言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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かつての同級生の訃報(享年43歳)を知り・・・ほぼ思い出すこともなくなってしまった方々と時間を共有できたことに謝意を抱く

今日は、2017年(平成29年) 5月24日 水曜日

昨日、故郷の実家の母から
LINEで、私のかつての同級生が
享年43歳で他界した知らせが届いた。
それを知り、故郷の友人にLINEから
他界した彼は食道癌で亡くなったようである。

また、もうながらく、
その彼のことを思い出すことはなかったが、
いざ、訃報を知ると、

その彼とは小学生の時に、
同じ地域だったということもあり、
地域の子ども会の行事で一緒にいたり、
また、1回、彼の家に遊びに行ったこともあったりと
彼とともに過ごした脳内に保存されていた
記憶が次々と蘇ってきた。

それは、今から約30年から35年前くらいの時である。
そのときは、私ももちろん本人も
43歳で人生が終える運命だったとは
全く想像さえできなかっただろう。

彼の訃報を知り、
ほぼ思い出すことがなくなっていた人たちとの
交わり、時間を共有できてきたことのありがたみを
思うのである。

そのように、私が小さきころに
時間をともにしていただいた享年43歳で他界した
彼に謝意の気持ちを抱く。


このブログ内の関連記事

以下のリンク記事は、直接、亡くなった彼とは関係ないですが、
その記事中の

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当時7歳の小学生1年生の私はこの時の午後3時前か4時前かのニュースを
仙台から遠く離れた和歌山県御坊市で、
友人宅で見ていた記憶がある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

の「友人宅」とは、43歳で亡くなった彼の自宅のことです。

大嵐のホワイトクリスマス・・・・1980年(昭和55年)12月24日 仙台

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テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


人生の因果の不思議さ・・・日常の何気ない出来事のそもそものきっかけは10年以上前の大きな出来事であったり、自分以外の誰かが存在していることに由来したりする

今日は、2017年(平成29年) 5月22日 月曜日

一昨日、午前中
約2ヶ月に1回行く散髪のため
西宮市の自宅から大阪市東淀川区上新庄に
行った。

散髪に行くまでに、
上新庄駅前のミスタードーナッツで、
土曜日の朝に8時05分から
NHKラジオ第一で放送される
耳で聴く短編小説ラジオ文芸館を
聴くのが慣わしとなっている。

一昨日は帚木 蓬生(ははきぎ・ほうせい)作の
「かがやく」であった。
これは、2015年9月5日放送のアンコール放送であった。
私もこれを聴くのは2回目であったが、
前回放送されたその日は、一昨日と同じく、
散髪前に
上新庄駅前のミスタードーナッツで
過ごしていて、「かがやく」を聴いていたのだ。

2回とも同じ場所でそれを聴くことになったのだ。

ふと、そのような何気ない約2年またぎの出来事が
私の日常のひとコマに生じたのかと振り返ると、

そのきっかけは、22年前の
平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災により
西宮市の下宿屋が居住不能となり、
また、西宮市内は大地震でライフラインが機能停止して、
どこかに引越しを余儀なくされたことにある。

さて、どうして大阪市の上新庄にしたのか。
それは、私の兄が大学生の時に、
上新庄に下宿していていて、その時は、
兄は既に卒業していて、上新庄にいなかったが、
ふと大阪で引越し先として思い浮かぶのは
かつて兄が過ごしていた上新庄であったのだ。

また、その時、親しくしていただいた男性が
上新庄に居住していて、引越し先探しと
保証金の立替えをしてもらったりした。

そこで、上新庄の住むこととなり、
そこで通い始めた美容室にて、
平成8年10月に上新庄を離れて、
西宮に戻っても22年、
その上新庄の美容室に散髪のため
通っている。

2ヶ月に1度行く、
上新庄のミスタードーナッツにて、
ラジオ文芸館の同じ短編小説を
平成27年5月20日に聴くという
何気ない光景は、
阪神淡路大震災という22年前の出来事と
私の兄がたまたまかつて上新庄に下宿
していたことに由来している。
何気ない日常の光景が、
10年以上前の何かの大きな出来事や
自分の以外の誰かが存在していることが
もともとのきっかけになっているという
因果の不思議さを感じるのである。


