大ヒット緑茶「伊右衛門」 ~ 顧客の本音を引き出す質問を投げかて、大ヒット商品が生まれた
京都府の南部にある木津川市山城町に とある老舗のお茶の製造販売の会社がある。
その名は「福寿園」。
福寿園は、寛政二年(1790年) 創業したのは福井伊右衛門である。
「伊右衛門」と言えば、 サントリーの主力緑茶商品であるが、 その「伊右衛門」という商品名は 福寿園の創業者である福井伊右衛門に 由来している。
さて、このサントリーの緑茶「伊右衛門」は どのようにして誕生したのであろうか。
この「伊右衛門」開発の中心人物は 沖中直人氏である。 沖中氏は、1991年にサントリーに入社し、 「続のほほん茶」などの開発で見習い経て、 名実とも初のプロジェクトリーダーとなり、 そして、2001年「熟茶」というプーアル茶ベースの 茶を世に打って出たが、売れ行きが大不振で 1年で生産中止に追い込まれ、 「社内史上最悪の失敗」とまれ言われた。 その苦い経験が、「伊右衛門」開発につながるのである。
上司の斉藤部長は、この失敗について、 沖中氏を責めなかった。
斉藤部長は 「失敗の原因を徹底分析することで、ヒット商品開発の確率が 高くなる。何度も失敗して、辛酸を舐めた分だけ、 力が蓄積される。そのような開発者の方が、成功への 近道につながる。そして、弱気になり挑戦する意欲が なくなることが最も良くない」 と考えていた。
沖中氏も、辞職することも脳裏によぎったが、 「辞めたら負け犬で終わる」と思い、奮起、 早速、「熟茶」の失敗原因の分析に入る。
失敗原因を簡単に要約すれば、
「開発者の考える最高の味、品質、商品が自己陶酔になり、 時代の空気、消費者の嗜好を読めていなかった。」
ということだった。
失敗した「熟茶」の開発の過程で、どのような 失敗原因があったのか?
中国の雲南省で、雲南原産のプーアル茶を見つけた。 旨みもあるが渋みがある緑茶に対して、 渋みがなく旨みだけのプーアル茶なら 差別化できると考えた。 そして、プーアル茶は発酵すれば 健康成分が多くなり、かつ、まろやかな旨みがあるが故に 中国で「神秘のお茶」と珍重されていた。
そのような優れたお茶である事実を集め、 物語として伝えれば、お客に伝わると思い込んだが、 2001年当時は、失われた10年という長期停滞の 日本社会において、「内向きな気分」が漂っている中で 「中国の新しいお茶」を提案しても、お客に響かなかった。
旨みもあるが渋みがある緑茶に対して、 渋みがなく旨みだけのプーアル茶という差別化も 単なる平面的なポジショニングであり、 お客さんには意味がなかった。
そして、清涼飲料水はコンビニで売られ、まず一度手にとってもらい「とりあえず買って飲んでもらう」ことが重要であるが、 プーアール茶は、日本人には馴染みが薄いため、 第一印象で買ってもらうことができなかった。
沖中氏達は このように「熟茶」失敗の原因を分析し、 再起を胸に抱いていた。
2002年の夏のある日 別のチームが企画していた緑茶飲料の内容が 不評だったため、社内競合のプランを立ち上げるように 部長から急遽命じられた。
沖中氏達は 「熟茶」の失敗から 「いくら、素材が良くても、消費者をおざなりにした商品開発ではヒット商品は生まれない。」という 経験から、
・日本人にとって「お茶」とは、どんな存在で、その本質は何か? ・顧客は何を求めているのか?
それを徹底的に調べないといけないと考えた。 ただ、よくありふれた消費者調査だけでは、 表面的なニーズしかとらえることができない。
もっと掘り下げ、消費者自身が日常あまり考えていない 潜在的な根源的な意識を探る必要があると考えた。
その方法として、 新茶の開発に向けてウェブ調査を行った。
どうして、ウェブ調査なのか?
