言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。.当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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消耗品としての新曲 ~ 最近の新曲は心に残る曲が少ないね

毎週、新曲が出ているが、あまり関心をもっていない。
5年以上前は、いつも
オリコンのランキングを見ていたが、
今はあまり見ない。

何か新しい曲を買う場合は、
5年後~10年後になっても、また、
聞きたいと思えるような曲かどうかが
ひとつの基準になる。

そんなこと思っているのだが、

宇多田ヒカルが彼女のHPで
最近のCDセールスのありかた
j-popなどのことについて、
2回にわたって、意味深なコメントをしている。

2007年5月27日の「いい歌」では


とにかく今は新しい音楽が作られすぎてると思う。

日本だけでもこんなに毎週毎週新曲が出てるのって、なんか変な感じしない?市場がでかくなるってことはそういうことなのかな・・・?


と、毎週、新曲が続々と発売されることについて
疑問を投げかけている。


そして、

2007年5月27日の「優しそうな人」では

ZARDの坂井泉水の死に衝撃の気持ちと哀悼の意を表しつつ、
宇多田ヒカルにとって
ZARDは、「いいJ-POP」と同義であり、
ZARDなど90年代のJ-POPは良いと
スタジオでの作業で話すことがあるとコメントし、

そして、

2007年5月27日の「いい歌」


とにかく今は新しい音楽が作られすぎてると思う・・・

と、毎週、新曲が続々と発売されることについて
疑問を投げかけたことについて、

宇多田ヒカルは

ぶっちゃけ本当に言いたかったのは、
「え?なんでこんな歌が 出てるの?」とか
「こんな人がデビューできるの?」って思うことがある、
というかなり 辛口な本音だったの。
音楽が溢れかえってるでしょ。
もっと厳選されててもいいと思うんだよね。

でもそんなこと言ったら
「うわ~、天狗になってる~」
「偉そ~に、あんた誰だよ?」みたいな
風に思われるだろうから書かなかったんだけど、
まあいいや、書いちゃえ。

一リスナーとして思うことなの。

今の調子で音楽業界の低迷が続けば自然と、
厳選というか、自然淘汰されて、世に出る
音楽ももっと良いものにしぼられていくと思うんだけどね。


と、質が低いまま、とにかく
新曲を売りに出している音楽業界に疑問を投げかけ、
もっと良質の曲を厳選して、出すべきと
主張している。


私もそう感じる。
今の曲は心に残る曲は少ない。
私は現在34歳だが、最近、知り合いの
大学4回生の21歳の女性も
同じ様なことを言っていた。

私は90年代の
J-POPのミリオンバブルのころから
同じようなことを感じていた。

その時は、
多くのミリオンセールスの曲が出たが、
なぜか心に残る曲が少なく、
どれだけ10年後に歌い継がれる曲になっているか
疑問に感じ、消耗品のような新曲ラッシュに嫌気が
さしていた。

当時は、若い世代で、
コミュニケーション手段としてのカラオケ曲で
歌うために、新曲を買う人が増え、
ミリオンセールスが続出したが、
コミュニケーション手段としてのより重要な携帯電話が普及すると
携帯電話代を支払うためにコストがかかったので、
CDのセールスが下がったと言われる。
経済学で言う「代替財」そのである。

まあ言えば、人付き合いに不安感を持つ若者が
皆とのノリを合わせるために
歌を買っていただけだったのだ。
歌そのものが良いから買っていたというのでは
なかったのではないか?

桑田佳祐が何年か前の音楽雑誌のインタビューで、
J-POPもこのままだと、いずれ演歌のように
衰退していくと警鐘をならしていたが、

桑田佳祐が懸念した通り、
J-POPの昨今の売り上げ数が低下し、
音楽業界が低迷している。

とにかく、新曲を出せばいいというのではなく、
じっくり、ミュージシャンを育てて、
質の良い曲を作リ出して
欲しいものだ。



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テーマ:j-pop - ジャンル:音楽


2005年国勢調査 労働データに関する東京都の回答率の低さから思うこと

今、2005年の国勢調査の労働力状態で関西と東京の都府県別に
調べていたのだが、
今、働いているか否かに関する質問に対する
まあ、東京都の回答率が低いと気づく。

例えば、
15歳~34歳の男女の回答率

大阪 94.5 %
京都 94.3 %
兵庫 96.5 %
東京 85.8 %
全国 95.2 %


と、全国平均および関西の三府県は95%程度なのに対して、
東京都は85.8%と低い。

さらに
25歳~29歳の男性になると、

大阪 91.5 %
京都 92.3 %
兵庫 94.6 %
東京 78.4 %
全国 92.4 %

全国平均および関西の三府県は90%台前半なのに対して、
東京都は何と78.4%と80%を割り込んでいる。

どうして、東京都だけが回答率が低いのだろうか?
大都市ゆえの人の関係の希薄さが関係しているのだろうか?
大都市と言っても、関西の三大都市のある府県に比べても
かなり、回答率が低い。

東京は人口規模が大きすぎて、そうなっているのだろうか?

それにしても、回答率が低ければ、正確なデータを
得ることはできない。

東京において、
失業率の母数となる
労働力人口の比率が、
全国や関西の三府県よりも少ないのだが、
もしかしたら、全国平均並の回答率になっていたら、
東京の若年層の失業率はより高くなっているかもしれない。

統計データがとらえきれないが故に、政府が適切な対策を
取れなくなるという事態もありえそうだ。

国勢調査のデータを見て、そう思ったのであった。





テーマ:社会学など・・・? - ジャンル:学問・文化・芸術


1953年5月29日 ~ 史上初、世界最高峰に人類が立った日

今日は5月29日
1953年5月29日が
人類が始めて、世界最高峰エベレスト登頂に成功した日である。

この世界初のエベレスト登頂に成功したのは
ニュージーランド人の
サー・エドモンド・ヒラリー(Sir Edmund Hillary)と
ネパール人シェルパの
テンジン・ノルゲイ(Tenzing Norgay)である。


ヒラリーは
1919年ニュージーランドに生まれ
家業の養蜂業を手伝いつつ、登山活動を始めた。
エベレスト挑戦までに20000
フィート以上の高峰を11座制していた。
1951年、1952年にエベレスト
登頂隊に参加するが失敗した。
1953年にイギリスの登頂隊に参加を要請され、
3度目のエベレスト登頂に挑むこととなった。

テンジン・ノルゲイは
1914年生まれ、
1930年代にはイギリスのエベレストアタック隊の
高山で荷物を運ぶポーターとして参加しはじめ、
幾度もエベレスト登頂に挑むが失敗を繰り返し、
7度目の挑戦で、ヒラリーとともにエベレストを目指した。


1953年の3月にベースキャンプと設置し、
同年5月、頂上から1000メートル下に最終キャンプを設営
ヒラリーの前にイギリス登頂隊の別の2名が頂上アタックに
挑むが失敗した。その数日後、
ヒラリーとテンジンが頂上アタックに向かう
5月28日には標高8500メートルの地点に
テントを張り、そこで一夜を明かし、
翌日、快晴の中、頂上を目指し、出発。

そして、
1953年5月29日11時30分
エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイは
人類史上初めて、世界最高峰のエベレスト登頂に成功した。


エドモンド・ヒラリーは
同年7月16日 イギリス王室から
騎士叙勲を受け「Sir」の称号が授けられた。

本国ニュージーランドの5ドル札には
Sir Edmund Hillaryの肖像が使われている。

20070529162208.jpg


画像は『ニュージー大好き集まれ!!』より

ヒラリーは、現在、養蜂業をして暮らしている。


テンジン・ノルゲイは、エベレスト登頂後
ネパール、インドの両国の国民から賞賛され、
一部からは、ブッダやシヴァ神の再来とも言われた。


テンジン・ノルゲイは
ヒマラヤでのトレッキングを提供する
テンジン・ノルゲ・アドベンチャーズを創設し、
ヒマラヤ登山の技術指導をしつつ、
1986年5月9日に他界した。

テンジン・ノルゲ・アドベンチャーズは
息子のジャムリング・テンジン・ノルゲイが経営しているが、
その息子のジャムリングも1996年、エベレスト登頂に
成功し、親子2代にわたり、エベレスト登頂を果たした。


このブログでの関連リンク
エベレスト、かつては、もっと高い山だった!!



           



           



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負けないで ~ 世代を超えて、受け継がれる応援歌

ZARDのヴォーカル坂井泉水さん(40)が
子宮頸(けい)がんで入院中の病院で、
2007年5月27日、日課の散歩のあと病室に戻る途中、
階段の踊り場で足を滑らせて、転落して、
脳挫傷のため死亡したというニュースがあった。


このニュースを耳にした時、驚いた。

人はいつどんなことで人生が終わるかわからないと思った。


ZARDの代表曲と言えば、
1993年1月27日に発売された
「負けないで」だろう。
164万枚の大ヒットとなり、
この年の年間セールス第6位になった。

この曲の作詞は
坂井泉水が行い、
作曲は織田哲郎
織田哲郎は
それまでに
TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」
B.B.クイーンズの「おどるポンポコリン」などの
作曲を行っていた。

それまでは恋愛系の歌詞の曲が多かったので、
タイプの違う歌詞を書こうと考えていた
先に織田哲郎が作詞した曲を
聞いた時に、テンポ感が良く応援歌のイメージがあり、
負けないでの歌詞を一気に書き上げたという。

この曲は
応援歌の代表曲になり、翌年の1994年の
春のセンバツ高校野球の入場行進曲に採用され、
また、24時間テレビの100キロマラソンの
ラストスパートでの応援ソングとして定着している。

2005年NHKが実施した
「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」で紅組15位に
なった。



オリコンが
2007年1月25日に発表した
「受験応援ソングの定番ランキング」
では
「負けないで」が
現役受験生の中高校生の10代だけでなく
20代、30代、40代で1位を獲得し、総合で1位になった。

現在の10代はリアルタイムでの「負けないで」の
ヒットを知らない世代であるが、
後世の世代にも「応援歌」として
伝わっている。

また、10代から40代まで幅広い世代から支持を
えている。

「負けないで」の発売当時のコンセプトは
「団塊ジュニア世代の受験生に向けてというコンセプト」で
あったというので、受験生に向けてという
発売当時のコンセプトが発売から14年経っても
生き続けているのだ。

