言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。.当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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「今季」と「今シーズン」、どちらの表現を使いますか?・・・民間気象会社のウェザーニュースは「今季」と表現したり「今シーズン」と表現したり

今日は、2018年(平成30年)2月 7日 水曜日

強い寒気が日本列島に来ているというニュースで

「今シーズン最強の・・・」

と「今季」と言わずに
「今」という漢字と「シーズン」という
季節を意味する英語の「season」からの
外来語表記を混在した表現を使用している。

私は、NHKとフジテレビ系列のニュース報道で
「今シーズン」という表現を音声と文字テロップで
見聞きした。

せめてNHKぐらいは
「今シーズン」ではなく「今季」という
昔ながらの日本語のままで表現して欲しいなと
思いつつ

英語の季節の意味の「season」=「シーズン」が
日本語として定着化しつつあるのかと思った。

「今シーズン」という表現は
気象報道だけでなく、スポーツ報道でも
見られるが、

一方、スポーツ報道の中でも

今季0勝の沙羅 五輪勝てるか
なぜ勝てない?女子ジャンパー高梨沙羅は平昌五輪で雪辱を果たせるのか

今季11戦ゼロ勝のまま平昌五輪を迎える高梨沙羅は奇跡を起こせるのか?

2018年2月6日 10時22分
(THE PAGE) Yahooニュースより

というように「今季」という表現を使用している。

面白いと思ったのが、民間気象会社の「ウェザーニュース」の
気象ニュース情報

週前半は今シーズン最強の寒気が襲来
2017/12/10 05:13 ウェザーニュース


週中頃は今季最強クラスの寒気に注意
2017/12/04 13:13 ウェザーニュース



と「今季」と「今シーズン」という表現が
同じ気象情報会社でありながら混在していて
面白い。


このブログ内の関連記事

「ストレステスト」と「耐性試験」・・・表音文字のカタカナ表記と表意文字の漢字表記・・・外来語を表意文字の漢字表記に和訳すれば、さらに理解度は高まり、世界に発信できる言葉の力を得るのでは

「竜巻」と「ダウンバースト」・・・「竜巻」という上昇気流の方は漢字という表意文字で、「ダウンバースト」という下降気流の方はカタカナという表音文字が使用されることについて

水害での「バックウォーター現象」という外来語を翻訳もせず伝えることへの違和感・・・明治の日本人なら日本語に翻訳しようとしていただろう

日本語は「てにをは」を鋳型にして、外来語をどんどん吸収してきた・・・日本語の「詞-辞」構造で、

加速度を増す商品経済化とグローバル経済化と表音文字であるカタカナの外来語の氾濫で言葉が軽く扱われやすくなる・・・明治の知識人は外来語を表意文字の漢字に翻訳して言葉の本質を理解しようとしてきた・・日本語の「てにをは」を鋳型にした日本語の「詞-辞」構造ゆえに


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テーマ:ことば - ジャンル:学問・文化・芸術


日本語の「敬語」はもともとは親愛の気持ちの表現方法であり、それゆえに親愛なる女性へ発せられたのが敬語である

今日は、2018年(平成30年)1月24日 水曜日

平成11年(1999年)の雑誌「ウエッジ」の9月号に
日本文学者で万葉学者の中西進氏が執筆した
「日本人の忘れもの」というコーナーで、
日本語の「敬語」について説明されていた。

日本語の「敬語」はもともとは

親愛の気持ちの表現方法だったようで、
8世紀ごろまではそうのような機能を果たしていたという。

やがて、

 親愛→敬愛→尊敬

というように変化して、尊敬の意味としての
敬語になってきたようである。


そのような敬語の歴史をふまえて、

中西進氏は

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だからあくまでも、敬語は相手を愛する気持ちの表現方法なのだ。
愛は尊敬がなくては生じない。尊敬の気持ちのない愛があったら、
お目にかかりたい。それがごく自然に出ているのが本来の敬語、
さっき親愛をあらわすといったものだ。

だからそもそも敬語は女性に対して発せられた。(中略)
そもそも日本人の女性の扱いは、
愛と尊敬にみちていたのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と記述している。

