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言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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Author:くわどん
世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
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ルールを守ることに合理性を見出せるのか? ~ 高校未履修問題について

今朝、通勤途中のバスで
前の席に座っていたロングヘアの女子高生が髪を束ねて
ゴムで括っていた。
別の席を見れば、同じ制服の女子高生は既に後ろ髪を
括っていた。

あっ、校則でロングヘアは括るようにという決まりが
あるのだなと思った。

しかし、そのロングヘアは括るという規則に
どのような合理的理由があるのだろかと疑問に
感じる。
その規則に人が合理的理由を感じないと
その規則を守ろうという動機づけは下がり
規則は形骸化するだろう。

昨今、高校が大学受験科目を優先するため
学習指導要領を守らず、世界史などの必須が未履修
という状態が発生した。

とにかく、大学に進学さえすれば
その後は大卒者として就職できて、
あわよくば有名企業への就職の道が開けると
まあ、学習指導要領をきちんと守る合理的理由を
見出せなくなったのだろう。

そう、大学を卒業して、
普通に就職して、普通に生活をしていくのなら
学習指導要領に定められた科目をすべて知る必要性は
感じないだろうし、役に立たないものもあると思うだろう。
それゆえに、学習指導要領をきちんと守る合理的理由を
見出せなくなるという事態が発生することは
考えられる。

ただ、そうなると日本人全体の知的水準が下がる
という懸念は感じる。
最近、私が知っている5歳年下の女性がいる。
彼女は私立高校を経て、関東の私大に行き、
そして、関西にあるトップクラスの国立大学の
大学院を卒業しているが、
なんと、微分・積分を高校で学んでいないというだ!!
高校2年で既に私立文系コースにして、
国語・英語・日本史に絞りこんだという。

こうなれば、トップクラスの国立大学の大学院とか
の知的水準が下がれば、日本全体の知的水準が
下がり、国際的な競争に勝っていけなくなるかも
しれないと懸念を感じる。

また、何も学問的素養は大学だけでなく、
大学を卒業した親が子供に伝えることもできるのだが、
親の知的水準が低い場合と高い場合では
子供に教えることのできる知識量は減る。
そうなれば、日本人全体の知的水準の裾野は狭くなって
しまう。
例えば、有能さという基準でサッカーを見たとき。
日本とブラジルでは違う。それはサッカー人口の
裾野の広さが影響しているのではないかと
思う。ブラジルはサッカー人口の裾野が広いがゆえに
より多くの有能なサッカー選手が輩出されるように
も思える。

そうであるとすれば、
日本その社会全体の知的水準の裾野が小さく狭くなれば、
有能な人間が輩出される数が減っていくのではないか
そのような懸念を感じる。

そのようなことからも
日本全体の知的水準が下がり、
国際的な競争に勝っていけなくなるかもしれない
そうなると、日本は海外に売れる商品は作れなくなり
海外からモノを買えなくなっていくかもしれない。

そのようなことからも
学習指導要領をきちんと守る合理性を
感じさせることができるかもしれない。


このブログの冒頭で女子高生の
ロングヘアを括るという校則の件を取り上げたが、
それに
関しては、その規則に合理性を感じないなあ。

ただ、そのルールに何を合理的に感じて、
また、それがどうして合理的でないかと
論じるにあたっては
知的な能力が求められる。

ルールを決めるという意味において
社会はどのような手続きでルールを作ったか、
校則でも日米では違っているだろう。
そのことについて知るには
その国の歴史的背景を知らないといけない。

また、
特に公権力がルールを作る場合
国民の権利を侵害しないようにしないといけない。
それは人権の観念であるが、
その人権の観念について知るには
近代市民革命以降の世界史を知っていくことは
欠かせないだろう。

そういう意味では、
学習指導要領をきちんと守らず
受験だけの科目しか勉強しないのは問題である。

一方で、学習指導要領そのものや
何を習うべき水準の知識にするか
それも論じるべきだろう。

例えば、世界史、日本史、地理をひとつの科目にして
絶対に抑えるべき最低の知識だけにする。
特に近代史になれば、
世界史と日本史は融合してくる
1942年に日本が当時オランダ領のインドネシアに
進駐する。インドネシアには石油があったからだ。
そのことだけでも
世界史と日本史と地理が融合してくることが
わかってくる。

そのようなことからも
世界史、日本史、地理をひとつの科目にして
学習指導要領を変えることもあっても
良いのではと思う。

それは何の役に立つかとなれば
将来就職して、インドネシアに赴任することがあれば
そのことを知っていることと知っていないのとでは
違ってくるだろう。
現地に赴任した日本人がインドネシア進駐の歴史を
知らなければ、その国の社会的立場のある人間からは
驚かれるだろう。

そのようにして
学習指導要領を守ることの合理性を感じさせる
取り組みを政府がしていかないといけない。

そう思うと、
今回の未履修問題は
学習指導要領と大学受験の矛盾を放置してきた
政府にも責任はあるとも思う。



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テーマ:教育問題 - ジャンル:ニュース


紫式部 ~ 美しき「実」に聡明さを感じる

紫式部と言えば
源氏物語を書いた作者であるが、
その名の花がある。

20061030171025.jpg


花は咲くのは6月ごろであるが、晩秋にかけて
直径5ミリほどの位濃い紫色の丸い実が成る。

これは
くまつづら科の落葉低木で暖かい山に生息する。
1.5メートルから2メートル程の高さである。
原産地は、日本、中国、朝鮮半島とされ
学名は「Callicarpa japonica」である。

葉が落ちると枝には濃く丸い紫色の実だけが残る。
その実の「紫色」にちなんで、
紫式部という名が付けられた。

また、花言葉は「聡明」であるが、
それは、源氏物語を創作した紫式部の聡明さから
由来している。


テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術


瞬き ~ すばやく目を叩く

昨日、
自分のブログを書いていたら、夜通しになってしまい
徹夜になった。
そしてそのまま寝ずに外に出て、夜に帰宅し、深夜になっても
眠っていない。

そうなると、だんだん眠たくなり
「瞬き」が多くなる。

その「瞬き」の語源は
「目叩き(めたたき)」で、目を叩き合わせるという
意味に由来する。

「瞬き」の「瞬」という文字の右側の
「舜」ははやいという意味があり、
「目」と「舜」で、目をすばやく開け閉めするまばたきを
表している。


テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


黄金の日曜日(1962年10月28日) ~ 13DAYS・キューバ危機が回避された日

今から(2006年10月28日)
44年前の1962年の10月28日、

当時、世界を二分して勢力を争っていた
米ソ冷戦下の世界において、
アメリカとソ連との間で、
あわや核戦争・第3次世界大戦
に突入しかねないキューバ危機が終結し
悪夢の13日間が終わった日である。

今日、日本では北朝鮮の核実験によって
ある種の核による危機が生じているのだが、
世界規模の全面核戦争の瀬戸際の危機になった
キューバ危機を振り返ってみる。



このキューバ危機が発生する3年前の
1959年1月
キューバでカストロ氏が
バチスタ軍事独裁政権を倒し政変が発生した。
当初カストロ政権は反米や社会主義革命を
打ち出してはおらず、政変後
カストロ氏は
自国の農業改革のための支援を得たいと
考え、アメリカを訪問したが、
当時のアイゼンハワー大統領は
カストロ氏との会見を拒否した。
そのためカストロ氏は反米感情を抱いたという。

その2ヵ月後、カストロ政権はキューバのアメリカ資産を凍結した。
アメリカとの関係は悪化を始める。
そして、その年の9月
キューバの基幹産業である砂糖を大量にソ連に売却し、
ソ連と通商協定を締結し、ソ連陣営に近づいていった。
アメリカは1960年10月キューバへの食料以外の
輸出禁止処置を取った。
1960年12月、キューバはソ連の共産主義陣営であることを宣言。
1961年1月、アイゼンハワー大統領の最後の時、
アメリカはキューバとの国交断絶を宣言。

1961年1月、ケネディ大統領が就任。

1961年4月にアメリカは亡命キューバ人による
キューバ侵攻によりカストロ政権転覆を図るが失敗。

このようにアメリカとキューバの関係が悪化し、キューバは
ソ連陣営に組み込まれていった。



そして、1962年10月16日
キューバ危機の13DAYSが始まる。

10月16日午前8時45分
マックジョージ・バンディ大統領特別補佐官が
深刻な顔をしながら
ケネディ大統領の寝室に入り、

「大統領、ロシアがキューバに攻撃兵器を持ち込んだと言う、確固たる証拠が出ました。」

ケネディ大統領は
国家安全保障会議の緊急執行委員会「EXCOM」を召集
ロバート・マクナマラ国防長官、
大統領の弟のロバート・ケネディ司法長官
ディーン・ラスク国務長官
マックスウエル・テイラー統合参謀本部議長、
マックジョージ・バンディ大統領特別補佐官
ケネス・オドンネル大統領特別補佐官

など関係閣僚が集合した。

ケネディ大統領はひそかに会議の録音テープのスイッチを
押した。

CIA分析
「中距離ミサイル発射場と野営地が見えます。キューバ西部です。
布に覆われたミサイルが14基見えます。長さは22メートルです。」

ケネディ大統領
「なぜ ミサイルだとわかる」

CIA分析官
「長さです。これはモスクワで行進している写真です。おそらくこんな感じでしょう。」


もし、キューバに配備されたミサイルに核弾頭がついていれば、
ミサイル発射から数分でワシントン・ニューヨークは
核攻撃を受ける。
まるで喉元にナイフを突きつけられたような状態であった。
アメリカとしては、何としてでも
キューバからミサイルを除去しなければならなかった。

どのようにすべきかケネディ大統領は閣僚に対策案の
意見を求めた。

ラスク国務長官
「2つの道が考えられます、1つは速やかにキューバを攻撃する事です。もう1つは、フルシチョフ(ソ連首相)に対し警告を与える事です。ソビエトは戦争の危険を犯していると伝えるのです。カストロに直接メッセージを送る事も考えられます。ソビエトはキューバを利用しているだけだ、キューバは裏切られるかもしれないと、揺さぶりをかけるのです。」

マクナマラ国防長官
「ミサイル基地を攻撃するのであれば、そのスケジュールは、敵のミサイルが使用可能になる前でなければなりません。なぜなら、ミサイルが使用出来るようになった後では、それを取り除くのは、まず不可能だからです。ミサイルが発射されれば、キューバから半径2000キロの東海岸は、大混乱に陥るでしょう。空爆が必要であれば、数日、いや、数時間のうちに可能です。」

軍のトップ、テイラー統合参謀本部議長は奇襲攻撃を唱える。
「実際には、ミサイルがいつ発射可能になるかを知るのは難しく、確実なタイミングは測り兼ねます。ですから、更に偵察写真を撮って、攻撃目標を性格に把握し、一切の警告無しに奇襲に出るべきです。」


