕事ぶりが、かつて自分が語っていたことを真逆の
ことをしているとそれをまなみにつかれたと思った。

実際、本当はたいした価値もない美術品を高額な額で売っていた。
そのようなおかしな全体状況にただ自分がのまれていて、個としてものが
欠落していることを清志は思った。

そして、バブル経済の宴が終わる時が来た。
それまで1億円で売れていた絵画が、突如、その5分の1の値でしか
売れなくなった。

負債が膨らみ、ヨットを売却したり、自宅の高級マンションを売却したりしたが、
とても間に合わない。ついに、清志は経営するギャラリーを倒産させた。

そして、妻のまなみが借金取りに追われないようにするため
清志は、妻と離婚をして、妻と娘を妻の長崎の実家に戻した。

離婚後、清志は債権者から逃げる生活が続き、
最後は仙台に流れ着き、そこでタクシーの運転手として働いていた。
5年経てば、債務の時効が来るので、それまで
仙台でひっそりとタクシー運転手として過ごす。

そして、まなみと娘との生活を取り戻すため、
できるだけ給与を貯蓄にあて、500万円を貯めた。

そして、妻との復縁を申し出ようと長崎に向かおうとした。
ただ、大学時代に山陰本線で九州に向かった時、
大山を見れなかったこともあり、山陰本線で大山を見ようと
山陰本線を使って長崎に行こうとしたのだ。

ただ、山陰本線の列車に乗車して、
20年前に乗った時のあの女性、
店を手放し、各地を転々として居候して
やつれているように見えたあの女性と
自分が同じような人生を過ごしてしまったと思った。

列車が大山にさしかり、車窓から大山を見た。
ただ別名「伯耆富士」と呼ばれる大山であるが、
富士山のようには見えなかった。

やがて、列車は山陰本線を通り過ぎ、
福岡の博多駅に停車する。

すると、そこから乗車した
ある中学生ぐらいの少女が通路を歩いてきたが
まなみにそっくりだった。

そして、その少女が
清志が座っている席のところで立ち止まり

「お父さんですよね」

と話しかけた。
そう、その少女とは清志とまなみの娘である。

娘はその時、中学2年生から3年生になる間の春休みで
対馬にいる彼女からすれば曾祖母(ひいおばあさん)のところに
行ってきた帰りという。
20年前は対馬からの連絡船は小倉との間にあったが、
その時は博多に変わっていた。

清志は娘に
「どうして、自分がこの列車のこの席に座っていたのを
知っていたのか」を聞くと、
娘は「お母さんから教えてもらった。」
そう、清志はまなみにどの急行のどの車両のどの席にすわっているかを
電話で伝えていた。

娘は「お母さんが、お父さんと一緒に帰っておいで」と、

清志はまなみが自分の再婚の申し出を受け入れることを確信した。


という感じのストーリーであるが、
(詳細のセリフなどは違っていると思うが、そんな感じ)

最後は、
まなみの粋な計らいで、
復縁の申し込みにくる清志に
20年前との妻との初めての出逢いの光景を
娘を送り込むことで演出されたのであった。

この「大山」という短編小説は
鈴木光司氏の「枝の折れた小さな樹」に収録されている。

ちなみに鈴木光司氏は
ホラー小説の「リング」「らせん」の作者です。


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○ラジオ文芸館に関すること

人生という名の自転車は、自力で漕ぎ続けるのだ・・・「耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館」で「自転車を漕ぐとき」、41歳無職の男の物語を同じく41歳で再び無職に戻る私が聴いて

ロバのサイン会・・・消費され消え行くものに過ぎないものが育む絆・・・耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いて・・・

2か月に1度行く、上新庄のミスタードーナッツで、ラジオ文芸館のアンコール放送「尾瀬に死す」を耳にして、前回も同じ場所でそれを聴いていたので、デジャブさを感じた

透明人間とはそういうことだったのか!・・・耳で聞く短編小説ラジオ文芸館、島田雅彦の作「透明人間の夢」を聞いて、ホームレス寸前の彷徨う若い男女の恋の結末は!

人生、思わぬ偶然のできごとでどう変わるかわからない・・・角田光代の「誕生日休暇」を耳で聞く短編小説「ラジオ文芸館」で耳にして




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合点、その語源・・・・和歌に由来する表現

NHKで、ためしてガッテンという番組があって、
出演者が、説明に納得したら

「ガッテン」というボタンを押しているが、

その「ガッテン」は漢字表記すると「合点」であるが、
それは和歌に由来する表現である。

和歌や俳諧や連歌などで、
批評するとき、その作品の出来栄えが良ければ、
その作品の頭に鉤点(かぎてん)の印をつけていたが、
それは「点に合う」と呼ばれ、また、
それはある意味、合格という意味もあるので、
合格の点ということで、それを「合点」と言っていた。

