言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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孤独のランナー(Running On Empty)という1977年のジャクソン・ブラウンの名曲と尾崎豊・・・「孤独のランナー」を聴いたデビュー前の尾崎豊は衝撃を受け、デビューアルバムの曲を作曲する

今日は、2017年(平成29年) 5月14日 日曜日

今回、取り上げたい名曲は、
1977年に発売されたジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)の
Running On Empty(邦題:孤独のランナー)である。

初めて知ったという方は、先に以下リンクのページでその曲を
お聴きなさった後でもお読み下さい。(歌詞付です)

Jackson Browne - Running on Empty w/ lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=Vq25ZJwZJzU


1973年生まれの私が初めて
この曲を聴いたのは、今から7年~10年くらい前だろうか
当時の勤務先でいつもFM802を流していて、
この曲が聞えてきて、

初めの歌詞の部分の

♪~Looking out at the road rushing under my wheels~♪

から、軽快なメロディーに乗る「Looking out at~」から
聞き入ってしまった。

発売されてから約30年後に、私は初めて
この名曲を知ったのだった。

この「Running On Empty」は1977年に発売された
ジャクソンブラウン5枚目のアルバム「Running On Empty」に
1番目の曲として収録され、アルバムは全米で約700万枚を
売上げるの大ヒットとなった。

このアルバムは、
ジャクソン・ブラウンの1977年のライブツアーで、
ステージでの演奏をもちろんのこと
楽屋などで収録された曲を収録して、これまで
未発売の曲を収録しているのである。

その1番目の曲として、
ジャクソンブラウンが作詞・作曲した「Running On Empty」が
収録されたのである。

歌詞内容は、当時29歳の
ジャクソン・ブラウン本人がシンガーソングライターとしての
人生を試行錯誤しながら、先行き方向が揺らぎながらも
がむしゃらに走ってきたことの心情を伺える歌詞で、
「空虚な心のまま走り続け」という意味の
Running On Emptyという曲名の邦題に
「孤独のランナー」という訳を考えた方も素晴らしいセンスが
あるなあと思った。

さて、1980年代前半の日本にて、
ある少年がレコード店にて、この「孤独のランナー」のジャケットを見て
気に入って買った。その少年とはシンガーソングライターを目指していた
尾崎豊である。

そして、「Running On Empty(孤独のランナー)」を、
歌詞を見ながら聴いた尾崎豊はとてもこの曲に衝撃を受けたのだ。
それについて、次のようのコメントしているようである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな歌があるのかと、すごいショックだった。
いつも自分は変わり者だ、はぐれものだという意識があったけど、
その歌を聴くことで、自分が救われる気がした。
人生に対して、こんなふうにストレートに歌うことも出来るんだ


Welcome to Seraph Entertainment 尾崎が好きだった曲 より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この曲を聴いて強く影響を受けた尾崎豊はのちに
昭和58年(1983年)に発売される
彼のファーストアルバム「十七歳の地図」に収録される
「街の風景」を作詞作曲したのであった。

さて、尾崎豊の「卒業」という曲の歌詞に

♪~大切なのは何 愛することと生きるためにすることの区別迷った~♪

とあるが、ジャクソンブラウンの「Running On Empty(孤独のランナー)」の

♪~Gotta do what you can just to keep your love alive
  Trying not to confuse it with what you do to survive~♪

(愛を生かし続けるためにやれることはやらないといけない
 ただ、それは、生き抜くためにやることと混同しないようにしないといけない)

という歌詞と似ているなあと思った。
これについては特に情報はありませんが、尾崎豊が衝撃を受けた
「Running On Empty(孤独のランナー)」から感じ取って作詞していても
不思議ではないなあと思う。


Running On Empty(孤独のランナー)

作詞:作曲 Jackson Browne

Looking out at the road rushing under my wheels
Looking back at the years gone by like so many summer fields
In sixty-five I was seventeen and running up one-on-one
I don't know where I'm running now, I'm just running on

タイヤの下を過ぎ行く道をみながら
幾数多の夏の草原のように過ぎ去った年月を振り返り
1965年、俺は17歳で、1対1で向き合って走っていた。
今は何処を走っているかわからないけど、ただ走り続けている

Running on-running on empty
Running on-running blind
Running on-running into the sun
But I'm running behind

