そして伝説へ ~ 飛翔ディープインパクトのラストラン
ディープインパクトが 第51回有馬記念(グランプリ)を制して、 史上3頭目GⅠ7勝、 3歳クラシック3レース(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)を 制した馬がGⅠ7レースを制し、7冠達成を果たしたのは シンボリルドルフ以来21年ぶり、史上2頭目である。
ディープインパクトは サラブレッドとしては小柄で、 サンデーサイレンスの産駒14頭中、9番目の価格で 馬主の金子氏に引き取られるほど、まさか 大化けするような馬になるとは思われていなかった。
金子氏は 馬の瞳の強さの衝撃に惹かれて、買ったという。 その衝撃から、人々に衝撃を与える馬になって欲しいという 願いを込めて「ディープインパクト」と名づけたが まさしく、日本競馬会史上、また、多くの人々に強烈な記憶に深く残る衝撃をもたらす名馬になった。
皐月賞では スタート直後につまづき、外によれたが 見事に優勝。 このとき武豊騎手が 表彰式でインパクトの背中の上で、 左手の人さし指を突き出した。 これは、21年前に無敗の三冠馬となる シンボリルドルフに騎乗していた岡部騎手が 皐月賞の表彰式で シンボリルドルフが名馬になることを予感して まずは「1冠」という意味で掲げたことを意識した ポーズで、武豊騎手は、このときから ディープインパクトが名馬になると確信しており、 「走っているより飛んでいる感じ」と言葉を残している。
そして、日本ダービー、 またもスタートで出遅れるが、 最後の第4コーナーを回ってからの直線で 大外から一気にスパートを駆けて、前の馬馬を追い抜き 残り150メートルで、その時点での先頭の馬より前に出て 5馬身の差をつけての圧勝劇には あまりのすごさに笑ってしまった。 まさしく、ディープインパクトだった。
私は小学生5年の時にシンボリルドルフが無敗の 3冠馬になったときことを強く覚えているが、 それ以来のすごい馬が現れたのかと思った。
そして、菊花賞直前には、列車の吊り広告に 21年前に無敗の三冠を達成したシンボリルドルフの写真と ともにディープインパクトの写真があり、 これで、ディープが勝てなかったらどうなるのだろうと 思ったが、第4コーナー手前で、 先頭とは10馬身差もあったが、 あっという間にぶっちぎり、 2馬身差で勝った。
翌年は天皇賞春、宝塚記念を制し (シンボリルドルフはけがのため宝塚記念に出走できなっくなった) 凱旋門賞は3着失格と残念な結果になったが、 何とか国際招待レースのジャパンカップに勝ち 6冠と達成し、有馬記念で有終の美を飾って7冠達成できるか どうかが話題になった。
レースはいつも通り、ディープがスタート後は後方で進む展開から 第4コーナー手前で外から抜け出し一気にスパート 直線では鞭を1発入れたのみで手綱だけで走り、 2着に3馬身差をつける圧勝にまたも笑うしかなかった。
(今年の有馬記念の観客は昨年の16万人よリ5万人少ない 11万人で、ディープだけが強いつまらないレースになり、 また、商業主義的なディープ人気に嫌気がさしたフアンが多いという 指摘がある)
7冠を達成し、引退するディープインパクトについて 武豊騎手が 「飛ぶように走る」と表現する。
それについて、JRA競走馬総合研究所の平賀氏が 昨年の菊花賞のレースの映像を詳しく分析したところ
「飛んでいる時間」とされる四本足全てが 地面から離れていた時間に関して、 ディープインパクトの「飛んでいる時間」は 他の馬のそれより平均値より短かったが 飛んでいる時間のディープインパクトの 進む距離は、ほかの馬より20センチも長いことがわかった。
つまり、上下運動が少なく流れるように走っている状態で、 それが飛んでいるという感覚になり、「飛翔」ディープの 強さの源であったのだ。
飛翔ディープインパクトがもたらした深い衝撃は 記録として、また人々の記憶に残り 伝説として語り続かれていくだろう。
そして、ディープインパクトの子孫に 飛翔のDNAが受け継がれ、 新たな飛翔伝説が生まれるかもしれない。
テーマ:競馬 - ジャンル:スポーツ
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