言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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くわどん

Author:くわどん
世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
また、過去の各記事にアクセスしやすく
するため当ブログの目次専用ブログを随時更新中です。
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2015年11月2日まで、10年間毎日更新してきましたが、その後は、週1回プラスアルファのペースで更新していきます。



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当ブログにおいて、語源のコメントを する時は、語源由来辞典から引用しています。

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2008年1月31日、今年ももう1ヶ月過ぎた

今日は2008年1月31日、
今年ももう1ヶ月過ぎたわけである。
今から1ヶ月前は、年の瀬の大晦日で、新年を迎えようとしていたわけだ。
時が経つのは早いなあと思ったりする。

私の場合は、いろいろ仕事が忙しく、
時が経つのをより一層感じる
充実した1ヶ月であった。

1ヶ月ということは
12分の1年、8%年進んだ。
地球が31回転して、地球が太陽の周りを12分の1週まわったわけだ。

このように日々刻々と時は歩む。
1日1日を大切に過ごして生きたいものだ。


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テーマ:日記 - ジャンル:日記


阿佐田哲也 ~ 夜通し徹夜で、朝が来た

昨日から、会社で夜通し仕事をしていて、
朝になれば、

「朝だ~、徹夜だ~」となるが、


「朝だ~、徹夜だ~」というフレーズは麻雀好きなら
ピンとくる。

麻雀好きであった
小説家で直木賞作家色川武大(1929年~1989年)は
「麻雀放浪記」など
の麻雀小説を数多く発表したが、その時のペンネームが
「阿佐田哲也」。

色川武大が徹マンに明け暮れていて、気がついたら
朝になっていて、「朝だ~、徹夜だ~」と言ったことから、
「阿佐田哲也」というペンネームが生まれた。



         


         
          麻雀放浪記映画版
          出演: 真田広之, 大竹しのぶ





テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


「つじつま」の語源 ~ お裁縫はきちんと縫いながら、漢詩を発声の決まりごとに従って読む 

物事の一貫した道理という意味で「つじつま」と
言う言葉がある。

「つじつま」の語源には主に2つの説がある。

一つ目は、
「つじつま」は、裁縫用語に由来する言葉だという説である。

「つじつま」は「辻褄」と表記される。


「辻」という漢字は
「十字状になった道」つまり、十字路を意味する国字である。

「辻」は、
裁縫用語で言えば、縫い目が十文字に合うところを意味する。

「褄」という漢字は
「衣+妻(つま)」の合字であり、端を意味する「つま」から派生している。

「端」を「つま」と呼ぶ理由は
中国の周代・漢代のころ、「端」を「tuan」と呼んでいて、
それが「つま」に訛ったから。

建物の中央に対しての端のところを「つま」と呼ぶ。
立てる人を中央に居てもらう一方で、
謙って控えめにする場合は「端」に下がる。

奥さんが
謙って、奥ゆかしく、控えめに端「(つま)」にいることから
「端(つま)」という呼び方で「妻」という漢字を当てはめたという説がある。


妻は「端っこ」を意味するので、それに「衣」を合わせた
「褄」は、着物の端で、裾を意味する。

「褄」は、裾が左右に合うところであり、
左右が合うということはきちんと縫われている意味している。

縫い目が十文字に合うところを意味する「辻」と
裾が合い、きちんと縫われている意味している「褄」で、
いずれもきちんと合うべきところであり、
物事の一貫した道理という意味で「辻褄」という言葉が生まれた。

さらに、合うべきところがきちんと合わないことを
「辻褄が合わない」と言うようになったとされる。


「つじつま」の語源のもう一つの説は、
漢詩の発音上の規則である平仄(ひょうそく)に由来するというもの。



平仄とは、漢詩を読むときの発声の決まりごとであり、
平仄には4つの発声方法がある。

平は平声で、発音に高低をつけず平坦

仄は、上声・去声・入声である。

上声は、語尾が上がること。
去声は、発声が消えて無くなること。
入声は、語尾が促音になること。

この4つの発声方法に則った漢詩発声のルールを
「平仄」と呼ぶ。

この「平仄」に合わせて、漢詩の字を配列し、発声することを
平仄を整えると言い、そこから、一貫した決まりに従うことから
「つじつま」の意味で使われ、さらに、
「平仄」に合わせず、漢詩の字を配列し、発声したりすると、
平仄が整わないので、そこから、
前後の脈絡がない、一貫していないという意味で、
「つじつまが合わない」の意味になっているというのである。



テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


1700億円で、国民全員分のプレパンデミックワクチンを備蓄すべき ~ パンデミックによる10兆円単位の損失を減らし、社会を維持する若者を守るために

H5N1型の鳥インフルエンザが
ヒト・ヒト大感染の新型インフルエンザなった場合、
日本で、感染者数3200万人、
64万人~200万人、あるいは600万人の死者が出て、
経済損失は20兆円とも推測されている。

新型インフルエンザは、人類が経験していないタイプのウイルスなので、
抗体がなく、感染率・死亡率が高くなり、
そのワクチン製造に発生から半年かかる。

ただ、現在までに、H5N1型の鳥インフルエンザに感染した人から
作られたプレパンデミックワクチンがある。
それがあると、感染した場合、全く使わない場合よりも
症状が軽減され、生存率を高める可能性が期待されている。

ただ、日本にはそれが1000万人分しかない。
日本国民全員の1億2700万人分を製造するのに
1700億円でできるのに・・・・・。

パンデミックが発生した場合の経済的損失は
10兆円単位なのだ。
それを考えたら、1700億円のコストは低いものではないか。

もし、パンデミック第1波が2ヶ月で終わった後のことを考え、
社会システムを復旧させる時に、死者数が少ないほど、
社会システムの回復度は高まる。
もし、死者数が多いほど、第1波が終わった後も
社会システムの停滞は続き、より一層、経済的損失は大きくなるだろう。

そして、年齢別で見た死者は高齢層よりも若年層が多くなるのだ。

世界保健機関(WHO)が
2003年12月~06年4月、
ベトナムやタイ、中国など9カ国で、鳥インフルエンザと確認された203人を
分析したところ、
感染者のうち90%が40歳未満、50%が20歳未満であり、
死亡率は全体で56%だが、
10代で73% 20代で63%、
50歳以上は18%と
若年層の方が感染比率、死亡率が高くなっている。
サンプル数が203と少ないので、一概に言えないかもしれないが、
死者数113(死亡率より)のうち40歳未満の占める割合が
より多くなっていると思われる。


死者想定で60万人~600万人として、
WHOを参考にして、30歳未満の死者を
全死亡数うちの半数は30万人~300万人になる。

仮に30歳を基準に、年収300万円で30年勤続とすれば、
30年×300万円×30万or300万で計算すれば、
30年間で、日本全体の所得が
27兆円~270兆円失われることになる。

仮に所得税が10%で、所得税を引いた
所得のうち消費に60%さらに消費税5%で
考えると、
所得税で2.7兆円~27兆円
消費税で1.2兆円~12兆円

トータルで、30年間で
3.9兆円~39兆円の税収を失うことになる。

それを考慮すれば、1700億円を投入して、
全国民にプレパンデミックワクチンを投入して、
死者が若者層だけでも
10%でも減るのであれば、
30年間で失う税収は
3900億円~3兆9000億円も少なくなる。

それを踏まえたら、1700億はコスト合理性があるだろう。


若年層は生産を支える世代であり、そして、
少子高齢社会が加速して、年金を含めどのように高齢者を支えるかが
大きな問題になっているのに、
その若年層が大きく減少する事態になれば、
よりいっそう高齢社会を維持することは難しくなる。


そのようなことも、政府の人間、国会議員たちは想像できないのだろうか?



政府には国民の生命と財産を守る責務があり、社会を維持できるようにできる
義務がある。

そのため、国防として、防衛費に毎年4兆円以上使っているが、
それをふまえると、
プレパンデミックワクチンを国民全員分を用意するために
1700億円を使うことはできるだろ!!!

国民の生命と財産を守る責務があり、社会を維持できるようにするため、
至急、国民全員分のプレパンデミックワクチンを備蓄すべきだ。


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○新型インフルエンザ関連

ワーキングプアと新型インフルエンザ ~ 戦慄のシュミレーションドラマを見て、パンデミックへに対して個人ができる対策は? 

新型インフルエンザによるパンデミックに備え、政府は食料備蓄は強化すべき ~ 海外からの食料供給が停滞するのでは


○インフルエンザの語源

インフルエンザの語源
インフルエンザ~天の力が身体にくる




著者の岡田晴恵氏は
国立感染症研究所の研究員。
行政や社会の対応の鈍いため、
新型インフルエンザの危険性とその対策を
強くアピールするため
新型インフルエンザの
日本上陸とその拡大、国内混乱を
シミュレーションした小説を仕上げた。


テーマ:考えさせるニュース - ジャンル:ニュース


海底1000mに垂直移動した手紙と海面15000kmを水平移動した手紙 ~2008年1月と2006年1月の「手紙」にまつわるお話 

2008年1月末

15年前の手紙が海の底から引き上げられたカレイの背中から
見つかったことが話題になっている。


2008年(平成20年)1月24日
千葉県銚子市の犬吠埼沖の南東40kmの海上で、
底引き網漁船「第8大徳丸」の船長
君野喜好さん(51)は、
海底1000メートルから網を引き上げ、
銚子港に戻った。

港に戻り、君野さんは
その日の水揚げ量3.6トン分の仕分けを始めた。

すると、体長約50cmのカレイの背中に思わぬものを見つけた。

カレイの背中に四つ折りの紙がベタッと張り付いていた。

君野さんが、その紙を取り、紙を開いたところ、
赤い風船の切れ端があり、
さらに、字が書いてった。


 おてがみをひろった人へ
 わたしは小がっこう1ねんせいです。
 いまわたしたちのがっこうは、百二十さいです。
 そのおいわいで、みやしょうおんどをうたったりおどったりします。
 このおてがみをひろったかたは、おへんじをください。

 しらひげなつみ
 川崎市宮前区馬絹1795
 川崎市立宮崎小学校


と書かれてあったので、
銚子漁業協同組合が川崎市立宮崎小学校に
問い合わせをしたところ、

1993年(平成5年)11月27日に
宮崎小学校創立120周年の
記念式典で、全校児童約1000人が、
風船で空に飛ばした手紙のうち、
当時、宮崎小学校1年生であった
白髭奈津実さんのものだとわかった。

白髭奈津実さんは、現在、早稲田大学2年生。

宮崎小学校から連絡を受けた
白髭奈津実さんは

まさかこんなことが起きるなんて!!!