 
空虚なまま、走り続け、
あてもないまま、走り続け、
太陽に向って走り続けている。
ただ、誰かの後を走っているんだ。


Gotta do what you can just to keep your love alive
Trying not to confuse it with what you do to survive
In sixty-nine I was twenty-one and I called the road my own
I don't know when that road turned into the road I'm on

愛を生かし続けるためにやれることはやらないといけない
ただ、それは、生き抜くためにやることと混同しないようにしないといけない
1969年、俺が21歳で、己の進むべき道と言えるものがあった。
その道が今の自分が立っている道にいつ変わってしまったのかわからない。

Running on-running on empty
Running on-running blind
Running on-running into the sun
But I'm running behind

 
空虚なまま、走り続け、
あてもないまま、走り続け、
太陽に向って走り続けている。
ただ、誰かの後を走っているんだ。


Everyone I know, everywhere I go
People need some reason to believe
I don't know about anyone but me
If it takes all night, that'll be all right
If I can get you to smile before I leave

俺が知るあらゆる人も、あらゆる場所も
信じる何かの理由が人には必要なんだ
俺以外のことはわからないけど
一晩中かかったって、かまわない
俺が立ち去る前に君に微笑をもたらすことができたならね


Looking out at the road rushing under my wheels
I don't know how to tell you all just how crazy this life feels
I look around for the friends that I used to turn to to pull me through
Looking into their eyes I see them running too

タイヤの下を過ぎ行く道をみながら
この人生がどれほど狂ったものかに思えるか君にどう説明すればいいかわからない。
かつて俺の背中を押してくれた友を探し回ってる。
友たちの目をみると、彼らも走り回っているのがわかる。

Running on-running on empty
Running on-running blind
Running on-running into the sun
But I'm running behind

 
空虚なまま、走り続け、
あてもないまま、走り続け、
太陽に向って走り続けている。
ただ、誰かの後を走っているんだ。

Honey you really tempt me
You know the way you look so kind
I'd love to stick around but I'm running behind
You know I don't even know what I'm hoping to find
Running into the sun but I'm running behind

ハニー、本当に君は俺を魅了するね
君は自分を優しい人と思わせる術をわかっている
君から離れたくないけど、俺は誰かの後を走っているまま
俺さえ何を見つけたいかわかってないのはわかっているだろ。
太陽に向って走り続けている。
ただ、誰かの後を走っているんだ。


最後に、「Running on Empty」のライブバージョンの動画です
Jackson Browne 1977 Running on Empty
https://www.youtube.com/watch?v=ub0OC1fsl1s


このブログ内の関連記事

2007年4月25日の記事
尾崎豊が亡くなってから15年 ~ 現代社会の仕組まれた自由に人々は気づいているのだろうか?



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赤いスイートピー~♪心に春が来た日は 赤いスイートピー~♪・・・この名曲を作曲した呉田軽穂(クレタ・カルホ)は、どうしてその名義で作曲したのか

今日は、2017年(平成29年) 4月16日 日曜日

今回取り上げるのは、
松田聖子の名曲「赤いスイートピー」である。
この曲は、昭和62年(1987年)1月21日に
発売され、約50万枚の売上げを記録した。

まず、「赤いスイートピー」を作詞したのは
元「はっぴいえんど」の松本隆である。

日本にニューミュージックという
ジャンルを切り開いたはっぴいえんどを
昭和47年(1972年)に解散後も
作詞活動に精力的に行い、歌謡曲の分野に進出。
昭和50年(1975年)に発売された
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」の作詞を行い、
この曲に大ヒットで、彼の作詞家の地位が確立した。

松田聖子は
昭和55年(1980年)にデビューし、
2枚目のシングルの青い珊瑚礁で大きく名を
広げることとなる。

昭和56年(1981年)の春、
松本隆は、CBSソニーの若松宗雄ディレクターから
松田聖子の曲の作詞の依頼を受けた。
彼は、それまで消耗品扱いされるアイドル歌謡曲を
長年歌い継がれるスタンダードナンバーにしたいと
思っていた。
松本隆は歌謡曲専門の作曲家ではない作曲者を
求めていた。

