言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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もし私が公立高校の校長なら、服装・頭髪・化粧は一切自由ににて、生徒や親御さんに対してメイクアップやファッション講習を行い ファッションセンスの良い学校を目指す・・・こどもの日に「子どもの権利条約」の表現の自由から思ったこと

今日は、2017年(平成29年) 5月 5日 金曜日

で、本日はわが国日本では「こどもの日」という祝日であり、
その「こどもの日」にちなみ、
1989年で国連で採択され、日本政府が平成6年(1994年)に
批准発効したした「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」に
関係することを書きたいと思う。

そのまえに、
韓国のインターナショナルスクールに通っている日韓ハーフの16歳(記述当時)
の方のブログ記事を引用する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブログYUE짱's journey
海外の学校と日本の学校の比較〜校則編〜
2016年10月10日(月)


日本の高校に1年弱通い、インターに転校した私にとって学校で一番に差を感じたのは、
校則であった。日本の高校では、数多くの校則に縛られ、スカートは膝頭にかかるくらい、
頭髪、化粧、ピアスの注意など様々なことがあった。私の周りではどのようにすれば
先生に見つからないかを試行錯誤する生徒がたくさんいた。私はレベルの低い
先生相手に試行錯誤するのも無駄だと思っていたので、学校でのおしゃれは全く
をもってしなかった。
しかし、今こうしてインターナショナルスクールに通いながら疑問に思うことが沢山ある。


『なぜ髪を染めてはいけないのか?』これは生徒の誰もが思うのではないだろうか。
先生たちの模範解答はこうだ、『学校のイメージが悪くなる』そして、
世間でも『チャラい』というイメージがつきがちだと思う。

しかし、髪を染めることの何が学校のイメージを悪くするのか?
何をチャラく思わせるのか。

(中略)

私が通うインターでは20か国以上の国から生徒が集まっている。
もちろんその生徒らの髪色は全く違う。そして私の学校では染髪というものが許されている。
と言うより、許可をしない理由がないのだ。
個人個人のパーソナリティの主張はもちろん内面でもあるが外見からの方がより主張ができる。
その人にしかないセンスやindividuality などは尊重するべきではないのだろうか?
そしてこれらはもちろん外見からも内面からも大いに見ることができる。

日本の学校の髪を染めてはいけないという校則は、日本の中では通用するかもしれないが、
世界を見たときに、それは小さな社会でしかないことを日本人はわかっているのだろうか??
それこそ、グローバル化や国際社会と言われいる中、このような状況は適切なものなのだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現在、16~7歳と思われる女性の意見だが、
とても素晴らしく強く共感するものである。
彼女のコメントに、


個人個人のパーソナリティの主張はもちろん内面でもあるが外見からの方がより主張ができる。
その人にしかないセンスやindividuality などは尊重するべきではないのだろうか?

とあるが、服装はある種の自己表現である。

子どもの権利条約第13条に

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、
手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、
国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、
受け及び伝える自由を含む。

2 1の権利の行使については、一定の制限を課することができる。
ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、
次の目的のために必要とされるものに限る。

(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まあ、子どもの権利条約対象年齢の18歳未満の少年にも、成人と同様に。
他者の権利を侵害しない限り、社会の円滑な運営に障害にならない限り
表現の自由はあるよという事である。

日本の公立学校に生徒個人の自由を奪う
無意味、かつ、非合理な校則今もはびこる状況は
日本国政府が批准した子どもの権利条約第13条の
基本精神とは程遠い状況である。

また、子どもの権利条約第28条には、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

締約国は、学校の規律が児童の人間の尊厳に適合する方法で及びこの条約に
従って運用されることを確保するためのすべての適当な措置をとる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とあるが、男子は耳に髪がかかってはいけないというあほな校則があったり、
スカートは膝上何センチ以内というまあどうでもいい規則があったり、
とても 児童の人間の尊厳に適合する方法というこの条約の主旨に沿わないのが
日本の公立学校の現状である。また、その背景に文部科学省がこの条約の主旨に
反して、校則を適用外と解釈していることがある。