私も含めた日本の男性のみなさん、
日本語の組み込まれている敬語の本来の意味をふりかえり
女性の方々に、愛と尊敬の気持ちで敬語を
使いましょう。

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加速度を増す商品経済化とグローバル経済化と表音文字であるカタカナの外来語の氾濫で言葉が軽く扱われやすくなる・・・明治の知識人は外来語を表意文字の漢字に翻訳して言葉の本質を理解しようとしてきた・・日本語の「てにをは」を鋳型にした日本語の「詞-辞」構造ゆえに

今日は、2017年(平成29年)11月 18日 土曜日

当ブログの記事
日本語は「てにをは」を鋳型にして、外来語をどんどん吸収してきた・・・日本語の「詞-辞」構造で、

概念本体や行為などを示す
部分を「自立語」は「詞」とされ、
いわゆる「てにをは」の部分を「付属語」は「辞」とも呼ばれ、
それゆえ、日本語は「詞-辞」構造になっているとされる。

さて、この日本語を「詞-辞」構造は
外来語の浸透に威力を発揮する。

と書いた。

助詞の「てにをは」を鋳型にして、
「自立語」は「詞」の部分にして、
「スマホ」などの外来語を
表音文字であるカタカナを活用して、
はめ込んで日本語文を構成して、
日本人に外来語の存在を意識づける
機能をはたしている。

それゆえに外来語の明確な定義がわからなくても
なんとなくわかったつもりで多くの日本人が使い出して、
あっという間に日本語圏に外来語が普及するのである。

外来語を「てにをは」を鋳型にして
はめ込むにあたり、幕末から明治のころは
「デモクラシー」などをカタカナの表音文字のままでなく
「民主主義」という漢字の表意文字に翻訳してきた。

漢字の表意文字に翻訳することで、
「民が主役」である「国民主権」ということを
日本人がより外来語を理解を深めることを
促進できたが、
20世紀後半以降は、
外来語をカタカナの表音文字のままにして
漢字の表意文字に翻訳することをしなくなってきた。
そのことによって、明確な定義があやふなや
外来語をなんとなくわかったつもりのまま
しようしてしまう程度がより高まってしまっているのでは
ないかと感じている。

外来語を翻訳せずにそのままのカタカナの表音表記のまま
使用していることについて、当ブログ記事において
以下の3つの記事で具体例をあげてきた。

原子力発電所の安全性を高めるためのコンピューター解析による耐性評価テスト
である「ストレステスト」という表記について

「ストレステスト」と「耐性試験」・・・表音文字のカタカナ表記と表意文字の漢字表記・・・外来語を表意文字の漢字表記に和訳すれば、さらに理解度は高まり、世界に発信できる言葉の力を得るのでは

例えば「耐性試験」と翻訳しないことについて、

次に

「竜巻」と「ダウンバースト」・・・「竜巻」という上昇気流の方は漢字という表意文字で、「ダウンバースト」という下降気流の方はカタカナという表音文字が使用されることについて

という気象現象について、上昇気流の激しい暴風現象である「竜巻」という
漢字の表意文字が使われているが、一方、下降気流の暴風現象を
「ダウンバースト」というカタカナの表記のまま使用され続けていて、
「downburst」は、強い爆発的な下向きの風という意味なので
例えば「下降暴風」という翻訳を考えないのかとか

水害での「バックウォーター現象」という外来語を翻訳もせず伝えることへの違和感・・・明治の日本人なら日本語に翻訳しようとしていただろう

では、

大雨で増水した支流の水が本流に流れ込もうとしても
支流よりも水量が多い本流の増水した流れにほって
支流の川の水が本流に合流できず流れ込めず、
本流に合流する付近の支流の流れが滞り、
水位が上がり氾濫したり堤防が決壊したりする
「バックウォーター現象」については、
支流の流れが本流の流れによって止められるということで、
「流止現象」とか、
本流の流れが支流の流れを栓のように止めてしまうということで
「流栓現象」とか、流れが滞るということで
「流滞現象」とか考えられそうと提案したりもしたが、

明治の知識人なら何らかの翻訳を考えていただろうと
思うが、現在の日本においては、
外来語をカタカナの表記のまま使用され続けている。

それは
欧米由来の言葉の音声がカタカナ表記のまま大量に
使用されるのは、世界の新しい動きが欧米発が多く、
日本初が少ない現状を表していると思う。

さらに、外来語がカタカナ表記のまま大量に
使用されることについて、

書家・書道史家の石川九楊(いしかわ きゅうよう)氏は
著書「日本語を問い直す」で論を展開しているので、
それを引用していく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