ちなみに一昨日聴いた「かがやく」について、前回聴いた時にブログで紹介しています。
「かがやく」(帚木蓬生 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・人間は自分が得意として輝いている時のことに関心を持ってもらえることに喜びを感じるのだ

このブログ内の関連記事

私が上新庄で通う美容室は、ある有名お笑い芸人がかつてアルバイトをしていた店です。
大阪市上新庄の美容室にて、「オカムラ君、店にこの前来たよ」という店主の発言を耳にして・・・えっ、あの有名人が?

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術


今日で44歳になるが、生活の糧のための仕事をしつつ、楽習社の業務として、50歳までは「日本語をはじめとする言語について」と「素粒子物理学」の理解を深める人生を送りたいと思う

今日は、2017年(平成29年)5月16日 火曜日

今日で、私は満44歳になる。
このごろは私が生まれた日に実家の両親に
私を生み育てていただいた謝意の手紙を送っている。

まあ、よう44歳まで生きてこれたなあと
ふと思う。

そのような感覚は5年前に14年勤務していた
小さなシンクタンクを福島原発事故の影響で
失業してから、職を転々とする年月を送るようになり
よりそう思うようになったが、
かといって、自分の人生を悲観も楽観もしていない。

このブログの
「言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~」
を平成17年(2005年)11月2日から10年間毎日アップしつづけ、
その後は週1回+αのペースでアップを続けてきて、自分が赴くまま
知りたいと思い調べたことや思うことを書き続けているという
楽しみがあるから、職業的に不安定人生だが、
自分の人生を悲観も楽観もしていなのだろうと思う。

このブログのタイトルの下に

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも
書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。
現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、
古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、
架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、私がこのブログを続ける思いをつづっている。
今は、生活のために派遣社員として、また飲食店でバイトしつつ、
自分がやりたいと思う仕事ではない業務に従事をしながら
仕事以外の時間でできるときには様々な本を読み、
それなどから知ったことからブログを書いたりする人生を
送っているが、そのうえで参考になるような人生を過ごしている方の
事例を2つ取り上げる。

1つ目は、仕事をしながらアメリカの名門大学である
コロンビア大学の学位を12年かけて取得した52歳の男性である。
この方は内戦がひどくなった旧ユーゴスラビアから逃げるようにして
アメリカに移住、コロンビア大学の用務員として職を得た。
はじめは英語さえも話せなかったが、
コロンビア大学では職員に対して無料の講座を開いているのを活用して、
まずは英語の講座を受け、2001年から一般教養課程に入学し、
古典文学を学び始めた。午前中に大学の講義を受講して、
午後から用務員として清掃の仕事などをこなし、
23時に仕事が終わった後、自宅で自習をしてきた。
それを12年続け、すべての単位を取得して、学位を得て
卒業できたのだ。

もう2つ目は、11年食堂勤務の傍ら小説を書き続けて、
松本清張賞を受賞した小説家の山口恵以子さんである。

彼女は、漫画家を目指して、高校生の時に賞に応募したが
絵が下手と指摘され断念した。その後早稲田大学を卒業後、
宝飾の会社に正社員として就職するがその会社が3年で倒産。
派遣社員として働き、その後、脚本家を目指して、
松竹シナリオ研究所でドラマの脚本の基になるプロットばかりで
生活は安定しなかった。

生活の安定のため求人広告で見つけた食堂の正社員の仕事に就く。
そのころ彼女の年齢は40代となり、
テレビ局のプロデューサーは自分と同世代で、
「脚本家の芽はない」と年齢と関係がない作家の転向。

食堂で責任のある立場になり、その分、生活に安定し、
余裕が出ると、仕事以外の時間は作家活動に没頭、
毎日午前3時半に起床。仕事後に2~3時間、週2日の休日に8時間、
ケータイ小説などを書き、そして、55歳の時に
松本清張賞を受賞して、作家として芽が出たのだ。

