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月桂樹・花言葉「勝利・栄誉」 〜 アポロンが恋焦がれたダフネの生まれ変わりの月桂樹を冠にした・・・・日露戦争の時、月桂樹が日本で知られ、ある酒造メーカーの名前となった。

月桂樹という草がある。
地中海沿岸原産の常緑低木で、
4〜5月ごろに黄白色の花をつけ
その後、1センチぐらいの果実をつけ、
10月ごろには、その果実は暗紫色に熟す。暗紫色に熟す。

20071101162904.jpg


ギリシア神話で
月桂樹にまつわる次のお話がある。

テッサリアの川の神ベネイオスの娘ニンフのダフネ。
彼女は月の処女神アルテミスを崇拝していた。
父親の願いにもかかわらず結婚することを拒み、毎日アルテミスや侍女達とともに森で狩りをして過ごしていた。
そのような日々を過ごしていたダフネに太陽神アポロンが惚れてしまい、求愛してきたのだ。
どうして、アポロンがダフネに求愛してしまったのか?


太陽神アポロンは、弓矢で遊んでいたエロスをからかった。
激怒したエロスは
恋心を抱く矢である「金の矢」をアポロンに、
恋を拒む矢である「鉛の矢」をダフネにそれぞれ放った。

それで、アポロンはダフネに恋焦がれてしまったのだ。
しかし、ダフネには、その気はなく、逃げ回る。
アポロンから逃れるためダフネは
父である川の神ベネイオスに自らの身を変える事を願った。
するとベネイオスは娘の願いを受け入れ、
ダフネを足から硬い樹木に覆い、腕も髪も月桂樹の木に
変身させてしまった。
アポロンが、その木に駆けつけたときダフネの最後の心臓の鼓動が聞こえていたが
どうすることもできず
アポロンはとても悲しみ、月桂樹の枝をかき抱いてくちづけし、

「あなたを妻にすることは出来なくなったが、
私の神木にして、冠としてかぶりましょう。」

その愛の永遠の証として月桂樹の枝から月桂冠を作り、
生涯身に着けて、
自分の能力のシンボルとした。

そのことにより、月桂樹は
アポロンの聖木となり、
彼が音楽、弓術、詩歌の神であることにちなみ、
月桂樹は
竪琴と矢筒および詩人の額を飾る誉れの印となった。

誉れの印ということから、
月桂樹から作られた月桂冠は
古代ギリシアにおいて、
詩人や学者が学問上の栄誉を受けた時に
さらに
オリンピック競技の勝者の頭に載せられるようになり、
また、古代ローマにおいて、
ユリウス・カエサルが凱旋の時に
ローマの民衆がカエサルの頭に月桂冠を載せて
戦功を祝った。


20071101165211.jpg

HAYAさん製作の絵

そのようなことから
月桂樹の花言葉は
「勝利・栄光・栄誉」となった。

学士のことを「バチェラー」「バカロレア」(bachelor)
と言うが、これは
中世ラテン語の「baccalaureatus(月桂樹の実)」に由来する。

先程説明した通り、
古代ギリシャで詩人や学者が学問上の栄誉を受けた時に
月桂冠を戴冠したことから、
学業が完成した者という意味で
「baccalaureatus(月桂樹の実)」に由来する
「bachelor」が学士を意味するようになった。



月桂樹が日本に伝わったのは明治時代の後期、
1905年(明治38年)
日露戦争の日本勝利の記念樹として、
月桂樹が日比谷公園に植樹されて以来、
日本全国に知れ渡るようになった。

また、この時、京都の伏見にある大倉酒造が
凱旋記念に発売した日本酒に「月桂冠」と名づけ、
商標登録をする。
やがて、これが企業名となる。



このブログでの関連リンク

○ギリシア神話に由来する花言葉
アイリス〜天上と地上を結ぶ虹の橋を渡り、恋のお使いをする

蓮華草 〜痛みを和らげ、めでたさを感じさせ、稲の命を育む花


○ギリシア神話に由来する語源
4月 〜卯の花が開き、愛と美の女神アフロディテに捧げる月

イージス 〜 ゼウスが娘に与えた盾 イージス艦建造のそもそものきっかけは日本のあの攻撃であった

「パニック」と「テンパる」 〜 ギリシア神話と麻雀

台風〜シチリア島のエトナ火山の下で火を噴く「typhon(テュポン)」

エイプリル・フール〜「ウソも100回言えば本当になる」 、「デマ」となるか「ピグマリオン効果」になるか
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○ギリシア神話に由来する故事を題材にした時事ネタ2007年
ダモクレスの剣 〜 伊藤一長長崎市市長とケネディ兄弟