外来語を日本語として表記するのに最適な文字として片仮名が選ばれたのです。
その理由は、片仮名が不完全な文字、すなわち、半分は文字でありながら、
半分は発音記号であるという特徴をもっている文字(片方の「片」仮名です)
だからです。(p118)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、カタカナが有する不完全文字としてのありかたと
その発音記号性ゆえに外来語を日本語として伝える文字として
幕末から明治維新以降に活用することが高まった。

カタカナ外来語は、漢字という表音文字での翻訳語ができるまでの
とりあえずの仮の表記の役割を果たしていたのだが、
そのとりあえずのカタカナ外来語は翻訳されず
そのまま恒久的に日本語に定着してしまう傾向が
強まったのは、高度経済成長を終えた1970年代以降だと
石川氏は主張する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

七〇年代半ば以降、世界と日本はおそるべき商品経済・市場経済の段階に入りますが、
それを象徴するのが片仮名によって表記された商品です。
つまり、商品経済が、われわれの実体の経済や生活の速度よりも速く駆巡るために、
時間をかけて漢語に翻訳して、日本語のなかに受けとめることができないため、
とりあえずの片仮名語が氾濫することになりました。
片仮名という文字の、いわば国境を問わず(何語にも対応する)、出自を問わず
(どんな対象にも対応する)、歴史と文化を問わない(どんなに珍奇なものにも
対応する)という特徴は、現代の商品にとっては恰好のものでした。
そして片仮名が日本の現代商品経済を必要以上に加速した一面さえあります。
片仮名は商品市場の象徴的表記となり、そればかりか、いったんは
「電子計算機」や「電気掃除機」という名で受け止めた商品を
「コンピューター」や「クリーナー」へ改名するという芸当まで見せて、
現代商品の大洪水をもたらしました。(p120~p121)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

市場経済の加速度が増し、それにともない
商品のライフサイクルも加速度を増して、短くなったりするが、
その商品や製品が外来語を表音文字のカタカナ語のまま
漢字に翻訳されることとなく、加速度的に増えていくこととなった。
市場経済・商品経済の加速度性が増したこと、
そして、さらに、加速度性が増す
資本移動のグローバル化が、
表音文字のカタカナ語のまま外来語が増加することを
促進させたと想像できる。

さて、不完全で不十分な言葉であるカタカナの外来語が
広まりつづけることによって生じる懸念する傾向として
石川氏は次のように主張する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

片仮名は不完全で不十分な言葉です。片仮名を使うと、言葉が、
原語から日本語へ翻訳され受け止められる過程の中間段階にとどまります。
そのため、まだ日本語に翻訳されきらず、語の本質は隠蔽されます。
したがって、言葉が「軽く」それに従って商品も「軽く」
動き回るのです。
そのいい例が、「リストラ」や「バブル」といった時代語です。

(中略)

重い歴史的意味を担う「首切り」や「馘首(かくしゅ)」という言葉を
軽々しく口にすることはできません。しかし、「リストラ」というと、
「首切り」という重い言葉の本質は隠蔽され、中途半端になり、軽くなり、
だれもが平気で口にできるのです。

(中略)

「バブル」と言うと、「泡沫」という本質が隠蔽されて軽くなり、
八〇年代の時代状況を表す代名詞程度で使われるのです。
この片仮名語の氾濫は、本来、本当の思い(本質)を伝えるために
生まれた言葉(文字)が、本質を不問にしたまま使われるという、
憂慮すべき事態の進展を告げています。また、自己運動しはじめた
市場経済の「時代」の速度に、人間と実社会の側が追いつけなく
なったことを意味していると思われます。

p121~p122

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり、外来語がとりあえずの表音文字のカタカナ表記の
ままにされ、表意文字の漢字へ翻訳されないことで
語の本質は隠蔽が隠蔽され、その言葉が、
カタカナ表記の外来語で表現される商品も「軽く」
扱われる。そんな商品はあっと言う間に消耗品化
されてしまいやすくなりそうである。

