神様が創った試合~伝説の名勝負 「奇跡の激闘」・箕島高校VS星陵高校
今年の夏の全国高校野球選手権大会は 決勝戦の 駒大苫小牧VS早稲田実業のゲームが 延長15回引き分けで再試合となり 再試合で、早稲田実業が4対3で 駒大苫小牧の夏の甲子園3連覇を阻止して 優勝した。この試合の最後は 4連投の早実の斉藤投手が 駒大苫小牧のエースで打撃力のある田中投手を 三振で討ち取るという 劇的な展開で、幕を閉じた。 この試合は、球史に残る名勝負として 語り継がれるだろう。
私は、この延長15回のゲームで思い出すのは、 多くの方々が、特に年齢30代以上の方々が、 高校野球史上最高の名勝負と 言う「箕島高校(和歌山県)VS星陵高校(石川県)」 のゲームである。
1979年(昭和54年)8月16日 第61回全国高校野球選手権大会9日目第4試合、 この年の春の選抜高校野球で優勝した箕島高校は 春夏連覇を目指して、3回戦で、星陵高校と対戦した。
第4試合の開始は16時08分、だんだん日が沈み、 まばゆいばかりの甲子園のカクテル光線の照明の中で 試合は進んだ。お互い一進一退の攻防で、 お互いに4回の裏表に1点ずつ取り、 得点が1対1のまま、延長戦に突入した。
まず、試合が動いたのは、延長12回であった。 延長12回表、星陵の攻撃。 1アウト、ランナーは1塁・2塁。 星陵の石黒選手がバットの先に当たって、 セカンドの上野山選手にところに 難しく転がってきた。
この日、熱を出していた箕島の主将である上野山選手 そのゴロを捕り損ないエラーをしていしまい、 2塁ランナーがホームイン。 星陵が1点リードした。
そして、延長12回裏 箕島は簡単に6球で2アウトを取られ、ランナー無し。 星陵の堅田投手は好投を続け、5回以降 箕島に3塁を踏ませていなかった。
箕島の尾藤監督は 「ツーアウトランナーなしか、ああ、この試合もう負けだろう。 敗戦インタビューでは何をいおうか。」 と考えていた。
すると、ネクストバッターで打席に向かっていた 嶋田宗彦選手が、 途中から引き返してきた。そして、嶋田選手は 尾藤監督の前に立ちこう言った。
「監督、ぼくホームラン狙ってもいいでしょうか」
尾藤監督は嶋田選手の気迫に圧倒され 「狙え!!」と言い放った。
そして、嶋田選手はバッターボックスに向かう。 嶋田選手がバッターボックスに向かう後姿を見ながら 尾藤監督は考えた。
「あれ、何であの冷静な子があんなことをわざわざ言いにきたのだろう。ホームランをねらうのだったら、自分の胸の内で狙えばいい。あんな大きな声でみんなに言って、もし3振でもしてしまったら、えらい恥をかくじゃないか」
そして、嶋田選手がバッターボックスに立つころ、 どうして、嶋田選手が 「ホームラン狙ってもいいでしょうか」 ということを言ったのか、尾藤監督は気付いた。
監督が「ダメだ」と思った気持ちが チーム全体に伝わってしまった。 そして、キャッチャーをしていて、いつも チーム全体を見る目を養っていた嶋田が、 それに気付いたのだ。
「監督もみんなも元気出せよ。まだ試合終わってないじゃないか」
そのことを嶋田は言いたかったのに違いない。 尾藤監督はそう感じた。
嶋田選手の一言で、ベンチに元気が蘇り みんなが一斉に顔を上げ、「嶋田、頼むぞ」と声を出した。
嶋田選手はバッターボックスに立ち、構えた。 そして、星陵の堅田投手から放たれた2球目の ボールを強振した。 するとボールは、甲子園のカクテルライトに照らされながら、 レフト方向に大きな放物線を 描き飛んで行く!! 当時、甲子園球場にあったレフト後方の ラッキーゾーンにボールは向かっていく。 星陵のレフトの金戸選手が、ラッキーゾーンの金網に よじ登るが届かず、ボールはレフトラッキーゾーンに入り、 箕島にとっては起死回生の同点ホームランとなった。
そう、嶋田選手は宣言通り、ホームランを打ち放ったのだ!!
この同点ホームランで、帰りかけていた観客の足は止まった。
次の見せ場は、延長14回裏である。 箕島の攻撃。
1アウト2塁。 2塁ランナーは森川選手。 星陵の堅田投手が2塁にけん制球を投げる。 するとランナーの森川選手は、 なんと3塁にそのままスルスルと走り、 星陵のショート北選手が3塁に投げるが、 セーフ。このような展開の盗塁を ディレードスチールと言うが、 森川選手の見事なディレードスチールに 観客はあっけに取られた。 箕島高校がサヨナラのチャンスを迎えた。
星陵の3塁手の若狭選手は、 ピッチャーマウンドに歩き ピッチャーの堅田投手と目を合わせた。 そして、若狭選手が3塁に戻った。
若狭選手は、3塁ランナーの箕島の森川選手の 動きを見ていた。 ピッチャーマウンドでは、堅田投手がマウンドを足で ならしていた。
若狭選手が森川選手に話しかける。 「スクイズ(3塁走者をホームインさせるためのバント)でも するのか、それなら、もっとリードせなあかんぞ」
森川選手は3塁ベースを離れ、リードする。 その時、若狭選手は「待ってました」とばかりに 森川選手にタッチをする。 なんと、若狭選手のグラブにはボールがあり、「隠し玉」で 森川選手をタッチアウトにしたのだ!!
