|
Art De Vivre(アール・ド・ヴィーヴル) 〜 豊かな会話を弾ませる
今月末の朝まで生テレビで、少子化問題をテーマに議論されていた。 フランス人のパネリストが「日本人は、子供を生むとなると、楽しい というよりも、つらい、大変、という言葉が出てくる。フランスでは そうではない」という主旨のことを発言していたと思う。
そのことで、ふとフランス語の「Art De Vivre(アール・ド・ヴィーヴル)」という言葉を思い出した。訳し方はいろいろある。「生活の芸術」「芸術的生活術」「生活美学」などあるが、"日常生活を楽しみながら工夫して、心豊かに暮らす"こと意味しているようである。
この言葉を始めて知ったのは、今から4年前に、リクルートフェローの藤原和博氏が、週刊ダイヤモンドで「Art De Vivre」のことをコメントしていたことにあった。そのコラムでまず目にとまったのは
「ヨーロッパ人、特にフランス人は、国は衰えているのにどうして個人が強く生きられるのか」というフレーズである。
藤原氏の文章を続けると
「(フランス人にとって)、個人の人生の豊かさとは、友人や夫 婦の間で交わされる“会話の中身”の豊かさに関係するのではないか。彼、彼女らは、ワイン片手に実に豊かに“食事”の話をし、“家の造作”やフリーマーケットで見つけた。“アンティーク家具”の話をする。明らかにアッパーミドルに属する人たちも、いかに高かったではなく、いかに安く仕入れたか、いかに自分の技術を生かして賢くデザインしたかの会話に心血を注ぐ。 しかも“個人”ではなく、“夫婦”での二人同士のコミュニケーションが基本だ。フランス人はこうした豊かさを“アール・ド・ヴィーヴル”(芸術的生活術)と表現して人生哲学にまで高めている」
というのである。これには魅力的なものを感じてしまう。日本人は、物的には豊かなのに、どうして、豊かに感じられないのか、生活を楽しめないのか、そのような考えに立てれば、生活を最低保障する程度の所得になってしまったとしても、生活に対する感じ方は違ってくるだろう。
ふと、「仕事での自己実現」と「消費での自己実現」しかないという思い込みをやめよ という社会学者の宮台真司氏の言葉を思い出した。
市場原理競争至上主義の米国流グローバル経済化が進展する日本や世界において、仕事で自己実現ができるのは、エリートなどのほんのごくわずかであり、仕事で自己実現できないノンエリートは、 「消費での自己実現」から見放されないように「役割とマニュアル」の極端に言えば、「私でなければというものでない」という誰がやっても同じ仕事に励んで、消費での自己実現をしようとするが、それから退却する人間も出てくる。
「仕事での自己実現」からも「消費での自己実現」からも降りて、「仕事外での非消費主義的な自己実現」を目指すことです。昨今の「勝ち組・負け組」という言葉が象徴するのは、自己実現が「仕事での自己実現」か「消費での自己実現」しかあり得ないという思い込みです。まず、この思い込みを解除することが必要です。
ということを宮台氏は言っていた。ただ、社会の誰かによって作られたシステムや価値観・モノサシによる豊かさを享受しようとしているがゆえに、「豊かさになるためには、仕方がない」という嫌々やらされている感が醸成されてしまい、「つらい」「大変」という気持ちになるかもしれない。
フランス人の「Art De Vivre」のように、価格やブランドという外在的な価値ではなく、内発的に自分達の暮らしを手作りで楽しみ、それをもとに創造性に富む豊かな会話をする生活をすればいいかもしれないとも感じる。今の日本は、アメリカ流のグローバル化の荒波にさらされているが、それに棹差して、「つらい」「大変」という生活をするよりも、アメリカ流のグローバル化に対するアンチテーゼという意味も込めて、 「Art De Vivre」で、世間のモノサシに流されない自分らしい暮らしを作って行くことの方が楽しいと感じる。
テーマ:人生=ART だ! - ジャンル:学問・文化・芸術
|