言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
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英語は「する」言語であり、日本語は「なる」言語である・・・動作主を明確にする英語と自然の成り行きでそうなったと表現する日本語

今日は、2017年(平成29年)8月28日 月曜日

日英語比較において、しばしば、
英語は「する」言語であり、日本語は「なる」言語であると
言われたりする。

例えば、次の簡単な同様の意味を日英文を見てみよう。

英語 :Spring has come.(春が来た)
日本語:春になった。

「Spring has come.」の英文は
Springという名詞をひとつの<もの>として認識し、
Spring なるものがこちらの方にやって来た、
と受け取れる表現の仕方をする。
つまり、Spring が「行為者」として行為を行うこと、
また行ったこと(「する」「した」)を
表現しているのである。
この例文のように英語は「する」言語と
言われる所以である。

一方、日本語文では、「春になった」という
事実以外、例えば誰が春になったのか、何が春になったのかなど
英文の「Spring has come.」にある Spring のように「行為者」を
示すものが存在していない。
日本語では「春になった」という事象を
「こと」として捉え、「行為者」を示さず
全体の状況(「~になる」「~なった」)を注視する
傾向がある。それゆえに、日本語が「なる」言語と
言われる所以である。
言語学者、英語学者である安藤貞雄は
つまり、そのような日本語の特徴について
行為者を表に出さず、
あたかも「自然の成行きでそうなった」と表現する
言語であると評している。

また、英語は「人間中心」の言語であり、
日本語は「状況中心」の言語でもあると評される。
例えば、服のボタンが外れたことを英語と日本語では

英語 :I’ve lost a button.(私はボタンを失った)
日本語:ボタンがとれちゃった。

と、英語では誰が行為したかに主点があり、
日本語では、どういう状況だったかに主点がある。

さて、同様の事例でもうひとつの英語と日本語文を比べてみると、

英語 :When I went out, I saw the moon shining.
   (私が外出した時、私は月が輝いているのを見た)

日本語:外出すると、月が輝いていた。

英語の「I saw the moon shining.」では、
「I=私」と語り手がはっきりと存在して
第三者的に、つまり、超越的な神の視点で
客観的に、状況に埋没せずに、表現している。

一方、日本語の「月が輝いていた。」では、
語り手の主体は表現されずに状況の中に埋没してしまい、
状況だけが表現されている。

英語と日本語を比較したそれぞれの特性をまとめると

○英語
・視点が客観的。
・原因と結果を線的に並べる。
・動作主を明確に表現して、因果関係を論理的に表現する。

○日本語
・視点が主観的。
・印象を点的に並べる。
・全体の雰囲気を醸成する表現になる傾向がある。

これらのそれぞれの言語の特性から
英語は「する」言語であり、日本語は「なる」言語であると
評されるのであろう。

日本は明治以来の近代化の過程で欧米語を翻訳することが多くなり、
それまでの日本ではあまり見られなかった
「何が彼女をそうさせたのか」などの無生物主語の文も
欧米語の翻訳の影響で見られるようになり、
また、動作主をはっきりさせ、より客観的論理的な表現も
多く見られるようになったが、それについて
フランス文学者・修辞学者である野内良三氏は次のように
評していて、その引用文を最後に紹介する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伝来の「自然な」日本語と「人為的な」日本語が並立しているのが
現在の日本語の現状である。
私の見立てでは、「XにはYがある」(ナル)の文型が日本語の基層にあり、
「XがYをする/所有する」(スル)がその上にかぶさっている。
日本人は「思想」は翻訳調の日本語で、「感情」は伝統的な日本語で
器用に対応している。
現在は翻訳調が勢力を増しつつあるけれども、本来の日本語(古典)の良さも
忘れるべきではない。翻訳調の日本語をさらに練磨することと、
忘れられつつある古典を見直すこと、それが現在の日本語に突きつけられた
課題であろう。

野内良三著「偶然」から読み解く日本文化~日本の論理・西洋の論理 P228より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



○このブログ内の関連記事

「春めいたきたなあ」という表現から日本語と英語の基本構造の違いをみる


◎以下2つの記事は、野内良三著「偶然」から読み解く日本文化が関係している記事です。

はかなさの二重性を感じる一句を過去に自分が創作していた・・・ある書物の再読で見た私の書き込みから見出して

川面に浮かぶ都鳥を見て一句、「~や」という句切れを意識して作ってみた・・・・俳句を生み出す日本語の特徴が日本国民を芸術的な国民にしているという



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「~である」は、西欧語の翻訳語として頻繁に使われ始め、普及に決定的な役割を果たしたは、明治時代のあの小説家だという

「私は日本人である」というように、
文末に「である」と表現することで、
主語のヒトやモノなどの状態や性質を表す述語を
つなぐ連辞の機能を果たしているが、

この「~である」は、鎌倉時代のころまでには、
「ニテアル」という表記がなされていたようだが、
書き言葉に使われる方が多く、話し言葉としては
あまり使われていたかったという。

さて、「~である」が話し言葉として
用いられるきっかけは、
江戸時代後期のオランダ語の翻訳にあるという。

そのころの「和蘭辞彙」というオランダ語の辞典の
翻訳の例文に

Dat zijn eerlijke lieden
(英訳すれば Those are honest people)

 夫(そ)レハ、正シキ 人々デアル 

と表記されているという。

また、「人々デアル」の「デ」は実際には「アル」という表記よりも
小さく書かれていて、あまり話し言葉として使われていなかったゆえ、
「デ」だけ小さく表記されていたのではないかと推察されたりしている。