1990年代は大量のミリオンセールスが
続発したが、かつてのように幅広い世代から支持された
わけでなく、ある意味消耗品的な売れ方であったが、

「負けないで」は幅広い世代から支持され、
後世に歌い継がれる名曲になっている。

坂井泉水の身体はもう動かなくなってしまったが、

♪~負けないで もう少し
  最後まで 走り抜けて
  どんなに 離れてても
  心は そばにいるわ
  追いかけて 遥かな夢を
~♪

と彼女が発した言霊は、
これからも、多くの人々の記憶に残り、
心を動かしていくのだろう。


リンク
「負けないで」 You Tube 動画

       
  ベストアルバム 「負けないで」は4曲目に収録

テーマ:芸能ニュース - ジャンル:ニュース


かばん ~ 「鞄」という文字はあるかばん屋の造字を明治天皇の質問されたことから

いろいろ物を入れて運ぶ時に使う
「かばん」があるが、その語源には幾つか説があるが、
主に2つの説がある。


オランダ語の「kabas(カバス)」から
「かばん」になったとするという説。

もうひとつは、
明治時代になって、
西洋からトランクなどの入れ物が日本に伝わったが、
それに相当する文字がなかったので、
中国語で、トランクのような「箱」「櫃」を意味する
「夾板」(キャバン)という文字をあてて、
「かばん」になったという説。


かばんの「鞄」という字については次のようなエピソードがある。

明治天皇が銀座を通りがかった時、
かばんを売っていた銀座タニザワの看板に「鞄」という文字が
あるのを見かけたが、
明治天皇がその意味を知らなかったので、
侍従にその意味を尋ねた。

侍従が皇居に戻って調べてもわからないので、
侍従がそのタニザワに言って尋ねたところ
もともと「革」という文字と「包」という
二文字であり、それで「かばん」を意味していたことが
わかった。
二文字であったのだが、明治天皇が
それを一文字で「鞄」と認識されたので
「鞄」という一文字の文字になった。





テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


刺身とカルパッチョ 

 

何年か前、
ある有名な調理師専門学校の方によると、
日本料理はフランス料理や中国料理と
並ぶ世界の料理になろうとしている、と言っていた。

 アメリカでもアジアでも、日本料理の評価は高く、
高級であり、また健康な料理という認識がある。
高級と健康が一緒になっているので、
どこの国でも注目されている料理である。

アメリカはいろいろな料理を混ぜ込むことをするが、
フランス料理をしていても高級なフランス料理店で
日本料理的なテクニックが必要となっている。

ニューヨークの高級フランス料理店は
ハマチの刺身みたいなものを始めている。
メニューに「SASHIMI」と書いてある。
「カルパッチョ」と書けば、高級でなくなるので、
「SASHIMI」と書いた方が高級感がある。

フランス料理でも、
日本料理のようなテクニックを入れることは問題ではない。
「カルパッチョ」と書くよりも「SASHIMI」と書いた方が
お客さんに対してアピールできるということは、
日本料理がブランドとなりつつあることを示している。

ということだった。

ところで、その刺身の語源はというと、
刺身が登場するのは室町時代のようである。

昔は、生ものを保存する術がなかったので、
殺菌力のある酢であえた、
膾(なます)にして、
魚の切り身を口にしていた。

切り身を食べていたある人が
切り身ではその魚の名前がわからないということで、
その魚のヒレやえらを切り身にして
「刺した」から「刺身」になったという説。

もうひとつは、
「切り身」が「身を切る」→「腹を切る」→「切腹」
と考えられ、それでは縁起が悪いということで、
「刺身」になったという説がある。


ところで、
イタリア版のお刺し身として有名な「カルパッチョ」は、
どうして「カルパッチョ」という名前になったのか?
 1950年のある日、イタリアはベネチアにある伯爵夫人は、
医者から厳しい食事制限を言い渡されていました。

その伯爵夫人がいつも通うなバーのオーナーが薄く切った
生の赤い牛ヒレ肉に、マヨネーズとマスタードを混ぜた
ホワイトソースを網の目状にかけた料理を作ったのです。
食べたことのない、おいしい料理に、
伯爵夫人は「何という料理?」と聞きました。
創作料理を名付けるために、
とっさにオーナーの頭に浮かんだのは、
ルネサンス期の画家、
ヴィットーレ・カルパッチョであった。
というのも、その画家は、
赤と白の色遣いが特徴の作品が
多いのです。
そこで、「ビーフ・カルパッチョでございます」と答えた。
これが、「カルパッチョ」の始まりのようです。

刺身がフランス料理のメニューに成りつつある事とカルパッチョの名前の由来を知り、松岡正剛氏の言う「編集」という言葉をまた思い出しました。松岡氏は、「あるもの(コト)」と「あるもの(コト)」を関係付けて、新しいもの(コト)を生み出すことは編集だと言ってますが、日本料理とフランス料理の融合や薄切りの赤い牛ヒレとホワイトソースから連想して、赤と白の色遣いに特徴のあるルネサンス期の画家の名前から関連づけて、「カルパッチョ」とネーミングしたことは、「編集」と言えるでしょう。

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言葉は感情の成果物 ~ 繰り返される移ろいと揺らぎの時の流れのなかで、視座を得る

直観的なものは、言葉で言い表すことはできないことは多い。


「言葉にできないということは、そのことをわかっていないからだ」
という人もいる。
わたしも、言葉にできないものがあるので、
わかっていないことが多いということになるでしょう。

そんな時は、
無理して、理屈で答えなくてもいいと思うが、
書くこと、つまり、言葉としてあらわすことで、
わからないことがわかったりする、あいまいなことがはっきりしてくることがある。
言葉は感情の成果物だ。


珍しいものをもらってとても嬉しいという気持ちを
何とか表わそうとして
「有ることが難しい」から「有難し」「ありがとう」という
言葉が生まれたのだろうと思う。

そのようになかなか言葉に表現できにくい気持ちや
あいまいなものをを何かの言葉にすることで、
ある程度定義付けることで軸足が定まる。
しかし、ぎちぎちにしすぎると苦しいし、発展はない。
「有ることが難しい」という語源に由来するように
「ありがとう」は珍しいことや
予想外の賜りものをいただいた時に
出てきやすいが、
いつもの当たり前のことにも「ありがとう」という
言うように定義を変えることで、
新しい視点や発展が生まれてくるかもしれない。



あいまいさ、ゆるやかさが揺らぎを引き起こし、
流動的に成り、新しいものが生まれる。
しかし、流動的過ぎるのも不安定なので、
言葉にできない感情・状況を定義づけ、
軸足を定める必要もある。
ただ、それが固定化しすぎて矛盾が大きくなると
再定義が必要な状況になってくる。
例えば、「構造改革」という言葉があるが、
どれほどこの言葉の意味を理解しているのだろうか?
この言葉の定義を吟味することで、
事態を正確に把握できたり、
もしかしたら、その言葉のレトリックによって、
誤った現状認識をもたらしていると
気づくことがあるかもしれない。

世が移ろい、揺らぎ、流動的になると
新たな言葉が生まれ、
その言葉で視座の軸足が定まるが、
その言葉による現状認識の矛盾を
感じられると、新たな揺らぎが引き起こされ、
その時に感じた気持ち、
視点に基づいた言葉が生み出される。
長い歴史の間、その繰り返しだったのだろう。

そのためには「言葉」を司る力、言葉を生み出す力が必要なのだ。



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カステラ ~ 「城」に由来する言葉。カステラと言えば「木金堂のカステーラやなあ」???

カステラというお菓子があるが、
16世紀の天正年間(1573年~1592年)ごろに
ポルトガルから長崎に伝えられた。

江戸時代のころには
「加須底羅」「加寿天以羅」「粕底羅」「家主貞良」
などの漢字が使われるようになっていた。

どうして、「カステラ」と呼ぶようになったのかに
ついては諸説入り乱れている。

カステラはもともと
ポルトガルでは「パォン・デ・ロー」、
スペインでは「ビスコッチョ」と呼ばれていたという。
ちなみに「パォン・デ・ロー」の「ロー」は
中国の絹織物の一種「絽」に由来する
ポルトガル語「lo」だとされている。
それは、柔らかくてふわふわしている形状が
まるで絽のふわふわと同じようなものと
感じたからだといわれる。


それが日本に伝わった時に
どうして「カステラ」になったのか?
それには諸説あるのだが、すべて「城」を意味するイスパニア語が
関係している。

当時、スペインはカスティーリャ王国が支配していたが、
その「カスティーリャ」はラテン語で「城」を意味する
「castellum」の複数形「castella」にちなんだ名前である。
それは、多くの城塞が建てられていたことに由来した名前だという。

ちなみに城を意味する英語の「castle」は、
ラテン語の「castellum」に
由来している。

さてさて、ポルトガルから日本に伝わった時、
ポルトガル人から
カスティーリャ王国の菓子であると教えられ、
ポルトガル人が「カスティーリャ」を
「カステーラ」と発音していたので、
「カステーラ」「カステラ」になったという説がある。

これに関しては、次のような出来事があったともされている。

ポルトガル人から新しい菓子をいただいた
日本人が「なんという菓子か」と尋ねたところ、
ポルトガル人が「どこの国の菓子か」と聞き違えて
「カルテーリア」と答えたのだが、
それを日本人は菓子の名前だと思ったから、
「カステラ」になったという話がある。

ただ、その勘違い説に関して、
別のエピソードを聞いたことがある。
私が大学で西洋史を受講していた時、
西洋史の教授から次のような話を聞いた。


ポルトガル人から新しい菓子をある日本人に皿にのせて
差し出した。
その新しい菓子をその日本人が食べ終えた時、
日本人が「これは何か?」と新しい菓子の名を知ろうとして、
菓子がのっていた皿を指差した。

するとポルトガル人は
てっきり、皿に描かれている絵のことを指していると思い、
その絵が城の絵であったので、
城を意味する「castella」(カステラ)と
返答した。

それを聞いた日本人が
その新しいお菓子が「カステラ」という名前だと
思ってしまった。
それで「カステラ」になったという話である。


また、他に次の説がある。
白身と黄身を分けてあわ立てると
大きく高く膨れていくのだが、
その時に「城のように高く大きくなれ」と
言っていたので、その「城」を意味する
「castella」が、カステラの語源になったという
説もある。

諸説あるが、「城」を意味する「castella」が
関係している。

このカステラは江戸時代初期には
全国に広がったが、
特にカステラが長崎で盛んになったのは
江戸幕府が鎖国により長崎しか
外国との貿易ができなくなったことに関係している。
長崎だけが外国から多くの砂糖を取り入れることが
できたことにより、長崎でカステラ作りが盛んになった。


当時のカステラと現代のカステラは違いがあるという。
基本材料が小麦粉と砂糖と卵だけというのは同じであるが、
卵の黄身を背中に塗って光沢のある焼き方は
日本で編み出された方法である。

また、明治時代になると
長崎に伝えられた中国の菓子「チィタンコ」の影響を受け、
カステラ製造に水飴を加えるようになる。
水飴を加えるとカステラの乾燥を遅延させることができ、
そのためカステラの風味が増し、現代の「しっとり感」のある
カステラが製造されるようになった。


そういえば、「カステラ」と言えば、
「木金堂のカステーラやなあ」

これは現在30歳以上くらいでないと
知らんやろうなあ・・・・・

これは1975年から1983年まで
朝日放送で放送された
吉本新喜劇の
「あっちこっち丁稚」という番組の
舞台となるカステラ屋の名前「月華粋 木金堂」の
ことである。

その番組に伝次郎という実物大のセントバーナード犬の
着ぐるみキャラが出演するのだが、
伝次郎の動きはおもしろくかわいげのある
ものだった。

そして、その「あっちこっち丁稚」は1983年に終わり、
伝次郎は見れなくなった。
1985年にはじまった「さんまのまんま」に
「まんま」という犬型宇宙怪獣のキャラが登場するが、
その中には伝次郎に入っていた人が入っているのである。
その人の名は「寺窪」さんと言う名前らしく、
着ぐるみ界の第一人者だという。




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森林・「森」と「林」 ~ 木が生やされた林、盛り上がりの地の神聖を帯びた森

森林という言葉がある。
木が沢山生い茂っているところを森林というが、

「森」と「林」はどう違うのだろうか?

