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チューリップ 〜花言葉は「魅惑」 オランダ人はチューリップに魅惑され熱狂した!
チューリップ チューリップと言えば、 オランダというイメージがあるが、
原産地は 中央アジアからパミール高原 特に、中国の天山山脈が発祥の地ではないか という説がある。
このチューリップにまつわる伝説がいくつかある。
むか〜し、むか〜し、 ギリシアのアドリア地方に チューリップと呼ばれる心優しい美少女が住んでいた。 その美少女チューリップを 秋の神ヴェルツータがひと目見た途端に 惚れ込んでしまい、 何度も愛をささやいたのであるが、 チューリップは応じなかった。
しかし、 ヴェルツータのチューリップに対する 思いは激しくなるばかりであった。 そして、ある日、 野の花を摘みに出ていた チューリップを見つけたヴェルツ−タは まるで狩りの如く 彼女を追い込んでいった。 ヴェルツ−タはついにチューリップを捕まえ、 抑えようとした。 追い詰められ逃げ道を失った チューリップは貞操の神ディアナに救いを求めた。 すると、彼女の姿は消え失せ、 あとには美しい香りを漂わす一輪の花が残っていた。 それがチューリップの花となった。
その伝説にちなんで、 「魅惑」や「名声」が チューリップ全体の花言葉になったという。
チューリップの色に応じた花言葉があり、
赤 「愛の告白」 紫 「永遠の愛情」 黄 「望みなき愛」 白 「失恋」 絞り 「美しい姿」
となっている。
さて、天山山脈・中央アジアのチューリップは 遊牧民によって トルコに運ばれてきたという。
そのトルコにもチューリップにまつわる伝説がある。
それはフェルハドとシリンにまつわる物語である。
フェルハドはシリンを愛した。しかし、そのシリンを 得るには、山をくり抜き 水路を作らなければならなかった。
(これは、渇水に苦しむアルゼン国の 女王メフメネ・バヌが瀕死の病に伏せった妹シリンとの関係の 物語に由来しているかもしれない。
シリンを救うために現れたという人の心を読める男が 現れ、シリン救済の条件のひとつに バヌの美貌をシリンにあげることであった。
女王バヌは自分の美貌をシリンにあげ、シリンはよみがえるが、 バヌは醜い姿になる。 するとその姉妹の前に天賦の才を持つ 見目良い絵師フェルハドが現れ、姉妹はフェルハドに 惹かれるが、妹のシリンがフェルハドと2人で城を抜けて 逃亡しようとして捕まり、姉の女王は激怒する。 フェルハドとシリンの仲の許しを得るための 「山を切り開いて水を導くこと」を条件とした。)
フェルハドは困難な作業の中、山を削り続けていた時、 突然、シリンの死を知らせる悲報が届く。 その悲報に、フェルハドは悲しみのあまり 山を削る斧を自分の体に振り下ろした。 フェルハドの体から鮮血が飛び散った。 その悲しみにあふれたフェルハドの血からチューリップが 生まれた。
この伝説があるトルコ・アマシアの町の周辺には、 「フェルハド・アラシ」という水路があり、 チューリップの栽培が行われている。
そのような伝説のあるトルコに 16世紀のころ オーストラリア大使ビュズベイクが訪れた。 すると見慣れぬ美しい花があり、 通訳に花の名前を尋ねたところ、 「自分が頭に巻いているチュルバン(ターバン) に似ているもの」と答えたのですが、 ビュズベイクはてっきり チュルバンと思った。 それでチューリップと 呼ばれるようになったという。
チュルバンは古代ペルシア語の 頭巾を意味する「tulipan」が語源とされる。
そのチューリップはヨーロッパに伝わり、 オランダでもチューリップにまつわる 伝説がある。