まあ、服装や制服の細かな規則はいざ社会人になったら、きちんと
服装や身なりを企業に受け入れられ就職できるようにするためと
いった理由があったりするが、
私個人の経験から、20年近く幾つかの企業の職場で勤務しているが、
そのうち18年くらいは服装自由の職場である。
また、他にクリエータ系の企業に就職したり、家業の小さな店を
引き継いだりするところでは正装がなかったりする。
特に公立学校では、多様な背景や多様な職業や職場選択をする
生徒が集まるのだから、一律の価値にもとづく校則は適さないと
思う。

なぜその規則があるのか「ルールはルールだ」と言って、
納得できる根拠を説明を教師ができなければ、先に
引用した16歳の少女のブログに

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はレベルの低い
先生相手に試行錯誤するのも無駄だと思っていたので、
学校でのおしゃれは全く
をもってしなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と書かれていたように軽蔑されるのだ。
軽蔑する尊敬できない人物から指導を受けても
説得力を感じなくて、効果がないだろう。

ふと、もし、私が公立高校学校の校長だったら、
子どもの権利条約や日本国憲法の基本的人権の尊重に則り、
制服なし、服装自由、髪の毛の色も自由、お化粧も自由と
するだろう。

髪の毛を染めることを禁止、また、お化粧の禁止の
理由として、その本人の皮膚を傷めるからという理由があるが、
それは禁止の理由にならないと私は思う。

その生徒をことを思うなら、
髪の毛を染めたり、お化粧をしたりして、皮膚のトラブルを
どう予防するのか、その方法を教えてあげるのが
本当の指導教育ではないかと思う。
よく事細かな無意味とも思える校則を正当化する理由に、
大人になって社会人になるために必要と言う意見があるが、
特に女性は、大人になって社会人になったら服装やお化粧は
必須になってくるので、学校で教えるのが適切ではないかと
思う。

また。専門のアドバイザーを学校に招いて、
「お化粧するならナチュラルメイクでクレンジングや
洗顔等のスキンケアもしっかりした方がいい」とお化粧をする
生徒に教えてあげる機会を設ける。

また、そのお化粧やファッションの専門のアドバイザーを招くときに、
保護者の方も来てもらって、その親御さん本人のリクエストに
応じたアドバイスもしてもらうということがあっていいだろう。
まあ、親御さんへもメークアップ講習をしたりするのだ。

また、所得格差に応じて、低価格の服装でおしゃれに見える
着こなし方をアドバイスしてもらったりして、
年に1度の学校祭にはファッションショーを開催したりして、
あの公立学校を卒業したら、ファッションセンスに磨きがかかる
というブランド力のある学校を目指したいなあとふと思った。

私はそのような立場ではないので、実行できず、しようともしないが、
そのような発想が思い浮かぶのは、自由があるからだ。
自由を抑圧するような無意味な校則のある学校ではできないだろう。
自由や個性を尊重し、よりよい社会になっていくように
誘うのが本来の学校のあり方ではないかと
子どもの日に子どもの権利条約の基本思想から
自由な発想を働かせ思いついたことを書きました。


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卒業式の定番曲「蛍の光」は、和洋中折衷の歌である。

今日は、2017年(平成29年) 3月12日 日曜日

卒業式の定番曲になっている「蛍の光」
もともと、イギリスのスコットランドの民謡である
Auld Lang Syne (オールド・ラング・ザイン)という曲に
東京師範学校教員であった稲垣千穎(いながき ちかい)が
文部省所属の音楽教育機関である音楽取調掛として、
作詞したとされる。

ほたるのひかり、まどのゆき、
ふみよむつきひ、かさねつゝ、
いつしかとしも、すぎのとを、
あけてぞけさは、わかれゆく。


歌詞の形式は、平安時代から続く
七五調四節の今様の形式となっている。

さて、1番の歌詞を漢字交じりで見ると

蛍の光、窓の雪、
書読む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く


という内容であるが、
曲名と歌詞の内容は、
悪条件の環境の中でも一途の学問を成し遂げたことを
意味する中国の故事「蛍雪の功」に由来する。

蛍雪の功の由来する人物は2名いる。

一人目は、4世紀ごろの中国の東晋末期の政治家であった
車胤(しゃ いん)。
彼の家は貧しく、灯りをともすための油も欠き、
夏の夜に袋に数十匹の蛍を集め、その光で書物を照らして
勉学に励んだと言われる。