「林」という字は
木を二つ並べて、木が多く茂っている様子を表しているが、
木の密集度が低く、散在している場合や
木々の量的規模も少ない場合に使う。

「森」という字は
「林」という字よりも「木」が1つ多いことが示すが如く、
林よりも木の密集度が高く、木々の量的規模が多い場合に使われる。


「林」が「はやし」となった由来は、
○○を生やすに使われる「生やす」という他動詞が
「生やし」に変化した形であり、
人の手によって植えて生かされていく木々という意味だと
されている。


「森」が「もり」となった由来は、
人工的な林と違い、
自然に周囲より高く盛り上ったところに木々が多く生い茂っている
という「盛り」だとされている。

また、神社の森の意味で使われる「杜」も「もり」と
呼ばれるが、土や木で道を「塞ぐ」という意味を表す文字であり、
神を守り、神が降臨する木々の茂みという意味を表している。

森の「もり」は「盛り」に由来すると説明したが、
「まもる」の「守」にも由来するとも言われる。
神社の森を鎮守の森とも言うが、
守り神がいる木々の生い茂る場所という意味で
「森」が「もり」になったのかもしれない。

また、「杜」木編に土と書くが、
これは「土を盛る」意味を表している。
死者を埋めた場所を盛り土にするのであるが、
それには命が盛り上がるということで、
再生を願い、盛り土にして、さらにその盛り土に
小さい木を植えたともされる。

再生を願うということは
肉体が滅びても、魂という命が連続していることを
意味している。

その盛り土は聖なるものとされ、
その生命の連続性という聖なるものを守るものとして
盛り土があった。

その聖なる盛り土に含まれる「盛り」を由来とする「森」
が鎮守の森というように神がいる木々が生い茂るところという
意味合いで使われており、
「盛り土」「森」というのは神聖を帯びたものとして
考えられてきたのだろうか。


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記者クラブ制度の弊害・マスコミの経済無知の被害 ~ 伝えられない景気後退とインチキ財政赤字キャンペーン

日経BPの
SAFETY JAPANの
森永卓郎氏のコラム
「構造改革をどう生きるか」の
第82回 日銀や政府が隠す景気後退で、

マスコミでは景気回復と言っているが、
昨今の指標を見ると景気後退に入っているというのである。

景気の先行きを示す景気動向指数の先行指数が
昨年の11月から、
25.0%、25.0%、40.9%、27.3%、40.0%と
5カ月連続で50%割れを続けていること
景気動向指数の元になっている9指標のうち
本年3月の7指標は
マイナスでとなっていていることを指摘している。

3月の動向指数で、
2月のプラスからマイナスに転じたのが、
投資財出荷指数(2カ月ぶり)、
商業販売額(小売業)(2カ月ぶり)の2指標。
また、引き続きマイナスだったのが、
鉱工業生産指数(3カ月連続)、
鉱工業生産財出荷指数(3カ月連続)、
商業販売額(卸売業)(5カ月連続)、
中小企業製造業売上高(2カ月連続)、
有効求人倍率(6カ月連続)の5指標。


3月の日銀短観で
業況判断指数(一致指数)が昨年12月の
前回調査と比べて悪化。

特に、
中堅企業製造業はマイナス5ポイント、
非製造業がマイナス2ポイント、
中小企業製造業がマイナス4ポイント、
非製造業がマイナス2ポイント
と中堅・中小企業で悪化していることを
指摘し、

これについて森永氏は

利上げが直接、中堅・中小企業の経営を悪化させたとは断言できないが、少なくとも景気が悪化しかけた最悪のタイミングで日銀が利上げをしてしまったことは確かである。

とコメントしている。

さらに森永氏は

日銀は自分たちの利上げが原因とは口が裂けても言えないので、景気後退を決して認めようとしない。通常は与

党がこうした問題を指摘するのだが、真っ先に言うべき中川秀直自民党幹事長は黙ったままだ。なぜなら、7月の参議院選挙を前にして景気後退を口にできないからだ。

本来はメディアが指摘する義務があるが、どの新聞にも景気後退の文字はない。大手新聞は日銀記者クラブに所属しているので言いたいことが言えないのだろう。


とマスコミが景気後退について報道しないのは、

大手新聞は日銀記者クラブに所属しているので言いたいことが言えないのだろう。

と、
記者クラブ制度の弊害を指摘している。


まあ、私も経済報道に関して、
特に、
1995年以降
財政赤字と公共事業に関するマスコミ報道が
酷いと思った。

日本の財政赤字について
財務省の財政赤字キャンペーンに
マスコミが歩調をあわせて、
今にも日本が財政破綻するような印象を
国民に与え続け、それによって、
1997年には、橋本内閣が急激な財政引締め政策を
行い、景気が回復しかけた日本経済は大不況に陥り、
マイナス成長、税収減、恐慌防止のため
大掛かりな財政出動をする羽目になり、
結局、日本の財政赤字は増えた。
(このとき、財政出動しなければ、日本経済は大恐慌に
なったかもしれない)

その後、政府の債務は増え続けたが、
長期金利は低いままに進み、
インフレどころか、デフレ状態が続いている。

このことは、いかに財務省の財政赤字キャンペーンで
その財務省のキャンペーンをそのまま垂れ流しに報道した
マスコミがいい加減だったかと感じさせることである。

このことについて、
民主党三重5区の金子洋一氏が

「国の借金」が830兆円超えて過去最高更新
において、
記者クラブ制度のことを言及している。

「国の借金」が830兆円超えて過去最高更新 財務省が毎年度末恒例の「国の借金」を今年も公表しました。これによると国債など「国の借金」の平成18年末時点での残高は、832兆2631億円で、過去最高を更新したそうです。この「国の借金」の残高を日本の人口で割ると、国民一人当たりの借金は約651万円。これに、「地方の借金」が約200兆円上乗せになりますので、国と地方の借金の合計は1000兆円を超えることになります。

 さて、この報道をみて不思議に思うことは、各社とも報道の内容がほとんど同じことです。各社の経済担当の記者によるオリジナルの記事ならば横並びになるわけがありません。その理由は、この件に関する報道が、財務省記者クラブで財務省から配付された資料をうのみにしてそのまま報道されたからに他なりません。財務省一流の財政危機キャンペーンと、それに乗せられるマスコミという構図は、私が霞が関で働いていた時分からまったく変わっていないようです。


マクロ経済のことがわかっていない
財務省記者クラブの記者が
財務省からの発表を垂れ流すことによる
日本の経済的損失は多大なものであると私は思っている。

マスコミの経済無知について、

株式日記と経済展望2007年5月21日 月曜日付けの

家計および企業の金融資産の合計だけで、一年間で百七十兆円
の増加、日本とは本当は、こんなにすごい国なのである。


で、政治・経済評論家の増田俊男氏の
近著「そして、日は昇った!―日本が世界の「富」を牽引する」
を引用しながら、コメントしている。

増田氏は


◆日本国民は国の債権者であって、決して債務者ではない!

メディアも連日、大いに無知ぶりを発揮している。
 (中略)

二〇〇六年六月二十四日付けの読売新聞ホームページには、「赤ちゃんも借金648万円、国の借金827兆円に」という見出しが躍った。まったく、日本のメディアは気が確かなのだろうか、と目を疑うばかりである。


 (中略)

「八百二十七兆円の借金」を、赤ちゃんまで含めた国民一人ひとりが負っているとするのは誤りである。「国の借金」の債権者、すなわち貸し手はあくまで国民であって外国からではない。

ではその債権者は誰かといえば、郵便貯金や簡易保険、日本銀行などの公的金融機関がその半分、銀行などの民問金融機関が約三割、個人が約三%、海外投資家が約四%(二〇〇四年末)である。つまり「国の借金」の貸し手は、そのほとんどが国内である。

 (中略)

さすがに個人保有の国債の割合は少ないにしても、郵貯や簡保はもちろんのこと、民間金融機関の預金原資は国民である。だから、各新聞は「赤ちゃんまで含めた国民一人ひとりが六百四十八万円の借金を負っている」ではなく、「赤ちゃんまで含めた国民一人ひとりは、国に六百四十八万円を貸している」と書くべきだ。

国民は紛れもなく「国の借金」の債権者であり、「赤ちゃんまで含めた国民一人ひとり」は国からの借金の返済をしてもらったり、国から利払いを受ける立場であって、「国の借金」を返済する立場には一切ないのである。

 (中略)

公共事業「投資」やいろいろな資産に投資される国債と、赤字国債を混同してはならない。実際、建設国債と赤字国債の仕組みをよく理解せずに国債発行額ばかりを問題にして、「国債発行額を○○年までに○○兆円以内に収めないと、危機的な状況に陥る」と主張してはばからない大学の先生もいる。まったくもって、無知もはなはだしい。日本の経済の教育程度がいかに低いかを表している。


◆日本は「財務優等生」であり公共事業こそどんどんやるべきだ

 (中略)


この「国の借金」(=政府のグロスの債務残高)のなかには、本来なら借金には組み入れられるはずのない、いわば債務引当金にあたる政府保有の金融資産約五百兆円までが含まれている。したがって「国の借金」から、その五百兆円を引いた純債務残高は三百兆円台となり、他の先進国とほとんど遜色のないレベルになる。

にもかかわらず、日本の純債務残高の対GDP比率は八○・九%(二〇〇五年)でしかないのに、グロスの債務残高の対GDP比率が一五八・九%(二〇〇五年)もあると大騒ぎをして、「日本の財政状態は先進国で最悪」などという語がまかり通っているわけである(次頁図参照)。

それ以上にいえることは、「日本株式会社」が年間五百兆円ものGDPと十八兆円の経常黒字を稼ぎ出していながら、借金が実質三百兆円台にとどまっていること自体が驚きである。逆に、これだけの規模と資産内容を持ち、高い経営効率を発揮していながら「日本株式会社」はなぜ、さらなる成.長の、可能性のためにもっと借金をして事業に投資をしないのか。