そのように2人の事例から
生活のために仕事をしながら、自分が学びたいこと
書きたいことを書き続けるというのが
私の状況と重なる。

今日で44歳になった私であるが、
50歳まで、「日本語をはじめとする言語について」と
「素粒子物理学」を中心に知見を深める人生を過ごしたいなと思う。

「日本語をはじめとする言語について」は、
自分は日々、日本語という言語を使い、考えたり、話したり、
書いたりしているが、自分がどのような立場であれ、
日本語という言語は必要不可欠な道具である。
その日本語のいろいろな語源や成り立ちや歴史、特徴などを
知って生きたいなと思っている。

「素粒子物理学」は、それにより、
大宇宙の始まりを推察できて、我々人類を成り立たせる
自然の永遠普遍の根本原理のようなものを垣間見ることが
できることに、知れば知るほど、興味が深くなる。
もともと文系の私は数学はあまり強くないが、
それを数学的にきちんと理解できるようになりたいなと
思っている。
これまで、その素粒子物理学において、
量子力学と特殊相対性理論を統合した
ディラック方程式を理解を深めようとしてきたが、
係数に行列があったりして、何度か挑戦しては、
途中で未理解のまま終わってしまうことを繰り返しているが、
何度もしていくうちに徐々に少しずつ理解が深まっている。
ディラック方程式により陽電子という反物質の存在が予言され
発見され、宇宙創成のビックバン理論につながるものである。
50歳までに、それを含めた物理数学を理解を深めたいと
思っている。

生活の糧のための仕事をしながら、楽習社の作業として、
50歳までに
日本語をはじめとする言語について」と
「素粒子物理学」の理解を深める人生を送りたいと
思っている。





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「蒼い岸辺にて」(朱川湊人(しゅかわ・みなと) 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・自殺を図った主人公が三途の川で見た自分の未来とは・・・死で逃げるのではなく、生きて逃げてひきこる、生き続ければ、小さな楽しみや喜びを見出せるから

今日は、2017年(平成29年) 5月 7日 日曜日

昨日の朝の午前8時05分からNHKラジオで、
「耳で聞く短編小説ラジオ文芸館」を聴いた。

昨日の小説は、朱川湊人氏の「蒼い岸辺にて」であった。

その簡単なあらすじをNHKのラジオ文芸館のページから引用すると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「蒼い岸辺にて」


二十歳の早織(サオリ)は、息苦しさから解放され気がつくと、蒼い世界に倒れていた。
そこには大きな河があり、古いボートと渡し守の男がいた。男から「自殺した」ことを
指摘された早織は、二十年間の無駄だったとしかいえないような人生を振り返る。
 三途の川を渡る際、渡し守は、「未来ゴミ」と呼ぶ“これから掴むはずだった未来”
を一つ一つ捨てていく。そこには早織が想像もしていなかった出会いや憧れの職業、
夫や子どもが次々とあらわれる。早織はそれらを目の当たりにし、渡し守と会話することで、
「あの世」から「この世」に戻りたいと訴えるが・・・。
 新年度が始まり1ヶ月。「五月病」とも言われる憂鬱な気分に
なりがちなこの時期に、心に元気をくれる作品。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということだが、この物語の詳細を以下に書いていく。
少々記憶が曖昧な部分があり、間違っている部分があるかも
しれません。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

二十歳の早織が何か気づくとみぞおちに何か重たいものが乗せられている
かのような感覚があり息苦しく、何かの拍子にそれが落ちたのか
息苦しさから開放されると、蒼い世界で倒れていた。
起き上がり、裸足で歩くと、目の前に大きな海があった。
すると、その岸辺に海に浮かぶボートに白髪で背も鼻も高い男が
「ここは海じゃねえよ」と荒っぽく早織に言ってきた。

そこは海でなく死後の世界にあるとされる三途の川であった。
早織は、どうして自分がここにいるのかすぐにはわからなかったが、
船に乗るその口の悪い男に、自分が自殺をしてそこにいることを知らされた。

そう、早織はつらい人生をはかなんで致死量ピッタリの質量で
薬物による自殺を図ったのだ。

その口の悪い男は、三途の川で、この世からあの世への舟渡しをする
渡し守の役目の負っている。
すると、その男は
「うわ、寿命前に死んでやがる。めんどくせえ~」とはき捨てるように言う。