つまり、それは作品の内容に納得して、合点をつけていたのであるが、
また、回状を見て、その内容に納得や承認した時にも
自分の名前の上に鉤点をつけていたが、それも合点と言った。

そのようなことから「納得」「承認」という意味で
「合点」という表現が使われるようになった。

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挙句の果て~連歌の締めの句から



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警察・検察は民主主義の敵なのか!・・・美濃加茂市長に無罪判決・・取調べで、美濃加茂市民を侮辱した警察の人物名を公表すべき

今日は、2015年(平成27年)3月 6日 金曜日

岐阜県美濃加茂市の
日本最年少市長の藤井市長が受託収賄罪で起訴された
判決公判で地裁で無罪判決が出された。

この無罪判決は当然だと思うが、
どのような事件であったかについて、引用すると、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
美濃加茂市長収賄事件 決定的な証拠がないまま公判が結審
ビデオニュースドットコム ニュース・コメンタリー(2014年12月27日)


この事件では、日本最年少の首長として全国的にも注目されている藤井氏に対し、
浄水設備導入のための働きかけの見返りに現金30万円を渡したとする名古屋市の
浄水設備会社「水源」の中林正善社長の主張と、
現金は一切もらっていないとする藤井氏側の主張が真っ向から対立していた。
別の融資詐欺事件で逮捕されていた中林社長が、取り調べの段階で藤井市長に対する
現金の提供を仄めかしたため、融資詐欺事件はそっちのけで、
藤井市長の収賄事件の捜査が行われ、この6月に藤井氏は現職の
市長のまま逮捕、起訴され、62日間勾留されていた。

しかし、公判に入っても、検察側からは中林社長の証言以外に、
現金の授受を裏付ける決定的な証拠が提示されないまま、
今週、半年間の公判が終結する結果となった。
 特に、検察にとって想定外だったのは、当初現金授受が行われたとされた会食の場には
藤井市長と中林社長の2人しかいないとされていたものが、
途中からその場に第三者のT氏が立ち会っていたことが明らかになったことだった。

しかも、T氏は公判の場で、現金の授受はなかったと証言した上に、
自分は会食中一度も席を離れていないと断言していた。
 
そのため公判は、T氏が会食中一度でも席を立ったのか立たなかったのかが
最大の争点となっていた。
現職の市長の汚職という深刻な事件であるにもかかわらず、
公判では同席者がドリンクバーに行ったか行かなかったが
最大の争点となるという、まさに異常な裁判だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということであるが、
こんなええ加減名証拠で、民主的手続きで選ばれた市長を逮捕拘留して、
市政を停滞させた愛知県警と検察は民主主義の敵なのか!と言いたくなる。

贈賄をしたと証言した中林社長が4億円の融資詐欺で取調べを
受けている時に、「藤井市長に賄賂を渡した」と言ったことから、
警察・検察が藤井市長への強制捜査をしたが、、

警察・検察がここまで突っ走った背景に、
社会的にもさまざまな評価成績を得ようとしたのではないかと
言われたりしている。

4億円のかなりの金額の融資詐欺より、
金額的には30万円の賄賂であっても、
市長を検挙するほうが、評価が高くなるような空気が
あったとされる。

中林社長の融資詐欺の立件は適当に済ませて(4億円すべてで起訴せず)、
藤井社長への捜査を始めて、
中林社長の証言があれば、藤井市長を身柄拘束すれば、
自白すると思い逮捕したが、
なんと、賄賂が渡されたとされる藤井市長と中林社長の食事の場に、
第3者がいて、その第3者が、
「一度も席を外してないが、現金授受の場面なんてなかった」と言ったのだ。

警察が第3者への事情聴取のときに、
何とか現金授受があるということにしたいために、
そのように誘導して、その第3者の方は精神的負荷を追いながらも
主張を変えなかった。

このような時点で、警察や検察は捜査を止めるべきだったと思うが、
一度走り始めると失敗するとわかってもやめられないとう
まるで、70年以上前に、負けるとわかりながらアメリカと戦争をした日本の
悪弊が、権力機関である警察と検察にもそのまま残っているように思えた。
勇気ある撤退ができなかったのだ。

藤井市長が身柄拘束されている間、
人口は約5万5000人の美濃加茂市では、
藤井市長の釈放を求める署名が2万人以上集まった。

それほど、藤井市長は市民からの信任が厚く、
そのような信任の厚い市長を冤罪性の高いことなのに、
市長の身柄拘束に踏み切った警察と起訴をした検察は
民主主義の敵なのかと思う。

そして、警察が身柄拘束していた時の藤井市長への
取り調べて、取調べをしていた警察が

「はな垂れ小僧に投票した市民は何を考えていたんだ」

「早くしゃべらないと美濃加茂市を焼け野原にするぞ」

ということだが、こんなこと誰が言ったのだ!