もう一人は、車胤と同時代ごろに活躍した官僚であった
孫康(そん こう)。
彼の家も貧しく、灯りをともすための油も欠き、
冬には、窓から注ぐ
積雪が反射する月光で書物を読んだとされる。

そのような、蛍雪の功の逸話に沿った内容の
今様形式の歌詞には、
「掛詞」と「係り結び」がある。

何時しか年も、すぎの戸を
開けてぞ今朝は

の「すぎ」には

「年が過ぎる」と
「杉の戸」が掛詞となっている。

また、「開けて」には

「杉の戸を開ける」と
「年が明ける」が掛詞となっている。

そして、

開けてぞ今朝は、別れ行く

には、係り結びの文法になっている。

「開けてぞ」

の「ぞ」が「別れ行く」の
「行く」を連体形にして、
何か強い決意を表したような
強調する係り結びになっている。

さて、「蛍の光」の原曲は
イギリスのスコットランド民謡の
Auld Lang Syne (オールド・ラング・ザイン)という
作曲者が不明の「遠い昔」という意味の曲名の曲であるが、
18世紀には、スコットランドの詩人であった
ロバート・バーンズが
懐かしき旧友との再会を祝杯する内容の歌詞を付けた。
この曲は、スコットランドでは準国歌扱いされているという。

卒業式の定番曲になっている「蛍の光」は
スコットランドという「西洋」由来のメロディをベースに、
蛍雪の功という「中国」の故事をベースにした歌詞に、
そして、今様形式や掛詞や係り結びという「和」の要素という
「和洋中折衷」の曲だと言えるだろう。


平原綾香 「蛍の光」 「Auld Lang Syne」
https://www.youtube.com/watch?v=T_srayBoLko

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「ポケモン」と「メンコ遊び」と「昆虫採集」、ポケモンのルーツは昆虫採集にあり!・・・子供のころの遊びの性質を言語化することで、新しいアイデアのヒントになるかもしれない

今日は、2016年(平成28年)8月 28日 日曜日

私は、今月末まで、西宮市の西宮浜で勤務することになっているが、
さて、その西宮浜の高層マンション街である異変が起こっている。

それは、ポケモンGOのレアキャラがゲットできるエリアに
なっているようで、
道路脇に路駐している車も多々あるようで、
警察のパトカーが来て、注意喚起をしているほどに
なっているという。

私は、スマホを持たず、ポケモンGOはやっていないが、
1990年代半ばにポケモンがブームになった時、
ポケモンには、メンコ遊びや昆虫採集との共通性があり、
遊びの本質をついたものだと評論されたりした。
ポケモンには、
キャラクターを「集める」、そして「育てる」
そのキャラクターを通信機能を通じて、
他のプレイヤーと「競わす」、または「交換する」

この「集める」「育てる」「競わす」「交換する」
という4つの機能は、まさに、メンコ遊びや昆虫採集に
見られるものだ。

そう、まさに、ポケモンのの開発者である田尻智氏は
幼いころに昆虫採集にはまり込んで、虫博士と称されるほど
だったようで、昆虫を探しては友人たちと交換するという
少年時代を過ごし、その原体験が
ポケモンを通信機能で交換するというアイデアに結びついたのだ。

子供のころにはまった遊びの性質や機能を言語化することで、
新しいアイデアとして花開くことがあることがあるかもしれない。



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たんごむしはどうして汗をかかないの?・・・子供の不思議さを感じる力の素晴らしさを夏休み子ども科学電話相談を聴いて思う