○カエサル関連
7月〜日本で文を綴る月は、西洋では英雄の月である

「乾坤一擲」「賽は投げられた」 〜 歴史を作った英雄の運命を賭けた決断

賽は投げられた!〜川を越えて、ライバルに向かう


○日露戦争関連
天気晴朗なれども波高し〜1905年5月27日 日本海海戦において示された明治人の言語力

正露丸 「征」を「正」に変えても・・・・・・






テーマ:雑学・情報 - ジャンル:学問・文化・芸術


蓮華草 〜痛みを和らげ、めでたさを感じさせ、稲の命を育む花

春から初夏のころにかけて、
蓮華草の花を見かける。

renges3.jpg

画像は「季節の花 300」 http://www.hana300.com/renges.html より

蓮華草は中国原産のマメ科の植物である。
中国では「翹揺」と書き、「ゲンゲ」と呼ばれているとされる。
また「紫雲英」とも書かれる。
「紫雲」はおめでたい雲を意味し、
「英」は花を意味していて、
野原一面に咲くゲンゲの様子が、
たなびく紫の雲が浮かぶように見えたので、
「紫雲英」と書かれたとされる。

日本には室町時代のころに伝わったとされる。
「レンゲ」と呼ぶようになったのは
「ゲンゲ」が訛ったからという説があるが、
また、蓮の花に似ているから
蝶のような形の紅紫色の小花が集まって咲く
様子が「蓮の花」に似ているところから
「蓮華草」(レンゲソウ)になったとされている。

私が小学生で、田舎にいた時は

蓮華草の花が稲が植えられる前の田んぼに
咲いていた光景を思い出す。

蓮華草の根には根瘤菌というバクテリアが
付いていて、それが稲にとって
優良な肥料になるので、
稲を植える前の田んぼに蓮華草の種が蒔かれていたから
蓮華草の花が稲が植えられる前の田んぼに
咲いていたのである。


蓮華草の花言葉は
「私は苦痛をやわらげる」である。

ギリシア神話で、
ドリュオプス王の娘で異母姉妹の
ドリュオペとイオレは
祭壇にお供えする花を摘むため
野原に出向くと
川辺にレンゲソウの花が咲いていた。

ドリュオペが
そのレンゲソウを摘んだところ
折った茎から血が流れはじめた。

なんとそれは、
ローティスという美しいニンフ(妖精)が
好色な男根の神(生殖の神)プリアポスから
逃れるためにレンゲソウの姿に変えていた
レンゲソウであった。

ドリュオペは驚き、
レンゲソウを捨てて、足をあげようとしたが、
いつの間にか
ドリュオペの足は草に変わり、根が張り
だんだん草に変わりながら、
妹のイオレに向かって

「もうこれからは花は摘まないで
 なぜなら、すべての花は女神が姿を変えたものだから」
と辞世の言葉を残し、ドリュオペとしての生命を終え、
レンゲソウに成り果てた。

その話から
レンゲソウにになったドリュオペの気持ちを伝えたものとして、
花言葉「私は苦痛をやわらげる」が生まれた。


ちなみに
ドリュオペは「パニック」の語源に関係のある
「パンの神」の母とされている。



蓮華草に関して、
2001年8月19日のNHKの
「課外授業、ようこそ先輩」という番組で
小学6年生に、俳句を書かせていましたが、
その俳句の中に

 蓮華草 ひとりで摘んで 歩いてく

という一句があり、
なかなか良い句を作っていました。
それは、
春の時しか咲かない蓮華草を詠むことで、無常
観を表していたという。


私も一句作って、

 幸せに 命もたらす 蓮華草

これは、花言葉の「苦痛を和らげる」と
めでたき雲の「紫雲英」という蓮華の別名から
「幸せに」があり、
「命もたらす」は、稲の生育のために
肥料として田んぼに咲いていた光景を思い出したものである。


このブログでの関連リンク
ドリュオペの息子の「パンの神」が語源とされる「パニック」から
「パニック」と「テンパる」 〜 ギリシア神話と麻雀



テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術


チューリップ 〜花言葉は「魅惑」 オランダ人はチューリップに魅惑され熱狂した!