Face to Face のインタビューで、 顔が見える状態では本音を出しにくい日本人には 合っていないと考えたからだ。
そして、質問の内容も 回答者の潜在意識を浮き上がらせることを 狙ったものだった。
例えば、
「急須で入れたお茶は人・モノ・動物等に喩えると」
という質問があった。
そのような質問された方は、喩えを考えだすために 自分の原体験を反駁しないと 答えられない。それゆえに答えは深層心理で感じていることが 出てくる。
他に
「1年間、お茶を禁止する法案が可決しそうになったら、どのように反論するか」
「外国人にお茶の味を誉めるとしたら」
このようなすぐには返答できないような質問を投げかけることで、 懸命に答えを考えてくれた。
それに対する回答から次のように分析した。
「缶コーヒーとお茶飲料は大人の哺乳瓶」 という結論であった。
誰しも経験のあるお茶を飲むと「ほっ」とするあの感覚。ほんのり昔を思い出す、そんなどこか懐かしく安らげる
IT化、グローバル化が進んでも、 お茶を飲むとき、日本古来の生活文化に触れ 心が和み、安心する
それが、日本人にとっての「お茶の本質」であると 考え、次のような方針を打ち立てた。
ペットボトルのお茶でも、そのような安心感を提供し、 緑茶飲料に日本の生活文化の味わいを持たせること。
商品コンセプトとして、
「安心感と日本の生活文化の味わいを提供すること」
そして、そのためには 急須から淹れ立てのような本格派のお茶を目指さないといけない。 そのためには、コクや旨みを損なわないことが 重要であった。
しかし、従来の製造方法に問題があった。 従来の製法では、お茶を過熱殺菌するのだが、 ペットボトルが耐性温度が85℃なので、 85℃で過熱殺菌するのであるが、 85℃では過熱が不十分なため 抗菌力が強い渋み成分のカテキンを多く含み 旨み成分の少ない茶葉を使わざる得なかった。
そうであるならば、過熱殺菌しない方法が必要となる。 完全無菌ルームでペットボトルに充填すればいいのだ。
その方法は他のメーカーはすることはなかった。 なぜなら、そのための設備投資に100億円かかるからだ。
しかし、沖中氏は、その方法と取ることに決めた。
ただ、 新しい高度技術による製法を用いれば良いのかと言えば、 そうでなかった。
企業イメージの調査で
伊藤園・・・・「伝統的な製法」「茶畑のすぐそば」
とあるが、一方
サントリー・・「ウイスキー工場の片隅」
という回答があった。
いくら、サントリーが最高茶葉を用いて 最新テクノロジーで製造しても、 サントリーだけでは顧客に響かないと考えた。
そこで、沖中氏らが目をつけたのが、
寛政二年(1790年)創業の老舗の名門製茶メーカーである 福寿園であった。 老舗の福寿園との共同開発となれば、 お茶の本質を追究しているというイメージを 顧客に持ってもらえると考えた。
福寿園に提携をもちかけたのだが、
「うちのお茶は家業であって、事業ではない。サントリーさんがやっているのは緑茶事業であって、うちの考えとは相容れない。家業を次の代に引き継ぐのが使命で、そのようなリスクの高い話に乗れない」
とあっさり断れたが、 沖中氏はあきらめず、福寿園に説得を続ける。 そして、沖中氏は思いを次の言葉に託して伝えた。
百年品質、上質緑茶
寛政二年(1790年)創業で200年間 茶葉にこだわってきた福寿園と 明治32年(1899年)創業で100年間 水と製法にこだわりを持ってきた寿屋(サントリー)が 対等に組んで百年品質の商品を作る。
その沖中氏の思いに、福寿園は サントリーの本気さを感じ、 また、サントリーの技術力に納得し、 サントリーとの共同開発に応じた。
福寿園がサントリーとの共同開発に応じた理由として、 福寿園の福井社長は次のように語っている。
福寿園は『無声呼人』(声なくして人を呼ぶ、徳のあるところには、呼ばれなくても人が集まるという意)という家訓のもとに京都の地で二百有余年茶業を営んできましたが、業を継いできた先人は茶づくりの伝統の術を活かしながら、つねに新たな時代の技術やビジネスを取り入れて家業を発展させ、日本の心を伝えてきました。つまり伝統というものは、歴史と未来を融合させた”足し算の発想”によって継承されるものなのです。そして、二十一世紀の福寿園がこれから将来に渡って価値ある存在であり続けるためには、明日のために何をするのかが問われていると、私は考えました。明日のために福寿園はどんな足し算ができるのか、と」
明日、一人でも多くの人々にお茶のおいしさを知ってもらい、お茶の価値を感じていただくためには、一人でも多くの人においしいお茶を飲んでいただかなければならないのです。そのためにはまず、急須で淹れるお茶よりはるかに手軽に飲める、本当においしい緑茶飲料をつくることに価値があると考えました。ですから、いままでの緑茶飲料とはまったく違う本物のお茶のおいしさを商品化した緑茶飲料を、サントリーさんと一緒につくってみようと決断したのです
『なぜ、伊右衛門は売れたのか』/峰如之介 より
伝統というものは、歴史と未来を融合させた”足し算の発想”によって継承されるそのような福井社長の思いがあり、 サントリーと福寿園は 互いに真に高品質な茶を作るという思いとゴールを 共有した。
一方、社内に大きな壁があった。 完全無菌ルームでの非加熱無菌充填をするための 100億円の高額な設備投資に 経営陣の抵抗を防ぐかであった。
まず、福寿園の茶匠が200種類の茶葉から選んだ 最適のブレンドの現物を飲んでもらい、 顧客の本音によるデータという裏づけを用いて、 沖中氏は経営陣の抵抗に一歩も引かず、 説いた。
そして、沖中氏は経営陣を次のように説得する。