と驚いていたようだという。

そして、翌日の1月25日、
白髭奈津実さんは
銚子漁港を訪れ、君野さんから手紙を受け取った。

縦約14cm、横約20cmの手紙は、
耐水性の油紙で作られた。
そして、文字は油性ペンで書かれていた。

このため、長年、海水に浸されても
判読可能になったと思われる。

また、手紙が背中に引っ付いていたサメガレイは
表面がぬるぬるして、粘着性があるので、手紙が
取れなかったと考えられている。


まあ、手紙が14年2ヶ月を経て、
空を行き、約100km離れた水深1000mの海の底へと
垂直と水平の移動をしたのだ。


1993年11月27日、当時小学1年生の
白髭奈津実さんは、14年2ヶ月後に、その手紙と再会するとは
夢にも思わなかっただろう。

それも、水深1000mの海底から
カレイの背中にくっついて見つかるとは!!!

カレイがポストマンになったのだ。

いつ、どのような経路で、この手紙が
14年2ヶ月の旅をしてきたのか、
この手紙に聞きたくなるものだ。



この話で、2年前の1月のにあった
海に手紙を入れたボトルを流して、どこかで
見つかるという話を思い出した。

2005年7月、イギリス中西部で、
アレシャちゃんという4歳の女の子が、
手紙と自分の写真の入ったボトルを
アイリッシュ海のモーカム湾の
浜辺に流した。

手紙には

わたしはアレシャです。この手紙を拾ったら、お返事くださいね

と書き、住所も書き添えた。

そして、半年後の2006年1月

そのアレシャちゃん手紙が見つかったことを知らせる手紙が

アレシャちゃんの家に届いた。

あて先はなんと、

イギリスから1万5000kmも離れた

オーストラリア!!!


オーストラリア西部パースに住む10歳のボブ君から届いたのだ。

ボブ君が近くの船着場で

手紙が入ったボトルを拾ったというのだ。



海流の速さは、例えば、黒潮(日本海流)は

時速7kmなので、1日168km、

1万5000kmなら90日(約3ヶ月)もあれば移動できる

距離であるので、速さ的には妥当であるが、

海流の向きもいろいろあり、

実際、どのような経路を経て、

イギリスから1万5000kmも離れたオーストラリアに

着いたのだろうか?

と思ったりもする。


たった、半年で、イギリスからオーストラリアへ
海を1万5000kmも水平に移動して
再会できた手紙のお話と、

水平距離は100kmだが、
空から海底1000mと垂直にも移動して、
14年2ヶ月かけて、再会できた手紙の
お話、

この2つの手紙の物語にはロマンを感じますね。



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「音楽を聞く」と言う表現について・・・ 

「趣味は?」

ときかれて、

「音楽を聞くこと」


と回答する人もいるだろう。

「音楽」を聞く とはどういうことだろう?

と思ったのである。

「音楽」は、「音を楽しむ」で、

「音を楽しむ」を聞くこと  となる。

何かしっくりこない・・・・

そこで、「音楽」を辞書で引いてみると、

音による芸術。時間の進行の中で、一定の法則に基づいた音を組み合わせて、人の聴覚に訴える美を表現する。 大辞林 第二版 (三省堂)


と書いてある。

「音楽」を聞く というのは

「音による芸術」を聞く

「聴覚に訴える美の表現」を聞く

となるのだろうか?

「芸術」を聞く というフレーズはあまり聞くことはないが、

「芸術」を見る というように、五感のうちのひとつの視覚で芸術を

感じることを意味するフレーズがあるが、同じ五感のうちひとつの

聴覚を用いた 「芸術」を聞く というフレーズもあっていいかなと

思ったりする。


「聴覚に訴える美の表現」を聞く という表現はどうだろう?

「表現」を聞く という表現はよく使われているので、


「聴覚に訴える美の表現」を聞く という表現を使うことは

あまり不自然でないように感じる。


趣味は何ですか?

と聞かれて、

「音楽」を聞くこと と言う代わりに


 「芸術」を聞くこと とか

 「美の表現」を聞く  と言ったら、聞いた人は「?」

となるかもしれない。 そうなれば、

「音の芸術」を聞くこと

「聴覚に訴える美の表現」を聞くこと

と言ったら、「音楽を聞くことか」と理解してもらえるかな。




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寒くてブルブル震えるよ ―――― ・・・・・ 寒い時、震えるのはなぜ?

冬は寒い。
寒い時、身体がブルブル震えるが、
寒くなると、どうして、震えるのだろうか?

実は、身体を温めるために震えているのだ。

震えるということは、身体が動いていることだが、
身体を動かすのは筋肉である。

ヒトの体温の維持に使われるエネルギーの75%は
筋肉の運動によって産出されている。
つまり、筋肉は熱エネルギーの工場なのだ。

寒さを感じると、脳が熱エネルギー工場である筋肉に
ケイレンさせるように指令を出す。

そうなると、筋肉が伸縮を繰り返すことになり、
酸素が繰り返し、燃やされ、熱が発生する。
そうすることで、身体を温めて、寒さをしのごうとするのだ。

震える時、筋肉が動くだけでなく、
血管も収縮運動をしている。そうすることで、
熱の発散を防いでいる。

ただ、この筋肉の緊張と血管の収縮が度をこすと
うっ血が発生し、肩こりを引き起こすことがある。

また、急激な温度変化による
血管の収縮でヒートショック、
つまり、血圧や脈拍が急変し、
最悪、脳梗塞や、脳出血を引き起こし、死亡するケースもある。



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ヒートショック ~ 急激な温度変化は体にこたえる

寒くてブルブル震える時に、天気の良さの意味を知る。
「今日は、いい天気ですね」という挨拶に込められた意味とは・・・・






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「今日は、いい天気ですね」という挨拶に込められた意味とは・・・・

このごろ寒い。
外に出ると、首をすくめ、筋肉が硬直する。

そのような状況になると、

私は現在34歳であるが、
もし、年老いていたら、
ヒートショックで命を失うことになるかもしれんなと思ったりする。

ヒートショックとは
このブログの
ヒートショック ~ 急激な温度変化は体にこたえる
でも説明しているが、

急に寒いところから暖かいところに、
また、急に暖かいところから、寒いところに
移動した時に、
血管が著しく伸縮することで、
血圧や脈拍が急変し、
最悪、脳梗塞や、脳出血を引き起こし、死亡するという現象だ。

寒いよりも、安定した良い気候であった欲しいと思うものだが、

このような気候で思い出した文章があった。

それは

ブログ世に倦む日日」で書かれた
NHKの事件は新自由主義の陰謀だ - 「せんたく」と新二大政党

の中に次の文章があった。

ホームレスの問題が日本で大きな問題になって十年ほど経つが、
昔はそれほど気になることはなかった。
自分が年をとり、体も弱くなり、
冷暖房のない路上で人が暮らすことが
どれほど厳しいことかを想像するようになった。
そう言えば、子供の頃、田舎で、年寄りはよく天気の話をしていた。

今日はいい日和だね

と、よく年寄り同士が天気の話を言い合っていた。

それは、単に無意味な話題で間を持っていたわけではなく、
高齢者は健康の不安と向かい合っていて、
急な気温の変化で体調を崩しやすく、

だから、「いい日和」が何よりの安心であり、
生きる毎日の喜びだったのだ。
健康でいられる天候への嬉しさが言葉になっていたのだ。



と書かれていたのだが、
何気なく「今日はいい日和だね」とか

今日は、いい天気ですね

とか挨拶を交わすことがあり、それは
ただ、会話のきっかけに過ぎないのかなと思っていたが、
「世に倦む日日」で書かれたように、

日々の健康にも関わり、健康を保ちやすくなることを
確かめ合う意味のあるコミュニケーションであると
認識した。


寒くなって乾燥すれば、かぜをひきやすくなる。
天候と健康は大きな関係がある。

寒い日々、身体を震わす時、
そのようなことを思い出しながら、
何気ない、お天気のことを交えた
挨拶の大きな意味を
感じるのであった。


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「天気」の語源
天気 ~ 天に満ちている霊気・精気

「雨」「曇り」「晴れ」の語源
雨は天の恵み、天照大神様が籠もると曇りになり、雲が払われると晴れてくる







テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


アメリカが0.75%の利下げをしても・・・・ジョージ・ソロス氏が「状況は第2次大戦終結以後どの経済危機よりも深刻」と警告

アメリカの住宅バブル崩壊による
サブプライムローンの不良債権問題と
アメリカの景気後退懸念を受けて、
年明け以降、特に、1月第3週になって世界同時株安が
加速するなか、
アメリカのFRBが臨時の米連邦公開市場委員会(FOMC)
を行いフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を
0.75%を引き下げる緊急利下げを行い、
年3.5%にした。

昨日、日銀は金利水準をそのままにして、0.5%のまま、
日米の金利差が3%に縮小した。

そうなると、
よく言われている円キャリートレードはより行われにくくなる。

そういえば、このブログで、
日銀は利上げをするのだろうか? ~ 8月の日銀の利上げはアメリカ経済の死刑宣告になるかも!!