チューリップ
チューリップと言えば、
オランダというイメージがあるが、

原産地は
中央アジアからパミール高原
特に、中国の天山山脈が発祥の地ではないか
という説がある。

このチューリップにまつわる伝説がいくつかある。

むか〜し、むか〜し、
ギリシアのアドリア地方に
チューリップと呼ばれる心優しい美少女が住んでいた。
その美少女チューリップを
秋の神ヴェルツータがひと目見た途端に
惚れ込んでしまい、
何度も愛をささやいたのであるが、
チューリップは応じなかった。

しかし、
ヴェルツータのチューリップに対する
思いは激しくなるばかりであった。
そして、ある日、
野の花を摘みに出ていた
チューリップを見つけたヴェルツ−タは
まるで狩りの如く
彼女を追い込んでいった。
ヴェルツ−タはついにチューリップを捕まえ、
抑えようとした。
追い詰められ逃げ道を失った
チューリップは貞操の神ディアナに救いを求めた。
すると、彼女の姿は消え失せ、
あとには美しい香りを漂わす一輪の花が残っていた。
それがチューリップの花となった。

その伝説にちなんで、
「魅惑」や「名声」が
チューリップ全体の花言葉になったという。

チューリップの色に応じた花言葉があり、

赤  「愛の告白」
紫  「永遠の愛情」
黄  「望みなき愛」
白  「失恋」
絞り 「美しい姿」

となっている。


さて、天山山脈・中央アジアのチューリップは
遊牧民によって
トルコに運ばれてきたという。

そのトルコにもチューリップにまつわる伝説がある。

それはフェルハドとシリンにまつわる物語である。

フェルハドはシリンを愛した。しかし、そのシリンを
得るには、山をくり抜き
水路を作らなければならなかった。


(これは、渇水に苦しむアルゼン国の
女王メフメネ・バヌが瀕死の病に伏せった妹シリンとの関係の
物語に由来しているかもしれない。

シリンを救うために現れたという人の心を読める男が
現れ、シリン救済の条件のひとつに
バヌの美貌をシリンにあげることであった。

女王バヌは自分の美貌をシリンにあげ、シリンはよみがえるが、
バヌは醜い姿になる。
するとその姉妹の前に天賦の才を持つ
見目良い絵師フェルハドが現れ、姉妹はフェルハドに
惹かれるが、妹のシリンがフェルハドと2人で城を抜けて
逃亡しようとして捕まり、姉の女王は激怒する。
フェルハドとシリンの仲の許しを得るための
「山を切り開いて水を導くこと」を条件とした。)

フェルハドは困難な作業の中、山を削り続けていた時、
突然、シリンの死を知らせる悲報が届く。
その悲報に、フェルハドは悲しみのあまり
山を削る斧を自分の体に振り下ろした。
フェルハドの体から鮮血が飛び散った。
その悲しみにあふれたフェルハドの血からチューリップが
生まれた。


この伝説があるトルコ・アマシアの町の周辺には、
「フェルハド・アラシ」という水路があり、
チューリップの栽培が行われている。


そのような伝説のあるトルコに
16世紀のころ
オーストラリア大使ビュズベイクが訪れた。
すると見慣れぬ美しい花があり、
通訳に花の名前を尋ねたところ、
「自分が頭に巻いているチュルバン(ターバン)
に似ているもの」と答えたのですが、
ビュズベイクはてっきり
チュルバンと思った。
それでチューリップと
呼ばれるようになったという。

チュルバンは古代ペルシア語の
頭巾を意味する「tulipan」が語源とされる。


そのチューリップはヨーロッパに伝わり、
オランダでもチューリップにまつわる
伝説がある。


オランダのある町に住む美少女に
3人の騎士が惚れ込んでしまった。
少女の心を掴もうと
騎士たちは、それぞれ家宝の王冠、剣、黄金を少女に
プレゼントするが、
恥ずかしがり屋の少女は
どうして良いかわからず、誰一人断る
ことができずに困ってしまい、
花の女神フローラに「私を一輪の花に変えてください」と
お願いしたところ、
一輪の綺麗な花に変えてもらい、
その花には
「王冠」の花びら、
「剣」の葉、
「黄金」の球根があり、
やがて人々がその花をチューリップと呼ぶように
なった。

