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言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源、雑学など、時事ネタなど。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を多様な知を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空企業名を勤務先にしています。それを退職する時は私の人生が終焉する時です。当ブログ各記事に誘うための目次専用ペ ージはカテゴリートップにあります。PCページは画面左サイドに、スマホ画面からは下のマークの真ん中からカテゴリーにいくことができます

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二度と来ない今日という一日をどうぞ大切に大事にお過ごしください・・・ラジオ深夜便の第2と第4木曜の番組終了直前の午前5時前の石澤典夫アンカーの素敵な挨拶が生まれた背景は

今日は、令和6年(2024年)3月28日 木曜日

私は
西宮市今津駅近くの自宅から神戸三宮への職場に
出勤する時は、通常1時間もあれば通えるのだが、
たっぷり時間に余裕をもって
出勤したいので、始業時間が午前8時45分にも
関わらず、午前5時前の午前4時57分前後に家を出る。

私は、出勤時はポケットラジオでNHKラジオを
聴きながら外に出るが、
その時間帯は、前日の23時05分から放送されていた
ラジオ深夜便のエンディングソングがかかりながら、
その日のアンカーが番組終了時刻に合わせて終わりの
挨拶をするのだが、
私は特に、第2木曜と第4木曜(番組開始時刻の曜日は水曜)の
アンカーの石澤典夫さんの最後の挨拶が特に
心に残る。

そして、本日の第4木曜日の午前5時前も
番組終了時刻直前の挨拶で

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日もまた新しい朝がやってきました
 二度と来ない今日という一日を
  どうぞ大切に大事にお過ごしください


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

といつものこの素敵な表現をしていた。

その表現につづけて、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日の夜から今朝にかけて、ご案内はわたくし石澤典夫でした。
長い時間おつきあいいただきましてありがとうございました。
今日も穏やかな1日でありますように。
そして次回また元気でお会いしましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ラジオ深夜便を私が実際に耳にするのは
番組終了の5分ぐらい前くらいだが、
この石澤さんの挨拶を耳にするのが
お気に入りである。

石澤典夫さんは昭和27年(1952年)8月16日生まれ
昭和51年(1976年)NHKに入局して、
平成の最初のころの1990年代には
NHKニュース9、NHKニュースおはよう日本
NHKニュース7などの報道番組でキャスターを務め
平成21年(2009年)10月からラジオ深夜便のアンカーを
務めつつ、平成29年(2017年)NHK退職後も
フリーとして活動しつつ、ラジオ深夜便のアンカーを務めている。

私が、石澤典夫さんのアナウンサーとしての仕事で記憶に
残っているのが、
平成5年(1993年)7月12日に
死者202名、不明者28名を出す大災害となった
北海道南西沖地震の緊急警報放送などの報道特別番組の
アナウンサーをしていた時の映像である。

石澤典夫 a 北海道南西沖地震 緊急警報放送

津波警報の区域が拡大され、

石澤典夫 b 北海道南西沖地震 緊急警報放送

それにともなう新たな緊急警報放送を
伝えている時の映像である。


さて、そのような大災害時の緊急放送もなさってこられた
石澤典夫さんは 現代美術の芸術家である草間彌生さんの
「朝が来た」という作品との出逢いについて
草間彌生 朝が来た


画像はWalls-Tokyoより

月刊誌『ラジオ深夜便』2023年12月号にて
次のように語っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ステラネット
「ラジオ深夜便」石澤典夫アンカーエッセー「人生出会い旅~名画『朝が来た』」
2024.02.09 月刊ラジオ深夜便 編集部 
より


真っ赤な地に薄いピンクの泡のような小さなドットが一面に浮かぶ中に
白いコーヒーカップが 描かれています。カップの表面には
「LOVE FOREVER 2004」、 右下には「Yayoi Kusama」のサイン。
しかし購入の決め手となったのは左下に書かれていた文字「朝が来た」!