若狭選手がピッチャーマウンドに駆け寄った時、 堅田投手と「隠し玉」をする意思統一を行っていたのであった。
まさかの星陵の隠し玉によって、絶好のサヨナラの好機を つぶされ、箕島の選手達は呆然とした。
そして、次に試合が動いたのは延長16回であった。 16回表、星陵は1点取って、3対2と1点リードする。 そして、その裏の延長16回裏。
箕島は簡単に2アウトを取られた。 尾藤監督は、12回の2アウトの時と違って、 敗戦のインタビューなどは考えていなかった。
打者は、延長14回裏、隠し玉でアウトにされた 森川選手である。
そして、堅田投手が森川選手に対して4球目の球を投げる。 森川選手はそれを打ったが、1塁のファウルグランドに フライを上げた。それは、 普通の高校球児であれば、100回のうち99回はキャッチできる イージーフライであった。箕島万事休す! 観客席からは、悲鳴ともとれるため息がどよめいた。 箕島の主将である上野山選手は「もう負けた」と思い 目をつぶる。
星陵の1塁手である加藤選手が、 「もらった!!」と思い、 その球を受け取ろうと 手を上げてボールを追って背走、 加藤選手が、その年から敷かれた人工芝とグランドの 切れ目に足をかけた時、 なんとその切れ目の人工芝にスパイクがひっかかり、 足がもつれ、 転倒した!! ボールは転倒した加藤選手の横にポトリと落ちた!!!
箕島は命拾いした。
そして、星陵の堅田投手は打者の森川選手 に次の第5球目を投げた。 真ん中の直球を待ち構えていた森川選手は、 ジャストミートして打ち放った。 その球は、甲子園のカクテルライトの照明に 照らされながら、右中間の方向に深く飛んで行き、 観客スタンドに吸い込まれて行った。 起死回生の同点ホームランとなった!!! 森川選手は、和歌山県予選を含め 公式戦・練習試合を含め全くホームランを 打ったことはなかったが、彼の初のホームランが 奇跡の同点ホームランとなったのだ。
箕島は、またもや12回に続き、 2アウトからの同点ホームランで息を吹き返した。
そして、延長18回となる。 「このイニングで決着がつかなければ引き分け再試合」 と球場内にアナウンスが響く。 この延長18回が最後のイニングとなった。
延長18回表、星陵は2アウト満塁のチャンスを向えるが 点を入れることはできなかった。
そして、延長18回裏、箕島の攻撃。
代打の辻内選手がファボールで出塁。 次の打者がアウトとなったが、星陵の堅田投手に 疲れが出てきたのか、ストライクが入らなくなり、 次の北野選手にもファボールを与えた。 1アウト、ランナーが1塁・2塁。
次の打者は、上野選手であった。 堅田投手は2球なげたが、ストライクは入らず、 ノーストライク、2ボールとなった。 そして、3球目(堅田投手この試合208球目) ボールはど真ん中に入った。 その球を上野選手は見逃さず、打つ。 鋭い金属音と共にボールは左中間方向に飛ぶ。 ショートの北選手が、死に物狂いでジャンプするが、 届かず、北選手の頭上を越え、 左中間にボールが落ちる。 そして、 2塁ランナーの辻内選手がホームイン。 最終イニングの延長18回裏、箕島高校がサヨナラ勝ちし、 19時56分 約3時間50分に及ぶ「奇跡の激闘」の幕を閉じた。 あまりにも劇的で奇跡的な展開に のちに「神様が創った試合」と呼ばれるようになる。

試合終了後、このゲームの主審の永野氏は、 甲子園球場を去る星陵の堅田投手に、 「もう一度グラウンドをよく見ておきなさい」と声を掛け、 労をねぎらうかのように この試合の使用球をプレゼントした。
この試合に勝った箕島高校は、その後の苦しい試合も 勝ち進み、優勝し、史上3校目の甲子園春夏連覇の偉業を達成した。 (公立高校での春夏制覇は、この時の箕島高校以外ない。)
この試合の延長12回にホームラン宣言をしてホームランを 打った嶋田選手は、その後、住友金属和歌山に入り、 都市対抗野球、社会人野球で全国制覇、ロスアンゼルスオリンピック の野球で金メダルを獲得。 1985年に阪神タイガースに入団。 その年に、阪神タイガースは21年ぶりのリーグ優勝。 そして、西武との日本シリーズでは、同じ箕島高校の 先輩にあたる東尾投手から 史上初となるルーキーによる初打席(しかも初球) ホームランを放った。 阪神はこのとき、日本一になった。
現在は、嶋田選手は現役を引退し、阪神タイガースの バッテリーコーチをしている。
また、16回裏にファールフライを取り損ねた加藤選手には 後日談がいくつかる。 夏の大会の後の国体の高校野球で 「お前、生きてたんか?自殺したって噂が流れてるぞ」と 大阪の高校の選手に言われたという。
この激闘をした箕島と星陵の両軍メンバーOBが 何年かに一度、試合をするようだが、 加藤選手がフライを取ると 箕島の尾藤監督から 「加藤 フライ取れるようになったな」 と冷やかしの野次がくるという。
ただ、この失敗は彼の人生にプラスの面を与えた。 加藤選手が社会人となり、自動車販売会社に就職し、 営業の時に 「あのファールフライを落球したのが私です」 と初めに言うと、それが大受けで、武器となり 最優秀セールスマンになったこともあるそうだ。
そして、審判から試合球をプレゼントされた 星陵の堅田投手は 現在、夏になれば、お盆休み返上で 甲子園で高校野球の審判をしている。
テーマ:高校野球 - ジャンル:スポーツ
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