で、投資家ジョージ・ソロスのコメントを次のように紹介していた。

ヘッジファンドの親玉と言われる
ジョージ・ソロス氏は
昨年と今年にかけて、
日銀の金融政策と円キャリーが世界に与える
影響について次のようにコメントしている。

昨年(2006年)上旬の新興国を含む世界同時株安について、
米国CNBCのテレビインタビューにおいて、
ジョージソロス氏は

日銀は日本の銀行業界から
約2000億ドル(約23兆円)の
余剰流動性を引き揚げた。
この資金のかなりの部分は日本から流出し、
新興市場に流れていた。
現状は、人々がリスク回避に動いているのではなく、
流動性吸収のためである。



世界的株安の原因を日銀による量的金融緩和解除にあると
指摘していて、さらに、昨年の3月に

さらに、昨年2月に発生した世界同時株安についても
昨年の3月9日付けの
英国フィナンシャル・タイムズのインタビューにおいて、

世界的な株安など金融市場の混乱は円キャリートレードが原因だとして、
円の上昇に伴い動揺が続くとの見解を示している。

日銀は2月に利上げを行ったが、その影響で円キャリートレードが
縮小し、世界同時株安につながっていったと、
ジョージソロスは見ていた。


つまり、日本の金利が相対的に高くなるほど、
世界の株安は進むと見ていたのだ。

日本は低金利政策と量的金融緩和で
巨額の資金供給がなされたが、その資金は世界に出回った。
日本は資金供給国の機能を果たしていたのだ。

さて、その日本とアメリカの金利差が縮まれば、
日本からアメリカへの資金供給は細くなる。

せっかく、0.75%の利下げを行っても、
22日のNYダウ寄り付きは300ドル以上の
大幅下落で始まった。

このように株式市場が不安定なので、
堅実な債券市場に向かっている。

債券市場では、金利が高い債券ほどお金が流れるが、
世界最大の債務国であるアメリカは資金供給国よりも
より高い金利でなければならないが、
そのアメリカが金利を下げれば、海外からの米国債券市場への
資金流入は細くなる。

そうなると、ドル下落要因になる
アメリカは国内生産以上のモノを消費しているので、
海外から買わないといけない。

ドルが下落すればインフレ要因になる。
アメリカは金融バブル崩壊による不況と物価上昇という
スタグフレーションになる可能性もある。
もし、ドル暴落となれば、
1990年代初め、ロシアがあじわった
猛烈なインフレを味わうかもしれない。

ドルが暴落しなくても、
今のアメリカは1990年代、日本が味わった
バブル崩壊後の金融危機を味わうかもしれない。

そのように、今のアメリカは深刻なのかもしれない。そして、
世界経済も大きく影響を受けそうだ。

そういえば、ジョージソロスはオーストリアの新聞社のインタビューで
次のように語っていたと、ロイター伝で報じられていた。


世界は第2次大戦以後最悪の金融危機に直面=ソロス氏

ウィーン 22日 ロイター] 著名投資家ジョージ・ソロス氏は、オーストリア国内紙とのインタビューで世界は第2次大戦以後最悪の金融危機に直面しており、米国はリセッション(景気後退)入りする可能性があるとの見解を示した。

 ソロス氏は「状況は第2次大戦終結以後どの経済危機よりも深刻だ」と述べた。

 過去数年政治は「市場原理主義」のようなものに起因する、ある種の基本的な誤解によって行われてきたと指摘し、「これは間違った思想であり、われわれは実際に現在、深刻な金融危機に直面している」と述べた。

 米国はリセッションに向かっているかとの質問には「その通り。米国には脅威となっている」と述べた。
 また、リセッションは欧州にとっても脅威である点があまり理解されていないことは意外との認識を示した。


と、ソロス氏は認識している。
今回の金融危機はアメリカ経済・世界経済にどのような影響を及ぼすのか?
ドル基軸通貨体制、アメリカの覇権の衰退と世界秩序の変動をもたらす
ものになっていくかもしれない。







テーマ:経済ニュース - ジャンル:ニュース


1月22日が「カレーライスの日」であるのはなぜ?

1月22日は
「カレーライスの日」である。

どうして、1月22日がカレーライスの日になったのか?

1982年(昭和57年)
全国学校栄養士協議会が、1月22日を
「カレーライスの日」として、制定し、
1月22日の全国の学校給食をカレーライスにすることを提案した。

それで、1月22日がカレーライスの日になったのであるが、

それでは、どうして、
全国学校栄養士協議会は
1月22日をカレーライスの日にしたのか?

全国学校栄養士会が
好きなメニューの調査をしたところ
「カレーライス」が1番であった。
そして、カレーライスの献立材料の入手が容易であること、
そして、調理も容易であることから
そこで、全国学校栄養士会は
1月の学校給食週間に
カレーライスの統一献立を行うことにした。

戦後、学校給食が復活した日を記念して設けられた
12月24日が学校給食記念日であるが、
12月24日 冬休みのため
1月24日が給食記念日にされ、
1月24日から1月30日が給食週間になっている。

1982年の1月24日は、日曜日であった。23日は土曜日、
そこで、1月22日を全国の学校給食の献立をカレーに統一
することにした。
実際に実施したのは2割程度だったという。

そのカレーライスの普及に大きな役割を果たしたのが、
戦前の帝国海軍であるとされる。

帝国海軍がモデルにしたイギリス海軍では
軍隊食として、日持ちの良いカレーを用いた
ビーフシチューとパンが用いられていたため、
帝国海軍もそのようにしたが、
当時の日本人の口になかなか合わなかったため、
カレー味のシチューに小麦粉でとろみにしたものを
ご飯にかけたところ、兵士達に好評であった。
これがカレーライス誕生の起源という説もある。

日露戦争の時も、帝国海軍では、兵士達がこの
カレーライスを食べた。

日露戦争後、帰還した兵士達が、家に戻った後、
海軍で食べたカレーライスを家族に紹介し、
それが、日本にカレーライスが普及するきっかけになったという。


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○日露戦争関連

月桂樹・花言葉「勝利・栄誉」 ~ アポロンが恋焦がれたダフネの生まれ変わりの月桂樹を冠にした・・・・日露戦争の時、月桂樹が日本で知られ、ある酒造メーカーの名前となった。

天気晴朗なれども波高し~1905年5月27日 日本海海戦において示された明治人の言語力

正露丸 「征」を「正」に変えても・・・・・・

テーマ:今日は何の日? - ジャンル:ニュース


代々受け継ぐDNAによって、原子を組み合わせてヒトの身体を作り、その原子は宇宙に生まれ、4つの力が作用している

昨日(2008年1月20日)は、
父の66歳の誕生日であった。

その父が存在しているからこそ、私が存在する。

父から私にDNAが受け継がれて、そのDNAのプログラムによって、
私が日々、食べる物から得られる様々な原子を組み合わせて、
私の身体が成り立っている。

父と母から受け継いだDNAは、何代も受け継がれて、私に至っている。

その何代前を遡ると、水の中に生存していた時に遡ったり、する。


父と母を通じて継いだDNAは、悠久の流れの中で、何万年か、
何億年かわからないが、続いているのだ。

ヒトの身体の組成物で、細胞レベルになってくれば、1年経てば全て
入れ替わっていると言う。その組成物は分子で成り立ち、その分子は
原子から成り立っている。
そのヒトと成り立たせている原子で主なものは

水素・酸素・炭素・窒素・ナトリウム・
カルシウム・リン・硫黄・カリウム・塩素

である。これらの原子が様々な分子に結合して、ヒトの身体を作っている。
これらの原子が様々な分子として結合して、ヒトの身体として
成り立つようなプログラムとしてDNAがある。

DNAのプログラムによって、
これらの原子が様々な分子として結合して、ヒトの身体として組成
させている。

そのDNAは、何万年前か、何億年前か
わからないが、
人類が何らかの生命体として、存在した時から、先祖代々、
父や母を通じて、私に受け継がれている。

そのDNAがプログラムの材料として使う、
原子は、宇宙空間にある太陽と同じ恒星内での
核融合反応や超新星爆発、さらに中性子衝突などによって
生まれたものだ。

そう、我々の身体は宇宙で生まれた原子によって、作られている。
宇宙の年齢は140億年とも言われるが、何十億年前に誕生した
原子が我々の身体を作っている。

その原子の中を見ると、
中性子・陽子・電子があり、さらに、中性子や陽子の中には
アップやダウンなどのクォークという素粒子がある。

ヒトは素粒子の塊でもある。
それらの素粒子、素粒子からなる原子などには
「電磁力」「強い力」「弱い力」「重力」という4つの力が作用している。

それぞれ4つの力を運ぶ粒子が存在しているという。
「強い力」と「弱い力」の作用範囲は素粒子の大きさまでだが、
「電磁力」や「重力」の作用範囲は無限大であり、
「電磁力」を運ぶ粒子である「光子」、
重力を運ぶ粒子であると考えられている「重力子」が
様々な原子から成る
ヒトとヒトとの間、ヒトと物との間、を飛び交っているのかなあと
思ったりする。


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遠慮 ~ 遠い先のことまで考えると、振る舞いが慎重になりますね・・・・

