言霊・楽習社(がくしゅうしゃ) ~心豊かに、言葉を生み、人生を潤す~
語源や考えたこと、お気に入りの歌や発想法、雑学など、政治経済社会の時事ネタも書いたりしています。また、楽習社とは私の脳内にある架空の企業です。現実世界での所属組織や職業が変わろうとも、生涯、理系・文系を問わず、古今東西の学問を楽習(がくしゅう)して、生きていきたいので、架空の企業名を勤務先にしています。その会社を退職する時は私の人生が終焉する時です。.

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昭和42年(1967年)7月9日、神戸市や大阪府北摂地方に大水害をもたらした台風育ちの温帯低気圧

今日は、2017年(平成29年) 7月 9日 日曜日

今からちょうど半世紀前の今日の昭和42年(1967年)7月9日
そして、曜日も50年後と同じ、日曜日であった日に、
兵庫県神戸市から大阪府北部の北摂地方で、大水害が発生した。

その大水害をもたらしたのは台風育ちの温帯低気圧であった。

7月になり日本のはるか南方で発生した台風7号は
7月8日の9時に、沖縄の西の海上で熱帯低気圧となった。
その台風から変わった熱帯低気圧が西日本付近に停滞していた
梅雨前線に暖かく湿った空気を送り込み、
また、北からは冷たく乾いた空気が流れ込んみ
梅雨前線の活動がとてもに活発となった。

さて、その台風7号から変わった熱帯低気圧は
7月9日の午前9時には、九州の西方海上で
温帯低気圧となり、梅雨前線と一体化した。

天気図 昭和42年7月9日9時 

昭和42年7月9日午前9時の天気図 
気象庁 昭和42年7月豪雨 より

この天気図の九州西方の「L」という記号があるが、
これが、このもともと台風だった温帯低気圧である。

これがこの日に神戸市から北摂地方に大水害をもたらす
こととなるのである。

7月9日、神戸市では午前中に雨は強く
降り出したが正午過ぎにはいったん小康状態となる。
しかし、瀬戸内海付近に停滞していた梅雨前線に
台風育ちの温帯低気圧が東進して、神戸に近づくにつれ
紀伊水道から伸びる湿舌(湿気の多い気団で、天気図に表したとき舌状に
入り込んだ形になるもの。しばしば集中豪雨の原因となる)が、
六甲山系に流れ込むことによって、神戸市付近に強い雨雲が発達し、
16時以降には雨が激しくなってきた。

神戸 昭和42年7月9日 降水量推移
昭和42年7月9日神戸市 降水量時系列図
気象庁 昭和42年7月豪雨 より

図から見てもわかるように
時間雨量が60ミリ以上が3回あり、
1時間当たりの最高雨量:75.8ミリを観測する
猛烈な豪雨となり、
7月9日だけで、319.4ミリを観測する大雨となった。

神戸市中央区北長狭通8丁目(今の宇治川商店街)付近


道路に濁流が流れ込む神戸市内
神戸市中央区北長狭通8丁目(今の宇治川商店街)付近
神戸市 過去に神戸市で起きた水害(昭和の3大水害) より

この大量の大雨により六甲山を背にする神戸市では、
鉄砲水や土砂崩れが多発した。
中でも現在の新神戸駅北側の市ヶ原では,
長さ150m,幅30m の大規模土砂崩れが発生し、
そこでは、21名が亡くなった。

この日、神戸市を中心に兵庫県では90名以上が
大雨災害で亡くなった。

さて、兵庫県神戸市で大水害をもたらした
台風育ちの温帯低気圧は隣の大阪府でも
猛威を振るった。

大阪府北部の北摂地方でも大雨が降り、
北摂地方の観測所では、1日で255ミリ、
16時からの約6時間の雨量は187ミリを記録、
また、豊中市で時間雨量52ミリを記録した。

この激しい大雨で、
茨木市、箕面市、摂津市など北摂地方で
北摂地方を流れる安威川や箕面川、千里川などで、
氾濫や堤防の決壊や橋の流出や浸水被害が被害が多発して、
浸水約2500戸
死者不明者6名を出した。

この台風育ちの温帯低気圧による大雨は
神戸や北摂だけでなく、長崎県佐世保市や広島県呉市などをはじめ
各地に大雨被害をもたらして、
被害は24府県に及び、死者行方不明者は350名となり、
気象庁は昭和42年7月豪雨と命名した。