早織はその失礼な物言いに腹が立ったが、
男曰く、川を渡る前に、体から完全に魂が離れる
「魂離れ(たまばなれ)」が必要なのだが、
寿命前に死んだものはその「魂離れ」に時間がかかって、
いつも幾人も渡しの役目をしている男にとっては、
それが、時間の無駄に思えるのだ。

そして、寿命を残して死んだもの未来ゴミを処分するのも
その渡し守の男の役目であっ。た

そうしないと、早織が亡くなったことで、
将来、早織と出会ってしまう者たちが早織と出会うことで
得られる機会を失わせてしまうからだ。その者が
早織以外の者からそれを得れるようにするために
行う作業が「未来ゴミ処分」である。

未来ゴミ処分は川を渡ってからするのだが、
かなり寿命前に亡くなってしまったので
魂離れまで時間がまだまだかかるので、
早織を船に乗せて渡す前に未来ゴミ処分をすることにした。

早織は
縦60cm横40cmの麻袋に両手をつっこまされた。
麻袋から早織は卵のようなものを掴んだ。

それを男が取ると、
「×山○子を知ってるか?」と男は早織に言う。
すぐには思い出せなかったが、同じ高校に通っていた
成績優秀の女性で、有名大学に進学したことを思い出した。
ただ、早織は彼女とあまり接点がなかった。

すると、渡し守の男は
近いうちにふと彼女と出会って、アニメが共通の趣味で
意気投合して、親友になる未来だという。

その彼女と親友になる未来の出来事の卵を
渡し守の男は、川に投げ入れた。
そうしないと、×山○子に親友が早織以外の
誰かとできる機会を奪ってしまうからだ。

次に取り出した卵は早織が就職先で出会った
男と交際する未来のできごとだった。

早織はブスでデブだから、今まで
男から求愛されたこともなく、振られ続けた
自分が男と付き合う未来があるとは思えなかった。
渡し守の男は
「ブスやデブでも好む男はいるんだよ」

しかし、渡し守の男は続けて、
「ああ、この男とは別れるわ。その男は二股かけているわ」
と言うと、早織はどうせブスでデブな私はそうなってしまうのよと
言ったが、すると、渡し守の男は
「おまえは、その振られたことでダイエットに目覚めて、痩せて
スタイルが良くなってな。二股で一度は振った男が
お前に再び交際することを申し込むが、お前が今度は
その男を振るのだよ」
早織は今まで男に振られ続けてきた自分が男を振るなんて、
信じられなかった。
その未来卵も渡し守の男は川に投げ入れた。

そして、未来の夫との出会いの卵も投げ入れた。
すると、渡し守の男は
「12個の卵があるなあ。」と言う。
早織はさすがに12人も子どもは作れないと思った。
渡し守の男は「絵本だ」という。

そう、早織は絵本作家になりたいと思うことがあったが、
なれないと思ってそのなるための努力も準備もしてこなかったが、
結婚、出産をして、絵本作家となって、絵本を数多く出版して、
また、賞を受賞するほど絵本作家として成功する未来であった。
その卵も川に投げ入れられた。

未来ゴミを川に投げて、船に乗るまでの間、

渡し守の男は早織に

「人間の悩みは運動会の障害物競走でのハシゴくぐりで、ちょっと肩が引っかかって
アタフタしているようなもの。抜けてしまえば何であんなにアタフタしていたのか自分で
もおかしくなるくらい。きっとお前も早まらなかったら、いつかそう思ったはずだ。
生きるも自由、死ぬも自由。だったら今度は生きる自由を選んだら絶対に面白い」

と言った。

そうしているうちに、早織の頭に浮かぶ早織の身体と魂を結ぶ
紐が徐々に薄れてきて、魂離れの準備が整ったと判断した
渡し守の男が「船に乗ってわたろうか、船に乗っている途中で
魂離れは終わるだろう」と早織は渡し守に誘われ船に乗り、
渡し守は船を岸辺から離し、少し船を進ませると