自分を押し出さずに、控えめな態度を「遠慮」という。

もともと「遠慮」は
控えめな態度という意味ではなかった。

この「遠慮」という言葉は
古代中国の思想家である孔子の言行を記録した
「論語」に由来する言葉である。

論語 衛霊公第十五、第十一章

子曰、人無遠慮、必有近憂。

と書いてある。
それを書き下すと

子曰く、人、遠き慮(おもんぱか)りなければ、必ず近き憂えあり。

その意味は

目先にとらわれ、遠い将来のことを考えないと、
必ず、近いうちに心配することが起こる

ということである。

その意味の四字熟語として

遠慮近憂

がある。

また、遠い将来のことまで考えて、
深く推し量り計画をたてたり、図ったりする意味の
「深謀遠慮」という四字熟語もある。

そのようにもともと
「遠慮」とは、遠い将来まで見通して考えるという意味である。

遠い先のことまで考えていると、
慎重になるため
すぐに行動を移すことはない。
そうなると、態度が控えめになってくる。

それから、控えめな態度という意味で
「遠慮」という言葉が使われるようになった。

「遠慮」のもともとの意味で論語に書かれていた

子曰、人無遠慮、必有近憂。

について、
第一国立銀行(現みずほ銀行)、東京証券取引所、東京ガスなど
500社以上の多種多様の企業の設立に関わり
日本資本主義の父と呼ばれる
渋沢栄一が
書いた「論語の読み方」で、次のように記している。

目前のことだけに気を取られて、
遠い先のことを考えず、
今日のことだけにあくせくして、
将来の計画をおろそかにすれば、
必ず身近で心配事が起こる。

人々も国家も、長期展望に立って、
物質的には勤勉・貯蓄・保険・衛生、
精神的には教育・修身・安心・信仰を
計画的に実践しなければならない。



          

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情報を分かるとはどういうことか? ~ 自分の言葉で言い換えて説明できること

マーケターで、経営コンサルタントをしている
谷口正和氏が2001年2月13日に発刊した
「21世紀コンセプト 小さな人生」
という本を、
ふと読み返したところ
その149ページの次の文章に目が止まった。


情報の本質は「知る」でありません。「分かる」です。
その意味するところが分かったときにはじめて情報であり、
その時はじめて私たちはその情報を間違いなく使いこなす
ことができるのではないでしょうか。



情報を分かるとはどういうことか、
知ったことを分かるとはどういうことが、
私なりに思うには、
知ったことを人に理解できるように教えることができるように
なっていれば「分かる」状態になっていると言えるかもしれない。

それも、難しいことを小学1年生が理解できるようになっていれば、
「分かる」ことになっているとも言えそうだ。

そのようになるためには、
知った情報について、その情報の文脈の大筋を変えずに、
自分の言葉で、言い換えて、話すことができるように
ならなければならない。

この「言い換え」ができるようになると、
「分かる」ようになっていて、さらに、
「言い換え」ができるということは、
何かの閃きをもたらしたり、
新たな発想を産出すきっかけにもなる。

このブログで、ヒット商品のことを紹介することがあるが、
その中でもこの「言い換え」については何度も触れている。

情報の本質は「知る」でありません。「分かる」です。

このフレーズには、奥深い意味があり、
新たなことを産出して、豊かさをもたらす可能性を秘めたものだと
感じる。


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砂糖の短所を「あるがまま」のものと言い換えて・・・・
あるがままを

「芳香剤」を言い換えて、応用や逆転の発想をもたらした
風水彩香~新しい意味を持たせる(言い換えと逆転の発想)

「甘栗むいちゃいました」「伊右衛門」のヒットも「言い換え」にあり
アナロジーを用いた命題化とヒット商品

入浴剤を「親子のコミュニケーションツール」と言い換えて・・・
びっくらたまご~入浴剤を使う風呂場の機能に着目し、フィギアを入浴剤に混ぜるという発想が生まれる

「黒豆」と「ココア」、関係なさそうなものを「言い換え」により、関係づける
黒豆ココア~事業ドメインと開発の深い掘り下げ、そして、新しい関係の発見

6月を言い換えると
風待月 ~ 風が待ち遠しい6月

「分かる」ということは「賢さ」につながるが・・・・・・
テスト前にテスト用紙を配る先生~「知っていること」と「賢い」の違い



           

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「芥川賞」と「直木賞」の違いは何?

一昨日(2008年1月16日)
第138回芥川賞と第138回直木賞が発表され、
芥川賞に川上未映子(みえこ)さん(31)の「乳と卵(らん)」が
直木賞に桜庭一樹さん(36)の「私の男」が受賞した。

そもそも
芥川賞と直木賞は何なのだろうか?

芥川賞は正式には「芥川龍之介賞」
直木賞は正式には「直木三十五賞」

である。

1935(昭和10)年、
当時の文芸春秋の社長であった
菊池寛が親交を持ち
既に故人となっていた芥川龍之介と直木三十五の
の業績を記念して、設立された賞が
「芥川龍之介賞」と「直木三十五賞」であった。

芥川賞と直木賞はどのような違いがるのか?

芥川賞は「文学界」や「新潮」などの文芸誌や新聞に
精神性の高い純文学の短編小説を発表した無名や新人の作家が
受賞対象者になっている。


直木賞は「オール讀み物」や「小説現代」などの小説誌や新聞や
あるいは、単行本として無名・新進・中堅作家推理小説や時代小説などの
大衆文学発表した無名・新人・中堅作家が
受賞対象者になっている。

純文学と大衆文学の違いについて、
菊池寛は

作家が書きたくて書いているのが純文芸で、
ひとを悦ばすために書いているのが大衆文芸だ


と述べ、芥川賞と直木賞の違いを打ち出している。

財団法人日本文学振興会の主催で
芥川賞と直木賞が毎年上半期と下半期の2回選定される。
時には「該当作なし」ということもある。

芥川龍之介については、
教科書に彼の作品が載っていることもあり、
知っている方が多いと思うが、
直木三十五については知らない人も多いだろう。

直木賞は大衆文学が対象であるからわかるように
直木三十五は大衆作家である。
直木三十五の時代小説「黄門廻国記」は
初めての映画版「水戸黄門」の原作となった。

また、直木三十五は、映画監督・脚本家でもあり、
昭和初期の無声映画などの制作に関わった。






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震災時のコミュニケーションの確保 ~ 阪神・淡路大震災から13年 震災時の「赤い伝言カード」

今日は、2008年1月17日、
阪神・淡路大震災が発生してから、13年になる。

当時21歳の私は、西宮市の上ヶ原の下宿屋で被災した。

震災の時はライフラインのひとつである
通信がマヒする。

5時46分に地震が発生した後、
午前7時前に、ある公衆電話を通りかかったところ、
誰かが話していた。どうやら通じるらしいと思い、
その方が話し終わった後、私は、
和歌山県御坊市の実家に電話をしたら、つながり、
母が出た。

私:「生きてますよ」

と言うと、母は、私が大げさに冗談でも言っているのかと
思ったのか、笑っていた。実家はほとんど被害がなく、
阪神間の被害の状況がわからなかったのだろう。
これは、わかっていないと思って、

私:
「下宿が傾いた。まわりの家では潰れて下敷きになっている人がいる。
西宮市内で煙が上がっているのが見える。(上ヶ原が高台のため)
阪神高速の高架が落ちたようだ」
と伝えると、母は驚いていた。
 その電話の後、実家の母は、兄に「大変なことになっているようだ」と
伝え、その話を聞いた兄はその時から、NHKの録画を始める。
私が実家に帰った後、その録画を見ると、
7時前から録画されていて、NHKのニュースであの
神戸放送局で、NHK社員が震度7の中で、大きく揺らされている
映像が出ていた。

さて、私は実家の母に電話をした後、奈良にいる友人に電話をしたら
つながった。
震災後、約2週間、彼の家で居候のお世話になった。

その後、電話はつながらなくなった
その時は携帯電話は普及していなかった。
公衆電話は長蛇の列を成していた。

その後、再び、実家に電話ができたのは翌日の午前2時か3時ごろ、
一緒にいた友人も初めて、実家に電話ができて、
その友人の母が何か安心したような感じだったという。

このように震災時はコミュニケーションが取ることが困難になる。

そのようなことを受けて、

NTTでは、災害伝言ダイヤルを設置している。
震度6以上の地震で設置される。
(台風や集中豪雨などの自然災害などでも設置される)

ダイヤルを「171」にかけると、
メッセージの録音・再生ができる。
携帯電話からできるが、
メッセージを登録する場合の電話番号登録は
固定電話でないとできない。

地震発生地域内で、混線しているので、
遠方の方に知っている人がいたら、
そこに、連絡の中継を御願いしていいかもしれない。

また、当時、被災地の避難所では紙を使った伝言が
被災者のコミュニケーションに大いに役立った。

その伝言メモ用紙で
赤い縁取りと「私はここに居ます」「We are Here」
と書かれた伝言メモがあった。
この赤い伝言メモ用紙は行政が支給したものでなく、
誰かが提供したものだが、誰が提供したものか
わからなかったが、最近、誰が提供したかわかったという。


赤い張り紙 OSK200801120005

朝日新聞 「赤い張り紙」贈り主だれ? 阪神大震災13年後に判明 より
神戸市役所で、吉井正彦さん撮影

提供したのは博報堂関西支社に勤める広告マンであった。

1995年1月17日 
大阪市北区中之島・新朝日ビル12階の博報堂関西支社、
関西支社勤務の350名のうち出社できたのは数十名。
幹部が社員の安否確認に追われていた。

支社長代理であり、CMでは世界のコンクー
ルで賞を多数獲得するベテラン制作者であった
岩崎富士男さんが、
プロモーション局長であった瀧川忠昭さんを
地下の喫茶店に誘って、
「広告会社として
貢献できることはなにか」と相談を始めた。