この作品と出会ったのは16年前。当時55歳の私は定年が迫り、
加えて仕事や介護などが複雑に絡み合って押しつぶされそうに
なっていました。そんなある晩、ベッドに入るといきなり胸の
苦しさを覚えました。規則正しく打っていた脈が突然飛び、
胸が「ウッ!」と締めつけられます。不定期に脈が飛ぶ初めての体験。
「このまま明日、目が覚めなかったら?」と唇が乾くような思いで
天井を見つめ、「皆が困らないためには?」
「あれもこれもやり残したままなのに?」と
最悪の事態ばかりが頭をよぎりました。

しかしその後、仕事も介護も家族や周囲の支えで何とか進むようになると
不整脈も徐々に緩和していきました。
そんなときに出会ったのがこの作品だったのです。

「朝が来た」の文字を目にしたとき、これは私の心の叫びだと
思ったのでした。
そして
「二度と来ない今日という一日を大事に大切にしよう」と、

このとき以来毎日、居間に掛けているこの絵を見ながら思い続けています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

石澤さんが55歳の時(平成19年頃)にいろいろ厳しい状況の時に
体調の突如の変化に命の危機を感じて、

「朝が来た」という絵題名の文字をみて、

心の叫びと思い、

二度と来ない今日という一日を大事に大切にしよう」と

思われたことが、ラジオ深夜便での番組終了前の
素敵な終わりの挨拶につながっているのだなあと思ったのであった。


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平成25年(2013年)7月12日の記事
北海道南西沖地震から20年・・・1993年(平成5年)7月12日、地震3分後に大津波に襲われた奥尻島

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西宮ガーデンズにて、あるカップルの様子を見て、サン=テグジュペリの「愛すること」に関する名言を思い出す

今日は、2015年(平成27年)11月 7日 土曜日

昨日の黄昏時が過ぎたころ、
西宮ガーデンズに行った時のこと
あるカップルを見かけた。

おそらく30歳前後だと見えたが、
男性の方はスーツを着ていて、
女性の方は、白いブラウスにジャケットに
スカートの姿であり、
女性の方は男性に腕組み
仕事帰りの週末デートを
ガーデンズ内で楽しんでいるようであった。

私はそのカップルが歩く様子を横から
見ていたのだが、
足元に注目がいった。

2人の歩くタイミング、歩幅が
自然と揃っているのだ。

お互いに自然と、右足を出せば、
2人とも右足、続いて左足と揃っていて、
歩幅も同じくらいで、女性が男性に
腕組みをしながら、2人とも前を向いて
歩いていく。

そのように歩くタイミングが自然と揃いながら
前を向いて歩いていくそのカップルを見ていると、
ある表現を思い出した。

それは、フランスの作家
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)
の作品「人間の大地」(1939年)に

愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、
いっしょに同じ方向を見ることだとである


Aimer ce n'est point nous regarder l'un l'autre
 mais regarder ensemble dans la même direction


という表現である。

そのカップルの2人が歩くタイミングと歩幅を自然と揃えて、
前という同じ方向に向かって歩いている姿から
大学時代の第2外国語のフランス語の時間で、
サン=テグジュペリの「人間の大地」で習ったフレーズが
脳内の記憶のファイルがクリックされ、
蘇ってきた。

何気ない日常の光景に
歴史に残る名言が蘇る機会があるのだなと
ふと思うのであった。




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さようなら春よ、私たちは永遠に向かって旅立つのです・・・・散り行く桜への岡倉天心の表現が秀逸である

今日は、2015年(平成27年)4月 5日 日曜日

西宮市今津にある自宅近くで
咲き誇る満開のソメイヨシノの桜も
散り始めた。

桜 津門川 150404_0634~001
津門川沿いの桜

桜 名神 150403_0606~001
名神高速沿い西宮インター近く

さて、この散り行く桜についての表現で、
秀逸だと思うのは、岡倉天心が「茶の本」で
書き表した表現である。

ただ、それを日本語訳のうちこれは
と思うのは、大久保喬樹(おおくぼ・たかき)氏による
ものである。

さて、そもそも岡倉天心の「茶の本」は
明治39年(1906年)に、
アメリカのニューヨークで英語で出版されたものである。

それで日本語訳となると少しヒトによって表現が
違ってくる。

さて、大久保喬樹(おおくぼ・たかき)氏の翻訳による
岡倉天心が散り行く桜について書いた表現を引用する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

花の中には死を栄光とするものもある。
日本の桜のように、すすんで風に身を委ねるのだ。

吉野や嵐山の桜吹雪を経験したことのある人なら誰でもわかるはずだ。

つかの間、花たちは宝石の雲のように渦巻き、
水晶のような流れの上を舞うかと思うと、
次の瞬間には、
笑いさざめく水の流れにのって消えていく、
あたかもこう語りかけながら、

「さようなら春よ、

私たちは永遠に向かって旅立つのです。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

いやあ、この表現に初めてふれた時は、

うわっ!!!すご~~~!!