ただ、キューバ空爆をすれば、キューバに配備された
ミサイルがアメリカ本土に発射され、もし、それに
核弾頭が装備されていれば、核攻撃を受けるリスクがあった。

この会議でロバートケネディ司法長官は兄の大統領に
対して、そっとあるメモを渡したという。
そのメモには

私は、真珠湾奇襲を決断した時の、東条首相の気持ちがよく分かる。

と書いてあったという。それほど、ケネディ政権この事態に
強く動揺していたのであった。


1962年10月18日(危機3日目)

なんとこの時、ソ連のグロムイコ外相が
アメリカを訪問しケネディ大統領と会談したのであった。
それは既に予定に組まれていた日程であった。

ケネディ大統領は、ソ連がキューバにミサイルを持ち込んだ
ことに気付いて、キューバ空爆も検討していることさえも
微塵も表すこともなく、ただキューバをめぐる意見対立を
表明するだけだった。

この日のEXCOM会議では
キューバ空爆後の同盟国に対するソ連の対応が議論となった
特にベルリン問題が議論された。
当時、ベルリンは東西に分かれ、西ベルリンだけが
アメリカ陣営として、ソ連陣営の東ドイツに囲まれる形に
なっており、ベルリンの壁で閉ざされた空間になっていた。
そのベルリンの防衛をどうするか議論されたのであった。

マクナマラ国防長官

「フルシチョフと事前に話し合う事無くキューバを空爆したら、ソビエト人が何人死ぬだろうか、大規模空爆の場合、我々はナパーム弾を使う事になる。少なくとも数百人のソビエト人が死ぬかもしれない、我々の空爆で、ソビエト人に多数の犠牲者が出た場合、フルシチョフはどう出るだろう、相当強く出るに違いない、空爆の代償は高くつくだろう。
少なくともフルシチョフは、トルコやイタリアに配備した我々のミサイルの撤去を求めてくるに違いない。」

財務長官
「ベルリンがやられるのではないか」

ケネディ大統領
「そうだ、フルシチョフは何としてもベルリンを取るつもりなのだ。
アメリカが空爆をするなら、ソビエトはベルリンを取る。フルシチョフはそう言うだろう。」

マクナマラ国防長官
「ソビエト軍がベルリンに進行するというのですか」

ケネディ大統領
「そのとおり」

マクナマラ国防長官
 「ベルリンの米軍はやられますよ」

テイラー統合参謀本部議長
 「全面戦争になる」

ケネディ大統領
 「核戦争になるということか」

このケネディ大統領の問いかけに
閣僚達は言葉を発することもできず、
誰ともつかぬ苦悩の呻き声が出た。

同盟国西ドイツの西ベルリンを守るため
アメリカの通常戦力ではソ連軍に対応できず
核兵器による反撃を想定していた。

また、東アジアにおいても、
ソ連陣営の北朝鮮が韓国を攻め込んだ場合
核兵器による反撃を想定していた。


1962年10月20日(危機5日目)

軍部は空爆強硬を主張していた。
しかし、ケネディ達は空爆強硬をした場合
全面核戦争になるリスクを懸念していた。
それゆえにいきなり奇襲空爆することは避けようとしていた。
ただ、キューバからミサイルを除去しなければならない。

その策として考え出されたのが
マクマナラが提案したキューバへの海上封鎖であった。

ただ、この時点で、キューバをめぐって深刻な危機が生じていることは
国民には知らされていなかった。具体的な対応策が決まっていない
段階で公表することはただ混乱を招くばかりであったからだ。

ただ、ホワイトハウスの慌しい動きに
記者達は異変を感じ始めた。

そこで、バンディ大統領特別補佐官は
メジャーなマスコミの記者を集め、
キューバをめぐる危機と大統領の決定を説明した上で
大統領が国民に声明を出す予定の10月22日まで
公表しないように求めた。
記者達も政府の協力要請に応じた。


1962年10月22日(危機7日目)

アメリカ東部時間19時
ケネディ大統領は国民に向かってテレビ演説を始める。

Good evening my fellow citizens

と国民に語り始め、

キューバにソ連がミサイルを配備したこと。
キューバに向けて輸送途上にあった攻撃的軍事装備の船舶に対し引き返すことを求め、臨検を行うこと。
キューバから西半球のいずれかの国に対して核ミサイルが発射された場合はいかなるものであれ、アメリカに対するソビエトによる攻撃と見なし、ソビエトに対する全面的報復措置を取ること。

大統領は17分の演説で以上のことを国民に伝えた。
(ケネディ大統領演説全文「英語」)

             20061028030423.jpg

           ケネディ大統領のテレビ演説


このケネディ大統領の演説を受けて、世界は一気に緊迫に包まれた。
アメリカ国民は核戦争に備え、
スーパーマーケットには食料や衣料品を求める人が殺到、
防空壕を掘ったり、核シェルターの建設が相次いだ。

そして、アメリカ軍は
ソ連との全面戦争に備え、
デフコン2「Defense Condition2」(準戦時体制)を発令
核弾頭搭載の弾道ミサイルを発射準備態勢に置いた。
ソ連もソ連国内やキューバのミサイルの発射準備を整えた。

ただ、ケネディの演説を聴いたソ連のフルシチョフは
海上封鎖を意味する「blockade」ではなく
臨検を意味する「quarantine」という表現を使っている
ことに注目した。
アメリカは開戦には慎重になっているとフルシチョフは
悟った。


1962年10月24日(危機9日目)

海上封鎖が開始された。
ただ、ケネディ大統領は、
ホワイトハウスから封鎖ラインにいる
艦船を、無線で次々に呼び出し、
許可無く武力を使ってはならないと
厳命していた。

ケネディ大統領は
キューバ沖合に封鎖ラインを設定することで
この危機がベルリンに飛び火することなく
キューバ周辺のカリブ海に限定させようとしていた。
また、アメリカはソ連へのミサイル撤去の交渉を開始する。


1962年10月25日(危機10日目)

国連安全保障理事会で
アメリカのスチーブンソン国連大使と
ソ連のゾーリン国連大使は
国連史に残すような攻防を演じた。

スチーブンソン国連大使が
証拠となるキューバに敷設した
ソ連のミサイルの写真を
ソ連のゾーリン国連大使に見せ、
「核ミサイルの存在を認めるのかどうか、イエスかノーかで答えて頂きたい。通訳は必要ない。イエスかノーか!」
と迫った。
するとゾーリン国連大使は
「極めて短い質問であるが、答えるのには相当時間がかかる。」
と逃げようとしたが、
スチーブンソン国連大使は
「地獄が凍りつくまで、貴方の答えをお待ちする。」と
強く迫り、ソ連の不当さを印象た。


ただ、その日、ついに海上封鎖海域で
アメリカの艦船とソ連の輸送船が遭遇する緊張の場面が
生じた。
ソ連の輸送船は封鎖ラインを超えた。
艦船からケネディ大統領に臨検許可の要請が出た。
ケネディ大統領は緊張し悩む。
「ここで不測の事態が発生すれば、最悪の結末になる」
ただ、ケネディ大統領は臨検許可の出した。


1962年10月26日(危機11日目)

午前7時
アメリカの艦船がソ連の輸送船に停戦命令を出した。
輸送船は止まった。
この臨検の様子は、
ラジオを通じて実況中継され、全米だけでなく、
全世界がその経過に注目した。結局、禁止対象物は見つからず
安堵感に包まれた。

この艦隊の司令官に激励の手紙が届けられ
このような手紙があったという。
「今、貴方は歴史を作っている。あなたの行動がアメリカと世界の運命を決める。そして、今の貴方の行動は、今後数世代にわたり、歴史の研究の対象となるであろう。ただし、我々に続く世代が存在すればの話であるが・・・・・・・・・」

ただ、EXCOMで、軍部の攻撃強硬派の意見が強まり、
空爆開始を迫ってきた。


また、キューバの
カストロは核ミサイルの発射許可をフルシチョフに求めた。
しかし、拒否された。
フルシチョフは「アメリカの挑発に乗るな」と説得したが、
アメリカの偵察飛行に苛立ちを強めるカストロは
27日以降キューバ上空に侵入するアメリカ偵察機の撃墜を許可した。


アメリカ陣営のNATO軍機の核搭載を受けて、
ソ連陣営のワルシャワ条約軍も戦闘準備態勢に入り、
ソ連が保有する核ミサイル全ての発射態勢が整った。
全面核戦争・第3次世界大戦の危機がヒシヒシと高まっていた。

その日の夜、フルシチョフは書簡をケネディに送った。
「親愛なる大統領閣下
貴方が、本当に平和と貴国の人々の福利に関心がおありなら、私は、同様にソ連邦首相として我が国の人々の福利に関心が有ります。さらに、普遍的な平和の維持は両国の共通の関心事であるはずです。もし、戦争が現代の状況下で勃発したら、それは、単に両国間の戦争ではなく、悲惨で破壊的な世界規模の戦争となるからです。もし、アメリカがキューバに侵攻しないと約束すれば、ソビエトの軍事専門家がキューバにいる必要も無くなります。」

フルシチョフがキューバからのミサイル撤去の条件を出してきたのだ。
事態は好転の兆しを見せた。


1962年10月27日(危機12日目)~暗黒の土曜日

前夜に事態は好転するかと思えば、一転暗転する事態となった。
モスクワの放送局は突然ケネディー宛に送った書簡を公開した。
「アメリカがキューバのミサイルの撤去を望むなら我々はトルコのミサイルの撤去を要求する。また、撤去が行われた際は、国連の管理化で査察を行う。」
その内容は、前日とは全く違うもので
EXCOM会議は騒然となった。

ケネディ大統領
「フルシチョフの新しい提案の内容は、間違い無いのだな、トルコ政府とどう話せば良いのだ、」

ニッツェ国防次官
「トルコ政府は、ミサイルの撤去を、断固拒否するでしょう。現政権の威信を傷つけ、政局にも影響を与えるからです。」

マクナマラ国防長官
「こちらが回答する前に、提案を変えてくる相手と、交渉などできるわけがない、」

トンプソン前駐ソ大使
「昨夜の長い手紙は、フルシチョフが1人で書き、党のチェックを受けていなかったのではないでしょうか、」

26日の1回目のメッセージはフルシチョフが1人で
書いたものであり、27日の2回目のメッセージは
ソ連政府の複数の人間によって作られたものだと
EXCOMは判断した。

ケネディはトルコのミサイルは時代遅れの古いタイプなので
トルコからのミサイル撤去の取引に応じて良い、
一方で、トルコ沖に
核弾頭ミサイル搭載可能な潜水艦を配備すれば良いと判断した。

そして、
ケネディ大統領
「ソビエトとの取引を拒んで、キューバへの空爆を実施すべきだろうか、今、目先のトルコのミサイルを守って将来、愚か者とそしられるのは止めようではないか、」

それに対して軍部は空爆強硬を主張するが、
ケネディは弟のロバートに向かって大声で叫び、
「ロバート、国連大使にフルシチョフ宛ての手紙の内容を伝えてくれ、
我々の次の問題は、トルコとNATO同盟国だ。」