瀧川忠昭さんは
マーケティング戦略ではベテランであった。

岩崎さんと瀧川さんの2人で考えた。


岩崎さんは、先に被災地を見ていて、気がついたのは
ノートの切れ端やメモ用紙などに走り書きした伝言であった。


「水や食料は誰かが運ぶ。我々はコミュニケーションの専門家」

岩崎さんは
以前に海外ニュースで見かけたカードを見ていた。

それをヒントにして、
被災地で必要な伝言用紙を配ることにした。

CM制作のベテランである岩崎さんがこだわったのが、

シンプルな赤枠

震災の翌日予算を確保し、
取引先に、大小2サイズと、外国人用に英文のカードの印刷を発注した。

震災から5日後、
約60万枚の伝言カードをトラックに積み
16時間かけて、西宮、芦屋、神戸の市役所や避難所を回り
置いていった。

被災者と家族や友人の所在確認などのため、
この赤い伝言カードは
掲示板や壁などに張り出された。
大いに役立った。

ただ、当時、誰がこの赤い伝言カードを持ち込んだのかわからなかった。
市庁舎などに、いつの間にか、この赤い伝言カードが置かれていて、
「赤枠の伝言カード」について、だれが用意したのか、行政や研究者の間で
はなぞのままだった。

それには理由があった。

「会社のPRに利用したくない」

「あくまでも黒子で」

という考えがあったからだ。

また、「大災害の惨状に対して、何ができたか」という無力感があり、
後になっても語らなかった。

日本災害情報学会のニュースレター(2007年10月)で、
防災リスクマネジメントWebの中川編集長が

「大量に山積みされていた『私はここに居ます』の赤い紙を
誰が持ち込んだのか、いまだに分からないまま」

それを目にした吉井正彦・国立民族学博物館客員教授さんが
調査を始めた。

吉井正彦さんは
震災当時、博報堂の社員であり、この一連の出来事を耳にしていた。
そこで、当時、この赤い伝言カード配布決定に関わった
岩崎富士男さんと瀧川忠昭さんなどに話をうかがい
このたび、明らかになった。


赤い張り紙 瀧川さん OSK200801120006

岩崎富士男さん(左)と瀧川忠昭さんが、
現在、教鞭を取っている大阪芸術大で
当時の様子を語る
朝日新聞 「赤い張り紙」贈り主だれ? 阪神大震災13年後に判明 より


阪神大震災時のYou Tube 動画

阪神・淡路大震災 「おはよう天気です」放送中に発生

阪神・淡路大震災 NHK第1報

阪神・淡路大震災 地震の瞬間(コンビニ店内)

阪神・淡路大震災 NHKニュース7 オープニングで地震の瞬間のNHK神戸放送局の動画あり




このブログでの関連リンク

○阪神大震災関連
あれから11年、「風化」が懸念されている
2006年1月17日記述 
「風化」の語源と「震災」の風化懸念、私の地震直後の体験談

地震直後に風呂に水を貯めた人がいた ~ 阪神・淡路大震災から12年
2007年1月17日記述

○地震・津波関連


雪国仕様の家作りが地震の被害を小さくした ~ しっかりした基礎土台と太い柱と軽い屋根

へえ、地震波で船が転覆したんだって! 海面の揺れには震度やガルは適用されるのかな?

能登半島地震で、富山湾で、海底地すべりによる津波が発生?


昨日、おや?と思う地震が発生した ~「深発地震」による「異常震域」現象発生

高層ビルの高層階~巨大地震の長周期振動に備えを


世界語になった「TSUNAMI」


津波が来ないと言われていた日本海に大津波が襲った日~日本海中部地震

歴史の目撃者~ニュース速報の音を聞くとき
1993年北海道南西沖地震の緊急警報放送についてコメント


スマトラ沖地震・インド洋大津波から1年
 ⇒南海地震津波による大阪市への影響について書いています。

大津波から町を守った世界遺産
インド洋大津波から守られた世界遺産の町

象さんの超能力!
象さんが、この超能力のおかげで、インド洋大津波の被害を予防できた

津波地震の発生メカニズム ~ 大きく揺れなくても、大津波が来襲する原因は


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リンク「link」 ~ 「連結」「繋がる」という意味のこの言葉は、 英語の「they」を産出した言語に由来している

インターネットのホームページで、
クリックすれば、別のページが開くように
なっている機能を「リンク」と言うが、

「リンク」の英語のスペルは
「link」で、意味は「連結、繋がる、鎖の鎖環(さかん)」などの
意味がある。

この「link」と言う言葉は、
北欧各地でヴァイキング時代から中世盛期まで話されていた
古ノルド語に由来する言葉である。
 (英語の三人称複数代名詞 「they」も古ノルド語に由来している)

その古ノルド語で「鎖」を意味する「lank」という言葉があるが、
それが「link」の語源である。

鎖という意味から、「連結、繋がる」という意味が派生したのだろう。
そして、インターネットのページで、ページとページを繋げる機能があるから
「link」という言葉が用いられるようになったのだろう。

このブログでもいろいろ「リンク」をしているが、
私の友人のブログである
融和船 <サロン ゆうわせん>
をリンクしています。

短いセンテンスで、物事の本質を突くようなコメントをしています。
是非、このリンク先の融和船 <サロン ゆうわせん>も御覧下さい。


テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


新型インフルエンザによるパンデミックに備え、政府は食料備蓄は強化すべき ~ 海外からの食料供給が停滞するのでは

新型インフルエンザによる
パンデミックが発生し、物流機能が低下した場合に備えて
少なくとも2週間分に備蓄が個人として必要だとも言われる。

個人としてできる備蓄は2週間分ぐらいが限度かもしれないと思いつつ
ただ、2週間だけでも大丈夫だろうかと思ったりもした。

そのように思ったのは、国内の物流だけでなく、
海外からの物流低下がどの期間、続くかがわからないからだ。

日本の食糧備蓄状況はどのようになっているのか?

農林水産省の「我が国の農産物備蓄の状況」

を見ると、


○米        
 ⇒国(食管会計)が、適正水準を100万トン程度で運用
○食糧用小麦  
 ⇒輸入麦の年間需要の約1.8ヶ月分
○食品用大豆 
 ⇒ (社)大豆供給安定協会において年間需要の約2週間分(3.9万トン)
○飼料穀物   
 ⇒配合飼料主原料の年間需要のおおむね1か月分(95万トン)

現在、日本人の一人当たりの1日あたりのコメ消費量が
0.16㎏(コメ1合分)ぐらいで、100万トンの備蓄であれば、
昨今の日本全体での消費量の1月半ぐらいである。

ただ、もし、コメだけで1日あたりに必要な摂取カロリーを取るとすると
どうなるだろか?

お米160g(コメ1合分)のカロリーは570kcal
米を炊くと、重さは約2.2倍の352gで、カロリーは591kcal。
成人一人当たりの必要なカロリーはどうか?

20代と40代の男性と女性のデスクワークの仕事や主婦の場合では

20代 男性 2200kcal  女性1800kcal
40代 男性 2150kcal  女性1700kcal

炊飯後のおコメを1日3合食べると1773kcal。

何とか40代女性の必要なカロリーをおコメ3合でまかなえる。
まあ、1日3合食べることが必要として、
コメだけしか食べることができないとなれば、
100万トンの備蓄であれば、半月で底をついてしまうこととなる。

もし、パンデミックで、海外からの食料供給が止まってしまった場合、
半月で底をついてしまう状況は厳しいものがあるのではないか?


コメ以外の行政機関の非常食備蓄など含めて、どのくらいあるか
わからないが、海外からの食料供給が止まってしまった場合、
どのくらい持つのか不安がある。

梶井功東京農工大学名誉教授が執筆した
農協組合の新聞の
シリーズ 時論的随想 -21世紀の農政にもの申す(16)
「今年こそ問われる食料安全保障政策」


で、


民主党が棚上げ備蓄を主張していることは注目に値する。別稿本紙対談で民主党の筒井議員は、
  “…それから政府備蓄米を今の100万tから約300万tに増やして棚上げ備蓄とし、うち備蓄の役割を終えた分はすべて飼料用とバイオマス用にする方向を考えています。回転備蓄ではいくら増やしても在庫の増大となるだけで、米価引き上げ圧力にはなりませんからね”

と書いている。



備蓄を300万トンにすれば、海外から食料供給がストップしても、
コメだけで、1ヶ月半は食べていけることはできる。

まあ、実際、この計算通りになるかどうかわからないが、
新型インフルエンザによって、海外からの食料供給が激減したり、
また、パンデミックが爆発的に広がる1~2ヶ月間が終わっても、
その後も物流機能の回復に時間がかかるかもしれない。
停滞することを想定した備蓄や食糧配布計画を政府として
考えるべきではないかとも思う。


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ワーキングプアと新型インフルエンザ ~ 戦慄のシュミレーションドラマを見て、パンデミックへに対して個人ができる対策は? 





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短所を長所にできることができれば、不満がなくなり、感謝の気持ちを抱ける

自分から見て、ある短所がある人に対して、
批判的な目で見たり、排斥したいような気持ちになる場合があるかもしれない。

例えば、融通を利かせて欲しいのに、

頑固で変えない人がいれば、

「融通が利かない、頑固だ」と

批判的に排斥したくなったとする。

しかし、裏返すと、

頑固というのは、意思が強く、一貫性があるという

長所に変わる。

逆にそのような性格が必要な場合がある。

短所と思えたものが長所に見え、その長所が役立つ場面があると

考えると、「ありがたい」と感謝の気持ちを抱けるようになる。

あるがままのその性格を活かせる発想があれば、

短所が長所に見えるのではないか、


このブログの
あるがままを
で、角砂糖発明のプロセスを書いた。それもあるがままを活かす発想である。

砂糖は空気中に長時間放置したままにすると、
水分を含んで固まってしまう。
そうなると、料理にとっては不便なので、
人々は、「これは砂糖の欠点だ」と決め付けた。

そのような見方に対して、
イギリス人ヘンリー・テイトは、

人間にとって不便だからといって、
それを欠点と決めつけてしまってしまってはいけないのではないか。
砂糖にとっては、固まることが自然ではないか
その固まるというあるがままの性質を活かせないか



と考え、そして、
この「固まる」という砂糖の本質を活かすことを
考えをめぐらせた結果、
角砂糖を発明したのだ。

この角砂糖発明のプロセスと同じように、
モノや人に対して、
自分の一つの味方の都合だけで決め付けず、
あるがままを見抜き、あるがままを活かすという視点が
あれば、短所が長所になる。
活用できて役に立ってくれるので、不満もなくなり、
感謝の気持ちを抱けることになる。


このブログでの関連リンク
ありがとうの語源から、いろいろ格言や四字熟語や季節の言葉が浮かぶ

テーマ:言霊(格言・名言・自分の考え) - ジャンル:学問・文化・芸術


ワーキングプアと新型インフルエンザ ~ 戦慄のシュミレーションドラマを見て、パンデミックへに対して個人ができる対策は?