今日は、2016年(平成28年)7月 24日 日曜日

夏休み期間、
NHKラジオでは、朝の8時05分の午前中、
夏休み子ども科学電話相談を放送している。

昭和59年(1984年)から30年以上放送しているが、
今年も7月21日から始まった。

私は、その日、最初の30分ほど聴いていたが、
最初の質問は、小学1年生の女の子からの質問で、

「どうして、だんごむしは汗をかかないの?」

とあった。

おおこれは、いい質問だなあと思った。
私はこのごろ職場でよく
だんごむしをみかけるが、全くそんなことを
疑問に感じることはなかった。

現在、43歳の私であるが、
日々の当たり前の日常で、当たり前のことに
疑問に感じり、不思議に感じたり感覚は小さくなるが、
そのような不思議を感じる力と
日常を当たり前を新鮮に感じる力が子供には、
あるのだなと思ったのであった。

その質問に答えたのは、
昆虫学者の矢島稔(やじま みのる)氏である。

矢島氏も「いい質問だね」と言っていた。

虫には、空気を出し入れする気門という穴があって、
そこから体で中で熱くなった空気を出したりしているのだよ。

という主旨の回答をしていた。


矢島氏は、この番組が始まった
昭和59年(1984年)から出演していたが、
この日が、この番組出演の最終回であった。

矢島氏は、専門の昆虫のことで、
ふだん気づいていないこと、
子供たちが質問してきて、
もっと勉強しないといけないと思って、
鍛えられたという。


このブログ内の関連記事


2012年8月31日の記事
夏休み子ども科学電話相談最終日・・・人類が培った知を引き継ぐ子どもたちがその次世代に伝えていきながら、新たな発見をしていくのだろう


2012年7月31日の記事
子供が不思議に思うことに答えて、次世代に知を伝える・・・・夏休み子ども科学電話相談を聞きながら

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大阪都構想住民投票を呼びかけるトイレットペーパー広告・・・トイレットペーパーの使用頻度が高い使い捨てという特性が広告に適しているかもしれない

今日は、2015年(平成27年)5月6日 水曜日

先週の土曜日、
自宅のある西宮市から
いつも髪を切ってもらっている
大阪市東淀川区の上新庄の美容室に行った時、
そこのトイレを使わせてもらった時、
トイレットペーパーに目が入った。

住民投票呼びかけトイレ紙 150502_1036~001

トイレットペーパーそのものが
5月17日に大阪市で実施される
いわゆる大阪都構想(特別区設置)に関する
住民投票を呼びかける広告が掲載されていて、
トイレットペーパーそのものが広告になっていた。

店の方によると
そのトイレットペーパーは商店街を通じて
配布されたようである。

トイレットペーパー広告は数年前からあるようだが、
私はそれを見るのは初めての経験であった。

トイレットペーパーそのものを広告にした
初めての人は、
どのような発想で、そのように思い至り、実行したのか
興味がある。

以前から、トイレットペーパーに模様などがデザインされた
ものが販売されてきたが、
そのようにできるなら広告を印刷することも
可能だろうと思ったのかもしれない。

人間なら必ず排便はするので、
トイレットペーパーを目にする頻度は高くなる。

公衆トイレであれば、
トイレットペーパーでの広告で
不特定多数の方々に伝える機会となる。

また、住民投票など公共的なイベントに来てもらえるようにと
各家庭のトイレのトイレットペーパーで使用されたら、
毎日、自宅トイレで目にすることになり、
意識付けを高める頻度を高くできる。

毎日使うものを広告にするとなった時、
トイレットペーパーのような使い捨てが適しているのかもしれない。
広告はその時々、用済みになればすぐに捨てられるものである。

毎日使うものだからと言って、
例えば、お箸などに広告をしても、使い捨てにできず
広告で伝えたいことの旬が過ぎてしまうし、
買うほうもそのようにすぐが旬がすぎるものが広告された
お箸なんて使いたいとも思わないだろう。

人が必ず使うもので使用頻度が高く、
公衆トイレなら不特定多数へのリーチがあり、
家庭用なら毎日、使用者に伝えることができる。
そして、使い捨てであること。

これらのトイレットペーパーの特性が
広告としても適しているのかもしれないと思った。


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