言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

プロフィール

くわどん

Author:くわどん
世の中の森羅万象のことに好奇心を持つものです。
いろいろの世の中をことを知り、いろいろ言葉を
つづっていきます。
また、過去の各記事にアクセスしやすく
するため当ブログの目次専用ブログを随時更新中です。
目次専用トップページ http://blogs.yahoo.co.jp/
kuwadong/64865881.html 



最近の記事

2015年11月2日まで、10年間毎日更新してきましたが、その後は、週1回プラスアルファのペースで更新していきます。



カテゴリー



語源由来辞典からの引用

当ブログにおいて、語源のコメントを する時は、語源由来辞典から引用しています。

語源由来辞典へはここをクリック!!



リンク

このブログをリンクに追加する



フリーエリア



お買い物しませんか?



最近のトラックバック



最近のコメント



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



広告ですたい!



フリーエリア



赤いスイートピー~♪心に春が来た日は 赤いスイートピー~♪・・・この名曲を作曲した呉田軽穂(クレタ・カルホ)は、どうしてその名義で作曲したのか

今日は、2017年(平成29年) 4月16日 日曜日

今回取り上げるのは、
松田聖子の名曲「赤いスイートピー」である。
この曲は、昭和62年(1987年)1月21日に
発売され、約50万枚の売上げを記録した。

まず、「赤いスイートピー」を作詞したのは
元「はっぴいえんど」の松本隆である。

日本にニューミュージックという
ジャンルを切り開いたはっぴいえんどを
昭和47年(1972年)に解散後も
作詞活動に精力的に行い、歌謡曲の分野に進出。
昭和50年(1975年)に発売された
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」の作詞を行い、
この曲に大ヒットで、彼の作詞家の地位が確立した。

松田聖子は
昭和55年(1980年)にデビューし、
2枚目のシングルの青い珊瑚礁で大きく名を
広げることとなる。

昭和56年(1981年)の春、
松本隆は、CBSソニーの若松宗雄ディレクターから
松田聖子の曲の作詞の依頼を受けた。
彼は、それまで消耗品扱いされるアイドル歌謡曲を
長年歌い継がれるスタンダードナンバーにしたいと
思っていた。
松本隆は歌謡曲専門の作曲家ではない作曲者を
求めていた。

松田聖子6枚目のシングル「白いパラソル」で
松本隆は作詞を行う。
その時、作曲はチューリップのボーカルの
財津和夫であった。

また、彼女の7枚目のシングルの「風立ちぬ」を作詞、
作曲は、はっぴいえんどのメンバーだった大瀧詠一であった。

ちなみに、昭和56年には、松本隆が作詞した
ルビーの指輪がこの年の日本レコード大賞を受賞している。

さて、松田聖子の8枚目のシングル作成にあたり、
松本隆はある女性シンガーソングライターに

「ライバルに曲を書かない? 女性ファンが欲しいんだよ」

と言って、作曲を依頼する。

その女性は、はっぴいえんどと同じく
ニューミュージックというジャンルを切り開いた人物である。

その女性シンガーソングライターは、自分と違うジャンルであった
ことなどから松本隆の依頼を断り続けていたが、
彼女は歌謡曲とは一線を置きたいという思いもあり
呉田軽穂(クレタ・カルホ)というペンネームで作曲することで、
最終的に応じた。

その女性シンガーソングライターとは
ユーミンこと松任谷由実である。

呉田軽穂というペンネームは、
映画女優グレタ・ガルボ(1905年~1990年)をもじり、
「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」を逆にしてみたりして
考えたようだ。
(おそらく、垂れるを逆にすると「るれた」と「くれた」に近い)

さて、ユーミンは松本隆が作詞した歌詞に曲を作ったが、
にちに、ユーミンが

「提供した曲をダメ出しされたのは後にも先にも
その時だけなのですごく驚いた」

という出来事があった。

サビの

♪~赤いスイートピー~♪

の部分は

初めは、音程が下がる曲であったが、
プロデューサーから

「春をイメージした曲なので、
音程を上げて、春らしくして欲しい」

とやり直しを求められた。
ユーミンはその熱意に折れて、リクエスト通りに
作曲し直した。

そのことについてユーミンは

「今になって考えると春の歌だし、あれで良かったんだと思います。
そして、相手が誰であろうと妥協せずに向かい合うスタッフがいたからこそ、
彼女(松田聖子)は短期間であれだけの存在になれたのでしょう」

とコメントしている。

さて、作詞をした松本隆は

ユーミンが作曲した「赤いスイートピー」について、
次のようにコメントしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぼくの詩につりあう音楽性の高さを維持できる人は何人もいない。
作曲家としてのユーミンは細野晴臣、筒美京平と並ぶ僕のベストスリー。
細野さんや京平­さんには頭で曲を作るところがあって、時には転調が
強引すぎると感じる時もあるけど、ユーミンはごく自然に転調するから、
僕が『ここで話­を展開させたい』と思っているところに、凄くいいコード
(和音)が入ってくる。

