言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。.当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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ボインの語源・・・女優の朝丘雪路さんの逝去を受けて・・・語源のもとになった方が亡くなっても、その表現はなくならない

今日は、平成30年(2018年)5月21日 月曜日

先日、女優の朝丘雪路さん(1935年~2018年)が
ご逝去された。

さて、その朝丘雪路さんがいたからこそ、
生まれたある俗語がある。

その俗語を言い出したのは彼女ではなく、
大橋巨泉氏(1934年~2016年)である。

昭和41年(1966年)
日本テレビ系の深夜番組の11PMで司会を
していた大橋巨泉氏が
同じく司会をしていた
朝丘雪路さんの豊満な胸が自然と
視界に入る。

それを巨泉氏が
「ボイン、ボイン」と擬態語で
表現したことから
女性で豊満な胸のふくらみのある意味として
「ボイン」という表現が広まった。

それにしても、
もし、21世紀の現在、
そんな表現をテレビでしたら
セクハラだとバッシングされそうだが、
当時は「セクハラ」という概念になく
そんな批判もなく
「ボイン」はあっと言う間に
広まった。

その当事者が亡くなっても
その当事者が存在することによって
作られた表現はなくならず
表現され続けるのである。
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すす払い、その語源・・・電気ガスがない時代は釜戸で料理をして、ろうそくで灯りを保っていました

今日は、2017年(平成29年)12月20日 水曜日

12月中旬ごろを過ぎると、
新年を迎える準備として「すす払い」という大掃除が
行われ、普段ではあまり掃除のしない
天井などの部分を清掃したりする。

もともとすす払いは、神棚や仏壇を清めていて
宗教的な意味合いもあった。

さて、すす払いの「すす」の
漢字表記は「煤」で
木片などの有機物が不完全燃焼を
したことによる発生する炭素物質で
黒色である。

近代になって電気ガスが普及する以前は
囲炉裏や釜戸で木を燃やして料理をして、
室内の灯りはろうそくを燃やしていた。

そのため、天井や、天井近くにある神棚などに
すすが溜まっていたのだ。
そして、新年を迎えるのにあたり
天井などのすすを払う大掃除をして、
神棚や仏壇を清めていたのである。

その「すす払い」という表現は
電気ガスが普及して、家屋内に
すすが発生することがほぼ無くなっても
年末の大掃除の意味で
21世紀の現代も使用され続けているのである。


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明石家さんまの愛娘のIMALU(いまる)の名前の由来と日航ジャンボ機墜落事故・・・・明石家さんまは坂本九と同じ命日になっていたかもしれなかった

今日は、2017年(平成29年) 8月12日 土曜日

お笑い芸人で現在でも第一線で大活躍する
明石家さんまは今から32年前の今日が歌手の坂本九と同じく
命日になっていたかもしれなかった。

今から32年前の今日の
昭和60年(1985年)8月12日(月曜日)
明石家さんまは東京のフジテレビで「オレたちひょうきん族」の収録を終えた後、
大阪のMBSラジオの月曜レギュラーの
「MBSヤングタウン」に出演するため
羽田空港発伊丹空港行きのいつもの月曜日と同じくJAL123便に
搭乗する予定にしていた。
しかし、その日、「オレたちひょうきん族」の収録が早く終わったため
JAL123便より1つ早い全日空機に乗り換えた。
そう、その日のJAL123便は羽田空港を18時12分に離陸後
伊豆大島上空で操縦不能に陥り、
18時56分に群馬県上野村の御巣鷹山に墜落、
歌手の坂本九をはじめ520名の人命が失われた。

危うく難を逃れた明石家さんまであったが、
当日の「MBSヤングタウン」はJAL123便墜落関連の
報道特番になったが、
「いつも使ってる便やから…」と彼はショックの様子だったという。

もし、あの8月12日、「オレたちひょうきん族」の収録が早く終わらなくて
いつも通りの時間帯に終わり、そして、いつもの月曜日と同じく
JAL123便に明石家さんまが搭乗していて絶命していたら、
その翌年の昭和61年(1986年)にドラマ男女7人夏物語で
やがて結婚することとなる大竹しのぶとの共演もなく、
その大竹しのぶとの間に生まれた
愛娘のIMALU(いまる)は存在していなかった。

さんまが「いまる」という命名について
「いきてるだけで丸儲け」という彼の座右の銘が
由来となっているが、その座右の銘は、
彼が、日航ジャンボ機墜落事故から逃れたことも
その一因となっているという。

明石家さんまが日航ジャンボ機墜落事故から逃れ
命拾いしたことで、21世紀の現在も
私は彼が出演するテレビ番組を見て
爆笑するひと時を過ごしているのである。


当ブログの関連記事

2006年8月12日にアップ、当ブログで拍手数最多の記事です。
日航ジャンボ機墜落事故から21年~乗客が残した言葉に力を感じる

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化学、その語源・・・錬金術が化学の発展に果たし、幕末に日本の近代化学発展の礎を築いた人物が中国語を借りて翻訳した

今回は「化学」の語源について説明する。

「化学」は
物質の構成・性質・変換について分子・原子レベルで扱う
自然科学の一分野であるが。

それは、英語の「chemistry」の翻訳であるが、
実は、現在の「化学」に相当する表現は
日本では「化学」よりも先にあった

それは、舎密(せいみ)という表現が用いられていた。
それは、オランダ語で化学を意味する単語「Chemie」を
音写して考案された訳語である。
その翻訳を考えたのは江戸後期の蘭学者である
宇田川榕菴(うだがわ ようあん 1798~1846)である。

宇田川榕菴が生み出した造語には、
「水素」「酸素」「窒素」「炭素」などの元素名、
「酸化」「還元」「分析」という化学用語、
また生物学の用語である「細胞」も彼の造語である。
ちなみにコーヒーの漢字表現の「珈琲」も
彼の造語である。

