信楽高原鉄道事故から30年・・・42名が亡くなった大事故はどのように要因で発生したのか
今日は、令和3年(2021年) 5月14日 金曜日
今から30年前の平成3年(1991年)5月14日(火曜日) この日の午前10時35分頃 滋賀県にある単線の信楽高原鐡道で、 上り列車と下り列車が正面衝突して、死者42名、負傷者614名となる 大事故が発生した。
信楽高原鐡道はもともと国鉄信楽線として 昭和8年(1933年)に開業。 昭和62年、国鉄信楽線は、国鉄の分割民営化の流れのなかで 第三セクターとして、信楽高原鐵道株式会社として発足した。
つまり、信楽高原鐡道は旧国鉄(現JR)とは別組織になった。 これが事故の背景に関わってくる。
事故が発生した平成3年、この年の4月20日から 沿線の信楽町では、「世界陶芸祭 セラミックワールドしがらき'91」が 開催されていた。 当初開催期間中の来場者は35万人と予想されていて、 その来場者の25%にあたる9万人を鉄道輸送で対応しようとしていた。 ピーク時には、1日あたり9000人の輸送が必要とされたが、 信楽高原鉄道は1日あたり平均2000人の輸送だったので、 輸送力強化のため JR西日本から直通列車が信楽高原鐡道に乗り言えることになった。 (実際、予想以上の来場者で5月11日は来場者は50万人を超えていた。)
信楽高原鐡道は、 JR草津線の貴生川(きぶがわ)駅と信楽駅の間、 全長14.7kmの単線であるが、 JR草津線の貴生川(きぶがわ)駅からJRの列車が 信楽駅に向かうようにしていた。 単線なので、信楽駅からの上り列車と貴生川からの下り列車が 衝突しないように、小野谷信号場で待機線をつくって 片方から進む列車が待機して、もう片方から進む 列車の通過を待つようにしていた。

事故当日の5月14日、 下り列車であるJRの臨時快速列車が世界陶芸際に訪れる 乗車率約250%という超満員の716名の乗客を乗せ 午前9時30分に京都駅を定刻より5分遅れて発車。
それを受けて、三重県亀山市にあった 草津線などを運行管理するJR西日本の亀山CTCでは 臨時快速列車の遅れを知り、 午前9時44分、遠隔操作で「方向優先てこ」を作動。 「てこ」とはスイッチのようなもので、 「方向優先てこ」は下り列車が遅れた時に使用する。 それを作動させることで、小野谷信号場の信号を赤にし続けて、 上りの信楽駅からの列車を停車させ、 小野谷信号場で行き違いが可能となる。
午前10時16分頃、 信楽駅から発車する予定の上りの信楽高原鐡道(SKR)の列車が発車できずにいた。
それは、信楽駅の出発信号が赤信号から出発指示に変わらなかったからである。
一方、下りのJRの臨時快速列車は 貴生川駅を予定より2分遅れて10時18分に信楽高原鐡道の路線に入り 信楽駅に向かい出発する。
一方、信楽駅では、なかなか信号が赤信号のままなので、手動にきりかえ 10時25分に出発した。
実は、この事故の前の5月3日、 信楽駅からの上り電車が発車時刻になっても赤信号がかわらなかったため 赤信号のまま発車。 その時、「誤出発検知装置」が正常に作動して、 小野谷信号場の信号が赤となり、貴生川駅から来た下りのJRの列車が 小野谷信号場に待機していたことがあった。
だが、この5月14日は「誤出発検知装置」は作動せず 小野谷信号場の信号は青のままだった。
午前10時30分 貴生川駅を発車した下りのJRの臨時快速列車は 小野谷信号場にさしかかると、 待機しているはずの上りのSKRの列車はなかった。 信号が「青」なので、 ああ、上り列車はまだ信楽駅に止まっているのだろうと 思い、そのまま小野谷信号場を止まることなく通過。
そして、午前10時30分過ぎ 小野谷信号場を通過した下りのJRの臨時快速列車の前に 時速54kmで走ってきた上りのSKRの列車が現れ ブレーキをかけるも間に合わず正面衝突した。