話題を再びフルシチョフの手紙の方に引き戻した。

ケネディ兄弟が、なんとか軍部の強硬論を制し、
外交による解決を目指していた矢先、
キューバを偵察していた米軍のU2型偵察機撃墜の知らせが
届く。
電話を受けたケネディは、
受話器を下ろす事を忘れるほどの衝撃を受けた。


              20061028041121.jpg

      苦悩の表情を浮かべ、偵察機撃墜の報告を受ける
              ケネディ大統領


マクナマラ国防長官
「決断を急がなければなりません。キューバの上空でU2型機が撃墜されました。ミサイル基地を偵察中に撃たれたのです。」

ケネディ大統領
「向こうのエスカレーションか?」

マクナマラ国防長官
「そうです、これはタイミングの問題です、これからは我々も空爆を考えなければなりません。」

ケネディ大統領
「昨夜のフルシチョフの手紙をどう説明する、向こうは態度を変えて、攻撃に踏み切ったのか?」

マクナマラ国防長官
「わかりません」

テイラー統合参謀本部議長
「向こうは、今、攻撃すべきだと考えたのです、問題は、こちらがいつ報復すべきかです。」

EXCOMは、大統領に対して、
翌朝の28日早朝を期して、
キューバミサイル基地に対する報復攻撃を実施する事を勧告した。
それに対して、ケネディは

「ただちに報復攻撃を行う事は承認できない。しかし、明日も我が国の無防備の偵察機がキューバ側の攻撃を受けるようであれば、その時は直ちに、爆撃を開始しよう。」

アメリカ軍は戦闘準備態勢を整えた。
命令が発せられた場合、瞬時に攻撃できる状態にした。

あるB52戦略爆撃機の副機長は次のように回想している。

空中待機していた自分の機はソ連に向かった、命令があってから15分以内にソ連の基地を叩ける位置にまで進出したのである。その移動の途中、夜間大西洋上で、雲海を抜けると同時に、空が突然明るく輝きました。それは、月の光が海面に反射して空全体が輝いたように見えただけなのですが、皆一斉に「神様!とうとう始まっちまった・・・と叫びました。思わず隣の同僚と手を握り合っていました。

実はこの時、フルシチョフも現場の暴走に慌てた。
フルシチョフは激怒しキューバのソ連軍司令部に対して「2度とアメリカ偵察機に手を出すな」と命令した。

ケネディ兄弟は閣議室を抜け出した後、
別室に姿を消した。
カストロは暴発し始め、
フルシチョフにもこの流れは止めらないだろう
ホワイトハウスでも
統合参謀本部議長は、空爆の最終的な承認を求めてきている。
もはや一刻の猶予も許されない、
ケネディは最後の賭けに出た。
ケネディは弟のロバートに、極秘交渉の相手である、
ソビエトのドブルイニン大使と接触を始めるよう命じた。

19時27分、司法省にドブルイニン大使が表れた。
ロバート・ケネディ司法長官は顔面を蒼白させながら
ドブルイニン大使を迎えた。

ロバートはドブルイニンに次のように語ったとされる。

「会議の結論は報復攻撃開始でほぼ一致している。大統領が空爆強硬派を抑えられるのも時間の問題だ。このままではもはや戦争は避けられないだろう。大統領に対する圧力はこれまでにない物で、彼がこの圧力にいつまで抗しきれるかわからない、もはや一刻の猶予もならない。我々のキューバへの攻撃は、貴国にとっても苦痛を伴う物であり、貴国は必ずやヨーロッパのどこかで我々に反撃に出るであろう、そうすれば、1000万いやそれ以上の人間の命がなくなるであろう。我々もこの様な事態をのぞんではいない。大統領は、26日付けのフルシチョフ書簡が解決の適切な基盤となりうると考える。」

ドブルイニン
「トルコはどうなる」

ロバート
「もしも、その問題が、解決を阻む唯一のものであるのならば、大統領はこの問題が、克服できないような難しい問題とは考えていない。しかしこの事は絶対に極秘事項である、ワシントンでもこの事を知っているのは私たち兄弟と、多くても3人しかいない。残念ながら、時間がない、その為貴官に、国家最高機密のひとつである大統領直通電話番号をお教えしよう。」


ドブルイニンはソ連本国に電報を送るのだが、
それは手作業で暗号化する必要があった。それに時間がかなり
かかるのだ。モスクワに届くには8時間から10時間かかるのであった。その時間が問題であった。


1962年10月28日(危機13日目)~黄金の日曜日


ワシントン時間10月28日午前2時、
ドブルイニンからの暗号化された電文はメッセンジャーに手渡されたが、フルシチョフの手元に届くのは早くても、
ワシントン時間28日10時である。これでは遅すぎる。
そのような心配をしていた。


フルシチョフは自分の別荘に側近等を緊急招集し、
情勢分析と今後の対応について話し合いを始めた。

すると、電話が鳴った。
受話器を受け取ったイワノフ将軍が
フルシチョフらを驚愕させる情報をもたらした。

ケネディが
モスクワ時間28日午後5時(ワシントン時間28日午前9時)に、
緊急テレビ演説を行うと言う。そして、その放送前に
ケネディが教会に行くという。
アメリカの大統領は開戦前に教会に行く、
そのようにソ連首脳部は認識していた。

フルシチョフはケネディが戦争を決断したと考えた。
このままでは開戦となる、メッセージを伝えるにも
普通の外交ルートでは間に合わない、
そこで、モスクワ放送で英語でフルシチョフのメッセージを
伝えることにした。
ケネディが開戦演説をするとされる
モスクワ時間28日午後5時(ワシントン時間28日午前9時)
モスクワ放送から英語でフルシチョフのメッセージが伝えられた。
フルシチョフは、ホワイトハウスが聴いてくれることに懸けた。

ケネディ大統領閣下
貴殿が示したバランス感覚と、世界平和維持の為にあなたが持つ責任を理解している事に、私は満足と感謝の意を表したい。貴殿が攻撃的だと主張する武器は本当に恐ろしい武器であり、この事実に関してあなたとアメリカ国民とが懸念を持っている事を私は十分に承知をしている。あなたがたもわれわれも、共にそれがどんな武器なのかを理解している。
平和を脅かす戦いをできる限り迅速に無くす為、平和を望む人々に確信を与える為、またソ連国民と同様に平和を望んでいると確信するアメリカ国民を安心させる為、ソ連政府はキューバにおける武器基地建設工事の中止命令を出した。さらに、貴殿が攻撃的だと考える武器を撤去しソ連に持ち帰るようにとも命令した。

危機は去った。


それを聴いたホワイトハウスの高官達は
安堵の気持ちに包まれた。

この時の模様を
キューバ危機のホワイトハウス内を再現した映画「13DAYS」
で、描いている。
大統領補佐官のケネス・オドネルが、
いつものように家族と朝食の食卓を囲みながら
朝日を見つめ、涙を流していた。


バンディ大統領特別補佐官は
眠っている
ケネディ大統領を叩き起こし、危機が回避されたことを
伝えると、大統領は喜んだ。

実は、この日、ケネディはテレビ演説もすることもなかったが、
22日の大統領による海上封鎖宣言の再放送の予定があったという。
また、この日は日曜日であったが
日曜日の朝に大統領が教会に行く事は日常の習慣だった。

どうしてか、これがソ連首脳にケネディが開戦を決意して
演説を行うと誤って伝わったようだ。


このキューバ危機はマクロで見れば、
カリブ海の局地的バランスにおいても
戦略的バランスにおいても、アメリカは優越していたので、
ソ連は後退し、ミサイル撤去に応じざるえなかった。
開戦となれば、アメリカは核攻撃を受けるが、
全体の戦力から見れば、ソ連が敗北し、アメリカが勝利する
と見られていた。
これをふまえて、ソ連の撤退をもたらした
マクマナラの柔軟対応戦略は成功したと
国際政治学者であった故高坂正堯氏は見ている。

ただ、展開次第によっては
人類の存亡にかかわる全面核戦争・第3次世界大戦が
開戦された可能性もあり、危険な状態であった
ことには変わりないだろう。


 しかし、少ない情報のなか、誤解をせず適切な決定を即座に下すことの難しさ・危うさを感じた。このとき誤解による決断は命取りになる。
 アメリカ合衆国大統領ケネディとソビエト連邦最高指導者・首相フルシチョフは、心の底では全面核戦争の回避を願いつつ、国内の強硬派を納得させるための米ソ間で取引をどのようにするか、お互いに腹の底を探りながらの駆け引きが面白い。かつ、危険な駆け引きだった。

 このキューバ危機のあと、偶発的な核戦争を防止するため
米ソ首脳間にホットラインが設けられた。
また、米ソ両国が戦争をすれば共倒れになる核兵器を大量に持つ
ことによって戦争を抑止する「核抑止政策」いわゆる「恐怖の均衡」によって、米ソ間に平和を保とうとした。
 ただ、米ソが深刻な対立をすることを望まず、関係の安定を
望んでいた。その象徴として、キューバ危機の翌年に
部分的核実験禁止条約を締結した。それは米ソの和解のシンボルとして
重要だった。
 しかし、その後、アメリカ合衆国大統領ケネディはダラスで凶弾に倒れ、ソビエト連邦最高指導者・首相フルシチョフはキューバ危機が一つの伏線となり、失脚する。


キューバ危機を題材にした映画「13DAYS」のエンディングで、ケネディの実際の声が、出てきた。それは、危機から約1年後の演説内容である。それでこのメールは終わりにしたい。


「今すぐお互いの相異から起こる問題を解決することは出来ないかもしれない。しかし、お互いの相異を認め合えるような世界を作る意志を持つことは出来るはずだ。なぜなら、我々は皆この小さな星に住み、我々は皆同じ空気を吸い、我が子の行く末に幸多からんことを願い、そして皆同様に死に行くものなのだから。」

         ― アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディ―

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考情報
キューバ危機

NHKスペシャル 録音されていたキューバ危機


              


              


              


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新庄劇場完結 ~ Studium(野球場)をもうひとつのStudium(劇場)にした役者のラスト公演

2006年プロ野球日本シリーズは
日本ハムが4勝1敗で中日に勝利し、日本一になった。

今回の日本シリーズは、けっこう、
手に汗握るような感じだった。

日本ハムが守備の時、
中日のランナーを貯めてしまっても
最後は無得点か少ない失点で留める展開は
固唾を呑んで見ていた。

5回のスクイズの場面は迫力があった。
三塁ランナーが投球とともに走り出し、
金子選手がバットを必死にボールに当てに行き
スクイズをする。
ボールはゆるくピッチャーの前に転がり
川上投手がグラブですくい上げるようにして
キャッチャーにボールをトスするが、
三塁ランナーがキャッチャーを回りこむように
スライディングしながらホームベースにタッチした
光景は迫力があった。

6回裏にセギノール選手が
2ランホームランを打った時に
ファーストベースに着く前に
大きなガッツポーズのようなジェスチャーをして
その後、きちんとファーストベースを踏んで
ダイヤモンドを1週する。


そして、新庄剛志選手の最後の試合となった。
新庄選手は8回裏の最終打席は涙目になっていたが、
中日のキャッチャーの谷繁選手に
「泣くな、真っすぐしか投げないから」とつぶやいた
ようだ。

新庄選手は2回大きく空振りし、三振で最後の打席を終えた。
9回表の守備では涙を流しながら、外野に飛んでくる
ラストボールを追いかけた。それをレフトの森本選手が取り
2人は抱き合った。

そして、新庄選手が胴上げされた。

それにしても新庄選手は
「記録はイチローくんにまかせて、記憶はボク(新庄)にまかせて」
と言った通り、記憶に残る選手である。

特に私が驚いたのは、
彼が阪神にいた時の
1999年6月12日の甲子園球場での巨人戦である。
延長戦となり、3塁にランナーがいて
新庄選手の打席となった。
巨人の槙原投手は新庄選手を敬遠しようとボールを外に
投げた。
すると、なんと新庄選手がそれをバットに当てて
打ったのだ!!
平凡なショートゴロのあたりだが
巨人のショート二岡選手が
2塁ベースのカバーについていたため三遊間ががら空きになり
なんとサヨナラヒットになったのだ。
それには驚いた!!