船に乗るのか乗らないのか。初の国産ウイスキーを 作って日本人の誇りを呼び覚まし、豊かな生活文化を 志向してきたのがサントリーです。 今、本物の緑茶飲料を作る。これに共感できなければ サントリーの人間ではない。
と、サントリーに企業理念を錦の御旗にして 半ば脅かしで決断を求めた。
ヒット商品を作れるようになるには 沖中氏の上司の斉藤部長は次のように言っている。
責任者は否定的意見を言っておけば責任が回避できる。だから優れたセンスの企画がボツになるかつまらなく修正されてしまう。負けないで説得できるようにならないといけない。
沖中氏は、経営陣という責任者に負けないで説得するだけの 蓄積を重ねてきたのだ。
さて、ペットボトルのパッケージをどのようにするのか? 当初、沖中氏らは 「急須で淹れたお茶のおいしさ」を再現することを方針としていたが、 サントリーのコピーライターの方が
急須のお茶なんて、いまどき誰も飲んでいない。 急須のお茶が飲めないから、緑茶飲料を買って飲んでるのだ。
と急須という考え方に待ったをかけた。
また、可愛いデザインのパッケージも考案されたが、 コアターゲットが 30代~60代の社会人男性なので、却下された。
そこで、沖中氏は どのようなパッケージが良いのか思案していた。 そして、ある日、昼食用に買った竹の皮で包まれた おにぎりが美味しく感じた。
その時、
「最もおいしいお茶を最もおいしく見えるパッケージにしよう」と
竹筒の水筒のイメージが沸き、竹筒方のボトルを 新商品の緑茶のパッケージにすることにした。
そして、新商品名に 福寿園創設者の福井伊右衛門にちなみ 「伊右衛門」とすることにした。
発売前、福寿園の方々に 創業者の名前である 「伊右衛門」という商品名のパッケージを見せると 福寿園の社長以下全員が絶句したという。 親族会議を経て、了承した。 最後は社長の仏前で先祖にうかがったという。
そして、「伊右衛門」のCMをどうするか? CMでは顧客の本音ベースの調査から考えれれた演出が なされた。
コアターゲットとなる 30代~60代の社会人男性のモニターに 何処で、どんな時に、どのような飲み物を飲んだかについて 日記に記述してもらったところ、 「仕事の一服」として、 お茶飲料や缶コーヒーを飲むことがわかった。
そこから、コアターゲットの潜在意識まで考え出された イメージが、先程にも紹介したように 「大人の哺乳瓶」であった。
そこから、ホッとする時間、癒しという連想で 「働く男が帰りたくなる家」というCMテーマが決まった。
伊右衛門役として、元シブガキ隊の俳優の本木雅弘が、 妻役を宮沢りえが 「働く男が帰りたくなる家」というCMテーマに基づき 一途に茶作りに打ち込む夫を優しく包むように支える妻 という演出がされた。
この本木雅弘と宮沢りえを起用したCMは 話題づくりに成功し、売り上げアップに寄与することになる。 このCMシリーズは CM総合研究所主催の 「CMが貢献したヒットBrand大賞」を 2年連続で受賞する。
商品を選んでもらう時、 ネーミングやパッケージを見たオジサンに 考えさせては駄目、2秒でどれを買わせるか 決めさせないといけいないと 言われるが、
コンビニの冷蔵ケースの扉を開けた時、 竹筒方のパッケージは思わず手にしたくなる形であり、 「伊右衛門」というネーミングも 惹きつけられるものであった。 「伊右衛門」の表示の横には 「京都福寿園」の表示があり、 お茶がわかる人には老舗ブランドという一流品と 感じさせるものである。
また、そのことを知っていなくても、 思わず手にした竹筒型 パッケージにある次の説明文
「伊右衛門」は寛政二年(1790年) 京都に創業した「福寿園」の創始者に ちなんで名付けています。 福寿園の茶匠が厳選した茶葉を使用。 「純水」で淹れたさっぱりとしたお茶に 「山崎の天然水」淹れたコクのあるお茶を合わせました。 さらにひとつつまみを加えた「石臼挽き茶葉」が お茶の甘味を引き立てます。
という説明文を読めば、価値が伝わる。 そして、実際に飲めばコクがあり旨みがあり おいしいので、リピーターが増える。
その結果、1年目から 3420万ケースを出荷する大ヒット商品となった。
この大ヒット商品はコンセプトに切れがあることが重要であるが、 大企業では、決済の判子を押す人が増えると 修正されまくってしまい、コンセプトの原型が失われ 切れが薄れることがある。 しかし、「伊右衛門」の開発に関して言えば、 開発の開始から最後まで、企画のプレゼンに行っても 判子(決済)の数はほとんどゼロで、 また、コンセプトの原型喪失防止のため 沖中氏は担当役員を同志として巻き込み、 決済の手続きを省略する戦術を取り、 役員もそれを受容したという。
そのようなことが可能であったのは、 「とにかくやってみなはれ」という サントリーの社風が影響していると考えらる。
その「とにかくやってみなはれ」で開発した 「伊右衛門」は 顧客の本音ベースを引き出す問いを投げかけたことで 顧客が共感する物語を作ることが可能となったとことで 大ヒットしたのだろう。
引用文献
野中郁次郎の成功の本質第25回 (リクルートワークス「Works Apr.-May」2006 p45~49)
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アナロジーを用いた命題化とヒット商品 「伊右衛門」以外に他のヒット商品に関して記述しています。
現代の伝記~「プロジェクトX」終了 「とにかくやってみなはれ」に関係すること
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