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10月20日のできごと・・・平成16年10月20日、台風「トカゲ」(23号)が上陸、死者95名不明3名の被害を出す、洪水でバスの屋上で乗客が一夜を明かす

今日は、2015年(平成27年)10月20日 火曜日

10月20日の過去のできごととして、
ふりかえるのは平成16年(2004年)10月20日(水曜日)
のできごとである。

平成16年の台風名「トカゲ」という
その年の台風23号が高知県や大阪府に上陸した
とともない西日本で大雨が降り、
特に兵庫県の淡路島とその北部と京都府北部では
大きな被害が出た。
それらの地方を含め全国で死者95名不明3名という
平成になって最も人的被害が大きい台風となった。

台風23号(トカゲ)は、
平成16年10月13日9時に
マリアナ諸島近海で発生した。

その後、やがて超大型台風に発達していく。
その台風23号は10月20日13時ごろに
高知県土佐清水市付近に、
中心気圧955hPa、最大風速40mの状態で
上陸した。その後、18時前に大阪府南部に再上陸した。

また、台風23号の北上接近にともない
本州・四国の南岸に停滞していた秋雨前線も北上し、
かつ、台風23号からの湿った空気により発達し、
四国や近畿地方で大雨を降らした。

私は台風23号の接近のとき、
兵庫県西宮市の自宅から京都市の職場に通っていた。
帰宅途中の19時ごろ阪急京都線の移動中の車両で
ポケットラジオで台風情報を聞いていて、
台風が大阪府南部に上陸したことを耳にした。

その後、20時ごろまでには西宮市の自宅に
戻り、テレビを点けると、時折臨時ニュースのかたちで
兵庫県内の主要な河川の水位があがり避難指示や
勧告が出ていたり、
映像で兵庫県内のどこかの町で浸水して、その浸水する中、
人々が避難する様子が映し出されていた。
また、私が住む西宮市内でも一部で避難指示が出されたりして、
けっこう大変なことになっているなあと感じた。

特に兵庫県北部と京都府北部では被害が拡大した。
兵庫県北部の中心都市の豊岡市(合併前の旧豊岡市)では、
中心市街地の大部分が円山川の河川堤防より低く、
洪水時には円山川本流から支流へ逆流しやすく
その防止のため洪水時には水門を閉め、
市街地の内水をポンプで強制的に本流へ排出すようにしていた。

ところが、ポンプの排水能力を上回る雨量となり、かつ、
円山川本流の水位が異常な速度で上昇を続け、
円山川の堤防の状態に危険がせまったため、
本流の水位上昇を加速させる内水の排水を停止した。

すると、支流の内水は行き場を失い市全域で浸水、
さらに、円山川本流の堤防も決壊し、
豊岡市内で大規模な浸水被害となった。

この台風23号で、兵庫県では26名が亡くなっているが、
兵庫県北部だけでなく、そのうち淡路島で10名が亡くなっている。

淡路島でも大雨となり、淡路島の洲本では、1日の雨量が309ミリと
同地での観測史上最大の雨量となった。

さて、京都府北部でも大きな被害が発生した。
京都府では15名亡くなったが、
そのうち印象に残っているが、京都府宮津市で
29歳の女性の方である。
家族に「乗っている車が川に流された」と携帯電話で
連絡した後、死亡が確認された事例である。

また、舞鶴市内の国道175号線では、
由良川から氾濫した水により、冠水と渋滞で止まっていた
観光バスが立ち往生、37人がバスの屋根の上で一夜を明かす
こともあった。

由良川で観光バスが水没 1266388196069

バスの屋根上で救助を待つ乗客
(画像は京都府丹後広域振興局のページより)

この台風23号の被害は兵庫県と京都府で注目されたが、
香川県でも11名が亡くなっている。


そして、この台風23号では大雨による人的被害が
目立ったが、大雨以外で亡くなった場合がある。

ひとつは高波である。
高知県室戸市菜生(なばえ)海岸で
高波により防潮堤が約30mにわたって破壊され、
それにより越水で13戸の家屋が被災し、3人が亡くなった。


他には暴風による人的被害である。
和歌山県有田市において、60歳女性が強風で煽られた
駐車中のトラックとトラックに挟まれ死亡している。

また、山口県山口市では、
強風に煽られ転倒し頭部を負傷した78歳女性が亡くなっている。

このように平成16年10月20日に日本列島に上陸した
台風23号(トカゲ)は、雨と風と高波などにより
死者95名不明3名という平成史上最大の人的被害を
もたらした台風となったのである。