オランダのある町に住む美少女に 3人の騎士が惚れ込んでしまった。 少女の心を掴もうと 騎士たちは、それぞれ家宝の王冠、剣、黄金を少女に プレゼントするが、 恥ずかしがり屋の少女は どうして良いかわからず、誰一人断る ことができずに困ってしまい、 花の女神フローラに「私を一輪の花に変えてください」と お願いしたところ、 一輪の綺麗な花に変えてもらい、 その花には 「王冠」の花びら、 「剣」の葉、 「黄金」の球根があり、 やがて人々がその花をチューリップと呼ぶように なった。
そのようなチューリップ伝説のある オランダで、チューリップが世界経済史史上に残る 経済現象を引き起こすことになる。
16世紀末にオランダにチューリップが伝わり、 17世紀の1610年代オランダの 経済的にゆとりのある園芸愛好家の間で チューリップの人気が高まる。 チューリップ種から育てると、 花を咲かすことが出来るようになるまで長いもので 7年くらいかかる。 そのように育てることが難しく、 さらに 手に入りにくいチューリップの球根は、 高値で取り引きされた。
このころのオランダは対スペイン戦争に勝利し、 オランダ東インド会社を設立、 東インドに進出してポルトガルから香料貿易を奪い、 覇権国としての地位を高め、 ドイツなどの中部ヨーロッパが 三十年戦争によりが混乱してアムステルダムに商取引し、 オランダは空前の繁栄に沸き、所得は最高水準になったいた。
金余りが発生すると何かに投資しようと考えるものだが、 人気はあるが育てにくく入手が困難 需要過剰供給過少というで 高値で取引されるチューリップの球根が選ばれたのだ。
1634年ごろから 高値で取引されるチューリップの値上がりを目的として 多くの投資家がチューリップ市場に参入していった。 チューリップの価格が瞬く間に跳ね上がっていった。
チューリップの取引で 高値で売り抜け一獲千金を果たし、 さらにチューリップの人気が高まり、 高級のチューリップの球根が 広大な敷地に馬車小屋のある華麗な屋敷よりも 高値で取引される状態になった。
チューリップの球根は季節物で 冬限定のものであったが、 通年取引と、それに伴う先物取引制度ができあがっていった。 この取引は公式な取引所ではなく、居酒屋などで行われた。 これが、世界初の投機の手段として、先物取引システムだと される。
(ちなみに、世界最初の公認先物取引市場は大阪の堂島の米市場 大岡越前守忠相が1730年に公認)
このチューリップの先物取引では現物や現金が必要でなく 「来年の5月に支払い」「その時に球根を渡す」という手形 で済ますことができて、 それも、わずかな現金、または、現金に換金できる家畜や家具で 取引に参加できた。 そのため、パン職人や農家の人までもチューリップ取引に 参加し、チューリップ市場は熱狂状態になった。
その熱狂振りをうかがえるエピソードがある
球根を新種の玉ねぎと勘違いし皮をむしった イギリスから来た植物愛好家の男に対し、 損害賠償として金貨2000枚の支払いを命じる判決が 出され、支払いが終わるまで、債務者監獄に監禁された。
さらに、 ガチョウがチューリップの球根畑を荒らしたという情報で 価格が急上昇することもあったという。
しかし、もともとはただのチューリップの球根。 1637年2月、チューリップの球根に全く買い手が つかなくなり、チューリップ価格は大暴落。 手形は不渡りとなり、支払いきれない多数の債務者が現れ、 破産者や自殺者が急増した。
これは、のちにチューリップバブルと呼ばれるようになり、 世界経済史史上初のバブル経済と言われる。
そのようにオランダ人を狂わしたチューリップは 1820年ごろ、オランダから日本に伝わった。 チューリップの和名として、中国と同じく 「鬱金香(うこんこう)」になっている。
1918年(大正7年)新潟県小合村(現在の新津市)で 日本初のチューリップ球根栽培が行われ、 特に、日本では富山県と新潟県で チューリップの栽培が行われている。

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