新庄選手が、野村監督に
敬遠球を打って良いか聞いたところ、監督は
「勝手にしろ」と言ったそうだが、
実はその敬遠球を打つ練習をその前からしていたようだ。
阪神の打撃コーチであった柏原コーチとその綿密な
打ち合わせをしていたという。
(その柏原コーチは現役の日本ハム時代に敬遠球をホームラン
にした)

また、2004年オールスター第2戦の
ホームスチールだ。
私はそれをライブ中継ではくVTRでしか見なかったが、
ライブで見たかったなあと思った。
ただ、VTRでしか見ていなくても
ホームスチールをした新庄選手には驚いた。

本当に何か意外なことをして
楽しませ、魅せてくれる選手であった。

メジャーリーグ時代に彼のエンターテイナー性から
「SHINJO」と「JOY」をあわせた「SHINJOY」と呼ばれた。

そのエンターテイナー新庄剛志は
Studium(野球場)をもうひとつのStudium(劇場)に
した男であった。


そして、昨日、
エンターテイナー新庄剛志は
日本一という有終の美を持って、
ラスト公演を終え、新庄劇場は完結した。




公立高校の必修科目が未履修問題で思うこと

全国各地の公私立高で、
受験科目を優先するあまり必修科目が履修されていない
状況が明らかになったが、

私も大学受験は
私立文系型で、国語・英語・日本史のみ
だったので、
それ以外の科目の勉強についてはウワの空という感じ
だった。

今にして思えば、もっと理数系のこと
世界史のことをもっときちんとやっておけば良かったと
思いますね。
理数系の論理的科学的思考というのは
仕事や物事をきちんと推察するうえで大事だからである。

また、今の日本の社会の仕組みというのは西欧で生まれた
近代社会のシステムを導入しているが、
それがどうしてできたかとなれば、
世界史の知識がなければわからない。

しかし、どうしても高校生の時は
目先の大学受験の合格だけに集中したく
それ以外の科目についてはあまりしたくなくなるのは
本音だ。

それは大学生という身分を得たいと思うからである。
身分を得てない状況では不安なので、
とにかくその身分を得れるようにそのためだけのことに
集中させてくれと思ってしまう。

ただ、人生の長い目で見れば、
受験科目以外のことが大事になってくる。

といっても、今の日本の受験風土では
また同じような出来事は発生してきそうな感じがする。
親も含め、とにかく大学さへ、特にブランド力のある
大学さへ入れば良いという発想がある。
ただ、彼らがどのような教養を身につけているかどうかは
あまり関心がないのかもしれない。ただ、大学さへ
入ればと。

まあ、今の日本の受験風土では受験科目とそれ以外のことを
履修していくにあたって、
週休1日制に戻して、高校3年生の1学期までに
履修科目を終えるようにして、残りを受験や就職の
進路対策に時間を当てるというふうにするとか。

それにしても、有名大学に入ってくる人が
きちんと歴史の勉強をしていなければ、
有名大学を出て、それなりの有名企業やマスコミや
官僚になっても、
マスコミが垂れ流す歴史認識のみをそのまま鵜呑みに
してしまうことになるだろうなあとふと思った。





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政治家の不倫について ~ 日本とフランス ~政治家の評価の基準は?

既婚者であり、民主党所属の衆議院議員の細野豪志氏が、
ニュース23でキャスターをしていた山本モナさんと
不倫していて、そのキスシーンを取られて騒動となり、
山本モナさんがニュース23を降板して、
細野氏が議員辞職すべきだという意見がある。

私は、議員辞職する必要はないと考えている。

不倫行為による影響は、基本的に細野氏の家庭だけに留まる問題であり、政治家としての職務などとは基本的に関係ないと
思うからだ。

不倫をした細野議員が議員にふわわしくないと判断するなら
彼の選挙区の有権者が彼に投票しなければいいだけのことだ。

フランスのミッテラン大統領には
愛人との間に娘がいた。
そのことは、関係者の間では公然の秘密であり、
ミッテラン大統領自身も1984年の段階で記者たちに認めていた(「ええ、娘がいますよ。それで?」とミッテランは言ったという)。
また、ミッテラン大統領は愛人と娘をエリゼ宮マスコミはそれを報じることはなかった。

「パリ・マッチ」というゴシップ誌が1994年、婚外子の存在について報じた。ただしそれは、批判的なものではなく、婚姻外の大学生になった娘を連れて堂々と外食をする「大統領の勇気」を
称える内容だった。
国民の間でも知られることになったが、
スキャンダルとしては受け取られなかった。
フランスでは男女の問題はあくまで私生活であり、公的な世界とは無関係とみなしているからである。
その婚姻外の大学生になった娘を連れて堂々と外食をする「大統領の勇気」に対して、国民からはむしろ好意を持って受け止められた。


そして、彼が亡くなった時、彼の葬儀において、
ミッテラン氏の夫人と子どもたちとの横に、
愛人親子が座り悲嘆にくれていた。

その愛人席は1人だけではなかった。
なんと、ミッテラン氏には50人の愛人がいたというのだ。
彼が亡くなった後、
彼が葬儀における愛人たちの席順を決めていたことが報じられた。
「さすがミッテラン、人を幸せにする力のある男だ」と、
人気が急上昇したという。

政治家とは、不倫をしようがしまいが、どれだけ
多くの国民を幸せにできるかで評価が決まると
私は考える。

政治家が不倫をしたという理由で政治家を辞めなければ
ならないとなれば、ローマ帝国の英雄カエサルなんて
政治家をすぐにやめなければならなかっただろう。


ただ、現代の日本において、
不倫をして離婚となった場合、民法上不法行為と
みなされ、慰謝料を支払うことになる。

また、韓国では不倫は姦通罪という刑法犯となっており、
不倫をした有名女優が姦通罪で逮捕され
手錠・腰縄姿で連行されるところを晒し者にされた。


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A Lover's Concerto ~オリジナルの「Toys」より、カバーの「Sarah Vaughan」が有名になったわけ

今日の午後、職場で
FM802を聞いていると

♪~How gentle is the rain
  That falls softly on the meadow~♪

とSarah Vaughan(サラ・ヴォーン )が歌う
A Lover's Concerto"(ラヴァーズ・コンチェルト)が
聞こえてきた。
昨年の月9ドラマTVドラマ「不機嫌なジーン」
で聞いた方もいると思う。


http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1760258で、試聴できます(PCのみ)

この曲はもともと
「メヌエット(アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア曲集より)」をもとに作曲された。

Sarah VaughanのA Lover's Concertoは
実はカバーバージョンである。
1966年にSarah Vaughanがこの曲をリリースした前年に
Toysという女性3人組のユニットが歌っていたが、
そのToysがオリジナルである。
実は、Sarah Vaughanの方はBillboardで最高位が63位
に過ぎなかったが、
Toysの方は、Billboardで3週連続2位と
ヒットしていのだ。

しかし、日本ではSarah Vaughanの方が有名である。

その理由はPOP&ROCK★懐かしの60年代70年代から、そのまま引用すると

トーイズの原盤がDyno Voiceと言うマイナーレーベルであったため、日本では発売がアメリカのヒットより半年以上遅れてカバー版の発売時期と重なり、しかも約3年で廃盤になったまま全く再発売されなかったため、トーイズは忘れ去られ、継続して発売されていたサラ・ヴォーンのヒット曲として定着しまいました。


というのである。
Toysの方は
http://www.hmv.co.jp/Product/Detail.asp?sku=948476で、試聴できる。(PCのみ)

Sarah Vaughanとは少し違った感じがする。

A Lover's Concertoは、その後
様々なアーティストにカバーされている。
例えば、桑田佳祐の「月」のカップリングでカバーされている。



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食堂~食べる事も修行

大きな会社や学校などで
食事をするスペースとして
「食堂」が設けられている。

その「食堂」という言葉はもともと仏教語である。

仏教の寺院には「七堂伽藍」と称される
7つの建物がある。

塔 (とう)、講堂 (こうどう)、金堂 (こんどう)、
経蔵(きょうぞう)僧房(そうぼう)、
鐘楼(しょうろう)
そして、僧侶が食事をする寺のお堂のことを
「食堂(じきどう)」と呼ぶ。

「食べる」という行動そのものが僧侶にとっては修行となる。
「食堂(じきどう)」における
食事では、音を立てず話もせず静かに食べるのが作法である。

そのように食事作法を教わり身につけることで、
心から賞味しつつ食物への感謝を抱き
食事を通して自己を磨く修行をする場であるので
「堂」とつくのである。

その寺院の「食堂(じきどう)」が一般社会でも
食事をする場として用いられるようになったが、
一般社会では賑やかにおしゃべりしながら食べる光景が
普通であるが、食事をしながら人々と言葉を交わし
おいしく食べ物をいただけることに
感謝の念をいだけるようにしたいですね。

そのために「いただきます」という食事を取るときに
言う事は本来の「食堂」の意味を表すことになるかもしれない。

そう言えば、こんなことを耳にした
ファミレスであるお母さんが
自分の幼子が
「いただきます」
と言ったことに対して
「お金を出して食べているのだから、いただきますは言わなくていい」
と言っていたという話をきいた。

その話をきいて、何かむなしいものを感じますね。

お金を払うのは、食べ物を作っていただいた対価であり、
ある意味、お礼の意味が含まれているのかもしれない。

食べるために
また、食べ物を作ってくれた農家の方々、
また、食べ物は日本だけでなく海外から運ばれてきている
その海外の農家の方々、また、運んで来てくれた方々、
いろいろな方々の手を借りているのである。
また、調理に火を使うが、そのガスは海外から持って来ている。

食べるときに「いただきます」ということで
自分が食べる事はできるのは、
自分だけでなく多くの方々のおかげであり、
また、日本においては、世界各国とのつながりが
あるおかげである
そのようなことを認識し、
食物に対する感謝の念をいだく機会になると思う。
そのようなことを「食堂」の語源をたどって
思うのであった。

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10月~本当に神様の無い月なのか?Octoberの「Oct」は「8」なのに、どうして10月なの?