早織は「この世に戻りたい!」と言い出した。

渡し守も男「一度、船を出したら戻せないのが決まりなんだ」

早織は「川に飛び込んで泳いで岸へ行く」

渡し守の男「川は底なしだ。その川の水に触れたらおまえは石になってしまう」

早織はそれでもこの世に戻りたいと言う。
渡し守の男は、「めんどうくせえなあ」と言いながら、
早織の気持ちに根負けして、ボートから身を乗り出し、
手に持っていたボートのオールを伸ばして、
自分の身体とそのオールでボートと岸をつないで
橋のようにして、早織に
「俺の背中と頭と腕に乗って、岸へ走れ」と言う。

早織は、渡し守の背中と頭に足をおいて駆けていった。
ただ、オールのところで太り気味の早織はよろけてしまい
足が水面につかる。ただ、なんとか岸に着地ができた。

足を見たが、どうやら水面の上を歩いたようで、
足は石になっていなかった。
ただ、それまで裸足だった足は靴を履いた状態に
なっていた。

渡し守の男が
「それは、お前がいる病室で待っている父さん、母さん、姉妹
友達らが送ったものだ。お前が帰って来るのを待ってるぞ!」

そして、最後に彼はこの世に帰ろうとする早織に

「でも忘れちゃなんねぇのは、勝手にうまい話が、向こうから転がりこんで来て
くれるわけじゃねぇってことだ…どれもこれも、しょせんは卵に過ぎねぇんだからな。
育てないと孵らねぇんだよ。」

と言い放った。それを聴いた早織はこの世の世界に戻るため
駆けていった。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

という感じのお話でしたが、生きていて、とても死にたくなるような
つらいことがあっても、命を絶つのではなく、生きてどこかに逃げること。

それは今と違う場所であってもいいかもしれないし、引きこもるのも
いいかもしれない。

いずれ先の将来、
渡し守が言うように

「人間の悩みは運動会の障害物競走でのハシゴくぐりで、ちょっと肩が引っかかって
アタフタしているようなもの。」と思える時がくるかもしれない。

例えば、学校や職場でいびられいじめられて、また、過労などで
自ら命を絶つような衝動に駆られないように、
逃げて、引きこもったりするのも、自分の命をつなぐための
戦略的撤退と思えばいいのかもしれない。

また、進学の受験や就職に失敗して自殺する若者もいるが、
それが失敗して、得られないものがあっても、生きていれば、
大なり小なり得られるものがある。

私は、大学在籍中まではうまく行っていたほうだった。
現役で当時世ゼミの偏差値65ぐらいの大学にできて、
大学卒業時、学科内の卒業生のうち上から5番目の成績だった
ようだったで、そのためか、4回生の時、
事実上の授業料免除の給付奨学金を学校からもらったり
してたが、卒業後の進路で悩みながら中途半端な
取り組みで、他の大学の大学院進学に失敗を3年続けて、
最終的に、大学を卒業してから2年後に小さな零細企業の
シンクタンクに友人の縁故のお陰で就職できた。
仕事内容は私のやりたい内容だったが、給与は低く
一人暮らしが精一杯であった。転職もうまく行かず
そこで14年勤務して、ある方向性に向って準備しつつ
その会社で働き続けようと思っていると、
平成24年に、
前の年の福島原発事故の影響で、その会社で勤務を
退職せざる得なくなり、失業して、なかなか就職活動も
うまく行かず、非正規社員で自分がしたいとは思わない
仕事内容でも生活のため働き、職場を転々としている状況だ。
また、大学在籍中は、どこかの企業に就職して
所帯を持てるほどの給料いただいて、30歳までには
結婚しているかなと思ったりしていたが、
薄給人生のためとても結婚などはできない状態の
人生であるが、そのような
自分のことを不幸とは一度も思ったことはないし、
こんなはずの人生じゃなかったと思ったことは
一度もない。

私は歴史が好きで第2次世界大戦のこといろいろ
知ったりして、そのときの日本の多くの人が感じていた
日々爆弾の雨が降ってきて焼き殺される恐怖を
今は味わうわけでもなく、そんなことに比べると
私の今の現状はたいしたことでもないと思ったりする。