昨日(2007年1月12日)、21時からNHKで
放送されたNHKスペシャル

シリーズ 最強ウイルス 第1夜 ドラマ 感染爆発~パンデミック・フルー

を見た。

これは、新型インフルエンザが日本で大流行した場合を
シュミレーションしたドラマである。

3日前に、
中国衛生省の報道官が
中国南京市で
H5N1型
鳥インフルエンザが
死亡した息子から父親への感染を確認したと発表したばかりであった。
今回は、新型は変異していないというが、
ヒトからヒトに大量感染するパンデミッをもたらす
新型インフルエンザ発生が迫っていることを感じさせる。


このドラマで、特に気をひいたのは
感染ルートの設定である。
日本で始めに発生した与田村から
東京への感染経路である。

与田村に、不法投棄に行った2名の青年が、
現地の子どもに触れて、感染してしまう。

その2名の青年は、ワーキングプアで片方が、
借金でトラックを買い、独立をするが、不法投棄に手を染める。
もう片方がワーキングプアのまま30歳になり、
何とか生きしのいでいる。

その彼が、東京に戻り、自分が行った与田村で
新型インフルエンザが発生したニュースを知り、
そして、発病して、寝込んでも、
健康保険がないから医者に行こうとしなかった。

そのシーンが強く印象に残った。

今の格差社会の歪とそのひとつの顛末を想起させるものであった。

ワーキングプア問題もパンでミックを促進する一要因になりえることを

強く印象づけるものであった。


そして、パンでミックという国家的な危機状態にも関わらず、

政治・行政が決断ができないことにより、

後手に回るところも強く印象に残った。


全世界の死亡者は推定5000万人(日本で39万人)
となった
人類最大の
新型インフルエンザのパンデミックである
1918年~1919年のスペインかぜは
H1N1型のインフルエンザであった。

このスペインかぜのウイルスタイプの「H1」は
呼吸器など局所感染の弱毒性であるが、
今回、新型インフルエンザに変異することが懸念される
H5N1型の

H5型は

多臓器不全・全身性の重症疾患をもたらす強毒性


と想定されているのだ!!

もし、H5N1型による新型インフルエンザが発生すれば、
スペインかぜ以上の深刻なパンデミックになるかもしれない。

日本国内だけでも
64万人~200万人死亡するという推定がある。


H5N1型による新型インフルエンザが発生すれば、
感染したらどうしようもない状態になる。

感染防止で個人としてできることは
流行が始まり出したら、一歩も外に出ない
それくらいかもしれない。

おそらく、物流は停止するだろう。
また、電気・ガス・水道などのライフラインも職員が大量感染してしまって、
機能が低下するか、または、出勤不能状態になり、
完全停止する恐れがある。
それに備えて、
2週間、せめて10日間は生活できる食料・生活用品の備蓄となる。



シリーズ 最強ウイルス 
第1夜 ドラマ 感染爆発~パンデミック・フルー
再放送
2008年1月15日(火) 深夜 【水曜午前】0時10分~1時39分 総合


シリーズ 最強ウィルス 第2夜 調査報告  新型インフルエンザの恐怖
初回放送 
  2008年1月13日 21時
再放送
  2008年1月16日(水) 深夜 【木曜午前】0時10分~1時3分 総合

このブログでの関連リンク

インフルエンザの語源
インフルエンザ~天の力が身体にくる





著者の岡田晴恵氏は
国立感染症研究所の研究員。
行政や社会の対応の鈍いため、
新型インフルエンザの危険性とその対策を
強くアピールするため
新型インフルエンザの
日本上陸とその拡大、国内混乱を
シミュレーションした小説を仕上げた。

テーマ:考えさせるニュース - ジャンル:ニュース


切り盛り ~ 包丁でさばいて、お皿にのせて・・・・・

夫婦で店を「切り盛りする」と言うように、

何か物事を取りさばくという意味で「切り盛り」する

という言葉が使われる。


この「切り盛り」のもともとの意味は、

料理で、できた食べ物を切ったり、

器に盛り付けるということである。



その意味から連想されて、

物事を取りさばくというという意味で

「切り盛り」するという意味になった。




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料理 ~ はかりおさめること 料理は「料治」だった?


テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


「破天荒」の語源 ~ やっと、この地から、合格者が・・・・・

「破天荒」という言葉がある。
この言葉を「驚くような意外なことをする」「はちゃめちゃなことをする」
という感じの意味合いで使う人もいると思うが、

「破天荒」の意味を辞書で見ると

誰も為し得なかったことを為す

と書かれている。

この「破天荒」という言葉は
中国のある書物に書かれている。

宋の時代に
孫光憲によって
「北夢瑣言」(ほくむさげん)という
唐の時代から宋の時代のまでの
いろいろなお話をまとめたもので、
その「北夢瑣言」の第四巻に
「破天荒」のお話がある。

唐の時代、荊州(三国志で有名なところ)では、
中国の官僚の試験である科挙に合格するものが
長年出なかった。
それゆえに、
荊州は「文化程度が低い未開の地」という意味で、
「天荒」と呼ばれた。
そのような荊州で、
大中四年(850年)
劉蛻(りゅうぜい)が
科挙試験に合格したのだ。

その劉蛻の合格に驚いた人々が、
「天荒」の汚名を破った
と言った。

そこから
今まで誰も成し得なかったことをするという意味で
「破天荒」という言葉が生まれた。

ただ、今では、そのもともとの意味から派生したのか、
漢字によってもたらされるイメージに由来するのわからないが、
「型破りなことをする」とか
「はちゃめちゃなことをする」
という意味合いで使っているように見受けられる。

「型破りなことをする」「はちゃめちゃなことをする」
も、ある意味では「誰も成しえなかったことをする」に
近いものは感じるなあ。





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1月10日は「110」番の日 ~ 警察通報が「110」番になった理由は?・・・・黒電話が懐かしい

今日は1月10日。

1月10日は
「110番の日」である。

110番は、何か事件・事故があった時に
警察にかけるときの電話番号で
「警察通報用電話」という正式名がある。

1月10日が「110番の日」になったのは
1986年からで、警察庁が1月10日を
110番にしたのは
「語呂合わせ」である。

「警察通報用電話」の制度が導入されたのは
1948年(昭和23年)10月1日である。

日本を占領統治していたGHQに指示により、
欧米にあった緊急通報制度にならって、
「警察通報用電話」は導入された。

その時、導入された地域は
東京23区、大阪市、名古屋市、京都市、神戸市、福岡市など
大都市のみであった。

また、通話番号は110番で統一されておらず、
東京は当時から110番であったが、
大阪、京都、神戸では1110番と4桁であり、
名古屋は118番であった。

1954年(昭和29年)にやっと、
全国で110番に統一された。

さて、どうして「110番」になったのだろうか?

「警察通報用電話」にふさわしい番号の条件としては

・緊急時なので、簡単で覚えやすいこと
・間違いにくいこと
・素早く、簡単にかけれること

があった。その条件により「110番」になったというのだが、
その背景には当時の電話事情がある。
当時の電話と言えば、ダイヤル式が主流で、
そのダイヤル式電話の「ストッパー」の位置と数字の位置が
「110番」になった理由に大きく関係している。

黒電話 c


ダイヤル式電話と言えば、黒電話。
30代以上の方々は、黒電話は馴染みがあると思うが、
若い世代では見たことがない人もいるだろう。

ダイヤル電話は
1から9、そして、0までの数字の
該当する番号のところに指を入れて、
右回りにストッパーまで、ダイヤルを回して、
電話をする仕組みである。



そう、素早くかけるためには
あまり、ダイヤルを回す必要のない、ストッパーに最も
近い数字である「1」を使うことにした。
「1」を、サッサッと素早く2回、

そして、間違って、警察に電話を防ぎ、かつ
最後に、冷静になって
少し考える時間が持てるようにということで、
ストッパーから最も遠い数字である
「0」を使うこととなった。

そして、「110」の3桁の2種類の数字ならば覚えやすい。

以上の理由で「110」番が
「警察通報用電話」の番号になったという。


いざ、110番に電話をした場合、
冷静になって、次のようなことに注意して、
相手に伝えることだとされる。


まず、始めに
 ・事件か、事故か 何があったのか伝える
   ⇒ どろぼう、交通事故、けんかなど

次に
 ・どこで発生したのか を伝える
   ⇒ 住所、目標となる建物、交差点名、そこからの距離

次に
 ・いつ発生したのか を伝える
   ⇒ 5分前とか、○時○分ごろ などおよその時間を伝える

次に
 ・犯人の特徴 を伝える
   ⇒ 性別、人数、人相、服装、逃げた手段、方向

次に
 ・現場の状況 を伝える
   ⇒ 事件事故の様子、被害状況、怪我の有無など

最後に
 ・自分の身元 を伝える
   ⇒ あなたの住所、氏名、電話番号


この手順は、110番だけでなく、119番でも応用できると思うので、
知っておくと良いでしょう。


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「草分け」の語源 ~ 草だらけでは何もできんから、草を刈らないと

イチロー、城島、岡島、松坂、松井など
日本人の野球選手がアメリカのメジャーリーグで
活躍する選手が増えているが、
野茂英雄は
日本人メジャーリーガーの「草分け的存在」と
言われる。

さて、その「草分け」とは、先駆者、開拓者、創始者と
いう意味ではあるが、どうして、そのような意味として
「草分け」という言葉が生まれたのであろうか?