10月は旧暦の名前では「神無月」
と呼ばれる。

どうして、神無月と呼ばれるかとなれば、
出雲神社に全国の神々が集まるから、その間は
神様がいなくなるからとよく言われるが
藤原清輔の「奧義抄」には「天の下のもろもろの神、出雲国に行きて、この国に神なきゆえにかみなし月といふを誤れり」と
書いてあるように
それは中世以降広まった俗説だとされる。


神様自体、分霊(祀)といい、分身できると
されている。つまり、出雲へは、その分霊が
出向いているので、その神の本体はその地に留まっているのだ。

そうなれば、神無月の語源はどうなるか
いくつか説がある。

神無月の「無」は
「な」は格助詞で「神の月」の「の」意であり、
つまり「神の月」である。

この月は、農作物が収穫される時期であり、
収穫を感謝する神祭りの月であるという説がある。

また、
「醸成月(かみなんづき)」 新穀で新酒を醸す月
「神嘗月(かんなめづき)」新嘗(にいなめ)の準備をする月

が語源とする説がある。
それは、
翌月に行われる新嘗祭の準備として、
新米でお酒を醸「かも」す月から「醸成月(かみなんづき)」が
「神無月」になったという説である。

他には、雷があまり鳴らなくなる時期であるから
雷の無い月が転じて、神無月になったという説がある。
もし、これから、神のいない月としての神無月という
意味も出てくるのではなかろうか?

それは、雷は神様が鳴らすものと考えられたがゆえに
「神鳴り」が
雷の語源になっていることから連想するからだ。

 参考 雷は神の意思表示?


10月は英語では
「October」であるが、これは8番目の月を意味している。
例えば、8本足の蛸は英語で「octopus」と表現されているように
もともとは「oct」は「8」を意味しているものである。
それが
どうして10月になったのか?


暦はローマ帝国の時代に作られたが、
もともと月は1月から10月までしかなく、
現在の3月のMarchが1月にあたっていた。
それまでは、太陰暦を使用していた。
紀元前710年ごろまで
ロムルス・レムス暦という太陰暦を使用していて、
その暦では、1年をMarutius(現在の3月)
からDecember(デセンベル 現在の12月)までの
10ヵ月304日として、残りの余った日々を
「死の季節」とした。

紀元前710年以降は、太陰暦のヌマ暦が採用され、
「死の季節」を2分割したのが、
ローマ神話の守護神ヤヌス(Janus)にちなんで「Januarius」
「清めの祭礼」を意味する語 (Februa)にちなんで「 Februarius」
としていた。

そして、8番目の月を8番目の月として
「October」としていた。

そして、紀元前46年、
ユリウス・カエサルの治世になり、
カエサルは完全な太陽暦の暦を採用するに
あたって、

1年の最後の方の「死の季節」に
ローマ神話の守護神ヤヌス(Janus)にちなんで
命名された「Januarius」が用いられていることに対して

「Januarius」が最後の方になっているのは、
神に対して失礼だ、という事で「Januarius」を
1年の初めとし、そして Februarius」を2月にした。
そのため、
もともと1番目の月であった
「Marutius」が3番目の月になったのであった。

それまでの月の順番が2つずつ後ろにずれたので、
もともと8番目の月であり「8番目の月」を意味していた
「October」が10番目の月となった。
それゆえに、10月が「October」になったのである。

ちなみに、それまでの5月であった「Quintilis」が7月に
それまでの6月であった「Sextilis」が8月に
なったのであるが、

その2つの月はとある2名の人物の存在によって
名前がかわってしまっている。

それについては、このブログの

7月~日本で文を綴る月は、西洋では英雄の月である

葉月の8月~ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスのおかげで、夏休みが1日増えた!!

に書いています。




 

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一葉落ちて天下の秋を知る

秋も深まる11月過ぎになってくると
木の葉も落葉するが、

そのことにまつわり
「一葉落ちて天下の秋を知る」という
言葉がある。

これは、古代中国の前漢の
淮南王(わいなんおう)であった劉安が著した『淮南子』に

「一葉(いちよう)落つるを見て。歳の将(まさ)に暮れんとするを知り、瓶中の氷を睹(み)て、天下の寒きを知る」

ということから、
小さな現象から大きな根本を知るという意味であったが、
やがて、

小さな兆候から、先々の凋落・衰亡が予想できる
という意味になってきた。


ささやかな出来事から、マクロなことを知るように
洞察力を養っていきたいですね。

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ナイショ~もともとは、心のうちで悟りを得た証明という意味だった!!

親しき友人が何かの悩み事を相談してくるとき
「このことはナイショにしておいて」
と言われたかたがいると思うが、

その「ナイショ」は「内緒」と書くが、
それは、もともとは仏教用語である「内証」が
転じて使われるようになった言葉である。

仏教で
内心で、真理の悟りを得たことを
古代サンスクリット語で
「pratya-ma adhigamana」と表現し、
それを漢訳する時に、
「心の内に証(あきらか)になった真理」
ということで「内証」と書いた。

それがどうしてかわからないが、
内々の外からわからない秘め事という意味に使われるように
なった。
もともと「内証」は
心の内側ということで、他人にはわからないことなので、
その「内」という部分が強調されて使われて、
内々の秘密の話しとしての意味になったのかもしれない。
また、「内緒」の「緒」は当て字である。

ちなみに仏教では「内証」に対して
内証に基づいて外に表現される行為を「外用」
と表現される。




テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


WON’T BE LONG ~ 阿波踊りをモチーフに作曲された名曲をエロカッコイイ女性が歌う

昨日の19時過ぎ、
会社で帰宅準備をしながら、FM802を聞いていると

♪~OLY OLY OLY OH! YELY YELY YELY YEAH!!
 THE UP. TOWN TOKIO,SLAMIN' NIGHT!!~♪

と「WON’T BE LONG」がOn Air されていた。

お~、懐かしい!!

この曲は1990年に発売されたが、
1991年~1992年にかけて大ヒットして、
ミリオンセラーになった曲である。

1991年は
私が高校3年生であり、大学受験の勉強に
励んでいたころの曲に思わず聞き入った。

この曲はBubble Gum Brothers(バブルガムブラザーズ)
のBro.KORNが徳島県の阿波踊りをモチーフに
作曲した曲である。

よく、耳にすると女性の歌声が聞こえる
倖田來未とEXILEのデュエット曲であった。
それは11月22日に発売されるが、
今の10代後半~20代前半の方々で
今まで「WON’T BE LONG」を知らなくても、
倖田來未とEXILEを通じて知る事になるのだろうなあと
思った。



               

               


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日本が非核三原則を維持するか、核武装するかはともかく、核武装についての議論はできるようにすべき

自民党の中川政調会長が、
北朝鮮の核実験に対して

日本が核武装するかどうかについて
議論する必要があるという主旨の発言に
したことに関して、
反発があるが、
私は日本が核武装するかしないかは別にして
議論はしても良いと考える。

議論をすることで
日本の安全保障環境がどのような状態にあり、
日本は核武装すべきか、すべきでないかについての
認識が深まることにつながると思うからだ。


核武装を支持する意見としては、
北朝鮮だけでなく、中国とロシアは既得権のある
核保有国である。

もし、アメリカの国力が衰退して、アメリカが
日本の安全保障に関与できなくなった時、
中露の核から安全を保障するには
日本は核抑止力を持たざるえないという意見である。

それに対しては、
田中字氏は
自身のメールマガジンの
多極化と日本(1)

 日本が核武装するとしたら、その場合の仮想敵は、中国やロシアであるが、いずれも国土が日本よりはるかに広大である。中国と日本が核戦争して互いに5発ずつの核ミサイルを相手に撃ち込んだ場合、中国は、首都圏に3発、関西に2発を落とせば、日本を国家として機能停止させられるが、日本が北京や上海などの主要都市に5発を落としても、無傷の大都市がいくつも残り、中国は国家として生き延びられる。

 ロシアとの核戦争の場合、1981年の自衛隊の研究によると、日本では2500万人が死ぬが、ロシアは人口の希薄な極東で100万人が死ぬだけである。国土が狭い日本は、広大な中国やロシアと核戦争しても不利になる。核兵器を持つことが戦争を防ぐことにつながるという「核の抑止力」の考え方は、アメリカとロシアなど、国土の広い国どうしが対峙している時にのみ有効である。だから、日本は自前の核兵器を持つより、アメリカという強くて広大な国の核の傘の下に入っていた方が有効なのだ、という分析が最近、アジアタイムスに出ていた。(


日本が核武装しても中露に比べて国土の狭さゆえに抑止力に
ならないという意見を紹介していた。

また、日本が核武装してしまうと
唯一の被爆国で非核三原則をもつという
国際社会におけるソフトパワーが減退してしまう。
日本は核武装せず、世界に経済的に人的に大きく
貢献して、日本を攻撃したら世界が許さないという
外交をしていくべき
という意見もある。

一方で、そうなっても、もし、
国際的に地位を得た日本を
屈服させることができたら、
その日本を梃子に世界を振り回すことができると
考え、核保有国は日本を脅してくる。
だから、そうならないためにも
核保有は必要という意見が出てくるかもしれない。

またまた、一方で、
日本が核武装したら、
経済制裁などで日本は経済活動がまわらなくなる
という見方もあるが、世界第2位の経済大国と
世界は手を切ることはできないので、
経済制裁はできないという見方もある。


そのように
核武装をするかしないかの議論をすることで
日本が置かれた状況が見え、
日本国民がそれを認識することになると
思うので、
ただ、観念的に核武装論や非核三原則を
言うよりは、現実的な振舞い方をどうするかに
ついてのマシな世論が形成されると思う。






テーマ:北朝鮮核実験実施 - ジャンル:政治・経済


図星~的の真ん中の点を狙って、的中させるが如し

誰か何かを考えていることを当てたりすることを
「図星」という。

これは、弓道に由来する。弓道は的に矢を当てるのだが、
その的は現在は霞的が主流だが、
かつては「星的(ほしまと)」がよく使われていた。

その星的の真ん中に描かれている点が
「図星」という。

その図星を狙って矢を放って当てることから派生して
相手が心の中で思っていることを当てるという意味で
使われるようになった。

テーマ:語源 - ジャンル:学問・文化・芸術


北朝鮮は船舶検査に抵抗しないのか?それとも抵抗するのか?