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超A級台風・伊勢湾台風が襲った日~1959年9月26日

9月16日のできごと・・・1961年(昭和36年)9月16日、第2室戸台風、近畿を襲来・・・大阪市の3分の1を水没させた戦後最強クラスの超A級台風


9月24日のできごと、平成11年9月24日 台風18号による高潮で12名が亡くなる・・・台風の中心気圧が低いほど、中心付近の風速が強いほど高潮リスクは高まる。特に風下の湾奥は要注意

9月27日のできごと・・・平成3年9月27日 りんご台風の暴風の猛威が日本列島で吹き荒れる・・・亡くなった方々の多くは屋内にいれば命を落とすことはなかった

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10月19日のできごと、1987年10月19日、ニューヨーク証券取引所でブラックマンデーの大暴落・・・ブラックマンデーがなければ日本のバブル経済はなかったかもしれない

今日は、2015年(平成27年)10月19日 月曜日

今から28年前の1987年(昭和62年)10月19日の月曜日、
ニューヨーク証券取引所のダウ30種平均の株価が
1日で508ドル下がり、下落率では22.6%になるという
株価の大暴落が発生し、ブラックマンデー(暗黒の月曜日)と
呼ばれた。

その大暴落は世界大恐慌の引き金になった
1929年10月29日の
暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー)の
下落率12.6%を上回る規模だったので、
世界経済に緊張が走った。

その翌日、東京証券取引所の日経平均は
3636円下がり、下落率で14.9%となる大暴落となった。

このタイミングでの株価大暴落は
のちの日本経済に運命的な影響を及ぼすこととなっていく。

当時、日本では、2年前のプラザ合意による円高不況対策で
金融緩和を進めて、低金利になり、1987年の春ころには
景気回復を始め、日銀は金利引き上げの金融引き締めを
考え出していた。

そのような矢先に発生したニューヨーク証券取引所での
ブラックマンデーの大暴落で、東京市場も大暴落し、
日銀は金融引き締めを先延ばしせざるえなくなる。

そう、この金融引き締めの先延ばしが、
日本経済のバブル膨張を膨らませることにつながっていく。

東京株式市場では、翌年4月の昭和63年4月には
ブラックマンデーによる暴落を上回る株価となり、
株価はその後も高騰していく。
そして、土地価格も高騰していきバブルが膨らんでいったのだ。

やっと日銀が金融引き締めに動いたのは
元号が変わった平成元年(1989年)5月であったが、
もうバブルは膨らみきってしまい、翌年にはバブル経済は破裂を
始める。それが今に続く日本経済の停滞の起因となる。

もし、あの1987年10月19日のブラックマンデーがなければ
そのころに金融引き締めが行われ、バブル経済は膨らまず、
その崩壊による大量の不良債権を金融機関が抱えることなく、
日本経済はそれほど痛手を受けることがなかったのかもしれない。

ちなみに、当時の日本が金融緩和が遅れた理由について
アメリカへの配慮があったのではという見方がある。

もし、日本が金利を引き上げてしまうと、
金利の高い円に、アメリカの資金が大量に流れ込むことに
なってしまい、ブラックマンデーによる金融収縮に苦しむ
アメリカ経済を追い込むことになる。
そのような配慮が日本にあったのではないかという。

それが事実かどうかわからないが、
日本政府のあまりにも対米ケツ舐めぷっりを見ると
それもあり得ると思ってしまう。

それにしてもブラックマンデーがなければ
バブル経済は膨らまず、その崩壊による痛手も小さく、
日本経済は今とは違った状況になっていたかもしれないと
思うのである。


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9月22日のできごと、1985年(昭和60年)9月22日のプラザ合意で急激な円高ドル安が進む・・・あれから30年、日本の製造業の海外生産が進み、プラザ合意の副作用によるバブル経済発生とその崩壊から立ち直れない日本経済がある

1989年(平成元年)12月29日、東京株式市場、バブル絶頂の最高値の日・・・あれから20年、株価はその時の27%、かの世界大恐慌の時のNY株価も最高値更新に何年かかったか?