まさに美濃加茂市民に対する冒涜であり、
この発言をした警察の人物の名前を公表すべきだ。
公務員である人物が自分の公務の中で行ったことなので、
名前を明らかにして何の問題もない!

まあ、密室の中のことなので、言った言わないとなりそうだが、
徹底的に追及すべきだ。本当にこれが事実なら
この警察の人物は民主主義の敵だ!

ふと思ったが「焼け野原にするぞ」と聞いた
市長を支持している人物に、
もし、織田信長のような強烈かつ実力がある人物がいたら、
警察を焼け野原にしていそうだなあ。



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時空を超え、日本と海外の間の文化遺伝子(ミーム)を往還させる歌舞伎・・・アメリカのロックバンド「KISS」とダースベーダー

今日は、2015年(平成27年)3月 5日 木曜日

アメリカの伝説のロックバンドのKISSが
来日している。

昨年は、KISSからのリクエストで
ももいろクローバーZとコラボ曲を発表して
話題にもなった。

私がKISSの曲で思いつくのは
「I Was Made For Lovin' You」である。

10年以上前に、
キャノンのEOS KissのCMで、子供達が
KISSと同じように派手メイク姿で、この替え歌を歌っていたのを
思い出す。

I Was Made For Lovin' You
https://www.youtube.com/watch?v=u7isxoTIeYM


で、これを歌うKISSの派手なメイクが映っているが、

KISS メイクl

さて、このド派手なメイクについて、
NHKとのインタビューで次のように語っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
KISSデビュー40年 熱い思い語る
(NHKニュース 2015年3月4日12時01分)


キッスのメイクは歌舞伎から?

キッスが初めて来日したのは昭和52年。日本の若者の熱狂的な歓迎を受けました。
この40年で11回も日本に来ています。
「それは日本のファン“キッスアーミー(親衛隊)”が世界一だからだよ」と
明かすポールさん。

さらに、日本の文化とキッスの共通点に理由があると言います。
「キッスが日本に来るのは大きな意味があるよ。キッスのメイクは
日本のカブキにヒントを得た部分が多いんだ。だから強い絆を感じているよ」(エリック・シンガーさん)。

「浮世絵とか日本の芸術には、キッスみたいなのが出てくる。
日本はずっと特別な存在なんだ」(ポールさん)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということで、
世界的な伝説のロックバンドのあのド派手メイクが、
歌舞伎という日本の伝統芸能が発想のヒントになっていて
おもしろいと思った。

日本の伝統が海外の現代の芸能に反映されているということであるが、
さて、日本の歌舞伎も海外の芸能を取り入れたりしている。

最近、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんと中村獅童さんが
「地球投五郎宇宙荒事」という演劇をしていて、
これは江戸時代の第五代将軍である徳川綱吉の治世の
時代設定である。
中村獅童さんの役名が
「駄足米太夫(だあしべえだゆう)」という
宇宙人の親玉であるが

「だあしべえだゆう」と聞けば、ダースベーダーを思いつくが、
そうまさに、ジョージルーカス監督のスターウォーズの
歌舞伎版みたいなものである。

歌舞伎に海外のものを取り込むというのは
歌舞伎の創世時代を見れば全く不思議ではない。

歌舞伎が広まり始めた
戦国時代末期から江戸初期にかけて、
南蛮文化が日本に流入してきたが、
当時の歌舞伎役者は
南蛮渡来の小物をたくさん身につけていて
十字架のようなペンダントをつけたりして、
派手な振る舞いをしていた。
そのような者達を「かぶき者」と呼んでいて、
「歌舞伎」が成立してきた。

歌舞伎の創生時代に、
海外の文化を取り入れ発展してきて、
伝統芸能となったが、
その伝統芸能になった歌舞伎が
現代において海外の有名ロッカーに影響を与えたり、
一方で、海外発の大ヒット映画を取り込んだりして、
日本と海外を時空を超えて、
文化遺伝子(ミーム)を交配して、
日本を含めた世界の文化を活性化させるのだなと思った。

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きゃりーぱみゅぱみゅの「グロかわいい」と哲学者・西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」・・きゃりーぱみゅぱみゅから歌舞伎の創世記を思う

KISSの「I Was Made For Lovin' You」を聞いて思ったこと
「BORN TO LOVE YOU」「Made For Lovin’You」 

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痛みを感じた時、冷やすと痛みが和らぐ理由・・・神経は電気信号を伝えることで痛みの情報を送っているが

ケガなどで痛みを感じた場合、
冷やすと痛みが和らぐことがあるが
それはなぜだろうか?