この記事の冒頭で、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

表音文字であるカタカナを活用して、
はめ込んで日本語文を構成して、
日本人に外来語の存在を意識づける
機能をはたしている。

それゆえに外来語の明確な定義がわからなくても
なんとなくわかったつもりで多くの日本人が使い出して、
あっという間に日本語圏に外来語が普及するのである。

外来語をカタカナの表音文字のままにして
漢字の表意文字に翻訳することをしなくなってきた。
そのことによって、明確な定義があやふなや
外来語をなんとなくわかったつもりのまま
しようしてしまう程度がより高まってしまっている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と書いたが、「てにをは」を鋳型にして、外来語をどんどん吸収してきた
日本語の「詞-辞」構造ゆえに外来語を取り入れやすくするが、
それをカタカナの表音文字のまま放置していくことで、
その言葉が理解されずに軽く扱われしまう。
それが加速度性が増す商品経済化とグローバル経済化が促進して
しまっている。
それを防ぐにも、明治のころの知識人がしてきたように
可能な限り、表意文字の漢字への翻訳をしていくことを
して欲しいものだと思う。


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日本語は「てにをは」を鋳型にして、外来語をどんどん吸収してきた・・・日本語の「詞-辞」構造

今日は、2017年(平成29年)11月 3日 金曜日

日本語の文の構造の「詞」と「辞」について
少し説明する。

例えば、

「私は大阪に行く」

という文があるとして、

「私」「大阪」「行く」など

概念本体や行為などを示す
部分を「自立語」と呼び
そして、「は」「に」など
いわゆる「てにをは」の部分を「付属語」と
呼ばれている。

また、「付属語」が「自立語」を
膠(にかわ=接着剤のようなもの)のように
つないでいることから、「膠着語(こうちゃくご)」と
呼ばれたりする。

概念本体や行為などを示す
部分を「自立語」は「詞」とされ、
いわゆる「てにをは」の部分を「付属語」は「辞」とも呼ばれ、
それゆえ、日本語は「詞-辞」構造になっているとされる。

さて、この日本語を「詞-辞」構造は
外来語の浸透に威力を発揮する。

例えば、

彼はスマホアプリをアレンジした

という文があるとして、

「スマホアプリ」は
スマートフォンに使用される応用ソフトウエアの
ことであるが、
「スマホアプリ」という外来語の明確な定義を知らなくても
「スマホアプリ」を概念本体を示す「自立語」である「詞」にして、
それに膠につなぐ「てにをは」の「付属語」は「辞」にして、
文をつくれば日本語として成り立つのである。

「アレンジした」も「アレンジ」という外来語を「自立語=詞」として、
「した」を「付属語=辞」として、日本語の「詞-辞」構造に組み込んで、
つまり、「てにをは」などの「辞」が鋳型となり
その鋳型に簡単にはめ込むことができる「詞」の部分に
外来語を入れれば、すぐに日本語の文にしてしまえるのだ

それゆえに外来語の明確な定義がわからなくても
なんとなくわかったつもりで多くの日本人が使い出して、
あっという間に日本語圏に外来語が普及するのである。

例えば、平成29年(2017年)の
第48回衆議院議員総選挙の直前に

枝野氏がリベラル新党を立ち上げた

という出来事が発生して、
「リベラル」という外来語の表現が
用いられたが、
「リベラル」の意味がよくわからないまま
ネット上やマスメディアで表現されている。

特に外来語でも「リベラル」の意味が
よくわかりにくくなりやすい。
なぜなら、「リベラル」という表現は
ヨーロッパとアメリカでは意味合いが
歴史的背景などもあり違っていたりする。

欧米で違ってしまう「リベラル」という外来語の概念を
「てにをは」などの「辞」が鋳型に
簡単にはめ込むことができる「詞」の部分に入れて
日本語に入れてしまえば、
よりいっそう日本国内では、
一知半解のわかったようでわからないまま
使われそうである。

それは、日本語の「詞-辞」構造をもつ
宿命なのかもしれない。


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英語は「する」言語であり、日本語は「なる」言語である・・・動作主を明確にする英語と自然の成り行きでそうなったと表現する日本語