そうすれば日本の資産はこれまでのぺースをはるかに超えるピッチで増え、経済規模も一層膨らみ、結果的に歳入も現在より増えていくだろう、という結論がすぐに出てくるはずだ。「日本株式会社」の経営陣がこんな簡単なことに無知であるがために、国の方針を誤っているのだから、まったくお粗末としかいいようがない。


 (中略)

二〇〇五年度の金融業を除く企業の金融資産残高は約八百四十二兆二千億円。前年度の数値が七百五十兆円だったから、日本企業の金融資産残高は一年間でじつに一二・二九%増、金額にして九十二兆円以上も増加していることになる。家計および企業の金融資産の合計だけで、一年間で百七十兆円の増加ー、日本とは本当は、こんなにすごい国なのである。

 (中略)

これだけのぺースで民間資産と公的資産が増えているにもかかわらず、国は公共投資などのあらゆる歳出を抑制し続けてきた、したがって、その間国の資産の増加にともない担保が異常に膨らんだわけだから、一般企業でいえば「信用枠」が異常なほど増え続けていたことになる。

それなのに、政府は今後より一層歳出を削ろうとしているのだから、「経営能力なし」と断定せざるを得ない。つまり「日本株式会社」の経営者は落第生である。民間・公的分野の優良な資産内容と増加。そして着実に利益を生み出す日本経済の力強さというべーシックをもとに、さらなる成長のための経済戦略・政策をきちんと立てていけば、日本はもっと優秀な国になることに、彼らはまったく気づいていないか、あるいはある意図が隠されているのかもしれない。

それが意図的かそうでないかは別にしても、政府は目先の赤字のみに注目し、このままでは借金でクビが回らなくなる、と国民を不安に陥れていることは許しがたい。早い話が、日本は世界で一番豊かで幸せで、いま取り立てて何もする必要がないはずなのに、「日本は世界で一番借金を背負っていて、いつ倒産するかわからない」といった「トンデモ話」を、政府マスコミ共々喧伝するとはとんでもないことである。


と増田俊男氏のコメントを引用し、
株式日記と経済展望の筆者は


(前略)

公共事業は無駄遣いの代名詞にもなりましたが、視点を変えれば、やらなければならない公共事業は山ほどある。


 (中略)

財務省の役人達は二言目には予算がない、財源がないと言いますが、一番の原因は財務省役人の知恵が足らないのだ。「株式日記」では財政赤字の解消には景気を回復させて税収を増やすしかないと最初から述べてきました。


 (中略)

マスコミによって公共事業は悪の代名詞にまでなり、公共事業予算は削られ続けてきた。確かに橋や道路などの無駄な事業が多い事はありますが、公共事業自体は景気対策としては必要な事業なのだ。「株式日記」ではリチャード・クー氏の意見などに賛成してきましたが、橋や道路や箱物に投資するよりも人材の育成に投資すべきだと思う。


高校や大学などの学資は年々負担が大きくなって、少子化の原因にもなっていますが、学資補助を公共事業としてやるべきだ。特に地方などは医師や看護士の過疎化や弁護士の過疎化など地方の人材の過疎化が進んでいる。これを国や地方の人材育成事業として取り組むべきだ。


 (中略)

日本でも人材育成事業という公共事業で高校大学の学費を公的に補助したらどうだろう。最近では大学の数ばかり増えてきて、大学教授が役人の天下り先になっている。このように役人達は財政ばかり切り詰めながら自分達の天下り先の大学ばかり増やした。むしろ大学生などへの学資補助などで大学の学費は無料にするとかするべきであった。


と、
デフレ下においては
財政出動で景気を回復させて
税収を上げることが財政赤字削減につながり、
人材育成の公共事業をするべきだと主張している。

私もそうするのが良いと思う。
学費補助をすれば、少子化対策としてはかなり有効ではないか?
結婚・出産を思いとどまるひとつの要因に
高い教育費があるからだ。

財政出動による景気回復を
言い続けてきた政治家は亀井静香氏であった。

もし、2001年の自民党総裁選挙において、
小泉氏ではなく、
亀井氏が勝っていたら、
日本経済はより力強い景気回復をしていたのではないか
これほど、格差社会が広がらなかったのではないかと
思っている。

次の参議院選挙では、比例は
国民新党に入れることにしている。

中産階級を潰していくような財界からの政策提言を
鵜呑みにし、経済を縮小させる自民党には入れるつもりは無い。

どうせ、参議院選挙が終わったら、
いわゆる残業ゼロ法案を提案してきそうだ。


また、財政出動に関して、
政府紙幣のことについて、
紹介したいと思う。
ノーベル賞経済学者のステイグリッツが
デフレ対策として、日本に提案していた政策である。


このブログでのリンク
記者クラブ制度の問題点に関して、

東国原英夫知事 ~ 記者クラブは「そのまんま」でいいのか?と問題提起

アメリカの牛肉は大丈夫かい?
記者クラブ制度の弊害によって、
狂牛病関係の重要な情報が国民に伝えられなかったのでは
ないかという問題を取り上げた。


       

テーマ:経済 - ジャンル:政治・経済


蓮華草 ~痛みを和らげ、めでたさを感じさせ、稲の命を育む花

春から初夏のころにかけて、
蓮華草の花を見かける。

renges3.jpg

画像は「季節の花 300」 http://www.hana300.com/renges.html より

蓮華草は中国原産のマメ科の植物である。
中国では「翹揺」と書き、「ゲンゲ」と呼ばれているとされる。
また「紫雲英」とも書かれる。
「紫雲」はおめでたい雲を意味し、
「英」は花を意味していて、
野原一面に咲くゲンゲの様子が、
たなびく紫の雲が浮かぶように見えたので、
「紫雲英」と書かれたとされる。

日本には室町時代のころに伝わったとされる。
「レンゲ」と呼ぶようになったのは
「ゲンゲ」が訛ったからという説があるが、
また、蓮の花に似ているから
蝶のような形の紅紫色の小花が集まって咲く
様子が「蓮の花」に似ているところから
「蓮華草」(レンゲソウ)になったとされている。

私が小学生で、田舎にいた時は

蓮華草の花が稲が植えられる前の田んぼに
咲いていた光景を思い出す。

蓮華草の根には根瘤菌というバクテリアが
付いていて、それが稲にとって
優良な肥料になるので、
稲を植える前の田んぼに蓮華草の種が蒔かれていたから
蓮華草の花が稲が植えられる前の田んぼに
咲いていたのである。


蓮華草の花言葉は
「私は苦痛をやわらげる」である。

ギリシア神話で、
ドリュオプス王の娘で異母姉妹の
ドリュオペとイオレは
祭壇にお供えする花を摘むため
野原に出向くと
川辺にレンゲソウの花が咲いていた。

ドリュオペが
そのレンゲソウを摘んだところ
折った茎から血が流れはじめた。

なんとそれは、
ローティスという美しいニンフ(妖精)が
好色な男根の神(生殖の神)プリアポスから
逃れるためにレンゲソウの姿に変えていた
レンゲソウであった。

ドリュオペは驚き、
レンゲソウを捨てて、足をあげようとしたが、
いつの間にか
ドリュオペの足は草に変わり、根が張り
だんだん草に変わりながら、
妹のイオレに向かって

「もうこれからは花は摘まないで
 なぜなら、すべての花は女神が姿を変えたものだから」
と辞世の言葉を残し、ドリュオペとしての生命を終え、
レンゲソウに成り果てた。

その話から
レンゲソウにになったドリュオペの気持ちを伝えたものとして、
花言葉「私は苦痛をやわらげる」が生まれた。


ちなみに
ドリュオペは「パニック」の語源に関係のある
「パンの神」の母とされている。



蓮華草に関して、
2001年8月19日のNHKの
「課外授業、ようこそ先輩」という番組で
小学6年生に、俳句を書かせていましたが、
その俳句の中に

 蓮華草 ひとりで摘んで 歩いてく

という一句があり、
なかなか良い句を作っていました。
それは、
春の時しか咲かない蓮華草を詠むことで、無常
観を表していたという。


私も一句作って、

 幸せに 命もたらす 蓮華草

これは、花言葉の「苦痛を和らげる」と
めでたき雲の「紫雲英」という蓮華の別名から
「幸せに」があり、
「命もたらす」は、稲の生育のために
肥料として田んぼに咲いていた光景を思い出したものである。


このブログでの関連リンク
ドリュオペの息子の「パンの神」が語源とされる「パニック」から
「パニック」と「テンパる」 ~ ギリシア神話と麻雀



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メロディアン・ミニ ~ 後発組の企業が、時代の先を読み、思い切った投資と弛まず開発を追及

コーヒーのミルクフレッシュで
「メロディアン・ミニ」という製品がある。

これは、大阪府八尾市にある
「メロディアン」が製造・販売している製品である。

この会社は
1958年に
戦前に牧場を経営してした中西喜三郎氏が
娘婿の大久保吉蔵氏と息子の中西啓詞氏とともに
牛乳メーカー「日興乳業」として設立された。

創業当時大阪には既に30社の乳業会社があり、
最後発組だったため、ブランド力が弱く、
苦戦を強いられていて、
業務用の製品へと軸足を移していった。

1970年代のころには
家庭用コーヒーはインスタントで、ミルクも粉末であったが、
中西喜三郎社長は、やがて到来するであろう
レギュラーコーヒーの時代になれば、
ミルクも「本物のおいしさ」が必要になると考えていた。

また、業務用のビン入りクリームはあったが、
家庭で使う少量パックは少なかった。

乳製品の賞味期限を長くしてほしいという顧客のニーズに応えるため、
常温保存ができる保存期間の長いロングライフ牛乳の
時代が来ることを予想して、
当時、会社の売上高が10億円規模であったが、
8億円かけて、
充填前に無菌処理をするラインシステムの設備投資に踏み切った。

それにより、常温で60日間の保存が可能となり、
ロングライフミルクを紙パックで売り出した。

国内初のロングライフ牛乳製造システムに
全国から同業他社の見学者も多く訪れた。


1976年
大手紙パックメーカーの協力を得て、
ロングライフ商品として、
コーヒー1~2杯分の10mlのクリームを充填した
三角形のテトラパック入りのコーヒー用フレッシュ
「メロディアン・ミニ」の発売を開始した。

そのころ、中西喜三郎社長が旅先の
スイスの街角で、
ポーション容器を見かけた。
彼は「この容器の方が、消費者に好まれるのでは」と
考え、独ボッシュ社の協力を得て、
1億8000万円の費用をかけて、
現代のタイプである
丸いポーションタイプの
コーヒー用フレッシュ「メロディアン・ミニ」の販売を開始。

当初の予想通り、
レギュラーコーヒーが家庭でも普及し始めたことにあわせて、
丸いポーションタイプの「メロディアン・ミニ」は
瞬く間に売れ始め、その年の年末には
工場をフル稼働しても生産が追いつかないほどの
大ヒット商品となった。