松田聖子6枚目のシングル「白いパラソル」で
松本隆は作詞を行う。
その時、作曲はチューリップのボーカルの
財津和夫であった。

また、彼女の7枚目のシングルの「風立ちぬ」を作詞、
作曲は、はっぴいえんどのメンバーだった大瀧詠一であった。

ちなみに、昭和56年には、松本隆が作詞した
ルビーの指輪がこの年の日本レコード大賞を受賞している。

さて、松田聖子の8枚目のシングル作成にあたり、
松本隆はある女性シンガーソングライターに

「ライバルに曲を書かない? 女性ファンが欲しいんだよ」

と言って、作曲を依頼する。

その女性は、はっぴいえんどと同じく
ニューミュージックというジャンルを切り開いた人物である。

その女性シンガーソングライターは、自分と違うジャンルであった
ことなどから松本隆の依頼を断り続けていたが、
彼女は歌謡曲とは一線を置きたいという思いもあり
呉田軽穂(クレタ・カルホ)というペンネームで作曲することで、
最終的に応じた。

その女性シンガーソングライターとは
ユーミンこと松任谷由実である。

呉田軽穂というペンネームは、
映画女優グレタ・ガルボ(1905年~1990年)をもじり、
「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」を逆にしてみたりして
考えたようだ。
(おそらく、垂れるを逆にすると「るれた」と「くれた」に近い)

さて、ユーミンは松本隆が作詞した歌詞に曲を作ったが、
にちに、ユーミンが

「提供した曲をダメ出しされたのは後にも先にも
その時だけなのですごく驚いた」

という出来事があった。

サビの

♪~赤いスイートピー~♪

の部分は

初めは、音程が下がる曲であったが、
プロデューサーから

「春をイメージした曲なので、
音程を上げて、春らしくして欲しい」

とやり直しを求められた。
ユーミンはその熱意に折れて、リクエスト通りに
作曲し直した。

そのことについてユーミンは

「今になって考えると春の歌だし、あれで良かったんだと思います。
そして、相手が誰であろうと妥協せずに向かい合うスタッフがいたからこそ、
彼女(松田聖子)は短期間であれだけの存在になれたのでしょう」

とコメントしている。

さて、作詞をした松本隆は

ユーミンが作曲した「赤いスイートピー」について、
次のようにコメントしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぼくの詩につりあう音楽性の高さを維持できる人は何人もいない。
作曲家としてのユーミンは細野晴臣、筒美京平と並ぶ僕のベストスリー。
細野さんや京平­さんには頭で曲を作るところがあって、時には転調が
強引すぎると感じる時もあるけど、ユーミンはごく自然に転調するから、
僕が『ここで話­を展開させたい』と思っているところに、凄くいいコード
(和音)が入ってくる。

たとえば「赤いスイートピー」の

”あなたって、手も握らない” と

”I WILL FOLLOW YOU” の間。

ここがとてもいい感じでつながっているからこそ
『手を握りたいけど、握れない』という躊躇とか、
ものすごくたくさんんのことが一行で言える。
作詞家は一行で百行くらいの内容を、しかも平易に言いたい。
だから、それなりの曲がどうしても必要になる

文藝春秋 2011年3月特別号
『時代を創った女1』 松任谷由実~ユーミンと自立する女性の世紀~
 柳澤 健(ノンフィクション・ライター)より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

赤いスイートピーの大ヒットの結果、
それまでぶりっ子キャラで女性から嫌われていたが
松本隆の目論見通り、女性フアンの拡大に成功した。

赤いスイートピーの大ヒット後も
ユーミンは呉田軽穂の名義で
松田聖子に「渚のバルコニー」「Rock'n Rouge」
などの楽曲を提供して、ヒット曲が続いた。
呉田軽穂の名義の作曲の曲を歌い続けた松田聖子は
1980年代を代表する
一大スーパーアイドルとなったのである。

赤いスイートピーは、
その後、様々なシンガーにカバーされたりして、
(パティ・オースティン(Patti Austin)というアメリカの大物歌手もカバー)
発売から35年以上経っても歌い聴き告がれており、
アイドル歌謡曲を
長年歌い継がれるスタンダードナンバーにしたいとう
作詞の松本隆の思いが実現している。


赤いスイートピー
作詞:松本隆 作曲:呉田軽穂 
編曲:松任谷正隆(ユーミンの旦那さん)

春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ
煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから

何故 知りあった日から半年過ぎても
あなたって手も握らない

I will follow you あなたについてゆきたい
I will follow you ちょぴり気が弱いけど
素敵な人だから

心の岸辺に咲いた 赤いスイートピー


四月の雨に降られて駅のベンチで二人
他に人影もなくて不意に気まずくなる

何故 あなたが時計をチラッと見るたび
泣きそうな気分になるの?