1929年10月24日、バブルがはじけて、世界大恐慌へ、第2次世界大戦への導火線がついていく

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10月15日のできごと、1582年10月15日、現代の世界標準の暦であるグレゴリオ暦がイタリア・ポルトガル・スペイン・ポーランドで採用される

今日は、2015年(平成27年)10月15日 木曜日

10月15日の過去のできごととして、とりあげるのは
1582年10月15日、
イタリア・ポルトガル・スペイン・ポーランドで、
現代の標準の暦であるグレゴリオ暦が採用された日である。

それまでは、古代ローマの政治家である
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が制定した
ユリウス暦が使用されてきた。

ユリウス暦は1年を365.25日として、
4年に一度、閏日(うるうび)を設けるようにした。

ところが実際、地球が太陽を回る公転周期の平均(太陽年)は
365.2422日であり、ユリウス暦とは微妙な差があった。
そうなると、ユリウス暦は太陽年よりも
1年の長さが平均して11分少々長くなる。

1年に11分と言っても1000年以上の経てば
その差は大きくなり、
16世紀後半になると、
キリスト教の復活祭の日付の起点となる
春分日が実際の太陽年による日付より10日もずれている
ことがわかった。

つまり、3月21日頃にあるはずの春分が、
16世紀には3月11日になってしまっていた。

そこでローマ・カトリック教会は暦の改訂のために、
改暦委員会に暦法改正を委託。

その委員会で、
400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いて
その年を366日として、
400年間における1年の平均日数を、
365日プラス97/400 =365.2425日とする
暦を提案。

その暦はほとんど太陽年の365.2422日とは差が
なくなる。

そのため閏年に関して次のようなルールが設けられた。

西暦年が、4で割り切れる年は、閏年とする   例 2016年
1であっても、100で割り切れる年は平年とする 例 1900年、2100年、2200年、2300年
2であっても、400で割り切れる年は閏年とする 例 1600年、2000年

ということになる。それにもとづき、2000年は閏年となったのであった。

さて、ユリウス暦からその新しい暦への改訂を1582年に当時の
ローマ教皇であったグレゴリウス13世が制定したため。グレゴリウス暦と呼ぶようになった。

1582年にユリウス暦からグレゴリウス暦に変更された時、
10月4日の翌日が10月15日になった。

日本で、グレゴリウス暦が採用されたのは
明治6年(1873年)1月1日。それまでは太陰太陽暦が採用されていて、
太陰太陽暦の明治5年12月2日の翌日には、
グレゴリウス暦の明治6年(1873年)1月1日となった。

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10月14日は「鉄道の日」・・・日本の鉄道の輸送密度は高く、鉄道の年間輸送人員数は世界一

今日は、2015年(平成27年)10月14日 水曜日

10月14日は「鉄道の日」である。

これは明治5年(1872年)10月14日に、
日本初の鉄道として、
新橋駅(後の汐留貨物駅、現・廃止)と
横浜駅(現在の根岸線桜木町駅)の間、29kmで
開業した日に由来する。

ちなみに当時はこの日は、旧暦の9月12日であった。
当時の暦は旧暦使用だったので、9月12日と一般的には
認知されていた。


日本で初めての鉄道が開業してから50年の
大正11年(1922年)に当時の鉄道省が
10月14日を「鉄道記念日」にした。

終戦後の昭和24年に、10月14日が当時の国鉄の記念日となった。

やがてその国鉄は民営化されたのであるが、
「鉄道記念日」のままでは、旧国鉄のJRの色が強すぎるということで、
当時の運輸省の提案で「鉄道の日」となり、
平成6年(1994年)から「鉄道の日」となった。


もう日本で鉄道が開業して140年以上経つが、
日本全国47都道府県に鉄道があり(沖縄県にモノレールがある)
また、日本の鉄道として輸送密度の高さがあり、
日本全体の鉄道の年間輸送人員は世界一と言われ、
2位のインドのそれより4倍あるとされ、
世界全体のそれの40%~60%を占めるとされる。

また、乗降客数の多い駅ランキングで
新宿駅、渋谷駅、池袋駅、梅田駅、横浜駅と日本の駅が
トップ5を占める状態である。


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