それには痛みを伝える神経が関わっている。

神経線維を電気信号が伝わることで
痛みが感知されるが、
この時、温度が高いほど
神経の電気信号は速く伝わる。

ということは神経の温度が低くすればするほど
電気信号の速度は遅くなる。

そう、痛みを感じた時に、
冷やすことで神経の温度を下げることとなり
神経線維内の電気信号の速度が落ちるので、
痛みの伝わり方が遅くなる。

そのような性質が
冷やした時に痛みが和らぐ理由である。

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大人社会でもあることでは・・・川崎市少年殺害容疑の容疑者が「強者に弱く、弱者に強く」・・様々な抑圧の連鎖が凄惨な事件を表出させる

今日は、2015年(平成27年)3月 3日 火曜日

神奈川県川崎市で発生した13歳少年殺害事件に関して、
被害者が関係していた少年グループのリーダー格の18歳の
少年が逮捕された。
マスコミ報道によると逮捕された少年が殺害を認める
供述を始めたということであるが、
彼が供述した通りに殺害したことを前提に
次のニュースを引用すると
(このようなまわりくどい表現をしているのは、
司法で有罪と確定するまで推定無罪の原則に基づいて
考えているからである)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上村遼太さん殺害の18歳「昔はいじめられっこ。強い者には弱く、弱い奴には強い」
(J-CAST 2015年3月2日 10時08分)


神奈川・川崎市の中学1年生、上村遼太さん(13)と惨殺した18歳少年が
出合ったのは去年(2015年)12月26日だった。ゲームセンターで引き合わ
せた友人(20)は、「上村遼太です」「よろしくな」のやり取りを覚えている。

この不良グループの少年は中学時代はおとなしく、むしろいじめられていたという。
それが高校で逆転したと中学校の同級生が証言する。
不登校になり髪を染め始めた。「同級生に相手にされないからですよ」
「強い者には弱く、弱いやつには強い性格」「やられたことをやり返す人間」という。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と殺害容疑を認め始めた容疑者の18歳の少年について
強いものにはいじめられて弱く、弱いものには攻撃的にふるまう
という人物評が出ているということであるが、
このような要素って、大人社会でもあるようにも思えるが。

また社会全体でそのような要素があるかもしれない。
ふと、そのニュースでふれて思いつくのは
「権威主義的パーソナリティ」という言葉である。

これは、ドイツでナチスが民主主義の選挙で政権を掌握した
社会的要因について、ナチスを支持した社会層の分析した
エーリッヒフロムが著書「自由からの逃走」で表現した言葉である。

「権威主義的パーソナリティ」はわかりやすく言えば、
今回の川崎市での事件の容疑者少年の人物評と似ていて、
「強者への服従・弱者への攻撃」である。

経済恐慌で、経済的に没落した下層中産階級が
ナチスを支持したが、
その層に権威主義的パーソナリティが見られたという。
その性質の背景要因はいろいろあるが、
そのうちのひとつに社会経済的な抑圧感があったともされる。

強いものから、自分ではどうしようもない力によって
抑圧され、そのストレスのはけ口をさらに弱いものに向ける。

そのようなことが、
まさに、今回の川崎市の少年殺害事件で現れたように思える。

様々な抑圧の連鎖が最後はこのようなかたちで
凄惨な人命を奪う事件となって表出してしまうのだなあと思う。


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色とは波長の異なる電磁波である光が目に届いていることである

赤色、黄色、青色と
「色」には幾種類かあるが、その「色」の違いは、
周波数の違いである。

物が見えるためには、「光」が必要である。

光とは光子という粒子でもあるが、
電磁波という波でもある。

その電磁波のうちある
ヒトが視覚で光として感知できる
一定範囲の波長を「可視光線」という。

その「可視光線」の波長はどのくらいかと言えば、
ナノメートル(nm)単位で表すことが多い。

ちなみに
1ナノメートル=10億分の1メートル=100万分の1ミリメートル

その可視光線の波長は、380nm~780nmである。

その可視光線にプリズムを当てると、
紫、藍、青、緑、黄、橙、赤という七色の虹の色に
別れる。その色の違いは波長の違いである。

その波長が違うそれらの波長が収束すると、
もとの光(白色光)になるのである。

その光によって成される色は、
ヒトの視覚でそのような色に見えるということである。
鳥はヒトよりも色覚が優れているといわれ、
ヒトとは違って色が見えているのではないかと言われる。

さて、話は戻り、
その七色のそれぞれの波長は

紫 380nm~430nm
藍 430nm~450nm
青 450nm~500nm
緑 520nm~565nm 
黄 565nm~590nm
橙 590nm~625nm
赤 625nm~740nm

であり、その波長に応じて、
ヒトはそれらの色に見えているのである。

そして、色とは物体が
光のうちその色を作る波長が反射していて
見えているのである。

例えば、リンゴが赤く見えるのは、電磁波のうち
625nm~740nmの波長がリンゴの表面から反射して、
ヒトの目に赤く見えているのである。


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