ただ、
この丸いポーションタイプは
封を開けたときに中身が飛び出すという問題があったが、
パッケージに開封シールを貼る際に、底を押さえ、
シールを貼った後に底が戻って容器内の体積が増やし、
陰圧の性質を利用して、
開封する時に空気を吸い込み、クリームが飛び出さなくする
「スプリングボトム」という方式を開発し、特許を取得した。

この方式の特許化により、競合他社に優位性をもつ
こととなる。
ポーションタイプのコーヒーフレッシュの国内市場で
2位に2倍近くの30%のトップシェアを占めている。



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ジャム ~グチャグチャかむ

トーストなどに塗るジャム「JAM」
その「JAM」の語源は、
英語の「CHAM」で、それは「グチャグチャかむ」を意味している。
それが「押しつぶす」「詰めこむ」を意味する
「JAM」に変化している。
よく咀嚼され、詰め込まれたモノという意味と
考えられている。

ジャムは旧石器時代には
ミツバチの巣から蜜を取って
果実をハチミツで煮て作られていたと
考えられている。

日本には16世紀後半に宣教師によって
ジャムは伝えられたそうである。

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シュレッダー ~ 時代の先を読み、うどん製麺機をヒントに開発し、ハードではなく「文書を裁断するというスタイル」を売った。

企業では、大量の印刷・コピーなどが行われるが、
その印刷・コピーされた紙には機密情報があり、
その情報漏えいを防ぐためにも欠かせないのが
シュレッダーである。


そのシュレッダーを開発したのが、
明光商会の創業者の高木禮二氏である。

彼はリコーの子会社でコピー機のセールスマンを
していた。
普通、他のセールスマンは2~3台/月売るぐらいで
あったが、
高木氏は自分でアフターサービスの社員を5名雇ったりして、
その結果、20台/月も売り上げ
その結果、給料が歩合給のため、
社長の給料の3万円を6倍以上の20万円となり、
社内のバランスがとれなくなり解雇されてしまった。

稼ぎすぎてクビになってしまったのであった。

高木氏はその後
1956年に明光商会を設立する。
はじめは、複写機の現像液を販売し、
月商は3000万円を計上するようになったが、
それだけでは不安に思い、
新たな事業を考えていた。

顧客先のオフィスが書類の山になっている状態を
よく見ていた高木氏は
コピー機の価格が低下するにつれコピーは普及し、
企業は大量の紙ごみの処理と、その紙に印刷された
機密情報の処理が大きな課題になってくるだろうと
予想して、製品開発に取り掛かった。

どのように紙を処理するか、その方法について
高木氏は試行錯誤を繰り返す。

文字を薬品で消す方法、凍らせて粉砕する方法、
書類をドロドロの粘土状にして水に流す方法、
コンクリートで固める方法など考えたが、
そうすると、余りにも、設備が大きくなりすぎるので
良くなかった。
そのように試行錯誤を繰り返しても
良い答えが出なかった。

そのような時、高木氏は
子供のころ社会見学でグリコの工場に行った時の
ことを思い出した。
その工場の製造工程で、
こねられたうどんの粉が機械を通過すると、
細長く裁断されて出てくる光景が脳裏に蘇った。
高木氏は
「これだ!」と閃き、
細長く裁断すれば、簡単に捨てられ、紙に書かれた内容も
わからず機密保持につながり、
そして、古紙回収で紙のリサイクルもしやすくなる。

うどんの製麺機をヒントにシュレッダーは完成し、
1960年に販売を開始する。

画期的な新商品はすぐに売れたわけではなかった。

まだ多くの企業は
「不要なゴミ文書をどうしてわざわざ細かくして捨てる
必要があるのか」
という意識であり、多くの社員はその意識を変えるほどに
訴求はできなかった。

高木氏は、
東芝やキューピーなどの大企業の担当者にアピールして
とにかく使ってもらった。
ただ、とにかくできたばかりのものなので、
故障が多く納入して3日もしないうちに発生したが、
すぐに駆けつけ、重さ50キロのシュレッダーを
引き取り修理し、すぐに取引先に戻すことを繰り返した。

ただ、企業はシュレッダーを使うことの意義や利便性を
理解し、また、故障すれば50キロの製品を何度も運んで修理して、
戻す作業を繰り返しているうちに
故障が多いのが手抜きでなく、貧乏なのでそうなっていると
同情してもらって、ほとんどの会社に現金で買ってもらえる
ようになる。



また、高木氏が
「シュレッダーというハードを売っているのではく、
文書を裁断するというというスタイルというソフトを売っているのだ」
という発想から、
「秘密を守りながら、もとが取れる」
というコンセプトを掲げ、
機密文書を裁断して情報管理をしながら、
裁断した紙は古紙屋に売るというスタイルを
アピールしていくことで、
徐々に企業にシュレッダーは広まって行き、
1964年の産業スパイ事件で
企業の機密保持の重要性が認識され、
大きく売り上げを上げていくようになる。

やがて、他の
大手家電メーカーなど80社がシュレッダー市場に
参入してきたが、
高木氏は
他社はコストと収益計算で考えただけ作られた
製品であり、
ただ、「ハードを売っている」限りは他社には
負けないと考えていた。

一方で、ライバル企業の参入を予想して、
自社ブランドにもこだわらず、大手家電メーカにOEM生産を
持ちかけて、早々にOEM生産に取り掛かっていた。


そうしていると、他社の多くはシュレッダー市場から
撤退していき、明光商会の立場は強化されていった。

そして、石油ショックの時、
トイレットペーパー騒動などもあり
古紙の再利用の重要性が認識され、
シュレッダー販売の新たなコンセプトとして
「地球のことを考えるために必要です」
というフレーズが付け加えられ、
「MSリサイクルシステム」
「MSリサイクルシュレッダー」などの
大型シュレッダーの製造・販売に取り組かかり、
明光商会はより大きく飛躍し、
シュレッダー市場で7割以上を占める
リーディングカンパニーになっている。


参考リンク

アクティブシニア・高齢者マーケティング特定の鍵「シルバーエンターテインメント」


高木禮二名誉会長インタビュー(イノベーティブワン)



このブログでの関連リンク


グリコのことが少し出たので
ポッキー ~ 悩み抜いた挙句「チョコなしの持つ部分」を作り、時代と風土の空気を吸収し、新たな価値を提案し続けてきた

トイレットペーパー騒動のことが少し出たので
エイプリル・フール~「ウソも100回言えば本当になる」 、「デマ」となるか「ピグマリオン効果」になるか
1973年のオイルショックの時のトイレットペーパー騒動発生の経緯について書いています。
 


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はしかの流行と免疫力 ~ 医者に行けなくなる若者が増えると・・・

最近、関東地方ではしかが流行しているようで、
上智大や駒沢大などで学校閉鎖が
行われる状態になっている。

20代の若い人たちが感染しているのであるが、
その原因として、はしかの予防接種による免疫力が低下
していることがあげられている。

一般的には、幼少期にはしかにかかると
免疫ができて、一生かからなくなると
言われているが、

1978年にはしかの予防接種が
法に基づく定期予防接種に組みいれられて以降、
はしかの予防接種は広まっていったのであるが、

幼少期に
はしかの予防接種を受けたのであるが、
1回接種しただけでは、
大人になるまでに免疫が低下してしまい、
成人になってから、はしかを発病するというのである。

自然にはしかにかかって、
免疫を作る方が、ワクチン接種よりも
強いというのだ。

人工的に無害なはしかウィルスで
免疫をつくってしまうよりも、
一度、しんどい思いをするが、強力な免疫を
作った方が鍛えられているという感じなのだろうか?

一度、はしかに感染して、はしかを発病すると、
骨髄(Bone marrow)で形成されたBリンパ球(B細胞)が
はしかのウィルスを記憶して、
再び、体内にはしかのウィルスが進入してくると、
強くウィルスに抵抗して、撃退する。

そのような仕組みになっているので、
一度、はしかにかかると二度とはしかにならないと
言われるようになった。

ただ、必ずしも二度とはしかにならないとも言えないとも
言われている。
免疫記憶細胞には寿命というものがあり、

一度感染した後に免疫記憶がある状態で、
不顕性感染(症状が強く出ない状態)で感染し、

免疫記憶がしっかりと更新された場合のみ、
二度とはしかにかからなくなるだけである。

その免疫記憶細胞には寿命はどのくらいか
わからないので、
一度はしかにかかったからといって、
一生、全くはしかにならないとも
言い切れない面があるようだ。


免疫力アップには
ストレスをなくし、
よく寝ることだとも言われる。
ほんの少しの昼寝のようなうたた寝でも良いという。


ただ、今回の若い世代のはしかの流行をうけて、
このブログで一昨日に書いた
まやかしの社保庁改革法案が国民に伝わらない・・・・記者クラブ制度弊害の表れ
で、

年金を支払わないと国民健康保険証交付しないという
措置を取るという法案になっているが、
それに対して、コメンテーターの宮台氏が、

「医者に行かない人が増え、伝染病が流行しても医者に行かないので、
よりひどく伝染病が社会全体に蔓延して社会が機能しなくなるまで、
貧乏人にも手当てしないといけないとは気づかないでしょうね。
最終的にはそのような結末になるかもしれない」という主旨の
発言を思い出した。


年金を支払わないと国民健康保険証交付しないという
法律のおかげで、国民健康保険代も支払えず、
医者にいけなくなった若者によって、
はしかなどの伝染病、また、新型インフルエンザの
大流行が促進されてしまうこともあるのだろうか?
とふと思った。



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天気 ~ 天に満ちている霊気・精気

気象状況のことを「天気」と言うが、

「天気」とは「天の気」
天に満ちている霊気・精気を表している。

「てんけ」という表現もされていたので、
「天恵」が語源ではないかという説もある。


晴れたり、雨が降ったり、
曇ったりするのは、

天の気ということなのでしょうね。

テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


木の葉の下で雨宿り

今朝、5時45分に家を出た。
もしかしたら、雨が降るかもしれないと思ったが、
空は、灰色の雲と青空が混じっている状態で、
大丈夫だろう、雨が降っても小ぶりですぐに止むだろうと
思って、傘も持たずに家を出た。
家を出て5分ぐらい過ぎたところから
雨がポツリポツリと落ちてきた。
もう少しあるけば、
木陰があるので、そのあたりを通れば大丈夫だと
思った。
1分ぐらい歩くと、
木陰のゾーンがあり、木陰の路面の部分は濡れておらず、
木々の葉で雨がしのげると思った。
やや、ほんの少し雨が強くなる感じだったので、
木陰ゾーンにある誰かの車庫の軒下に入った。
5分ぐらい、雨宿りをすれば、雨は上がったので、
駅に向かって歩いた。