と、散り行く桜についてこのように美しい表現ができるのかと

さて、もともとは岡倉天心が英文で書いたものだ。
その部分の原文の英文をその訳語にあわせてみる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Some flowers glory in death--certainly the Japanese cherry blossoms do,
as they freely surrender themselves to the winds.
 花の中には死を栄光とするものもある。日本の桜のように、すすんで風に身を委ねるのだ。

Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Yoshino or Arashiyama must have realized this.
 吉野や嵐山の桜吹雪を経験したことのある人なら誰でもわかるはずだ。

For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams;
 つかの間、花たちは宝石の雲のように渦巻き、水晶のような流れの上を舞うかと思うと、

then, as they sail away on the laughing waters,   
次の瞬間には、笑いさざめく水の流れにのって消えていく、

they seem to say: "Farewell, O Spring! We are on to eternity."
あたかもこう語りかけながら、「さようなら春よ、私たちは永遠に向かって旅立つのです。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても、死を栄光として風に身を委ねる散り行く桜の花の
美しさを英語で岡倉天心は伝えようとしたのだろうなあ。

この英文を読んだ英語圏の方々はどう感じるのだろうか?

まあ、日本人は短い命のはかなきものをとても愛でたりする。

短い花の時期を堪能するため桜花の木の下で
日本人達は愛でてきた。

そのはかなさを愛でる、そのはかなさを愛でる背景にあるという
日本人に伝わる無常観が、

この英文を見た外国人に伝わることはできているのだろうか、
そうであってほしいなあと思う。






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原発事故で母校を失った少女が卒業式の答辞で放った魂の言葉

今日は、2014年(平成26年)3月19日 水曜日

東日本大震災での福島原発事故で
被災したある高校生の少女が放った言霊に
心揺さぶられるものがあった。

2012年3月1日、
福島県の富岡高校での卒業式での
若林みのりさんの答辞である。

富岡高校は、原発事故での避難地域になったため
富岡から100km離れた、
福島市飯坂町の文化センターで、卒業式が行われた。

その卒業式での答辞で若林みのりさんは
次のように述べた。

私たちは人間のコントロールできない科学技術の発達によって
大切なふるさと、大切な母校を失った。
しかし、天を恨まず、自らの運命を自らの力で
切り開いていくことを誓います。


いざ過酷事故になると人間でもなかなか制御不能となる
原発での事故により故郷と母校を失った。
その事故をもたらした地震と津波という天災にあっても
それを恨んでいるだけでは何も先に進まない
そのような思いで、その答辞を述べたのかもしれない。

若林みのりさんは
もともと神奈川県に住んでいたが、
女子サッカーをしたい関係で
福島県浜通りの富岡高校に入学したという。

原発事故の後、放射能汚染を心配した
実家の父が、みのりさんに
実家に戻ってくるように強く説得したが、
みのりさんは福島に残ることを決断した。

その若林みのりさんが、卒業式の答辞で放った
言葉は、とても重みがあり、
現実を受け止め、前を向く潔さを感じる
心に強くのめり込む魂の言葉だと思った。




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「アホと言っているようでは○○○になれないな」・・・野球部の監督が野球部の生徒に「アホ」と怒鳴っていることに対して我が父が言ったひと言

今日は、2013年(平成25年) 1月19日 土曜日 

今年になって、
大阪府の高校での
バスケットボール部での顧問教師からの
体罰により生徒が自殺した事件が
マスコミ報道されるようになったが、

それに関して
PL学園で甲子園大会で2度優勝し、
プロ野球巨人軍で173勝の記録を残した
元投手の桑田真澄氏が

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました」
 元巨人・桑田の体罰否定論に多数の共感コメント
(J-CASTニュース 2012年1月12日17時23分)


「殴られるのがいやで野球をやめた仲間を何人も見てきた。
スポーツ界にとって大きな損失だ」

(中略)

「体罰を受けた子は、どうしたら殴られないで済むのかという
思考に陥ります。それでは子供の自立心が育たず、自分でプレーの
判断ができません。殴ってうまくなるなら誰もがプロになります。
私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と体罰否定論を展開した。

それを受けて、
私の父のあるひと言を思い出した。

私が高校生で和歌山県の実家にいた時であるが、
私の実家の前に、
とある高校の野球部の監督の自宅があり、
その自宅にその野球部員の生徒が多く出入りしていた。

その監督が野球部の生徒に対して
「アホ」とたびたび怒鳴っている声が
私の家にも聞こえてきた。

その時、父はこう言った。

「アホと言っているようでは、名監督になれないな」

思い返すと、私は父から
「アホ」とか「バカ」とか言われた記憶がない。

つい「あほ」と他人に対して言いたくなってしまうことが
あるようなことばあれば、
父に見習って言わないように心がけたい。


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