今の仕事は本来したいと思う内容ではないが、
職場の皆さんはとても良くて、職場のみなさんとの
会話が楽しかったりする。

仕事以外の時間は、いきつけのカフェで自分の好きな読書をしたり、
このようにブログを書いたり、ネットで好きな音楽を聴いたり、
小さな楽しみや喜びがいっぱいある。
それに感謝して、日々の日常の中に埋もれていることに
楽しみと喜びを見出して過ごして生きたいと思っている。

私は、今回の小説の主人公の早織のように自殺をしたいと
思うようなつらい体験はないが、
もし、そのように感じている人がいるとすれば、
つらい状況から生きて逃げてひきこもるのもいいと思う。
その環境で少しでも楽しめるもの喜べるものがあれば
それを大切にして欲しいと思う。
生きていれば、大なり小なり楽しめたり喜べるものが
あると思うから。


「蒼い岸辺にて」 収録

このブログ内の関連記事

○ラジオ文芸館に関すること

原田マハ 作の「無用の人」を、耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で私の人生と重ね合わせながら聴いて・・・無用の人扱いされた他界した父が娘に贈った最後の誕生日プレゼントとは

ロバのサイン会・・・消費され消え行くものに過ぎないものが育む絆・・・耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館を聴いて・・・

「トオリヌケ キンシ」(加納朋子 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・何気ない日常のふるまいが誰かを大きく助けていることがあれば嬉しいですね



「水曜日の南階段はきれい」(朝井リョウ 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・英語が得意な高校3年生の女生徒が毎週水曜日に学校の南階段を掃除するその理由は・・・英語が得意な女子高生に特訓を受けるミュージシャン志望の男子受験生の物語


「沖縄戦下の幼女 みえちゃんからの伝言」(比嘉淳子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・夫婦不和で育つ子供の心にできた哀しみの魂の大穴は、戦争で怯えて亡くなった子供の哀しみと変わらない・・・己ばかりを優先せず、まわりと調和することの大切さ


「あなたに会いたい」(浅田次郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・出世のために若かりし時に捨てた恋人の幻影か・・カーナビからの「あなたに会いたい」の声で誘われた場所は・・・

「サヤンテラス」(乙川優三郎 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・私の愛するテラスでの亡き夫の声は幽霊か面影か

「仮面パパ」(森浩美 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・偽りの「育メンパパ」に仕組まれたワナは


「車窓家族」(高田郁 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・車窓から見える老夫婦の何気ないほっこりした日常が見知らぬ人どうしの言葉を交わすきっかけをつくり


「曲芸と野球」(小川洋子 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・曲芸師の女性と野球少年という異色の組み合わせの男女の淡くも末永い絆


「はるか」(北村薫 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・天真爛漫の無邪気な女子高生の明るさが潤いと彩りのある豊かな日常にもたらす


「本番、スタート」(ドリアン助川 作)を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・日の目を見ず、下っ端であろうが、その人の人生の主人公はその人本人なのである


「かがやく」(帚木蓬生 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・人間は自分が得意として輝いている時のことに関心を持ってもらえることに喜びを感じるのだ


「超たぬき理論」(東野圭吾 作 )を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・・えっ!UFOの正体はたぬきが化けた文福茶釜だってえええ??・・・こじつけと思い込みの想像力・・ちなみに、宇宙人って誰のこと


「イービーのかなわぬ望み」を耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館で聴いて・・・垂直移動のエレベーターで生きてきたイービーの結末から「空間」についてちょっと思う



耳で聞く短編小説ラジオ文芸館 鈴木光司 作「大山」・・・バブルに翻弄された元夫からの復縁の申し出の旅路にて、元妻からの粋な計らいとは

人生という名の自転車は、自力で漕ぎ続けるのだ・・・「耳で聞く短編小説NHKラジオ文芸館」で「自転車を漕ぐとき」、41歳無職の男の物語を同じく41歳で再び無職に戻る私が聴いて


2か月に1度行く、上新庄のミスタードーナッツで、ラジオ文芸館のアンコール放送「尾瀬に死す」を耳にして、前回も同じ場所でそれを聴いていたので、デジャブさを感じた

透明人間とはそういうことだったのか!・・・耳で聞く短編小説ラジオ文芸館、島田雅彦の作「透明人間の夢」を聞いて、ホームレス寸前の彷徨う若い男女の恋の結末は!