雨に打たれることなく、濡れることなく、
予定時刻の電車に余裕で間に合った。

木々の葉と車庫のおかげで濡れずにすみ、
傘を持たずに通勤することができた。

それにちなんで一句

通り雨 木の葉の下で 空見れば
        青空戻り 五月の陽射し


このブログでの関連リンク

雨宿り

テーマ:日記 - ジャンル:日記


まやかしの社保庁改革法案が国民に伝わらない・・・・記者クラブ制度弊害の表れ

一昨日のブログの
東国原英夫知事 ~ 記者クラブは「そのまんま」でいいのか?と問題提起
で、記者クラブ制度の問題点を取り上げたが、
それを想起させることが、

最新のビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド 第319回
まやかしの社保庁改革を斬る
でうかがうことができた。


マル激トーク・オン・ディマンド 第319回にゲスト出演した
ジャーナリストの岩瀬達哉氏によると、
公務員批判や年金の無駄遣い批判が高い中、
参議院選挙を控えて、安倍政権が人気取りの一環として
社会保険庁を解体する法案成立を目指そうとしているが、
それには大きな問題があるという。

社保庁が「解体」されたとしても、
毎年2000億円近い年金資金の流用は止まらないどころか、
それがよりやりやすくなる可能性のあること。

民間への業務委託をすれば、
サービスの低下、社保庁OBの天下り先の増加、
個人情報流失のリスク増大の懸念があること。

年金未納者に対して、国民健康保険証を交付しないことは
低所得者の非正規雇用者が、国民健康保険も支払う意欲もなくなり、
医者に行かなくなるだけで、年金納付率上昇につながるとは
限らないこと。

などの問題点を指摘していた。

どうして、そのことをマスメディアが報道しないのか
ということについて、
岩瀬氏が「記者クラブ制度」の問題点をあげていた。
厚生労働省や国会の記者クラブの記者達は政府発表の内容を
そのまま垂れ流して、報道していることを懸念していた。


これほど、大きな欠陥のある法案なのに、
国民は知っていない。それは、マスメディアが報道しないからで
あるが、それが記者クラブに起因するものであるとすれば、
記者クラブの解体なども考えないといけないとも感じる。


今回の年金関係の法案で、
年金未納者に対して、国民健康保険証を交付しないという
強制性を高めることで、納付率を上げようとしている
役人達の発想の貧困さに驚くばかりである。

非正規雇用などで
低所得で支払えない人たちは
払いたくても支払えないのである。
低所得で年金は支払っていなくても、
年に何回かは病気などで医者にかかることもありそうなので、
国民健康保険を払っているので、
年金を支払わないと国民健康保険証交付しないとなれば、
困るので、年金を支払うだろうと役人達は考えているようだが、
低所得の中、一月1万円以上する国民健康保険代だけ支払うのが
精一杯なのに、年金と抱き合わせで支払えとなると
支払い不能となるので、
国民健康保険代も支払わなくなる。

そうなれば、国民健康保険の納付額が減っていくだけだろう。

また、そのことに関して、コメンテーターの宮台氏は

「医者に行かない人が増え、伝染病が流行しても医者に行かないので、
よりひどく伝染病が社会全体に蔓延して社会が機能しなくなるまで、
貧乏人にも手当てしないといけないとは気づかないでしょうね。
最終的にはそのような結末になるかもしれない」という主旨のことを
言っていた。












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愛敬・愛嬌 ~ 仏様の柔和で慈悲深い表情を見れば

かわいらしい人を「愛嬌のある人」と言ったりするが、
その「愛嬌」の語源は仏教語にある。

仏や菩薩の柔和で慈悲深い表情を見れば、
誰からも「愛され敬まれる」ということから、
仏や菩薩のよい表情の事を
「愛敬相(あいぎょうそう)」と言われたが、
それが「愛敬」の起源である。


日本にその言葉が伝わり、やがて、「あいぎょう」の
「ぎょう」の濁音が、清音化されて
「あいきょう」と呼ばれるようになり、
敬うという意味よりも、かわいらしさ、艶かしさなどの
意味が強まり、
「女」偏に、そり曲がり意の「矯」の左側の「喬」の字をつけて、
女性がなよっと艶かしくする姿を表す「嬌」をあてるようになった。

その「愛嬌」から、人から好かれ愛される行為も含まれるようになり、
商売で、無料で提供するモノやサービスを付け足すことを
「御愛嬌」と言うようにもなってきた。



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東国原英夫知事 ~ 記者クラブは「そのまんま」でいいのか?と問題提起

宮崎県の東国原英夫知事が
記者クラブ制度の問題点を指摘し、
記者クラブ制度のあり方を問い直すべきと
問題提起した。


記者クラブ制度は
先進国では日本しかなく、
行政からの情報をいち早く得るというメリットがあるが、
行政からの一方的な情報を吟味することなく
垂れ流すという批判や
取材能力が向上しないという批判、
さらに、新興のメディアやフリーのジャーナリストなど
外国人記者の加入を認めないという排他性が指摘されている。

その排他性に関して、EUから見直しが求められている。
また、ライブドアニュースが気象庁の記者クラブ加盟を申請したが
却下された。
日本のマスコミは独占禁止法の例外規定により、
保護されている面が多いが、今は、独占の弊害が多く
なっているのではないか?

記者クラブの記者が政府の人間に取り込まれてたり、
マスコミ内の記者クラブ別の構造により、
国民に伝えるべきことを伝えていないのではないかと
強く指摘されている。

このブログの
アメリカの牛肉は大丈夫かい?
記者クラブ制度の弊害によって、
狂牛病関係の重要な情報が国民に伝えられなかったのでは
ないかという問題を取り上げた。

その部分を掲載する。


③記者クラブ制度とマスコミ組織の権力構造

もし、世論が強行に反対であれば、輸入再開はできなかったと思うが、マスコミはやっと最近になって、アメリカ牛肉輸入再開の問題点を言い始めたが、そんなことは、昨年の夏の時点でわかっていた。なぜ、その時から、アメリカ牛肉輸入再開の問題点を強く指摘する報道がされなかったのか?それには、記者クラブ制度とマスコミ組織の権力構造が背景にあるという。

記者クラブとは、大手マスコミの記者が、公的機関から優先的に役所情報を提供する仕組みである。外務省にもある。もし、外務省にある記者クラブの大手マスコミの記者が、アメリカ牛肉輸入再開の問題点があるとわかっていても、それを報道したら、外務省から情報を与えてもらえなくなるという制裁を加えられたり、不利な扱いをうけることを懸念して、報道しない可能性がある。

また、アメリカ牛肉輸入再開には消極的である厚生労働省や農水省の記者クラブの記者は、大手マスコミでは若手記者が担当する。一方、外務省は、年配の上司の記者が担当する。つまり、厚生労働省や農水省の記者クラブの若手記者が、アメリカ牛肉輸入再開のことを記事にして報道しようとしても、若手記者よりも権力のある年配の記者がいる外務省の記者クラブ(外務省の意向に沿っている)の意見の方が強いので、結局は大きくは報道されることなくなってしまう。

もし、1年前から、マスコミが積極的にアメリカ牛肉輸入再開の問題点を報道していたら、世論の反対はより強くなっていただろう。






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1937年5月11日 御堂筋開通 ~ 名市長・関一の50年・100年先を見据えた先見性の賜物

今日は2007年5月11日
今から70年前の今日である
1937年5月11日
大阪のメインストリートである
御堂筋が現在の幅44mの道路として開通した日である。


御堂筋は江戸時代からあったが、
当時は幅が6mの道路であり、御堂筋でなく
淀屋橋筋と呼ばれていた。

1923年に第7代目大阪市長に就任した
関一(現在の大阪市長である第17代目市長関淳一氏の祖父)が、
「梅田と難波という二大ターミナルを一直線に結び、
大阪の心臓部をつくりたい」という発想をもとに
その淀屋橋筋を幅44mに大幅拡張する計画を
ぶちあけた。
また、建設費用を新たな拡張路によってどれだけ商売に
利益が上がるかを予想して、その額に応じて税金を徴収する
受益者負担制度という当時としては画期的な制度を提示した。

あまりに突飛に思えた計画に
「まちのど真ん中に飛行場でも作るのか」と市民達は肝をつぶし
猛反発にした。
当時は、全国の自動車保有台数が
5000台~7000台で、
淀屋橋筋は交通量の少ないゆったりした道でもあり、
そのような市民の反発は考えられることであった。

関一は「将来を考えると、絶対に拡張する必要がある」と
何度も市民に対して理想を説き、経済・街の発展にとって
意味があるかを訴え続けた。

そして、1926年に拡張工事が始まる。
地下鉄工事とともに道路の拡張が行われたのであるが、
その地下鉄のトンネル掘削作業は軟弱の地盤のため
難航した。工事設備も現在のようなシールドマシーンではなく、
ドイツから輸入した4トン蒸気ハンマーを使って
工事をしたのであるが、
それを使った打ち込む騒音・振動は激しいもので、
近辺の家は傾き、壁が崩れ、地下水が枯れたとも言われる。

道路の拡張工事で、大きな課題となったのが、住民の立ち退きで
あった。予算の大半は立ち退き料に支払われたという。

建設費は3300万円であるが、現在の価値では
100億円の大プロジェクトであった。

そして、1937年5月11日
パリのシャンゼリゼ通りをモデルにして、
幅44メートル、長さ4.2キロの4車線の車道と
両側に側道を設け、電柱を地中化、約800本の銀杏を植えた
御堂筋が開通する。

もともと、淀屋橋筋であった御堂筋がどうして
御堂筋になったかというと、
北御堂(西本願寺津村別院)と
南御堂(東本願寺難波別院)の門前を通る道であるから
「御堂筋」になった。

また、欧州の都市計画に参考にして、
建物の高さを31mに規制するいわゆる百尺条例を制定する。

その後、御堂筋は
戦後の高度経済成長の中でモータリゼーションが進み、
多くの自動車が通る大阪のメインストリートとなった。

御堂筋は現在、南方面一方通行であるが、
開通当初は一方通行ではなかった。
1960年代に高度経済成長時代にモータリゼーションが進み
交通量が増加し、
1970年、
大阪万博開催を契機に梅田から吹田に新御堂筋が開通、また、中央大通が開通したこともあり、
この年、御堂筋は南方面の一方通行となった。


バブル経済崩壊後、
御堂筋界隈にあった金融関係のオフィスが撤退し、
テナントビルの空き室が急増したが、
「シャネル」「エルメス」など
20以上のブティックが立ち並び、
東京の青山・銀座と並ぶ世界でも有数のブランド街と
なっている。

御堂筋に出店したシャネルは
「歩道が広く、銀杏並木が続く御堂筋は、
パリのシャンゼリゼ通りのような雰囲気があり、
御堂筋は、東洋のシャンゼリゼである」と感じ、
御堂筋に出店したのであった。