I will follow you 翼の生えたブーツで
I will follow you あなたと同じ青春
走ってゆきたいの

線路の脇のつぼみは 赤いスイートピー

好きよ 今日まで 逢った誰より
I will follow you あなたの生き方が好き
このまま帰れない 帰れない

心に春が来た日は 赤いスイートピー


松田聖子 赤いスイートピー
https://www.youtube.com/watch?v=ssdkxsJm2AA


Patti Austin / RED SWEET PEA (赤いスイートピー)
https://www.youtube.com/watch?v=fni9hqoeiBM


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「objet」というピアノ曲と昭和62年の中山美穂主演のドラマ・・・切ないシーンによく似合うメロディ

今日は、2017年(平成29年) 4月 9日 日曜日

今回、ピアノ曲を紹介する。

それは、ピアニスト西村由紀江が作曲した

「objet」である。

この単語はフランス語で
英語で「object」と表記され、
「事物、物体、対象」
また日用品などを使用した「作品」などの意味を持つ。

この「objet」は、西村由紀江の
昭和61年(1986年)のデビューアルバム「Angelique」
に収録されている。(彼女が大学在籍中に発売したものである)

私がこの曲を初めて聞いたのは
中2の時の昭和62年のあるドラマ番組だった。

そのドラマとは
中山美穂が主人公でかつ
役名も「中山美穂」であった
「ママはアイドル」である。

ママはアイドルの中で、
何か切ないセンチメンタルなシーンに
よく使用されていた。
そのシーンにぴったり合うメロディであった。

いい曲だなあと思いつつ
曲名も全く知らなかったが、
それが、西村由紀江の曲で
「objet」」という曲名であるのを知ったのは
私が20代後半のころであった。

Objet(Piano Solo):西村由紀江
https://www.youtube.com/watch?v=aSYJSdf6d3o



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♪~なんにもない なんにもないまったく なんにもない~♪・・・やつらの足音のバラード・・・地球誕生から人類登場の歴史の歌詞をムッシュかまやつがメロディに乗せて

今日は、2017年(平成29年) 3月 5日 日曜日

先日、ムッシュかまやつ/かまやつひろし氏が
78歳で永眠したというニュースを耳にした時、
私の脳内のJUKUBOXのストックから

♪~なんにもない なんにもない
 まったく なんにもない~♪

という歌詞の
アニメ・はじめ人間ギャートルズの
エンディングソングの

「やつらの足音のバラード」

のメロディが再生された。

やつらの足音のバラードを作曲したのは
ムッシュかまやつ氏である。

昭和48年(1973年)生まれの私が
はじめ人間ギャートルズをよく見ていたのは、
小学生の時の夏休みアニメ劇場であった。

そして、そのエンディングで流れる
この曲は、いいなあと感じて
聞き入っていた。

作詞は、はじめ人間ギャートルズの作者の
園山俊二である。

歌詞の内容は、
地球の誕生から生命の出現、
それぞれの生物の栄枯盛衰、
地球環境の変化と生物の変化と
人類の登場の歴史を象徴的な
表現で綴られている。


1番の歌詞の最後の

なんにもない 大地に ただ風が吹いてた

と、2番の歌詞の最初の

やがて大地に 草が生え 樹が生え

という部分は、
現在、宇宙の誕生から生命の誕生の歴史について
説明している本を読んでいて、
その中で、
DNAを破壊する
太陽からの強烈な紫外線により、
地上に生命がない時代から、
酸素の増加によって、紫外線のバリアとなる
オゾン層が形成され、地上に植物が登場する説明の
ところをちょうど読んでいる。

それを知って、

やつらの足音のバラード

の歌詞にふれると、
人類が生存できる自然環境の条件と
その形成の悠久の歴史を想起させてくれる。

はじめ人間ギャートルズの
エンディングを実際に歌っていたのは
ちの はじめ(若子内悦郎)である。

やつらの足音のバラードは、

小泉今日子、スガシカオ、平井堅らが
カバーしている。


「やつらの足音のバラード」

園山俊二作詞・かまやつひろし作曲

なんにもない なんにもない
まったく なんにもない
生まれた 生まれた 何が生まれた
星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた
星には夜があり そして朝が訪れた
なんにもない 大地に ただ風が吹いてた