そのようなチューリップ伝説のある
オランダで、チューリップが世界経済史史上に残る
経済現象を引き起こすことになる。

16世紀末にオランダにチューリップが伝わり、
17世紀の1610年代オランダの
経済的にゆとりのある園芸愛好家の間で
チューリップの人気が高まる。
チューリップ種から育てると、
花を咲かすことが出来るようになるまで長いもので
7年くらいかかる。
そのように育てることが難しく、
さらに
手に入りにくいチューリップの球根は、
高値で取り引きされた。

このころのオランダは対スペイン戦争に勝利し、
オランダ東インド会社を設立、
東インドに進出してポルトガルから香料貿易を奪い、
覇権国としての地位を高め、
ドイツなどの中部ヨーロッパが
三十年戦争によりが混乱してアムステルダムに商取引し、
オランダは空前の繁栄に沸き、所得は最高水準になったいた。

金余りが発生すると何かに投資しようと考えるものだが、
人気はあるが育てにくく入手が困難
需要過剰供給過少というで
高値で取引されるチューリップの球根が選ばれたのだ。

1634年ごろから
高値で取引されるチューリップの値上がりを目的として
多くの投資家がチューリップ市場に参入していった。
チューリップの価格が瞬く間に跳ね上がっていった。

チューリップの取引で
高値で売り抜け一獲千金を果たし、
さらにチューリップの人気が高まり、
高級のチューリップの球根が
広大な敷地に馬車小屋のある華麗な屋敷よりも
高値で取引される状態になった。

チューリップの球根は季節物で
冬限定のものであったが、
通年取引と、それに伴う先物取引制度ができあがっていった。
この取引は公式な取引所ではなく、居酒屋などで行われた。
これが、世界初の投機の手段として、先物取引システムだと
される。

(ちなみに、世界最初の公認先物取引市場は大阪の堂島の米市場
大岡越前守忠相が1730年に公認)


このチューリップの先物取引では現物や現金が必要でなく
「来年の5月に支払い」「その時に球根を渡す」という手形
で済ますことができて、
それも、わずかな現金、または、現金に換金できる家畜や家具で
取引に参加できた。
そのため、パン職人や農家の人までもチューリップ取引に
参加し、チューリップ市場は熱狂状態になった。

その熱狂振りをうかがえるエピソードがある

球根を新種の玉ねぎと勘違いし皮をむしった
イギリスから来た植物愛好家の男に対し、
損害賠償として金貨2000枚の支払いを命じる判決が
出され、支払いが終わるまで、債務者監獄に監禁された。

さらに、
ガチョウがチューリップの球根畑を荒らしたという情報で
価格が急上昇することもあったという。

しかし、もともとはただのチューリップの球根。
1637年2月、チューリップの球根に全く買い手が
つかなくなり、チューリップ価格は大暴落。
手形は不渡りとなり、支払いきれない多数の債務者が現れ、
破産者や自殺者が急増した。

これは、のちにチューリップバブルと呼ばれるようになり、
世界経済史史上初のバブル経済と言われる。


そのようにオランダ人を狂わしたチューリップは
1820年ごろ、オランダから日本に伝わった。
チューリップの和名として、中国と同じく
「鬱金香(うこんこう)」になっている。

1918年(大正7年)新潟県小合村(現在の新津市)で
日本初のチューリップ球根栽培が行われ、
特に、日本では富山県と新潟県で
チューリップの栽培が行われている。


        20070501185805.jpg



このブログでの関連リンク
 チューリップバブルの繁栄の基になったオランダの海外
植民地の都市であったある町にまつわる話
大津波から町を守った世界遺産


        


        

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紫式部 〜 美しき「実」に聡明さを感じる

紫式部と言えば
源氏物語を書いた作者であるが、
その名の花がある。

20061030171025.jpg


花は咲くのは6月ごろであるが、晩秋にかけて
直径5ミリほどの位濃い紫色の丸い実が成る。

これは
くまつづら科の落葉低木で暖かい山に生息する。
1.5メートルから2メートル程の高さである。
原産地は、日本、中国、朝鮮半島とされ
学名は「Callicarpa japonica」である。