このように
東洋のシャンゼリゼと称され、
平日には3万台以上の自動車が通り
大阪のメインストリートになった御堂筋が
開通したのが今から70年前の
1937年の5月11日であるが、その日には
御堂筋建設を提唱した関一の姿はなかった。

関一は2年前の1935年10月26日
室戸台風による災害復旧を陣頭指揮する最中、任期半ばで
この世を去っていた。

ただ、
現在に御堂筋の姿を見れば、
当時は
全国の自動車保有台数が
5000台~7000台で車社会の到来など
多くの方々が予見できずなか
将来のモータリゼーションを予見し、かつ、美観も考えた
関一の50年後・100年後を見据えた
先見の明が証明されていると言えるだろう。


関一は
高等商業学校(現在の一橋大学)で
社会政策論を学ぶ過程で都市政策を学び、
24歳の若さで母校の教授になり、
交通論や工業政策などを研究する気鋭の学者であった。
また彼は
「シティプランニング」という外来語を
「都市計画」として訳して、その言葉を用いた
最初の人だとも言われる。

関一は
大阪市長の間に、
市営公園や公営住宅の整備、
市営バス運行開始、
大阪港建設、
大阪城天守閣の再建
大阪商科大学(現在の大阪市立大学)の開設など
様々な都市政策を行った。
を提案する。

大阪城天守閣の再建を関一が提案した時、
議会では「金がないから無理だ」という意見が強かったが、
関一はマスコミを通じて「大阪人よ、恥ずかしくないか」と
寄付を募ったら、多くの住民が協力し、
わずか2~3カ月で予定額を超えたという。



関一が開設に尽力した
大阪商科大学に日本の大学では初めての
「市政科」という都市政策学科を創設し、
都市政策の教育・研究に力を注いだ。

関一は、
都市を利潤追求の経済活動が集中し、
弱肉強食の競争が渦巻く場と認識し、その非人間性を緩和するため、
都市行政・市営事業の重要性の訴えいた。

そのような思想も背景もあるのだろうか
関一はインフラ整備だけでなく、
労働者の住環境の改善を重視し、
当時では珍しい労働者の生活実態調査や
大気汚染の観測を行い、
労働者の住宅整備に力を注ぎ、
「煙の街」と呼ばれた大阪を「住み心地よき街」を目指した。

関一の先見性は御堂筋の地下鉄にも現れている。
それは、当時の地下鉄の車両は1両しかないのに、
10両編成分のホームを作り、
アーチ状のドームのような高い天井を作らせていた。

現在、御堂筋線は10両編成の列車が走り、
アーチ上部が中2階通路空間として使われている。

まさしく、御堂筋は地上にしても地下にしても
名市長・関一の先見性の賜物と言えるだろう。


参考リンク
大阪今昔写真集 御堂筋と地下鉄(開通当時の御堂筋の画像)



             


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雪が舞った52日後に30度の日 ~ 2ヶ月間の間に、真冬と真夏を経験するとは

昨日5月9日、
私の職場のある京都市では
最高気温が30度を越す真夏日となった。

そう言えば、52日前の3月18日は
雪が舞っていたのである。

雪が舞った真冬のような日から
52日後に真夏日になるとは。

2ヶ月間の間に、真冬と真夏を経験するとは・・・・

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おあいそ ~ もともとは客でなく「店員」が使っていた言葉だそうだ

飲食店で食事をして
代金を支払う時に
客が店員に
「おあいそ」と言うが、
もともとは店員が客に言っていた言葉だったようである。

歌舞伎用語で
本心とは裏腹に男と縁を切るという意味で
「愛想を尽かしをする」と言う言葉があるが、
飲食店の店員がお客さんにお勘定を求める時に
「勘定のことを持ち出して、愛想尽かして申し訳ございませんが・・」
(「本当はこのままいて欲しいのですが」という意味も含まれつつ)

あるいは
サービスが不足しているのではないかと不安に思いつつ
「愛想なしで申し訳ないですが」という感じで
お客に勘定書を提示していた。

その風習がもともと京都で行われていたようだが、
明治時代に雑誌で紹介されて全国に広まったようである。

やがて「おあいそ」という言葉だけで勘定を意味するようになった
のであるが、どうして、お客が使う方向に変化していったかは
わからない。

ただ、
「おあいそ」を客側が使う事例として、
次の例がある。

ある飲食店の常連客は
飲み代を全部支払わず
1割ほどツケを残して支払っていたという。
それは、次にまた来店するという意思表示であったとされる。

もし、ツケを残さず全額支払うと、次は来ないという
意味にあり、その時に
「愛想が尽きたので、勘定を全部支払う。二度と来ない」
という絶縁の意思を表す言葉として
常連客が
「おあいそ」という言葉を使ったといたという説がある。

そのような意味で客が「おあいそ」というようになったのか?
この絶縁の意思表示としての「おあいそ」がいつの時代から
使われていたのかがわからない。

また、その絶縁の意思表示としての「おあいそ」が
店員が使う「おあいそ」から変化する過程で、
使われるようになったのか?

店員が使う前に既にどこかの地方で使われていたのかは
不明である。





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情報編集空間としてのカフェ ~ 近代社会の仕組みを生み出したコーヒーハウス

カフェに私はよくいき、読書をするのであるが、
他のお客さんを見ると
何か談笑していたり、
ミーティングをしている光景を見る。
その光景を見ると、
松岡正剛氏の「知の編集工学」(朝日文庫)と言う本を思い出す。

彼は、世のあらゆるモノ・コトは編集され生まれてきた。料理もラグビーも編集であると言っているが、その本の中で、イギリスのコーヒーハウスが、情報編集の場となって、近代社会の仕組みを生み出すきっかけを作ったと言う。

17世紀末のロンドンに大量発生したコーヒーハウスから、ジャーナリズムと株式会社と政党と広告会社、そして犯罪組織を生み出したと言っている。

当時のロンドンのコーヒーハウスは、熱気溢れる社交場だった。コンスタンティノーブルからもたらされた濃いコーヒーをイギリス式に洗練させ、煙草の煙がたちこめる空間だった。

・ジャーナリズムの誕生

当時、イギリスは世界進出に積極的になっていた。イギリス国内・国外の情勢についての情報誌がコーヒーハウスに置かれ、それをジェントルマン達が争って読み漁っていた。これが、ジャーナリズムの誕生であり、「ガリバー旅行記」を書いたジョナサン・スフィストや「ロビンソン・クルーソー」を書いたダニエル・デフォーらも、情報誌を編集・発行し、コーヒーハウスに置いていた。

・株式会社と保険会社の誕生

ジャーナリストが出版した情報誌によって国内外の出来事に好奇心を煽られたのコーヒーハウスに集うジェントルマン達は、その好奇心を未知の世界の投資へと突き進む。そこに目をつけたのは、ロイズ・コーヒーハウスの店主ロイドだった。ロイドはコーヒーハウスに集うジェントルマン達に登記熱を煽って資金を集め、投資家クラブを結成して株式会社の原型を作った。コーヒーハウスに集うジェントルマン達は、ロイズ・コーヒーハウスを胴元として世界最初の共同株主になっていった。やがて、それが、現代、世界の海運保険の大手であるロイズ保険となる。

・政党の誕生

当時、政治家たちは党派ごとにお気に入りのコーヒーハウスを選び、そこで政策議論を戦わせた。
当時のイギリスの詩人アレクザンダー・ホープは「コーヒーハウスは政治家を賢明にする」という名文句を吐いた!これは、のちにフランス革命時にジャコバン党などが、パリのカフェに集まったことに継承される。

・広告の誕生

当時のコーヒーハウスには、おびたただしい量のチラシが出回っていた。たいていのコーヒーハウスにはペスト予防薬や探検隊募集のチラシがあった。また、あるコーヒーハウスでは、赤面恐怖症の特効薬おチラシが置かれたいた。

・暗躍グループの誕生

コーヒーハウスには、泥棒・スリ・山師らの犯罪者ととももクラブを増やし、世界的な秘密結社であるフリーメーソンを育んだ。(フリーメーソンは、ユダヤ陰謀論になるとよく出てくる)


というように松岡正剛氏は言っている。コーヒーハウスに様々な人が集まることにより情報が交換され、それが編集され、以上のものを生み出したのだろう。

コーヒーなどのドリンクは単なる飲み物ではなく、コミュニケーションの道具であると言うこともできるでしょう。カフェは、言葉が飛び交い、その言葉がもたらす情報を編集する空間と言えるでしょう。私は、ひとりで、カフェで読書することが好きだが、それも、情報を収集して編集する空間としてカフェを使っていると言える。

カフェを、情報編集空間とすれば、カフェで飾られるモノも何らかの意味を持ち情報を発して言えるかもしれない。また、ある喫茶店では、絵を飾って、その絵についての簡単な説明がある。カフェが、絵の情報空間になっている。例えば、「ペパーミントティ」に「血液循環促進」というコメントがついているが、そうなれば、健康情報提供空間と言うことができる。

カフェを情報編集提供空間とすれば、付加価値が高まるのかなと思ったりする。



             
                 文庫版


             
                ハードカバー版
      ハードカバー版では、物語マザーの説明について
      文庫版にはない、図を用いた説明があります。


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慎む ~ 心を包む

遠慮深く控えめな様子を「慎ましい」という。

「慎ましい」は「慎む」の形容詞になったものであるが、
その「慎む」は「包む」と同じ語源である。

「包む」は物事を覆い隠すという意味があるが、
自分の欲求=自分の心を押し出さずに
控えめにする様子が、心を包むと重なったのであろうか?