イングランドの化学者ウィリアム・ヘンリーの
Elements of Experimental Chemistryの
オランダ語版を宇田川榕菴が翻訳した
1837年から「舎密開宗」を
彼の死後の1847年まで出版された。
「開宗」は「もののおおもとを啓発する」の意味である。

それで、その後、しばらくは日本では
舎密(せいみ)が使用されていたが、

「Chemistry」の翻訳として、
既に中国で使用されていた
「化学」という表現に切り替わっていく
原因となった人物として2名あげられる。

一人目は、宇都宮鉱之進
(のちの宇都宮三郎 1834年~1902年)である。

彼は、幕末に幕府開成所(明治時代の東京帝国大学源流組織)の
開成所精錬方(現在の東京大学理学部化学教室の源流)を

中国書の「化学入門」に

重学の力は物性を変せずと雖も
化学の力好く物性を変ずるを以って化学と名づく


という中国で使用されている「化学」の語を
初めて役所名にする進言をし、採用され
それが受け入れられ開成所精錬方が
1865年に開成所化学所と改名され、
日本で初めて、公式に「化学」という表現が
用いられたのであった。

ちなみに宇都宮三郎は明治時代になり、
セメントや、炭酸ソーダ、耐火煉瓦の国産化に尽力する。

さて、もう一人の人物は蘭学者であった
川本幸民(かわもと こうみん 1810年~1871年)である。

川本幸民は、宇都宮鉱之進に
教授手伝として協力してもらっていた。

川本幸民は
ドイツ のシュテックハルトが1846年に出版した
「化学の学校」のオランダ語訳の著書を
1860年に日本語に翻訳して
「万有化学」の書名で出版申請して、
その翌年に「化学新書」として出版された。
これが、日本で最初の化学の名をつけた著述とされる。

ちなみに、川本幸民は
ビール、マッチ、銀板写真機・電信機などを
日本で初めて作った人物とされている。

さて、宇田川榕菴がオランダ語から音写翻訳した
舎密(せいみ)は明治44年(1911年)に
出版された英和辞典にchemistryの訳として
「舎密」の語があったという。
明治時代が終わるころまで舎密は使用されていたようである。

さて、英語の「chemistry」は
もともとは錬金術を意味する「alchemy」に由来する。
その「alchemy」も
オランダ語で化学を意味する単語「Chemie」も
もともとはアラビア語の
「al-kimiya」に由来する。

「al」はアラビア語の定冠詞で、英語でいう「the」に相当する。
ちなみに、アルコール(alcohol)、アルカリ(alkali)も
アラビア語由来である。

「al-kimiya」の「kimiya」については諸説あるが、

エジプト語の黒を意味するchemであると言う説、
または、エジプトの術と言う意味の説。

他には、ギリシャ語で金属鋳造術の意という説があり、
「al-kimiya」は、錬金術という技術そのものという意味で
用いられたようである。

錬金術という金以外の金属から金を作ろうとする
試みは古代ギリシアから行われていて、
その古代ギリシアの錬金術の知識がイスラム圏に
伝わり、「al-kimiya」というアラビア語となり、
それがヨーロッパに伝わり、英語の「chemistry」や
オランダ語の「Chemie」に成っていったのだ。

錬金術の目的であった金の製造という夢は
人類は達成できなかったが、
錬金術の実験の過程で、
硝酸、硫酸、塩酸が発明され、
蒸留の技術が発展して、アルコール度数の高い
蒸留酒は錬金術師達の切磋琢磨の賜物であった。

化学の発展に錬金術が欠かせないものであり、
化学を意味する「chemistry」に錬金術が由来している
のは自然なことであり、
その表現を中国語を借りて、
幕末に日本の近代化学発展の礎を築いた者達が
「化学」という表現を用いて、
現在の日本人が使用しているのである。


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科学という言葉~中国の役人の受験勉強の言葉がラテン語生まれの訳語に使われた

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わくわく、その語源・・・・水がわきでるように気持ちがわきでる、明治・大正期まで、「わくわく」は恐怖など否定的な感情表現にも用いられてきた

「あしたの遠足が楽しみでわくわくする」

と言うように、
期待や喜びなどで、心が落ち着かず胸が騒ぐ様子を
「わくわく」するという表現が用いられる。

「わくわく」するの語源は、
水が湧き出る、水が沸くという場合に用いられる
「沸く・湧く」から派生したと推察されている。

その様子を、心から感情がわきでる様子と重ねて、
「わくわく」という表現になったのだろう。

現在では、「わくわく」は期待や楽しみの気持ちが
わきでるという肯定的な感情の表出の意味で用いられているが、
白百合女子大学の中里理子(なかざとみちこ)教授の研究によると、
明治・大正期のころまでは、
「わくわく」の意味が、怖い気持ちがあふれるような場合の
否定的な感情の表出に用いられたり、
また、特に、肯定的・否定的のどちらでもない
中立的な感情の表出にも用いられており、
「わくわく」は、肯定・中立・否定的な感情を包括して
なんらかの感情がわきでる様子を表す表現として用いられた
ようである。

それが「わくわく」が楽しみや期待という肯定的な感情の表出に限定
されてきた背景として次の点を中道教授が上げている。

①わくわくと類義語の「どきどき」との関連で意味が限定されてきた。

②「びくびく」「いらいら」などの否定的な感情表現のオノマトペが方が
肯定的なそれよりも多いので、「わくわく」は肯定的な感情表現で限定
されるようになった。

という分析ですが、
「わくわく」という表現を見ても、
時代とともに意味合いがうつろうのがわかり、
言葉は生き物だと思うのである。


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