未開の土地を開拓する時、
その土地は、草がたくさん生えていて、
その草だらけのところに
入り込み、その草を分けて、使える土地にして
切り開いていった。

そこから、未開の土地を開拓する人や
その分野を初めて創設した人、その分野に踏み込んだ人などを
「草分け」と呼ぶようになったという。



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「20年前(1989年)の1月7日から1月8日」と「今年(平成20年)の1月7日から1月8日」

2008年1月7日が終わり、今日は2008年1月8日になった。
今から19年前の1989年1月7日に昭和が終わり、
今から19年前の1989年1月8日に平成が始まった。

そして、今年は平成20年になっているわけだが、
その平成20年1月7日に終焉し、平成20年1月8日に始まるものがある。

それは、ある特定の方々にとってのこととも言え、
その特定の方々に私の含まれている。

何かと言えば、PHSサービスのことである。

私は、1998年以来、NTTドコモのPHSサービスを利用し、
1度だけ、機種変更をした。
多分、2001年ぐらいに「パルディオ641Sf」にして、
それ以来、同じ機種を使い続きてきた。

6年以上も使い続けていると、
色落ちとかして、ネンキは入っている。
昨年の11月ごろには、
電池カバーが外れてしまって、
電池を絆創膏で落ちないようにした。
(2ヶ月以内にウィルコムに変わることになっていたので、
そのまま使い続けた)

通信として使えなくなっても、
6年も使えば愛着もあり、
充電機能が続く限りは、時計の機能として使い続けるつもりだ。
まあ、通信としての役割は終えるので、
約6年お疲れ様でしたと言いたくなる。

PHSを使い続けたのは、低コストであり、
あまり音声電話を使うことがないので、
また、PHSは番号ポータビリティがなかったからだ。

ドコモが2~3年ぐらい前からPHSから撤退するという情報は
出ていたが、おそらく、ウィルコムに同じ番号で
移行できるようになるだろうと思って、そのまま使い続けた。
会社が変わっても、同じ番号で使えて良かった。


PHSは、日本では
当初は、低コスト携帯通信ということで普及したが、
他の携帯電話の通信コストが下がったことや
PHSは、子ども向けの携帯とか、
簡易型携帯電話というネーミングなどもあり、
ブランドイメージは低下し、ユーザーの数は減り続けた。

今世紀になって、
ウィルコムの前身
のDDIポケットが
ノートパソコンやPDAで利用できる
定額のデータ通信
AirH"(エアーエッジ、後のAIR-EDGE )」
を販売し始めてから、
PHS利用者の減少に歯止めがかかり、
ウィルコムの利用者は増えた。

ただ、昨年、ウィルコムの利用者の伸びは止まった。

PHSは海外では、特に中国で「小霊通」という呼び名で、
2006年には、一時9000万台普及した。

まあ、ドコモが1月7日にPHS事業を終え、
1月8日からは
ウィルコムが日本で唯一の音声PHS事業者となる。

今から、19年前の1月7日から1月8日は
「昭和」が終わり、「平成」が始まるという
元号による時代の区切りという大きな節目であったが、
その19年後の平成20年の
1月7日から1月8日は
社会全体としては大きな節目のことではないが、
私個人としては、私の唯一の携帯電話番号を使っている会社が
切り替わり、6年間使い続けた機種が役目を終え、
新しい機種を使い始める節目となった。
まあ、日本のPHS業界にとっては大きな節目はなる。

そのようなことを考えながら、
「昭和」から「平成」になった
19年前の1月7日から1月8日と
平成20年の1月7日から1月8日のことを思うのであった。


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2008年1月1日 平成20年になった ~ 「明治20年」「昭和20年」どうだった、そして平成20年は?・・・・

この記事で「絆創膏」という文字が出たので、ついでに
「バンドエイド」誕生物語を
傷の手当に・・・妻への思いやりから生まれました

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いろいろ学ぶことができた充実した休暇を経て、仕事始めの日を迎える

今日は2008年(平成20年)1月7日、
今日が仕事始めだ。

昨年末の12月28日から昨日の1月6日まで、
10日間の休暇であった。

その間、
量子力学・相対性理論・超ひも理論や
太陽と光のこと
化学での原子の化学反応とのこと、生命の起源、DNAのこと
西田幾多郎の生命哲学と今西錦司の棲み分けの理論
熱力学第二法則と情報システム理論・社会システム理論
のことなどを
学んだ。
これらのことはすべて、つながりがと感じる。

私は文系なので、数学的なことまでは深くはわからないが、
概念的な説明のものをいろいろ読んだ。

以上のことを知った上で、
いつも通りの日常の暮らしの中で、
歩いたり、電車に乗ったり、仕事をしたりと
身体を動かすことで、まわりの環境との相互作用のなかで、
自分の身体内で起きている素粒子の営み
を思うことがあれば楽しいことだし、
また、社会全体のことや流れや日々受け取る情報のことや
情報を受け取った上で、社会システム全体での意味や
情報を受け取る時に発生する脳の神経回路の動きと
それらの神経回路の働きによって作用する
化学反応、素粒子の営みを思うのもまた楽しい。

そして、太陽の存在が、地球や生命、そして、
人が見るということに大きな影響を与えていることを
改めて認識した。


いろいろ知っていくと、楽しみも増える。
そのような楽しみを抱きながら、
仕事始めの日を迎えてことができて
嬉しく思うのである。


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大型台風接近で思うこと ~情報のエントロピー増大が、意味のネゲントロピーの多様性と豊かさをもたらす

素粒子が5次元に消えた? 超ひも理論は10次元だが、宇宙は次元は無限大であるという仮設

1月2日に「1月1日のついて」のことと「地球が太陽を回ることについて」を考える




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シャーロック・ホームズとワトソンの初めての出会い ・・・ホームズの推理方法と商品開発 ~ 1887年1月6日 「緋色の研究」の発行

今日は2008年1月6日
今から121年前の今日の1887年1月6日
イギリスの作家アーサー・コナン・ドイルが書いた
「A Study in Scarlet」が刊行された日である。

「A Study in Scarlet」の邦題は
「緋色の研究」であり、
シャーロック・ホームズシリーズの第1作目である。


ちなみに、シャーロキアン達は
1854年1月6日がシャーロック・ホームズの誕生日だと推測していている。

さて、「緋色の研究」の
ホームズとワトソン博士の初めての出会うところは
名場面になっている。

ワトソン博士を紹介された時の
シャーロック・ホームズの第一声は

はじめまして、あなたはアフガニスタンに
いってきましたね?


であった。それに驚いたワトソン博士が

「どうして、それがおわかりですか?」

と尋ねた。

ホームズはなぜ、ワトソン博士をひと目見ただけで、
アフガニスタンに行っていたことがわかったのか?


ここに医者風で、しかも軍人タイプの紳士がある。
むろん軍医にちがいない。
顔は真っ黒だが、黒さが生地でないのは手首が白いのでわかる。
してみると熱帯地がえりなのだ。
艱難をなめ病気で悩んだことは、憔悴した顔が雄弁に物語っている。
左腕に負傷している。動かしかたがぎこちなくて不自然だ。
わが陸軍の軍医が艱難をなめ腕に負傷までした熱帯地はどこだろう?
むろんアフガニスタンだ。----と、
これだけの過程をおわるには一秒も要しなかった。


「緋色の研究」29ページより

ホームズのこの推理を要約すると
・ワトソンが軍医であること
・日焼けしていることから熱帯にいたこと
・負傷していること

主にこの3点から、当時のイギリスで、
軍医が負傷するのは、イギリスが戦争を行っていた
暑いアフガニスタンしかないという仮設を立てたのだ。


このホームズの推理と仮設の立て方について、
記号論学者であるT.A. シービオクは
「シャーロック・ホームズの記号論」において、
このホームズの推理の方法は
アメリカの哲学者C・S・パースが提唱した
「アブダクション(abduction)」であると説明している。
アブダクションとは、日本語にすれば「仮説推論」と言える。



C・S・パースが
「帰納法的推論」「演繹法的推論」に加えて
「アブダクション」という言葉を用いた。

大雑把に言えば、
帰納法は経験から原則を見つけることであるが、
ひとつの値を決めるだけである。
演繹法は原則から事例を導き出すことであるが、
ただ、大前提となる原則から当然の帰結を生むだけである。
帰納法も演繹法も
ただ、論証だけに推論の意識が集中するため
仮設発見における「創造性」は見込めない。
ホームズシリーズで警察が思い込みで間違ってしまうことが多いのは、
初期の現場で取得した表面的な事実だけによって、
ただ論証してしまうからであるが、ホームズのような
アブダクション思考であれば、
表面的な事実だけを見ただけで、固定化された論理展開を避け、
より広い視点から発展的な問いを含む仮説を立て
真相を見抜くことにつながる。



ホームズが取るようなアブダクション思考は
当てずっぽうであるので、最後は仮説があっているかどうか
確認をしないといけないが、
ホームズはしばしば消去法を用い、
「ブルースパーティントン設計図」で