自分の欲を押し出さずに、心内に包み隠すことが
美徳とされるときがあり、そのような振る舞いを見て
「慎ましい」と思ったりしますね。





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立夏 ~ 春分の日と夏至の中間

今日、5月6日は
二十四節気の「立夏」、
太陽黄経(太陽の天球上における太陽の見かけの通り道である黄道を
360度に分割したもの)が45度で
太陽黄経が0度の春分と太陽黄経が90度の夏至の
中間にあたるのが「立夏」である。
これから暦の上では「夏」になる。


ちなみに、
日本洋傘振興協議会は
立夏の日を「パラソルの日」と制定している。

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5月5日 ~ この日は母へ感謝する日であり、端午の節句は、もともとは女性の日であった

今日5月5日は「こどもの日」
祝日法により
5月5日は
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、
 母に感謝する」
という主旨で、祝日になっている。

祝日法制定にあたっての国民へのアンケートで
女の子の節句である上巳(3月3日)と、
男の子の節句である端午(5月5日)の両日を
祝日にしようという意見もあったようだが、
大正時代から「児童愛護デー」の設立を目指す団体が
存在していたようで、
国会に子供の日の制定を求める請願書が提出された時に、
5月5日に制定を希望する数が多いこともり、
男女に関係なく5月5日を
「こどもの日」にすることとなったそうだ。


5月5日と言えば、
端午の節句で「男の日」とされるが、
過去の経過を見ると、必ずしも
「男の日」ではなかった。

端午の節句の由来をたどると
中国の歴史に遡る。

もともと古代中国の
厄払いの行事。

「端」=「先・はじめ」、
「午」=十二支のひとつ「うま」の意味で、
5月に関係なく「端午」=「月のはじめの午の日」
とされていたが、
「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、
また、古来から中国では5月は物忌みの月=悪い月とされ、
そして、5が重なる重五の日、
つまり5月5日に重要なな厄払いの日とされ、
蓬で作った人形を飾ったり、野に出て薬草を摘んだり、
香り高いため邪気を祓うと考えられた菖蒲が用いられ、
菖蒲酒を飲んだり、菖蒲湯に浸かって邪気を祓う行事を
行うようになった。

それが、日本には奈良時代か平安時代に伝わり、
季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事を行う
五節句農地のひとつとして端午の節句が取り入れたらた。

*五節句
 ・人日(1月7日)
 ・上巳(3月3日)
 ・端午(5月5日)
 ・七夕(7月7日)
 ・重陽(9月9日)

平安時代には、
端午の節句は、
宮中で五月の節会(せちえ)として菖蒲が献上され、
蓬や菖蒲を丸く編んで五色の糸を結んだ薬玉(くすだま)を賜ったり、貴族同士で薬玉を贈りあったりもされた。

日本では、
5月は田植えの季節である。
男性が戸外に出払い、
田植えは神聖な神事で
早乙女と呼ばれる若い女性が田植えを行うものとされ、
女性だけが家の中に閉じこもって、
田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。

女性は菖蒲や蓬で屋根を葺いた小屋に前夜から篭って過ごし、
菖蒲酒を飲み穢れを祓い、神聖な存在として扱われた。

つまり、端午の節句とはもともと女性の節句であったのだ。

それが、男の子の節句に変わるのは鎌倉時代になってからである。

武家政権が誕生した鎌倉時代に、「菖蒲(しょうぶ)」が武道を重んじる「尚武(しょうぶ)」と音が通じることから
菖蒲を「尚武=武をたっとっぶ」とかけて、
5月5日は「尚武の日」とされ、
また、菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、
端午は男の子の節句とされ、
男の子の成長を祝い健康を祈るようになった。

5月5日になると
五月人形が飾られ、
そのうちの
鎧兜には男子の身体を守るという意味合いが込められている。

江戸時代、幕府は
5月5日を重要な日と定め、
大名や旗本が式服でお祝い品等を携え、江戸城に出向く日となった。
それにちなみ、武家の家では、
男の子が誕生すると
門前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて男児誕生を
庶民に知らせるようになった。

その風習を富裕層の庶民も取り入れようとしたが、
庶民には幟旗を立てることは許されていなかったため、
中国黄河の急流にある竜門を幾数多の種類の魚の中で
鯉だけが登ることができた故事にちなみ
立身出世の象徴とされた「鯉」を
紙・布・不織布などに絵柄として描き、風にたなびかせる
「鯉幟」がお目見えするようになる。

そのようにして、
5月5日は
男の子が強く逞しく成長して立身出世することを願う
男の子の日とされるようになったのであった。

それが、戦後には
男女関係なく
子供の人格を重んじ、子供の幸福を願い、かつ
子育てを主に行う母に対する感謝の日として
5月5日は
「こどもの日」となったのである。


こどもの日のころになると
男の子の立身出世を願う「鯉幟」をよく見かけたが、
住宅事情の変化などで、あまり見かけなくなった。
そう言えば、日本の子供は他国よりも出世意欲が低い
という調査結果が出たが、
鯉幟を見かけない5月5日は
日本の子供達の出世意欲の低下を象徴しているのだろうか?

ただ、この日が
「母へ感謝を捧げる日」ということは
もっと知られて良いと思うが。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このブログでの関連リンク
毎日がこどもの日


清らかな愛~母の日の始まりとカーネーション


春の七草 ~ もともとは陰陽道の「その年の人の吉凶を占う人日」に由来する

ひなまつり~中国から伝来し、平安時代・江戸時代と変化してきた


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みどり ~ 若さと成長と生命力

今日は5月4日は
みどりの日」である。

みどりの日は、
もともとは4月29日であった。
4月29日は昭和天皇誕生日の祝日であったが、
昭和天皇崩御により、天皇誕生日が変更されるにあたり、
4月29日はゴールデンウィークの初日であり
何かの祝日として残されることとなり、
昭和天皇ががみどりを愛されたことから、
「みどりの日」とされた。

そして、4月29日が「昭和の日」になったことから
「みどりの日」は5月3日と5月5日の祝日の合間の
5月4日に移されることとなった。

その「みどり」の語源
には諸説あるようだが、
主に「芽出る」と「水+をり」がある。

「みどり」は古語として
「草木の芽」という意味があり、
芽出る mederu → midoriに変化し、
新芽の色を表す「みどり」になったという説

「水+をり」は 
瑞瑞(みずみず)しく、
生命力にあふれ若々しいという
新芽が出ることに新たな生命と若さを感じることから
新芽の色と「みずみずしさ」から、
「みずがある」という「水+をり」から
「みどり」になったのだろうか?

「緑」という漢字は
「糸」偏に音を表すロクから成る。
ロクの音変化として「リョク」があるようで、
澄んだ水の色を表す。
「緑」で、みどり色の糸を意味して、そこから
「緑」だけで、緑の色を意味するようになったそうだ。


そして、英語の
「green」の語源は、
アーリアン語で「成長する」を意味する
「Ghra(ガーラ)」に由来する。
最初の意.味は新芽がだんだん大きくなる
という意味で、その新芽の緑の意味から
「green」が「緑」になったようだ。

東洋・西洋とわず、
「みどり」という色は
新芽の若々しい生命力と成長を感じていたのだろう。




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クイズ(Quiz) ~ この言葉は、ある男の賭け事から生まれた!

テレビを見ていると
いろいろなクイズ番組があるが、
このクイズ(Quiz)という言葉の誕生の
エピソードは面白いものがある。

クイズ(Quiz)の語源は
ラテン語のquis(何)に由来するというものが
あるが、別の説が有名である。

1781年(もしくは1780年)のある日、
アイルランドのダブリンのいる
劇場の支配人デイリー氏が
意味の無い言葉を作って、
それを一晩で流行らせることができるかどうかを
友人と賭けた。

デイリー氏は早速行動に出た。

そして、翌朝、
町中いたるところの建物、路面、壁などに
「QUIZ」という文字が書かれていた。

ダブリンの方々は
「あの“QUIZ”という文字は何と言う意味だ?」と
口々にするようになり、
瞬く間にダブリンに広がり、
その「謎のような質問」とか「謎」という意味で
やがて辞書に載るようになった。

デイリー氏は賭けに勝ったわけだ。


世界初のクイズ番組は
1938年5月31日
イギリスBBCが制作した「スペリング・ビー」というクイズ
番組であるとされている。


日本初のクイズ番組は
1946年12月3日
NHKの「話の泉」であり、この番組は
「クイズ番組」の原型とされている。
当時、日本には「クイズ」という
言葉はなく話題を呼んだ。

これラジオ番組であったが、
テレビ番組としては
1955年4月14日 
NHKの「私の秘密」である。

クイズ番組で私がこれを上回るクイズ番組は
もう出てこないのではと思うのは
「アメリカ横断ウルトラクイズ」である。

「ニューヨークへ行きたいか~」という
福留さんの掛け声は耳に残る。










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美しい ~ 愛でる心・人に対する思いやり、神の意思が表れる善で真なるもの

「美しい」という言葉がある。

万葉集では、
「美しい」は「宇都久志」と書かれていた。

父母乎 美礼婆多布斗斯 
妻子美礼婆 米具斯宇都久志 
余能奈迦波 加久叙許等和理


読み方
ちちははを みればたふとし 
めこみれば めぐしうつくし 
よのなかは かくぞことわり

意味
父母を見ると尊く思われる。
妻子を見るとかわいく愛しく感じられる。
これこそ世の中の道理というもの。


「美しい」とは
奈良時代のころには
親子や夫婦・恋人などの間で
目上から目下など自分より立場が弱い人への
愛情の気持ちを表していた。

それゆえに、
「美しい」は「慈しむ」「愛しむ」と同源の
「うつくしむ」であるという説がある。

「うつくしい」は
平安時代初期のころには
幼い者や小さき物に対する
可憐な美を愛でる意味で使われ、
平安中期には
綺麗の意味で使われるようになる。

室町時代になれば、木などの非人工物の
自然に対しても使われるようになり、
やがて、汚れのないものという
意味で使われるようになる。


「美しい」の「美」という漢字は
「羊」と「大」を合わせたもので、
「肥えた大きな形が良い羊」=「肥美の状」
を意味していた。
羊は山の神とされ、神事に使われることが多く、
羊は牛などとともに神に供える犠牲(いけにえ)として使われたり、
羊神判(ようしんぱん)にも使用され、
羊神判によって祥・不祥を決めていた。
(「祥」は神が与える幸いという意味があり、
 「祥」は、示す偏に羊であるが、「示」は
 神の寄り付く台の形(T)に、それに捧げた
 生贄の血が滴れる様子を表し、神位、つまり
 神の意を示すという意味である)

さらに、
神への供え物として、
生贄として犠牲にされる羊に欠陥のないことを
確かめることを義といった。

「義」という字も「羊」
さらに「善」という字も「羊」

善・義・美はみな羊に従い、
善は羊神判によって勝利を得たもの、
義は犠牲に用いて完美なるもの、
美も神に供薦すべきものをいい、
ひいては人の徳行や自然風物の美しいことを表す。

 (白川静「常用字解」「字統」より)

そのようなことから
「美」が「うつくしい」の「美」に使われる
ようになったようである。


そして、英語で
「美しい」を意味する
「beautiful」。

「beautiful」の「beau」は
フランス語の「美」であるが、
それはもともと
ラテン語の「bonus」(ボーナス)に由来するという。
それは、予想外の思わぬ贈り物に喜びを感じる
ということから、「善い」という意味になり、
さらに「善いことは素晴らしく美しい」ということから
美しいという意味になったようである。


「美しい」という言葉は、
人に対する愛しさや思いやりということがあり
それが「善」とみなされたのだろう。
さらに、「美」は神の意を知るためにつかった
「羊」という文字があり、神の意は「真実」と
見なされた。

哲学者プラトンが求めた「真善美」のイデアは
目に見えない人の心模様にあったのだろうか?

その目に見えない心模様は実際の人の振る舞いで
目に見える。
その振る舞いで、真に善き心の振る舞いが美しき
ものとして見えるのだろうか?


参考
月刊「e船団」 言葉を探る 2002年10月号


neko_atama_byM's Archive 図の聖堂











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