北朝鮮核実験とその後の船舶検査を含む
国連安保理の制裁を受けて、
その後の展開に関する予想
いろいろ専門家やブロガーの見方をいろいろ
チェックしていた。
そのうちの2つの見方を紹介する。

「北朝鮮が戦争を恐れ、船舶検査に応じる」
「対米直接交渉に持ち込むため、北朝鮮は船舶検査で武力衝突を起こす」


「北朝鮮が戦争を恐れ、船舶検査に応じる」
に関しては軍事ジャーナリストの神浦元彰氏の 

最新情報の10月14日によると

国連安保理で制裁に臨検が採決されても、北朝鮮は臨検には抵抗するなと船員に厳しく命じると思う。北朝鮮船員の反抗(抵抗)や命令無視は、軍事行動が許される国連憲章第42条の軍事行使につながるからである。「制裁は宣戦布告とみなす」といっても、中国やロシアを含んだ国連相手に、北朝鮮が戦争をできるわけがないのだ。

とコメントしていて、北朝鮮が戦争を恐れ、船舶検査に抵抗しないだろうと見ている。

一方で、政治関係のブログで有名な
「世に倦む日日」の
核実験を偽装と推定する三つの判断根拠 - 「臨検」と「船舶検査」
において、

北朝鮮が偽装の核実験を敢えてやった理由は、早く米国との二国間協議に持ち込むために、日本海で国連軍の臨検をやらせ、紛争を起こして交戦状態に入るためだろう。二国間協議を急いでいる。二年後には米大統領選があって、政権交代で米朝関係が急展開する可能性もあるのだが、そこまで待てない急を要する事情があるのだろう。
(中略)
核実験を偽装で行ったとすれば、金正日は追い詰められている。時間の猶予を持っていない。米国には時間の拘束条件がない。だが、「戦争を仕掛ける」主導権は北朝鮮が持っていて、米国を戦争か譲歩かの二者択一に立たせるべく、あらゆる挑発行為に出ることができる。


と船舶検査で何らかの武力衝突が発生し、交戦状態になると見ている。

私は今後どのような展開になるかわからない。
まったく、武力衝突が発生しないで何かの解決に向かうのか、
船舶検査で武力衝突が発生。その衝突がそこだけに留まるのか
全面戦争に発展するのか、
どうなるかわからない。

アメリカが、戦争になれば、韓国・日本に被害が発生することを
憂慮し、簡単に北朝鮮攻撃をすることはできないので、
戦争にはならないという見方はある。

ただ、もし、失うものがあまりなくなってきた
北朝鮮が戦争覚悟でアメリカと対峙しているとすれば、
不測の事態が発生するこもあるかもしれない。

そのような状況であるが、日本には
何か緊迫感のようなものがないなあと思う。

今回の国連安保理による制裁発動とそれによる船舶検査が
行われた場合、どうなるか。
軍事衝突が発生しないで今回の危機が終わる可能性もある。
一方で、戦争になる可能性もある。
そうであれば、最悪の事態にどう対処するか
国民に認識させ覚悟をしてもらう必要があるのに、
政府からのそれに対する説明がないし、マスコミで
そのことについてあまり語られていない感じがする。


マスコミ報道やそれを見ている世間ではそれほど緊迫感を
感じないが、
米軍の動きや日本政府の動きについて
どこまで事実かわからないが、
やはり、緊張度が高まりつつあるのかあという
情報もありますね。

もし、戦争にならないまま時間が経つとすれば、
ひとつのシナリオとして
昨日、テレビで独立総合研究所の
青山繁晴氏が
米中の間で、金正日を除外した政権を北朝鮮に樹立させる
合意があり、反金正日クーデターの動きを北朝鮮で
引き起こし、中国が金正日を亡命先として受け入れるという
シナリオがあると言っていた。

それもあるなと思うが、そのシナリオを察知している
金正日がそれを嫌がり、
アメリカに、戦争覚悟で、戦争か譲歩を迫り、
船舶検査で交戦状態になることもあるかなとも感じる。











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ネコババ~ネコがババすると砂で隠して素知らぬ顔で去っていく

落ちているもの、例えば1000円札などを拾って
そのまま自分のものにすることを
ネコババ(猫糞)という。
ネコババの「ババ」は「糞」のことである。

その語源は
猫は習性として、糞などの排泄物を出した後、
後ろ足で砂をかけて隠し、
素知らぬ顔で去っていく様子と
落ちているものを拾っていくような悪い事をしても
素知らぬ顔をして去っていく様子が重なることから
近世以降、そのようになったという。


ちなみに猫糞は
刑法第254条において「占有離脱物横領罪」 と規定されている。

「遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、1年以下の懲役又は10万円以下の罰金若しくは科料に処する」

となっている。
つまり、猫糞は犯罪なのである。





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奥床しい~奥にあるものに心ひかれて、行ってみたい

上品でお淑やかな女性を見ると
「奥床しい」ものを感じるが、

その「奥床しい」という言葉の
「床しい」は、「行く」の形容詞化したものである。

「奥床しい」の本義は、
奥にあるものに心ひかれ、見たい、聞きたい、
奥が知りたい
それゆえに
「そちらに行ってみたい」という気持ちになる
ということである。

奥にあるものに心ひかれるということから
そこから深い心づかいが感じられて心が引かれる、
上品で深みがあるという意味になってきた。










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Bye Bye My Love~ラストのサビ3timesがこの曲を名曲している

昨日
阪神タイガースの片岡篤史内野手の引退セレモニーが
行われ、そして、片岡選手がグランドを1週する時に
彼のテーマ曲である
サザンオールスターズの「Bye Bye My Love」が
流されていた。

私はサザンオールスターズの「Bye Bye My Love」は
サザンで4番目に好きな曲である。

この曲は1985年5月29日に発売され、
そして、私がサザンの最高傑作のアルバムだと思う
「Kamakura」に収録されている。


頭出しの

♪~華やかな女が通る まぼろしの世界は
  陽に灼けた少女のように 身も心も溶ける~♪


のところからとても良い。

そして、
歌詞で印象に残る部分は

♪~悲しみの雨が降る この街のどこかで
  人々が眠る頃 俺は泣きつづける~♪


という部分である。
「人々が眠る頃 俺は泣きつづける」というのは
寝静まった深夜に1人泣いている光景が
強く印象づけられる良い表現であるなあと思う。

そして、

最後にサビが3回繰り返されるところがあるが、
それが
この曲の最もヤマバの部分である

1 Oh, Oh, いいことだよね You are the one
  You are the love You are the world
  遥か遠くに女晴れ いいもんだよ To me

2 Oh, Oh, いいことだよね You are the one
  You are the love You are the world
  我はカモメ 恋に鳴く Yes, you belong to me

3 Oh, Oh, いいことだよね You are the one
  You are the love You are the world
  遥か遠くに女晴れ いいもんだよ To me

  Oh, yeah! Bye Bye My Love


この「2」の

  Oh, Oh, いいことだよね You are the one
  You are the love You are the world

は「1」よりも少しだけ調子を強くして
特に「2」の「You are the world」は特に強く大きな声で
ややシャウトぎみで歌い、
力強さが伝わっている。


そして、
最後の「3」の

  Oh, Oh, いいことだよね You are the one
  You are the love You are the world
  遥か遠くに女晴れ いいもんだよ To me

では、「2」と打って変わって、ドラムの音が消え
ギターなどで少し音を加えるくらいでやや落ち着いて
少しスローテンポになり、優しく語り掛ける感じで
歌う。

そして、最後で

Oh, yeah! Bye Bye My Love~~~~

と桑田がかなり力強く
おもいっきり伸びてシャウトする。

このラスト部分はフアンでもとても評価が高い。


Bye Bye My Loveは
頭出しからとても良い曲だが
最後にサビを
メロディの調子を変えて、
3回繰り返し、
最後に桑田がおもいっきり伸びてシャウトすることで
この曲に締まって
いっそう、良い曲にしている。
この部分が
「Bye Bye My Love」を名曲にしているところだと感じる。


YOU TUBE
サザン・オールスターズ LIVE「BYE BYE MY LOVE」
https://www.youtube.com/watch?v=zjD0KIVTVSI


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何かの「冥利」につきる喜びは、神様・仏様が授けてくれたもの

自分が主に取り組んでいることがらで
成果が出たり、評価されたりすると
「○○冥利につきる」
という表現がなされる。

この「冥利」というのは
もともとは
神仏が知らず知らずのうちに与える恩恵・ご利益
という意味があり、もともとは仏教語であった。

「冥利」の「冥」という漢字は、

ある場所の光が入るところを両手でおさえて
幕をかける様子を表すことから
「暗さ」を意味している。

「暗い」ということは目に見えない。
そして、世の中は、運命など何か目に見えない原理で
動いているように思えるが、
その目に見えない原理を
神仏の作用と重ね合わせて意味するようになった。


そして、思わず御利益は
目に見えない神仏が授けてくれたものとして
冥利と言うようになったのだろう。


どうして、そのことから
成果が出たり、評価されたりすると
「○○冥利につきる」
と言われるようになったかは定かではないが、
自分が一生懸命していたことで
思わぬ喜びの結果がもたらされたときに
使うようになったからではなかろうかと
想像する。




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核を持った北朝鮮と東アジアの情勢は?

北朝鮮が核実験を行って
今後の展開がどうなるか様々な予想があります。


いずれ、
アメリカによる北朝鮮に対するピンポイント爆撃
の可能性もあるかもしれませんが、
そう簡単にその軍事オプションは取りにくい
かもしれません。

それは、韓国と日本が人質になっているからです。

アメリカが北朝鮮の軍事施設に爆撃を行えば、
朝鮮半島の北緯38度線の休戦ラインに
ある北朝鮮の重砲がソウルに向けて
雨あられの如く、降り注ぐでしょう。

そして、日本にはミサイルが飛んでくるでしょう。

それゆえに、そう簡単にアメリカ軍による
攻撃は行えないという見方があります。


そうなれば、北朝鮮が核兵器を持っている状態で
日米と北朝鮮が対峙する状態が数年以上にわたって
継続することもありえます。
そうなれば、日本にMDなどを売りつけることができる
アメリカの軍需産業は大喜びになりそうだなあ。


国連安保理の制裁によって、
米軍だけでなく、日本による北朝鮮から出入りする船舶に
対する臨検が行わた場合、
臨検に対して、北朝鮮がどのような対応を取るのか
北朝鮮と海上での戦闘があるのか、ないのか、
もし、臨検で戦闘になっても
一気に大規模戦闘になることは、
互いに、その結果背負う事になるリスクは高いので
ならないかもしれません。

制裁である種の兵糧攻めを北朝鮮にしていく事になる
と思いますが、水害などで食料生産量ががた落ちしたと
言われる北朝鮮はこの冬を越す事ができるのか?

兵糧攻めで追い詰められたゆえに、
かつての日本が日米開戦に踏み切ったりましたが、
そのような行動を
北朝鮮は取るのか?

北朝鮮の核兵器保有で日米が軍事力を増強することは
中国は嫌がるでしょう。中国は、核兵器を持つ
金正日政権を除外するオプションを取るかもしれません。

そうなれば、中国は北朝鮮内の親中勢力にクーデターを
起こさせて、核兵器を持たない親中政権を構築するという
シナリオもあるかもしれません。

それが最も被害が少ない解決策かもしれません。






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北朝鮮の核実験~今後はどうなるのだろうか?