この結果、JRの列車で30名、SKRの列車で12名、 計42名が亡くなる大事故となったのである。



この事故の原因・背景要因については 様々な要因が絡み合っている。
まずは、信楽高原鐡道が 信楽駅から赤信号で変わらない信号を手信号に変えたが、 そのため小野谷信号場に職員を派遣して、下り電車が そのまま通過しないようにする対応をするべきなのに、 小野谷信号場に職員が到着するのを待たずに 信楽駅を出発したことにある。 到着が遅れた原因に道路に交通渋滞があった。
ただ、他にJR西日本と信楽高原鐡道の連携不足があるともされる。
亀山CTCが方向優先テコを作動したことを 信楽高原鐡道に伝えたというが、信楽高原鐡道は聞いていないと 「言った・言わない」となってしまっている。
また、JR西日本と信楽高原鐡道とも法令に基づく手続きを経ずに 無許可に信号システムの改造をしていた。
信楽高原鐡道に乗り入れたJRの車両が信楽高原鐡道で遅延したりすると 京阪神のJRの各線まで影響するので、JR西日本は 小野谷信号場に「方向てこ」を取り付けたかったが、 他社である信楽高原鐡道に勝手に取り付けることはできず JR西日本の提案は却下されるが 勝手に、「方向てこ」を取り付けた。 また、これを当時の運輸省の当局に届け出をせずに 行っていた。
信楽高原鐡道も 小野谷信号場は峠で 登っている途中でブレーキをかけないといけなくて 減速を余儀なくされるため運転手には不評で 対向列車が信号場内に入線していることも 信号が警戒に切り替わるために必要な条件であったが、
対向列車が信号場内に入線していなくても ポイントが開通した時点で信号が警戒に切り替わるように変更 した。
そして、事故当日 世界陶芸際を訪れた押し寄せる乗客に対応するため 定時運行は欠かせないなか、 またも、電車が発車時刻になっても赤信号がかわらない事態に 信楽駅は事実上パニック状態であった。 また事故当日は、運行時間中に信号系の修理をする 重大な違反をしてしまった。赤から変わらない信号を 手信号に変えたことで、 小野谷信号場まで要員を自動車で派遣したが、 道路の渋滞により現地にたどり着けなかった
事故当日 「誤出発検知装置」が正常に作動せず 小野谷信号場が青のままになってしまった原因は 不明のままだが、 上記の信号に関わるJR西日本と信楽高原鐡道の の行為の積み重ねがあるのではないかと推測は されている。
また、信号工事の受け持ちのについて 信楽高原鐡道は信楽駅と小野谷信号場を JR西日本は貴生川駅と亀山CTCを受け持ったが 別々の業者に発注していたことも背景要因として指摘されている。
信号システムを改修したがあとにトラブルが幾度があり また、信号システムの検証が不十分で 電気設備回路の誤配線をチェックすることができなかった。
また、信楽高原鐡道に信号の専門家が補充されることはなく、 社内にはきちんと信号システムを理解できている 人間がいなかったとされる。
そして、世界陶芸祭で予想以上の訪問客が訪れ 押し寄せる乗客に対応するためには 定時運行が欠かせず、そのなかで信号トラブルが発生して 手信号操作に変え、そのため 小野谷信号場へ職員を派遣して到着して 安全確認をしてから出発すべきであったのに、 交通渋滞という悪条件も重なり 職員が到着せず安全確認ができない状態で 「誤出発検知装置」が作動するから大丈夫だろうと 定時運行という業務効率を運行するため いくら遅延しても安全のための列車を動かさない という判断がなされなかったのだろう。
信楽高原鉄道事故の臨時報道特番の動画 1991年 信楽高原鉄道事故 https://www.youtube.com/watch?v=ZQtvMsQOAAU
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