たとえば「赤いスイートピー」の

”あなたって、手も握らない” と

”I WILL FOLLOW YOU” の間。

ここがとてもいい感じでつながっているからこそ
『手を握りたいけど、握れない』という躊躇とか、
ものすごくたくさんんのことが一行で言える。
作詞家は一行で百行くらいの内容を、しかも平易に言いたい。
だから、それなりの曲がどうしても必要になる

文藝春秋 2011年3月特別号
『時代を創った女1』 松任谷由実~ユーミンと自立する女性の世紀~
 柳澤 健(ノンフィクション・ライター)より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

赤いスイートピーの大ヒットの結果、
それまでぶりっ子キャラで女性から嫌われていたが
松本隆の目論見通り、女性フアンの拡大に成功した。

赤いスイートピーの大ヒット後も
ユーミンは呉田軽穂の名義で
松田聖子に「渚のバルコニー」「Rock'n Rouge」
などの楽曲を提供して、ヒット曲が続いた。
呉田軽穂の名義の作曲の曲を歌い続けた松田聖子は
1980年代を代表する
一大スーパーアイドルとなったのである。

赤いスイートピーは、
その後、様々なシンガーにカバーされたりして、
(パティ・オースティン(Patti Austin)というアメリカの大物歌手もカバー)
発売から35年以上経っても歌い聴き告がれており、
アイドル歌謡曲を
長年歌い継がれるスタンダードナンバーにしたいとう
作詞の松本隆の思いが実現している。


赤いスイートピー
作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂 
編曲:松任谷正隆(ユーミンの旦那さん)

春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ
煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから

何故 知りあった日から半年過ぎても
あなたって手も握らない

I will follow you あなたについてゆきたい
I will follow you ちょぴり気が弱いけど
素敵な人だから

心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー


四月の雨に降られて駅のベンチで二人
他に人影もなくて不意に気まずくなる

何故 あなたが時計をチラッと見るたび
泣きそうな気分になるの?

I will follow you 翼の生えたブーツで
I will follow you あなたと同じ青春
走ってゆきたいの

線路の脇のつぼみは 赤いスイートピー

好きよ 今日まで 逢った誰より
I will follow you あなたの生き方が好き
このまま帰れない 帰れない

心に春が来た日は 赤いスイートピー


松田聖子 赤いスイートピー
https://www.youtube.com/watch?v=ssdkxsJm2AA


Patti Austin / RED SWEET PEA (赤いスイートピー)
https://www.youtube.com/watch?v=fni9hqoeiBM


スポンサーサイト

テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


「objet」というピアノ曲と昭和62年の中山美穂主演のドラマ・・・切ないシーンによく似合うメロディ

今日は、2017年(平成29年) 4月 9日 日曜日

今回、ピアノ曲を紹介する。

それは、ピアニスト西村由紀江が作曲した

「objet」である。

この単語はフランス語で
英語で「object」と表記され、
「事物、物体、対象」
また日用品などを使用した「作品」などの意味を持つ。

この「objet」は、西村由紀江の
昭和61年(1986年)のデビューアルバム「Angelique」
に収録されている。(彼女が大学在籍中に発売したものである)