北朝鮮が
核実験を行ったと発表した。

日米が国連安保理に国連憲章第7章に基づく
制裁決議案を提示している。

そのなかには臨検が含まれている。

臨検は、制裁対象国の輸送船の中に立ち入り
輸出入禁止物が船に積んでいないかどうか検査する
ことであるが、対象船が逃亡・妨害をした場合
物理的強制力を行使することもある。

これに日本が参加したとして、
臨検の妨害を北朝鮮が軍艦などを用いて実施した場合
武力衝突になることも考えられる。

それがエスカレーションした場合、
日本に対してミサイルを撃ち込んでくる事態になる
こともあるのだろうか?

ミサイルに核兵器搭載技術がなくても、
放射性物質を積んで、放射能汚染を引き起こす
ダーティバンブみたいな攻撃をしてくるのだろうか?


このまま軍事衝突も発生せず、
北朝鮮が経済が困窮しているなか、せっせと核兵器製造を
続け、アメリカも下手に攻撃できない状況まで
なってしまい、核兵器を持つ北朝鮮に日本が脅され続ける
日々になってしまうのだろうか?

北朝鮮が国際社会からの経済制裁などで、
経済的困窮により自壊してしまうのだろうか?

もしかしたら、中国が北朝鮮の反金正日勢力を
けしかけて、クーデターを引き起こさせるように
もっていくのだろうか?


今後、どのような展開が見られるかはわからない。
ただ、国連憲章第7章による制裁を日本が求めているが
最後は戦争になることもあるかもしれないという
認識をどれだけ日本国民が抱いているのだろうか?

そんなこんなといろいろ思いつく限りを書いてみたが、
いろいろな観点の情報を紹介していくことになると
思う。
今後の展開を歴史の目撃者の如く注視していきたい。




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一連托生~同じ蓮の花の上に生命を托す相手を間違うと大変

一蓮托生という四字熟語がある。

意味は
「最後まで行動や運命をともにすること」である。

死後、極楽浄土で同じ蓮の花の上に生命を托す
ことを表していて、

仏教から生まれた言葉である。



最後まで行動や運命をともにする
ということで思い出すのは
日米関係である。

日米関係は安全保障上・経済上の関係から
重要な関係であるが、
最近、アメリカのブッシュ政権の稚拙な外交に
よって、アメリカの世界的な威信が下がってきており
中東イスラム諸国の親米政権も
イランのようなイスラム革命が発生する可能性があり
一気に反米になる可能性がある。


また、欧州・ロシア・中国・インドと
アメリカ以外の勢力がアメリカと一歩距離をおくような
姿勢をとっている。

世界最大の債務国であるアメリカはアフガン戦争・イラク戦争の
戦後処理につまづいており、多額の長期的な出費などが致命的な
経済の失速につながる可能性もある。

そうなれば、アメリカがこける可能性もあり
日本がアメリカと一蓮托生のように行動するのは
得策ではないのではないかと感じる







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日本の独創性の高さの証し?~イグ・ノーベル賞大国ニッポン!!

10月5日
ハーバード大学で
「人々を笑わせ、考えさせてくれた研究」に贈られる
第16回イグノーベル賞の授与式が行われた。

イグノーベル賞は1991年
ハーバード大系の科学雑誌「ありそうもない研究」の編集者
マーク・エイブラハムズ氏が創設。

物理学賞、医学賞、平和賞など10部門ある。

今年も思わず、笑ってしまいそうな研究が受賞していた

例えば、
音響学賞
「爪(つめ)で黒板をひっかいた時に発生する音が嫌われる理由についての実験」
黒板を爪でひっかいた時の音が、どうしてこれほどまで、全世界中で嫌がられるのかを研究したという。

数学賞
「グループ写真で誰も目を閉じていない写真を撮るために必要な撮影回数の計算」


医学賞
「直腸刺激による、しつこく続くしゃっくりの停止」


など他にもいろいろへえそんなこと研究してんの!
と言いたくなるような研究にイグノーベル賞が与えられている。

日本はイグ・ノーベル賞大国で、
日本人が関係した受賞は11件に上り、
イグ・ノーベル賞受賞者数はイギリスなどとともに
世界トップクラスである。


いくつか事例をあげると


1992年 薬楽賞 資生堂研究センター 
「足の悪臭の原因となる化学物質の解明」
特に「自分の足が臭いと思っている人の足は臭く、思っていない人のは臭くない」という結論に対して

1995年 心理学賞  渡辺茂ら(慶応義塾大学)
ハトの絵画弁別(ハトを訓練してピカソとモネの絵を区別できるようにした)功績



1997年 経済学賞  舞田あき(バンダイ) 横井昭宏(ウィズ)
バーチャルペット(たまごっち)の開発によりバーチャルペットへの労働時間を費やさせた功績

1999年 化学賞 牧野武 (セーフティ探偵社)
妻や夫の下着に適用して精液の跡を発見できる浮気検出スプレーの開発

2002年 平和賞
佐藤慶太(タカラ社社長)鈴木松美(日本音響研究所)
小暮規夫(獣医学博士)
コンピュータによって自動的にイヌ語をヒト語に翻訳する機械「バウリンガル」を発明し、種のあいだの平和と調和を促進したことに対して。


2003年 化学賞 広瀬幸雄 教授(金沢大学)
ハトの関心を惹きつけることに失敗し続ける銅像の化学的研究に対して。 (銅像に鳥が寄りつかないことをヒントに、カラスを撃退できる合金開発)

この銅像は兼六園にある日本武尊像。日本最古級の銅像だが、鋳造当時の技術的制約により、大量の砒素を使って製造されたため、ハトが寄らず糞害から免れていた。この現象を利用して、人間や自然界にまったく影響を与えない程度の砒素を含んだタイルなどを制作し、鳥害防止に役立てることが期待される。



2004年 平和賞 井上大佑(有限会社イノウエ)
カラオケを発明し、人々に互いに寛容になる新しい手段を提供した功績

*井上氏は1999年アメリカの週刊誌「タイム」において、「今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人」に、ガンジー、毛沢東、昭和天皇らとともに選ばらている。

ちなみに井上氏は私と同じ西宮市在住。西宮市に世界的大発明を
した人がいるのかあとふと思った。

井上氏が30歳の時の1970年
神戸市の酒場でキーボードを演奏していた井上氏
「人間カラオケ」の名人であった。
歌がへたな客でも気持ちよく歌わせると評判の伴奏者であった。
ある日、
客のひとりから社員宴会で歌いたいので同行してほしいとたのまれたのだ。
しかし、仕事の都合で行けなかったので、代わりに伴奏音楽をテープに入れて持たせた。それがカラオケ機発想の原点。 知り合いの技術者に依頼し、3カ月かけてマイク、エコー付きのカラオケ機を完成した。

やがて、この発明は世界に広がり
「KARAOKE」は世界共通語となった。



そんなこんなで、日本人って
浮気発見スプレーを開発したり、カラオケを開発したりと
けっこう、独創的は捨てたモンじゃない(笑)と思った。

このような独創性をアメリカ人でなく
日本で取り上げるようにもして欲しいとおもうが、
イグノーベル賞の審査員に日本人がいるようである。



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母子自転車3人乗りの事故の悲劇

昨日、職場のある京都市の阪急電鉄河原町駅から
帰宅しようと思い、改札口にある
先発・次発などの電光掲示板にいつもは表示されているはずの
時刻が表示されていなかった。
そして、ホームに下りると

「人身障害のため電車が遅れております」

わたしは「あ~、誰か轢かれたのか」と思った。

そして、他の方々はホームで遅れてきた電車をまっていた。

私はどのような事故が発生したのかなと思いつつ、
十三駅で京都線から神戸線に乗り換える時に
いつもならゆったり歩いていけるが、
走らないといけないなあと思っていた。

そんな感じであったが、どのような事故が発生したのだろうと
思って、ネットでニュースを見ていたら
悲惨な事故だった。

ニュースを引用すると

踏切事故:自転車転倒、2歳女児はねられ死亡 大阪・茨木
 6日午後6時ごろ、大阪府茨木市若草町の阪急京都線・奈良街道上3番踏切(警報機、遮断機付き)で、同市新中条町の主婦、中村紀子さん(36)と娘2人が乗った自転車が転倒した。直後に警報機が鳴り出したため、中村さんが長女(3)を助け出したが、二女美紀ちゃん(2)は、自転車ごと梅田発河原町行きの快速特急(8両編成、乗客700人)にはね飛ばされた。美紀ちゃんは病院に運ばれたが、首の骨を折るなどして、約1時間45分後に死亡した。中村さんと長女にけがはなかった。府警茨木署は詳しい原因を調べている。

 同署や阪急電鉄などによると、この踏切は歩行者と自転車の専用で幅約2メートルしかないが、朝夕の通行量が多いという。自転車の前後には子ども用シートが取り付けられており、中村さんは2人を前後に乗せていたとみられる。しかし踏切を渡る際、バランスを崩して転倒し、自転車を起こそうとしたが、レールに引っかかるなどしてうまく起こせなかったらしい。

 電車は当時、時速約100キロの速度で走行しており、運転士は踏切の約200メートル手前で急ブレーキをかけたが、間に合わなかった。踏切には障害物検知装置が設置されているが、検知できなかったという。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061007k0000m040101000c.html

母親と長女は次女が電車にはねられ引きずられる瞬間を見たのだろうか?とふと思ったりもした。


ただ、この事故の背景を見れば
いろいろ思うことがある。

まず、
「娘2人が乗った自転車」とある。
道路交通法第57条、大阪府道路交通規則第11条によると

2輪の自転車の乗車人員は、1人を超えないこと。ただし、幼児(6歳未満の者をいう。)1人を幼児用乗車装置に乗車させ、16歳以上の者が運転する場合は、この限りでない。

とある。これは他の都道府県でもほぼ同じ内容であるが、
6歳未満の子どもを乗せて2人乗りはできるが、3人乗りは
違法ということである。

よく見かける3人乗りは違法なのだ。
違法とは言っても、2歳と3歳の子供を道路を歩かせると
なれば親の負担も大きそうな感じがする。
 これは何か構造的な深い問題かもしれない。

ただ3人乗りは危ないので、どのような解決策があるか
考えないといけないなと思う。

少なくとも、踏み切りでは母親は歩いて自転車を
押して歩くという方法をとったほうが安全かもしれない。


他に気になったのは

「踏切には障害物検知装置が設置されているが、検知できなかったという。」
ということである。
どうして検知できなかったのか?それは検証されるべきであろう。
そして、検知されていれば、このケースにおいて事故を防げたのかどうかも検証いて欲しいと思う。




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Gonna Fly Now ~ この曲を聞いて己を奮い立たせた人は多くいるだろう

2006年8月23日
メイナード・ファーガソン(Maynard Ferguson)という
トランペッターが亡くなった。

メイナード・ファーガソンが演奏した曲で
「Gonna Fly Now」という曲がある。
私がとても好きな曲である。

えっ、どのような曲かわからない??