今日は、2017年(平成29年)8月28日 月曜日

日英語比較において、しばしば、
英語は「する」言語であり、日本語は「なる」言語であると
言われたりする。

例えば、次の簡単な同様の意味を日英文を見てみよう。

英語 :Spring has come.(春が来た)
日本語:春になった。

「Spring has come.」の英文は
Springという名詞をひとつの<もの>として認識し、
Spring なるものがこちらの方にやって来た、
と受け取れる表現の仕方をする。
つまり、Spring が「行為者」として行為を行うこと、
また行ったこと(「する」「した」)を
表現しているのである。
この例文のように英語は「する」言語と
言われる所以である。

一方、日本語文では、「春になった」という
事実以外、例えば誰が春になったのか、何が春になったのかなど
英文の「Spring has come.」にある Spring のように「行為者」を
示すものが存在していない。
日本語では「春になった」という事象を
「こと」として捉え、「行為者」を示さず
全体の状況(「~になる」「~なった」)を注視する
傾向がある。それゆえに、日本語が「なる」言語と
言われる所以である。
言語学者、英語学者である安藤貞雄は
つまり、そのような日本語の特徴について
行為者を表に出さず、
あたかも「自然の成行きでそうなった」と表現する
言語であると評している。

また、英語は「人間中心」の言語であり、
日本語は「状況中心」の言語でもあると評される。
例えば、服のボタンが外れたことを英語と日本語では

英語 :I’ve lost a button.(私はボタンを失った)
日本語:ボタンがとれちゃった。

と、英語では誰が行為したかに主点があり、
日本語では、どういう状況だったかに主点がある。

さて、同様の事例でもうひとつの英語と日本語文を比べてみると、

英語 :When I went out, I saw the moon shining.
   (私が外出した時、私は月が輝いているのを見た)

日本語:外出すると、月が輝いていた。

英語の「I saw the moon shining.」では、
「I=私」と語り手がはっきりと存在して
第三者的に、つまり、超越的な神の視点で
客観的に、状況に埋没せずに、表現している。

一方、日本語の「月が輝いていた。」では、
語り手の主体は表現されずに状況の中に埋没してしまい、
状況だけが表現されている。

英語と日本語を比較したそれぞれの特性をまとめると

○英語
・視点が客観的。
・原因と結果を線的に並べる。
・動作主を明確に表現して、因果関係を論理的に表現する。

○日本語
・視点が主観的。
・印象を点的に並べる。
・全体の雰囲気を醸成する表現になる傾向がある。

これらのそれぞれの言語の特性から
英語は「する」言語であり、日本語は「なる」言語であると
評されるのであろう。

日本は明治以来の近代化の過程で欧米語を翻訳することが多くなり、
それまでの日本ではあまり見られなかった
「何が彼女をそうさせたのか」などの無生物主語の文も
欧米語の翻訳の影響で見られるようになり、
また、動作主をはっきりさせ、より客観的論理的な表現も
多く見られるようになったが、それについて
フランス文学者・修辞学者である野内良三氏は次のように
評していて、その引用文を最後に紹介する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伝来の「自然な」日本語と「人為的な」日本語が並立しているのが
現在の日本語の現状である。
私の見立てでは、「XにはYがある」(ナル)の文型が日本語の基層にあり、
「XがYをする/所有する」(スル)がその上にかぶさっている。
日本人は「思想」は翻訳調の日本語で、「感情」は伝統的な日本語で
器用に対応している。
現在は翻訳調が勢力を増しつつあるけれども、本来の日本語(古典)の良さも
忘れるべきではない。翻訳調の日本語をさらに練磨することと、
忘れられつつある古典を見直すこと、それが現在の日本語に突きつけられた
課題であろう。

野内良三著「偶然」から読み解く日本文化~日本の論理・西洋の論理 P228より
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



○このブログ内の関連記事

「春めいたきたなあ」という表現から日本語と英語の基本構造の違いをみる


◎以下2つの記事は、野内良三著「偶然」から読み解く日本文化が関係している記事です。

はかなさの二重性を感じる一句を過去に自分が創作していた・・・ある書物の再読で見た私の書き込みから見出して

川面に浮かぶ都鳥を見て一句、「~や」という句切れを意識して作ってみた・・・・俳句を生み出す日本語の特徴が日本国民を芸術的な国民にしているという



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