全ての不可能を消去して、
最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、
それが真実となる


と述べている。

それに関して、アブダクション思考を提唱した
C・S・パースは

事実はその事実以上におかしな仮説をもってしては、
説明できない、さまざまな仮説がある場合には、
一番おかしくないものを探るべきである



アブダクション思考は
目立つ徴(しるし)のついた記号を手掛りに
その記号の関係に仮説を立て、
あてはめていくことである。

ホームズがワトソン博士がアフガニスタン帰りの軍医であると
見抜いたのは「ワトソンが軍医であること」という前提を知り

「日焼け」と「左の負傷」という目立つ徴の記号を手掛りに
ワトソン博士がアフガニスタン帰りの軍医である仮説を
立てた。


このホームズのような
アブダクション思考について、
企業の商品開発の創造プロセスについて研究してきた
野中郁次郎氏は
「知識創造の方法論」において、
次のように書いている。


アブダクションにおいて重要なのは
推論的な言語です。
その基点は、観察によって得られたアイデアの原型、
すなわち五感による記憶や、心的イメージ、内なる思い
などです。
それらをもとに、たとえば
「もしこうだとすれば、こうなる」といった発展的な問い、
あるいは、消費者や顧客の声(になりきって)で、
「こうなりたい、こうしたい」と発想すること

さらに、野中氏は
アブダクションを用いたコンセプト創造について
日本的な特性を述べている。

日本語は主語が曖昧で、動詞(述語)的な思考で、
主客が曖昧な自己の中に他者を取り込んだ思考である。
その日本語の特性を強みとして、
主客の境界にとらわれない、
他者になった状態からの「思い起こし」としての
アブダクションを行うことが、
コンセプト創造へのアプローチになるというのだ。


その例として、
サントリーのコーヒー「BOSS」の開発プロセスがある。

サントリーはコーヒーのヘビーユーザーに
外回りの営業マン、タクシードライバー、
工員、職人など男性的な仕事をしている人が多いことを知り、
コーヒー開発のコンセプトとして、
「飲み飽きない味」「タフで男っぽいイメージ」が出てきたが、
要件の羅列に過ぎず、他社と差別化できない
表面的なものであった。

そこで、サントリーの開発チームは
ヘビーユーザーの職場に足を運び、
トラック運転手のトラックに同乗させてもらったりもした。

その過程の観察で得られた特徴は

・ヘビーユーザーは大変仕事熱心であること
・一匹狼のような孤独さがあること
・ヘビーユーザーは、コーヒーと1時間/日 付き合っていること
 (1日6本以上飲み、1本飲むのに10分ぐらい)


アブダクション思考は
目立つ徴(しるし)のついた記号を手掛りに
その記号の関係に仮説を立て、
あてはめていくことであることであるが、
この場合は
「大変な仕事熱心」
「一匹狼」
「コーヒーと1時間/日の付き合い」
という目立つ徴(しるし)のついた記号がある。

その記号の関係から得られた仮説は
「コーヒーは仕事のパートナー」である。

その仮説に基づき、
ヘビーユーザーの
「真面目かつ寂しがりや」という性格に対する
コミュニケーションを図る商品開発が必要となり、

そのアブダクション思考を通じて産出された
コンセプトは

「働く男の相棒コーヒーBOSS」

であった。
そのコンセプトには

あなたが真面目に働いていることは
いいことなんだ。
実はあなたは一国一城のボスなんだ

というメッセージがあった。


シャーロック・ホームズと同じく
アブダクション思考を経て
産出されたサントリーのBOSSは
大ヒットし、ロングセラーとなり
サントリーの一つの商品ブランドとなった。

シャーロック・ホームズの推理方法は
商品開発のコンセプトを考える上で、
使えるものなのである。


参考リンク

松岡正剛の千夜千冊『シャーロック・ホームズの記号論』



        


        


        





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檜舞台に立つ ~ 最高級の舞台で演じることができれた一流だ

晴れの舞台に立ち、自分の腕前や姿を披露する時に
「檜舞台に立つ」「檜舞台を踏む」という表現が使われる。


読んで字の如く、檜で作られた舞台のことである。

その檜で作られた舞台は、
歌舞伎や能で使われたのだが、
舞台の材質として檜は最上級であった。

つまり、檜舞台は最高級の舞台であった。

江戸時代において、
その最高級の舞台である檜舞台の使用が許可されたのは
格の正しい幕府公認の大劇場だけであった。

そのような権威のある劇場の檜舞台で
演じることができるということは
一流の証であり、役者達の憧れであり、
その夢が実現すれば、まさに晴れ舞台であった。

そこから、
晴れの舞台に立ち、自分の腕前や姿を披露することを
「檜舞台に立つ」「檜舞台を踏む」と表現するようになったという。

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「峠」 ~ 山のたわみで、神さんに花を手向ける? 「とうげ」の語源は?

山道で、上り坂と下り坂の境目の所を「峠(とおげ)」という。


どうして「とうげ」と言う様になったのか?
それには2つの説があり、
江戸時代の国学者である本居宣長による説と
民俗学者である柳田国男による説がある。


本居宣長による説

上り坂と下り坂の境目の所には、旅人の安全を祈願するため
道祖神(どうそじん)があり、その道祖神に祈願する時に
花や供物を手向け(たむけ)たので、その「たむけ(手向け)」が
変化して「とうげ」になった。


柳田国男による説(また、彼の説の補強)

上り坂と下り坂の境目の所関して、
日本の各地で
「たわ」という表現があり、
また、
古事記の垂仁天皇の条において、

山のたわより御船を引き越して逃げ上がり行でましき

という一文があり、

意味は

山の低いところから船を向こうに渡して逃げおおせたという

である

その「たわ」とは
「撓む」という意味であるが、
山の撓みとは
山の稜線が撓んで低くなっているところを意味している。
そのような所に
山道の上り坂と下り坂の境目の所がある。
その時、山を越えるのだが、
山を越えるところが、
山の稜線が撓んで低くなっているので、
「たわ越え」と言い、そこから
「たーごえ」→「とーげ」→「とうげ」になったという。


「とうげ」の漢字の「峠」は
和製漢字、つまり国字である。

山道で上りと下りの境目のところで「峠」という文字になっている。

この国字としての「峠」がいつ登場したか、諸説あるが、
室町時代説が有力視されているようだ。


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1909年2月28日 厳寒の峠にて命をかけた男がいた

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真面目な時は目はパチクリ ~ 「まじめ」の語源は?

何か物事を真剣に取り組んでいる人を見て、
「真面目にしているなあ」と思うことがあるが、

どうして、真剣にやっていることを「真面目」と
言うようになったのだろうか。


「まじめ」という言葉は、「まじろぐ」という
言葉に由来しているという。


「まじろぐ」を漢字表記すれば
「瞬ぐ」である。意味は「瞬き(まばたき)」のことである。

何か物事を真剣に取り組んでいる人の表情を見れば、
目を瞬きさせるほどの真剣な表情を浮かべていることから
「目をまじろぐ」で、真剣に取り組む様子を「まじめ」と
呼ぶようになったようだ。

そして、「まじめ」は漢字で「真面目」と書くが
当て字でそうなったという。


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「瞬き」の語源は・・・・
瞬き ~ すばやく目を叩く



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1月2日に「1月1日のついて」のことと「地球が太陽を回ることについて」を考える

2008年(平成20年)の1月1日が先程終え、
1月2日になった。

1月1日と言うのは、1年に1度しかない日で、
その何か特別な日が終わったかのように思えるが、
うるう日以外は、1年365日は1年に1度ある日なので、
すべての日も特別と言えば、特別と言える。

1月1日というのは
やはり1年の初めの日なので
特別さの感じ方が強い。

例えば1月1日に
昨日の紅白歌合戦を年日を交えて説明する場合、
「昨年の紅白歌合戦で・・」と
たった1日前の出来事なのが、「昨年」となる。

1月2日に
昨日の天皇杯サッカーの決勝戦のことを年日を交えて説明する場合、
「今年の天皇杯サッカーの決勝は、鹿島が優勝した」と
既に1日前の出来事が「今年」になる。

それだけ見ても1月1日が特別さをより強く感じさせる。

1年間は地球が太陽の周りを1週することであるが、
地球は太陽の公転軌道上のどこかを日日に通過しつづけているのであって、
軌道上のどの位置を基準にしても1週回れば1年になるのであるが、
人類が1月1日と決めた日の
公転軌道上の地球の位置を基準にして、1年のカウントをしているに
過ぎない。

このように
地球が太陽の公転軌道上のどこかを日日に通過しつづけているのだが、
1年のどの時季を1年の初めにするか、人類の恣意的な区切りに
過ぎない。


ただ、その人類が恣意的に区切った1年の初めという日は、
人類が意味を持って区切ったからこそ、
大きな意味を感じるのかもしれない。

ただ、「人類」と書いたが、
宗教によって1年の初めをいつにするかは違っているし、
太陽暦が太陰暦かによっても
1年の初めの日は違う。

そのように
公転軌道上のどこかを日日に通過しつづけている
地球のとある位置を1年の初めとして、
人々が
1年間をカウントしていて、
地球そのものにとっては関係のないことかもしれない。

ただ、地球が太陽の周りを何回も回り、
何十億回も回っているうちに、
太陽そのものに変化が出てくると予想されていて、
太陽が赤色巨星として金星を飲み込むほどに巨大化するというのだ。
それは地球そのものにとって、大事だろう。

太陽の場合は質量の関係で超新星爆発はしないそうだが、
やがて白色矮星になり、そして、星としての死を迎えていくという。

その時、地球はどうなっているのか?
今の太陽から離れて、宇宙空間をさ迷い、
違う恒星の惑星になっているのか?

太陽そのものが死んでしまうと、
地球の存在そのものに大きな影響を及ぼすでしょう。

地球が太陽の周りを回り続ける回数をカウントすることは
人の都合だけでなく、地球の都合にとっても必要になるのかなとも
思ったりします。



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