私がこの曲を初めて聞いたのは
中2の時の昭和62年のあるドラマ番組だった。

そのドラマとは
中山美穂が主人公でかつ
役名も「中山美穂」であった
「ママはアイドル」である。

ママはアイドルの中で、
何か切ないセンチメンタルなシーンに
よく使用されていた。
そのシーンにぴったり合うメロディであった。

いい曲だなあと思いつつ
曲名も全く知らなかったが、
それが、西村由紀江の曲で
「objet」」という曲名であるのを知ったのは
私が20代後半のころであった。

Objet(Piano Solo):西村由紀江
https://www.youtube.com/watch?v=aSYJSdf6d3o



テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


♪~なんにもない なんにもないまったく なんにもない~♪・・・やつらの足音のバラード・・・地球誕生から人類登場の歴史の歌詞をムッシュかまやつがメロディに乗せて

今日は、2017年(平成29年) 3月 5日 日曜日

先日、ムッシュかまやつ/かまやつひろし氏が
78歳で永眠したというニュースを耳にした時、
私の脳内のJUKUBOXのストックから

♪~なんにもない なんにもない
 まったく なんにもない~♪

という歌詞の
アニメ・はじめ人間ギャートルズの
エンディングソングの

「やつらの足音のバラード」

のメロディが再生された。

やつらの足音のバラードを作曲したのは
ムッシュかまやつ氏である。

昭和48年(1973年)生まれの私が
はじめ人間ギャートルズをよく見ていたのは、
小学生の時の夏休みアニメ劇場であった。

そして、そのエンディングで流れる
この曲は、いいなあと感じて
聞き入っていた。

作詞は、はじめ人間ギャートルズの作者の
園山俊二である。

歌詞の内容は、
地球の誕生から生命の出現、
それぞれの生物の栄枯盛衰、
地球環境の変化と生物の変化と
人類の登場の歴史を象徴的な
表現で綴られている。


1番の歌詞の最後の

なんにもない 大地に ただ風が吹いてた

と、2番の歌詞の最初の

やがて大地に 草が生え 樹が生え

という部分は、
現在、宇宙の誕生から生命の誕生の歴史について
説明している本を読んでいて、
その中で、
DNAを破壊する
太陽からの強烈な紫外線により、
地上に生命がない時代から、
酸素の増加によって、紫外線のバリアとなる
オゾン層が形成され、地上に植物が登場する説明の
ところをちょうど読んでいる。

それを知って、

やつらの足音のバラード

の歌詞にふれると、
人類が生存できる自然環境の条件と
その形成の悠久の歴史を想起させてくれる。

はじめ人間ギャートルズの
エンディングを実際に歌っていたのは
ちの はじめ(若子内悦郎)である。

やつらの足音のバラードは、

小泉今日子、スガシカオ、平井堅らが
カバーしている。


「やつらの足音のバラード」

園山俊二作詞・かまやつひろし作曲

なんにもない なんにもない
まったく なんにもない
生まれた 生まれた 何が生まれた
星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた
星には夜があり そして朝が訪れた
なんにもない 大地に ただ風が吹いてた

やがて大地に 草が生え 樹が生え
海には アンモナイトが 生まれた
雲が流れ 時が流れ 流れた
ブロントザウルスが 滅び
イグアノドンが 栄えた
なんにもない 大空に ただ雲が流れた

山が火を噴き 大地を 氷河が覆った
マンモスのからだを 長い毛が覆った
なんにもない 草原に かすかに
やつらの足音が聞こえた
地平線のかなたより マンモスの匂いとともに
やつらが やって来た
やって来た
やって来た



やつらの足音のバラード(かまやつひろし)
https://www.youtube.com/watch?v=kpTdeyHT5AY


Yatsura no Bara-DO (Suga Shikao)
https://www.youtube.com/watch?v=biErwZSGMyE








テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


壮大さと躍動感を感じるイントロがカッコいい!! Children of the New Century by TM NETWORK ・・・ミーム(文化遺伝子)として、20世紀のJ-POPが21世紀にも継がれれば 

今日は、2017年(平成29年) 2月26日 日曜日

今回、紹介したい曲は
TM NETWORKの
「Children of the New Century」である。

この曲は、昭和62年(1987年)11月11日に
発売されたTMの5枚目のアルバム「humansystem」の
オープニングソングである。

当時、中学2年生だった私が、
レンタルCD店で、「humansystem」を借りて、
早速、ステレオのプレイヤーで再生させたところ、
オープニングソングの「Children of the New Century」の
壮大さと躍動感を感じるイントロに

うぉぉぉ~かっこええ!!!!!!

とはまり込んでしまい、作曲とアレンジをした
小室哲哉の才能の凄さを感じた。

まあ、私としては、
この壮大さと躍動感を感じるイントロが
この曲を名曲にしている。

これが発売されて10年近く経ったころ
8歳年下の友人が、この曲について
どこかで聴いたようで、
「いいですよね」と共感しあったことを
思い出す。

この曲が2015年3月の横浜アリーナでの
TMのライブで演奏された時、参加していた方の
ブログに次のように書かれている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2曲目は「Children of the New Century」。
この曲が始まると場内はどよめきのような歓声に包まれた。
生で聴くのは初めてだったけど、
こんなにもライブ栄えする曲だとは思っていなかった。
イントロが壮大でとてもテンションが上がる。
あらためてこの曲のかっこよさに気付かされた。

PUBLIC IMAGE REPUBLIC さん
ライブレポート:TM NETWORK@横浜アリーナ2DAYS より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この曲を作詞をしたのは
小室みつ子で、TMの曲の作詞をよくしていた。
(ちなみに、小室哲哉と苗字が同じだが、親戚関係ではない)

歌詞に

1988 君はここにいる
ひとりきり明日をみつめて
1999 君はどこにいる New age's comin' up


と、この曲が発表された翌年の1988年と
21世紀という新世紀が近づく1999年という
未来を思う歌詞となっている。

この曲のイントロの壮大さと躍動感は
将来に来る新世紀に向って力強く進んでいくような
イメージを想起させた。

20世紀の1987年の時、2001年からの
21世紀という新世紀はまだまだ先の未来のことだと
いう感じであった。

2017年の現在、もう21世紀が17年目に入ったが、
この曲が発表された1987年、
バブル経済という
日本経済の黄金絶頂期の階段を駆け上がっていた時、
21世紀になって17年経っても
日本経済が長い20年以上の衰退状態になるとは
そのとき、誰も思っていなかっただろう。