そしたら、
http://keitai.excite.co.jp/melo/detail/music/?mid=10369の着メロサイトを見て、試聴でも聞いて、
続きを読んで下され。

              続きは
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聞いた方はもうおわかりでしょう。
そう、シルヴェスター・スタローンを無名俳優から
一躍スターダムにした映画「ロッキー」の主題歌です。



この曲を聞くと
私が中学生時代のエピソードを思い出す。
当時、私は卓球部で放課後練習で
練習場の校舎の2階の部屋のベランダに出て、
屋外のバレーボールコートを見ていると
男子バレー部員がハードな練習をしていたのであろうか
疲れて横になって休んでいた。

バレーボールコートの壁を隔ててすぐ
隣にあった商業高校の建物内がある。
そこでは、
夏の高校野球の県予選の応援のために
ブラスバンド部が演奏の練習をしていた。
その時は、
バレボール部員と同じく休憩をしていたのか
音が聞こえなくなっていた。
すると
ブラスバンド部は練習を再開し曲を演奏し始めた。
すると、演奏された曲は
「Gonna Fly Now」~ロッキーのテーマ
だった。

そのイントロが演奏されだすと、
疲れ果てて横になっていた
バレーボール部の男どもが
一斉に立ち上がり始め、急に
ボクシングスタイルのフットワークを軽やかに始め
練習を再開した!!!

その光景を見た瞬間、私は
「こいつらホンマ単純なやつらやなあ」と思いつつ
この曲は何か力強いものを与えてくれる曲だなあと思う。

この曲を作曲したのは
ビルコンティ(Bill Conti)である。
トランペットを用いて、重厚なスケールのオーケストラ演奏と
コーラスを吹き込んだ。
そして、メイナード・ファーガソンのトランペットのもと
演奏曲としては珍しく全米ヒットチャートである
ビルボードで1位を獲得した。


この曲が映画ロッキーを盛り上げたことは
間違いない。

そして、この曲が生まれて約30年になるが、
何かに立ち向かい、自分を奮い立たせるときに
聞く人が多くいる。

この曲は不朽の名曲だと思う。





                

ちなみにこのアルバムには
ロッキーのテーマの
「Gonna Fly Now」だけでなく
「スタートレックのテーマ」という曲があります。
それを聞けば
「ニューヨークに行きたいか~」という福留さんの顔を
思い出す人がいるでしょう。








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「出会い」と「出逢い」

「出会い」と「出逢い」という表現がある。
さて、この「出会い」と「出逢い」にはどのような違いが
あるのだろうか?

パソコンで「あう」を変換するとき
「会う」は「人とあう⇔別れる」という例文表示がされ
「逢う」では「親しい人と巡り逢う」という例文表示がされる。


「出会う」の「会う」の「会」という文字は
「集まる」という意味からできた文字だという。

一方「出逢う」の「逢」は
「遭遇」するの「遇」の「あう」という意味を
おびていて、
「思いがけなくあう」という意味が一方で
「迎える」という意味もあるという。


武部良明「漢字の用法」角川文庫によると
出会いは「互いに約束した出会い」で
出逢いは「逢いたいと思う感情の出逢い」で
「逢」とは「両方から来て一緒になること」という意味に
なるという。
先ほど、「逢」には「遇」の意味がおびていると
説明したが、「遇」には
「両方から出会う意思を表す」という意味があることから
考えると納得もできそうだが、そうなると
出会いは「互いに約束した出会い」との違いは
どうなるのだろうかとも感じる。


出会うの「会う」がもともと集会の「会」というように
何か会う意図を明確にしている感じがしますし、
「互いに約束した出会い」と何か必然的なものが
感じる。
「逢う」には
「両方から出会う意思を表す」という「遇」の意味があるが
一方で「思いがけなくあう」という意味もあり
偶然性を示すには「逢う」ように感じる。

この「出会い」と「出逢い」の違いは
まだまだわからない部分があり
もっと意味の背景を知りたくなるものだ。













テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術


アナロジーを用いた命題化とヒット商品

先日
西宮北口のアクタのカフェグライナーズに入ると
客は私1人であり、静寂な環境であった。
そして、いろいろ考えていた。


発想を柔らかくするために
何かを別のものに言い換え
「AはBである」というように命題化してみたり、
「CがDをしている」と、その時に何かの
アナロジーを用いて表現すれば、
発想が膨らむ。

例えば、

歩く事とは演奏である。また、歩く事とは作曲である。

そのカフェで何かを命題化しようと思っていると
カフェの外側の通路を歩く女性の足音が響いて
それを思いついた。


人が歩くと足音がする。それは一定のリズムで
音が鳴り続けるので、何かの曲になったり、
また、何かの曲を演奏しているかのようにも思える。
それをきちんと体系化したものがタップダンスだと思う。

そして、他に

「声と文字が空を飛び交う」

というものを思いついた。


そして、その店の店員の女性がコードレス電話で
何かを話している光景を見て、
それから携帯電話でメールや音声通話をする光景を
思い浮かべ
その内容の表現を思いついた。
音声や文字は電波信号になって
空中を飛び交っているのだ。


このように遊んでいたのだが、
この遊びをしていくのは仕事で活きて来る。

例えば、
ヒット商品で見れば、
AはBであると命題化していく過程で
言い換えていくことの重要性を感じる。

例えば
「甘栗むいちゃいました」というヒット商品があった。
それは、カネボウフーズが開発したのであるが、
同じようなものをカネボウに
先行開発して岡山県の中小企業が売ったが売れなかった。

どうして岡山県の中小企業のものが売れず、
カネボウフーズが売れたのか?
その原因のひとつとして
商品の定義つまり命題にあったと思う。

岡山県の中小企業は
「栗はお惣菜である」と命題化したのに対して
カネボウフーズは
「栗はお菓子である」と命題化して、
「若い女性向けのお菓子」として売ったのである。

「お惣菜」と「お菓子」とその命題化の違いによって
売上にまったく違う結果をもたらしたのである。


また、新商品開発において
市場調査を消費者に対して行うことがあるが
「その商品を何かに喩(たと)えると」と
アナロジーを用いた命題化を消費者に考えてもらう質問方法をして
ヒット商品につながったものがある。

それは、サントリーの「伊右衛門」である。
サントリーが新茶の開発に向けてウェブ調査を
行い、質問項目に
「急須で入れたお茶は人・モノ・動物等に喩えると」
というものがあった。
そうなれば、質問された方は、喩えを考えだすために
自分の原体験を反駁しないと
答えられない。それゆえに答えは深層心理で感じていることが
出てくる。

その質問と他の質問への返答から
「緑茶飲料に日本の生活文化の味わいを持たせる」
という方針ができて、「伊右衛門」開発につながったという。

このように
アナロジーを用いて命題化する頭の方法は
何かを新しく作り上げていく時には
重要となる。
その能力を高めるためには、普段から
発想のお遊びをしていけば良いと思う。
例えば、電車の中に乗っている時に
「電車内は寝室である」とか「電車内は書斎である」
とか、普段からそのように多義的に考えていると
発想の回路が重層的につながってくるので、
発想力は高まると思う。



 
 



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かぼちゃはカンボジアから来た南蛮渡来の瓜です

私は食べ物の好き嫌いが多く、
特に野菜系は苦手であるが、
かぼちゃは好きである。

そのかぼちゃの語源は
ポルトガル人がカンボジアから日本に持ち込んだことに
由来する。
ポルトガル語の Cambodia abobora (カムボチャアボボラ、「カンボジアのウリ」の意)から「かぼちゃ」と
言われるようになる。

また、かぼちゃは別名で「なんきん」と
言われ、「南京」と表記されるが、
それは、
ポルトガル人の寄港地である中国の南京が
かぼちゃの代名詞となったことに由来する。

また「南瓜」は
中国で南蛮渡来の瓜の意味から
できた言葉である。


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看護~目の上に手をかざしてよくみとって、まもる

看護師さんは
病院で患者さんのお世話をすることなどをするが、
その「看護」の語源をたどると
「看取り、護る」と
よく言われる。

「譲る」というのは
「守る」という意味がある。

一方、
「看取り」の「看」という文字は
看の字の上は手を意味し、下の「目」と合わせて
「目の上に手をかざして望み見る」という意味がある。

それがどうして、病気の方を世話する意味で
「看」の文字が使用されるようになったかは
不明であるが、

「目」の上に「手」と書く
「看」という文字が
例えば、
病気の方の(目の上にある)額に手を乗せて熱があるかどうかを
確かめる行為を連想させたりする。
そのようなことに代表されるように
患者さんの症状を手を使ってよく見る。
ということから「看」という文字が用いられたのだろうか?



かつて、日本では看護婦という公式名称があったが、
それが「看護師」に統一された。

看護の仕事は女性の仕事という印象が強いが、
男性で看護の仕事も増えてきたこともあり、
かつ、男女雇用機会均等法の影響もあり
「看護師」になったと言われる。


資格名称で
弁護士や会計士があり、最後に○○士
と「士」が多いのだが、
医師や美容師など
厚生労働省管轄の資格は
「師」になるという。

そのようなことで
「看護し」は「士」ではなく「師」になったのかもしれないが、

看護師の他国の呼び方はどうなっているかと言えば、

英語ではナース(nurse)、「養育する」という意味。
「nurse」には男性・女性両方の意味が含まれるが、
男性のナースを表すためmale nurseという表現が使われることもある。


ドイツ語はクランケンシュベスター(krankenschwester)と患者の姉妹という意味で、何か女性をイメージしている。

フランスでは「infirmière」と女性形の名詞で表現される。
実際、フランスにおける看護師のうち80%以上は
女性だという。


看護師の仕事は日本だけでなく海外でも
社会的に
女性の仕事という一般的な認識のようだ。


それを思うと
「看護婦」という名称を別に無くさなくても良かったのではないかと
思う。
男性の看護師の場合は「看護師」でも「看護士」でも良いと思うし、
女性の看護婦さんで、「看護師」で名乗りたいと思えば、
そのように選択できる自由を与えて、
「看護婦さん」という名称は残して欲しかったなあと思う。


女性はこうあるべきと型にはめるのは良くないが、
男である私としては
腎臓結石で
入院した時に女性である看護婦さんに世話してもらったが
何か安心感がある。
男性の看護師にしてもらうよりは嬉しく思う。

また、女性の方が入院した場合
同じ同姓の女性の看護婦さんに世話してもらう方が
安心するのではないかと思う。

女性らしさに何か安心感を抱くのだと思う。
女性らしさというものが、ジェンダーフリー論者が
言うように文化的に作られてきた面もあると思うが、
文化ができる前の人類は原始状態の未開社会である。
その時の文明社会以前の原始の人類の生存過程で自然と
生物学的な要因で男性らしさ・女性らしさというものが
発露されてきたのではないかと感じる。


そのような女性らしさというものを否定してしまうのも
いかがなものかと思ったりする。

女性らしさに対する敬意を込めて
私は女性の看護師の方に対しては
「看護婦さん」と呼びたいなあと思う。









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