まあ、オランダ語の「zijn」や英語のbe動詞など
西欧語の存在に関わる訳語として「である」が使われるようになり、
明治時代になると演説や小説などにも徐々に広がり始め、
そして、一般大衆までにも「である」を普及させるのに
決定的な役割を果たしたのが、国語学者の山本正秀によると、
夏目漱石だという。
そう、彼のデビュー作は 『吾輩は猫である』で
まさに「である」が表記で使われている。





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「正月」という表現は、古代中国の春秋時代からある・・・正しい暦を定めることは国の長である王の役目

今日は、2017年(平成29年) 1月 1日 日曜日

年の初めを「正月」と言うが、
その「正月」という表現は、
古代中国の春秋時代に遡る。


その時代について書かれた歴史書「春秋」に
年の初の月について「正月」と記述されている。

どうして、1月のことを「正月」と表現するように
なったのかについてはわからない。

「正」という文字に「頭(かしら)」とか「長(おさ)」という
組織のトップを意味する内容があるが、そこから
1年の最初の月を「正月」と表現するようになったのか?
それはわからない。

ただ、中国において、
為政者の役目に、天文現象を観測して人民に正しい時季を
授けることがある。

国の長である為政者は天文観測に基づき暦の基準となる
1年の最初の月を定め、「正月」と表現されている。

元日のことを「正朔(せいさく)」とも表現される。
「正」は年の初め、「朔」は月の初めの意を意味している。

「正朔を奉ず」という表現があるが、それは
古代中国で、新しい王が立てば暦を改めたことから
その王が定めた暦を認めるということは、
その王に服することになるので、
その統治に服する意味で「正朔を奉ず」の表現が
用いられた。

古代中国の王朝の
夏・殷・周はそれぞれ独自の暦を用いたとされ、
周は冬至日を含む月を「正月」としたとされている。

歴史書「春秋」では
魯(ろ)の国の隠公元年(紀元前722年)からの歴史が記載
されているが、その魯の王は周の暦に従っていたとされている。


ちなみに「春秋」は儒教の祖である孔子であるという説がある。



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「ええ」と「ええわ」・・・聞き間違い、誤解からものごとが進展してしまうことがあるものだなあ

今日は、2016年(平成28年)2月12日 金曜日


毎日、近所のドラッグストアで、生活必需品を
買っているが、ある女性店員の方から、

「(その店専用の)カードをプリペイド」にしませんか、

と昨年から何度かそのような提案をされてきたが、

プリペイドにそれほど魅力を感じず、
手続きが面倒というか、早く家に帰りたいと
思ったりもしたので、その提案を断り続けてきた。

ただ、一昨日のこと、

仕事の帰り、その店に行き、レジで清算をしようと
したら、その女性店員の方が

「今日、プリペイドをされたら、いつもよりも
キャッシュバックが増えますが」

と提案されたが、断りの示そうと

「(しなくても)ええわ」

と言ったつもりが、すると、

その女性店員の方が、笑みを浮かべながら、

「ああ、やっと、プリペイドしてくれた」

と言い出して、私は「あっ、『ええわ』という表現が、
その女性店員には「良いわ」というふうに思われて、
私がプリペイドを了承したと思われたしまったのだ!!!!!」

と思ったが、その女性店員の方が笑みを浮かべて話している
姿を見て、無下に断ることもないなあと思って、
プリペイドに必要な手続きとして、氏名を生年月日を書いて、
1000円支払った。

まあ、手続きは簡略で、30秒ぐらいで済んだ。

私が、拒否の意味で「ええわ」と言ったのだが、
おそらく、その女性店員の方からすれば、
昨年から、何度か提案して断れ続けて、提案して、
私からO.Kの返事を期待する気持ちがあり、
それゆえに私の拒否の意志の意味の「ええわ」が
「ええ」という「良い」という了承の意味として
受け取ったのだろうか。

ふと、この出来事から、
言葉を使うことの難しさみないなものを感じ、
また、このような誤解がきっかけで物事が進展して
しまうことがあるのだなあとしみじみと思うのであった。




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「I can not speak English」と語ったノーベル賞学者・・・・日本語という母国語できちんと思考できる力を養っていくことの大切さ

今日は、2015年(平成27年)10月9日 金曜日

今週発表されたノーベル賞の自然科学系で
日本人研究者が連日受賞したが、
ふと、ノーベル賞受賞で、今から7年前に
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士が
ノーベル賞受賞スピーチの冒頭で

「I can not speak English」

と語ったことがあったというエピソードがあった。

つまり、益川敏英博士は英語なんかできなくても、
母国語である日本語で思考していき、日本語を駆使して
研究を深めて、ノーベル賞受賞の研究成果を出していたのだ。

日本を除く多くのアジアやアフリカの国々では
数学・物理学・化学といった自然科学を学ぶためには、
英語やフランス語を学び、修得しなければならないが、
日本ではその必要がなく、日本語のままで
最先端のことを学ぶことができる。

それは、日本語の中に、科学を自由自在に理解し創造するための用語、
概念、知識、思考法があるからだ。
それは、日本の先人達が外国語の最先端のことをきちんと日本語に翻訳
してくれてきたおかげでもある。

母国語の日本語で大学の高等教育を受けることができ、
先端研究をしていて、また、20名以上のノーベル賞受賞者を
生み出してきたのが日本である。

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