経済的に衰退しても、
20世紀に蓄積された日本のJ-POPなどの
文化資産が21世紀の次世代の方々に、
クラシックJ-POPという
ミーム(文化遺伝子)が聴き引き継がれ、、
新しい音楽文化を生み出す糧にしてもらえればと思った。

Children of the New Centuryの2015年3月
横浜アリーナのライブの動画のリンクを貼っておきます。
イントロの47秒あたりから、壮大なパートに入ります。
ちなみに、ギターの木根さんかっこいい!!

【TM NETWORK】Children of the New Century 2015【30TH FINAL】
https://www.youtube.com/watch?v=ZCf6jXIRKBY


テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽


銀色の道~♪遠い遠い はるかな道は~♪・・・銀色の道を作曲したのは宇宙戦艦ヤマトの作曲者でもある宮川泰である

今日は、2017年(平成29年) 1月29日 日曜日

「銀色の道」という曲がある。
昭和48年(1973年)生まれの私が、
この曲を初めて耳にしたのは、小学4年生の冬である。

当時の電電公社(現在のNTT)のCMで
この「銀色の道」がCMソングとして使用されていて、
それを見た時が初めて、銀色の道を聞いた時であった。

そして、ちょうどそのころ小学校の音楽の授業で
教科書に載っていた「銀色の道」を習ったのであった。

そのCMと音楽の授業で「銀色の道」に触れる機会が
ほぼ同時期に訪れた(音ずれた)のであった。

この「銀色の道」は、

昭和41年(1966年)10月に
ザ・ピーナッツとダークダックスとの競作として
発売された。

作詞を担当したのは、放送作家として活動していた
塚田茂である。
彼は、放送作家として、
「夜のヒットスタジオ」「8時だョ!全員集合」などの番組立ち上げに参加、
また、NHK紅白歌合戦の構成に約30年関わってきた人物である。

塚田茂が作詞した「銀色の道」の歌詞の

遠い遠い はるかな道は 
冬の嵐が 吹いているが
谷間の春は 花が咲いている

という部分を読み
どこか懐かしさを感じたのが、
この曲を作曲した宮川泰である。

それは宮川が少年期に過ごしていた
北海道のオホーツク海側の紋別地区にあった
鴻之舞に重なる内容であったのだ。

鴻之舞には鉱山があり(1973年閉山)
紋別から鴻之舞鉱山をつないでいた
「鴻紋軌道」(宮川の父が土木技術者として建設に関わった)の
廃線レールがあるのだが、宮川がその廃線のレール跡の
水たまりに月の光が映る姿を見て、
「これこそ銀色の道だと確信した」という。

そして、晩年、また、宮川が父を亡くした後、
何度か紋別を訪れて、父の思いや自身の望郷の念が
深まり、鴻之舞が「銀色の曲」の原点だと確信
するようになったという。

そのようなエピソードもあり、
平成15年(2003年)に、
鴻之舞鉱山閉山30周年記念式典において、
鴻之舞鉱山跡地に「銀色の道」の歌碑が建てられ、
その式典に参列した宮川泰が
「銀色の道」の合唱する市民合唱団を指揮した。

このように
「銀色の道」は合唱曲として歌い継がれている。

そして、平成28年9月に、
アルバム『ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス』において、
「銀色の道」をmisonoが歌っている。

ちなみに、昭和41年に「銀色の道」を作曲した
宮川泰は、その8年後の昭和49年(1974年)
宇宙戦艦ヤマトを作曲することとなる。


銀色の道

作詞:塚田 茂、作曲:宮川 泰、

遠い遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
谷間の春は 花が咲いてる
ひとりひとり 今日もひとり
銀色のはるかな道

ひとりひとり はるかな道は
つらいだろうが 頑張ろう
苦しい坂も 止まればさがる
続く続く あしたも続く
銀色のはるかな道

続く続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
二人の星よ 照らしておくれ
近い近い 夜明けは近い
銀色のはるかな道

続く続く はるかな道を
暗い夜空を 迷わずに
二人の星よ 照らしておくれ
近い近い 夜明けは近い
銀色のはるかな道 はるかな道


銀色の道 ザ・ピーナッツ
https://www.youtube.com/watch?v=3C92qzWYIw0


このブログ内の関連記事
宇宙戦艦ヤマトの主題歌は名曲やね!あのイントロからいい・・・ヤマトの歌詞と311の原発事故を重ね合わせて・・・




テーマ:今日の1曲 - ジャンル:音楽