やがて大地に 草が生え 樹が生え
海には アンモナイトが 生まれた
雲が流れ 時が流れ 流れた
ブロントザウルスが 滅び
イグアノドンが 栄えた
なんにもない 大空に ただ雲が流れた

山が火を噴き 大地を 氷河が覆った
マンモスのからだを 長い毛が覆った
なんにもない 草原に かすかに
やつらの足音が聞こえた
地平線のかなたより マンモスの匂いとともに
やつらが やって来た
やって来た
やって来た



やつらの足音のバラード(かまやつひろし)
https://www.youtube.com/watch?v=kpTdeyHT5AY


Yatsura no Bara-DO (Suga Shikao)
https://www.youtube.com/watch?v=biErwZSGMyE








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壮大さと躍動感を感じるイントロがカッコいい!! Children of the New Century by TM NETWORK ・・・ミーム(文化遺伝子)として、20世紀のJ-POPが21世紀にも継がれれば 

今日は、2017年(平成29年) 2月26日 日曜日

今回、紹介したい曲は
TM NETWORKの
「Children of the New Century」である。

この曲は、昭和62年(1987年)11月11日に
発売されたTMの5枚目のアルバム「humansystem」の
オープニングソングである。

当時、中学2年生だった私が、
レンタルCD店で、「humansystem」を借りて、
早速、ステレオのプレイヤーで再生させたところ、
オープニングソングの「Children of the New Century」の
壮大さと躍動感を感じるイントロに

うぉぉぉ~かっこええ!!!!!!

とはまり込んでしまい、作曲とアレンジをした
小室哲哉の才能の凄さを感じた。

まあ、私としては、
この壮大さと躍動感を感じるイントロが
この曲を名曲にしている。

これが発売されて10年近く経ったころ
8歳年下の友人が、この曲について
どこかで聴いたようで、
「いいですよね」と共感しあったことを
思い出す。

この曲が2015年3月の横浜アリーナでの
TMのライブで演奏された時、参加していた方の
ブログに次のように書かれている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2曲目は「Children of the New Century」。
この曲が始まると場内はどよめきのような歓声に包まれた。
生で聴くのは初めてだったけど、
こんなにもライブ栄えする曲だとは思っていなかった。
イントロが壮大でとてもテンションが上がる。
あらためてこの曲のかっこよさに気付かされた。

PUBLIC IMAGE REPUBLIC さん
ライブレポート:TM NETWORK@横浜アリーナ2DAYS より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この曲を作詞をしたのは
小室みつ子で、TMの曲の作詞をよくしていた。
(ちなみに、小室哲哉と苗字が同じだが、親戚関係ではない)

歌詞に

1988 君はここにいる
ひとりきり明日をみつめて
1999 君はどこにいる New age's comin' up


と、この曲が発表された翌年の1988年と
21世紀という新世紀が近づく1999年という
未来を思う歌詞となっている。

この曲のイントロの壮大さと躍動感は
将来に来る新世紀に向って力強く進んでいくような
イメージを想起させた。

20世紀の1987年の時、2001年からの
21世紀という新世紀はまだまだ先の未来のことだと
いう感じであった。

2017年の現在、もう21世紀が17年目に入ったが、
この曲が発表された1987年、
バブル経済という
日本経済の黄金絶頂期の階段を駆け上がっていた時、
21世紀になって17年経っても
日本経済が長い20年以上の衰退状態になるとは
そのとき、誰も思っていなかっただろう。

経済的に衰退しても、
20世紀に蓄積された日本のJ-POPなどの
文化資産が21世紀の次世代の方々に、
クラシックJ-POPという
ミーム(文化遺伝子)が聴き引き継がれ、、
新しい音楽文化を生み出す糧にしてもらえればと思った。

Children of the New Centuryの2015年3月
横浜アリーナのライブの動画のリンクを貼っておきます。
イントロの47秒あたりから、壮大なパートに入ります。
ちなみに、ギターの木根さんかっこいい!!

【TM NETWORK】Children of the New Century 2015【30TH FINAL】
https://www.youtube.com/watch?v=ZCf6jXIRKBY


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