葉が落ちると枝には濃く丸い紫色の実だけが残る。
その実の「紫色」にちなんで、
紫式部という名が付けられた。

また、花言葉は「聡明」であるが、
それは、源氏物語を創作した紫式部の聡明さから
由来している。


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移り気な紫陽花は七変化して成長する

梅雨の時期になれば、
紫陽花をあちこちで見かける。

紫陽花そのものは東南アジアや日本が原産地で
日本のガクアジサイがあるが、一般的に見られるものは
セイヨウアジサイである。


アジサイはもともと西洋にはなかった。
西洋にアジサイをもたらしたのは、
日本に来ていたシーボルトである。

シーボルトは鎖国中の日本において、滞在を許され
比較的自由に街中を歩いていたが、日本地図を海外に
持ち出そうとして国外追放される
シーボルト事件(1828年=文政11年)により、
日本から母国に帰国する時にアジサイを持っていった。
それが西洋で品種改良されて、日本に逆輸入されることなった
のがセイヨウアジサイである。

ところで、シーボルトは紫陽花の学名として
「Hydrangea Otaksa(ハイドランジェ・オタクサ)」
としている。
「Hydrangea」は水の器などの意味だが
「Otaksa」はどこから由来しているかと言えば、
シーボルトの日本滞在時の愛人の名前である。

シーボルトは日本に居る時、
17才だった遊女の楠本滝に惚れこんでしまい、
日本の現地妻にしてしまったのだ。
通称「お滝さん」と呼ばれていて、その名前を
紫陽花の学名に取り入れていたのだ。
まあ、今風の言葉を使えば「風俗嬢」の名前が
紫陽花の学名に使われたということだ。

日本追放となって、お滝に会えないが、
一番気に入っていた花である紫陽花の学名に
お滝の名前を入れたのだ。
それほど、シーボルトはお滝に惚れこんでいたのだろう。

「アジサイ」という名前は、
「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が
訛ったものと言われている。

その「アジサイ」に「紫陽花」という文字になった
由来は中国から日本に「紫陽花」の言葉が
伝わっていくときの誤用に始まる

紫陽花という文字は
中国の唐の時代の詩人である白居易の詩集
「白氏文集」にある
寺で見かけた紫色のまるで仙界に咲くような香しい花の名を誰も知らなかったところから「紫陽花」と
名付けという一文を
平安時代の学者である源順(みなもとのしたがう)が、
「紫陽花」の部分を和訓で「和名 安豆佐為(あつさい)」と付けて
しまい、そのまま誤用されてきたことが
「アジサイ」に「紫陽花」という文字が使われる由来となった。

江戸時代以降には、白居易が「紫陽花」といった花は違う花と
わかったが、「紫陽花」が「アジサイ」の雰囲気を表すものだと
感じる人が多かったこともあり、そのまま使われ現代に至っている。

白居易が「紫陽花」と名付けた花は実際はライラックだったのでは
ないかと言われている。

紫陽花の花の色は、
土壌の酸性度(ph)の違いによって
変化すると考えられている。
酸性土壌では 青色が強く、
アルカリ性土壌では赤色が強くなる。

また、紫陽花は成長に合わせて色を変化させる
初めは薄緑色、次に白色、やがて紅色を帯びて、
そして紫碧(しへき)色となる。
このようにだんだん花の色が変化していくため
紫陽花は別名「七変化」と言われる。

紫陽花の花言葉は「移り気」であるが、「七変化」と
言われるように花の色が変化することに由来する。

「移り気」と言えば、浮気性にも思えるが、
変化した最後の段階の花の色が最も美しく感じられ、
だんだんと色が移っていくことは
成長への変化とも言えるかもしえない。

そういえば、桑田佳祐の妻である原由子の曲に
「あじさいのうた」という曲があるが、そのサビの部分は

〜だんだん好きになって、そしてだんだん恋になる〜

とあるが、それを思えば、移り気のように
だんだんと花の色が変化していくのも
恋への成長への変化とも言えなくもないなあ。

         



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