人生、思わぬ偶然のできごとでどう変わるかわからない・・・角田光代の「誕生日休暇」を耳で聞く短編小説「ラジオ文芸館」で耳にして


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公立高校の頭髪校則で「地毛証明書」を提出させる行為は法の下の平等を定めた日本国憲法第14条違反である・・・憲法記念日にクソクラエなくだらない校則について思う

今日は、2017年(平成29年) 5月 3日 水曜日

日本国憲法が施行されて本日で70周年。
そのような日を前に憲法の条文から考えたい
ニュースがあった。

それは、いわゆる「地毛証明書」のニュースである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「地毛証明書」、都立高の6割で 幼児期の写真を要求も
(朝日新聞 2017年4月30日 21時39分)


東京の都立高校の約6割が、生徒が髪の毛を染めたりパーマをかけたりしていないか、
生まれつきの髪かを見分けるため、一部の生徒から入学時に「地毛証明書」を
提出させていることがわかった。勘違いによる指導を防ぐ狙いがあるが、
裏付けのために幼児期の写真を出させる例もあり、専門家から疑問視する声もある。

地毛証明書「生徒の外見で評判が…」 都立は私立を意識

(中略)

背景には、生徒とのトラブルを防ぐほか、私立高との競争が激しく、
生活指導をきちんとしていることを保護者や生徒にアピールするねらいもある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということだが、
このニュースを目にしたとき、

未だにこんなくだらないことしてんのか!
大学を出て、教師になった人間が、
きちんと脳みそつっかって考えてんのか!
このボケカスが!と
脊髄反射的に暴言が出てしまったが、
ふと、このニュースで、
法の下の平等を定めた
日本国憲法第14条1項の条文である。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

とあるが、特に「人種」という表現である。
「人種」によって差別してはならないというのは、
「黒人」「白人」など
生まれ持った先天性的なもによって差別しては
ならないと考えられる。
同じ日本民族であっても生まれもった体質や髪質で
公的機関が差別することはあってはならないと
類推して解釈できる。

事例で取り上げたニュースは、
頭髪の染色・パーマ禁止という
合理性の乏しい、くそくらえなルールによって、
生まれもって天然パーマや黒色以外の髪色をしている
個人やその家族に対して、
地毛証明書という、生まれもって黒色髪や天然パーマではない
人物が負わない義務や負担を課すという不平等極まりない
日本国憲法第14条1項の憲法違反行為を
この都立高校の教員達は行っていると私は思う。

日本国憲法第99条に

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

という条文があり、都立公立高校の教員は公務員であるが、
「地毛証明書」の提出という日本国憲法第14条違反行為をしていて、
遵守義務を果たしていない。

よく校則は生徒にルールを守ることを身に付けさすためと言うが、
憲法は最高法規であり、公立学校の校則よりもはるかに上位のルールであるが、
その教員達が最高法規を違反している振る舞いをしているとは
校則によって生徒にルールを守ることを身につけさすと言っても
全く説得力を感じられなくなる。

それにしてもこんな地毛証明書を提出させるという
愚かな振る舞いをする背景に

私立高との競争が激しく、
生活指導をきちんとしていることを保護者や生徒にアピールする

という何とも浅ましい表面的な理由で、
そもそも頭髪の染色・パーマ禁止というほとんど合理性を
感じられないルールを思考停止状態で、
惰性で残し続けている公立学校を見ると、
生徒に合理的に思考するトレーニングはできているのかと
生徒の思考力向上という観点から見ても不安を抱くわ。
まあ、そんな下らん校則を放置して、
地毛証明書というより愚劣なことを課す学校のもとで
柔軟かつ合理的に思考できる賢い生徒が育てられないのではないかと
思うのだ。

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